日記録0杯, 日常

2022年3月12日(土) 緑茶カウント:0杯

まぁ人生いろいろあるが楽しいこともたくさんあるのでご安心いただきたい。そしてこのところは紅茶と珈琲の摂取率が上がっているため緑茶カウントがあまり回転していないが緑茶も変わらず好きである。ついでに言えばワクチン三回目も接種した。スピード感のある自治体に感謝である。

ライブもね。行きたいばかりにね。配信で切なさが募ることもあってね。「欲していること」を自覚しないようにあえて避けるようにしている自分自身を自覚している。それはそれでどうなんだと思いつつ。だって現地に行きたいんだ。でも、チケットを買いつつも状況的に行けないこともあったんだ。数回ね。金額的にはまあまあですな。

血肉になっているからこそ、意識の外にやらないとしんどい時期がある。で、まぁ、今がそれなのだ。とはいえ、きっと少しずつ。状況は良くなっていくと信じているので。その日をゆっくり待とうじゃないかと思うよ。

ということで、最近はやたらとパネポンをしている。親指の腹が擦り切れそうである。



日記録0杯, 平沢進, 日常

2022年3月11日(金) 緑茶カウント:0杯

確かに己は好きだった。

およそ十年前、ツイッターで面白いツイートを繰り広げる彼に興味を持ち、公式サイトに行って。そこに掲載されたテキストを読んでぐんぐん惹き込まれ、そうだきっかけは文章だった。そして掲載されていた全てを読み込み、本を買って、ファンである友人からCDを借りてさらに転がり落ちて、いつの間にやらファンクラブに入会しコンプリートボックスを購入していた。

それから初めてライブに行って、実在する彼を目の前にして感動し、会報誌を喜んで読み、ファンイベントで最前列を得て、投稿していた己の悩みに対する回答を得られ、つらいときにも彼の音楽と文章は心の支えになってくれて、本当に心から大好きだった。

過去形になってしまったことが悲しい。

作品と作者は別物だ。しかし割り切れないこともある。今回はどうしても割り切れず、落胆が募った。そんなことは自分勝手に他ならない。勝手に幻想を抱いたこちらが悪い。ただ、それでも。

十年前、彼に出会ったとき。屈託なく文章と音楽を楽しめて、ライブに熱狂できた。そんなひとときを得られたことに感謝したい。そしてその思い出と買い集めたCDを大事に大事に仕舞っておいて。いつかまた、己の中で心の整理ができたときに。封を開こうじゃないかと思う。

ファンクラブの更新を見送った悲しみを未だ整理できないまま、ひとまずの吐露。
しばらくさようなら、平沢進。確かに己は好きだった。



日記録0杯, 日常, 筋肉少女帯

2021年11月3日(水) 緑茶カウント:0杯

解釈が難しいアルバムである。
しかし確実に己はこのアルバムが好きで、かつての自分が筋少に出会ったためにその地続きで今の時代にこのアルバムをリアルタイムで聴けたことをとても嬉しく感じたのだ。

キャッチーではない。
オーケンの「建前」「本音」「願望」と、それ以外を切り分ける必要がある。
鎮魂も混ざっている。しかし鎮魂だけではない。

前作の「LOVE」はタイトルのとおり「愛」をテーマとしたコンセプトアルバムで、最後の曲「Falling out of love」が華麗なる終幕と一曲目への繋がりを見せる見事な構成で、一曲一曲も主張が強くわかりやすかった。対してこの「君だけが憶えている映画」は、これまでの筋少のアルバムの中で、どこに位置づけられるかわからない、わかりにくい。そういった意味で異色のアルバムであると言える。そして、強く尖って主張する曲がLOVEに比べて多くなく、言ってみれば「困惑」の二文字で殴りつけてファンを考え込ませる、そんなアルバムであると言えよう。あくまで己の感想だが。

しかしそれが物足りないかと言えば違っていて、何か心に引っ掛かり、ざわつかせる。そんなアルバムである。故に、まさにコロナ禍である今の時代に生まれたアルバムと言えて、リアルタイムで聴けることが心から嬉しい。

