休業の店

2018年2月2日(金) 緑茶カウント:0杯

きっとその店の主はとても正直で、とても丁寧で、とても真っ直ぐなのだろう。しかし当初は興味を持っていたにも関わらず、一度も暖簾をくぐったことのないその店に行こうという気を己は一切失くしてしまったのである。

半年ほど前にできたその店はとある地方の特産物を扱った居酒屋で、昼はランチも営業している。店頭は細かなメニュー表に看板、貼り紙でデコレーションされていて、よしいつか入ってみるかな、と興味をそそられる内容だった。

ところがある日通りかかると店の扉に貼り紙があった。「今日は研修のために休みます」と書かれている。なるほど研修があるのか、と納得して先へと進んだ。そのときは特にこれといった印象は抱かなかった。

そして別の日に通りかかったときにも貼り紙があった。「会合があるためランチを休みます」。別の日にも貼り紙があった。「大事な仕入れがあるため夜の営業を休みます」。また別の日にも貼り紙があった。「料理の勉強のため休みます」。これまた別の日にも貼り紙があった。「地元仲間とのパーティーがあるので休みます」。

毎回毎回、きっちり休みの理由を書いて大きな文字で店の扉に貼ってあるのだ。

思い返してみるとその頻度は高すぎることもなかったかもしれない。他の店と同じ程度に休んでいたかもしれない。だが、毎回多種多様かつ印象に残りやすい休業の理由が書かれるために、この店といえば休業、というイメージがついてしまったのだ。

きっと「臨時休業」という看板だけ出されていたらここまで印象に残らなかっただろう。しかし貼り紙の威力たるや。「どうせ今日も休みだろう」と外食の選択肢からすっかり外してしまうようになって、一度も暖簾をくぐってもいないのに足が遠のいてしまった。

人入りの少ない様子を眺めると同じように思う人も多いのかもしれない。いつか伝えるべきだろうか。迷いながら通り過ぎている。



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