日記録2杯, 日常

2015年7月24日(金) 緑茶カウント:2杯

最近、かつて近しかったけれど近年遠かった人と、近しい人の近しい人の近しい人の死があった。二件。そして己は進まない自転車をこいでこいでこぎまくり一日約十四キロ前に進まず走っている。弔電を打った。思いを馳せた。心身に支障を来たす衝撃こそ無かったものの脳裏からなかなか離れない。日常の中にいるようで非日常の中にいるようでもある。寂しい。

亡くなった人の一人は、とある挫折を経験してから、ずっと動けなくなっていた人で、それが最近ようやく立ち上がり、何とか前に進み出すことが出来るようになった人で、その矢先に心筋梗塞。己とたった一つしか年が違わない。まだ若いのに、ときっと皆が言うだろう。己も思う。そしてまた、やるせないなぁと感ずるのだ。

もう一人の方は面識こそ無いものの、その人が亡くなったことできっとあの人が悲しむだろうということがよくわかり、その寂しさを思うと切ない。だが自分は日常を生き、通い始めたばかりのトレーニングジムに毎日通い、本を読み、アニメを観て興奮し、眠り、思うこともあるものの、日々を過ごしている。慣れたのだろうかと思いつつ、慣れるとはどういうことだろうと思いつつ。

明日も進まない自転車をこぐ。こぎまくる。



日記録2杯, 日常

2015年6月27日(土) 緑茶カウント:2杯

ドガガガガガガガガガガ、頭のすぐ近くから轟音が鳴り響き己は驚いて目覚めたが、明らかに目覚ましの音では無く、目覚ましの音では無いということはまだ寝ていて良い時間であるので、再度眠ろうと試みたが、まるでドリルが壁を打ち抜くような凄まじい轟音が壁一枚隔てたところで鳴り響くのだからたまらない。布団の中で抵抗を試みたが虚しく敗北。己は起きることを決意した。

例えでは無く、実際にドリルが壁を打ち抜いていた。アパートの外壁工事が行われていたのである。確かに何とかと言う設備を導入するために室内工事にご協力ください、というチラシが配られたことは記憶しているが、室外工事については一言も聞いて無いぞ、と改めてチラシを確認。やはりそこには外壁工事に関する文言は皆無。日時も皆無。ドリルだけでなく、何らかの道具で壁を叩く音も別の壁から聴こえる。ガンガンガンガンドガガガガガガガガドンドンガンガンカンカンカンカン。

朝起きたら工事現場のど真ん中に放り出されました、己は驚いております、まるで自分の家ではないようです、と誰かに報告したい気分。正確には朝ではなく昼に近いが誰かに報告したい気分。あぁ、己の安眠は妨害された。そしてこの空間では安らかな休日を過ごすことも出来ない。今日は読書と絵を楽しもうと思っていたのに。

仕方無しに本を持って外に出ると我が家は櫓と梯子とおっさんに取り囲まれていたが、二時間ほど経って戻ってみると櫓も梯子もおっさんも綺麗さっぱり無くなっていて、近所の子供が吹く下手な鍵盤ハーモニカの音しか聴こえない。安心しつつ、狐につままれたような心地を味わった、そんな土曜日の昼だった。



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2015年6月21日(日) 緑茶カウント:2杯

一人カラオケ、一人居酒屋は経験がある。しかし一人焼肉は未経験だった。小さな抵抗があったからである。焼肉と言うと、皆でわいわい楽しみながら肉を焼き、おいお前それまだ火が通ってないぞ、マジかよやべー鉄板に戻して良い? といったやりとりの中で楽しむものというイメージが強かったのである。とはいえ前述のカラオケ、居酒屋も同様のものであり、すると一人焼肉に抵抗を抱く由縁などどこにも無いことになるわけだが。

そして実際に行ってみたら何と言うことも無かった。カウンター席があったのも大きいだろう。四人用のテーブル席に通されて一人で焼肉をやるとなると流石に寂しさを感じそうだが、もともと一人で食べることを想定された小さな鉄板が目の前にある席であれば問題無い。そう。鉄板のサイズも問題だ。一人で食べるとなるといっぺんに肉を乗せることは出来ない。さりとて大きな鉄板にたった二枚だけ肉を乗せると余白がどうにももの悲しい。小さな鉄板ならその点を解消出来る。小さな鉄板は偉い。

