過去ログ







2013年4月27日 (土) 緑茶カウント:3杯



「小江戸」という別名を持つ、古い建物や町並みが残る町、川越を友人と歩いてきた。どこの町でも見るような駅ビルを抜け、活気に溢れた商店街を抜けると空を乱舞するこいのぼりの群れ。さらにその先へと進むと喧騒の色の質が変わり、いかにも下町といった風情。軒を連ねる家々は味わい深い外観で、少しずつ手を入れながら大事に保存されている感がある。人力車が観光客を乗せて走っているが、その脇をかすめるように道の中央を自動車が走り抜けるギャップもまた面白く、町並みの鑑賞を楽しみながら散策していたのだが何だこの町は。

誰が始めたのか知らないが、やたらと動物の置物を目にするのである。



まずはこちら。まぁこちらはまだ可愛らしい。友人はうさぎだ! 梟だ! と言っていたが、魚を手にしているところから察するに、多分アライグマではないかと思う。まぁ、これは良いんだよこれは。これはまだ普通だ。問題はその先だ。



お前はいったい何なんだ。五円玉に乗ったカメレオン。このカメレオンはうなぎ屋の敷地内にいらっしゃったのだが、角を曲がるといきなり緑の顔がコンニチハしてくるので度肝を抜かれるどころじゃない。うなぎとカメレオンに何の関係があるというのだ。



そしてカメレオンと別れた直後に出会うのがハシビロコウである。おい、お前。お前は川越と何かしらの由縁をお持ちでいらっしゃるのか、と問いただしたい。こいつもカメレオンと同じうなぎ屋が所有しているものらしい。何でうなぎ屋にハシビロコウなんだ。やっぱりさっぱりわからない。

この二つだけであればあのうなぎ屋は面白い店だな、で片が着くのであるが、この後も何故か店先でパンダやらカバやら、どれもこれも二メートル近い巨大なサイズの動物の置物が見られたのである。流行ってるのか、川越で。これを置くのがイカスのか。それとも川越市が配布しているものなのか。誰かが始めたのを見た他の店がどんどん真似した末に出来上がったブームなのか。原因・理由はさっぱりわからないまま、やたらと深く印象に残ってしまった。何なのだろうか、あれらは。


2013年4月26日 (金) 緑茶カウント:3杯
筋少効果で今日一日非常に健やかに過ごせた。実に単純な構造である。あぁ、アルバム発売が待ち遠しい。早く当日にならないものかなぁ。


2013年4月25日 (木) 緑茶カウント:0杯
幸せな気分だ! すごく幸せな気分なんだ!

今日、筋肉少女帯の新曲のミュージックビデオと、アーティスト写真が公開された。不意打ちで目に入ったそれは瞬時に頬を緩ませ、脳から快楽物質がビュービューと分泌され、何度もビデオを再生し、最初こそ歌詞に不安を感じたものの、聴き込むうちに解消され、ただ喜びに支配されるがままに衝動のまま心行くまで浮かれたのだ。一人の部屋で。

ずっと待っていたんだ。ずっと待っていたんだ。ずっと待っていたんだ、と言っても凍結中に比べればそれは短い年月だが、それでも長く感じられたよ、新曲は出るのか、出ないのか、出してくれないのか、出して欲しいのに。「新人」「シーズン2」「蔦からまるQの惑星」を再結成後の三部作とオーケンが位置づけて話していたとき、わずかな不安を感じたのだ。続きはちゃんとあるんだよな、三部作で完結しないよな、と。だからこそ、それもあり、続きをひたすら待っていたのだ。

フルのオリジナルアルバムを期待していたので、セルフカバーアルバムと知ったときは正直拍子抜けしたのだが、それでも嬉しい。しかもリード曲には太田さんが参加。また何かが動き出している気配がする。まだまだ続きがありそうで嬉しい。とにかく嬉しいんだ、小躍りしそうなほどに。笑いすぎて頬が痛くなるほどに。あぁ、嬉しいなぁ!

そんなわけで喜びのまま深夜の飲酒。乾杯!


2013年4月24日 (水) 緑茶カウント:3杯
深夜の喧嘩についての報告。互いの思想を主張し合った末、二時間後に終息しわだかまりは解消された。睡眠時間を引き換えとして。翌朝襲い来るしんどさを思い、やっちまったと思ったのが正直なところである。ただでさえ六時間睡眠じゃ持たない体質であると言うのに、これで明日無事生きられるのか。

しかし予想外のことに、言いたいことを言えて胸に嫌なものを抱えずに済んだせいか、意外と元気に日中を過ごすことが出来たので、途中で妥協して引き下がらなくて良かったなーと思ったがやっぱり疲労は疲労であるので途中でドーピングして一日を乗り切った。今日は七時間眠りたい。


2013年4月23日 (火) 緑茶カウント:3杯
無言での怒鳴りあい。遠慮の無い言葉のぶつけ合い。いや、遠慮が無いのは自分だけか。文章による喧嘩。激怒しているのは自分。友人は当初こそ困惑していたが、だんだんと静かに内を見せてくる。鎮まらない。

本当は楽しい話をしたかったんだけどね。


2013年4月21日 (日) 緑茶カウント:5杯
二日間、ほぼ家に引きこもって絵を描いていたが、雨が降っていたおかげで虚しい気持ちにならずに済んだ。しかし家の中にいるにしてもただただ寝ているわけではなく、自分の好きなことをやっているのだから、別に「せっかくの一日を無駄にした…」などと思う必要も無く、堂々としていれば良いはずなのに何故そんな思いを抱かなくてはならないのだろうか。

良い天気の日には外に出なければならない、なんて決まりは無いはずなのに、と思いつつ、そういえばもう随分昔のことになるが、小学生の頃はそんな決まりがあったなぁ、と思い出す。晴れた日は休み時間に教室に残ってはいけない、外で遊ばなければいけないというルール。確か低学年から中学年の頃は守っていたが、高学年の時分にはすっかり無視していたなぁ。弁の立つ子供だったので、注意を受けても真正面から言い返して教室で好きなことをやっていたように思う。

あのときのように、「せっかく良い天気なのに家の中にいる」ことに対する虚しさを感じず、清清しく部屋の中で過ごせるようになりたい。


2013年4月18日 (木) 緑茶カウント:0杯
今も筋トレ継続中。しばらく下げ止まっていた体重と体脂肪率が、最近になってまた落ち始めているので嬉しい。

しかし問題は現在の正確な身長がわからないことで、というのもここ数年全く身長を測っておらず、数年前に計測したときから数字が更新されていないのである。今更大きな成長を期待するのは無駄とはいえ、現状数値がわからないのは心もとない。せめて減っていなければ良いのだが。仮に体重が減っていても身長も減っていたらつまらないし、身長から割り出す体脂肪率の数値も意味が無くなる。

ちなみに数ヶ月前に柱と鉛筆と定規と巻尺を使って自力で計測しようとしたことがあったのだが、ありえないと思いたい数値を叩き出したので無かったことにしている。やはり身長は一人で測るものでは無いのだ。きっと。


2013年4月17日 (水) 緑茶カウント:0杯
争いに巻き込まれたのである。そして自分は脱出したのである。朝から疲弊する精神。相手方の肩の高さまで蹴り上げられた足、反撃しようと殴りかかる男、二人を目の前に呆気にとられる自分。良い歳こいたおっさん二人、ちょっと鞄がぶつかった、きっかけはそんな些細なことだ。で、争うのは良いとして。百歩譲って良いとして、それを狭い通路でおっぱじめるな。向かえないじゃないか、その先に。

通りすがりの人が仲裁に入るがその手を振りほどいて襲い掛かろうとするおっさん。困る自分。開放されない道。せき止められる人の群れ。仕方なく発言。「すみません、通れ、ないんですが」と一言。「通れ」で一度言いよどんでしまったところがいかにもださい。しかし道は開放され、己は先に進むことが出来た。朝から清清しくない気分。

仲裁のおっさんに礼を言い忘れたことが心残りである。


2013年4月16日 (火) 緑茶カウント:1杯
うっかり考え込んで鬱々となってしまったので気分を変えるべくさっさと寝る。さっさと寝るんだってば。


2013年4月15日 (月) 緑茶カウント:2杯
美容師に「元気な髪ですねー」と褒められた。ところで聞いた話によると、髪の毛を育てる栄養は後回しにされるものらしく、というのも髪の毛には確かに頭部を守る役目はあるものの、生命維持という観点から見ると内臓や骨に比べどうしても優先順位が低く位置づけられるため、体が危機的状況にあるときは髪を育てる余力が無く、結果髪が薄くなったり細くなったりしてしまうのだそうだ。

自分の髪は太く固い。そして無駄に伸びるのが早く、一度円形脱毛症を経験したことがあるものの、基本的に量が多い。つまり先ほどの話からすると己の中には余分な栄養が満ち溢れているということである。髪の毛をたっぷり育てるほど栄養があるということである。

髪じゃなくて身長に回せよ、その栄養を。二割で良いから。

願ったところでどうにもならないが、身長が伸びないならばせめて髪の成長を遅らせて欲しいものである。また伸びるのか。もう伸びたのか! 一ヶ月で頭部が爆発、どうにもこうにもならない不自由を抱えて生きる。いっそロン毛にしてやろうか。しないけど。しないけどよ!


2013年4月14日 (日) 緑茶カウント:3杯



「20×5=100 LIVE」第五公演目に行ってきた。二ヶ月近くに渡って続けられた公演の最終日。この催しが始まることを知ったとき、絶対に全ての公演に足を運ぶぞと意気込んだが、まさか実現出来るとは。しかもそのうち二回は最前列で観ることが出来たのである。間近で観る水戸さんの歌唱と熱気。今回は中央に作られた通路に沿って並べられた椅子に腰を下ろしたが、「君と瓶の中」で水戸さんが歌いながら真横を通り抜けたとき、纏う熱気の熱さに驚いた。雰囲気が熱いのでは無く、物理的に熱いのである。

熱さも納得の盛り上がりっぷりを裏付けるかのように、本編終了後、ギターの弦が駄目になってしまい、アンコールでステージに戻ると澄田さんがその場で弦を張替え、その間水戸さんがMCで繋ぐという出来事もあった。澄田さんは3-10Chainで長年水戸さんと一緒にやっているだけあり、何度も水戸さんに「やりやすい」「接しやすい」と言われていた。澄田さんはずーっと口角が上がっていて、もともとそういう表情なのかもしれないが、終始穏やかで楽しそうな雰囲気が溢れている人である。

第五公演目は水戸さん曰く「良い曲が多い」とのことで、アンコールでお約束の二十面ダイスを振り、その日歌唱された曲の中からアンコール曲を選ぶ際も、どれが選ばれても大丈夫! と安心出来るセットリストだった。その際、よりにもよって「ジョンのうた」が出てしまったときは流石にダイスを振り直したと澄田さんに語っていて、澄田さんも「ジョンが出たのぉ!?」と驚いていたが………この日のダイスが選んだのは「ナイタラダメヨ」。しばし「え、これ………?」という空気に包まれる。「ナイタラダメヨ」は好きな曲だが、アンコールにやるにしてはちょっと違う感じもする。

だが振り直しはせず、本編ではアレンジしたバージョンでやったので、今度はオリジナルバージョンでやることに。ところがちょっとハプニング。ずっとアレンジで練習していたためオリジナルがわからなくなってしまったのだ。水戸さん、澄田さん二人で譜面を睨みつつ、歌いながらメロディを探す。珍しい場面が見られてラッキーだった。

そしてアンコールは終了したが……最終日ということでダブルアンコール! 追い出しの曲がかかるも席を動かずアンコールを要求する観客の声に応え、再び水戸さんと澄田さんが登場! 手には二十面ダイス! そして振られた数字を読むと十二番!!

「ナイタラダメヨ」

まさかである。まさかの「ナイタラダメヨ」。流石にたじろぐ水戸さんと澄田さん。ここで最終日にして新ルール発動。「一度アンコールで選ばれた曲は消されることにする」、ということでダイスを振り直すことになったのだが………神はどうしても水戸さんに「ナイタラダメヨ」を歌わせたいらしい。

驚きの。三回連続「ナイタラダメヨ」。

もう一度振り直してようやく「遠くまで」が出た。神も何とか諦めてくれたらしい。いや、神はなかなか良いチョイスをしていると思うが、三回連続「ナイタラダメヨ」はどうかと思うな!

今回の「客いじり」曲は「君と瓶の中」だった。「君と瓶の中」は聴いたことがある方ならご存知の通り、性的な内容の曲である。そしてこの曲の前に水戸さんのMCがあったのだが………生々しい!!

いや、単に自分がこういう話を苦手にしているだけなんだが。とはいえ引いた。ちょっと引きつってしまったが、半ばやけっぱちになって盛り上がり、続いて演奏された「天井裏から愛をこめて」でちょうど良く爆発出来たので結果オーライと考えたい。そういえば「天井裏から愛をこめて」で席を立ち上がり踊りだす人が現れた。後ろの観客に配慮しているのか、壁にぴったり寄り添いつつもゴーゴー踊り狂っていて、理性と衝動の狭間に立っている姿が実に微笑ましかった。

「20×5=100 LIVE」の総括として語ってくれたこととして、隔週で定期的に同じところでライブをやるというのはとても良かった、また不死鳥の前などにこういうことをやりたい、とのこと。また、俺はずっと延々と続けても良いけどそのうち誰も付き合ってくれなくなる、と言って笑ってもいた。確かに延々と隔週で通うのは難しいが、また来年もしやってくれるならそのときは是非参加したい。二週ごとに水戸さんに会える、しかも毎回違う曲が聴けるなんて、贅沢なひと時だったなぁと振り返ってみて思うのだ。

記念すべき百曲目は「幸運(ラッキー)」。この曲の前だっただろうか。水戸さんは、仕事柄「人とのすれ違い」を多く経験することを意識する、といった話を語ってくれた。それは「気持ちのすれ違い」ではなく、出会って、ある一定期間一緒に過ごして、そして別れるという「すれ違い」。それはバンドを組んだ仲間だったり、一時だけライブに足を運んでくれたお客さんだったり、様々だ。で、その「すれ違い」を意識するとどうなる………という肝腎の部分を………忘れてしまったのである……自分は。何故忘れた。何と無く次の曲が「幸運(ラッキー)」であることを考えると、「でもこうしてひと時を一緒に過ごせたってラッキーだと思う!」というまとめだったような気がするが、本当にすっかり忘れているので間違っている気がすごくする。何て駄目な記憶力なんだ…。

今回の公演で百曲歌いきったが、これは持ち歌のおよそ半分ほどで、選ばれなかった百曲はアコースティックという形態で歌うのは難しいとのことだが、いやいやいやいや。まだまだ聴きたい曲はあるので、是非もし来年やるときには、残りの百曲も是非歌って欲しいものである。まぁ、その前に「不死鳥 十全」があるのだが。会場にはポスターが貼られていて、チラシも配られていた。もちろんもらってきましたよ! チラシ片手ににやつきつつ、ますます楽しみになる「不死鳥 十全」。記念すべきデビュー二十五周年公演、気合を入れて観に行かなければ!


2013年4月13日 (土) 緑茶カウント:3杯
もうそろそろ大丈夫だろう、と気を緩めていたらまだ舞っていやがったのかスギ花粉。鼻がむずむずし、目に痒みを覚え、仕方なく近所の眼科に行ってきた。花粉症の薬が切れて一週間。もう時期は過ぎただろうと油断をして投薬を止めたばかりにこの有様である。悔しいものだ。

しかし土曜日に痒みに気付けたのは運が良いとも言える。明日だったら行きつけの眼科は閉まっていた。さっさと薬をもらえたのはラッキーだった。おかげでライブも無事に楽しむことが出来たし、ってことで行ってきたのさ水戸さんのライブに。隔週で行われる五つの公演に全て足を運んでしまったぜ。そして本日最終公演。来週から定期的に渋谷に足を運ぶことが無くなるのだなぁ、と思うとちょっと寂しい。


2013年4月12日 (金) 緑茶カウント:2杯
安請け合いをしなければ良かった、と若干後悔している。まぁ、だが請け負ったものは仕方が無い。やるか。


2013年4月11日 (木) 緑茶カウント:0杯
楽しいとつい呑み過ぎてしまい、呑み過ぎて翌朝辛い目に合う。いや、今回はアルコールが脳に残ってふらふらした程度であるので大したことは無かったが。しかし体力の消耗は激しく、栄養ドリンクでドーピングして一時的に元気になったが、夕方から元気が切れてぐったりしてしまった。

とはいえ苦しい朝を迎えても、たまにはこういう楽しみはあるべきだよな、と思うのできっとこれからも何度でも何度でも繰り返すのさ。


2013年4月10日 (水) 緑茶カウント:0杯
友人と呑んできた、と言いつつ呑んだのは自分だけだが。何ということも無く、のらくらしながら食事。楽しかった。楽しかったなぁ。


2013年4月9日 (火) 緑茶カウント:2杯
結局組み立てた家具は我が家で有効活用することに決めた。そして収納物をぎゅんぎゅんに詰め込まれた衣装ケースの中身を分散させた結果、一つのケースに入っていたタオルによって、三つの収納ケースの中が、ふんわりと余裕を持って満たされた。もともとタオルが詰められていたケースの方が多少容量が大きいとはいえ、どれだけ圧縮されていたんだよと言いたくなる。

そしてタオルでぎゅんぎゅんになっていたケースの方にはCDを詰め込み、ようやく部屋がすっきりした。CDは収納ケースの四分の三ほどを満たしている。四分の三、良い塩梅だ。まだまだ入れられると未来への希望を感じさせつつ、満足感も抱かせてくれる。本棚も収納ケースも、皆永遠にこの四分の三の状態であってくれたら良いのに、と思いつつ本棚は既に四分の五レベルを通過してしまっているので、余裕が出来たらこちらもどうにかしたいところである。捨てる以外の方法で。

どうか床が抜けませんように。


2013年4月8日 (月) 緑茶カウント:2杯
もともとレーズン、プルーン、ブルーベリー、ラズベリー、ストロベリーの類が好きなことは自覚していたが、先日無印良品で何と無く手に取ったミックスベリーのドライフルーツが、まるで「美味しい」という味をギュッと凝縮させたかのような味で、驚くほど好みのど真ん中。口の中に広がる濃い甘酸っぱさと適度な歯ごたえに胸を射抜かれた。

ミックスベリーはケーキやクッキーなどに練りこまれているものを食べたことは何度もあり、それも美味いと思っていたが、こうしてミックスベリーのドライフルーツだけをそのまま食べたことは無かったのだ。一番好きなところに一足飛びで近付いた気分である。

そうとなれば他の店のものも探してみよう、といくつかのベリーの名前で検索をかけたら食欲では無く性欲にまつわるグッズがずらずら出てきて、おいこらこんな一般的な名称をそんなもんにつけんじゃねぇ、と通り魔の襲撃にげんなりしつつ、明日の朝もこれをヨーグルトに入れて楽しもう、と気を取り直して検索し直す夜。もう何口か楽しんだら歯を磨いて寝よう。


2013年4月7日 (日) 緑茶カウント:3杯
そういえば聞いてくれ! ついにあのシャツ男が回収されたのである。あの隣の部屋のベランダから吹っ飛び、どこかの親切な人の手によって雨どいにかけられたものの、ずっと放置され続けだんだん黒ずんでいったあのシャツが! そのシャツにシャツ男という名前をつけ見守り続けシャツ男という名前をつけたことすら忘れかけた一昨日、ついに彼の姿が消えたのだ!

そして今日はシャツ男がいた雨どいに目玉の親父のイラストがプリントされた青いシャツがかかっていた。また隣人のか。いや違う。自分のだ。

自分はシャツ男の持ち主ではな無いので放置はせずにすぐさま回収。今日は風が強かったから飛ぶかなとは思っていたが、やはり飛んだか、と思って気付く。よくよく考えたら一昨日も風が強かった。と、いうことは。もしかしたら回収されていないかもしれない。シャツ男は。

もしどこかであなたがピンクのハンガーにかかった黒ずんだ白いシャツを見かけたら、優しくしてあげてください。


2013年4月6日 (土) 緑茶カウント:2杯
衝動というものはあるもので、今日は起床と同時にトイレに直行、洗剤を噴射し、ブラシでこすり、水を流し、雑巾で水気を拭き、排水溝に洗剤を突っ込み、風呂の水垢を落とし、カビを撲滅し、台所に移動。ガスコンロを磨きあげ、電子レンジや冷蔵庫に薄く積もった埃を拭い去り、水周りを磨きに磨いて綺麗になったら部屋に戻り、掃除機をかけ、雑巾で水拭きをし、乾拭きをし、カーペットにコロコロをかけ、いらないゴミを捨てまくり、ハンマーをガンガン打ち下ろして組み立て家具を組み立てた。

どうして目覚めた途端部屋を綺麗にしたい衝動に駆られたかわからないが、さらに今、深夜三時に模様替えをしたい欲求がむくむくと体内から湧き起こっていて、流石に自重はしているが、ずぼらなだけに自分で自分がわからない。しかも模様替えをしたい欲求が生まれた原因というのがこの組み立て家具で、この家具は買ったは良いもののよくよく考えるとちょっと不便な代物で、よってずっと組み立てないまま部屋に放置していたのだが、ビニールに包まれた部品がいつまでも目立つところにあるのもいかがなものかと思い、仮にリサイクルショップに売るにしてもこのままでは埒が明かないだろう、という消極的な理由で組み立てたものである。

ところがいざ組み立てて部屋に置いてみると何とか活用したくなるのが人の性らしく、あれとこれと組み変えてあっちをどうすれば、なんて考えてしまっているのである。午前三時過ぎの深夜に。そして実行しかけていたのだ。午前三時の深夜に。二杯目の緑茶を飲みながら。

馬鹿か自分は。

いくら何でも階下の住人に迷惑である。ご近所トラブルは御免だ。と、いうことで寝る準備。もしやるならば明日の話だが、明日までこの衝動が持続しているかわからないのが微妙なところ。あの家具の運命やいかに。己がやる気にならないと、売り飛ばされるだろうからなぁ。二束三文で。多分。


2013年4月5日 (金) 緑茶カウント:0杯
夏物を出そうと思い、衣装ケースの中を探ったらあれこれと色々出てきて驚いた。去年も着ていたはずなのにすっかり忘却の彼方だった品々が数々。さらに奥からは遥か昔、高校生か大学生だった頃母親より買い与えられたものの、合わせ方がよくわからなかったため一度も外で着たことの無いズボンなんてものも出てきた。何度か家の中で試してみたことはあるものの一体どのように着たら良いのか……と思いつつ数年ぶりに着てきたらパズルのピースがパチリとはまり、何とびっくり。心得た。

何年も経ってようやくか、長かったものだと思いつつ衣装ケースの中を探っていくと奥の奥から赤いもの。実家で使っていた貯金箱が出てきた。中に三万円が入っていた。

新しい服を買おうと思っていたがこの様子だと買う必要も無さそうで、そのうえもともと自分のものだったにしても臨時収入のようなものも発生し、少しばかり得した気分である。やってることはどこかのリスと同じだが。ラッキー。


2013年4月4日 (木) 緑茶カウント:0杯
「痩せ型に合うメンズブラ」。こんな言葉を、己はいつ検索したのだ。

タブをいくつも開きながらネットサーフィンを楽しんでいたら、ある一つのタブに書かれていた言葉に気付き目が点になる。メンズブラ。存在は知っており、そうかそうか需要があるならそれに応える品物が販売されるのは良いことだ、と思っていたが別段さして興味は持っておらず、え、でもどういうこと? 無意識の欲求? とだいぶ戸惑ったが、クリックして納得。いくつもタブを開いていたせいで省略されていたのだよ、文末が。「ンド」の字が隠されていたのだ。「ンド」の字が。

あーびっくりした。すごくびっくりした。驚いた……。


2013年4月3日 (水) 緑茶カウント:1杯
というわけでエイプリルフールの話。今回はオリジナルキャラクター「鬼畜」のサイトに挿げ替える、というもの。跡地はこちら

コンセプトはあっち側とこっち側で、サイトの正面にある穴から向こう側の鬼畜を覗くことが出来る仕掛けとしてGIFアニメを設置。ランダムで六種類表示されるよう設定していたが、恐らく複数あることに気付かなかった人も多かったことと思う。

今回一番時間がかかったのはGIFアニメだった。十種類くらい作りたいなーと軽く考えていたが、いくら何でも軽すぎた。GIFアニメは過去に少し作ったことはあったもののカラーは初めて。しかも鬼畜の下半身の構造がよくわからない。そんなわけで、ほとんど上半身しか見えないアニメばかりになってしまった。ちなみにサイト、アニメ合わせて制作期間はおよそ一週間である。

以下、それぞれのアニメについて。クリックすると別窓が開いてアニメが再生されます。




最初に作ったもの。顔を変えるだけなら楽に出来るだろうと思って作成。
鬼畜に色々な表情をさせるのが楽しかった。こいつこんな顔をするんだな。




好物のぶどうを食べる鬼畜。これが一番作るのが楽だった。
何かを食べるアニメは絶対に作りたかったので満足。




「こっち側」にはみ出てくるものも作りたい、と思って作成。
あの紐がどういう仕掛けのものかは正直自分もよくわからない。
冒頭の紐の動きが気に入っている。




人形でごちゃごちゃ遊ぶ姿を描こうとしたがだいぶシンプルになった。
動きはもちろんあのうしとかえるのコンビの真似。
これだけ外側が黄緑色なのは、オレンジを透過色に指定すると右手のパペットも透明になってしまうから、である。




大好きなCDを眺める鬼畜。ジャケットを描きたかっただけとも言える。
一応全て実在するCDのジャケットを描いている。
鬼畜が音楽関係のツイートをするので、音楽ネタは絶対に作ろうと思っていた。



Twitterでたまに鬼畜が「嫌い」と呟いている「蓄鬼」のアニメ。
隠しキャラのようなものなのでシルエットだけ。
最初にこれが表示されてしまった人は意味がわからなかっただろうと思う。
こっそりと鬼畜の家に忍び込んで悪さを働く。「あしあとちょう」を荒したのもこいつ。


基本的には可愛いが、ところどころに蓄鬼の存在が見え隠れする気持ち悪さを表現したかったがなかなか難しかったなぁ、という感想。ただGIFアニメ作りは手間がかかるながらも楽しかったのでまた挑戦してみたい。

さて、来年はどうするかな。


2013年4月2日 (火) 緑茶カウント:0杯
エイプリルフールを終え、あー終わった一息ついた、とすっかり気が抜けてだらだらしていたらあっという間に日付が変わった。明日やります。


ウェブ拍手レス

たくさんの拍手をありがとうございました!

(4月1日20時の方へ)メッセージありがとうございます。
鬼畜パペットと橙色の何かのパペットをお気に召していただいて嬉しいです。どうぞ鬼畜から奪い取ってください。


2013年4月1日 (月) 緑茶カウント:0杯
エイプリルフール終了! 本日はTwitterbotのキャラクター「鬼畜」のサイトに挿げ替えるという趣向でやってみました。とりあえず疲れたので今日はここまで。明日またもうちょっと書きます。


2013年3月30日 (土) 緑茶カウント:4杯



行ってきました「20×5=100 LIVE」第四公演目。本日の演者は吉田一休氏、ということで予告によると「屑」の曲が多めとのことで、そりゃもう心からこの日を待ち望んでいた、楽しみにしていた。というのも、今まさに自分の中で水戸さんフィーバーが起きていて、「屑」ブームも発生していたからである。まだ「屑」のアルバムを持っていないというのに。

持ってないのにどうしてブームが起きているかと言えば、それは「屑」の曲が数曲演奏されているライブDVD「不死鳥第八段」を所有しているからで、前回のライブがきっかけで急に水戸さんフィーバーを迎えてしまった自分はその日から連日水戸さんのライブDVD「不死鳥」シリーズを再生しまくり、当初はその日その日の気分でディスクを変更していたが、第八段を再生してから延々とそればかりエンドレスリピート。麻薬のようにはまってしまい全くそこから抜け出せなくなってしまったのである。主に聴く目的で再生していたため画面はほとんど見ていなかったが、もし同居人がこの部屋にいたら気が狂っていただろう。

吉田一休氏については自分はほとんど存じ上げない。存じ上げないが、水戸さん曰く「コーラスを買って」今回参加してもらったとのことで、楽器の方はあまり期待していないので余計なことはしないで良い、とのこと。そんなわけで曲も技巧を凝らしたものよりも、ジャカジャカ楽しい感じのものを中心にチョイスしたそうだ。こんなことを言われると聴く方としてはやや不安になってしまうところだが、いやあ素晴らしかったよ!

個人的には今までの四つの公演の中で今夜が一番楽しかった。理由としては、ジャカジャカ楽しい曲が多くて単純に盛り上がること、聴きたかった屑の曲が聴けたこと、水戸さんの歌声と一休さんのコーラスの重なり合いが素晴らしく綺麗だったこと、そして水戸さんがノリノリのハイテンションだったこと、だ。そう、今日の水戸さんは一段と凄かったのである。

聞けば前日とある古くからの友人のライブにゲスト参加して、他のゲストもよくよく見知っている人達で、「あぁ、○○は良い奴だなぁ」「△△も話しやすくて良い人だなぁ」と最高にハッピーな気分になり、さらにその日は今日のライブもあるため力を温存する予定だったのが、パンクなお客さんが多かったため持ち前の負けず嫌い精神が発揮され、大声を出して盛り上げてしまったそうで、その「ハッピー」と「ハイ」の余韻が色濃く残っていた影響らしい。水戸さんは開始から汗をかき、動きも前回前々回よりも大振りで激しく、しかも曲はまた盛り上がりやすいジャカジャカ系!

水戸さんのアコースティックライブは「アコースティックって何だろう……」と初めて見たときに思わされたくらいで、そもそもノリノリで激しくロックな感じだが、いつにも増してノリノリだった。この「20×5=100 LIVE」シリーズはコアな客向けで、普段のおよそ十分の一くらいの規模のこじんまりとしたライブハウスで行われているのだが、何と言えば良いのだろう、今日の水戸さんは別の会場にいるかのようだったのだ。

この状態について水戸さんは「飲酒はしていない」と言っていたが、確かに酔っ払っている姿に近いものを感じた。歌詞が完璧なイメージの近い水戸さんにしては歌詞間違いがちょこちょこあったのも特徴的。しかしそれが不満かと問われれば全くそんなことは無い! いやーもう本当に楽しかったんだよ!