キーワードは「境界線」「ボーダーライン」「オーバーライン」。他、海岸線、地平線、水平線。個人的に心配していた一曲はダイレクトにそのまま名付けられた「COVID-19」。しかしこれもCOVID-19を「暴きの化身」として描いて、それによってもたらされた世の中の変化を掬い取っている。自分自身もCOVID-19によって失った人間関係があるので聞きながらしんみりした。あぁ、袂を分かつという意味でね。まぁそれは置いといて。とにかくこのアルバムはコロナ禍の影響を深く受けていて、現実も未だコロナ禍を脱しておらず、しかし落ち着きかけていて、とはいえこの先はまだまだどうなるかわからない不安定な中で。ライブミュージシャンであるオーケンはより深くそれを感じていることだろう。

すごいなとぎょっとしたのが「お手柄サンシャイン」での「どこもここも臨界点」という一フレーズ。さらっと緊張感を混ぜ込んでくるあたりに戦慄したし、オーケンの言葉選びの見事さに脱帽した。「お手柄サンシャイン」はこの後の「乗り違えた中央線」から始まる三行もすごい。たった短い言葉で、踏みとどまれるか思案した彼が必死になって追いかけたことが語られている。このオーケンの表現力たるや、心から感嘆し舌を巻いた。「乗り越えられるか」と「飛び越えられるか」という印象的な二つのフレーズが葛藤を描いていて、「取り押さえる」前までが特に葛藤が強い。対して「飛び越えた」途端に話はファンタジーに転換し、無差別殺人者と連続射殺魔を取り押さえるくらい非現実的になる。これがまたしんどい。だってその先にある願いの根幹とも言える言葉は「君の心まで」というもの。つまり、無差別殺人者や連続射殺魔や闇の支配者を取り押さえる、そんな非現実的なことを叶えるくらいでないと君の心を掴めない、と感じられるのだ。曲調に反して実に悲壮的である。

あー、好きだな。

何となく予想しているのは、ライブで聴いたらガラリと印象が変わりそうな曲がいくつもあるということ。その日を楽しみにしつつ、まだまだ自分の顎で咀嚼を続けたいと思う。ということでインタビュー記事はまだ我慢。読みたいけどね。手元にあるけどね。
そして今夜はビールを呑みつつひたすら爆音で筋少を聴く。あぁ、幸せだ。



日記録1, 1杯, 日常, 重陽の節句

2021年9月9日(木) 緑茶カウント:1杯

日もとっぷり暮れてそろそろ夜の散歩にでも出かけるかと立ち上がりかけたその瞬間、目にした数字。それはパソコンの画面右下に表示された八桁で構成されるもので、通年であれば注目しまくっていたものである。

びっくりした。ものすごくびっくりした。
何故なら今日が重陽の節句だったからである。

マジかよ、と誰もいない部屋で呟いた。え、もう重陽の節句なの? 一週間か十日ばかり早くない? と思うのもまぁ無理はなく、それというのも最近あれこれバタバタしていて、曜日だけを意識して生きていたのである。日付という概念がそっくり脳から抜け落ちていたのだ。

ということでほとんど意識することなく一日が終わりかけていて寂しい限りだが、今日は重陽の節句である。菊の花の節句である。五節句の中で何故か存在感が薄い重陽の節句の日である。皆さん、重陽の節句をどうぞよろしく。これを言うために己は生きている、というのは冗談だけどね。来年もまたよろしくね。



日記録

2021年8月12日(木) 緑茶カウント:0杯

結論から言うと、抗原検査・PCR検査を受けた結果はどちらも陰性だった。
しかし、その結果がわかるまでの数日間の恐怖は言葉では言い尽くせないほどのものだった。

災害とまで評させるコロナ禍の東京。連日感染者数は増え続け、何でたかだか買い物に行くだけでハラハラせねばならんのだと思いつつ、とはいえできることをするしかないと半ば諦めながら日々を暮らしていたある日、熱が三十七度出た。そして、三十七度から三十七度八分までの熱が五日間続いたのである。

