日記録0杯, 日常

2014年2月1日(土) 緑茶カウント:0杯

人から髪の毛を褒められた。自分はあまり容姿を褒められる経験を持つ方では無いため、なかなか珍しい体験だが、珍しさによるものとは別の違和感を抱いていた。嬉しいが、何故そこを褒められるのだろう。疑問に思いつつ受け答えをして、直後合点がいった。

「染めてないの? 真っ黒で良いねー」
「髪の毛太くて良いねー」
「量も多いなぁ」

そう。例えば十年前などは、特に褒められる要素で無かったことが褒められるようになったのである。白髪が無く、髪が太く、量がある。なるほど、これらが褒められる年齢になったのか。納得しつつ感慨深くも思う出来事だった。



日記録2杯, 日常,

2014年1月31日(金) 緑茶カウント:2杯

飲酒を好むものの呑むのは専らビールばかりで、焼酎は呑めなくも無いが得意では無く、日本酒は好きになり始めたばかり。他、好きなのはジン。ショットグラスでちびちび舐めるのも良いが、ジンベースのカクテルも好きだ。ジンベース以外のカルーアミルクなどの甘いカクテルも呑む。そしてワイン。ワインは実家で呑む機会が多いためそれなりに美味しくいただくが、「ワインの美味しさ」がわかるか、と言われると微妙なところである。

だが、今日ある店で呑んだワインはとても美味しかった。常温の赤ワインに、薄い飲み口のグラス。グラスを傾けたときと口に含んだときに、ワインの香りと味が口の中で膨張するのを感じて驚いた。膨らむように存在感が大きくなった、と言えば良いのだろうか。なかなかの衝撃だった。

「本日のワイン」と書かれていたものを適当に注文し、名前を尋ねることもしなかったため、あれが何のワインか知らないでいるのだが、実に美味しく、美味しいと感じられたことが嬉しかった。



日記録3杯, 日常

2014年1月30日(木) 緑茶カウント:3杯

「何故あなたはスマートフォンにしないのですか」という質問を受けることが少なくなく、中には「金が無いのですか?」といった不躾な一言を付け加える人もいるが、金銭の問題では無く、単に今所有している携帯電話を気に入っていることと、スマートフォンを入手したいという情熱と欲求が特に生じていないことが主な理由である。

現状、いわゆる「ガラケー」に対し不自由を感じていない。電池が持たなくなったため常に充電器を持ち歩かなければならないが、携帯電話の機能自体には満足している。そして、それ以上を求めていない。

スマートフォンで出来ることはパソコンでやる、というのも理由の一つだ。あと、立体的なボタンの方が好みであること、画面に指で直接触れることに何と無く抵抗があること、などなどがあるが、一番の理由はこれだ。勧められるソーシャルなんちゃら的なあれこれを回避したいということ。「すみませーんガラケーだから出来ないんっすよー」という逃げ口上を使える、これが何よりもすごく便利なのだ。

まぁ、そのうちサラリと気分が変わって買い換えることもあるかもしれぬが。しばらくはまだこのままが良いのである。



日記録2杯, 日常

2014年1月28日(火) 緑茶カウント:2杯

今年はピクルスと果実酒の自作に挑戦してみたい。ピクルスはとにかく酸っぱくて、甘い味がしないものを。果実酒は梅酒あたりを想定している。最低、どちらかは作ってみよう。

時間がかかる食べ物をじっくり育ててみたいのだ。



日記録2杯, 日常

2014年1月27日(月) 緑茶カウント:2杯

二十七年生きてきて、生まれて初めて豆乳と言う飲み物を摂取したので、今日は豆乳記念日に制定する。ちなみにどうして豆乳を飲んだのかと言えば、いつも行くスーパーで牛乳が売り切れており、反面豆乳は山のように様々な種類が陳列されていたからだ。己は成分無調整豆乳なるものを買い、ストローを刺してそれを飲んだ。豆の味がして、癖はあるものの苦手とまではいかない、という感想を持ったが、心の底から美味しいとは思わなかった。

あぁしくじった。己はしくじったのだ。

豆乳とは何の関係も無い。結婚式に関する素直な感想を、己は他人に喋ってしまった。こればっかりはよっぽど人を選ばないと口にしてはならないと言うのに。敵を作ることは目に見えているのに、己は喋ってしまったのだ。祝福する気持ちを持ちつつも、結婚式と言う催しに対しては冷めた目を持ちつつ、絶対に自分はこれをやりたくはないと、参列するたびに思わされ、しらけた気分でいることを。ドラマ仕立てのムービー、シネマのようなスライド、感動を呼ぶ演説。どれもこれもが苦手で、新郎新婦の世界に入り込めないこと。一斉にシャッターを切る人々を見て、よその嫁さんや旦那さんの写真をそんなに撮って何になるのだ、と思いつつ座っていること。あぁ、わかった、ここで写真を撮っておけば、自分が結婚したときに、代わりに結婚式の写真を撮ってもらえるからか、という発想に至ること。そしてそれを自覚するたびに、自分は大層な人でなしだなと思うこと。

おめでたいと思い、心から喜ばしいと思い、幸福を願い、招待されることを光栄に思うが、結婚式と言う催しばかりはいつまでも苦手で、やりきれない思いを抱きつつ、抱きつつもこんなこと、決して口外するもんじゃないと思っていたのだが。しくじった。しくじったのだ。

やっちまったなぁ、と思った夜だ。