特に聴けて嬉しかった曲は「家のない子に」「ゆきてかえらず」「カナリヤ」「偶然にも明るい方へ」。「偶然にも明るい方へ」は「不死鳥第八段」で鳥肌が立ったフレーズ「夢よりも夢だったかもしれない瞬間を」の「かも!!」と叫ぶ声が心臓に突き刺さった。

レア曲は「へくそかずら」。二十数年演奏していないが、たまに「へくそかずらやらないんですか?」というリクエストはもらっていたそう。だが、歌詞を書いた当時は色々な思いを込めていたはずだが、二十数年経った今改めて歌詞を読むと「どうしてこのフレーズを選んだんだ……?」と当時の自分が込めた思いがわからなくなってしまっているため、やっていなかったそうだ。

「ペダルをこいで」は水戸さんと一休さんの掛け合いが楽しい曲だが、一休さんが掛け合い部分を一つ抜かしてしまい、水戸さんが曲を中断して「ここの掛け合いが良いんだよ」とお説教するというハプニングがあった。そしてそれは我々観客へも飛び火し、「一休にばかり任せちゃいけない!」「ここはお前らも入るところなんだよ!」と叱られた。曲中断からお説教の流れまでもエンターテイメント。笑い転げてしまった。

「ジャカジャカ系」ということでポジティブな曲調の曲が多く、恒例のアンコールも「だいたいどの曲が出ても問題無し」だった。前回の地雷だらけのセットリストとはえらい違いである。そして一番の地雷を踏み抜いたサイコロは流石としか言いようが無い。今回のアンコールは一曲目の「海」で無難に楽しく終わった。終わりから始まりに戻ると延々とループを楽しめそうな錯覚に陥ることが出来て愉快である。

一休さんは上下アディダスの真っ赤なジャージで、下に赤いアロハシャツ、髪は寝癖風のようなただの寝癖のような塩梅で、スウェット通り越してタオル地のズボンを履いてきた水戸さん以上に普段着感が爆発していた。こんな派手なのに全然ステージ衣装っぽくないなんてすげえ、とうっかり感動してしまった。

そういえばライブハウス「七面鳥」の向かいにあるお店について、絶対MCでネタにされるだろうと踏んでいたが特に話題に上ることが無かったのが意外だった。ちなみにこちらは料理を食べられる系統の店らしい。






2013年3月29日 (金) 緑茶カウント:0杯
友人がどんどん結婚して行く。それも、今までは女友達が結婚するばかりだったが、ついに男友達の結婚が決まったのだ。いや、小中の友人がそれよりも先に結婚し娘をもうけていたか、しかしそれはあまり愉快な話では無いので割愛する。ただの変わり者だと思っていたのだが、結構な侮辱を受けたのだ。

あらやだ。ちょっと思い出したらイラッとしたじゃない。

「あなたの書く女言葉は女言葉というよりもオネエ言葉ですね」と指摘された昨今。薄々自覚はしていたがまさか指摘されるとは。「あずまんが大王」が妙にリアルなのは「○○だわ」「○○なのよ」と話す女子高生がいないところにあると思う。「○○かしら」は女性の言葉というよりも、のび太くんの言葉と認識している。しかし母と妹がいる家庭で育ってリアルな女言葉を上手く表現出来ないのもいかがなものだろう。不必要に女らしくしようとして失敗しているようである。それこそ「オネエ言葉」の失敗の原因と同じだろうか。

皆が結婚していくのは寂しいが、それをいつでも祝福出来る人間でありたい。


2013年3月28日 (木) 緑茶カウント:0杯
ちょっと聞いてくださいよ。このところの忙しさはなかなかのもので、普段は基本自炊をしているのだが、時間を節約するためにカップヤキソバ、コンビニ飯、惣菜弁当、パン屋のパンなどの出来合いのもので食を繋ぎ、筋トレを休み、睡眠を削り、しかし神経が冴え渡っているため疲れているのに寝付かれず、またストレスを解消したいがために就寝前に発泡酒、日中は日中で珈琲とチョコレートなどの甘い菓子を食べ続け、そんな生活を一週間。洗顔してびっくりした。何かザラザラするのである。顔が。

ざらめのような、サンドペーパーのような感触。小さな砂粒がいくつか顔の表面に付着しているように感じられる。石鹸で濡らした手の平で顔を擦ると動く。爪で摘んでみるとそれは皮脂の固まりか何かだろうか、半透明の黄色い粒だった。それがいくつも取れた。

多分毛穴から分泌されたものが固まって巨大化していたのだろう。たった一週間でも結構影響するのだなぁ、と実感。来週には普段の生活を取り戻したいものだ。

とはいえ大変な甲斐もあり、努力が認められて嬉しいことがあったので頑張れる。やるぞ。


2013年3月26日 (火) 緑茶カウント:3杯
ちょっとびっくりするくらい忙しくてちょっとびっくりしている。自分が撒いた種なんだけどね。ははは。

忙しく消耗も激しいが楽しさを感じられるのが救いどころ。やるぞ!


2013年3月22日 (金) 緑茶カウント:0杯
錠剤を持ち歩くための薬入れを探していたが、なかなかこれといったものが無く、適当なもので妥協しようと思ったところでミントタブレットのケースを使用すればよいのでは、と気付く。HINTMINTのケースなら持ち歩きにも適しているし、何よりデザインが格好良い。

と、いうことで今まで目にするたびに気にはしていたものの一度も購入に至ったことの無い、あの格好良いミントを買ってみようと思う。どんな味がするのだろうか。なるべく辛いと良いなぁ。


2013年3月21日 (木) 緑茶カウント:2杯
何も苦いものなど食べていないのに口の中に苦味を感じる。試しに緑茶を飲んでみたが、同じお茶なのにいつもより確かに苦い。これはあれか。心当たりはある。数年前に医者から亜鉛のサプリメントを処方された。つまり多分そういうことだ。

亜鉛が不足しているんだろう、多分。

とはいえ緑茶には亜鉛が含まれている、という情報もあるので、緑茶で亜鉛が摂れるなら問題なく摂取出来ているはずである。ところが緑茶に含まれるタンニンによって亜鉛の吸収が阻害されるという説もあり。素人の自分には判断がつきかねるが、貝類などを積極的に摂取していないのは確かである。一人暮らしをしてから貝類を購入したことなど一度も無い。

そして自分が最近主に食べているものと言えば、玉ねぎ、大根、人参、ごぼう、白菜、もやし、鶏肉、鶏卵、食パン、ヨーグルト、緑茶、紅茶、米、雑穀、みかん、バナナ、海苔、うどん。主に、というよりむしろ最近はほとんどこれらしか食べていない気さえする。冬場は根菜を喰ってれば良いだろうという謎の信仰があるのだが、いくら何でも栄養が偏るし、そもそも春だし現在は。

健康のためにもちょっと信仰を捨てて別のものを食べようか。それか亜鉛のサプリメントだな。亜鉛が不足すると脱毛するとの話もあるし。脱毛はしたく無いし、口の中も苦いしな。なかなかこれは結構不快。美味しくないって嫌だね。


2013年3月20日 (水) 緑茶カウント:4杯
雨が降ったり風が吹いたりしておりますが、件の隣人の洗濯物は未だ放置されたままで、昨日見かけたときには流石に白いシャツが黒ずんでいた。もしこれを拾って隣人の玄関ドアーのノブに引っ掛けておいたら回収されるのだろうか。しかし接触を持ったことはほぼ皆無、それすら何だか躊躇される。

どうせなら名前でも付けてみようか。よし、ではシャツ男。あれを自分はシャツ男と呼んでその行く末を見守ろうと思う。いつか回収されると良いねシャツ男。洗濯してもらえると良いねシャツ男。めげるなよシャツ男。

やだちょっと愛が芽生えてきたじゃない。うそ。


2013年3月19日 (火) 緑茶カウント:3杯
やった! 友人が帰ってくるぞ!

去年仕事の都合で四国に住まいを移し、それから引越しを繰り返して少しずつ東へ移動していた友人が、先月あたりに「今年の七月に戻れることになるかもしれない」と言っていたが、前倒しで今年の四月、つまり数週間後に戻ってこれることになったそうだ! めでたい!

大学時代はよくこの友人の家にたむろして皆で酒を飲みゲームをし雑魚寝をし、と楽しく過ごしたものだ。また集まって酒を呑みたいものである。とにかく、お帰り! 待っていたぞ!


2013年3月18日 (月) 緑茶カウント:2杯
平野耕太の「ドリフターズ」第三巻を読んだ。面白い! 歴史上の人物が異世界に集まってドンパチやる、というだけでもわくわくするが、集められた歴史上の人物達、「漂流者」がその世界でどんな意味合いを持っているか語られると、さらにわくわくしてしまう。「技術の到来者であると同時に思考の差異者」。彼らが出会うことで一方の時代ではありえなかった技術や思想に出会い、感化され、化学反応が起こる。しかもその集められた世界はエルフやドワーフ、ゴブリンやドラゴンのいるファンタジーな世界なのだ。歴史上の人物達が誰一人として体験したことの無い世界。皆、それぞれがそれぞれの全く異なる常識や世界観を持ち込むのである。

今とにかく楽しみにしているのは、菅野と主人公勢が合流することである。菅野は流石に信長を知っているだろうし、どんな反応を示すだろうか。四巻を読めるのはいつだろう。気が早いにも程があるが、待ち遠しいものだ。


2013年3月17日 (日) 緑茶カウント:3杯



何もお茶漬けの素でお菓子を作らなくても良いじゃないか、とページを開いて思わず独りごちる。永谷園のお茶漬けの素「お茶漬け海苔」を使ったレシピ本を友人より頂いた。お茶漬け海苔のパッケージそのものの装丁は面白く、以前から本屋で見かけるたび欲しいと思っていたのだが、友人はエスパーなのだろうか。興味を持つそぶりを友人の前で見せた覚えは無いというのに。

レシピとはいえせいぜい和え物や炒め物、もしくはちょっと趣向を変えて西洋風のスープか何かに化けてびっくり、という程度だろうと思っていた。案の定、最初の方のページには「もやしの簡単和え」「ピリ辛おつまみきゅうり」「小松菜とじゃこのごま和え」など、想定の範囲内の内容だった。

ところがこの本、きちんと最初からよく見ると目次がついており、「前菜&オードブル」「スープ&ドレッシング」「野菜料理」「魚&肉料理」「お食事」と章が分かれており、そして第六章にはまさかの。「パン&デザート」が。

いや、「パン&デザート」に至る前に段階でも、ちょっと気が狂っている様子は見てとれるのだが。「ヘルシーなタルタルソース」「ごまドレッシング」「バジルペースト」「ジューシーハンバーグ」「ポークソテーのマスタードソース」「クイックピッツァ」「じゃがいものニョッキ」。どの料理にもちょこちょことあの小さな丸いあられのようなものが見え隠れしているのが実に………変だ。

「パン&デザート」はさらにすごい。

「レーズンとくるみのパン」
「飴がけフレンチトースト」
「さつまいもの塩蒸し羊羹」
「梅風味のバタークッキー」
「ハニーシュガーラスク」
「ショートブレッド」
「かぼちゃの蒸しパンケーキ」
「塩チョコケーキ」
「クリーミースイートポテト」

全部永谷園の「お茶漬け海苔」を使って作るのである。しかしここまで来ると永谷園の「お茶漬け海苔」を使う必要性がわからない。使った方が美味しくなるのだろうか。それとも使ってもそれっぽい味になる程度なのだろうか。どちらにしろわざわざ家で菓子を作ろうとする人間が、あえて永谷園の「お茶漬け海苔」を使うことは無いと思われるが……。

だが、こういう無駄な努力は大好きだ。この本を作るにあたり、永谷園の「お茶漬け海苔」に合う料理や菓子をピックアップし、失敗と成功と試行錯誤を繰り返し、何度も試食し時にはため息、感動、絶望、喜び、といった道のりを歩んでいったことを想像すると、あぁ、馬鹿だなぁとしみじみする。しばらく枕もとに置いておこう。ありがとう、友人。


2013年3月16日 (土) 緑茶カウント:2杯



「20×5=100 LIVE」第三公演目に行ってきた。今回の楽器はピアノで、奏者は枕本トクロウさん。水戸さん曰くゲーム仲間であり、何かの後輩にあたる人らしい。澄田さん、ワジーに比べると元気いっぱい! という感じの人で、MCでの話し方もまるで「はい!」と挙手して話すような、勢いのある人だった。

楽器がピアノということで本日はバラード中心。計五日間の公演の中でもちょっと特殊なものになるとのこと。ただ、最初からしっとりと落ち着いてばかりではお客さんが死んでしまうので最初はノリノリなものから始まった。そして中盤からしっとり系が続き、その総まとめとして歌われたのが「ジョンのうた」。もし百曲の中に含まれるなら今日だろうと予測はしており、聴きたいとも思っていたが、やはりつらい。

「ジョンのうた」はアル中の父親から逃げるため、母と子が必要最低限の荷物を持って家を出るところから物語が始まる。子供は犬のジョンを飼っていたが、連れて行くことが出来ず父親のもとに置き去りに。酒びたりの父親は当然犬の世話などせず、子供がたまに目を盗んでジョンの様子を見に行くと犬小屋はひどい有様。うんちまみれになっているのに、子供の姿を見ると尻尾を振って喜ぶジョン、でも連れていくことは出来ない。そしてある日ジョンは父親によって保健所に連れて行かれ、そのことを知った母と子は急いで保健所に駆けつけたが既にジョンは処分された後だった。

迫力を感じるとともに、心臓を直に掴まれてぎゅうっと引っ張られるような歌だ。この迫力を是非その身に感じたいが、しんどい曲なのでなるべく聴きたくないのも本音。歌う水戸さんはもちろん、聴き手にも体力がいる歌だ。

またピアノの演奏が悲しさに拍車をかけるんだよなぁ………。

水戸さんの歌う「どうにもならない」と「やるせない」悲しい感情が、わかりやすく、それでいて共感しやすい形で集約されている歌だと思う。これはちょっとずるい。ひどい。ライブが終わって何時間も経つのに、あのジョンの悲しく吼える声が今も脳に木霊する。引きずられるなぁ。

そして今日ライブの帰り道にふと思ったのだが、既に処分された後と知ったとき、母親の方は内心ほっとしたんじゃないかなぁ。例え生きていたとしても飼うことは出来ない、里親のあてがあるなら放置せずに済んだだろう、と思ったら。

あと、「処分ってなに?」と子供は母に尋ね、「遠くのお山に放してあげたのよ」という答えをもらうが、………「処分」という言葉は理解出来なくても、死んでしまったことはわかったんだろうな、と思うんだ。あぁ、だめだあまり「ジョンのう」たについてばかり考えない方が良い。せっかく楽しかったのに落ち込んでしまうじゃないか。

あちこちで聞こえる啜り泣き。しんみりとした空気の中で、水戸さんがこれからノリノリの曲をやる、と言いつつ、いくらなんでもこの状態じゃ感情がついていかないだろうから、と前置きして正月に温泉に行った話に。普段は空いているその温泉も正月は流石に混んでいて、聞き耳を立てていたわけでは無かったが近くにいた男性二人組みの話が聞こえてきたそうだ。二人はパワースポットなどのスピリチュアルな話をしていたが、会話の流れでカップルだったことが発覚、不意を突かれてびっくりする水戸さん、さらに驚くべきことはその温泉、実はゲイが集まる有名スポットだったそうな。

脱衣所のところに『携帯電話を出していたら盗撮と見なします』といった、他の温泉施設ではまず見たことの無い貼紙があり、「男風呂の脱衣所で盗撮………?」と違和感を抱いていたそうで、真相を知って納得したらしい。そして「でも良いお湯だからまた行くけどね」と朗らかに締めくくり、恋愛繋がりで客いじりの定番曲「ふたりは」に! この曲では水戸さんが歌いながら客席を練り歩いて手を握ったりしてくれるのである。今回自分はちょうど良い席に座っていたので、運良く頬を撫でてもらった。嬉しかったが「ジョンのうた」で泣いた直後だったので若干恥ずかしかった。

他、今回の目玉は「天国ロック」と「ラブソング」だろうか。「天国ロック」はCD発売以来ずっと存在を忘れていた曲で今日は二十数年ぶりの演奏だったらしい。水戸さん曰く、「オチが無いのでライブではやりづらい」らしい。「でくのぼう」だったら「で、で、でくのぼー!」と皆で盛り上がることができるが、「ててててんごく〜?」と自己完結してしまうので、中盤で盛り上がったテンションを爆発させることが出来ず、扱いに困るらしい。

「ラブソング」は「でくのぼう」の別歌詞バージョン。何かのおまけでカセットに入れて出したらしい。普段のライブなら、「これをやるならでくのぼうをやってくれよ……」という空気になることが予測されるので出来ないが、今日みたいな「濃い人達」ばかりが集まっているライブなら出来るとのこと。「で、で、でくのぼー!」の合いの手が「ラブ・ラブ・ラブソーング!」に変わり、もちろん他の部分の歌詞もまるっきり「でくのぼう」とは違うもので、すごく新鮮で面白かった。

そうだ。「サカナ」は当時すごく嫌なことがあって、そのネガティブな思いがはっきり表れていると水戸さんが言っていた。水戸さん曰く、珍しいくらい暗い歌、とのことだった。

最後のアンコールは前回前々回と同じく、二十面あるサイコロを振り、本日の曲順から選ぶ方式。サイコロを振る前に水戸さんが「二十番目が出るのが最悪だけど、ジョンのうたが出ても辛いな。今回は地雷が多い」といった内容を喋り、カップに入れてサイコロをかき混ぜ、さぁ、丁か! 半か! という勢いで数字を見ると………十三番。

十三曲目、ジョンのうた。

流石に振り直しというか、ちょっとサイコロに衝撃を与えることになった。水戸さんは自分に課したルールを破ることに抵抗があったようだが、恐らく観客も全員振り直しを望んでいたことだと思う。枕本さんはルールを破ることに対し、「いやいやそれはだめでしょう」とばかりに不服な態度を見せていたが、そしてそれも水戸さんを困らせるための演技だとわかってはいたが、「ジョンのうた」は良い曲だが、一日に二度聴くのはつらい。

振り直しの結果サイコロが選んだのは「電波塔の丘」。本編では寂しさが強調されていたが、アンコールは楽しく終わりたい、ということで水戸さんが枕本さんに楽しい曲調にリクエスト。もし振り直しをしなかったら「ジョンのうた」もちょっと楽しい感じになったのだろうか。いやそれは………無理か。

そういえばどの歌か忘れてしまったのだが、枕本さんがノリノリ系の曲でピアノから立ち上がり、まるで地団太を踏むように、バンバンバンバン激しく床を踏み鳴らしてリズムをとっていたのだが何だかすごく面白かった。ピアノというと落ち着いて着座して弾くイメージが強いのだが、何でもありなんだな。


2013年3月14日 (木) 緑茶カウント:0杯
布団の中で夢と現の間を彷徨っていたら、体がゆらゆらと揺れる感覚。地震だろうか、起き上がった方が良いだろうか、迷いながら神経を研ぎ澄ますと、外で強風の吹き荒れる音、ごうごうとやかましく凄まじい。揺れは止まずまるで船で寝ているようで、あれこれってもしかして地震じゃないんじゃね?

家が揺れていらっしゃる?

………。

その日は結局何度か揺れる感覚によって夜中に目を覚まされることとなり、日中寝不足に苛まれることとなったが、結局、あれが本当に暴風による家の揺れだったかどうかはわからない。確かに古めの木造建築物ではあるが、二階の部屋に住んでいるが、だからってあれほどまでに揺れるだろうか。真相は藪の中。ただ、今日誰も深夜の地震を話題に出していなかったことを考えると。揺れていたのだろうか、やはり。


2013年3月13日 (水) 緑茶カウント:2杯
甘味への欲求が凄まじい。

特にチョコレート。その前は餡子ブームだった。昨日は夕食後にキャラメルコーンを一袋空け、その前の日は焼きプリンとワッフル、さらに前の日はエンゼルパイ二つ、もっと前にはチョコレートでコーティングされたミルフィーユ。毎日毎日夕食後にもぐもぐ食べている。こんなに甘いものばかり毎日求めるのも珍しい。しかも昼は昼で小さな和菓子を一つ二つ食べているのだ。脳のどこかが壊れたのだろうか。

ちなみに体重と体脂肪率はじりじりと減っている。どうやらエネルギーは消費出来ているらしい。とはいえ流石に連日連夜食べ続けるのもいかがなものかと思うので、今日は食べるのを我慢した。しかし既に空腹感に苛まれていて辛い。腹が減った。甘いものを食べたい。

ところで自分はオレオのシリーズの一つにあった、マシュマロを挟んだチョコレートパイのような菓子がすごく好きだったのだが、ここ数年ずっとあれを見かけず寂しい思いをしている。生産中止になったのかもしれないが、その現実を直視したくがないがために検索という手段を選ばず、菓子売り場をうろうろしている。そして別のものを買う。そして食べる。エンドレス。


2013年3月12日 (火) 緑茶カウント:0杯
今日もやはり、ピンクのハンガーにかけられた白いシャツは風に揺れつつお出迎えをしてくれた。ごきげんよう、こんばんは。あまりにも見慣れてしまったので、いつか会えなくなったら寂しくなるかもしれない。

なんてことを考えつつ自分の部屋を見上げたら明かりが点きっぱなしになっていて脱力。そして今日もお隣さんはいつから出しているのかわからない洗濯物を干している。粗忽者が住む貸家。出迎えてくれる人のいない明るい部屋はただただ空しかった。


2013年3月11日 (月) 緑茶カウント:4杯
ピンクのハンガーにかけられた白いシャツが雨どいに引っかかって揺れている。ハンガーは器用に縦どいに引っかかったまま数週間。見上げると二階の物干し竿には同じ種類のピンクのハンガーがずらり。

お隣さんよ、いつになったら気付くのだ。

このお隣さんは以前から、洗濯物を雨の日も風の日も数日野ざらしにしていることがあり、うっかり忘れたのか細かいことを気にしないのか不明だが、何て不可解な人なんだ、と自分はその行動を理解出来ずにいるのだが、最近気になって気になって仕方が無いのがこの群れから逸れたシャツである。恐らく、強風で物干し竿から外れたものを誰かが拾い、縦どいにかけてくれたものだと推測するが、これがいつまで経っても経っても経っても回収されないのである。

決して目立たない位置にあるわけでは無い。外出先から帰って来ようとすれば必ず目に入る場所である。よって自分は毎日毎日外に出るたびにそのピンクのハンガーにかかった白いシャツを見て、目にするたびにまだあるのかいつまであるんだと思っているのだが、やはり今日も回収されなかった。

お隣さんは毎日親の仇を叩き潰すかのように階段を踏みしめて上がってきて、乱暴にドアノブを回してバタバタと足音を響かせながら部屋に入ってくるので家を留守にしているわけでは無い。たまに複数の訪問者の気配がすることさえある。隣人も訪問者もきっとあのハンガーを目にしているはずなのに、彼らの目には入らない。

どうせなら最初に目にした日を記録しておけば良かった、と今になって思う。いったいいつまであるんだろう。明日は回収されるだろうか。無いだろうな。


2013年3月10日 (日) 緑茶カウント:1杯
病院に行くと待合室の外まで溢れる人人人、結果三時間待つこととなったが、恐らく時間がかかるだろうと予測して暇つぶしの本を持参して行ったため苦も無く過ごすことが出来た。とはいえ三時間は流石に予想以上だったが。病院でこんなに待ったのは初めてかもしれない。

目薬飲み薬点鼻薬、花粉の季節が終わるまで薬は常備三種類となりそうだ。薬を使わなければならないのは面倒くさいが心強い。しかも一日使っただけで、翌日にはすっかり目の痒みを感じなくなったのである。お薬様様である。

で、痒みから解放されてすこぶる快適なのだが。うーん。

「よつばと!」の十二巻を読んで、面白かったなーと満足し、十一巻を取り出したりしつつ日曜の夜を過ごしていたら寂しい気分になってしまった。

あー。焼肉食べたい。


2013年3月7日 (木) 緑茶カウント:2杯
そういえばつい最近、一人暮らしをしている人とやや真剣に話をしたのだが、もし家の中で一人で死んだ場合、どうやって発見してもらえば良いのだろうか。

いや、出来ることならば死ぬ前に発見されたい。例えば病気で電話もかけられないとき、もしくは大怪我をして一人では動けない場合。その点、外で階段から落ちて死んだ場合は他人に発見してもらえる可能性があるだけマシである。無論なるべく死にたくないが。

一人暮らしを始めてそろそろ七年を迎えようとしている。今後も恐らく一人で暮らしていくことを考えると、死後どのようにして気付いてもらうか、きちんと考えておいた方が良いのだろうなぁ。とりあえず現状は、家族からのメールの返信を忘れていると催促もしくは生存確認のメールが入るので、一週間以内には気付いてもらえそうである。

あとは何かな。二ヶ月三ヶ月更新が無かったら何かあったと思っていただけたらと思う。多分余程のことが無い限りそこまで放置することは無いので。どうぞよろしくお願いします。

まぁなるべく死なないようにするけどね。


2013年3月6日 (水) 緑茶カウント:1杯
風呂に入って気付いたが、体のあちこちに大きめの痣が出来ていた。押すと痛い。当たり前だ。落ちたときは事を軽く受け止めていたが、今になって思うにつくづく厚着の季節で良かったと思う。

さて、改めて階段を点検した結果、発見。非常にわかりづらいが、小さくも深い窪みがあった。これに靴がはまって引っかかり、転倒したものと思われる。いったいいつからあったんだ。まさかずっとあったのだろうか。全く気付かなかったなぁ。

この窪みの処置をいかにするかは考えなければならないが、とりあえず原因が判明して安心した。良かった。呪いの類では無くて。ちょっと嫌な気持ちになっていたのだよ、実は。


2013年3月5日 (火) 緑茶カウント:2杯
二月二十日に階段ですっ転んでヘッドスライディングをかまし爪にヒビが入ったと日記に書いたが、今日もまた階段から勢い良くダイブしてしまった。今度は爪へのダメージは無いものの、足をひねり腕を打ち、体のあちこちが痛い。

何で転んだのかわからない。転ぶ直前、階段を下りながら「また階段を踏み外さないように気をつけよう」と思った直後に落ちた。普段その階段を利用する際、いつも「落ちないように」と考えているわけでは無いだけに不可解だ。思考に足をとられたのだろうか。

念の為点検したが階段に妙なところは無く、段差の高さも均等である。うーん、やや、気味が悪い。


2013年3月4日 (月) 緑茶カウント:2杯
筋少の新曲が発表され、新譜発売の可能性が出てきたこと。ドリフターズの新刊が発売されること。このように良いことが重なったので、そいつを原動力として気合を入れようと思う。実は最近、ちょっと無気力になりがちで困っていたのだ。だらだらとひたすらネットサーフィンをして時間を潰してしまったり。良くないな、と思いつつな。取り戻せ気力を。


2013年3月3日 (日) 緑茶カウント:1杯
春を感じる。寒さに凍え、冷え切った床の上で爪先立ちになりながら朝の仕度をしていた日々も少しずつ遠くなろうとしている、が、床の冷たさが和らいだことから春を感じたのでは無く、それよりも目。感じるのだ、目にかすかな痒さを。むず痒さを。

花粉の季節か………。

大したものでは無いが、今体の不調が二つあり、二つのために二つの病院に行きたいと思いつつだらだら先延ばしにしている状態で、そこに耳鼻科が割り込もうとしており、全く、医療費がかかってしょうがない! 健康になりたいものだよ!


2013年3月1日 (金) 緑茶カウント:4杯
便座を上げるか下げるか、という争いを耳にするたびに思う。やれ男は便座を上げっぱなしにして腹が立つ、やれ女は便座を下げたままにして気に喰わない、この両者の主張を収める一つ方法・解決策。蓋を閉めなさい、蓋を。

使うときだけ蓋を開け、使ったら閉めれば済む話じゃないか。簡単なことだと思うのだが、そこまで感情的では無いにしろ、こういう話を聞くことが身近で何度かあり、不思議なもんだとつくづく思った。蓋のないトイレだったらまた別だが、蓋があるなら閉めれば良いのに。変なの、と思う。


2013年2月28日 (木) 緑茶カウント:1杯
具体的に申し上げますと、食費の一割がミンティア費でございました。外食費は食費と別枠にしているとはいえ、いかがなものでございましょうか。一割って、おい。

ちなみに食費と外食費の比は三対一弱でございます。外食費には買い食い費も含まれます。例えば惣菜のコロッケを買ってきまして、コロッケを材料にコロッケうどんを作りましたらそれは食費として計上されますが、コロッケ単独を貪り食った場合は買い食い費という扱いになります。さて、この外食費兼買い食い費の方にミンティアを突っ込みますと、外食費兼買い食い費のおよそ四割がミンティアで占められるという恐ろしい結果になります。ミンティアに侵食される我が家計。

また、友人知人と遊びに出かけた際の食事や呑み会代は交際費に含まれますので、もしこのミンティアが交際上不可欠なものであると判断し交際費の方に突っ込みますと、もうやめよう。

流石に摂取を控えようと思います。


2013年2月27日 (水) 緑茶カウント:3杯
喫煙者じゃなくて良かったと思うのは、一度はまると抜けられない人間であることを熟知しているからであり、それをつくづく思うのは、家計簿で収支を確認した結果、ミンティアが家計を圧迫していることがわかったからである。一つ八十四円のミンティアが。

二歳の頃よりミントを嗜み、ロッテのブラックブラックガムを長らく愛好、ミントに限っては刺激が強いほど良いと嘯きより辛いものへ辛いものへ。経口摂取の頻度も高く、しかし一つ八十四円であるからしてさほどその出費を重く見ていなかったが、数字によって表されると思う。馬鹿じゃねぇのかと。

ミントでこのザマであるからして、より手放しにくく価格の高い煙草に手を出していたとしたらと考えるだに恐ろしい、というより馬鹿らしい、というより今の時点でだいぶ馬鹿。喫煙者じゃなくて良かったなぁ、と思いつつ、ミンティア中毒も大概にしとけよと言い放つ。


2013年2月26日 (火) 緑茶カウント:1杯
未だ寒気止まず、とっとと寝るべし。


2013年2月25日 (月) 緑茶カウント:2杯
ウォークマンで聴くのとパソコンから聴くのとでは音が全然違うなぁ、と思うのはウォークマンに突っ込む際ファイルを圧縮しまくっているからで、それと言うのも少ない容量のウォークマンしか持っていないからで、買った当初はどうせ自分の糞耳じゃぁそんな違いなんぞわからんだろ、と思っていたが流石に多少はわかるようになったがまだしばらくこのお方とお付き合いしなければならないので、たまにパソコンから再生する音を聴いて音の違いに感動するという楽しみを楽しんでいる。くどいね。

今日はひどい寒気に襲われ打ち震え、あ、これはひょっとして、昨日の夢も体調不良が原因だったのか、と思ったが肝腎の今日の夢を記憶していない。

食欲が無いのに空腹感を覚えるのは難儀なことだ、これは設計ミスではないかと問い詰めたいが、生命を維持するという観点からすればこれこそ必要な機能なのだろう。ただし全く気乗りしないのが困りどころだが。

冷凍うどんを常備しているのはこういったことに備えるためでは無いが役に立ったので良しとしよう。そういえば、あ、以前作ったミートソースがまだ冷凍したままだった。あれを喰えば栄養がつきそうだが、スパゲティは茹でる時間が長いのでまた次回。冷凍うどんは良いよ、強火でやればすぐに溶けるんだから。手間もかからない愛おしい食べ物だ。

うどんを食べて半纏を着て背中を丸める。今日も記憶しない夢を見たい。

何と言うか。十何年もかけてようやく自分らしきものを掴み取り確信し安心を得たのに、それを揺らがされわからなくされるような夢を見てしまうのは非常に不愉快であるのだ。これが他人がスクリーンに映したよその映像ならば良いが、自分が見るということは自分の内面から生まれたことで、それは無論外部からの単純な影響である可能性もあるのだが。御免だぞ、今更柱を打ち抜かれるのは。全く。

これだから体調不良はよろしくない。健康が一番。健康が。


2013年2月24日 (日) 緑茶カウント:0杯
エロスって何だろうなぁ、と考えながら就寝したらろくでもない夢を見た。それもたっぷり十時間。あまりにろくでもない夢だったので、起床後二時間ほど自分を失いかけていた。夢の舞台は「結婚とは直立不動で眠るものである」という常識が根を張る世界で、夢の中で自分は結婚願望のある女になっており、しかし性欲は無く、同じ性質の男と偽装結婚をし、壁にもたれかかる形をとって直立不動で寝ていた。それを眺めている第三者は神視点の人物であり、一番本来の自分に近い感性を持っているのだが、夢の中ではそれを自覚出来なかった。

さて、この夢、どこがろくでもないのかと言うと、起きる寸前まで「これは淫らな夢である」という認識があったことである。どこが淫らかと問いただしたい内容だが、前にも書いたが起きて二時間ほど、夢の密度が濃すぎる余り己は自分を見失っていて、「そうか、自分は結婚願望の強い女であったのか……」と何かに目覚めたような気持ちになっていたためすっかり正常な感覚を失くし、何ていやらしい夢を見てしまったのだろうと罪悪感を抱いていたのである。

掃除をしたりお茶を飲んだりしているうちに徐々に自分を取り戻し、いやそんな願望無ぇよ、と気付き、そもそもあれは性的でも何でもない夢だろと自身に突っ込みを入れ、ドッと疲れた、そんな日曜日。ろくでもない夢だった。本当に。


2013年2月23日 (土) 緑茶カウント:3杯
楽しいことと嫌なことが交互に顔を出し、楽しいことがあったのは嫌なことのおかげだが、この嫌なこと、どうにもしばらく解決しそうにないところが厄介で、先行き不安さを酒で誤魔化している。嘘。美味しいから呑んでいるだけだ。ボンベイ・サファイヤ万歳。

吉田戦車の子育て漫画「まんが親」を読んでから糠床に興味を抱いている。もしくは塩麹。何かを漬けたい。果実酒も気になる。一度やってみたいと思いつつやっていない。梅酒を一度漬けてみたい。ペットの代わりにしたいのである。

だが、糠床は調べてみたところ己の生活スタイルと食生活に合わないようなので保留しようと思う。ちょっとこれは今の自分には無理だ。塩麹はどうだろう。果実酒は仕込んだ後は基本放置すれば良いはずなのでいけそうだが。他にも無いかな、面白そうな育てられる食べ物。