もともと体温が高い方なので、ちょっと緊張するだけで容易に三十七度を超える。また、熱が出たこの日、己はやや落ち込んでいた。コロナが蔓延する前にチケットが販売され、ずっと延期を繰り返しようやく開催が決まったライブに、悩みに悩んで悩みつつ行かない決断をしたためである。ライブの日、己はまだワクチンによる抗体ができる前で、今の状況ではかなりリスクが高い。ライブ会場で感染対策が行われていたとしても、道中で感染する可能性が多いにある。故に、ずっと行きたいと切望していたライブに行くことを諦める決心をしたのだ。

その直後、三十七度八分の熱が出た。

体温計を見てドキッとしつつ、まぁ一時的なものだろうと思って床に就いた。ずっと行きたかったのだ、ショックを受けるのも無理はない。一晩寝れば落ち着くだろう。そう思ってドキドキしながら朝を迎え恐る恐る体温計を脇に挟むと、体温は平熱の三十六度八分。あぁ、良かったやはり精神的なものが原因だった。ほっとしつつ念のため外に出るのは止めておこうと日課の夜の散歩を控えることに決めて一日を過ごしその日の夜。熱がぶり返したのである。

ゾッとした。まさかと思った。
そして、改めてコロナに関する情報を調べ直した。

藁にも縋る思いで情報を読み込む。感染から発症までの期間はおよそ五日間。五日前の自身の行動を振り返るとスーパーに買い出しに行っていた。現状、一年近く誰かと食事を共にすることはなく、帰省はおろか友人に会うこともない生活を続けている。マスクはもちろん不織布だ。ここまで感染が広がる前には一人客が中心で会話をする人がほぼいないラーメン屋に時間をずらして食べに行くことはあったが、それすらも最近は自衛のため自粛している。外出と言えば週に一度か二度買い出しをするときとゴミ出しと夜の散歩のみ。リスキーな行動は少ないはずだが、しかし今の状況ではそれすらもリスクに成りうるかもしれない。だってさぁ、これはあくまで体感によるものだが、コロナが蔓延し始めた当初はスーパーに行くと九割の人が手の消毒をしていた印象だったのに、今じゃ消毒してるの四割くらいだものなぁ。慣れとともに緩んできているのは感じている。マスクをせず歩いている人も増えてきた。

気を付けていたが、どこかで感染したのかもしれない。
布団の中でスマートフォンを握りながら、心臓がバクバクと跳ねる音を聞いた。

怖くて一日に何度も体温を測り、祈るような気持ちで数字を見る。熱以外の症状はないが、いつ悪化するかもしれない、もしかしたら死ぬかもしれないと思うと恐怖で眠れない。事実、朝まで一睡もできない日さえあった。しかもちょうど熱が出たのが連休中。発熱相談センターに電話したものの、今は祝日で込み合っているので熱だけならまだ様子を見た方が良い、外に出ればかえって感染してしまうリスクがあると言われ、それは確かにと思い病院が開く連休明けまでひたすら時間が過ぎるのを待った。怖かった。あぁ、ただ微熱が続く程度なら普段であれば安静に過ごそうと思うだけで済むのに! スーパーに行ったのが悪かったのかもしれない、散歩に行ったのがダメだったのかもしれないと後悔に苛まれて良い歳をしていながら泣きそうになり、また、もうすぐ二回目のワクチン接種を控えていただけに、こんなにずっと自粛を続けていたのにこのタイミングで感染していたらと思えば悔しくてたまらなくなり、気分はとにかく滅入っていく。

ワクチン接種に備えて準備していたおかげで食料と飲み物に困ることがなかったのが唯一の救いだ。そしてやっと連休が明けて病院に連絡し、PCR検査を予約。あぁどうにか陰性であってくれと祈りながら迎えた当日。なんと、熱が下がった。およそ五日間の発熱であった。

そして今日、検査結果が陰性であったと病院から連絡があってへなへなと力が抜けて動けなくなり、五日間室内での運動も控えひたすら寝て過ごしたため体力も衰え、体重も減少。たった一回ラジオ体操をするだけで息切れするありさまとなったが、予定通りワクチンを接種できることになった安堵もあって今はとにかく力が抜けている。熱の原因はわからないが、夏風邪かストレスか何かだろう。ただ、通常ならさほど気にならないちっぽけな体調不良も今ばかりは不安で恐ろしくてたまらなかった。

皆さんもどうか、体調に気を付けて。
不安なく健やかに過ごせますように。