ハラミ二人前とキムチと生ビールと冷麺を頼み、一人でちゃっちゃと焼いてちゃっちゃと食べた。うーん、美味。これまでは人数を揃えないことにはなかなか焼肉にありつけなかったが、今後はいつでも好きなときに焼肉を食べられるようになった。嬉しいステップアップである。

とはいえお会計は四千円。流石焼肉。結局、ラーメン屋に行くノリで軽く食べに行くことは出来ないのであった。どっとはらい。



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2015年6月14日(日) 緑茶カウント:2杯

週に一度の整体通いの帰り道。昼飯は済ませた後だが、小腹が空いたので近所のラーメン屋の暖簾をくぐった。時刻は十五時、ちょうどおやつの時間であるので、注文したのは半玉ラーメン。ただし、もうちょいボリュームが欲しいのでほうれん草を追加でトッピングした。

このラーメン屋は月に三度ほど通っていて、いつも己はほうれん草をトッピングしている。むしろほうれん草をトッピング出来るからこのラーメン屋に通っていると言っても過言では無い。濃い味のスープがからんだほうれん草がたまらなく美味いのだ。そして添えられる味玉と焼き海苔。とろりと溶けた黄身を口に入れる瞬間はいつも楽しみで、己は中盤あたりで味わうことが多い。

メールの返信をしながら待つこと数分、ドンッと丼が目の前に置かれ、携帯電話を畳みさあ食べようと箸を手に取ろうとしたとき、「いつもありがとうございまーすこちらサービスでーす」と店員の声。丼を覗き込んで驚く。えらいことになっていた。

通常半玉ラーメンには乗らないチャーシューが山盛り。さらに味玉と焼き海苔も倍量トッピング、もちろんほうれん草もたっぷり。半玉ラーメンにあるまじきボリュームである。えっ何で!? と驚いているとニコニコ顔の店員に食事を勧められる。突然のサプライズに驚きながら箸を割った。うおーうチャーシューすっげえ乗ってる……。

そんなわけで、おやつのはずのラーメンは立派な食事に化け、夕飯の時刻も満腹感が続いたので夕飯をスルー、そしてこの日記を書いている二十三時過ぎになってようやく腹が減ってきて、食べるべきか否か迷っている今現在。

ラーメンはとても美味しかった。



日記録2杯, 日常

2015年5月27日(水) 緑茶カウント:2杯

ついに初めて口をつけたのだ。ハイボールなる飲料に。

元来、興味の無いもの、自分には関係の無いものを記憶するのが苦手な性質で、ゆえに飲酒を始めて今年で九年目になり、酒が大好きで居酒屋にもそこそこ行き、友人達がそれを呑む姿を目にしているにも関わらず、つい先日まで己は「ハイボール」がいかなる飲料か全く把握していなかったのである。知っていることは一つ。酒であることだけ。何で出来ているか? それは知らない。

今ならわかる。ウイスキーと氷と炭酸水、場合によってレモンなどである。そして今なら味もわかる。何故なら口にしたからである。

ハイボールを呑まないくせに我が家にはウイスキーがあった。それを持て余していた。買ってはみたもののいまいち好みではないなぁと思っていた。それを人に何とはなしに伝えたところ、ハイボールにすると良いとアドバイスを受け、ハイボールの材料の一つを知った。なるほど。あれはウイスキーで出来ているのか。しかしここまではそれを知っただけのこと。さして興味は湧かずさあ拵えようという気も無い。

そんなある日。友人が「これをあげよう」と言っていきなり一つの缶をくれた。ハイボールと書かれている。つまりハイボールの缶である。「もらったんだけど、これあんま美味しくなかった!」ほがらかに言い放つ友人。己の手には美味しくないハイボールの缶が一つ。

これを初めてのハイボールとして良いのだろうか? しかし呑まないで放置するのも忍びない、ということで最初の一杯を作ってみることを決め、インターネットでレシピを調べて氷とレモンと炭酸水を買い、ついに初めて口をつけたらスッキリしていて呑みやすく、気付いたら持て余していた瓶が空になったのである。

そんなわけで制定されたハイボール記念日。およそ二週間ほど前か。だが未だにあの不味い美味しくないハイボールの缶は冷蔵庫の中にあり、これをいつ呑むか悩んでいるのである。どっとはらい。