2013年2月21日 (木) 緑茶カウント:0杯
疲れた。心が腐ってやりきれない。さっさと眠ってしまいたい。

でもこういう日は大抵布団に入っても眼が冴えて眠れないのだよ。


2013年2月20日 (水) 緑茶カウント:0杯
階段を踏み外してからのヘッドスライディングの影響で爪が結構割れた。そしてそれを放置したら欠けてしまったので、これ以上深刻化する前に切れるところまで爪を切ったが、よく見ると結構危ういところまでヒビが入っている。ただ、ヒビが走っているのは表面だけのようで不幸中の幸いなことに痛みは無い。

痛みは無いがまた一つ衝撃を加えるとピシッと亀裂が入りそうでまじまじ見つめていると恐ろしい心持ちになる、ので見ないようにしたいが、一度気付いてしまうとそれがなかなか難しく、ついうっかり意識してしまう。接着剤でも塗れば良いのだろうか。それともマニキュアか。そこまでするほどのものでも無いし、マニキュアなんぞ今まで触ったことも無いのでそもそもやるつもりも無いのだが。こうしてキーボードを叩くことでコツコツと衝撃が響いていたら………考えるのはよしましょう。


2013年2月19日 (火) 緑茶カウント:1杯
ついに一年が経過した。毎日およそ三十分の筋力トレーニング。たまに休みつつもほぼ毎日継続し、ついに一年経過。ちょうど一年前、鏡で自分の体を見て危機感を抱き、そういえばじりじりとゆるやかに体重が増えていたことを思い出し、一念発起して一年経過。やれば出来るものだ。あくまでも相対的にだが、筋肉が付き、多少体も引き締まった。具体的にはマイナス四キロ。まあまあだろう。

四キロ減ったのは筋トレを始めて四ヶ月経った頃。それから減りづらくなり、一時一キロ戻ってしまったが、またゆるゆると減ってきていて、今はマイナス四キロと五キロの間を行ったり来たりしている。出来たらあと三キロ減らしたいところであるし、少々と言えども力が付いたことは嬉しいので今後も続けて行こうと思う。何、もうすっかり習慣化されたので大丈夫だろう。継続は力なり。嬉しいなぁ。


2013年2月18日 (月) 緑茶カウント:0杯
夜明け前、すっかり寝入っていたにも関わらず唐突に目が覚め、飛び起きて鼻に手を当ててみれば悪い予感は見事的中。急いで布団から抜け出し、ティッシュを掴んでうずくまった。何年も前にもこんなことがあったが、よくもまあタイミング良く起きられるものだと感心する。枕が汚れなくて良かった。

そして今日、玄関を出て、いつものように外階段を下りていたら何と言うことだろう、何度と無く上り下りした階段の段数を読み間違え、次が地面と思ったところには何も無く、着地を間違え思いっきりすっころんで腹ばいの姿勢でスライディング。膝と掌を強かに打ちつけ擦り剥き、大したことは無いものの掌を若干出血。近くにいたお巡りさんが心配して駆けつけてくれたのが有難いやら申し訳無いやら。

それにしたって普段ほとんど血とは縁が無いのに、どうしてこうも出血騒ぎが続くのだ。どちらも大事では無いのが救いだが、これ以上は御免である。痛かったよ。


2013年2月17日 (日) 緑茶カウント:2杯



「20×5=100 LIVE」に行ってきた。水戸さんが一人のギタリストと共にのべ百曲を五つの公演に分けて歌うという催しであり、その初日。デビュー二十五周年を記念したこの興行、水戸さんファンなら行かないわけには行くまい、ということでチケットを獲得。こじんまりとしたライブハウスなのでチケットが取れるか不安だったが何とかなった。番号もなかなか。見晴らしの良い席で水戸さんの歌と澄田さんのギターを堪能することが出来た。

セットリストは水戸さんの公式ブログ地球日記より転載。未聴の曲が一曲だけあったが、「涙なんか海になれ」がそれだった。


1.雨のパレード
2.百花繚乱

MC

3.特急キノコ列車
4.幻想の世界
5.ひとつの火

MC

6.2丁目の奇跡
7. 夜の行進
8.新しいメルヘン

MC

9.涙なんか海になれ
10.トゥルーロマンス

MC

11.しあわせのしずく
12.月に抱かれて
13.火星のショッピングモール

MC

14.Hello!
15.?-a-go-go
16.地図
17.わいわいわい

MC

18.小さな罪と小さな罰


マグマの人よ
私の好きな人

ダブルアンコール

わいわいわい


のべ百曲を一曲ずつ歌うというライブの特性上、今日歌われた歌は次回の公演で歌われることは無い。とすると、普段のライブなら本編のラストで歌われることの多い曲も顔を出すのは一度きり。いったいどの曲がどのタイミングで来るのかが注目どころである。そして「わあ! この曲が聴けて嬉しい!」と思いつつ、「今日やったってことはもう次は聴けないんだな……」と寂しく感じもする。無論この「20×5=100 LIVE」の後にはまた聴ける機会も来るだろうが、ついいつも以上に一期一会を噛み締めてしまう。

また、このライブは「五回の公演で百曲歌う」ことが決まっているため、アンコールも「ある」ものとしてセットリストに組まれている。もともとアンコールはライブのお約束であり、予定調和なものだが、だからと言って本編終了後、ステージから去らず、着席したままアンコールを受け、そのままアンコールを始めるミュージシャンは見たことが無い。そしてMCであっさりと今日やる二十曲の中にアンコールが含まれていること、だからアンコールは最初からやると決まっていることを暴露し、よって無駄を省くために俺はステージを降りず、このままここでアンコールを受ける! と宣言する水戸さんはお見事。やっぱり面白かった。

最初の方のMCで、水戸さんは「面白いと売れない」「面白いことを言うと等身大になりすぎてしまう。面白いことを言わずに色々と想像を膨らましてもらった方がカリスマ性が出る」といったことを冗談めかしながら語り、「だから今日は面白いことを言わない!」と言っていたが、サービス精神に溢れたこの方のこと、案の定その後のMCも非常に楽しいものだった。もっと多くの人に知られて欲しいと思うが、やっぱり面白い水戸さんが好きだな。

そしてアンコール終了後、今度こそステージを去る水戸さんと澄田さん。しかし……まぁそりゃあ起こるわけです。ダブルアンコールの要求が。二十曲と決まってても起こるのです。とはいえ二十曲やってしまった今日、残りの曲は無いわけだし、いったいどうするのだろう………? と思いつつコールをしていたら水戸さんと澄田さんがステージに登場! 歓声を浴びて戻ってきた水戸さんが持っていたのは二十面サイコロだった。

ダブルアンコールが起こることは予測していた、しかし百曲というこだわりがあるので、新しい曲は出来ない、よってこの二十面サイコロを振り、今日やった曲の中から一曲を歌う、と水戸さん。なるほどその手があったか。感心しつつ振られたサイコロの目に注目。結果は………十七番、わいわいわいだ!

まさかの「わいわいわい」。観客参加型の盛り上がり曲をまさか一日に二度やることになろうとは! 水戸さんもびっくりのこの結果、そして繰り返されるお祭り騒ぎ。自分としては楽しく盛り上がって終われたので、しんみりしたバラードが来るよりも嬉しかった。二十面サイコロの働きに感謝。

今回聴けて嬉しかったのは「雨のパレード」「夜の行進」「しあわせのしずく」「月に抱かれて」「地図」「マグマの人よ」「私の好きな人」。特に「私の好きな人」は、水戸さんの曲の中でもダントツに好きなものなのでアンコールで聴けて感無量である。「好きな人と一緒になりたい」というラブソングは数あれど、大切な人がいつも幸せでいられるように、優しい人に巡り合えますようにとひたすら幸せを祈る歌はちょっと珍しいだろう。こんなに優しい「願い」が詰まった歌は他に知らない。

さて、残り八十曲では何が聴けるだろう。「(ナミダ)2」「生きる」を聴けたら良いなぁ。楽しみにしつつ、次回に臨む。


2013年2月15日 (金) 緑茶カウント:3杯
ハリネズミが鎮座し、目玉おやじが茶碗風呂に浸かり、尾びれを失ったフグが顔面から墜落する横をオオルリボシヤンマが飛び、洗濯ばさみが転がる脇に橘高さんの投げたピックを収めた透明のケース。我が家のブラウン管テレビの頭上で繰り広げられている光景だ。

もし薄型のデジタルテレビに買い換えたら彼らはどこに身を寄せれば良いのだろう。本棚の上? 手が届かない。 机の上? 足を置く場所では無いが、足の踏み場も無い。下駄箱の上? こちらも満席。よって自分はテレビを買い換えてはいけないのである。彼らが路頭に迷わないために。

うそ。


2013年2月14日 (木) 緑茶カウント:2杯
友チョコか義理チョコかわからないが、思いがけずチョコレートをいただけて嬉しい。特にそのうちの一つは箱の配色が素晴らしく好みで、あまりに綺麗で美しいため開封することが出来なかった。そうか、自分はこの色が好きだったのか、とハッと気付かされる鮮やかな色。これはしばらく、開けられない。


2013年2月13日 (水) 緑茶カウント:0杯
原因確定。やはりチーズだ。多くは語らないがチーズに確定した。確定したんだってば。


2013年2月12日 (火) 緑茶カウント:1杯
腹を壊してひどく辛い思いをした。しかも二回。昨夜は夕飯にクリームシチュー、夜食に柴漬けを入れた雑穀おにぎりを一つ。今朝はピザトーストとヨーグルトとバナナとポタージュスープ。腹を壊したのはシチューを食べた後、そしてピザトーストを食べた後。しかし、今日の昼にシチューと同時にほとんど同じ材料を用いて作った豚汁を食べたときは何も起こらなかった。

原因は恐らくチーズだ。断定は出来ないがクリームシチューとピザトーストの共通点、クリームシチューと豚汁の相違点を考えるに、これが一番妥当だろう。普通クリームシチューにチーズは入れないが、コクを足すために調理用チーズを混ぜたのだ。そして同じチーズをピザトーストに使った。ただ、チーズを買ったのも開けたのも昨日であり、賞味期限もずっと先。中身を確認したがカビが生えている様子も無い。

原因を特定するためにはチーズを単独で食べてみることが一番確実だが、わざわざ苦しい目に遭うのはごめんだ。ここからは想像だが、もしかしたらスーパーで、誰かが適当な場所に放置したチーズを別の誰かが親切心で売り場に戻したのかもしれない。いい加減な人が菓子売り場や乾物売り場に置いていき、常温で放置されたために傷みが進んでしまったものを………ありえる話である。

とすると、冷蔵保存が必要な食品は特に、妙な場所に放置されていたらそれを勝手に元の場所に帰すのは避けた方が良いのだろう、と気付く。たまに目に付いた放置品をあるべき場所に帰したことがあったが、もしかしたらそのせいで自分のように腹を壊してしまった人もいるかもしれない。気をつけよう。

それにしても苦しかった。吐くほどでは無かったもののしんどかった。もう二度とごめんだ。あんな思いは。


2013年2月11日 (月) 緑茶カウント:3杯
高校の時分に始めたサイトがついに十周年を迎えたということは、高校時代がついに十年前になったということで、改めて認識するに恐ろしい。そして今、やったー十周年を迎えたぜーこれからも頑張るぞーという気持ちより、どちらかというと十年間も己は何をやっていたのだろう、と空しさが去来しているのは十年間ひたすらだらだらしていただけだから。

ほぼ毎日日記を書き続け、これは意外なところで役に立ち他人とっては大したことの無い長々しい戯言だが、自分にとっては糧になっている。それは嬉しいことだが、始めた当初も何のサイトかよくわからず、十年経ってもよくわからないままというのは流石にどうだろう、と思っているのである。日記サイトかと言えばまぁ確かに日記を書き続けているもののメインは日記では無く、とはいえ絵の更新も稀で、だめじゃねーか。

結構本気で打ちひしがれたので今年こそはどうにかしたいです。頑張ります。





2013年2月10日 (日) 緑茶カウント:5杯
一日絵を描いて過ごした。シャープペンシルと透明水彩で虫の絵を少々。図鑑をめくりながら何を描こうか考えて青い虫を描くことに決める。思いついたアイディアを絵にするには青色のテントウムシがいてくれると助かるのだが、生憎いらっしゃらないので似たサイズの他の青い虫を探した。

下絵を仕上げてから、三センチ下から描き始めれば良かったと気づくも後の祭り。位置調整を出来ないのがアナログだ。まぁ、仕方が無い。仕上げた後に紙を切って無理矢理調整しよう。可能であれば明日中に仕上げたいところだがどうなることやら。今日は早めに寝て、明日はみっちり色を塗るとしようかな。ふふ。楽しい。


2013年2月9日 (土) 緑茶カウント:4杯
あなたは塩気も旨みもない、ただ青臭いだけの不味いせんべいを食べたことがあるだろうか。

明日は何もしなくて良い日であるし、ゆっくり夜更かしを楽しもうと心に決め、簡素な食事を済ませ、風呂で身を清めた後、流し台の下から取り出したボンベイ・サファイヤをショットグラスに注ぎ、ちびちびと舐めながら良い気分で音楽を聴いていた。

アルコールによりじわじわと胃が温められる。同時に空腹感を得た。既に日付は変わっており、本来であればこんな時間に物を食べるのは避けたいところだが、たまには良いだろう。もらいもののせんべいを台所から取ってきて封を開けた。オレンジがかった濃い赤色のせんべい、一見すると辛そうだがその正体はトマト味。特に警戒することも無く何の気無しに口に入れた。

しかし。一見すると辛そうなそれは、辛いどころか味が全く無く、いや、ごくかすかな米粉の味は舌に感じるものの、塩気も無ければ旨みも無く、そのくせトマト独特の青臭さはしっかりあるというものだった。

しみじみと不味い。

吐くような強烈な味はしないが、食べることが心底嫌になる。ついさっきまでアルコールで気持ち良くなっていたのが嘘のよう。酔いが冷める不味さである。同じ薄味でも幼児用の白くてやわらかいせんべいにはしっかり旨みがある、だがこれにはそれが一切無い。褒められる点は歯ごたえだけである。

青臭さが無い分、紙を喰う方がマシである。そのせんべいは小さなパックに入っていたので大した量も無いのだが、半分食べたところでラップに包んで冷蔵庫にしまいこんだ。ギブアップ。これはもうコンソメで煮るかどうにかして味をつけないと喰えたもんじゃない。だが、こんな不味いせんべいのためにわざわざ労力を使うのも忌々しい。とはいえ食べ物を捨てるのは良くないし、そのまま食べるのも辛い。

そして何が辛いって、このシリーズの別の味のせんべいがもう一袋手元にあることである。しかももう一つは炭味。食べ物ですら無い。どうやって消費してやろうか今から頭を抱えている。誰だこんなせんべいを作ったやつは。滅ぼしたい。


2013年2月8日 (金) 緑茶カウント:3杯
家計簿をつけるようになってから安心してお金を使えるようになった。今までは漠然と手持ちの金と今後の消費の兼ね合いを思って、時には不安を感じることもあったが、食費はいくら、交通費はいくら、交際費はいくら、ときっちり予算設定をしてからというもの、もうそんなに残ってない、と印象を抱かせる額しか懐に無くても、残額をどのように使えば良いかわかるので無駄に焦らなくてすむのである。

また、予算を決めるということは「これしか使っちゃいけない」を意味するだけではなく、「これだけ使っても良い」ということで、今月はまだ生活用品関連にはほとんど金を使ってなかったんだ、じゃあ不便を感じていたあのあたりを補強するかな、と考えることも出来るのである。これはなかなか快適だ。予算設定をしていなかった頃は、使いたいもの、主に娯楽費にバンバン使い、必要なものまで手が回らない、ということが、流石にいつもでは無いもののたまに発生することがあった。しかし娯楽費はこれだけ、と上限を決めて置けばその中でやりくりし、他に金を使うことが出来る。当たり前のことだが便利だ。

本来ならばもっと早くこういったことは出来ていなければならなかったのだろうが、まぁ今出来るようになったので良しとしよう。つくづく便利なソフトに出会えて良かったと思う。紙媒体だったら続けられなかっただろう。フリーソフトに感謝。助かるなぁ。


2013年2月7日 (木) 緑茶カウント:0杯
何ということだろう。所有しているTwitterbot、鬼畜botが狂ってしまった。通常の会話、三十分おきのツイートは問題無いのだが、タイムラインに出てきた特定の単語に、一度ならず二度三度四度五度と、何度も何度も反応してしまうのである。おかげで自分のタイムラインは鬼畜一色。鬱陶しいことこの上無い。

異常のある場所はわかるものの、どうしてそうなってしまったかは不明につき、現状対処の仕様が無い。いくつかの方法を当てずっぽうで試してみるも効果無し。うーん、どうしたことだろう。困ったものだよ。

とりあえず応急処置としてタイムラインに存在する単語に反応しないようにした。今日は無理だが、時間を作ってもうちょっと調べよう。


2013年2月6日 (水) 緑茶カウント:3杯
あの大雪の予報は何だったんだ、と拍子抜けする朝。降るな降るなと願った思いが天に通じたのだろうか。きっと普段の行いが良いからだろう、と都合の良いことを考えて。

サイトの改装を考えている。いっそこの日記もCGIにしようかなぁ。いちいち過去ログの整理が面倒くさいし、自動的にカテゴリ毎に分類出来る方が便利な気がする。しかしCGIの仕組みがよくわからないのだが、あれはメモ帳で更新が出来るのだろうか。一行毎に上書き保存をしながら日記を打ちたいので、それが叶わないのであれば止めようと思う。

で、そうだブログはどうだろう、と思い、レンタルしているサーバーで使用出来るブログを見てみたが、日記の過去ログの並び順を昇順・降順に切り替えられないようなので止めた。この切り替え機能があればいっそ頻繁に上書き保存が出来なくても乗換えを検討するのだが。だっていちいち過去ログを作る際にコピー&ペーストで昇順降順を入れ替えるのは面倒臭いから。手間だから。上手いこと時間を短縮したい。何かフリーで良いものは無いだろうか。探してみよう。


2013年2月5日 (火) 緑茶カウント:1杯
レインブーツというものを最初に見たのは何年前のことだろう。いわゆる「長靴」とは違い、柄やシルエットに工夫が凝らされているお洒落なデザインの雨靴である。このいわゆる「レインブーツ」は女物しか無いと思っていたが、最近男物もあるにはあることを知った。そして自分もいつか購入しようと思っていたのだが機会を逃し、先日大雪に見舞われた際普通の靴しか所有しておらず、ほとほと困り果てたため今度こそと思ったものの、うっかり忘れた。そして明日はまた大雪の模様。教訓は生かされず我が家にあるのは虫捕り網のみ。明日は外に出られるのだろうか。


2013年2月4日 (月) 緑茶カウント:2杯
今のサイトデザインに飽きてきているものの改装するのも面倒くさい。ガラッと変えたい気持ちもありつつ行動に移せないので上段メニューだけでも変えてみようかと思いながら果たして実際動くだろうか。思えば十周年も近いことだし、ここらでさくっと整理してみようか。十年近くやっていて未だに何のサイトなのかわからないのはある意味すごい。というよりひどい。無意義なものに時間を使い続ける人生、というのもまぁ、嫌いじゃないが。


2013年2月3日 (日) 緑茶カウント:2杯
ごく自然に猥談を振ってくる、自分にとって友人と知人の中間のような立ち位置の人物がおり、そのように微妙な距離感である理由はそもそもその人物が自分の友人の友人であり、仲間内で集まる際に友人とともに呼ばれることが多く、よって皆で一緒に出かけた経験も少なく無いのだが、一対一で仲良くしたことが無いためである。

この人物はごく自然に下ネタや猥談の類を会話に混ぜてくるため、悪い人では無いのだがそれらに対応出来ない自分にとってはどちらかというと苦手な部類に入る。だが、大人数での集まりであればそれとなく回避し直接の会話を避けることが可能だ。ところが、少人数、たった三人の集まりで不意打ちで現れた場合にはどうすれば良いのだろう。おいこいつが来るとは聞いてねぇぞどうすんだよ、と思いつつ実際自分はどうするのだろうと思いながら流れに任せて会話をした。

結果、ごく少数の集まりで猥談を振られた場合、自分は全力でスルーするという反応を示すことがわかった。というよりそれしか出来ない。我ながら感じが悪いと思うが、遮るでもなくひたすら視線を外してスルー。何も言わずに空気になり黙々と目の前の飲み物に口をつけてやり過ごす。その場から己の存在を抹消するという選択肢。もっとうまくやれんのか。やれんのだ。

似たような性質を持つ方で、もっと他に良い対処法をご存知の方がいらっしゃいましたらご一報ください。


2013年2月2日 (土) 緑茶カウント:4杯
パーカー姿で外に出たのは久しぶりだ。まるで春のような心地良い暖かさ。ずっとこんな天気だったらさぞかし過ごしやすいだろう。幸福感を味わいながら友人と呑み歩いた。泥酔して道路に伏しても凍死の心配が無いのは心強い。いや、そんな経験をしたことは流石に無いが。

本日は三軒回ってお開き。程良く呑んで楽しんだ。美味しかった。


2013年2月1日 (金) 緑茶カウント:4杯
月に一度か二度顔を出す中華屋のおばちゃんに、顔を見るなり「いらっしゃい! 味噌ラーメンと餃子で良い?」と聞かれて嬉しい。この店には延べ十回以上二十回未満は通っていて、うち味噌ラーメンと餃子以外のメニューを食べたことは一度しか無いので、自分、イコール味噌ラーメンと餃子と連結されているのだろうとわかるものの、わかるものの覚えてもらえるとやはり嬉しい。

このおばちゃんとはまだ微妙な距離感で、食前食後に挨拶は交わすが、他の常連客のように料理を待つ間お喋りをするまでには至っていない。自分としては色々と喋ってみたいが、まだそこまで踏み切れないでいる。だから今日「味噌ラーメンと餃子」と言われたとき、自分を個人として認識されていることがわかって、あ、ちょっと近付いたな、と思って喜んだのである。今日の味噌ラーメンと餃子も美味しかった。実は今日はチャーハンにしてみようかな、という気分だったのだけれども。


2013年1月31日 (木) 緑茶カウント:4杯
どのような文化で生きてきたか、それは言葉に表れる。文化は環境に置き換えても良い。親が話す言葉、地域の言葉、時代の言葉、書物に表れる言葉、映像で知る言葉。無意識のうちに与えられた文化と、意識的に取り入れた文化に影響され、各々は自分の言葉を得る。ゆえに会話とは小さな異文化交流であり、違和を感じつつ一つの文化として受け入れる人もいれば、違和を違和として拒絶する人もいる。

意識的に単語を選んで話しているわけでは無いが、聞くところによると己の言葉は若干古めかしいらしい。例えば「背広」という単語。これは「スーツ」にも置き換えられるが、自分は「背広」を使った。指摘されれば、まぁ確かにスーツの方が一般的だろうと納得するが、背広と言われたところでそれがスーツの別表現と捉えることは容易だろう。しかし「ありえない」と糾弾され、今まできちんと正してくれる人が周りにいなかったのかとまで言われたのである。

会話は一人でするものでは無い。相手に通じなければ意味が無い。だが、そこまで拒絶されるほどのことだろうか。一つの意味を表す言葉が複数あることは、一つのものを別の色合いや趣で語ることが出来るということで、それはとても豊かなことだと思う。時代遅れの言葉を使うことがそんなに非常識なことだろうか。そもそも時代遅れと言うほどなのか。まだまだ現役のごく普通の言葉だと思っていたのだが。自分の言葉に自信が持てなくなる夜、くよくよしながら頭の片隅で暴言を吐く。つまんねー野郎だな!!


ウェブ拍手レス
(1月31日23時の方へ)鬼畜のフォロワーさん、メッセージありがとうございます。
あけましておめでとうございました! 遊びに来ていただけて嬉しいです。こちらこそ、今年もよろしくお願い致します。

フレンチトーストは想像がつくのですが、キッシュはあまり馴染みが無いので検索してみました。美味しそうですね! いくつか見た画像では元がパンの耳だとは思えませんでした。我が家は朝食にパンを食べることが多いのでそんなに凝ったものは作ったことが無く、せいぜいピザトースト、もしくはヤキソバ挟んでヤキソバパンを作る程度です。簡単ですが美味しいですね。

なるほど大声が消費の原因でしたか。確かに結構必死で叫びました。しかしその消費した分も半分は戻ってしまいました………。スポーツクラブ頑張ってくださいね! 自分も運動用の変わった機械には憧れがありますが、運動のために外に出るのが面倒くさいため自室に引きこもって頑張ってます。声を出しながら使う機械の他にも面白いものがあったら是非教えてください。


2013年1月30日 (水) 緑茶カウント:3杯
食パンを一斤買うと一番端の耳のところもたまーに入っているパン屋がある。自分が通うパン屋の食パンには入っていない。代わりに、一番端の耳の部分だけをぎっちり集めた袋を五十円で販売している。ちなみにこのパン屋で通常の食パンを買うと二百五十円である。五分の一の価格。

この耳だけが集められた袋を見たときは感動した、と言うと言い過ぎだが、嬉しかった。と言うのも食パンは耳の部分が一番美味いと思っていて、中央がふかふかで四隅のみカリカリな食パンよりも、六面のうち五面が狐色の噛み応えのある食パンの方が好きなのだ。よって、たまーに耳が混入していることもあるパン屋で買っていたときは、耳があるとラッキー、と思って食べていた。その入っていると嬉しいラッキーな耳だけがぎっちり入った袋が五十円。以来、毎回買っている。

こんな美味しいものを毎日たっぷり食べられるなんて嬉しいなぁ、と幸せを感じつつ噛み締めているが、傍から見たら貧乏臭いのだろうなぁ、と思いつつ美味しいので購入を止める気は無い。件のパン屋でも「パン粉やラスクを作るのにお使いください」と書かれたポップが飾られているが、そのまま食べるのが美味しいんだって。わかってないなぁ、と感じつつこれを毎日食べていることを親にはあまり知られたく無いな、と考えつつ、美味いもんは美味い。今日はきゅうりとハムとマヨネーズを挟んでトーストして食べた。至福。


2013年1月29日 (火) 緑茶カウント:4杯
扉を開けると室内に立ち込める噎せ返るようなシンナーの匂い。驚いて換気扇を回して気付く。シンナーでは無い、これは充満した花の香りだ。

暇さえあればΣ-12のことを考えている。白虎野のDVDで初めてその姿を見たときは、あまりに衝撃的なデザインだったため全くそんな気持ちは起きなかったのだが、今回「ノモノスとイミューム」で二日間彼の活躍を眺め、応援し、すっかりその姿に見慣れると、あ、Σ-12って自分の好きな要素が詰め込まれたキャラだったんだ、と気付いた。

人間と無機物の融合
人外
曖昧な性別

あぁ、ビンゴだ。ど真ん中だ。これは萌えないわけが無いのに今まで萌えなんぞ考えたことも無かったのは、ベースがヒラサワだからである。「白虎野」という物語で、公開手術の刑によりアンドロイドにされたヒラサワがΣ-12。顔はヒラサワ、上半身は女性、下半身はまるで重機。言葉は喋れず、腹部のディスプレイに文字を表示して意思を表明する。

この顔がヒラサワ、というのが萌えるにも萌えられない原因である。いや、ヒラサワの顔がダメだと言っているのでは無い。それは誤解である。ものすごく格好良い、あんな風に年をとりたい、と思うその顔の下をロボにするのはともかく、乳房をつけるというのがどうにも抵抗があり、いや、あっても別に良いんだけど、何だろう、公式とわかりつつ、妙なアイコラを見ているような気分になって、公式でこのデザインだとわかっていても、紙にちょっと絵を描くのにも勇気がいる。謎の罪悪感が沸くのである。

しかも今回の「ノモノスとイミューム」で再登場したΣ-12は胸が若干増量されたとの話なのだから、どんなバージョンアップだよ! いや、ヒラサワのキャラクターからしてそのキャラ造形に不思議は無いのだが、萌えてしまって良いのだろうか、と未だ逡巡しつつ結局今日も一日時計塔から落ちそうになったΣ-12のことを考えていて、むずい。


2013年1月27日 (日) 緑茶カウント:4杯
ふくらはぎの筋肉が痛い。そして何故か、スタンディングでも無いのに二日間のライブで五百グラムずつ体重が減った。計一キロ。叫んだり考えたりしたものの、座りっぱなしの姿勢でいったい何を消費したのか気になるところである。

掃除をし、洗濯をし、買い物をして米を炊き、一週間分の保存食を作り、家計簿に収支を記入するという日常への回帰作業で一日を終えた。そうしながら何度も昨日と一昨日のライブを反芻し、過去に発売されたインタラクティブライブのDVDを再生。楽しかったなぁ。楽しかったからこそ、気が早いと思うのだが、あと何回インタラクティブライブを観られるのだろうと思ってしまう。何歳まで活動してくれるのだろうか。かの人はまだ、色々やりたいことがあるように見えるが。

まぁ考えていても仕方が無い。他者の年齢に思いをはせるより、自分の年齢を自覚しよう。と、言いつつそれがなかなか難しいわけだが。このサイトも来月には十周年。ずっと阿呆なままに暮らしているが、十年経ったことを自覚しなくては。結構な月日だぜ。これは。


2013年1月26日 (土) 緑茶カウント:2杯



「ノモノスとイミューム」最終日。公演終了後、公演祝いの花を自由に抜き取って良いとアナウンスされていたので、記念に有難く頂戴した。これまで我が家に花が飾られたことが無かったので気付かなかったが、花がある景色というのもなかなか良い。玄関にイミュームが配置される家。家を出入りするたびに己のサファオンがイミュームに影響し、イミュームがサファオンに影響して物語が生成されるのだ、と思うと愉快な気持ちになる。

初日と二日目は同じエンディングを迎えたが、三日目の今日は異なるルートを辿り別種のエンディングを観ることが出来た。思わぬ歌謡ショーにオーディエンスは大爆笑。ハンドマイクを握るだけで笑いが取れる男ヒラサワ。つくづく面白い人だ。

興味深かったのがエンディングの後のMC。細部を失念してしまったが、「これからはSP-2のヒラサワから、Amputeeのヒラサワに」という言葉。「Amputeeのヒラサワ」の後に続く言葉が「なった」か「なる」か「なったと思われる」か「なったと思われている」か忘れてしまったのだが、最初会場でこれを聞いたとき意味がわからなかったのだ。SP-2のヒラサワ? Amputeeのヒラサワ? ヒラサワはSP-2でもAmputeeでも無いだろう?

