日記録0杯, 日常, 重陽の節句

2017年9月9日(土) 緑茶カウント:0杯

昼過ぎまで寝て、漫画を読んでサンドイッチとピクルスをつまみつつビールを呑み、また眠る。そんな重陽の節句とは何の関係ない一日を過ごした重陽の節句であった。

七草粥を食べる一月七日の人日の節句、雛祭りを祝う三月三日桃の節句こと上巳の節句、子供の日として祝われる五月五日端午の節句、織姫と彦星の年に一度の出会いの日、七月七日、七夕の節句。それらに比して注目度が低く、知名度も低い九月九日重陽の節句。だから己はこの重陽の節句だけを毎年贔屓しているが、毎年格別これといって特別なことをせずに過ごしている。

というわけで今日も終わるが、今年も良い重陽の節句であった。おめでとう九月九日。おめでとう重陽の節句。



日記録2杯, 日常, 重陽の節句

2016年9月9日(金) 緑茶カウント:2杯

どうしたら重陽の節句を祝日に出来るだろう、と日がな一日考えていた。

今日は一年に一度の重陽の節句だ。五節句のうちの一つ菊の花の節句である。七草粥を食べる一月七日の人日の節句、雛祭りを祝う三月三日桃の節句こと上巳の節句、子供の日として祝われる五月五日端午の節句、そして短冊を揺らす七月七日、七夕の節句。それらに比べて一段と地味で、一段と知名度の低い重陽の節句。だから己は重陽の節句を贔屓する。何か可哀想だから。

そうして贔屓を続けて早八年の歳月が流れたが、特に重陽の節句が盛り上がった実感はなく、己の力不足を痛感する、と言いつつ実際そこまで気にしてはいない。だって毎年身近な人に重陽の節句重陽の節句と騒ぐだけだから。それ以外に何もせず、ただ騒いでいるだけだから。

とはいえ。来年も再来年も十年後も二十年後もひそかに叫び続けよう。今日は重陽の節句だよ。



日記録2杯, 日常, 重陽の節句

2015年9月9日(水) 緑茶カウント:2杯

本日は重陽の節句である、と会う人会う人に伝えることを己の使命として活動してきてはや何年か。なかなか成果が得られぬが、今年はついに「職場の人に重陽の節句の話をしたら物知りだねと言われた」というご報告をいただくことができ、やったね! 言い続けてきた甲斐があった! と握りこぶしをつくった喜び。

菊の花の節句である。五節句の一つである。重陽の節句である。どうぞよろしくお願いします。



日記録1杯, 日常, 重陽の節句

2014年9月9日(火) 緑茶カウント:1杯

本日は重陽の節句である、と会う人会う人に伝えることを己の使命と信じて早数年。さりとて重陽の節句らしいことはせず、今日食べたのはハンバーグにスライストマトとチーズを乗せて焼いたものとジャガバター。菊の花びら一枚登場せず、それでも己は重陽の節句を慈しむのである。

本日は重陽の節句です。五節句の中では地味な、カレンダーにも載っていないことすらある重陽の節句です。どうぞよろしくお願いいたします。



日記録4杯, 日常, 重陽の節句

2013年9月9日(月) 緑茶カウント:4杯

今日は五節句の中で一番目立たず、一番知名度の低い重陽の節句である。七草粥を食べる一月七日の人日の節句、雛祭りを祝う三月三日桃の節句こと上巳の節句、こいのぼりを揚げる五月五日端午の節句、そして織姫と彦星で御馴染み七月七日、七夕の節句。ここまでは皆覚えているのに九月九日重陽の節句だけ、目立ったイベントが無いため忘れ去られている。何て可哀想なのだろう。

よって自分はこの重陽の節句だけをひいきすると決めており、毎年毎年「今日は重陽の節句だよ!」とアピールしまくっているがほとんどの人は薄い反応を返すだけ。寂しいなぁ、と思いつつ、自分も声高に重陽の節句だ重陽の節句だと叫ぶだけで特に菊を愛でたりはしないが、来年の今日もきっとまた「重陽の節句だよ!」と叫んでいるだろう。だってこれを五年以上続けているのだから。

我ながらよくわからないこだわりだと思う。