筋肉少女帯のジャケットにがっかりした話
2017年3月7日(火) 緑茶カウント:4杯
あの瞬間のがっかりの深さ、そして落胆。その後じわじわと滲み出てきたのは悲しみで、こんな残念な思いをすることになるなんて、と暗い気持ちを胸に抱えたのだった。
筋肉少女帯の六本木公演がブルーレイ化される報せを聞いたときは本当に嬉しかった。何てったって、あの日のライブで咽喉の手術を終えたオーケンが完全復活を果たし、絶好調の歌声を聞かせてくれたのだ。声が出るのが嬉しいのか、歌詞のない場面でもシャウトを響かせて、最初から最後まで全て歌いきってくれたときの喜びたるやいかばかりだろう。当時の日記にもその喜びと嬉しさと興奮がありのままに記されていて、発売が待ち遠しいったらなかった。
限定盤の価格は一万八千円。かつて限定盤がなかった頃、ライブDVDを五千円か六千円で買えていたときから比べれば三倍の価格である。豪華特典がついてくるとはいえ高いなと思ったのが正直なところだ。だが、素晴らしいライブであったことを己は知っている。喜んで買おうじゃないか! と意気込んでいた。
意気込んでいたんだがなぁ。
過去形になった瞬間の衝撃たるや。そしてその衝撃の原因がジャケットデザインである。異常なまでの六本木の文字の存在感、意味不明な縁取り。開催地がバンドのロゴよりも目立つものの、その主張の意味がわからない。そして何より、すこぶるダサく、格好悪い。
中身は良いものだ。それはとてもよくわかっている。何てったってこの目で観て体感したライブなのだ。
しかし、己はこれを所有したくない、欲しくない、と思った。
CDというパッケージを買って歌詞カードをめくるのが好きだ。大事にしまいこんで取り出して眺めるのが好きだ。背ラベルも綺麗に保管するし、封入されているチラシについた応募券を切り取るのさえ惜しいと思う。それくらい大事にしているし、大事にしたい。
だから買えない。だって大事にできないから。むしろ放り出してしまいたくなるから。だってこれ、筋少が好きな人を喜ばそうって気持ちが全く感じられないんだぜ。むしろファンなら何でも買うだろと高を括られている気さえする。そう思ってしまうことがまた悲しい。
筋肉少女帯が大好きだ。CDもライブ盤も全部集めたいし大事にしたい。そんな思いを持ちつつも、歯抜けになっても仕方がないか、と諦めざるを得ない失望。だってさ。「二万円払うからこのジャケットを部屋に飾ってくれないか」ともし人に問われたらと考えてみても、「嫌だ」と答える自分がいるんだぜ。それに気付いてしまったら、もう手を出せない。
いつもCDやDVD、ブルーレイの発売日はしっかりメモして記憶して、発売日前日にわくわくしながら店舗に走って買いに行っていたのに、今回は発売日のことをすっかり忘れていて、ツイッターのタイムラインで発売開始されていたことを知った。迷った。中身は良いから、と思った。でも欲しくならなかった。そのことがとても悲しかった。
あぁ、せめて、特別格好良くなくて良いから、ただただ無難なデザインだったらなぁ。