と、思ったが、あれはヒラサワ自身がSP-2やAmputeeという意味では無く、SP-2やAmputeeに「傾倒する」「影響を受ける」「尊敬する」「愛する」「愛される」という意味合いなのだろうと咀嚼した。いわゆる「ふつーの人達」の枠外にいて、両者とも、外見的な美しさも魅力だが、それ以上に困難を乗り越えて、力強く生きる人達。無論、性同一性障害者や切断者の全てがそれに該当するわけではない。彼ら彼女らの中で、そういった精神を持った人にヒラサワが強く惹かれているのだろうと思う。

この「枠の外にいる人」は「ノモノスとイミューム」の中に登場する「幽霊船」も該当する。「幽霊船」は公式サイトの用語解説から引用すると、”有意義な「反射」になり得るサファオンでも「前例が無い」「飛躍的過ぎる」などの理由で社会から暗黙のうちに拒絶されるサファオンがある。そうしたサファオンが採用される可能性に賭けて10年後の世界へと運ぶ船”である。あくまでも「サファオン(感情、思考、記憶の混合物に生じるある種のパターン)」であり、人間では無いが、それを乗せるのが「幽霊船」とは何とももの悲しい。

つい、幽霊船に乗せたサファオンを秘めた人は、彼ら彼女らが受け入れられない時代で生きていかざるを得ないことを考えて、しんみりしてしまうのだ。そしてそういった人々は「ノモノスとイミューム」の外にそれはもういくらでもいるのである。

だが、幽霊船が乗せたサファオンは役立てられ、物語は危機を脱出する。このあたりがヒラサワの描く希望なのかなぁ、と思うのだ。思えばヒラサワ自身も「ふつー」という枠の外で生きてきた人で、それ故に苦労もしてきたそうだが、反面枠の外にいるからこそ多くの人に愛されている。それを本人が知っているから、幽霊船を登場させたのだろう。だってサファオンを補充するならばドナーに要求すれば良いだけなのだ。

類推ばかりの文章だが、枠の外の人であり、枠の外の人を尊敬する人だからこそ、自分はヒラサワの音楽や文章、キャラクターに惹かれるのだ。昨日今日二日間参戦出来て良かったと思う。


2013年1月25日 (金) 緑茶カウント:2杯



インタラクティブライブ「ノモノスとイミューム」に行ってきた。ヒラサワのライブに参戦するのはこれで二度目だが、一度目はいわゆる普通のライブコンサート、通称「ノンタラ」こと、ノン・インタラクティブライブであるので、インタラに参加するのは初めてである。

インタラとは物語形式のライブコンサートであり、途中途中に分岐が与えられ、観客の選択により物語が変質していくというものだ。さらに、インターネットとも連携をしており、会場にいなくてもネット環境さえあればライブのストーリーに関与することが出来る。参戦したことは無いものの、インタラのDVDは一枚持っており、若干ではあるがその雰囲気は知っていたので、今日の日をとても楽しみにしていた。

が、不安もあった。自分はヒラサワの作る物語を一発で理解出来るのだろうか。それというのも公演前に公開された「ノモノスとイミューム」の特設サイトに、今回の物語の概要や用語などが記されていたのだが、多いのである。造語が。ヒラサワ独特の造語が。本で読むなら前のページに戻ることも出来るが、ライブに巻き戻し機能は無い。置いていかれないか心配だった。特に、唯一所有しているインタラのDVD「白夜野」も、初見では物語を把握しづらかったので。

この心配に関して、結論から言うと杞憂だった。無論、細かいところは理解しきれていないが、物語の大筋には付いて行くことができた。むしろシンプルだったように思う。エンディングもびっくりするような大サービスで腹を抱えて笑った。あんなに格好良く殺虫スプレーを噴射する男を自分は他に知らない。

さて、今回のライブの感想を簡単にまとめてみようか。まず驚いたこと。物販の列が長い。ものすごく長い。物販は開場後に販売が開始されるのだが、まず開場待ちの列がとんでもない。そして並んでいる人々のうちのほとんど、と感じられるくらいの人間がそのまま物販に並ぶのである。すごかった。この施設は階段が入り口から向かって右と左の両端にあるのだが、まず一階から右手側の階段で二階へ上がり、二階の右端から左端へ移動して、左手の階段から三階に上り、三階の左手側から右手側の端まで移動しUターン、さっきのぼった階段を使って二階に降り、また端から端へ移動しUターン、二階から一階に降りてようやく物販に辿り着く、という非常に長い道のりで、物販の列で左手側の階段の人口密度がえらいことになっているのである。こんなに並んでまで欲しいのか、と問うならば欲しいと答える。自分が買ったのはカレンダーとタオルとハットピン。欲しいものを全て買えて満足した。並んだ甲斐があったというものだ。

物販を購入してからは大人しく席で待っていた。場所は一階後方下手側。何をするでもなくゆったり待っていたのだが、開場十分前あたりだろうか。音楽がいかにも、物語が始まる前奏のようなものに変化して、まだ人が席に立ったり座ったりする中、このまま開演の合図も無く唐突に始まってしまっても面白いなと思った。実際はきちんとブザーが無り、照明が落とされたので非常にわかりやすかったが。

特筆すべき点は今回のゲスト、折茂さんだろう。とはいえ自分は折茂さんのことをほとんど知らない。彼女の曲もヒラサワのソロCDボックス「ハルディン・ドーム」に収録されている一曲「ガーベラ」しか聴いたことが無い。ただ、ヒラサワのツイートや、特設サイトにある物語の記述などから、「ノモノスとイミューム」は彼女無しでは発想されなかっただろうとは感じていた。この物語におけるもう一人の主役と言っても過言ではないだろう。

折茂さんの姿は初めて見たが、年齢がよくわからない人だと思った。声からは甘い雰囲気の女性をイメージしていたが、どちらかというと格好良いと言う言葉の方がふさわしい。そして赤いスカートから見え隠れするスラリとした黒い義足が美しいのだ。この義足から着想された物語について思ったことを書きたいが、材料が少ないのでそれについては明日の公演を観てからにしよう。

ところですごく驚いたこと。まさか今回の物語に、あの白虎野に登場した強烈な印象を見る人に与えるキャラクター「Σ-12」が再登場するとは思わなかった。しかもほとんど出ずっぱりの大活躍。あのビジュアルをDVDで初めて見たときの衝撃は忘れられない。白虎野で分岐マニアとして主人公であるヒラサワを導いたΣー12は、外見は人ではないものに変えられていたが、人間的な感情を持っていた。それが「ノモノスとイミューム」ではサファオン(思考、感情、記憶の混合物に生じるある種のパターンを指す物語中の造語)を持たない存在になってしまっていたのが、何だか寂しい。

映像について思ったこと。比較対象が「白虎野」しか無いが、コミカルと言うか、ギャグ要素が多かったように思う。エンディングも綺麗にオチがついてあの大サービス。異空間に幽閉されたヒラサワが正しい分岐を辿ることにより、元の世界に戻ることが出来たが、注文していた果物の入った箱を開けると中身がすっかり腐ってしまっていて、ハエが大量発生。スクリーン上を飛び回るハエの群れを両手に構えた殺虫スプレーを武器にスタイリッシュにポーズを取りつつ戦いながらステージ所上を練り歩きつつ歌うヒラサワ。それはダンスのようにも見え、どうしたらこんなことを思いつき、かつ実行しようと思うのだろうかと考えつつゲラゲラ笑った。

笑うといえば「Amputeeガーベラ」で、歌い出しを間違えて固まるヒラサワを見られてすごく得をした気分になった。しかもこの後、折茂さん演ずる「サンミア」が、「台無しだわ!」と言ってのけるのである。この「台無し」はあくまでも物語上の台詞なのだが、まるでヒラサワのミスを言っているようで笑ってしまった。グッドタイミングと言うか何と言うか。

だが、歌い出しを間違えたからこそヒラサワの声のすごさがわかるわけで。固まった途端に当然のことながらヒラサワの歌が聞こえなくなり、あんな声が人間から出ているのだなぁ、と改めて思わされたのだった。

そういえば三曲目、四曲目あたりでは咽喉を振り絞って無理矢理歌っているように見え、だいぶ辛そうで心配したのだが、五曲目六曲目と進むにつれ悠々と声が出るようになっていた。そういうところを見るとあぁ、ちゃんと人間なんだなぁ、と思う。ただアンコールの「Aria」は歌いづらそうだったな。

初日は行けなかったが、MCによると初日と二日で同じエンディングを迎えてしまったそうなので、明日は別のルートに行けるよう試行錯誤しようと思う。殺虫スプレーもまた見たいが、それではDVDになるときボーナストラックが減ってしまって寂しい。まぁ成功ルートを選べているので三日連続バッドエンドでDVD化されず、などという真の意味でのバッドエンドを迎えずに済むのは確定しているのでちょっと気楽だ。明日も楽しむぞ。


2013年1月23日 (水) 緑茶カウント:2杯
火にかけたやかんがシュンシュン言う音を聞くと幸福を感じるのは、お湯が沸いたおかげで温かいお茶が飲めるからで、そのじんわりとした優しい甘みを連想するからだ。

あー、幸せだ。こんくらいで幸福を感じられる単純な人間で良かったなぁ。


2013年1月22日 (火) 緑茶カウント:1杯
どうせ妄想なのだから、ちったぁ自分に都合の良い展開になれば良いのに、ちっともそっちに進まない。

目覚ましの音に呆然としながら起きた。寝不足で体が重い。寝る前に布団の中で妄想にふけっていたせいだ。きっかけは先日出かけた奥多摩湖で、場所によっては熊が出るらしいと聞いたこと。それをふと寝しなに思い出し、もし平地で熊と遭遇した場合、生き延びる見込みはあるのだろうか、と考え出してしまった。以降、ぐるぐると様々なパターンに頭を巡らす。

「……あっちの立ち入り禁止の道から熊がやってきて……まだ距離はある。近くには展望塔があるから追いつかれる前に中に入れば………だめだ死んだ追いつかれた」

「……あの慰霊碑があるあたりは雪がだいぶ残っていたからな………何とか回り込むように逃げて………あー死んだ」

「……熊は鼻を殴るとひるむって聞いたことがあるな……実際どうか知らんけど。正面から思いっきり殴って……いやどう考えても先に爪でザックリだな。喰われて死ぬわ」

「いや、うまいこと熊の打撃をかわせたとしよう………いやかわせるわけねぇな死んだ」

「いっそ大きく開いた口に腕を突っ込んで舌を掴んでみたらどうだろう。噛まれて死ぬか」

「丸腰はちょっと分が悪いから弓矢を装備していることにしよう。それも既に弦を張っているやつ。熊の目玉を狙って冷静に………だめだ胴作りしてる間に喰われた」

「そもそも熊の目玉なんか狙えねーし。動かない的すら外すし。ここ何年も弓触ってねーし」

「そうだ奥多摩湖に逃げるのはどうだろう! 骨折するかもしれないけど意を決して飛び込んで………あーだめだ寒くて泳げなくなって溺死した」

「寒いかもしれんけど着ているジャケットを脱いだ方が泳ぎやすいだろうか。………だめだジャケット脱いでる間に追いつかれたよ」

「奥多摩湖に飛び込むことに成功! うまく泳ぐことにも成功! あああああ熊も飛び込んできた死んだー」

「じゃあえーと今度は………熊が岸辺に待機していて陸に上がれない………あー凍死した」

「ダムの内側に落ちて熊から逃げることは出来たが………人通りが少なくて助けを呼べずに死んでしまった………」

「奥多摩湖に逃げるのはだめだな。ダムのへりに立って熊を誘って、突進してくる熊を華麗に避けて奥多摩湖に落とす作戦で行こう。………あー失敗した一緒に落ちた」

「華麗に逃げる! しかし逃げるのが早く熊はすんでのところで落ちなかった! バランスを崩す自分! 襲い来る熊! 死んだ!!!!」

「持ち物を確認しよう………財布と定期と携帯電話と手袋しか無いな………」

「ナイフがあっても熊の筋肉には勝てる気がしないよなぁ」

「そもそも接近戦なんざ無理があるしなぁ」

「でも思い切ってナイフをザックリ………だめだー返り討ちだー」

徹底したリアリティ。見事なまでにヒーロー補正がかからない。

しかも考えているうちに興奮してきて、思いつく限りのパターンを出し尽くした後も眠れなくなり、そのうえ考えても考えてもバリバリ喰われて死んでしまうので、何だか悲しくなってしまい、ますます眠気が遠ざかり、朝、何て自分は馬鹿なんだとだるい体を起こしながら呆然とした。今後一生熊には会いたくないと思った。動物園以外で。


2013年1月21日 (月) 緑茶カウント:2杯
椅子を改造した。改造、というと大層な様子だが、実際は肘置きを外しただけである。無論肘置きがあった方が便利ではあるのだが、この肘置きが机の側面に突っかかってしまうため、椅子を内側に収納出来ないのである。広い部屋ならばそれでも問題は無かろうが、我が家は物物物の物で溢れた狭い部屋。椅子が出っ張っているだけで圧迫感が増すのである。で、取った。

簡単な組み立て家具を組み立てる程度しか出来ないが、こういう作業は結構好きだ。ドライバーを持つとわくわくする。ホームセンターを歩くのも好きだ。だが、大物に挑む度胸は無いので組み立て家具程度しか組み立てたことが無い。一度一から本棚を作ってみたい、と思ったりもするのだが。失敗が恐ろしいし、何より置く場所が無いしな。現状はね。


2013年1月20日 (日) 緑茶カウント:3杯
奥多摩湖、とりあえず画像だけ。あとで追記の予定。




奥多摩湖。




奥多摩湖を囲む山。この日は雲一つ無い見事な晴天で、青い空がとても美しかった。




指が写り込んでしまった。プールみたいなものは水褥池。すいじょくち、と読む。




展望塔に向かうまでの通り。




展望塔に向かうまでの通りから撮影。




水面が太陽光をキラキラ反射して綺麗だったなぁ。




お昼は釜飯を食べた。




屋根の上の「釜めし」という字の並びが気になる。




移動して山梨県へ。丹波山村の道の駅から。




空気が澄んでいて気持ちよかったなぁ。




そういえば道の駅そのものの写真は全く撮らなかったんだな。


途中山道で野生の猿、奥多摩湖でトンビを見たがそれらの写真は撮影出来ず。

この日はとにかく天気が良かった。それと非常に静かだった。自分と友人以外の話し声がほとんど無く、あとは風の吹く音だけ。こんなに音が少ない場所にいるのは久しぶりだったように思う。喧騒からの解放を求めて来たわけでは無いが、心休まる思いがした。


2013年1月19日 (土) 緑茶カウント:1杯
奥多摩湖に出かけた、というよりも連れて行ってもらった。展望台から見下ろすでかい湖、山を覆いつくす見事な雪景色、雲一つない快晴、旋回するトンビ、じわじわと車道を侵食する凍りかけた雪、野生の猿、車道の真ん中を堂々と歩くおばあさん、走り抜けるマラソンランナー達、街灯の上に佇むゆるキャラなど、見所盛りだくさんで非常に面白かった。いくつか景色の写真を撮ったのでアップしたいが、マイクロSDの殻が見つからないためそれはまた明日にしようと思う。

ただ本当に我ながらどうかと思うのは、自分は運転免許を持っておらず、その上地理感覚が絶望的に無く、地図を読むことを非常に苦手としているため、ここからここに自動車に行くまでどのくらいの時間がかかり、どのくらい疲労するのか、ということがさっぱりわからず、行き先や経路を判断するのに糞の役にも立たないことである。何もかも任せっきりなのはまずいよなぁと思いつつ、せめて地図くらい読めるよう練習してみようかと考えている。主要な道路の名前くらいは覚えておきたいものだ。


2013年1月18日 (金) 緑茶カウント:0杯
明日はだいぶ寒いところに出かけるため五時起きの予定で、五時に起きるために二十三時半に寝る予定だが既に予定を超過していて、今慌てて日記を叩いている。明日の持ち物はどうしようかと考えた時間が無駄だった。考えた挙句いつもどおりで良しという結論に達した。その代わり服はいつもより厚手の服で。暖かくして出かけるぞ。


2013年1月17日 (木) 緑茶カウント:0杯
腰痛から完全に解放されて清清しい気分と言いたいところだが、二日酔いにより今日一日地獄の苦しみを味わった。呑み会に参加するにあたり、目標として「呑みすぎない」ことを胸に抱えたにも関わらず。一つ言い訳をさせていただくならば、ピッチャーは危険だ。次から次に注がれるから自分の呑んだ量を把握出来なくなるのである。

しかし会そのものは非常に楽しく、「こんなに上機嫌なウヲさんを見たのは初めてです」「すごくふわふわしてましたね」と言われるほど。普段の自分は機嫌が悪く見えるのだろうかという疑問もあるにはあるが、楽しかった。すごく楽しかった。浮かれてしまった。浮かれてしまった挙句がこの有様だ! 今日の自分はきっと、すこぶる機嫌が悪く見えたに違いない。


2013年1月15日 (火) 緑茶カウント:0杯
朝起きて恐々外階段の様子を確認すると、日差しで雪が溶けてステップが露出していたので、自分は安心して玄関のドアーを閉じてこたつの中に引っ込んだ。良かった。もしもあのまま雪が凍って氷の滑り台になってしまっていたらどうしようと危ぶんでいたんだ。それはきっと愉快な気持ちで滑ることが出来るだろうが、滑ったらそれっきりの滑り台ゆえ登ることが出来ないのだ。忘れ物をしたらアウトである。

腰の調子もだいぶ回復してきたし、些細なことだが良いことが続くと嬉しい。腰もこのままずっと治らなかったらどうしようと思っていたのだ。腰痛になりやすいことは自覚しているし、今後はもう少し早めに処置をするとしよう。雪かきも出来ない体はなかなか不便だと痛感したのだ。


2013年1月14日 (月) 緑茶カウント:3杯
階段がただの坂と化していて、唖然とした挙句に外出を諦めて玄関のドアーを閉じ、もう一度開けて現実を再確認し、またドアーを閉じた。外階段に積もった大雪が階段を埋め立て、急勾配の坂に変えてしまっていたのである。こんな大雪は見たことが無い。

もともと、雪とはほぼ無縁の群馬県で育っていたのもあるが、一人暮らしで群馬を出てからも大雪に見舞われた経験はほとんど無く、積もったとしてもせいぜい十センチ程度。よって長靴も雪かきの道具も必要としたことが無かったのだ。結果、今この降り積もった大雪に対し抗う術が一つも無い。

どうすんだこれ。

無理を承知と虫捕り網で雪をすくって捨てようとしたが、水分を多く含んだ雪は非常に重く、腰痛を悪化させる危険性もあったため、早々に諦めて、寝た。一日中布団にくるまりながらジョジョを読み、明日、果たして無事外に出られるのだろうかと遠い目をせざるを得なかった。最低長靴とチリトリ程度は仕入れよう。今後のためにも。


2013年1月13日 (日) 緑茶カウント:2杯
未だ痛むが、毎日通い続けることでだいぶましになってきた。腰痛の話である。常にズキズキと刺さる感覚がし何をしても痛みから逃れられなかったときに比べれば、歩行の衝撃で腰を抑える必要が無くなったのは感謝の極み。有難いことである。

しかし困ったのが運動を出来ないことで、正月太りの分を解消しようと思っていた矢先にこの腰痛、食べる量が減った分体重はじわじわと元に戻りつつあるものの、体が若干たるんでしまった気がするし、せっかく身に着いた習慣がまた体から離れてしまいそうなのが不安なのである。実際やらなければ楽であるし。だが、この習慣は続けたいのだ。健康のために。

そうは言っても今無理をして悪化の一途を辿るのは阿呆の極みと言えるので、若干の焦りを感じつつ安静に過ごしている。明日も明日とて整体通いだ。他には何をしようかな。


2013年1月12日 (土) 緑茶カウント:4杯
友人が新年の抱負を考えてくれた。その抱負は仲の良い友達にメールの一斉送信で伝達されており、送信された友人達それぞれの今年の抱負が書かれていた、と書くと他人の抱負をわざわざ考えてくるなんて、と押し付けがましく感じられるかもしれないが、友人は日頃からしょっちゅう様々なネタを一斉送信してくる人物であり、そのメールの数は九百通を超え、多いときには一日に十通も送信されることもあるが、受信者は全員そのメールを歓迎しており、素敵な読み物として皆に喜ばれ愛されているという背景がある。さて、自分の抱負はと言うと。

「身長を一センチ伸ばす」

無茶振りにも程がある! と、言うのも悲しいが無理じゃねーかこんなもん! まぁ無理ってわかっているからこそのネタなんだろうけど畜生め! 伸ばせるもんなら伸ばしてぇよ!

と、書きつつ実際のところ気分は全く害していない。背が低いのは非常に残念ではあるが、もう十センチ二十センチほど欲しかったのも正直な気持ちだが、深刻に気にしてはおらず、便利な自虐ネタとして使える程度のコンプレックスであるのだ。他の友人の抱負も、中には「結婚」などの現実味のあるものも存在しつつ、ほとんどはなかなかの無茶振りであった。体重十キロ減らせと指定される方がまだ何とかなりそうだ。いや、無理だけど。

ぶら下がり健康器でも買ってみるか。冗談です。


2013年1月11日 (金) 緑茶カウント:0杯
腰痛だが、思いのほか酷かったようだ。しばらく続けて整骨院に通おうと思う。難儀なことになったなぁ。


2013年1月10日 (木) 緑茶カウント:0杯
立っても座っても歩いても横になっても逃れられない腰痛の束縛。ズキズキと肉と骨に刺さるような痛みが常に腰にあり、波の狭間で時には多少落ち着くこともあるものの、ひどい波が来たときには吐き気すら感じかけたほどだ。湿布を貼り、鎮痛剤も飲んだがほとんど効果が得られない。

ここまで痛んでも腹は減るのだからおかしなものだ。特に年末年始実家でご馳走を大量に喰らったせいか、胃が大きくなったらしく、このところ食べても食べてもすぐに腹が減って困っているのだが、今日くらい別に腹なんぞ減らなくても良いじゃないか、と思わざるを得ない。仕方無しに痛む腰を抑えてヤキソバを作った。紅茶も淹れた。明日こそは必ず整体に行く。あぁ痛い。


2013年1月9日 (水) 緑茶カウント:2杯
あんなに寒いと思っていた下宿先が暖かく感じるのは、群馬の実家があまりにも寒すぎたためである。全身を布団の中に埋めているのに明け方寒さで目が覚めて、辛くて寝直すことが出来ない。自分が十年以上暮らした我が家はこんなにも寒い土地だっただろうか。布団の中で呆然とせざるを得なかった。

冬は凍てつく寒さで、夏は蒸し殺されるように暑い。気候的にはやや暮らしにくいかもしれないが、やはりこの土地が好きだなぁと思いつつ、別の土地で暮らしている。いつになるかわからないが、いつかまた戻ってきたいものだ。

とはいえ、あれやこれやを観に行くならばこっちの方が便利なのだよなぁ。とすると、自分が群馬に戻るのは、自分の好きなあれやこれやの人々が引退した後になるのだろうか。思えば自分が好いている人々は皆年代が上である。すると自分が四十になったとき、観たいと思える人々の公演があるかどうかわからないのか、と思うと少し寂しくなり、もう少し下の年代で新規開拓した方が良いのだろうか、と思うこともしばしば。まだ先の話だが。やはり気が早いかな。


2013年1月8日 (火) 緑茶カウント:2杯
腰痛に悩まされ、あまりの痛みに眠ることさえ覚束ず、整体に通いだしてから一年は経っただろうか。施術を受けてからは随分と楽になり、以来週に一度は厄介になっている。整体師曰く、背骨は本来であればS字型のゆるやかなカーブを描き、衝撃を吸収する役割を果たしているのだが、自分の場合は背骨がまっすぐなため衝撃が直に腰に来てしまい、それが腰痛の原因になるとのこと。これはどうやら生まれつきらしい。父も祖母も同じ型だそうだ。

今、腰痛にに悩まされ、あまりの痛みに眠ることさえ覚束ない。年末年始の帰省中整体に行くことが出来なかったこと、実家のベッドが体に合わなかったことが原因でないかと思われる。ベッドに関しては小学校から高校まで同じものを使用していたので今更のように思えるが、起床のたびに腰に違和感を抱くようになったのできっと合わなくなってしまったのだろう。

とりあえず今は腰に湿布を貼り、なるべく負荷をかけないよう注意をしながら生活をしている。一人暮らしでぎっくり腰をやってしまったら洒落にならない。どうか大事になりませんように。


2013年1月7日 (月) 緑茶カウント:0杯
夕飯に七草粥を食べようと思って夜中スーパーに行ったらすっかり七草のセットが無くなっていて、少々がっかりしながら帰宅したらそもそも家に米が無かった。

冷凍うどんを使って味噌煮込みうどんを作って食べた。美味しかった。


2013年1月4日 (金) 緑茶カウント:16杯
毎日ご馳走を食べてお酒呑んでゴロゴロしていたらあっという間にたるんでしまった。

まぁ、そんなものだよな。


2013年1月1日 (火) 緑茶カウント:3杯
新年明けましておめでとうございます。今年もどうぞよろしくお願いいたします。

ちなみに年賀状は今ペン入れが終わったところである。のっけからこの出だし。もう開き直るしかない。


2012年12月31日 (月) 緑茶カウント:0杯
可愛い可愛い我が家のアレルゲンと共に年越しの準備を進めている。

非常に残念なことながら、アレルギー検査の結果、猫、ダニ、杉、ヨモギのアレルギーであることが判明した。ある程度予測はしていたもののこれはなかなかショックである。まさかよりにもよって猫アレルギーになるなんて。

しかし今のところ症状は発症していない。寝室には絶対に猫を入れないようにし、一日三度の目薬をきっちり差し、猫に触れたら手を洗い、衣服についた毛をしっかり取り除くという行為を続けているためだろう。愛する飼い猫と寝られないのは悲しいが、共存出来るだけ有難いものだ。今後は薬を上手に使いながら猫との生活を楽しみたいと思う。


2012年12月28日 (金) 緑茶カウント:0杯
ずっと気になっていたので、明日はちょっくらアレルギー検査を受けて来ようと思う。というのもこのところ、実家に帰るたび、症状に差はありつつも湿疹が出来たり目が腫れたりすることが続いていたのだ。他でそのような症状が出たことは無い。

思い当たる点は埃か猫のどちらかといったところ。あぁ、どうか猫だけではありませんように。結果を見るのは恐ろしいが健康的に過ごすためには対処の方法も必要だ。腹を括って行って来るのだ。


2012年12月27日 (木) 緑茶カウント:0杯
未だ全く年賀状に手を付けていない現実から目を逸らし続けている。しかし首を向こうにやるのも限界で、そろそろ直視しなければならない。

まずい。


2012年12月25日 (火) 緑茶カウント:1杯
昨日と一昨日を全力で楽しんでしまったため、クリスマス当日の今日はケーキも食べずふつーに過ごしてしまった。と、言いつつケーキは昨日食べたのだが。今日は醤油ラーメンを食べた。

そういえば今年は鶏を食べ損ねた。よーしクリスマスだからカツでも食べるかーと一口ヒレカツを二枚とカニクリームコロッケを二つ買って美味しく頂いたが、カツは豚だしコロッケはカニだ。チキンからケンタッキーを連想し、ケンタッキーから揚げ物を連想して道を誤ってしまった。食べ終わってから気付いた。

まぁ良いか。美味しかったし。


2012年12月24日 (月) 緑茶カウント:1杯



興味を抱きつつも他の色々なことに気をとられているうちに気付けばチケット完売、しかしもしやと問い合わせてみれば席数に限りはあるものの当日券の販売はあるとのこと。だが、今月は大分散財してしまったし、と悩んだが、せっかくのクリスマスイブということで腹を括ることにし、いつもより早く起きて家を出て、見事当日券を手に入れた。ケラリーノ・サンドロヴィッチ脚本・演出の芝居「祈りと怪物」。休憩時間込みで四時間越えの大作だ。

自分は芝居と縁が薄く、今まで観たことがあるものと言えば学校の演劇教室と、演劇部の友人が手がけた芝居、それと筋肉少女帯が関わっているエンゲキロックこと「アウェーインザライフ」くらい。芝居の良し悪しもわからない人間であるが、四時間があっという間。退屈する暇もなく終わってしまった。途中十分の休憩時間が二回設けられていたのだが、休憩時間を迎えるたびに終わりが近付いていることを感じ時間の経過が惜しまれた。

この物語の着地点はどこなのだろう、と考えながら観劇をしていた。物語の舞台は「ウィルヴィル」という架空の町。町はドン・ガラスという横暴な独裁者とその三人の娘が幅を利かせており、些細なことで住人は殺され、被差別階級の人間達はより一層の差別に喘ぎ苦しんでいる。教会の司祭は呑んだくれで、荒廃した教会のミサに訪れる者は無く、司祭の弟子すら神を信じず夜な夜な幼馴染とともに盗みを働いている。ドン・ガラスに対抗するための地下組織が秘密裏にことを進める中、それぞれの思惑を持ったよそ者達が町を訪れ、ドン・ガラスの三人の娘達に直接的・間接的に影響を与えていく。

物語が進むごとに町は破滅へと向かっていく。それはまるで向かうべくして向かっているかのようで、自然と言えば自然だ。横暴な独裁者が住人の反感を買うのは当然であり、独裁者を破滅させようとするグループが生まれるのも自然の理。ただ、面白いのが、町を破滅へ導く一番のきっかけを作ったのが独裁者を倒すべく活動していた「地下組織」の面々では無いということだ。

町を破滅へ導く大きなきっかけを作ったのは自称錬金術師の手品師と、そのお供の白痴の青年である。自称錬金術師は教会の司祭と手を組んで、「インチキ」で町の住人に神の奇跡を見せ、神と教会への信仰を取り戻し、願いが叶う奇跡の粉を売りつける。それはただのライ麦粉のはずだったが、白痴の青年に「不思議な力」が備わっていたため、インチキだったはずなのに、小さな奇跡が至るところで本当に起きた。だが、白痴の青年の体調が急変したことで奇跡の力は悪魔の力に変わり、粉は人々を異形に変えて命を奪い、また、人々の気を狂わせた。

そしてもう一つ、淡々と破滅を生み出して行ったのも「よそ者」である。被差別階級の母親のもとに生まれ、自身も被差別階級の者として背中に焼印を押され、赤子のときに母親とともに海に捨てられた。赤ん坊は母親の死体を喰らって生き延びて、自分と母親を殺そうとした父親を殺す呪いを完成させるため旅を続けている。呪いには人の生首や目玉、内臓などの様々な供物が必要とされ、青年は自身の望みを達成させるため、上手い具合にドン・ガラスの家に居候として入り込み、三姉妹の次女を惚れさせ、善人の顔をしながら殺人を続けていく。そして最後に、青年とその母親を殺そうとした男がドン・ガラスであることがわかり、隠されていた因縁が明るみに出るのだ。

奇跡の粉が悪魔の粉に変わり人々に異変を与えるのと同じ頃、地下組織はリーダーがドン・ガラスの手によって拷問を受けたことでただの暴徒の集団と化し、町は力を無くして行く。だが、ドン・ガラスと三姉妹は町に活気があったときと同じように、自分達に都合の悪い者を容赦なく殺して行く。町には死人が溢れ、町として機能しなくなり、崩壊への道を転がり落ちて行く。

新しい異変の波が起きたにも関わらず、異変の大きさの危機性を重要視せず、今までどおりの横暴な振る舞いを続けた結果、ドン・ガラス一家は波に飲まれて破滅した。これでおしまい、めでたしめでたし………というわけでも無い。そういう、悪い奴はいなくなりました良かったね、という話では無いのである。ドン・ガラス一家は横暴でいけ好かない独裁者だが、この一家は一家なりの倫理観を持っており、また、他の登場人物も善と悪では区分けできない、いや、区分けしにくいそれぞれの内情や事情を持っていて、それがぐちゃぐちゃに絡み合って交差して、殺し合いの末結果としてほとんどが死んでしまった、というものなのである。正直後味は、悪い。

ただ「御伽噺」風になっているためか、後味の悪さはいくらか緩和されている。人間関係のぐちゃぐちゃ加減はリアルなのだが、人を食べるオオイソギンチャクや、人間の苦痛を電力に変える機械に、奇跡の力という魔法の存在、笑いながらピストルをぶっ放して遊び踊る三姉妹の異常性の高さが、舞台と観客の間の地続きを破壊し、線引きを作ってくれていて、物語の一員ではなく第三者の視点で見ることが出来るのである。おかげで観終わった直後はどんよりした気分にはならず、笑顔で拍手喝采を送ることが出来た。

また、パスカルズの音楽と、舞台装置も非常に良かった。ある場面で舞台が真っ暗になり、舞台セットの輪郭がかすかにぶれながら赤や緑に光る場面があったのだが、それがまるで手書きのアニメーションのようで、ぐっとフィクションっぽさが増したのである。音楽もおもちゃの笛のような音や太鼓の愉快な音が、どこかチープで、安心感を与えてくれるのである。時間と予算があればもう一度観に行きたいものだなぁ。


2012年12月23日 (日) 緑茶カウント:3杯



今年最後の筋少ライブに行ってきた。毎年この天皇誕生日に行われるライブは少し特別で、開演前や終演後にクリスマスソングが流れたり、オーケンがクリスマスにちなんだMCで客をいじったり、橘高さんがアンコールで真っ白なドレスに身を包んだり、橘高さんとドライブ出来る権利が抽選で一名のみ手に入れられる福袋が物販で販売されたりする。去年一昨年は都合により参戦出来なかったため、今日リキッドルームに行けることをそれはもう嬉しく思ったものだ。

楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。楽しいと言いつつ前方ゾーンに突っ込んだため半分は戦っていたようなものだが、いやあもうなかなか、今年最後で皆気合が入っているのだろうか、いつもよりもきつかったように感じる。アンコールでのサンフランシスコ、釈迦の流れはとりわけすごく、釈迦での折りたたみでは激しさのあまり転倒しそうになった、何とか踏ん張ったが、あれはすごかったなぁ。

そして手にした戦利品。アンコールでおいちゃん、橘高さん、内田さんがそれぞれお菓子をオーディエンスに投げ、うち一つを手に入れることが出来た! 橘高さんの投げた飴である。さらに! おいちゃんが差し出したギターに触らせてもらうことも出来た! 今までギターを差し出す場面は何度も目にしたが、距離があるため触れることが出来ずにいた。それが! ついに!! 必死に手を伸ばして良かった!!

