日記録0杯, 日常, 重陽の節句

2018年9月9日(日) 緑茶カウント:0杯

本日は重陽の節句でございます。五節句の中の一つの菊の花の節句。ただし一番目立たず、端午の節句や七夕と違い人々から忘れ去られるどころか、そもそも知られていない節句。故に己は毎年この日に、今日は重陽の節句だよと語り歩いているのです。何故なら、何だか可哀想だから。

そんな重陽の節句の本日、酒に菊の花を浮かべて呑む、といった風流なことはせず、いつも通りビールを傾けて肴をつまみつつ観ていたのは仮面ライダーオーズの最終回。長らく、最終回を観るのが寂しくて、物語が終わってしまうのが切なくて観ることが出来ていなかったのだが、本日ついに最後まで観た。アンクの最期も何もかも見届けた。この目で。

あぁ、こういう物語だったのか。

ある程度察していたとはいえ寂しい。思い出すのは平ジェネの映画を観に行ったとき、映画が終わった後に一つ前の座席の女性がわんわん大泣きしていたこと。友人と思われる女性が背中を撫でてなだめていて、過去作を知らない自分には読み取れなかったが、きっと涙を流すだけの理由がそこにあったに違いない、と確信を得つつその場を去ったのだった。

あぁ、こういうことだったのだなぁ。

平ジェネをきっかけに仮面ライダーに触れた己はまだビルドとオーズしか最終回を見届けていない。そしてどちらも円満解決なハッピーエンド、ではなく切なさと寂しさが残る後味で、仮面ライダーとはどれもこんなに悲しいのだろうかと考えつつ杯を傾けている。

さて、ではジオウはどこへ向かうだろうか。まだまだ先が見えないまでも前作と深く関わっているだけに興味深い。どんなエンドが観られるのだろう。まだ気が早いが、楽しみに思っている。



日記録0杯, 日常, 重陽の節句

2017年9月9日(土) 緑茶カウント:0杯

昼過ぎまで寝て、漫画を読んでサンドイッチとピクルスをつまみつつビールを呑み、また眠る。そんな重陽の節句とは何の関係ない一日を過ごした重陽の節句であった。

七草粥を食べる一月七日の人日の節句、雛祭りを祝う三月三日桃の節句こと上巳の節句、子供の日として祝われる五月五日端午の節句、織姫と彦星の年に一度の出会いの日、七月七日、七夕の節句。それらに比して注目度が低く、知名度も低い九月九日重陽の節句。だから己はこの重陽の節句だけを毎年贔屓しているが、毎年格別これといって特別なことをせずに過ごしている。

というわけで今日も終わるが、今年も良い重陽の節句であった。おめでとう九月九日。おめでとう重陽の節句。



日記録2杯, 日常, 重陽の節句

2016年9月9日(金) 緑茶カウント:2杯

どうしたら重陽の節句を祝日に出来るだろう、と日がな一日考えていた。

今日は一年に一度の重陽の節句だ。五節句のうちの一つ菊の花の節句である。七草粥を食べる一月七日の人日の節句、雛祭りを祝う三月三日桃の節句こと上巳の節句、子供の日として祝われる五月五日端午の節句、そして短冊を揺らす七月七日、七夕の節句。それらに比べて一段と地味で、一段と知名度の低い重陽の節句。だから己は重陽の節句を贔屓する。何か可哀想だから。

そうして贔屓を続けて早八年の歳月が流れたが、特に重陽の節句が盛り上がった実感はなく、己の力不足を痛感する、と言いつつ実際そこまで気にしてはいない。だって毎年身近な人に重陽の節句重陽の節句と騒ぐだけだから。それ以外に何もせず、ただ騒いでいるだけだから。

とはいえ。来年も再来年も十年後も二十年後もひそかに叫び続けよう。今日は重陽の節句だよ。



日記録2杯, 日常, 重陽の節句

2015年9月9日(水) 緑茶カウント:2杯

本日は重陽の節句である、と会う人会う人に伝えることを己の使命として活動してきてはや何年か。なかなか成果が得られぬが、今年はついに「職場の人に重陽の節句の話をしたら物知りだねと言われた」というご報告をいただくことができ、やったね! 言い続けてきた甲斐があった! と握りこぶしをつくった喜び。

菊の花の節句である。五節句の一つである。重陽の節句である。どうぞよろしくお願いします。



日記録1杯, 日常, 重陽の節句

2014年9月9日(火) 緑茶カウント:1杯

本日は重陽の節句である、と会う人会う人に伝えることを己の使命と信じて早数年。さりとて重陽の節句らしいことはせず、今日食べたのはハンバーグにスライストマトとチーズを乗せて焼いたものとジャガバター。菊の花びら一枚登場せず、それでも己は重陽の節句を慈しむのである。

本日は重陽の節句です。五節句の中では地味な、カレンダーにも載っていないことすらある重陽の節句です。どうぞよろしくお願いいたします。