日記録0杯, 日常

2018年2月10日(土) 緑茶カウント:0杯

一人で外食をしたことがない、と二十代半ばの女性が言った。その声には自負するものもなければ負い目もなく、ただ事実を淡々と述べているだけで、それを聞いた己は「へー」とこれまた平坦な声で答えたのであった。

話を聞くと、その人にとっての外食は誰かと一緒に行くことがあくまでも前提にあるそうだ。故に一人でも入りやすいラーメン屋やファーストフード店も一人では尻込みすると言う。「ラーメン屋って、むしろ一人の方が入りやすくないですか?」「そんなことない! 無理ですよ!」

ちなみにその人も自分も一人暮らしで、一人の生活には慣れている。なるほど。一人暮らしをしていれば一人での行動が当たり前になるので誰でも一人であちこち行けるものと信じていたが、必ずしもそうとは限らないのだなぁ。

一人でどこへでも行けることは自由を手にすることである。しかし外食を誰かと行くものと捉えれば、自由の代わりに外食に付随するのはレジャー要素で、特別感を得られるとも考えられる。己が当たり前のように一人で行くラーメン屋もその人にとっては特別な一瞬で、それぞれ違う楽しみ方をしながら味わっていると思うと面白い。

ということを、居酒屋のカウンターで一人、ビールを傾け餃子をつまみながら思ったのであった。



日記録0杯, 日常

2018年2月3日(土) 緑茶カウント:0杯

最高に楽しい一日だった。

大学の友人と三人で仮面ライダーの映画を観に行った。一人は仮面ライダーのファンで、もう一人はかつて仮面ライダーを観ていた人。そして自分は根っからのオーケンファン、そんな三人で連れ立って映画館に足を運んだ。

この映画を観るのは七回目だが、何度観ても楽しい。初回は物語を追うので精一杯だったが、雑誌を読み、回を重ね、現在放送中の本編を観ることでだんだんと仮面ライダーの世界への理解が深まり、観るたびに新たな発見があり、また筋を覚えたことで細かい描写を楽しむ余裕もできた。

映画が終わった後は三人で焼肉屋に行き、肉を焼き肉を貪りながら映画の話をする。思えば、映画館に行った後に感想を語り合うなんて何年ぶりだろう。家族でジブリの映画を観に行った子供のときこそあったが、大人になってからはまず映画を観に行く機会がほとんど無く、たまに出かけても一人で行って帰るのが常だったため、非常に新鮮に感じた。

仮面ライダーについて質問をすれば友人が答えてくれ、友人もオーケンの演技への感想を述べてくれ、とても楽しかった。「黒い最上とファンキーな最上は最初別人が演じていると思ったよ、良い悪役だった」「万物創世記のときから大槻ケンヂは全然変わってない、五十代に見えない」「せっかくなら大槻ケンヂに主題歌を作ってもらえば良かったのに」と言ってもらえた嬉しさったら。話は弾み、肉も美味しく、ビールも進んで幸せだった。

生きているとたまにこんなご褒美のような日があるからたまらない。今も楽しさの余韻に浸っている。あぁ、非常に幸せだ。



日記録0杯, 日常

2018年2月2日(金) 緑茶カウント:0杯

きっとその店の主はとても正直で、とても丁寧で、とても真っ直ぐなのだろう。しかし当初は興味を持っていたにも関わらず、一度も暖簾をくぐったことのないその店に行こうという気を己は一切失くしてしまったのである。

半年ほど前にできたその店はとある地方の特産物を扱った居酒屋で、昼はランチも営業している。店頭は細かなメニュー表に看板、貼り紙でデコレーションされていて、よしいつか入ってみるかな、と興味をそそられる内容だった。

ところがある日通りかかると店の扉に貼り紙があった。「今日は研修のために休みます」と書かれている。なるほど研修があるのか、と納得して先へと進んだ。そのときは特にこれといった印象は抱かなかった。

そして別の日に通りかかったときにも貼り紙があった。「会合があるためランチを休みます」。別の日にも貼り紙があった。「大事な仕入れがあるため夜の営業を休みます」。また別の日にも貼り紙があった。「料理の勉強のため休みます」。これまた別の日にも貼り紙があった。「地元仲間とのパーティーがあるので休みます」。