さて、以下は記憶している限りのセットリストである。とはいえ、正確かどうかはわからない。蜘蛛の糸とバトル野郎の位置は正直ちょっと自信が無い。


アウェーインザライフ
ワインライダー・フォーエバー

日本印度化計画
カーネーション・リインカーネーション
心の折れたエンジェル

くるくる少女
ノゾミのなくならない世界
サボテンとバントライン

筋肉少女帯あるある(少女の王国に乗せて)

新人バンドのテーマ
爆殺少女人形舞一号
Guru〜最終形〜

イワンのばか
蜘蛛の糸(皆で大合唱)
バトル野郎〜100万人の兄貴〜

これでいいのだ
労働者M

〜アンコール〜

俺の罪
SAN FRANCISCO(エピローグ)
サンフランシスコ
釈迦


クリスマスに(正確にはまだ天皇誕生日だが)よりにもよって蜘蛛の糸の大合唱もなかなかひどいと思ったが、本編ラストに労働者Mを持ってきて「働け働け〜働いて筋少にお金をつぎ込め〜」と煽るオーケンは結構! 蜘蛛の糸とは別の意味で! ひどかったと思います! 「労働者M」をやると宣言したとき客席から「おー」とも「うわあ…」ともつかない声が聞こえたが、あれは喜びかげんなりか、どっちの声だったのだろう。格好良い曲だとは思うが、正直クリスマスにはあまり聴きたく無い曲である。

クリスマスにちなんだMCとして、オーケンによる筋少ファンの分析トークが始められたのは「心の折れたエンジェル」が終わった後だったか。「筋少のお客さんはどちらかと言うとリア充死ねって方だよね!」なんてひどいことをおっしゃるのか。そして「次の曲は妄想に囚われた女の子の曲です………まぁ筋少ってそんなのばっかりだよね」と自虐ネタに落として「くるくる少女」「ノゾミのなくならない世界」に、「サボテンとバントライン」! 「ノゾミのなくならない世界」は何となくやるような気がしていて、同時にやってほしいと願っていたので嬉しい限り。ドコドコと疾走するドラムが気持ち良い。

大阪でやったライブで「筋肉少女帯あるある」というギター漫談のようなネタをオーケンが披露したそうで、流石大阪と言うべきか、ナイスなツッコミがポンポン客席から入ったらしい。しかしここは東京で、それをオーディエンスに期待するのは酷なこと、ということでメンバー唯一の関西人である橘高さんにツッコミを入れてもらい、それに追随するかたちで客席もオーケンにドシドシツッコミを入れることになった。ネタ自体は「ファンと自称している人がブログで筋肉少女帯の帯の字を間違えている」「おいちゃんが定位置にいない」「ワダチが何故か特別扱いされる」など。他にもあった気がするが忘れてしまった。

今回の個人的なハイライトは「爆殺少女人形舞一号」。この曲だけは目を閉じて聴いていたい。ライブで聴くたびに、初めてアルバムで聴いたときの「筋少はこんな曲も作れるんだ」と思ったときの感動が蘇る。

Guruはオーケンのお気に入り具合とファンの間での評判の高さに反して、自分の中ではあまりピンと来ない曲なのだが、今日はやけに良いなぁと感じた。そのうえで改めて思ったのだが、自分はGuruの曲自体は好きなのかもしれない。ただ歌詞が綺麗すぎると言うか、何か違和感があるのである。それがどうにもしっくり来ないのだ。

Guruの後、フェスで「筋肉少女帯の大予言」とその日限りの改名をしたことと、マヤの予言が外れたことを繋げ、では今日ここで筋肉少女帯の大予言を再現しよう! 筋肉少女帯の大予言はマヤの予言と違って必ず当たるぜ! とオーケンが煽る。おお、オーケンは何を予言してくださるのか………と期待が満ちた瞬間、あの男が北の国からやってくると予言! あの男とは………もちろんイワンだ!

イワンか!

いや、ちょっとここで新譜の発表が来るかなーなんて期待してしまったのだよ! 来年のスケジュールが来るかなーと思ってしまったのだよ! イワンに罪は無いが少しずっこけそうになった。新譜作ってくれないかなぁ。

とはいえ、来年はデビュー二十五周年記念ということで、ちょっと面白いことをやる予定らしい。三月のライブも発表されたので、まだ期待は出来るかもしれない。心待ちにしているのだよ。どうか来年こそお願いします。

アンコールではオーケンが血染めの白衣に黒縁眼鏡という出で立ちで登場。映像での知識でしか無いが、仏陀Lの頃の雰囲気があって怪しくて格好良い。と、いうことはやってくれるかなと思ったらまさかサンフランシスコと釈迦を続けてやるとは! これはもう盛り上がらないわけが無い。「俺の罪」「SAN FRANCISCO(エピローグ)」で落ち着いていたオーディエンスがいきなり爆発した。自分も含めて。

「SAN FRANCISCO(エピローグ)」はオーケンが台詞を語るとステージから姿を消し、アコースティックで演奏された。今回のライブは定番曲が多く、自分が初めて聴いたのはこれだけである。「うわあ、これが聴けるんだ!」という大きなサプライズは無いが、これはこれでやはり楽しい。

そうそう、アンコールでおいちゃんは赤いミニハット、橘高さんは大きな赤いリボンと赤いケープを身に付けて登場したのだが、あれはアンコールの始めだったか終わりだったか。おいちゃんは開演直後にもミニハットを付けていて、「いかにもクリスマスらしいなぁ!」と嬉しく思いながら眺めていたのでアンコールではさほど驚かなかったのだが、橘高さんの格好には度肝を抜かれて変な声が出た。何がすごいって似合っていることである。不自然に若いわけでは無く、きちんと年齢を重ねた面立ちをしているのに、しっかり調和しているのだからすごい。良い歳のとり方をしている人だと思う。

手に入れた飴は目玉おやじの貯金箱にお供えした。一緒に以前手に入れた橘高さんのピックもお供えしてある。そういえばこのピックも三年前の今日のライブで手に入れたのだった。またクリスマスプレゼントをいただけることになろうとは。この飴はいつ食べようかな。


2012年12月22日 (土) 緑茶カウント:2杯
親しい友人との楽しい呑み会を終え、その時点でも結構呑んでいたが、帰り道にここ数日気になっていたバーに立ち寄り一人で三次会に突入し、べろべろに酔って帰っていつの間にか気絶、目が覚めたら着座姿勢でこたつの前、時刻はいつの間にやら朝の五時、というどうしようもない酔っ払いっぷりを発揮していたのだが、そこまでべろべろに酔っているくせにきちんとその日の出費を家計簿に記入していた自分がよくわからない。

1501円が15001円になっていたり、ローソンでの買い物が全て百円ショップになっていたり、細かい間違いはあるものの品物・金額・店名をこまごま記入してあった。素面のときでさえ必ず毎日つけているわけではなく、数日まとめて記録することも多いというのに。正直家計簿をつける気力があるならシャワーを浴びて着替えてきちんと布団で寝るべきだろう。そのあたりの優先順位がわからないあたりが酔っ払いと言ったところか。

昨夜の自分には呆れるが、まぁ、まだ付け始めて一月経つか経たないかといったところだが、この様子なら今後も継続出来そうだな。


2012年12月20日 (木) 緑茶カウント:0杯
このところ毎日毎日甘いものを食べているので少し節制しようと思いつつ、家の中にやたらと甘いものがあるので節制に失敗することを既に予期しているが、せめて一日一つとか、その程度にしたいと思う。

疲れるとつい手が伸びてしまうから困ったものだよ。疲れなくても手が伸びてしまうのだから尚更困ったものであるよ。ははははは、ダメ人間。


2012年12月19日 (水) 緑茶カウント:2杯
多分猥談めいたことをしたいのだろうと察しつつ華麗に受け流し黙秘を貫く夜。

良いかい、あなたがそれを見てそのような感想を抱くのは自由だが、それに対し同意を求めても、自分は黙るばかりだよ。

泊まりにきた客人に茶を淹れる間、本棚を自由に見て良いよ、と許可したところ、客人が手に取ったのは裸の女性が様々なポーズをとっている絵の練習用のポーズ集。歩く走る座るといった基本動作から、踊る跳ねる寝そべる仰け反ると種類は豊富。淫靡な雰囲気は無いものだが、それはなかなか「面白いもの」だったらしい。

「うわぁっ! こんなのあるんだ!」
「珍しいもんでもないよ。そこらで売ってるし」
「うっわこの格好すごい!! ひえー大胆」
「練習用のやつだからね。いろんなポーズがあるよ」
「みんな胸小さい…。もっとグラマーな方が…」
「痩せてる方が体のラインがわかりやすいだろ」
「これこんなんなっててすごい」
「………」
「これとか。これとか」
「………」
「これなんてああでこうであれこれどれそれ」
「………」

あなたがそれから何を連想しようと勝手だが! 自分は! 絶対! 乗らないからな!!

しかしポーズ集から助平なことを連想する奴としない奴では、実質どちらの方が健全なのだろう、と思わなくも無く。まぁ、何だ、楽しそうでようございました……。


2012年12月18日 (火) 緑茶カウント:0杯
睡眠不足のあまり日中の生活に支障をきたしているので今日は寝る! おやすみ!


2012年12月17日 (月) 緑茶カウント:0杯
子供の頃はあんこがあまり好きではなかったが、いつからかだんだん好きになってきて、最近では好きを通り越して大好きになり、今日などは噛み潰した最中から漏れ出す甘さに心の底から感動してしまった。何て美味しいのだろうか。

このところの気に入りは、セブンイレブンで売られている小さな和菓子の詰め合わせを買って、それをちょこちょこ食べること。最中、どら焼き、栗饅頭、一口羊羹などなど、種類豊富でとても楽しい。受け狙いで買ったくせにすっかりはまってしまったのだから驚きだ。あんこをこんなに好きになるなんて思わなかったなぁ。


2012年12月16日 (日) 緑茶カウント:5杯
知り合ってからまだ月日が浅い人に、ふと「ウヲさんの付き合っている人ってどんな人ですか?」と聞かれた。え、と驚きつつ思考を巡らす。何故付き合っていること前提で話しかけられているのだろうか。

考えられることは、自分が何か誤解を与える発言をしたか、もしくはこのくらいの年齢ならばいるものだろうと判断されたといったところか。ちなみにそろそろ十年越しの付き合いになる友人にこんなことを言われたのだがと話したところ、「ライブたくさん行ってるから誰かと行っているように思われたんじゃない」と一つの案を提示してくれた。そうか。常に一人で参戦しているのでライブは一人で行くものだと思っていたが、そういう発想もあるのか。

そして迷ったことと言えば、いっそ特別否定しないでおいた方が楽なのだろうか、と思ったことだ。何か適当に誰かと付き合っていることにしておいた方が面倒くさいことにならないかもしれない、というのも以前特別相手がいないことを伝えた結果、良い人を紹介してあげますと親切心で色々セッティングされそうになって、お気持ちだけで結構です、と断るのに苦労したことがあったからだが、嘘の泥沼にはまる方がよっぽど面倒くさそうなのでやんわり否定しておいた。

結婚する友人が続々増えていく様を眺めていると、改めてこういう年齢なのだなぁと思う。


2012年12月15日 (土) 緑茶カウント:1杯
友人の結婚式に出席した。高校の美術部仲間が集まり、久しぶりの近況報告を交わした後に教会式に参列。巨大な十字架を背にした牧師が姿勢を正し、これから夫婦となる二人が互いに支え合って生きていくことを神に誓わせ、賛美歌を歌い、退場する二人の頭上に我々は花をばら撒いた。

友人である新婦はとても幸せそうで、色々と苦労をしてきたことを知っていただけに感慨深いものがあったが、一つ気になることがあり、披露宴の後、せっかくの再会だし帰る前にちょっと寄って行こうか、と友人達と入った喫茶店でそれについて話した。

「あのさ。いや野暮なツッコミだとは思うんだけどさ。教会式のときに誓ってた神って、どの神だろう」

状況から考えればキリスト教の神である。だが、新郎新婦はキリスト教徒ではない。無論これは結婚式におけるお約束の「儀式」であり、軽い表現をするならば「イベント」と言えるもので、深く考えるものではないだろう。だが、こんな大事なことを普段ほとんど縁もゆかりもない神に誓ってしまって良いのだろうか……、と思っていたのだ。

水を差す内容であることを自覚しつつの発言だったが、テーブルは納得の表情。意外なことに皆似たようなことを感じていたらしい。

「あぁそれは思った」
「天照大神と勝手に解釈した」
「いややっぱ牧師がいるし十字架あるしキリスト教の神様じゃね………?」
「でも何というかこう………遠いよなキリスト教って」
「賛美歌もぶっちゃけ結婚式でしか歌わないからなぁ」
「何かこれメロディは知ってるから何となく歌えるけど歌詞は全然知らないんだよね」
「それ第九だよ」
「まぁ日本は神様いっぱいいるからそのうちの一つみたいな感じで良いんじゃね」

その後「私は聖☆おにいさんを連想した」という一人の友人の発言から話題は漫画の話に飛び移り、ジョジョの二部のアニメがなかなか良いと聞いたので、レンタルが始まったら借りようと心に決めた。こうして高校時代のような話が出来たのもかの友人のおかげである。たくさんの色々な神様に見守られながら、二人が幸せにやっていってくれますように、とおぼろげな神様に願いつつ。おめでとうございました。


2012年12月14日 (金) 緑茶カウント:0杯
今日は非常にジャンクな日だった。何と朝昼晩と合わせて、一度も調理をしていない。朝は買ってきたパンを食べ、昼はマクドナルドを食べ、夜は味噌ラーメンと餃子を食べた。手抜きに手抜きを重ねて満ち足りた気持ちである。たまにはこんな日があっても良い。


2012年12月13日 (木) 緑茶カウント:2杯
寒さが続く昨今であるが、寒さ対策のためついにあるものを購入した。ずっと買おうか買うまいか迷っていて、特にこれといったきっかけは無かったが、本日ついに購入を決めたのだ。「あずきのチカラ 首肩用」を。



あずきの入った袋を電子レンジで加熱して、あずきの蒸気で首と肩を温めるという代物だ。お値段は千五百円支払って少々のおつりが戻るくらい。これの目元用、アイマスクの中にぎっちりあずきが詰まった代物を去年は愛用していて、その心地良さ気持ち良さは体感済み。自然首肩用への期待も膨らむ。さぁ、開けるぞ。



開封の瞬間はいつだってわくわくするものだ。想像よりもしっかりしたつくりにやや驚く。ちなみにこちらは一回限りのものでは無く、繰り返し使用することが出来、説明書によると二百回は楽しめるそうだ。



広げてみる。結構ずっしりしって重い。さて、電子レンジで温める前に、この品は洗えないのでしっかり電子レンジの中を綺麗にする必要がある。実は目元用を使わなくなったのは、アイマスクに調理の際にこぼれたスープか何かの汁が浸み込み、温めるたびにしょっぱい匂いがするようになってしまったからだ。以降は何度でも洗える蒸しタオルを使っている。同じ轍を踏むのは避けたいので、ここのところは慎重に。

そして今、この日記を書きながら極楽気分を味わっている。じんわりと肩が温められて非常に気持ちが良い。こんなに気持ちが良いものとは思わなかった。あずきの重みのおかげで肩から外れず、ぴったりと密着して温め続けてくれる。さりとて苦痛を感じるほどの重さは無い。あぁ、買って良かった。気持ちが良いなぁ。


2012年12月12日 (水) 緑茶カウント:0杯
ここにも何度か書いたことがあるが、自分はマフラーを付けられない。正確に言えば綿百パーセントのマフラーしか付けられない。それ以外のものは、アクリルはもとより、ウールもカシミヤも首が痒くなり、赤くなり、凸凹と湿疹のようなものが出来てしまう。唯一綿百パーセントのマフラーのみ異常の発生を防ぐことができるものの、綿百パーセントのマフラーというものがなかなか売られてないのである。一時期は探し回ったこともあったが数年前からすっかり諦め、寒い冬も首元を風に晒して生きてきた。ちなみにタートルネックも同じ理由で着られない。

ところが年齢のせいだろうか。このところ首の冷えに耐え難い辛さを感じるようになってきた。以前は寒さを感じつつも痒いよりはマシだと開き直っていられたが、もう無理だ。無理である。これはもう諦めて綿百パーセントのマフラーを探す旅に出るしかないかもしれない。

どうせ買うなら分厚くてふかふかしたマフラーが欲しいものだ。綿百パーセントのマフラーというとタオルマフラーという、タオル生地で出来たマフラーがあるのだが、あれは薄くてペラペラしていてちょっと物足りないのである。ふかふかのマフラーを付けてみたいものだなぁ。


2012年12月11日 (火) 緑茶カウント:0杯
夕飯を毎日作るコツは帰宅後座らないことだ。

玄関を抜け、手に提げているスーパーの袋を台所に置き、外套を脱いでハンガーにかけて手を洗ったら座らない。すぐに台所に戻り、まな板と包丁を取り出し、野菜を並べて調理を始める。帰宅と夕食作りを一つの流れとして関連付けることが可能になれば「面倒くさい」と感じること無く毎日夕飯を作ることが出来る。

ただし問題は食べた後で、まさか立ち食いするわけにもいかないので暖かい部屋でこたつに入りぬくぬくしながら食事をとるが、満腹感に浸ってしまうとなかなかそこから抜け出せず、皿洗い、歯磨き、風呂掃除、筋トレ、入浴というその後の成すべきことがずるずる先延ばしになってしまい、おかげで今日も寝不足です。だって台所も風呂場も凍えるように寒くて、一度こたつの温かさを体が知ると全ての動作に関わるスイッチがオフに切り替えられてしまうのである。さりとて歯を磨かないわけにはいかない。

あぁ、早く夏が来れば良いのに!


2012年12月10日 (月) 緑茶カウント:3杯
そのダンボールには、筋肉少女帯、電車、特撮、たま、アンジー、人間椅子、平沢進、P-MODEL、三柴理、町田康、戸川純、スターリン、他ナゴム関連などなどのアルバムがぎっしりみっちり詰まっていた。

中古屋の通路にそのダンボールは詰まれてあった。J-POPの棚を確認し終え、ずっと欲しかったものを見つけるもCD一枚一万円という高額価格に涙を呑んで諦め、あと適当に見て回ったら帰ろうかな、と思った矢先に目に付いたそれ。何気なく覗き込んで目を見張った。

何だこれ。まるで自分のためにあつらえたかのようなラインナップ。趣味が偏っていることは自覚しているが、こうもピンポイントに詰め込まれている様を見ることになるとは。どれもこれも、だいたいは既に手元にあるので購買意欲はそそられないが、何だこれ。我が家のCDをそのまま持ってきたようだ。

とはいえこれが自分のために作られたわけではないことは明白で、とすると自分以外にもここら周辺にぐっと来る人が数多くいるということで、ちょっと視野が広がったつもりでいたが、やっぱ似たような近辺でうろうろしているのだなぁ、としみじみ思いつつ、何と無く楽しくてダンボールの中身をしばらく眺めていた。


2012年12月9日 (日) 緑茶カウント:4杯
湯たんぽに関してだが、導入を保留しようと思う。というのも、昨夜布団の中で気付いたのだが、特に爪先は冷えていなかったのである。布団に入る前こそ冷えていたが、首元をしっかり温めるとじんわりと末端も温まり、ぽかぽかした状態で眠りに就くことが出来ていたのだ。

うーん、首を温めれば爪先も温まるのか。面白いなぁ。


2012年12月8日 (土) 緑茶カウント:5杯
そういえばこのところずっと寝つきが良いということに気付く。以前は寝つきが悪く、布団に入ってから一時間も二時間も寝られないことがあって困っていた記憶があるが。いったいいつから変わったのだろう。

一つ心当たりがあるとすれば、毎日少々の運動をしていることと、就寝時に蒸しタオルで目元と首を温めていること。特に蒸しタオルが良い。目元も気持ち良いが、首元を温める気持ち良さは目元のそれを上回る。濡らしたタオルをレンジで温め、ほかほかのタオルをアチアチ言いながらラップでくるみ、薄いハンカチで包んで疲れた箇所にあてる。友人に教えてもらった手法だ。手間はかかるが毎夜毎夜極楽気分を味わえるので毎日欠かさずやっている。

湯たんぽも試してみようかとひそかに思っている。ペットボトルに熱めの湯を入れて布団に仕込んだことはあるが、いわゆる「湯たんぽ」なるものはこれまでの人生で未体験である。未体験の理由は低温火傷を恐怖していたからだが、寒い日が続くし、部屋も寒いし、試してみるのも悪くないかもしれない。時間のあるときに無印良品を見てみるか。


2012年12月7日 (金) 緑茶カウント:0杯
何かですね。ちょっとした不調があって病院に通っているんですけどね、最初に通っていたところを都合によりやめて、別の病院に行きだして、ところがそこの診断が最初の病院とだいぶ違って、不安になって三つ目の病院に行ったら二つ目寄りの、しかしこれまた異なる診断内容。いったいどれを信じりゃ良いのだ! と若干悩みつつ処方された薬を飲んでいる昨今。うーん、困る。

個人的には一つ目の病院が一番信頼出来たのだが。とりあえず体調を見ながら三つ目の病院を続けてみて、うまくいかないようなら別の病院を探してみよう。昔は病院ならばどこに行っても必ず同じ診断が下されると思っていのだが。案外そうでもないことを学ぶことになろうとは。困ったものだね。


2012年12月6日 (木) 緑茶カウント:2杯



眠たい子供。眠かったから。

ところで今気付いたが、いや、それは嘘だ。正確に言うならば、ずっと気付きつつも現実から目を背け、見ないふりを続けていたが、いい加減直視しなければならないことに薄々感づいてやべーなぁと思っている。年賀状を描いていない。

やばい。また紅白を横目に実家の居間で必死になってコピックを動かしまくるのか。あんな慌しい大晦日は出来ることなら避けたいところ。だが、何だかんだで十二月は色々予定が入っていて………まぁ、うん、頑張ろう。


2012年12月5日 (水) 緑茶カウント:0杯



オリキャラのノキ。泣き顔が描きたかった。

緑茶の茶葉が少なくなってきたので今日もほうじ茶と紅茶を飲んだ。そうやって体の中から温めることを試みているものの、寒さのせいかしょっちゅう腹を壊してしまっている。腸内環境を整えるために毎日ヨーグルトを食べているが、そのヨーグルトが冷たくて冷たくて、朝のおめざに食べるには目が覚めすぎてやや辛い。早く暖かい季節が来てくれれば良いのだが。もしくはこたつの温度調節がもう少し上手く行ってくれれば良いのだが。「最強」もしくは「切」しかない極端さ。折りたたんだ腿が燃えるように熱い。


2012年12月4日 (火) 緑茶カウント:0杯



今日もお絵かき。オリキャラのユガト。こいつを描くのも何年ぶりかなぁ。

今日はほうじ茶を淹れたら珈琲並みに真っ黒になって、紅茶を淹れたら珈琲並にドス黒くなった日だった。油断をしすぎた。濃かった。美味しかった。


ウェブ拍手レス
(12月3日22時の方へ)修都さん、メッセージありがとうございます。
お気に召していただけて光栄です! 目玉と髪の毛を描きたくて描きました。
かなり滑らかに線が引けたので描いてて楽しかったです。


2012年12月3日 (月) 緑茶カウント:2杯



SAIをダウンロードしてみた。上の絵は試しに描いてみたものである。パソコンで絵を描く際には、ずっとスキャナか何かに付いていたおまけのPhotoshop Elementsを使っていたのだが、パソコンを新調した際にPhotoshop Elementsを入れなおそうとしたものの、元のディスクが行方不明。しかし別の何かの機器のおまけにもPhotoshop Elementsが付いていたのでそっちをインストールするか、とやってみたものの問題があった。バージョンアップしていたのである。

以前使っていたものよりもだいぶ格好良く、そして使いにくくなっていた。そもそも絵を描くためのソフトでは無いため使いにくいのも当然だが、もっとシンプルな方が良かったなーもう何だよこれ意味わかんね、とストレスが溜まる溜まる。じゃあいっそお絵かき用のちゃんとしたソフトを使ってみるか、ということでSAIをダウンロードしてみたのだ。

感想。ものすごく描きやすくて驚いた。何だこれ。線を引くのが非常に楽しい。色塗りをするにもバリエーション豊富で、何よりすごく使いやすい。「SAIを使え」「SAIはすごいぞ」と色々な人に言われていたが、確かにこれは描きやすい。

もうちょっといじって、一ヶ月経ったら正規で購入してみようと思う。なかなか楽しいなぁこれは。気に入った。


2012年12月2日 (日) 緑茶カウント:5杯
君は鮭おにぎりにクレイジーソルトを振りかけるか?

握り飯を作ろうとしたら塩が切れかけていた。そういえばそろそろ買い足さなければと思っていたのだ、数日前に。しかし通常の塩よりも先に己が購入したのはクレイジーソルト。何故ならそちらの方が先に底を突いてしまったから。

そして自分は鮭おにぎりの外側にクレイジーソルトをかけるか否か悩むはめに陥っているのである。

それほどクレイジーな味にはならないと思う。意外といけるかもしれない。だが、仮に美味しかったとしても、それは鮭おにぎりに求める味とは異なるものだろう。自分が今作ろうしているのは何だ。クレイジーな鮭おにぎりか。いや、オーソドックスな鮭おにぎりだ。

鮭が包まれた飯を目の前に悩むこと数秒。やはりクレイジーなのはよろしくない。クレイジーでない塩を普段より控えめに振るいお茶を濁した。クレイジーな鮭おにぎりはまたいずれ。うん、どうにも手元に塩分が無いときに作ってみようか。どうかそんな日が来ませんように。


2012年12月1日 (土) 緑茶カウント:3杯
姿見を購入した。ずっと欲しいなぁと思いつつ予算の関係で逡巡していたが、ついに思い切ってしまった。無印良品の姿見である。己は本当に無印良品が好きなのだなぁ。こたつ、洗濯物干し、石鹸置き、ゴミ箱、ブックスタンド、ドライヤー、食器、ナイフ、フォーク、ランチョンマット、カーペット、体重計、洗濯ばさみ、ハンガー、靴下、スリッパ、収納ケース、入浴剤、S字フック、ノート、クッションは無印良品で購入したものだ。そしてさらに姿見が仲間に加わって、己は今非常に満足している。

手に入れたならば早速活用しようじゃないか。そうしてじっくりと自分の姿を映してみたところ、ちょっとどうかと思うほどジーパンの生地が伸びていた。洗濯すればまた引き締まると思われるが、これをこのまま履くのはちょっときつい。買い替えを検討しなければならないようだ。

こういう発見を出来たのも姿見のおかげである。無ければ無いで何とかなるが、やはりあった方が格段に便利だなぁ。あと他にもまだまだカスタマイズしたい点はいくつかあるが、まぁ少しずつ。カーテンもそろそろ新調したいところだが、その前に押入れの収納をもう少し充実させたいし。また無印か東急ハンズで目星をつけよう。東急ハンズも好きなんだ。創意工夫に溢れた品々を見て歩くのは楽しい。


2012年11月30日 (金) 緑茶カウント:0杯
落ち込んでいるんだ!!

いや………もうやけっぱちで「落ち込んでいるんだ!!」なんて叫んでみたものの先が続かない。ほんっと嫌な気分になる出来事があった。腸がぐらぐらした。頭の片隅で、自分にも理性があったのだなぁと思った。暴言を吐かなかった自分を褒めたい。

あーだめだどうにもならん。そんな日もある。寝よう。


2012年11月29日 (木) 緑茶カウント:2杯
好きなものは好きであることを素直に表に出した方が良い。その方が楽しいし、覚えてもらえることがある。

昼間サークルの友人からの着信が携帯電話に残っていた。メールなどでのやりとりはちょこちょこあるが電話は随分と珍しい。間違えて押してしまったのだろうか、と思うも十七秒間コールしている。と、すると目的を持ってかけてきたのだろう。用件を確認すべく折り返し電話をかけた。

「もしもし!」
「もしもしウヲです。電話出られなくてすまんね。何かあったのかい?」
「あー! 俺今境港に来てるんだー! それでウヲが鬼太郎好きなこと思い出してさ! 何かリクエストあったらお土産買ってくるよ!」
「えっ境港来てるんだ! 良いの?」

境港はゲゲゲの鬼太郎の作者水木しげるの出身地。妖怪の銅像が並ぶ「水木しげるロード」に始まり、鬼太郎関連のものを町中で見ることが出来るという。一度行ってみたいと思っていたが、そうか友人が行ったのかぁ。そして覚えてくれていたんだ、自分が鬼太郎好きということを。

思えばこれまでにも、オーケンのインタビューが掲載された雑誌をもらったり、頼んでないのにオーケンが出演していた番組を録画してもらったり、何かでもらったというもやしもんのグッズを譲ってもらったり、虫のグッズをもらったり、虫がいれば教えてもらったりしたなぁ。そういうときは大抵、「なあなあこれ好きだろ?」と嬉しそうな顔をしてくれて、それがまた嬉しいのである。そして自分もあるものを見たとき、それを大変好いている誰かの顔が浮かんだら、やっぱり喜ばせてやりたいな、と思って何かしらしたくなるしなぁ。うん。嬉しかったんだ。


2012年11月28日 (水) 緑茶カウント:2杯
一人暮らしの話で思い出したが、大学の頃、昼食にパン屋で買ってきた調理パンを持参したり、学食で食事を摂ることに対して、何かにつけてもったいないと批判する女子がいた。「経済的では無い」「お弁当を持ってくれば無駄が無いのに」と言う彼女はいつもおにぎりとおかずのお弁当を持参していて、おにぎりを包むアルミホイルを使い捨てせず、開いた後もきちんと畳んで持ち帰り、翌日また繰り返し使うことを誇りとしている人だった。

確かに彼女の言い分もわかる。弁当を自作すればその分の金は浮くだろう。だが、昼食以外は基本自炊の生活。朝も夜も自分で用意している。昼くらいは手を抜きたいのが本音のところ。何より朝から弁当をこさえて洗い物を増やすのは避けたい、数百円で手間と時間を短縮出来るならそれも悪くは無いだろうと伝えた。すると。

「あ〜うちはぁ〜。洗い物はお母さんがやってくれるからぁ〜」

実家暮らしを馬鹿にするつもりは無いが。無いが。無いが。お前にだけは余計な口出しなんざされたくねぇよと思った一件である。あの時はイラッとした。かなり。強く。


2012年11月27日 (火) 緑茶カウント:2杯
賞賛を受けたことに対し、大したことは無いと謙遜すると相手を傷つけてしまうことがある。さりとてもその塩梅は難しい。

ある日のこと。ずっと実家暮らしをしていて一人暮らしを経験したことがないという女の子に、己が数年一人暮らしをしていることが知られた。無論、食事は自分で用意し、掃除洗濯風呂洗いもこなす。とはいえそれは誰もやってくれないからやることで、必要に迫られればある程度なら誰でも出来ること。で、あるので「そんな大したことは無いし、やってみりゃ誰でも出来ますよ」と伝えたが、ことあるごとに尊敬されてしまうのである。

「ウヲさんお料理作れるんですか? すごい………私全然出来ないんです。尊敬します」

前述したように料理だって凝ったものを作ろうと気張らなければ誰でも出来るものだろう。しかし、それを言うと「私は絶対無理です、絶対出来ません」と卑下されてしまい、どうしたことか自分が悪いことを言っているようになってしまうので、「いやあ最初は慣れなかったけど頑張ったんですよ」「よく失敗してひどいものを作りました」と謙遜しつつ相手も傷つかない方向に持っていこうとしているが、先日ついにこんなことを言われた。

「ウヲさん一人暮らししてるってことは………毎日自分で起きてるんですか?」
「あぁ、はい。誰も起こしてくれないんで目覚ましかけて自分で起きてますよ」
「すごいなぁ………私絶対起きられません………尊敬します」

いや………あの、尊敬してくれるのは光栄だが、君はもうちょっと頑張れ、と咽喉まで出掛かったが飲み込んだ。どうして自分が気を遣っているのだろう。起きろよ。一人で。


2012年11月26日 (月) 緑茶カウント:2杯
自分は本当に、こまごまと記録をつけるのが好きなんだなぁ。日記書いたり緑茶の量をカウントしたりブログにメモを残したり。始めてみた家計簿、始めたばかりでまだ新鮮さが持続している状態とはいえ、これがなかなか面白い。そうか今日はこれとこれを買ってこれに金を使って一日でこんだけ出費があったのか、そのうち食費はこれくらいか、などということが可視化されて楽しい。

