日記録日常,

2018年2月12日(月) 緑茶カウント:0杯

調理へのハードルがわりかし低い飲兵衛ほど最悪な生き物はいない。何故なら、ビール三本呑んで気持ち良くなってから、まな板と包丁を取り出して冷蔵庫を開け、フライパンを火で炙り、後の皿洗いの労苦も厭わずつまみ作りを始めてしまうからだ。

誰かって、自分のことである。やめろ、太るぞ、まずやめろ。

そうして本日できたつまみはガーリックトースト。冷凍していた食パンを切り、バターとオリーブオイルをレンジにかけて溶かし、冷凍していたニンニクの粒を削って混ぜたものをアルミホイルに乗せたパンにトロトロとかけてトースターで五分チン。そうしてこんがり焼けたら乾燥バジルを振って彩りをプラス。乾燥バジルってほとんど彩りのためだけのものだよなぁ。

で、ビールで乾杯。深夜に。太らないわけがない、と知りつつ作ってしまった自分を責めつつ、あーあーと嘆きながら今日も楽しい宴が始まるのであった。

かん、ぱい。



日記録0杯, 日常

2018年2月11日(日) 緑茶カウント:0杯

聞いてくださいよ奥様。今日でこのサイトを開設してちょうど十五周年ですってよ。まぁ十五周年! とすると、この方は十五年もいったい何をやってきていたのかしら!

いや何をやっていたんだろうね、つったらひたすら日記を書いていたわけで、開設当初はイラストサイトにするつもりが絵を描くよりもずっと日記を書くことの方が多く、毎日毎日あれこれ書き続けた結果、そっちの方が得意になって、思いがけぬところで役に立ったり、生きる糧になったり、予想外のことが起きている。

で、これからどうするかと言うと、今後も日常のあれこれを書いたり、ライブの感想をしたためたり、面白いと思ったものについて書いたり、そんなことを趣味として続け、楽しく二十周年を迎えたいなぁと。あぁ、十五周年。もう何年かで自分の人生の中で、このサイトを運営している日々の方がそうでない日々よりもずっと長くなるのだなぁ、と思うと楽しい。

まぁ何も気負いもせず、楽しく趣味を満喫していくさ。これからも。五年後も。



日記録0杯, 日常

2018年2月10日(土) 緑茶カウント:0杯

一人で外食をしたことがない、と二十代半ばの女性が言った。その声には自負するものもなければ負い目もなく、ただ事実を淡々と述べているだけで、それを聞いた己は「へー」とこれまた平坦な声で答えたのであった。

話を聞くと、その人にとっての外食は誰かと一緒に行くことがあくまでも前提にあるそうだ。故に一人でも入りやすいラーメン屋やファーストフード店も一人では尻込みすると言う。「ラーメン屋って、むしろ一人の方が入りやすくないですか?」「そんなことない! 無理ですよ!」

ちなみにその人も自分も一人暮らしで、一人の生活には慣れている。なるほど。一人暮らしをしていれば一人での行動が当たり前になるので誰でも一人であちこち行けるものと信じていたが、必ずしもそうとは限らないのだなぁ。

一人でどこへでも行けることは自由を手にすることである。しかし外食を誰かと行くものと捉えれば、自由の代わりに外食に付随するのはレジャー要素で、特別感を得られるとも考えられる。己が当たり前のように一人で行くラーメン屋もその人にとっては特別な一瞬で、それぞれ違う楽しみ方をしながら味わっていると思うと面白い。

ということを、居酒屋のカウンターで一人、ビールを傾け餃子をつまみながら思ったのであった。



日記録0杯, 日常

2018年2月3日(土) 緑茶カウント:0杯

最高に楽しい一日だった。

大学の友人と三人で仮面ライダーの映画を観に行った。一人は仮面ライダーのファンで、もう一人はかつて仮面ライダーを観ていた人。そして自分は根っからのオーケンファン、そんな三人で連れ立って映画館に足を運んだ。

この映画を観るのは七回目だが、何度観ても楽しい。初回は物語を追うので精一杯だったが、雑誌を読み、回を重ね、現在放送中の本編を観ることでだんだんと仮面ライダーの世界への理解が深まり、観るたびに新たな発見があり、また筋を覚えたことで細かい描写を楽しむ余裕もできた。

映画が終わった後は三人で焼肉屋に行き、肉を焼き肉を貪りながら映画の話をする。思えば、映画館に行った後に感想を語り合うなんて何年ぶりだろう。家族でジブリの映画を観に行った子供のときこそあったが、大人になってからはまず映画を観に行く機会がほとんど無く、たまに出かけても一人で行って帰るのが常だったため、非常に新鮮に感じた。

仮面ライダーについて質問をすれば友人が答えてくれ、友人もオーケンの演技への感想を述べてくれ、とても楽しかった。「黒い最上とファンキーな最上は最初別人が演じていると思ったよ、良い悪役だった」「万物創世記のときから大槻ケンヂは全然変わってない、五十代に見えない」「せっかくなら大槻ケンヂに主題歌を作ってもらえば良かったのに」と言ってもらえた嬉しさったら。話は弾み、肉も美味しく、ビールも進んで幸せだった。

生きているとたまにこんなご褒美のような日があるからたまらない。今も楽しさの余韻に浸っている。あぁ、非常に幸せだ。



日記録0杯, 日常

2018年2月2日(金) 緑茶カウント:0杯

きっとその店の主はとても正直で、とても丁寧で、とても真っ直ぐなのだろう。しかし当初は興味を持っていたにも関わらず、一度も暖簾をくぐったことのないその店に行こうという気を己は一切失くしてしまったのである。

半年ほど前にできたその店はとある地方の特産物を扱った居酒屋で、昼はランチも営業している。店頭は細かなメニュー表に看板、貼り紙でデコレーションされていて、よしいつか入ってみるかな、と興味をそそられる内容だった。

ところがある日通りかかると店の扉に貼り紙があった。「今日は研修のために休みます」と書かれている。なるほど研修があるのか、と納得して先へと進んだ。そのときは特にこれといった印象は抱かなかった。

そして別の日に通りかかったときにも貼り紙があった。「会合があるためランチを休みます」。別の日にも貼り紙があった。「大事な仕入れがあるため夜の営業を休みます」。また別の日にも貼り紙があった。「料理の勉強のため休みます」。これまた別の日にも貼り紙があった。「地元仲間とのパーティーがあるので休みます」。

毎回毎回、きっちり休みの理由を書いて大きな文字で店の扉に貼ってあるのだ。

思い返してみるとその頻度は高すぎることもなかったかもしれない。他の店と同じ程度に休んでいたかもしれない。だが、毎回多種多様かつ印象に残りやすい休業の理由が書かれるために、この店といえば休業、というイメージがついてしまったのだ。

きっと「臨時休業」という看板だけ出されていたらここまで印象に残らなかっただろう。しかし貼り紙の威力たるや。「どうせ今日も休みだろう」と外食の選択肢からすっかり外してしまうようになって、一度も暖簾をくぐってもいないのに足が遠のいてしまった。

人入りの少ない様子を眺めると同じように思う人も多いのかもしれない。いつか伝えるべきだろうか。迷いながら通り過ぎている。