毎回毎回、きっちり休みの理由を書いて大きな文字で店の扉に貼ってあるのだ。

思い返してみるとその頻度は高すぎることもなかったかもしれない。他の店と同じ程度に休んでいたかもしれない。だが、毎回多種多様かつ印象に残りやすい休業の理由が書かれるために、この店といえば休業、というイメージがついてしまったのだ。

きっと「臨時休業」という看板だけ出されていたらここまで印象に残らなかっただろう。しかし貼り紙の威力たるや。「どうせ今日も休みだろう」と外食の選択肢からすっかり外してしまうようになって、一度も暖簾をくぐってもいないのに足が遠のいてしまった。

人入りの少ない様子を眺めると同じように思う人も多いのかもしれない。いつか伝えるべきだろうか。迷いながら通り過ぎている。



日記録2杯, 日常

2018年1月25日(木) 緑茶カウント:2杯

靴が崩壊しかけている。故に己は新しい靴を買わねばならない。しかし靴を買えずに困っている。何故か、欲しいデザインが無いからだ。

気に入って履いていたスニーカーが古くなり、ポジティブに表現するならば非常に風通しが良くなった。それはもう空気の入れ替えし放題で、靴の中に湿気がこもる心配なんぞ無く、故に水虫に罹患するリスクも低減されるし、砂利道を歩けば小石がピョコピョコ靴の中に遊びに来て何てキュートなのかしら。こんな感覚、普通の靴じゃあなかなか味わえるものではない。

故に己は普通の靴を求め、流石に崩壊しかけた靴を履いて靴屋に行くのは恥ずかしいのでまだ息のあるその他の靴を履いて靴屋を見て回ったのだが、無い。良い感じのスニーカーが無い。いやスニーカーでなくても良い、ブーツはいかがか? と思ったがブーツも好みのものがない。歩き回ってみても無い。

そうして途方に暮れる夜。選択肢は三つあった。一つは無難な靴をとりあえず買う。もう一つは今所有しているブーツと全く同じものをもう一足買う。最後の一つは風通しの良さを楽しみエンジョイする。さぁ、いかがか。

己が選んだのはこの中の一つだ。どうぞ好きに想像なさってください。



日記録4杯, 日常

2018年1月19日(金) 緑茶カウント:4杯

良いかい。まだ放送されてもいないのに、どんな物語なのか何も知ってやしないのに、たかだかキャラクターデザインが公開されただけで、いったい何をわかったような口が利けるって言うのだ。何も知らないうちに批判するなんざ愚か者のやることだぞ、恥を知れ。

良いかい。時代や流行と共に変遷するストーリーとキャラクターデザイン、その柔軟な変化があるからこそ時代時代の人々に愛されるのであり、それは一つの「作品」から「伝統」へと昇華していく証であって、歓迎すべきことなのだよ。

良いかい。己はまだ何も知らないのだ。まだ何も知らないのだ。まだ何も知らないのだ。

と、自身に言い聞かせつつショックから脱却できない夜。幼少時に原作とアニメ第三期を観て育ち、妖怪図鑑を夢中で読んで、大学生の頃アルバイトで稼いだ給料を使って初めてDVDボックスを買い、それが当時の自分にとってはかなりの大きな金額で、ドキドキしながら振込みをした甘酸っぱい思い出。第五期にショックを受け、しかし同時期に深夜枠で放送された墓場鬼太郎を大喜びで観て、墓場からその後まで原作シリーズをがっつり買い集めて、水木しげるが亡くなったときは放心し、お別れ会で涙を流した。

鬼太郎が。ゲゲゲの鬼太郎が。墓場鬼太郎が。水木しげるが大好きなんだ。そして今日は結構、かなりショックだったんだ。猫娘の、デザインが……。

いや、まだ何もわからない。何も知らない。何も知らないのだ。言い聞かせよう、心に強く。心に強く、始まるまでは。
そのように、自分を言い聞かせて。今。