多分ノートでは続かなかったと思う。一人暮らしを始めたばかりの頃、大学ノートに大雑把に分類していたが、大雑把なのでそれはさほど面白くなかった。とはいえ十ヶ月は続いたのだが。確か十ヶ月続いたように思う。でも十ヶ月で止めてしまった。一人暮らしで使用する生活費がだいたいわかったからである。

これからはもっと計画的にお金を使えるよう家計簿を活用していきたい。自分も良い年齢だしなぁ。


2012年11月25日 (日) 緑茶カウント:3杯
朝起きて台所に置かれた空き缶の多さに目を見張った。無論全てアルコール。よくもここまで呑んだものだ。

昨日今日と歩き回って食べて呑んで食べて食べて。楽しくもあり忙しくもあり。あっという間の週末だった。明日からまた質素に過ごそう。


2012年11月23日 (金) 緑茶カウント:5杯



平沢進の新譜「現象の花の秘密」を購入した。雨の中タワーレコードまで赴き、「ヒ」の棚にちょっとした平沢のコーナーが作られているのを確認して満足し、しかし視聴コーナーが無いのは物足りないなぁ、などとついつい欲を出した考えを覗かせながらもレジに並ぶ。帰宅後、家計簿に三千百五十円と入力するなどの諸々の雑務を終えてから、いそいそとパソコンのCDを差し入れた。

まず初めに弦の音がこれまでのアルバムよりもリアルになっていると感じた。ただ、ヒラサワが新しい音源を入手していたことを事前情報として知っていたのでこの感覚も思い込みかもしれない。己は己の耳をあまり信用していないのである。

一曲二曲と聴いて思ったことは、この演奏を実在の人間の手で行ったら腱鞘炎になりそうだということ。印象としては怪しい童話、もしくはサーカス。大きく世界が広がっているというよりも、小さな箱庭の中で、それこそアルバムジャケットの写真のように、虫眼鏡を持って細かな世界観を探りまわっているようだ。一つの小さな枠組みの中で細かな色の違いが見られる。多種多様な曲が十曲収まっているというよりも、アルバム全体で一つの曲のようである。そういう意味ではバリエーションの豊富さは感じられないかもしれない。

そこで驚きのボーナストラック。どんなアレンジだろうと思ったらまさかのピコピコサウンドだ。たっぷりと肉料理のフルコースを食べた後に甘酸っぱいシャーベットがデザートに出されたようで、スッキリ美味しくいただけたが、これはどういう意味を持って入れられたものなのかが気になるところだ。単に別バージョンも収録したくなったのか、最後に一味変えてバランスをとろうとしたのか、ピコピコを期待するファンへの気遣いなのか。どれだろう。

一発で気に入ったのは「現象の花の秘密」「華の影」「盗人ザリネロ」「Astro- Ho! Phase-7」「Amputeeガーベラ」「空転G」。特に「Astro- Ho! Phase-7」が良い。ちょっと物足りなく感じたのは雄雄しいシャウトが無かったことと、ギターソロが抑え目だったこと、あと「聖馬蹄型惑星の大詐欺師」の冒頭のような掛け声が無かったこと。特にシャウトは一曲くらい聴きたかったなぁ。だが全体に流れる童話めいた雰囲気は実に好み。好物である。今までの作品にはあまり見られなかった曲調で、新しいタイプが出てきたことが嬉しい。また他のアルバムを聴いた後に聴くと印象が変わりそうだ。また、これを聴いた後に他のアルバムを聴いても新たな発見が出来そうである。

まだ歌詞はザッとしか見ていないので、明日以降歌詞をじっくり読んでみようと思う。今日はとりあえず音だけをひたすら楽しむつもりだ。と、言いつつ既に四周目を終えたところだけどね。


2012年11月22日 (木) 緑茶カウント:2杯
本日より家計簿をつけはじめたが、いつまで続くかわからない。ダウンロードしたのは「うきうき家計簿」というフリーソフト。ダウンロードした理由はいい加減に現実を直視しなければまずいから。金欠も良いところなのである。実のところ。

まぁ、無いなりに生活は楽しみたいし。しかし楽しみすぎて首を絞めるのも避けたいし。で、あればきちんと管理してやりくりしなければまずいだろうと。レシートは財布を分厚くするためだけに存在するのでは無いだろうと意識して。つけることを始めたのです。

ちなみに今日はちょっとした贅沢に興じた。好きな中華屋で味噌ラーメンと餃子を食べ、家で平沢進の生放送を観ながらビールを呑む。ささやかながら楽しいものだ。そして明日は待ちに待った平沢進の新譜の発売日。張り切って買いに行くつもりである。そのついでにまた美味しいものなど買おうかな、と思うとまた出費が増えるわけだよ。まあほどほどにやろうと思う。どちらもね。


2012年11月21日 (水) 緑茶カウント:0杯
右のわきの下と左肩と首の辺りが痛いが、あまり思い当たることが無い。あまり無い、と言うことは少しあるということで、もしかしたら筋トレで肉か筋を痛めたのかもしれないが、よくわからない。あまり長引くなら病院にいくことも考えるが、とりあえずは様子を見ようと思う。何だろうなぁこの痛み。耐えられないほど辛い痛みでないだけに気になる。まぁ、妙な病気じゃないことを祈ろうか。


2012年11月20日 (火) 緑茶カウント:1杯
小学校の給食で、半分に切られたキュウイがデザートで出ることがあった。スプーンを持ち、皮の内側をこそぐように果実を抉って食べるのが想定された食べ方だろう。しかし当時、あの厚くてゴワゴワする皮に噛り付き、そのまま全部食べるのが格好良い食べ方だったのだ。馬鹿の間では。

馬鹿のうちの一人も今は成長して大人になり、流石に皮ごと食べることは控えるようになった。皮ごと食べたところであの皮はそう美味しいものでも無い。果実だけ食った方が美味いに決まっているのである。しかし、それでもキュウイの味として思い出されるのは未だあの皮ごと噛り付いたときのゴワゴワした食感。果実だけの味も知っているのに、キュウイの味はあの皮あってこそのもの、と己の頭脳は認識している。幼い頃馬鹿な食べ方をしていたばっかりに。

そんなことを思い出したのは自発的にリップクリームを塗ろうとしたことを意識したときだった。小学校の頃と言えば手が真っ赤になってヒビだらけになってもハンドクリームを塗らず、親に塗れと言われても塗らず、どうしても痛みを我慢出来なくなってようやくしぶしぶ塗るという体たらくで、無論リップクリームなんぞもってのほか、といった塩梅だったのに、乾燥を気にしてきちんとリップクリームを塗るようになっている。成長したものだなぁ、あんなに馬鹿だったのに、としみじみ。そして馬鹿な思い出の数々が蘇り、その一つとしてキュウイが呼び起こされたのである。

まぁ馬鹿も積み上げれば学習するものだ。ようやく学習したのだよ、放置すると痛いということを。馬鹿も流石に痛いのは嫌なのである。去年の冬だって血が出たし、そう、去年の冬まで口から血を出していて、今年になってようやく自発的に塗るようになったのである。馬鹿だなぁ。馬鹿なんだなぁ。キュウイだってすごく面倒くさいときは皮ごと食うしなぁ。そんでゴワゴワするなーと思いつつ、でもこれこそキュウイだよねって納得するしなぁ、馬鹿なんだなぁ。


2012年11月19日 (月) 緑茶カウント:2杯
どうしたことか。今日は非常に疲れた。起きているのがしんどい一日だった。そんなわけで今日は抗わずにさっさと寝る。体が疲れて仕方が無いのだ。


2012年11月18日 (日) 緑茶カウント:1杯
昨夜。明日は快晴という予報を受け、洗濯をするために早起き、と言っても十時だけど自分にとっては早起きなのだよ、とにかく十時に起きて窓を開け、晴れ渡る青空と澄んだ空気に気分を良くし、布団カバーと枕カバーを引っぺがして洗濯機に突っ込み、重い布団本体を窓の柵に乗せてまた日を浴びる。良い天気だ。これならカラッと乾きそうだ。こんな日は散歩をしても気持ち良いだろうなぁ、と思いつつ窓をしめてこたつに潜ってカバーの洗濯が終わるまで二度寝を貪った。いやだってせっかくの休みだもの。惰眠を貪りたいですから。

洗濯終了の合図が部屋に鳴り響き、それを目覚まし代わりとしてこたつから抜け出し体を起こす。カバーを日に干し、昨夜の残りの野菜スープを温めながらマカロニを茹で、スープにマカロニを突っ込んで軽い朝食とした。マカロニは三分で茹で上がるものだが、正直コシが無くてあまり美味しくない。べちゃべちゃの食感でマカロニらしい固さが無いのだ。時間がかかるがやはり八分ほどで茹で上がるものの方が美味だなぁ、ここは時間短縮用と味わう用、二種類用意すべきだろうか、と思案に暮れながら食事を終え、さぁ、出かける準備だ。

だってこんなに良い天気なんだから。昨日は家で一日ネウロを楽しんだことだし、いっちょ散歩に赴きますか。方向音痴の楽しい散歩。財布と定期と携帯電話だけを腰のシザーバッグに突っ込み、意気揚々と外に出る。適度に乾いた空気が肌に心地良い。目的地は無いが、とにかく面白そうなところに行こう。そうしてズンズンと歩き始めた。

さもありなん。やはり途中で自分がどこに向かっているのかわからなくなったが、どうせ至るところに地下鉄が走っているのだと思うと迷子になるのも気が楽だ。とはいえ、なるべく電車に頼らず最寄り駅まで戻りたい、ということで途中途中で道端にある地図を確認しながら歩き、何とか最寄り駅へ繋がる駅へ辿り着いた。本当ならば最寄り駅まで自力で戻りたかったが寒くなってきたので断念。春だったらもうちょっと頑張ったのだが、自分は寒いのが苦手なのだ。

特別な発見や収穫は無かったが楽しかった。やはり歩くのは良いものだ。布団もカラッと乾いて大満足。素晴らしい一日だった。


2012年11月17日 (土) 緑茶カウント:4杯
布団を干したかったのに大雨で泣いた。泣いてないけど泣いた。心の中で。


2012年11月16日 (金) 緑茶カウント:2杯
太陽は偉大だなぁ。このところずっと部屋干しを続けていたら洗濯物からあの独特の嫌な臭い。これはやはり気分が悪いと本日、朝から気合を入れて洗濯機を回し、真っ青な空の下に干したら実感。やはり太陽は偉大だなぁ。取り込んだタオルに顔を押し当てて嗅いでみるとやわらかな匂い。うーんこうも違うものとは。

よし、この調子で明日は布団を干そうかな! と思ったら明日は雨との予報でがっくり出鼻をくじかれた。それにしても、晴れの日に思いっきり洗濯をしたい、なんて欲求を抱くなど、幼い頃には思いもしなかったものだ。明後日は晴れて欲しいものである。


2012年11月15日 (木) 緑茶カウント:2杯



そういえばグラタンコロッケバーガーを己は食べたことが無いかもしれない。
とはいえ、これがグラタンコロッケバーガーでないことは流石にわかっているのでご安心を。キャベツを描きたかったんだ。

ハンバーガーと言えば、近所のパン屋ではフライドオニオンと目玉焼きと分厚いハンバーグをがっつり挟んだボリュームたっぷりのハンバーガーを三百円以内で食べられる。限界まで顎を開いて齧り付くと口いっぱいにボリューミーな味わいが。これがもう美味しくて美味しくて。他にも様々な種類のハンバーガーが売られているが、あまりにそれが美味しいため未だ他の味を試したことが無い。次こそは、と思いつつも胃袋が求めてしまうのだ。

そのような感じで、マックも決まったメニューばかり注文してしまうためグラタンコロッケバーガーの味を知らずにいるのである。とりあえずチーズバーガー、そうでなくともチーズバーガー、何は無くともチーズバーガー。チーズバーガーがあれば良い。


2012年11月14日 (水) 緑茶カウント:2杯
もしかしたらタンパク質が足りていないのでは無いか、と思って連日肉をもりもり食べたら太った。過ぎたるは猶及ばざるが如しということわざの例文のようである。すごいなー見事に増えたものなー筋肉も増えたけど脂肪も増えたよ。ダメじゃねーか。

と、いうことで食べる量を調節し、本日ようやく元に戻った。脂肪分の少ない肉なら多めに食べても大丈夫かと思いきや全然そうでも無かったよはっはっはっ。良い勉強になったと思う。


2012年11月13日 (火) 緑茶カウント:0杯
エスカレーターに乗っていたら、手前に立つサラリーマンの背広からパンの匂いがした。しかもただのパンでは無い。明らかに焦げすぎている。カリカリッにしようとしてコゲコゲッにしてしまった、そんなパンの匂いだった。

気になるのはパンの匂いがここまで染み付くまでこのおっさんは何をしていたのだろうということだ。台所に背広をかけていたのだろうか。焦げたパンを量産していたのだろうか。何故焦げたパンを量産する。昨夜嫁と喧嘩をし、彼女は実家に帰ってしまった。自分勝手な彼女の行動に苛立ち、腹立ち紛れにアルコールを飲み乾して眠る。目覚ましに起こされて目を覚ますもがらんとした部屋。そうだあいつは出て行ったんだ。一晩寝たことで若干落ち着き、もしかしたらもう二度と彼女が帰って来ないのではないか………と縁起でもない想像が頭を過ぎる。いや、ただの口喧嘩だ。今日の夜には帰ってくるに違いない。とりあえず何か適当に食べて家を出よう。そう思いトーストを焼くことにしたが、しかし俺は今まで一度もトーストを焼いたことが無かったのだ。いったい何分焼けば良いのかわからない。そもそも、この冷凍してあるパンはいきなりトースターに入れて良いのか? 電子レンジで解凍? だが、電子レンジも使ったことが………みたいなことがあったのかなぁと空想を巡らすうちに地上に到着。焦げたパンの匂いはどこかに行ってしまった。おっさんに幸あれ。


2012年11月12日 (月) 緑茶カウント:3杯
寝る三十分前にパソコンの電源を落とし、寝床に入って二十分ほど読書。そして電子レンジで蒸しタオルを作り、目と首を温めて七時間眠ると翌朝の体調がすこぶる良いことが先週の実体験調査により判明したが、なかなかこれを続けるのが難しい。

今日も既に就寝予定時刻の十分前。うーん、あと三十分早ければ。そうだあと明日のお茶の用意もしていない。とりあえず今日は六時間半寝ることを目標に進めよう。雁字搦めになってもだめだ。

まぁまずはこのお茶をあと一杯、飲んだらここを動こうかな。


2012年11月11日 (日) 緑茶カウント:4杯
「桜蘭高校ホスト部」を読んでいたときに、ハルヒと環の関係に、何かどこかで見たことがあるような気がする………と感じていて、そんなことを思っていたことすらすっかり忘れていたのだが、今日ついに「何か」の正体に気付いて二度衝撃を受けた。

わかった! 近いと思ったのは「魔人探偵脳噛ネウロ」のネウロと弥子の関係だ!

一度目の衝撃。

いや全然似てねーよ!!!!

二度目の衝撃。

ハルヒは性別を「男子」と偽って、借金返済のためホスト部で営業を行う女の子。ホスト部部長の環に娘扱いされ可愛がられている。環はハルヒにぞっこんで、ハルヒは環を尊敬しつつも鬱陶しくも感じている。

ネウロは自身の唯一の食料である「謎」を求めて地上にやってきた魔人。地上で目立つことはマナーに反するため、弥子に探偵役を強要する。当初は嫌々協力していた弥子も次第に積極的に探偵役をこなすようになり、成長を遂げていく中で互いへの信頼を深めていく。

タイプとしては全く似ていない。ネウロは嬉々として弥子に暴力を振るい拷問にかけるが、環はもちろんそんなことはしない。環は自身が設定した「家族設定」により、ハルヒを「娘」として愛していたが、物語が進むにつれ「家族設定」を脱却し、異性としてハルヒを意識するようになり、最後は二人とも両思いになる。しかしネウロと弥子の間に恋愛感情は存在しない。このように、立ち位置が全く違うのにどうして「似てる」と感じてしまったのか。

ハルヒと弥子の共通点 …スレンダーな体型。悪く言えば胸が無い。
環とネウロの共通点 …タイプは異なるが、背が高くスラッとした美男。そして無神経なことをペラペラと喋ってヒロインを傷つける図太い神経。

なるほど。つまり環が、悪意は無いものの庶民を馬鹿にする発言を行ってハルヒがげんなりしている姿と、ネウロが悪意を持ったり持たなかったりしつつ無神経な発言をかましたり貶めたりして弥子がげんなりしている姿が重なったのか。合点がいった。

納得はしたが、よくもまぁこうも離れた作品が脳内で結びついたものだと感心した。ちなみにどちらも面白いのでおすすめである。巻数も両作品とも三十巻以内に収まるので読みやすい。良かったら是非ご一読を。


2012年11月10日 (土) 緑茶カウント:0杯
先月の八日に行った美容室で、マッサージと称してゴリゴリに肉を潰され非常に痛い思いをしたが、本日同じ美容室で同じ美容師に再びマッサージをしてもらったら。痛くなかったのである。ちょうど良い強さで気持ち良かった。

考えられるのは二つ。美容師の腕が上がった。もしくは、自分の体の具合が先月のみマッサージに適さない状態だった。後者は具体的にどんな状態だったか、あまり想像出来ないが、何にせよ喜ばしいことである。ぼさついた髪の毛もスッキリ整えられ、清清しい気分で店を出た。

そして今夜は週末のお楽しみ、アルコールタイム。毎週末この時間を作っているわけでは無いが、食事を済まし、筋トレをこなし、風呂に入って身を清め、あとは寝るだけの状態に。とはいえ、呑んだ後は寝る前に歯磨きをしなければならないのだが。一つのノルマはあるものの、明日の朝を心配することなく気楽に過ごせる土曜の夜は殊の外楽しい。さて、呑みながら何をして過ごそうか。ネウロでも読もうかな。楽しいことだ。


2012年11月9日 (金) 緑茶カウント:2杯
心が疲れると武装をするためにアクセサリーを買いたくなる。気に入りのネットショップで物色した。欲しいものがあったが、衝動を抑えて我慢した。

腹立たしいことと悲しいことが重なって、心が追いつかないのだよ!


2012年11月7日 (水) 緑茶カウント:1杯
すごく嫌なことがあり、みっともないとわかりつつ壁に二発蹴りを入れた。ガァアアアンと音が反響し、やや憂さ晴らしの助けにはなったがまだ晴れない。あぁ、むしゃくしゃする。

非常に相性の悪い人がいて、その人と関わりあいを持たなければならない苦痛。あぁ、嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。考えたくも無いのに頭の中がその人で占められ、胸の中がぐるぐるする。こんな日はどうしたら良い。

美味しいものを食べれば良い。カウンター席しかない、狭く広い中華屋を訪ねた。狭く広いという言葉は矛盾しているが適当だ。店内は通路のように細長く、カウンター席の後ろをようやく人が一人通れる程度の広さしか無い。しかし奥行きは充分で、店員が手前から奥へ、奥から手前へと常に忙しく働きまわっているのだ。

入り口に近い席に陣取り、味噌ラーメンと餃子を注文した。木耳が入った味噌ラーメンに、まるまる太った餃子。ボリュームたっぷりで野菜たっぷりで、非常に美味しいのだ。そして美味しいだけではない。この店は雰囲気が良い。常連客が多いのか、おかみは常に喋っていて、会話に参加しなくともそれを聞いているだけで楽しい。今日は酔っ払いのおばさんがいて、ぐでんぐでんに酔っ払ったおばさんが他の客に自分が食べているおかずを分けようとするのをやんわり止めながら、迷惑そうな顔は見せず、楽しげに応対していた。

酔っ払いのおばさんはおかみに何度も「これから呑みに行こうよ」と誘い、おかみは「だめよお仕事があるから」と断りつつも嬉しげな様子。ビールも注文すれば良かったなと思いつつ、和やかな食事を終えて帰路に着いた。ご馳走様でした。


2012年11月6日 (火) 緑茶カウント:2杯
こたつが馬鹿になっていて己は困っているのだよ。

一人暮らしを始めた年の冬に購入したこのこたつ。かれこれ七年近い付き合いだが、と書いて驚く。もう七年も一人暮らしをしているのか。もう七年経ってしまったのか! あぁ、それじゃあ馬鹿になるのも仕方が無い、と一人納得。ツマミを右に回しても左に回しても、どっちを選べど「強」! 「中」も無ければ「弱」も無い、大変太ももに厳しいこたつになってしまったのである。

去年からこの兆候は感じられたが、まだもう少しマシだったように記憶する。今年この調子では、来年はどんな有様に成り果てるのだろうか。想像するだに恐ろしい。仕方なしに今はある程度温まったら電源を切り、冷めたら再び電源を入れるという地道な行為を繰り返している。正直だいぶ面倒くさい。

一人暮らしも七年目ともなると、引越しをした際に買い揃えた他の家電達もそろそろ寿命が近付いている頃だろう。冷蔵庫は既に買い換えた。怪しげなのは洗濯機か。レンジとトースターは問題無い。そう言えば炊飯器も早々に買い換えたなぁ。一年か二年で炊飯が出来なくなってしまったのだよ。掃除機は吸引力が無いことに不満を抱きつつ、他の掃除用具と併用して使用している。

この部屋で一番長生きをしているのはテレビとビデオだ。この二つは昔父が単身赴任をしていた頃に買ったもので、二十年は経っていないだろうが、十五年は経過していると思われる。無論アナログ。日本地デジ化計画が完了したら買い換えるかと思っていたが、デジアナ変換なるものが作用し、未だこのテレビで番組を観ることが出来ているため今も現役で働いてもらっている。テレビに対する執着も薄いし、しばらくはこのままだろうなぁ。で、問題は。こたつだよ。あまりの熱さに太ももが焼けそうだ。こいつにも、もうしばらく頑張っていただきたいのだが。熱い。


2012年11月5日 (月) 緑茶カウント:0杯
その指輪には「三度目の正直」という名前が付いている。しかし、もしどこかで紛失した場合には「二度あることは三度ある」に名前が変わる。軽く燻しの入った細いシルバーのリング。いつも中指にはめているそれを、己は二度失くして二度購入し直したのだ。以上、名前の由来。

だいたい外に出るときにいつも付けているのは気に入っているからで、その日も指に付けていた。自分はさして意識しないが、ある人は気になっていたらしい。だが、不思議な質問だった。左手の中指に付けているのに、交際相手がいるかと問われたのだ。それは左手の薬指じゃないのか? それとも中指も該当するのか? とりあえず否定して、一人になってから改めて指輪をまじまじと見た。

調べたところ、薬指だとあからさまなので中指に付ける人もいるらしい。他、女性の場合は恋人募集中の合図、占いのサイトではインスピレーションを呼び覚ます、など。そして「付けやすいから付けている」という、まさにこれ、という意見。まぁ、いろいろ意味があったり無かったりだが、見る人によってはそれに意味を見出す人もいるのだな、と学習。だからと言って今更つける位置を変える気も無いが。他の指には合わないし、右手に付けると邪魔だしね。


2012年11月4日 (日) 緑茶カウント:1杯
ようやくこたつを出した。例年ならば十月中に出していたと記憶しているが、今年は寒さを感じつつもずるずると先送りになっていた。無印の濃い茶色のラグを敷き、こたつをセット。電源を入れなくても暖かく感じるのはラグのおかげで底冷えしなくなっただけかもしれないが、視覚的なものも大きいと思う。

今日は一日「魔人探偵脳噛ネウロ」を読んでいた。全二十三巻。昨今の少年漫画でちょうど良い巻数で綺麗に終わった漫画と言えば、これと「鋼の錬金術師」の名前を挙げる。三十巻以内で、無理な引き伸ばしも無く、作者の全身全霊が感じられる漫画。他にもきっとあるだろうが、自分の中ではこの二つだ。次点が「武装錬金」。これも十巻でスッキリ終わったが、打ち切りだったのでやや順位が下がる。他には何があるだろうか。「Mr.FULLSWING」は二十四巻で終わったが後半が迷走していたし。「ヒカルの碁」はどうだろう。しかしあれは妹が終わりに全く納得していない記憶があって、自分としてはあれで良かったと思っているのだが、熱烈なファンから見ると違ったのかもしれない。

そんなことを考えつつWikipediaで昔読んでいたジャンプ漫画の記事を漁っていたら、「アイシールド21」を最後まで読んでいなかったことに気が付いた。途中までコミックスを揃えていたのだが、途中から買わなくなり、ジャンプを卒業してしまってからは全く内容を知らずにいたのだ。モン太がアメフトを始めるエピソードがものすごく好きだったことと、その後モン太関連で非常にがっかりするエピソードがあったことは覚えているが、がっかりしたエピソードが何だったか具体的には覚えていない。よっぽどがっかりしたのだろうか。さて、他は………太臓も好きだったが打ち切りだったなぁ。


2012年11月3日 (土) 緑茶カウント:3杯
二日分くらい寝倒した。朝起きて、二度寝して、三度寝して起き上がったら午後の二時。それから洗濯と掃除を済ませて一日中だらだら。あぁー楽しかった。

さて、明日はもうちょっと動くかな。


2012年11月2日 (金) 緑茶カウント:0杯
信じられないくらい眠いのだ。

楽しみにしていた松井優征の新作「暗殺教室」を読みながらチューハイを呑んで、まだ一缶呑み終わらないうちにうとうとと眠くなっている。今週はなかなか過酷だった。しばらくはちょっと大変な日々が続きそうである。

土日はどこにも出かけずゆっくりしよう。読み返したい漫画もあるし。久しぶりにネウロを最初から読み直そうかな。


2012年11月1日 (木) 緑茶カウント:0杯
お茶を淹れようとして、深夜にうっかり水を床にブチ撒けましたが、自分は元気です。

びちゃびちゃの床の上で足踏みをしてみたら愉快な気持ちになれました。そうしてひとしきり遊んだ後、捨てようと思って収納ケースから出しておいた肌触りの非常に悪いタオルで床をガシガシ拭きました。床が綺麗になりました。良かったです。まる。

こんな夜中に何をやっているのだよ、自分は!


2012年10月31日 (水) 緑茶カウント:2杯
もしかしなくても、タンパク質が足りていないのではないか。というのも自分は肉も好きだがそれ以上に野菜が好きで、肉を食べなくてもストレスは感じないが、野菜の無い生活を続けると調子が悪くなるため、肉より野菜を重点的に摂取している。そしたらだ。筋肉量が減ったのだよ。

筋トレは継続中。暴飲暴食もしていない。とすると、筋肉を作る材料が足りていないのかもしれない。思えば朝にハムチーズトーストを食べるだけで以降は米と野菜とシャケフレークのみ、なんてこともざらにある。味噌汁は飲んでいるため大豆は摂取しているが、足りているかと言えば微妙である。

そんなわけで今日は鶏もも肉のぶつ切りと野菜を一緒に炒めたものを食べた。明日以降も意識的に肉を摂取するつもりである。明日は鶏胸にしようかな。


2012年10月30日 (火) 緑茶カウント:2杯
佐藤両々の四コマ漫画「そこぬけRPG」最終巻を読み終えてから、ぷよぷよのことばかり考えている。佐藤両々は「ぷよぷよ」「魔導物語」シリーズを作っていた今は亡きゲーム会社「コンパイル」の元社員である。そして「そこぬけRPG」とは、コンパイルを髣髴とさせるエピソードや人物、伝説が多数描かれている漫画であり、コンパイルを知るユーザーにとっては懐かしいどころではなく、様々な感情を呼び覚ましてくれるのである。無論、コンパイルを知らない人にも楽しめる内容ではあるが、知ってるとより一層楽しめるのだ。

主人公はゲームを作ることを夢見てゲーム会社「エクスチェンジャー」に入社したが、希望は叶わず広報部に配属。ユーザー向けの馬鹿に分厚い会報誌の制作に携わることになる。失意に沈む主人公だったが、彼の苦難はまだまだ序の口だった。何と主人公を広報部に引き抜いたのは「広報部の女王様」。以降、主人公は女王様の命令でラメピンクの全身タイツを身にまとい社内を奔走。広報部の下っ端ならぬ下僕としての生活が始まったのであった――。

ラメピンクの全身タイツはだいぶ突拍子も無い設定に見えるが、実はこれこそコンパイルにあった「丁稚システム」をモチーフにしたもの。丁稚システムとは新入社員を「丁稚」と呼び、上下ピンクのジャージを着せて雑用仕事をさせながら会社の仕事を覚えさせるというものだ。よくこんなシステムがまかり通ったものだなぁと今になってみて思う。

さて、そんな「そこぬけRPG」がついに最終回を迎え、めでたしめでたしのハッピーエンドで幕を下ろしたのだが、読み終えた途端に十年以上前に燃え盛っていたコンパイル熱が再燃し、もう実家に置いてあるコンパイルグッズを取り寄せたくてたまらない。火の玉ゲームコミックスシリーズの四コマアンソロジー、数々の攻略本、そしてコンパイルクラブ。ドラコケンタウロスが好きだったんだよなぁ。今でも好きだけどなぁ。角牙尻尾に赤チャイナの格闘娘。あぁ、ぷよSUNがやりたい。

全く惜しい会社を亡くしたものだよ!


