生レバーの店
2016年12月10日(土) 緑茶カウント:3杯
我が家の近所にあるこじんまりとした焼き鳥屋は、規制後もこっそりと生レバーを出してくれる。そう教えてくれたのは週に一度通っている整骨院の整体師。背中の筋肉をほぐされながらおしゃべりな彼の言葉に耳を傾けた。
「でも、焼き鳥も生焼けだったりするんだって」
「だめじゃあないですか、それ」
「うん、だからお腹壊すから行かない方が良いよ」
もとより生肉・生魚の類を苦手としており、肉と魚は火の通ったものしか美味しく感じられない性分なので生レバーに心誘われることはなかったが、あの店には以前から興味があった。アパートの階段を下りて角を曲がってすぐそこ、たった百歩も歩かない位置にある店。夜にはいつも木製のテーブルが一つ店の前に出され、いつも同じおじさん達が楽しげに酒を呑んでいた。入り口の明かりを覗くと店内は椅子がようやく三つ並べられる広さのカウンター。その奥で焼き鳥を焼く店主は恐らく還暦過ぎだろう。
常連客も店主と同年代で、店主と客という関係よりも、気安い仲間達の間柄に見えた。さっきまで酒を呑んでいた客が汚れた皿を片付け、時には奥に入って冷蔵庫を開ける様子も見えれば、「おーいこれ火が通ってないよ!」と笑う声も聞こえた。それは子供の頃の幼馴染達がそのまま歳を取り、同じたまり場で遊び続けている光景として目に映り、一つの理想郷のようだった。
もう半年になるだろうか。店の前にテーブルが出されることが無くなり、あの賑やかな明かりが灯らなくなった。黒ずんだガラス戸は締め切られ、ずっと黙り続けている。いつ通っても誰もそこにいない日々が続いた。
そしてある日の昼間、店の前に久しぶりに人気が蘇った。ちょうどテーブルが出されていた位置に止められたトラックと、汚れた家具を運ぶ人達。あの見慣れたテーブルと椅子に、煤汚れたステンレスのガス台が荷台の上に座っていた。
以後、ガラス戸が開けられることはなく、もちろん明かりが灯ることもない。しかしそれでも通るたびにあのガラス戸を見てしまい、今日も誰もいないことを寂しく確認するのであった。