祝杯を!
2017年3月15日(水) 緑茶カウント:0杯
出会いは小学校一年生。親しくなったのは四年からか。一度も同じクラスになったことはなかったものの、公文をきっかけに仲良くなり、以来中学、高校、大学、そしてその後もちょくちょく約束をとりつけては遊んでいた間柄。同じ町内、全力疾走すれば二分の家に住んでいた幼馴染に、ついに子供ができた。今日。
乾杯! と言葉に出さず祝杯を挙げている六畳一間の住人は、今にやにやと笑っている。
去年から今年にかけて急に友人の出産報告が増え、幼馴染は三人目。しかし違うのはこれまでの二人、出会いが大学であったこと。互いに育ちきってから出会っただけに子供が生まれてもさほど違和感はなかったが、あのランドセルを背負っていたあいつが、と思うと感慨もひとしおである。同じように歳を重ねたにも関わらず、まるで親戚のおじさんのようにしみじみしてしまうのだ。あぁ、良かったなぁ。嬉しいなぁ。
そして思い出すのはつい先日の年上の友人からの告白。彼女は三十代半ばで既婚、子供はおらず、バリバリ働いている。自分はずっと彼女は子供を持たない選択を自ら望んでしているのだと思っていたが、ふとこぼした言葉により真実を知った。彼女は子供を望んでいたが、旦那さんが望んでいなかったため、夫婦の話し合いの結果子供を持たない選択をしたのだと言う。無論そこにはいろいろあって、子供を諦める代わりに彼女の希望も叶えられたのだが。その後しばらく自分は考え込む日が増えたのである。
自分自身は子供を持ちたいと思ったこともなければ、結婚したいとも思わない。そして周囲から多少の圧力はあるものの、身近な人には認めてもらえているので、それなりに気楽に楽しく思うがままに生きている。あぁ、こんな生き方が許される時代に生まれることができて良かったなぁと幸福を噛み締める日々。だからこそ、不意に親しいあの人が、そんな決断をせざるを得なかったことを知って動揺したのだろう。それはやはり、自分の好きな人には皆、望み通りに楽しく生きて欲しいという自分勝手な願望があるからだ。彼女の告白を聞いたときの酒の味はいかがだっただろうか。思いを馳せると、寂しくなる。
あぁ、今日のビールの何と美味しいことよ。父親になった友人はこれから様々な経験を積むだろう。己もまた違った経験をするだろう。同じ町内に住み、同じ小学校に通い、公文でふざけ合った我々がこのように違う生き方をしているのは面白いものだ。いつか二十年後、彼の幼子が成人したときに一息ついた友人と盃を交わしながら過去を振り返りたい。それはきっと幾層もの味が混ざった美酒に違いないのである。