2012年10月29日 (月) 緑茶カウント:2杯
壁一面にかけていた衣類を収納した途端、空間がぽっかり空いてしまってやたらと白い壁が目に付き寂しい。大き目のポスターか絵を飾りたい。ただ、正面に大きめの窓があるのが難である。押し入れ用のハンガーラックを買ったのも衣類の日焼けを防ぐため。絵やポスターを飾ったとしてもこの位置じゃ退色してしまうのは目に見えている。

絵は絵でも、複製したものを貼ろうかなぁ。あんまり真っ白だと落ち着かなくて精神衛生上よろしくなさそうだ。考えよう。


2012年10月28日 (日) 緑茶カウント:0杯
背が低くて良かったなぁ。今さらにも程があるが、押入れの中に収納出来るハンガーラックを購入した。今までは欄間にハンガーをひっかけて、壁一面にスーツもジャケットもパーカーもコートも、ハンガーにかけなければならないものは全てぶら下げるという荒業を繰り広げていたのだが、見栄えが悪いのでいい加減どうにかしようと一念発起したのである。

しかし懸念が一つあった。丈の長いコートとパーカーを計三着保有しているのだが、それは流石に押入れの底に裾がついてしまうのではないかということだ。すると、丈の長い衣類を吊り下げるものも別に用意しなければならないかもしれない。思案しつつ、まぁ、三着ならば今までどおり壁にかけておいても良いか、と思っていたが、心配は杞憂だった。丈の長いコートもパーカーも何もかも、スッキリ収納出来てしまったのだ。

嬉しいが、複雑な気持ちである。心配していた三着は裾が底に付くスレスレではあったが、ギリギリ届かず済んでいる。これは喜ばしいことである。おかげで部屋がすっかり片付いたのだから。だが、もしワンサイズ大きい服を購入していたら、同種の衣類でも中に収納することは適わなかっただろう。いや、良いんだよ、収納出来て。嬉しいんだよ。嬉しいんだけど、なぁ、うん………。背が低くて良かったなぁと思いました。まる。


2012年10月27日 (土) 緑茶カウント:4杯
気持ちが良い天気だったので電車に乗り込み、適当な駅で降りて二駅ほどぶらぶら歩き、電車に乗って最寄り駅まで戻り、整体を受けて、商店街をひやかして帰宅した。

降りた駅は今まで一度も歩いたことがない町で、お洒落な人々が喜びそうな雑貨店やカフェが並び、どこもなかなか敷居が高い。他の町ではド派手な看板を構えるチェーン店すら、色合いを抑え煽りを控え景観に溶け込むよう努力している。背伸びしてるなぁ、と思わず笑ってしまった。そんな中にひっそりと下世話な雰囲気の古本屋が混ざりこんでいるのも面白い。きっと彼はずっと古株で、若い頃には彼と似たような仲間が近くにたくさんいたのだろうなぁ。

せっかくだから何か美味いものでも買って帰るかな、と散歩をしながら思ったが、冷蔵庫の中身をふと思い出してしまって結局味噌煮込みうどんを作って食べた。明日は友人と西荻に行く予定である。今日とはまた趣向の違う面白いものが見られそうだ。楽しみである。


2012年10月26日 (金) 緑茶カウント:2杯
「緑茶とほうじ茶、紅茶はダージリンとアップルジンジャー、オレンジジンジャー、ストロベリーバニラフレーバー、マスカットフレーバー、オレンジフレーバー、あと和紅茶ってやつ。それとぶどうの香りの麦茶に、インスタントだけどコーヒーも、それと玄米茶。好きなの選んでよ、何が良いかな?」と来客に尋ねたら「酒」と即答されましたが、我が家にはその時ボンベイサファイヤしかありませんでしたので、コンビニエンスストアーへてくてく二人で買い出しに出かけました。

この敗北感は何だろう………。


2012年10月25日 (木) 緑茶カウント:3杯
暖房を二十八度に設定してガチガチと歯を鳴らしながら急いで長袖を着込んでいる。まさか、どうしてこんな目に。そして着込むだけ着込むと懐中電灯と書類を持ち、玄関を出て行ったのである。

貴方は十月下旬に水シャワーを浴びたことがあるだろうか。
ガスが止まったのである。唐突に。

先に言っておく。支払いを延滞したのではない。引き落としの口座には僅かではあるが貯金はあり、そして今現在ガスは復旧している。そう、何があったのかわからないが、地震などの災害があった際に、自動的にガスを止める装置が働いてしまったらしいのである。それも人が風呂に入っている最中にだ。

死ぬかと思った。我が家はユニットバスであり、まず風呂桶に湯を貯めてそこに浸かり、浸かったまま髪や体を洗い、最後は湯船のお湯を捨てながらシャワーを浴びて体を清めるという手法をとっている。そう、風呂桶の湯は髪や体の泡を流すために使うことが出来ないのだ。つまり、泡だらけの状態でガスが止まったことに気付いた場合、選ぶ道は一つなのである。

もう一度言う。死ぬかと思った。まず腕、足を流し、寒さに耐えながら頭を洗い、泣きそうになりながら胸に水を浴びせた。心臓があるせいだろうか。胸に水をかけるのが一番つらかった。悲鳴を上げそうになりながら全身の泡を流し、急いで風呂場から飛び出し、タオルをまとって暖房を入れ、ガスの点検をしたのである。死ぬかと思った。

しかも風呂から出たのが二十四時を過ぎた時間帯。アパートの隙間に忍び込み、懐中電灯を持ってごそごそしていたら近くの交番のおまわりさんに呼び止められた。まー不審だよなーと納得しつつ経緯を話すと、おまわりさんは懐中電灯で手元を照らすのを手伝ってくれ、このへんを見回りしてたけど、ここらでおかしなことをしている人はいなかったし、地震も無いのにガスが止まるなんておかしいね、と不思議そうに首を傾げていた。

もしこれでガスが復旧しなかったら明日ガス会社に電話します、とおまわりさんに伝え、家に帰ってドキドキしながら蛇口をひねった。あぁ、良かった。もし明日の朝もガスが出なかったらどうしようかと思った。そうして今は暖かい部屋で温かい飲み物にありつき、ほっと一息ついている。今のところガスが止まった原因は不明だが、願わくは二度とこのような思いはせずにすみますように。死ぬかと思った。


2012年10月24日 (水) 緑茶カウント:0杯
鏡を見て驚いた。まるで水戸華之介リスペクトのような風貌になっていたのである。水戸華之介と言えば目の周りの隈取メイク。即ち、ひどいクマが出来ていたということだ。

そういえばここ数日睡眠時間をきちんととれていなかった。しかし、土日の楽しさが活力の代わりになってくれていたため、日中もあまり苦も無く活動することが出来ていたのだ。よってあまり睡眠不足の自覚が無かったのだが、いやお前いくら元気があったって疲れてるんだよ気付けよ寝ろよ、と体に警告を出されたらしい。

流石にいつまでも余韻に浸っているわけにもいかず、エネルギーもいつかは枯渇するし、体を壊す前に今日は定時に寝るとしよう。それにしても毎晩蒸しタオルで目を温めているのにこのひどいクマ、もし蒸しタオルを実践していなかったらどんな塩梅になっていたのか。興味深くも恐ろしいものだ、とついじっくりと鏡を見つめつつ、さぁ、寝よう寝よう。


2012年10月23日 (火) 緑茶カウント:2杯
そういえばあんまり満足していたからすっかり忘れていた。「猫のテブクロ」の曲、中でも特に「星の夜のボート」「月とテブクロ」を聴きたいと熱望していたが、猫テは日本印度化計画の曲しかやらなかったんだった。「猫のテブクロ」は内田さんの曲が多く、内田さんもどこかの記事か何かで気に入りのアルバムに「猫のテブクロ」を選んでいたので、一曲くらいは来るかと思っていたが。意外だなぁ。

Tシャツになった「ノゾミのなくならない世界」はどうせやらないだろうと思っていただけに意外性が強かった。あと「タイアップ」「デコイとクレーター」「ゴミ屋敷の王女」にも驚いた。逆に「あ、これやるんだ」と驚いたのが「踊るダメ人間」。何となく、今回は外してくるような気がしていたのである。

欲を言えばあと「ペテン」と「鉄道少年の憩」が聴きたかった。まぁ、この二曲はまたいつかに期待。しぶとく待っていたらもしかしたら実現するかもしれないのだから。


2012年10月22日 (月) 緑茶カウント:3杯
かつてなく軽い筋肉痛に驚いている。ライブの翌日は必ず全身がひどい筋肉痛に襲われるのに、首と脇腹が軽く痛むだけで済んだのだ。

ライブを楽しむためにも体力づくりをするぞー、と張り切って筋トレを続けて来たが、一日三十分とはいえ、毎日体を動かすと違うものなのだなぁ。ライブ後の筋肉痛に耐えるのもそれはそれで楽しかったが、楽なのはやはり有難い。やればそれだけ身になるということか。


2012年10月21日 (日) 緑茶カウント:0杯
最高に楽しいライブだった。

昨日はオーケンの状態がわからなかっただけに、ハラハラしながらライブに臨んだのだが、昨日一日何事も無く楽しめたことで不安要素が排除され、気持ち良く満喫出来たのだろう、と個人的には思うが、やっぱライブそのものが良かったなぁと思う。激しい曲があって、和やかな曲もあって、意外な曲もあって、MCも楽しく、バランスが良かった。笑ったり騒いだり暴れたりでとても楽しい二時間半だったのだ。

今日は内田&橘高ナイトということで、そそくさと下手側に陣取った。恐らくヘヴィ〜メタルが大量に演奏される今夜、上手側に身を置いたら間違いなく荒ぶる人々の波に飲まれて死んでしまうだろうと踏んだのだ。よし、今日は下手でゆったり観よう! と思ったけど激しかったね!! 下手ってこんなに激しかったか? とびっくりするくらいだった。

再結成後、今日まで演奏されなかったのは「大変だから」という理由だったポルカメタルの「ノゾミのなくならない世界」。これが「家なき子と打点王」「小さな恋のメロディ」に続いて演奏されたのだ。「ノゾミのなくならない世界」は今回Tシャツが作られていたが、Tシャツになったからと言って演奏されるとは限らないのが筋肉少女帯である。一度聴いてみたいものだが、ハードな曲だし、やってくれないかなぁと思っていたらまさかの実現。イントロが始まった直後の会場の沸き立ちたるや凄まじかった。全員が一斉に飛び跳ねだして拳を振り上げ、合いの手を叫ぶ。定番曲の「釈迦」「サンフランシスコ」「イワンのばか」に引けをとらない盛り上がりだった、と言ったら言い過ぎだろうか。あれは……気持ち良かったなぁ………。

始まりの方のMCで、橘高さんにお手柔らかにお願いします、みたいなことを言っていたオーケンが面白かった。だが、先ほども書いたが、激しい曲もあればちょっと休める曲もあって、ずっと激しいばかりでは無く文化系オタクにとっては体に優しいありがたいライブだった。

さて、セットリストであるが、家なき子の塊と山と渓谷の塊が逆だったような気もしないでもなく、自信が無いが曲目はだいたいこんな感じだったと思う。


釈迦
俺の罪(オーケンと内田さんがボーカル)

モコモコボンボン(内田さんがボーカル)
くるくる少女
再殺部隊

オーケンの弾き語りによるメンバー紹介

家なき子と打点王
小さな恋のメロディ
ノゾミのなくならない世界

山と渓谷(内田さんと橘高さんがボーカル)
少女の王国

ツアーファイナル
レセプター(受容体)
詩人オウムの世界
トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く
何処へでも行ける切手

〜アンコール〜

青ヒゲの兄弟の店(オーケンとおいちゃんがボーカル)
福耳の子供
タイアップ(ランチパック投げまくり)
イワンのばか


いきなり釈迦が始まったときは何事かと思った。そして続くは「俺の罪」。歌詞間違いと言えばオーケンの十八番だが、内田さんの「俺の罪」の歌詞もだいぶへにょへにょしていてひどかった。そういえばDVDでも結構適当だった気がする。

今回のMCのメインはランチパックだろう。昨夜のライブで、オーケンがランチパックばかり食べている話題が出たため、大量のランチパックが差し入れられたらしい。それをオーケンが曲中に投げる投げる。わざわざ「なみえ焼そば風ーーー!!!」と味を読み上げて投げる投げる。差し入れた人はラッキーだったか気の毒だったか知らないが、とにかく笑った。面白かった。

ランチパックの他にもサプライズはあった。何と、「ベースなんか持ってられるか!!」と内田さんがベーシストにあるまじき発言をしてベースを外し、ギターを構えて「モコモコボンボン」を歌いながら演奏し始めたのだ。ステージにはギターが三人、そしてベースは新兵器・ショルダーキーボードを携えたエディが担当! 今までに無い編成ですっかり興奮してしまった。

あと欠かせないのがオーケンの弾き語りによるメンバー紹介である。アコギを持ち出して椅子に座り、「今日は橘高さんがバリバリ弾くから、その前に僕もギターを弾きまくる」という内容の発言をしてポロポロ爪弾きながら歌いだしたのだ。だいぶ記憶が曖昧だが、だいたいこんな内容の歌だった、

「ベース〜内田〜中学からの同級生〜実は幼稚園も同じ〜」
「ギタ〜橘高〜二十七歳だと言い張る〜」
「ギタ〜本城〜F1ラーメンたまに宇宙に行く〜」
「ボーカルランチパック〜」
「ドラム長谷川〜ツーバスドコドコ〜」
「エディ〜ポンパドールのパンしか食べない〜メガネとヒゲ〜」
「六人あわせて筋肉少女帯〜」

ちなみに、「橘高二十七歳」のところでは、橘高さんが「二十四!!」と訂正を入れていたがオーケンは気付いていなかった。大槻さん、メンバーの年齢設定くらい覚えておいてあげてください。

つっても律儀にしっかり覚えていたらそれはそれでオーケンらしくないよな。

「モコモコボンボン」から「くるくる少女」「再殺部隊」に続いたのには驚いたなぁ。オーケンも突っ込んでいたと思うが、どんな流れだ!! と思った。再殺は語りもしっかりあって大満足。

語りと言えば、この後の「詩人オウムの世界」でもしっかり語りをやってくれたのだが、語りに入る前に妙なタイミングで学園天国ヘイヘイコールをぶっこんで来て驚いた。これは何もここに入れなくても良いんじゃないのか!? 素直に語りに移行して良いんじゃないのか!? いくら何でも空気が合わないよ大槻さん!! と思ったが、あと三回も繰り返すと順応してしまいそうな自分が怖い。何にでもマヨネーズをかける人の如く、何にでも学園天国を挟み込む男大槻ケンヂ、恐ろしや。

「家なき子と打点王」はやっぱり格好良い。ギターとピアノの絡み合いが凄まじく耳に心地良く、永遠に聴いていたいと思わされる。が、ハードな曲であるのも事実。終演後、へとへとになった男性二人組みが「家なき子と打点王は勘弁して欲しい……」「わかる……あれはきつい…死ぬ………」と言っていたのが印象的だった。

前に記したセットリスト、「山と渓谷」の塊が「家なき子と打点王」の塊と配置が逆かもしれないと書いたが、いや、やっぱこれで合っている気がしてきた。「家なき子と打点王」「小さな恋のメロディ」「ノゾミのなくならない世界」をやって、そのまま「ツアーファイナル」「レセプター(受容体)」「詩人オウムの世界」「トリフィドの日が来ても二人だけは生き抜く」をやっていたら死ぬだろう。自分が。うん、だから多分この流れで合っていると思う。

本編ラストは「何処へでも行ける切手」。内田さんの長尺曲を一つ入れて欲しいと願っていただけにこれは嬉しかった。暗い水の中でたゆたいながら耳を傾ける、そんな気分で聴いていた。

アンコール一曲目の「青ヒゲの兄弟の店」ではおいちゃんのボーカルを堪能。かなり部分的な感想になるが、「負け犬を煮込んだ苦い夜のボルシチ」、ここの歌声が最高に格好良かった。

そうだ。今思い出したが、「山と渓谷」を内田さんが歌うとき、その直前の曲のコーラスで咽喉を酷使したため、歌おうとして失敗し、やり直しをしたのだった。この時内田さんは結構慌てていて、「こんなに慌てる内田なんか見たことがないだろう!」というようなことを橘高さんが言っていた。

「福耳の子供」は大公式2に入っているアレンジで、これがさぁ。この福耳のイントロのギターが大好きで、これを生で聴けて嬉しかったなぁ。何と言うか、いやらしくない色気があると思うんだ。

「どうしてこれを選んだの?」オーケンから内田さんへの問いにより始まったのが「タイアップ」! まさかこれをやろうとは! 特に期待もしていなかったが、一度聴いてみたいと思っていただけに嬉しい。しかし「ノゾミのなくならない世界」と「タイアップ」を一夜で同時にやるとは、何かすごい夜だな。内容的に。曲の後半で「ラーンチパーック!!」と叫びながらランチパックをオーケンが投げまくり、妙な節分のようになっていたのがおかしかった。

そして最後は「イワンのばか」で大盛り上がりに盛り上がって終了。レア曲もあり、定番もあり、ちょっと変わったサプライズもあり、非常に楽しい夜だった。さらに今夜はついに待ちわびた、次回ライブの発表もあったのだから喜びも一入だ。今年はもうやらないと思っていた、毎年恒例の天皇誕生日ライブ! また「クリスマスに筋少のライブに来る寂しい奴らめ!!」とひどいことを言われるんだ! もちろん必ず行くつもりである。楽しみが増えて嬉しいなぁ。


2012年10月20日 (土) 緑茶カウント:0杯
一年ぶりの筋少ライブ。そして今回は一日目と二日目で演奏する曲を作曲者別に振り分けるという趣向で、一日目が大槻&本城、二日目が内田&橘高という組み合わせ。いったい何が聴けるだろうか、とわくわくしながら当日を待ち、思わぬ訃報に驚いたのが家を出る直前。オーケンのお兄さんが水難事故で亡くなったというニュースが入ったのだ。

さて。結論から言うとライブは非常に盛り上がり、楽しく明るく終了した。自分は書籍や対談などで見られるオーケンの「お客さんを楽しませたい」という発言と、ライブでのお客さんへの気配りから、この人はプロのロック歌手であり、エンターテイナーであると信頼しているので、きっと今日もステージに立つからにはお客さんを楽しませてくれるだろうと信じていた。しかしだからと言って心配しないわけではない。きっと楽しませてくれるだろうと思うからこそ、無理をしすぎないかな、大丈夫かな、と思っていたのだ。

アンコールのラストは「生きてあげようかな」。多分これは何も関係が無く、最初から予定されていたものだと思うが、あぁ、このタイミングでこれかぁ、と思わずにはいられなかった。歌詞は決して多くが重なり合うわけでは無いのだが。何と言えばいいだろう、心がざわざわした。

だが、オーケンはお客に心配されることなど望んでいないだろう。楽しんでもらいたい、と思っているに違いないのだ。それならばいつも通りに余計なことを考えず、その場を楽しむことに努めるべきだ。と、思いつつ心がざわついて落ち着かないのは自分がきっと未だ人の死に慣れていないせいなのだ。

ちなみに下記はうろ覚えのセットリストである。正直「ドナドナ」「中学生からやり直せ!」「暁の戦力外部隊」の位置には自信が無い。どれかとどれかの位置が入れ替わっているかもしれない。


カーネーション・リインカーネーション
君よ!俺で変われ!

日本印度化計画
サボテンとバントライン
僕の宗教へようこそ

死んでいく牛はモー
ソウルコックリさん
蜘蛛の糸

人間嫌いの歌
デコイとクレーター
世界中のラブソングが君を

踊るダメ人間
タチムカウ〜狂い咲く人間の証明
ドナドナ
トゥルーロマンス
機械

〜アンコール〜

ゴミ屋敷の王女
中学生からやり直せ!
暁の戦力外部隊
釈迦
生きてあげようかな


久しぶりの筋少ライブなのでどこで観ようかな、と思いつつ、そこそこの番号だったのでやっぱり前方に突っ込みたいよな、ってんで中央に行き、途中何度か視界が誰かの後頭部で一杯になりながらも、比較的見やすい位置でオーケンを観ることが出来た………が、ずーっと大声で歌っている人が近くにいたため、歌声を堪能した!! とは言い切れないのが残念なところ。またこのずっと歌ってる人が下手なんだよなぁ。

とはいえ比較的落ち着いた曲では合唱も無いので、大好きな「デコイとクレーター」「ゴミ屋敷の王女」はしっかりオーケンの歌声に耳を傾けることが出来た。この二曲と「カーネーション・リインカーネーション」が自分にとっての今回のハイライト。あと、「蜘蛛の糸」はライブではアコースティックバージョンしか聴いたことが無かったため、初めてのバンドバージョンに大きく感動したのだが、皆で合唱する趣向だったためオーケンの声はよく聴こえなかった。うーん残念。

歌と言えば、CDでは声を張り上げる箇所も淡々と歌っている場面がよく見られたのが気になった。出来たらCDのようにもっと緩急をつけて欲しいのだが、咽喉が疲れるのかなぁ。もう四十六歳だし、いや、まだ四十六歳だしと、せめぎ合いが頭の中で起こる。

子供番組でヘビーローテーション中の「日本印度化計画」は予想通りセットリスト入り。これは今日やらないわけが無いだろう。「日本印度化計画が再ブレイクしたら、あなたがたなんてポイですからね!」と捨てる宣言をされて笑ってしまった。再ブレイクしたらもうリキッドルームではやらず、さいたまスーパーなんちゃらなどの、何万人も入るところでライブを行うようになり、チケットもなかなか手に入らなくなるそうだ。「チケット争奪戦なんてあなた方しばらくやってないでしょ! せいぜいFOK46くらいでしょ! FOKはキャパが40人くらいだからね!」客いじめだか自虐だかわからないトークが楽しい。

あぁそう言えば。印度と宗教の間奏の、中身があるんだか無いんだかわからないコールアンドレスポンスが異様にしつこかった。オーケンも途中で何を言っているのかわからなくなっているようで、ぐだぐだになりつつヘイヘイコールをするのは結構しんどかった。ただ驚いたのは宗教でこのコールアンドレスポンスをやったとき、てっきりあぁ今回は語りをカットするんだな、と思いきや。きっちり語ってくれたのである。不思議と宗教の語りだけは省略しないよなぁ。

そして「僕の宗教へようこそ」ではエディがついにセンターでオペラを披露。サポートメンバーとは思えない素晴らしき存在感。あんなに間近でエディを見たのは初めてかもしれない。でかかった。

宗教が終わり、オーケンがアコギを持ち出して「死んでいく牛はモー」を演奏。てっきりルリヲをやるかと期待してしまっただけに少々肩透かしだったが、いやー………本当オーケン、ギター上手くなったよなぁ。オーケンのギターに合わせてメンバーがちょっとずつ音を入れて参加しているのが面白かった。ジャカジャカ鳴らすオーケンのアコギに、妙に立派な音が混ざりこんでくるのが笑えるのである。

ギターと言えば、おいちゃんが作曲のときは楽器を持たず、鼻歌で作る話をした。楽器を使わない理由として「ギターで作るとついつい手癖で作っちゃうから」と話したとき、「俺最近ようやくギターで作曲するようになったのに!」とオーケンがショックを受けていた。鼻歌作曲と言えばオーケンの十八番だと思っていただけにおいちゃんの発言は意外だったが、いやでもおいちゃんは鼻歌で作ったものをそのまま持ってくることは無いよな。その後ちゃんと作るよな。

「蜘蛛の糸」をオーディエンスと合唱した後、オーケンが社会の窓が開いていることに気付く。きっと誰かが俺の社会の窓を開けているに違いない! 誰が開けてるんだ! エディか! エディが開けてるのか! と話を振ったところで今日のある意味目玉。ランチパックの話題に。

エディ曰く、オーケンはいつもランチパックを食べているらしい。しかも両手に持って大事そうに食べるそうだ。「もっと金持ちそうなもんを食えよ」とつっこむエディ。対してオーケンは、食にあまり興味が無いと話す。不味いものはわかるが、美味しいものは大まかに「美味しい」枠に入ってしまうので、あまり感動しないそうなのである。そしてその後、他のメンバーに「いつもランチパックばかり食べているイメージがあるのか」と聞いたとき、「ある」「ジャンクなもんばっかり喰ってるイメージがある」と言われていて、いや別にそんなご馳走とか食ってくれなくても良いけど、もっと栄養のあるもんとか、それなりに体に良いもん喰ってくださいよ、と思った。オーケンの健康が心配である。

「皆俺のことをランチパックばっかり喰ってる奴って思ってるなんて! 人間なんか嫌いだ!」と、いう流れで「人間嫌いの歌」へ。この後はラブソングが来るんかなーと思ったら、意外や意外「デコイとクレーター」。うううううううれしかったぁ………。このしっとりとした曲が本当に好きなんだ。「うっとりしたかー!?」とは聞かれなかったが、うっとり聴き入ってしまった。歌詞から想像される映像が美しいんだ。

歌詞が歌詞なのでコミカルなイメージが強いが、久しぶりのダメ人間は結構ハードだった。作曲中、エンジニアの人だったかな。歌詞が入る前の曲を聴いて、どんなに格好良いハードロックが出来るんだろうと思っていたら、「ダメダメ〜パパパヤ〜」なんて歌詞が乗って出来上がって愕然とした、という話が面白かった。

「タチムカウ」も初めて聴くはず。これは浪人期間中によく聴いていた思い出の曲だ。そして本編ラストは「機械」。オーケンが「橘高の曲だと思っていたらおいちゃんの曲だった」と言っていたが、自分もつい最近まで勘違いをしていた。ライブで何本ものギターを操る橘高さんの印象が強すぎて、橘高さんのための曲のようなイメージを持ってしまっていたのだよ。

アンコールの「ゴミ屋敷の王女」で感無量になり、じっくり余韻に浸っていたら「暁の戦力外部隊」あたりからしんどくなり、「釈迦」で全身を使って盛り上がり、最後はしっとり「生きてあげようかな」。次回のライブの告知がすかんちとの対バン以外には特に無かったのは残念だが、明日は何が聴けるかな。恐らく被り無しと思われるし、内田橘高という組み合わせはかなり面白そうで魅力的だ。普段あまりやらない内田さんの曲なんかを聴きたいなぁ。


2012年10月19日 (金) 緑茶カウント:0杯
またたっぷり呑んでしまった! あぁ気持ち良い。楽しかった。既に赤字だ。仕方が無い!


2012年10月18日 (木) 緑茶カウント:0杯
油断大敵とはまさにこのこと。何があったかと問うならば、即ち太ったのである。

原因は知れている。昨今、呑み会が続いたこと、甘いものを多量摂取していたこと。体重と体脂肪率を記録していたソフトがどうしたことか使えなくなり、二ヶ月ほど記録をさぼり、現状把握が出来ていなかったこと。そして何より、筋トレの本を読まずに筋トレをすることが続いていたこと。もう動きを覚えたから良かろうと判断し、本を開かずやっていたらだんだん動きがディフォルメされていき、きちんとした型を取れていなかったのである。今日、改めて本を開き、写真の人物の姿勢を真似ながら行ったら普段よりも疲れる疲れる。うーむ、油断したな、本当に。

と、いうことで本日よりまた気を引き締めて筋トレを実施することにする。体重管理ソフトも新しいものをダウンロードした。将来の健康のためにもやりぬくぞ。


2012年10月17日 (水) 緑茶カウント:3杯
気配を消して対象に近付き、背後から肩越しに指を突き出して声をかけ、振り向いた人の頬を突くというイタズラがありますが、あれを気配を殺さず、思いっきり目が合った状態でやられた場合、どんな反応を返せば良いのだろうかと思いつつ、うっかりスルーしてしまった。

予想するに、友人はきちんと気配を殺して接近するつもりだったのだろう。だが、思い切り視界の範囲内を歩いてきたためやすやすと見つかり作戦は失敗、しかし常人ならばここで作戦を取り止めるところを、まあいいかーととりあえず最後までやり遂げた結果、「久しぶりー」「待ったー?」というごく普通の会話を交わしながら頬を突く・突かれるというよくわからない現場が出来上がってしまったのである。傍から見れば何だこいつら、といった光景だったに違いない。そして我々はお互い頬突きについては何も突っ込まず、ぶらぶら歩いて行ったのだった。


2012年10月16日 (火) 緑茶カウント:0杯
「なーんかさぁ、友達の生んだ子供を無責任に可愛がりてぇなー」「ああああわかる。可愛がりてぇー俺仮面ライダーグッズとかお土産に持ってっちゃう」「だよなーだよなーちょっと恐い絵本とか与えたりしたい」「可愛がりてぇー誰か生まないかなー」「早く生めよ誰かー」

結婚願望が無い人間と、良い人がいるなら結婚したいが一生独身かもしれない、と消極的に悩んでいる人間二人の会話である。居酒屋でのさし呑み。名目は誕生祝いの席だが、肝腎の誕生日を迎える人物はこの場にいない。何故なら彼女は忙しいから。だが、別に忙しくてキャンセルすることになったわけではなく、もともとこの場に出席する予定は無く、誘ってもいない。主役不在の誕生会は静かに盛り上がった。

この場にいない件の友人がもしも結婚して子供を生んだら可愛がりたいと友人が言う。「でも可愛がるには俺が家に遊びに行くことを許してくれる旦那さんと結婚してくれなきゃいけないんだよねえ」「ああそれはもしかしたら難しいかもわからないよなぁ」「俺………しょっちゅう玩具を買い与えて、いつかこっそり俺が本当のお父さんだよって言ったりしたいんだ」「お前…それはだめだわー間違いなく怒られるわー」

そして周囲の人間の中で結婚しそうな人間と子供を生みそうな人間は誰かと話し、あいつとあいつあたりが自分らの分も子供を作ってくれて、平均すると出生率が二くらいになってくれると嬉しいね、と非常に他力本願で無責任な話をした。結婚する者はチラホラ現れつつも、まだ子供が生まれた家庭はあまり無い。これから増えていくのだろうが、そのときは可愛がってやりたいものである。「うまかたやまんば」と「じごくのそうべえ」をあげるよ。


2012年10月15日 (月) 緑茶カウント:2杯
最高に楽しかった!!!!

さーあ明日からまた頑張るぞー!


2012年10月11日 (木) 緑茶カウント:3杯
明日からちょっと外出するので。じゃ!


2012年10月10日 (水) 緑茶カウント:0杯
甘酸っぱいものが食べたくて食べたくて、ケーキ屋を訪ねるも時間切れで閉店支度、スーパー、コンビニエンスストアーを回るも目当ての品は見つからない。食べたいのは甘酸っぱいラズベリーやストロベリーのソース、もしくはムースが使われたデザートである。しかし今日に限って見つからない。

このラズベリーやストロベリーへの甘酸っぱい欲求が、もずくを食したことで満足されてしまったことに今敗北感を抱いている。甘酸っぱいけど、違うだろ……。


2012年10月9日 (火) 緑茶カウント:3杯
おい、ほんの一月前までこの部屋の室温は三十五度を記録していたんだぞ!!

室温二十三度の部屋で凍えている。無論冷房は付けていない。心から半袖を纏ったことを後悔していた。苦し紛れに半纏を羽織るも隙間風が冷たい。風など吹いていないというのに、袖の隙間を空気が行き来して、しきりに体を冷やそうとするように感じられるのだ。

これはもう、秋を通り越して冬では無いのか。

いや、柿はまだ出てきたばかり。自分はやわらかく熟しきった柿よりも、カリカリとした歯ごたえの固い柿の方が好みだ。よって柿に関して言えばこの季節はとても好ましいが寒い。寒い。嫌だ! 困る! まだ冬支度を整えていないのに!

とりあえず明日の朝食の飲み物は冷たい緑茶からジャガイモのポタージュスープに切り替えることにした。起き抜けが一番寒いのだ。あぁ、早くまた暖かい季節がやってこないかなぁ。

ま、梨も柿も美味しいし、秋は秋で素敵だけどね。寒くなければ。


2012年10月8日 (月) 緑茶カウント:0杯
力いっぱい肩こりを指で潰される感覚。こりというこりをゴリゴリと潰す指の持ち主は美容師である。ものすごく一所懸命だ。だが、痛い。

新しく見つけた美容院は古い一軒家の一階を無理矢理美容院に改造した店で、和風な家の壁がポップな色のペンキで塗られ、店の前にはメニューが書かれた小さな黒板。しかし入り口は引戸、というナイスな仕上がり。内装がお洒落な分外観とのギャップが凄まじく、自分は一発で気に入ってしまった。

丁寧に希望の髪形を聞いてくれるのも好ましい。美容師は小柄で常にニコニコしており、ちょっと口下手な様子だが、一所懸命楽しませようとしてくれた。その雰囲気はまるで小動物。そして小動物の指先がゴリゴリゴリゴリと肩と背中を潰していくのである。

もちろん全然気持ち良くない。むしろ痛い。だが、この妙な外観の店が気に入ったのでとりあえず来月も通うことにした。マッサージは………断るか否か思案中である。


2012年10月7日 (日) 緑茶カウント:4杯
通っていた美容院の営業日と営業時間が変更になった。美容師が一人辞めて人員が足りなくなったことが原因らしい。そして自分は新しい美容院を開拓せねばならなくなった。何故ならその営業日・営業時間は己の生活スタイルに全く合わないものだったからだ。

新しい美容院を探すのは憂鬱だ。まず、初めての場所では自分の好み・希望を明確に伝えなければならず、それがなかなか面倒くさい。また、美容院そのものにも好みがある。

お洒落すぎない。
通りから丸見えの前面ガラス張りの店は嫌だ。
マッサージのサービスがあると嬉しい。
カットの価格は四千円以上、五千円未満が望ましい。
出来たら二階にあると良い。
サロン専用グッズを熱心に勧めないでくれるとありがたい。

どうにか一発で好みに合う店を見つけられると良いのだが。新しい場所で何度も自分の望みの髪型を伝えるのは面倒だ。一から、をたびたび続けたくない。だから慎重に選ばなければならない。理想と遠い店を選んでしまったら、来月やり直しをしなければならないのだ。

思案し、パソコンを開いた。検索して条件の良いところを探そうと思っていたのである。

そして自分は、あるレビューサイトで異様に高評価がつけられている美容院のレビューに、全て同じ顔文字が使われているのを発見し、あ、やっぱこういうのってあんま当てにならんな、と見切りをつけて、何と無く内装が好みの店に予約を入れた。良い店であると良いのだが。


2012年10月6日 (土) 緑茶カウント:3杯
恐らく自分は、今後大きな転換でも無い限り、結婚も同棲もしないだろう、と半ば確信しているが、さて、では今未婚の友人達は結婚についてどのように考えているのだろうか、ということが気になる昨今である。

結婚したいけど相手がいない、相手はいるけど金が無い、相手はいるけど結婚の意志は無い、結婚の意志は無いが結婚しなければならないという義務感はある、何と無く結婚することが普通のように感じているのでいつか結婚する気がする、結婚する気は全く無い、様々なパターンが考えられるが、あいつやそいつはどれに該当するだろう。

「俺もいつまでもふらふらしてられないよな」友人の弁である。曰く、そろそろ身を固める覚悟をしなければならない、と認識しているとのこと。好きな女はいない、交際したい欲望も無い、ただ現在の年齢と将来と家族の期待を考慮すると、「結婚しなければならない」らしい。自分はやれ見合いだ何だと親戚が盛り上がって激怒した記憶はあるものの、義務感を抱いたことは一度も無いため、彼の思いには驚いた。そして、皆ある程度そういった義務感は持っているのだろうか、と気になったのである。

家族という形態には憧れる。団欒の時間はとても楽しかった。あれはとても良いものだ。しかしそれを自分で作れるかと問われれば答えは決まっているのである。決まってはいるが、五十年後を考えると少々怖い。もうこんなことを考えなければならない歳になったのだなぁ。全く面倒くさいものである。


2012年10月5日 (金) 緑茶カウント:0杯
ジョジョは熱心に読んでいる漫画の一つである。ジョジョで描かれるポーズも格好良いと思う。だが、だからと言ってジョジョ立ちが好きかと言えば全くもって興味が無い、もっと言えばそれを見せ付けられるとしらけてしまう。また他のパターン。「メメタァ!」「だが断る!!」「なにをするだァーッ!!」と嬉々として叫ぶ人。正直なところ反応に困る。

「ウヲさんジョジョ好きなんですか?」
「あぁ、今んとこ全巻持ってますよ」
「私知ってますよ〜この間アメトークで見ました! ジョジョ芸人とかありますよねー」

せっかく話を振ってもらっているのになんだがアメトークにも興味が無い。ところがジョジョというと、「ジョジョ立ち」「特徴的な擬音・台詞」「アメトーク」の要素が目立ちすぎているせいか、ジョジョ好きであることが露見するとその手の話ばかり振られ、しかもそれ、反応は全て色物的扱い、悪く言えば小ばかにされている感があり、あまり気分がよろしくない。

二十五周年記念で盛り上がっているのは大変結構なことだ。ジョジョ展は楽しみだし関連商品も購入している。しかしどこか悪目立ちしているようでやや居心地が悪い。盛り上がって欲しい気持ちと落ち着いて欲しい思いが混ざり合う。ジョジョの内容について語るのは好きなんだがなぁ。


2012年10月4日 (木) 緑茶カウント:0杯
残金およそ三万円。今月を三万円で乗り切らなければならない現状を目の前に、いかに暮らそうかと思い悩む。電気代水道代ガス代などは支払い済みとはいえ、今週末には四千円を支払わなければならない買い物も控えているし、散髪も今だ済んでいない。そのくせ今日はついついラーメンと餃子を外で食べてしまった。何をやっているのだ己は。しかもこのタイミングで携帯電話の充電が切れやすくなってしまった。おい、買い換える余裕なんか無いぞ。

さて、急を要するもの、そうでもないもの、合わせて今購入したいものは何があるだろうか。整理のためにも並べてみようじゃないか。

姿見
長ズボン
長袖シャツ
冠婚葬祭用の服
散髪
平沢進のDVD
図鑑
携帯電話

図鑑とDVDはこの際置いておくとして、今一番困っているのが衣類である。筋トレを継続してめでたく減量に成功したのはいいものの、所有のズボンが全て体に合わなくなってしまったのだ。ぶかぶかしているだけなので着ようと思えば着られるが非常に見た目は格好悪い。どうにか数着用意をしたいものであるが……。

あぁ、それと今月はライブがあるのだ。久しぶりの筋肉少女帯のライブ。Tシャツとタオルは買いたいし。乗り切れる気がしない。たはっ。


2012年10月3日 (水) 緑茶カウント:0杯
夜中に掃除機をかける音が聞こえるのは良いとして、何故上から聞こえるのだろう。上には誰も住んでいないはずなのに、というよりそもそも部屋が無いのに。不思議なことである。


2012年10月2日 (火) 緑茶カウント:4杯
ちょっと体調を崩してきていることを自覚した。睡眠不足と野菜不足と、いくらかのストレスが原因だろう。季節の変わり目でもあるのでちょっと気を付けようと思う。


2012年10月1日 (月) 緑茶カウント:3杯
無印良品でぶどうの香りの入浴剤を見つけた。己はぶどうが何よりも好きである。すぐに買った。入れてみた。浴室に漂うぶどうの香り、紫に染まるお湯。芳しいぶどうの香りに浸りながら思ったことは、ぶどうはやっぱ実物を食べるのが一番だよなってことだった。以前、戯れに購入したぶどうの香りがしてぶどうの味がしない麦茶もまだ半分近く残っている。いつか消費する。きっと。


2012年9月30日 (日) 緑茶カウント:5杯
消費する楽しみにしか体が動かないことに悩んでいる。それどころか、その消費すらも億劫で、楽しみたいと思って買ったものを放置してしまう現状がある。

消費なのだ。同じ作品に触れるにしても、吸収を実感出来ていればまだ次につながる気配があるのに、あくまでもただ消費を貪るだけでだらだらと時間が過ぎるだけ。ぼんやりとやりたいことがあっても強い衝動が起きず動けない。

いやだめだろ自分。いくらなんでもそんなんじゃ。

もう二十代も半ばを過ぎて? 五年も経てば三十過ぎで? 十五年も経ったら四十歳。その間、ただただ無為に時間をすごすわけかい?

と、自問自答をすると焦りは生じるもののなかなか動けないのは、きっと生活に疲れているからなんだろうなぁ。描いて、と言われたオオスカシバ一枚にさえ手が伸びないのだよ。オオスカシバが好きなのに。

何というか、こういうとき、気分に大きな波が生じ、自立的に動こうとし、色々考えて悩んで喜んで悲しんで、という感情の波が生まれる恋というものは偉大であるよなぁ、と思う。あれは偉大な刺激だよ。それが得られないならもっと外に出なければならないのだろう。出なければなぁ。出よう。


2012年9月27日 (木) 緑茶カウント:0杯
色々必要なものが多すぎて、しかし予算には限りがあり、何から片付けていこうか考えつつ、優先順位の低いものに手を出してしまった。人生には潤いも必要なのだ。仮にそれで後々窮することになろうとも。

姿見の購入はまだまだ先だなぁ。


2012年9月26日 (水) 緑茶カウント:0杯
ヤクザに風呂に沈められるという言葉を見聞きするたびに思うのが、その湯は張りたての新しい湯なのか、残り湯なのかということだ。どうしたって溺死は嫌だが、それでも、せめて死ぬなら新しい湯が良い。残り湯の中に頭を突っ込まれて死ぬのは避けたい。それがまた、家族全員が使い、一晩経って、夕方の風呂掃除の時間まで放置される運命の、髪の毛や垢が浮いた生ぬるい湯だったらと考えると、もう悲しくてやりきれない。いっそ銃殺して欲しい。

ベストなのはこれから風呂に入ろうかと湯船を洗い、新しい湯を溜めきった直後に襲撃を受けることである。その場合、残り湯と違って湯温は四十度前後であることが予測されるので、そこに頭を突っ込まれたらそれはそれで苦しいだろうが、それでも残り湯よりはマシだ。

このように考えるとユニットバスは安全でよろしい。一人が使ったらすぐにその湯は流されるので残り湯が放置される心配はほぼ皆無である。仮に襲撃を受けて湯船に沈められることになってもそれは間違いなく張りたての湯。衛生面では安心である。

などという阿呆なことを考えていたら一日が終わった。残り湯の心配なんぞしなくとも、借金も無ければ保証人になった覚えも無く、襲撃を受ける可能性は今のところ無いはずなので杞憂以外の何物でも無いというのに。それに我が家はユニットバスだから基本残り湯なんどは存在しない。きっと殺されるときはシャワーヘッドで撲殺だろう。それはそれで嫌だなぁ。


2012年9月25日 (火) 緑茶カウント:5杯
恐らく栄養が足りていないと思うのだ。

食べていないのに痩せない、と言う人がいて、話を聞くと朝は食べず、昼はコンビニ弁当もしくはマクドナルド、夜は太るのでインスタントの春雨スープのみ、という生活をしていると語る。自分は日々黙々と筋トレをしているだけで食事にはさして気を遣っていないため、専門的なことはわからないが、ただ、やっぱ栄養が足りないんじゃないかなぁと思うのだ。

しかしどうにもそれを指摘しづらく、というのもその人が「食べてないのに痩せないんですよ〜」と言うのは、どうしたら痩せるか一緒に考えて欲しいのか、単に「いやいや○○さんはダイエットなんて必要ないと思いますよ〜」という言葉を求めているのか、よくわからないのである。

ふと思い出す。栄養と言えば昨今の自分は亜鉛が足りているのだろうか。数年前に亜鉛不足で軽度の味覚障害にかかり、処方された亜鉛の錠剤を飲むことで回復したが、錠剤の処方が終わった後も特に食生活は変わっていない。自覚する限り特に舌に異常は無いので大丈夫だとは思うが。思い出すと少し気になる。


2012年9月24日 (月) 緑茶カウント:3杯
一週間ほど前、雨の中帰宅すると物干しの下で洗濯物が風に揺れていた。
三日ほど前、雨の中帰宅すると物干しの下で洗濯物が風に揺れていた。
そして今日、雨の中帰宅すると物干しの下で洗濯物が風に揺れていた。

歩道に立ち止まって仰ぎ見る。あの洗濯物、もしかしてずっと取り込まれていないんじゃないのか。

最近越してきたお隣さん。越して早々ゴミの日以外に大量のダンボールを打ち捨て、当然回収はされずそのまま放置、そこに運悪く雨が降り雨が湿りダンボールがぐずぐずに崩れ、階段下に倒れて溶けて足の踏み場が無くなるどころか、気色の悪いべしょべしょのバリケードが出来て通行困難になるもそのまま放置、ゴミ回収車が来るまでずーっと放置、という第一印象があまりよろしくない人で、顔は見ていないが足音のうるささ、戸の閉め方の乱暴さからして恐らく粗雑な男性であると思われる。

で、このお隣さんが、ずーっとずーっとずーっと洗濯物を出しっ放しにしているのだ。

毎夜ドスンドスンバターンと足音と戸の開閉音で存在感をアピールしまくっているので留守にしているわけではないらしい。体の具合が悪いということも無いだろう。よって、洗濯物のことをすっかり忘れて一週間以上外出しているわけでは無い。

雨で濡れた洗濯物を乾かそうと放置していたらまた雨に降られてしまい、を繰り返しているのだろうか。ダンボールと違い害は無いが不可解だ。仮にそうであるにしろ、そろそろ観念して洗濯をし直せば良いのに。

今日の大雨と強風でいっそ吹き飛ばされたら清清しかろうなぁ。お隣さんもそれを待っているのかもしれない。


2012年9月23日 (日) 緑茶カウント:4杯
涼しいな、と思う間もなく冷えるようになったので、久しぶりに急須を出し、温かい緑茶を入れた。じんわりと浸み込む甘味と苦味が心地良い。

いつの間にか秋が来たのだなぁ。


2012年9月22日 (土) 緑茶カウント:4杯
友人の結婚式に招待されたが、まだ招待状は受け取っていない。曰く、可能であれば直接手渡ししたいとのことで、なるべく郵送は避けたいそうである。友人とはしばらく会っていないため、久しぶりに食事でもして話をしたいという意図もあるのだろうが、やけに手渡しにこだわるあたり、別に理由があるのだろう。

きっと、招待状は生もので出来ているのだ。

お好み焼きにソースで「出席」「欠席」と書いて渡してくるかもしれない。で、あれば確かに郵送は良くない。クール便なら対応可能だろうが、余計な経費がかかってしまうし、何より冷めてしまうだろう。そういえばこのところお好み焼きを食べていない。チーズがたっぷり入ったやつを食べたいなぁ。豚玉も良い。イカ玉は好みでないので避けていただけたら助かります。よろしくお願い致します。


2012年9月21日 (金) 緑茶カウント:3杯
ようやく金曜深夜のTSUTAYA返却レンタル返却地獄から脱した。全ての始まりは数週間前の金曜深夜、日付が変わったのでもう土曜日だろうとDVDをレンタルしたらまだ金曜日として換算されていて、すると返却日も一週間後の金曜日まで。仕方が無いので金曜深夜にDVDを返しに行ったが、レンタルしたのはシリーズ物だったため続きを観たい、するとついついそのまま続きをレンタルしてしまい、また翌週の金曜日に返さなければならず、返しに行ったらまた続き、という輪廻を繰り返していたのである。

金曜深夜というのはなかなかネックだ。土日にうっかり視聴し損ねたらもう後が無く、忙しい平日にわざわざ時間を作って観なければならない。土曜日ならば日曜に見損ねても翌週の土曜日にまだ猶予が残されているのに。さらに、金曜日に呑み会をした後も自分にはDVDを返さなければならないという義務が付きまとう。酔って帰ってそのまま寝たくても、わざわざTSUTAYAまでDVDを返しに行かなければならないのだ。これがなかなか面倒くさい。

しかし本日、ようやくシリーズを全巻観終わり、金曜深夜のTSUTAYA地獄から脱することが出来た。ずっと観続けていたシリーズ物以外に気になるものもあったがここが踏ん張りどころ、ということで返却する必要の無い新刊の漫画を二冊購入して何もレンタルせずに帰宅した。ジョジョリオン三巻とマギ十四巻。二冊ともまだ読めてはいないが今は清清しい気分である。来週金曜の自分には何も義務が無い。些細なことだが気楽なものだ。ふふふ。


2012年9月20日 (木) 緑茶カウント:3杯
男性性に失望している友人が、もう男なんか嫌だ男嫌い去勢したい、でも痛そうだし女になりたいわけでもないし女嫌いなんだよねその百倍男が嫌いだけど、と言っていた。

二つ、言いたいことがある。

一つ。痛いって、医者にかからず自力で去勢することを想定しているのか。君は。
二つ。去勢するだけじゃ女にはならんから大丈夫だ。ただ去勢した男になるだけだ。

しかし友人が今求めているのは絶対にそんな言葉では無い、ということはいくら空気が読めなくても流石にわかったので黙っておいた。君に幸あれ。


2012年9月19日 (水) 緑茶カウント:4杯
平沢進の「フローズン・ビーチ」を繰り返し繰り返し聴いている。前から好きではあったが、ここ数日で急にはまったのである。歌声にエッセンス程度の色気が感じられて、過剰じゃないのが心地良い。これはラブソングと解釈しても良いのだろうか。好きだなぁ。


2012年9月18日 (火) 緑茶カウント:3杯
「もう男なんか嫌だ男嫌い」と男に失望する男を見ながら思うことは、どうしたって男の中で生きていく必要が生じやすいだけ、同じ言葉を女が発するよりも、事態は深刻なものであるよなぁ、ということだ。だって彼はそれを思わせる特定の男に嫌悪を感じると同時に、その男と自分が同じ男性性を持っていることに失望しているのだから。

安心しろよ、お前はそいつと同じ男かもしれないが、同じ染色体を持っているだけで、お前とそいつじゃ全くの別人格なのだから、君がそうして自分自身にまで失望する必要は無いと思うよ、と声をかけてやりたいが、多分今は時じゃないのだろうなぁ。

年齢的なしがらみや義務感に縛られ、その年齢の男性らしくあらねばならないと思いつつ、そこに踏み出そうとしながら実際乗り気になれずにいるものの、このままただ自由に年を重ねると、自分が嫌悪した男のようになってしまうのではないかと危惧しているのだ。十も年下の女の子に立場を利用して悪知恵を働かせてしまうような。

あいつに限ってありはしないと思うのだが。彼は今失望している最中なので声をかけられない。全く、年を重ねるとは何と面倒くさいことだろう。まださほどではないものの、自分もじわじわと面倒くささを感じてきている。いっそ一足飛びで五十代になってしまったら気楽かもしれないね。


2012年9月17日 (月) 緑茶カウント:4杯
「ウヲは高校の頃、肉肉言ってた」というのは妹の弁であり、自身もそれを否定するつもりは無く、確かに高校の頃、まぁ魚も好きだけど、とにかく肉が食べたい、肉肉肉! と母に要求していたことを覚えているが、今、成人して二十代も半ば過ぎ、いくら肉が好きだとてそこまで食べられはしないのだ。

外食をした。居酒屋で。妹と叔母の三人で。三人ならばとりあえず三人前ほど注文すればよろしいだろう、と己は計算した。しかし誤算があった。叔母と妹、彼女らは少食も少食、人の半分も食べずに腹いっぱいになるほどの少食であったのである。すると計算は? そう、ハーフ足すハーフ足す一人。本来ならば二人前で足りたところの三人前。で、残り一人前食べるのは?

あぁ。そうだ。実家に居た頃。母は人数分の料理を作ったが、妹は半分しか食べないため、結果自分が食べることになり、すると大皿料理の配分は結果的に自分が多め、食べきれないほど食べるのが日常となり、一人暮らしを始め適量を食べるようになった途端、いきなり七キロ痩せたのだった。

蘇る思い出と繰り返す現在。調子に乗ってアルコールを摂取しすぎて吐きそうになることは今までにも少なからずあったが、今日の吐き気はそれとは違う。食べ過ぎた。明らかに食べ過ぎた。美味しかったが胃が重い。机の前で自分は頭を垂れて動けずにいた。食べ過ぎたのだ。本当に。


2012年9月16日 (日) 緑茶カウント:4杯
真夜中のアーケード。昼間もさして人気の無い寂れた通りは夜になれば尚更で、街灯に飾られたプラスチック製の造花が寂しさを助長させている。このアーケードを通る人々を歓迎する目的で飾られたものだったのだろうが、今は色褪せて疲れきっているようにしか見えない。トンネルの先には誰もいない。

と、思われた。大股でアーケードの中心を突き進んでいると、視線の先に黒いものが見えた。歩くごとにだんだんと距離が縮まる。同じ方向に進んでいるようだが、速度は随分遅いようだ。距離が縮まるにつれその正体が明らかになる。あぁ、背が低いと思ったら車椅子の人か。

車椅子の人だ。車椅子の人ならさして珍しくも無い。だが違和感があった。何故だろう、何かがおかしい。無意識のうちに歩行が早まる。そして気付いた。あぁ、わかった。自分の感じていた違和感の正体が。車椅子の背もたれから垣間見えた色に己は違和感を抱いていたのだ。

気取られないように、しかし確実に先に進めるように、走り出さないよう意識しながら追い越して、前へ前へと進んでいった。その人がどんな事情を持っているのか知らない。知らないが、とにかく自分は怖かったのだ。背中から聞こえる車椅子の走行音を振り切るよう、真剣に歩き続けた。

あなたは、真夜中のアーケードをゆっくりと走る、上半身に何も身に着けていない、車椅子のおばさんを見たことがあるだろうか。背中側しか見ていなかったので、上半身だけ、だったのかは正直なところよくわからない。その人に何があったのかもわからない。表情も見ていない。ただ、日常の中で見てはいけない非日常を垣間見てしまった気がしたのだ。怖かった。


2012年9月15日 (土) 緑茶カウント:4杯
飲酒をした日は目覚ましが鳴るまで目覚めない。しかし、飲酒によって眠りを得るのは危険であることを己は知っている。よって飲酒を眠りの解決策に使う気は無いが、今日は土曜日であるのでちょっとだけ。一リットルだけいただいた。

すると結果、眠りを目的としたものではなかったものの、あぁ眠い眠い眠い。既に二時を過ぎているが今日は早寝をしようじゃないか。どうかなるべく深く、眠りにつけますように。


2012年9月13日 (木) 緑茶カウント:3杯
うまくいかねぇなーとしみじみ思う。しみじみ。


2012年9月12日 (水) 緑茶カウント:3杯
悪夢は見なくなったが、起床予定時刻の一時間ほど前に一度目が覚めてしまう日々は続いたままで、これがまた疲れるのだ。うまく睡眠が出来ない。


2012年9月11日 (火) 緑茶カウント:0杯
部屋に出たゴキブリの幼生と思われるものの種類を特定するために、迷うことなく画像検索を開始するあたり、苦手だ苦手だと言ってもまだ耐性がある方なのだろうなぁとお思いつつ、流石に気持ち悪くなってきた。

そうそう、インターネットは本日復旧した。とはいえ、FFFTPの設定を未だしていないため、今日も日記はアップ出来ないのだが。書くだけで溜まる一方。週末こそは、と胸に誓って。


2012年9月10日 (月) 緑茶カウント:0杯
連日の悪夢続きで体力を消耗している。疲れのせいかイライラしやすくなり、特に午前中は調子が悪く、人に優しくすることが難しい。

今日の夢はグロテスクなものだった。木に吊るされた人間が捌かれ内臓を抜かれ解体される様を目の前で見るというものだ。夢の中で刃物を持った人が解説しながら捌いていく。横隔膜を切れば内臓は綺麗に抜けると言い、言葉の通りに内臓の塊が下に用意されたバケツの中に落ちた。この瞬間飛び起きて目が覚めて息を吐いたのだった。

まぁ、夢の由来はわかっているのだ。寝る前に読んだ漫画が原因である。猟師であり漫画家である作者が、ハトやカモはもちろん、ウサギにイノシシ、ハチノコ、マムシ、カラスと、食べられそうなものは何でも獲って、美味しく食べるという漫画である。この作者、好奇心が旺盛で「気になったものはとりあえず食べてみる」癖があり、ハチノコを生のまま食べてげんなりしたり、食べると中毒死の恐れがあるセンダンの実を食べて吐き出したりと、普通は食べないものや食べてはいけないものも食べている。ちなみにタイトルは「山賊ダイアリー」、作者名は「岡本健太郎」。猟師になるための資格の話や、空気銃の扱い方、山での豆知識、作者の失恋話などがちょこちょこ描かれる、地味で味のある面白い作品だ。

この漫画でイノシシを捌くシーンがあったのだ。漫画は絵柄のおかげか、そう生々しくもなくあまりショッキングな画でも無かったが、寝る直前にじっくり読んだので影響してしまったらしい。横隔膜の話も漫画に出てきたものだ。

そもそも何かが調子を崩しているから、些細なことが悪夢の由来になっているのだろうが、根本の原因が良くわからないのでとりあえず、寝る前の音楽、本、漫画の選択には気をつけようと思う。今日こそはゆっくり寝たいのだ。


2012年9月9日 (日) 緑茶カウント:0杯
今日は重陽の節句である。雛祭りや七夕といった他の節句に比べるとあまりにも知名度が低い重陽の節句である。その存在を知らずに一生を終える人も中にはいるだろう。そんな重陽の節句の今日は外出日和の良い天気、にも関わらず部屋に閉じこもってひたすらゲゲゲの鬼太郎第四期のDVDを観続けるのもいかがなものだろう、と気付き、仕度を整えて外に出た。いやー大人になってから観ると結構説教臭いねこれ。あと鬼太郎は「はい父さん!」と言いすぎだと思う。

特にあては無かったが、途中の道で目黒のさんま祭りという催しがあることを教えてもらい、野次馬に行くことにした。目黒のさんま祭りはいつだったかテレビで見たことがあるので、その人込みの知識はある。よって野次馬。食べに行くのではなく見に行くだけ。さんまは好きだが、長蛇の列に並んで待つほどの執着は無いのだ。

しかし結局さんまを食べた。無料でさんまを配っている列の脇を進んだ先で、有料のさんまの出店が出ていたのである。一尾五百円。高い。スーパーで買えば八十八円で買えるじゃないか、と思いつつ、他にさんまの蒲焼丼、ヤキソバ、から揚げなどもあり、蒲焼丼も五百円。まぁ米が付いてるなら五百円でも良いかな、とちょうど朝から何も食べていなかったのでこれを購入、ついでに生ビールも呑み、お腹一杯になって元来た道を戻った。

そういえば目黒には何度か来たことがあるが、寄生虫館に行くために寄ったことしか無かったなぁ。だからこの街には寄生虫館の他に何があるのかさっぱり知らない。じゃあ、まあ、せっかく寄ったので駅ビルの中も見てみましょうとCDショップを覗いたら平沢進のCDも置いてあって、ヒラサワのネームプレートだけ他と様子が違っていた。他は白地の紙に黒文字なのだが、ヒラサワだけ黒地の紙に緑の文字。他に同じものが無いか探してみたら、一つだけそのタイプのものがあった。何でヒラサワとその一つだけ黒地に緑なのだろう。作った人が違うのだろうか。ちょっと気になったが店員に聞くほどのことでも無いので、そのまま店を出て電車に乗った。そんな重陽の節句だった。


2012年9月8日 (土) 緑茶カウント:0杯
布団カバー・枕カバーの洗濯、布団干し、トイレ掃除、水拭き空拭き床磨き、ちょっとした大仕事を終えて達成感に満ち満ちながらサンドイッチとコロッケサンドと美味しいケーキを食べた午後。至福の一時。その一時を通過して二十四時を迎えた今、カレーうどんが食べたい。

食べ過ぎたのだ。サンドイッチ、コロッケサンド、ケーキを食べたのが十五時過ぎ。さらにケーキを食べたなら塩味のものも欲しいよな、とチーズおかきを貪り食い、冷たい紅茶をごくごく飲んだら夕方になり、当然食欲は生じない。その後の結果は見えているが、というのもこんなことは何度も経験したことでわかりきっていたものの夕飯を延期に延期、結果予想は的中。こんな時間になって腹が減ったのである。

カレーうどんには肉は入れない。代わりに調理用チーズをたーっぷり入れるのだ。玉ねぎ、人参、ナスを煮込み、出汁と醤油で味をつけ、冷凍うどんを投入し、カレールゥを入れたら弱火でふつふつ。鍋から丼に移す直前に輪切りにした長ネギを入れてさっと火を通し、調理用チーズを底に敷いた丼にカレーうどんを入れる。絶品だ。

チーズ入りカレーうどんという美味しい食べ物の存在を知ったのは高校・予備校時代に通っていたうどん屋だった。特に予備校時代はしょっちゅう通っていて、お店のおばさんにはすっかり顔を覚えられ、デザートをサービスしてもらったり、受験合格後母と食事に訪れた際には、母の分までまるまるご馳走してもらったこともあった。そのうどん屋も今はもう無い。

チェーン店であるため別の店でも思い出のうどんは食べられるが、先日店が無くなったことを知ったときはやはり非常にがっかりした。そうそう、店ではチーズの他に揚げ餅が二つ乗ったカレーうどんを大盛りで食べていたのだった。しょっちゅう通ううえに毎回がっつり食べるから覚えられていたのだろうなぁ。あぁ、もう一度行きたかった。


2012年9月7日 (金) 緑茶カウント:2杯
あぁ、そうそう、小松菜は水で解凍してざく切りにし、野菜がたっぷり入った春雨スープに浮かべて美味しく頂いたので、一応ご報告を。無駄にしなかった自分を褒めて欲しい。


2012年9月6日 (木) 緑茶カウント:2杯
悪夢を見て飛び起きた。深夜三時のことである。何時間も悪夢に苛まれていたような気がしたが、床に就いたのは深夜一時。たったの二時間しか経ってなかった。てっきり四時か五時にはなっていたかと思ったが。

ただこの悪夢、夢の内容もひどかったが、何が恐ろしかったって、トン、トンと我が家の薄い玄関ドアーをノックする音が聞こえたことだ。深夜三時に。夢の中の音かもしれなかったが、現実世界で聞こえた音に悪夢の中から引きずり出された感覚だった。飛び起きた後、しばらく自分は身を潜め、玄関の方に耳をそばだてていた。

この場合、自分が起きていることをアピールした方が良いのか、悪いのか。恐る恐る、音を立てないように玄関へ向かい、覗き穴から外を見る。暗くて良くわからないが誰もいないようだった。悩みに悩んで自分は部屋の電灯を点けた。もしも泥棒だったなら、起きていることを知らせた方が良いだろう。

単に寝ぼけただけかもしれない。むしろそう思いたいが、流石にこの悪夢とのコンボには精神を消耗させられた。ちなみに悪夢の内容は、ぶよぶよに太り、まるで引っ張られでもしたかのように胸や尻の肉が垂れ下がった醜い全裸に迫られるというものだった。しかも場所はレストラン。非常に気持ちが悪かった。


2012年9月5日 (水) 緑茶カウント:3杯
冷凍庫を開けたら袋入りの小松菜がカッチカチになっていた。

思わず短く叫んだ。

今日の晩飯は小松菜とササミ、その他野菜の炒め物ともずくだった。玉ねぎ、人参、小松菜を切り、ササミを解凍し、炒めながら用の済んだ野菜を順番に冷蔵庫にしまっていく。同時に冷凍ご飯の解凍の準備。冷蔵庫を開けたり閉じたり非常にバタバタしていた。

きっと、冷凍ご飯を取り出したときに残りの小松菜を空いたスペースに突っ込んでしまったのだろう。想像はつくが、この洗ってもいないままに冷凍されてしまった小松菜を己はどうすれば良いのだろうか。炒め物には出来ない。洗いながら解凍してスープにするしか他に手を思いつかない。幸い量は少なかったが、あの冷凍庫を開けた瞬間の衝撃とやっちまった感は結構なものだった。やれやれである。


2012年9月4日 (火) 緑茶カウント:4杯
友人と電話をした。メールの文面から察するにひどく悩んでいるようで、気にかかって電話をかけてみたら留守番電話。電源を切っているのだろうか。もしかしたら今は誰とも話をしたくないのかもしれない。諦めて電話を切った途端折り返し着信。件の友人からだった。

携帯電話の充電が切れるまで、三十五分会話をした。友人の悩みの種は察しの内容と同じものだったが、そこから紡ぎ出される話、友人の考え方、思想はあまりピンと来ず、理解出来なかった。そこまで厳密に考えなくても良いだろうに、真面目だなぁ。ただ、真面目な人に真面目に考えすぎるなと伝えたところで無駄である。

わからないなりに自分は自分の考えを伝えた。友人も、自分の考えをまるまる飲み込むことなど出来ないだろう。ただ、一つの意見として聞いてはくれたようで、気持ちは受け取ってもらえたようだった。実際、友人が電話を切った後、ため息をついたか一息ついたかはわからない。わからないが、どうかほっと一息ついて、少し楽になってくれたらなぁ、と思うが…。どうだろうなぁ。


2012年9月3日 (月) 緑茶カウント:3杯
このところ毎日桜蘭高校ホスト部のアニメを見ている。この漫画、大学の頃サークル内でちょっとしたブームとなり、それが縁で漫画を購入して読んでいたのだが、最終巻までの六、七巻は買わずに何と無く止まっていて数年間放置。そしてつい最近、急に少女漫画が読みたくなって本棚の奥から掘り起こし、一気読みしたらやはり面白いなぁ。あっという間に最終巻まで買い揃えて数年越しに全巻読破し、ついでにアニメにも手を出したのである。

この漫画が身内で小さなブームになったきっかけは何だろう。アニメの放映の時期が当時だったのだろうか。というのも女子の間よりも男子の間で流行っていて、中でもハニー先輩が大人気で、「ハニー先輩良いよな!」「ハニー先輩良いキャラしてるよな!」と絶賛されていたのである。ちなみにこの面子の間で共通して流行った漫画は他にジョジョ、もう少し規模は縮小されるが武装錬金がある。共通点を見出すのが若干難しいラインナップだ。

このホスト部という漫画、高校でホスト部というわけのわからん部活をメンバーが大真面目にやっている設定と、「これこそが一人前のホストだ」と環あたりが誇らしげに口にするあたりが面白い。いや一人前のホストも何もお前は別に将来一人前のホストになるつもりじゃないだろう、そこは目指すべきところじゃないんじゃないかあなた方、と突っ込みを入れたくなる。むしろホストとは限りなく縁が遠い人種だろうに。

と、いう突っ込みをして楽しむのも良いが、密かに好きなのはハルヒがちゃんと成長しているところにある。ものぐさで、皆が楽しげに盛り上がっているところですぐに「興味が無い」「どうでもいい」と水を差す発言をする。しかしハロウィンの件で、自分の発言で周囲をがっかりさせていたことに気付いている。他、男も女も関係無いと無茶をして海に落とされ、助けられた後環に説教されて一度は反発したが、部員の皆に諭され、鏡夜にフォローされ、しっかり気付くことが出来た。こういう風に成長が見られると安心する。

あと秀逸なのが環の家族設定。いったいあれはいつから計算されていたものだったのだろう。てっきりただのギャグかと思いきや、いつの間にかしっかり物語の根幹を成すキーワードになっていたのだから驚きである。もしこれが最初から予定されていたものだったら感嘆せざるを得ない。途中で上手いことこれを活かそうと気付いて設定を作っていたとしてもすごいが。

今週はDVDの一巻二巻三巻をレンタルした。一度にこんなに見られるだろうかと思ったが気付けばぶっ続けで見ていた。そして今はアニメの音声をBGMにして日記を書いている。環がやたらと叫んで騒がしい。


2012年9月2日 (日) 緑茶カウント:5杯
パソコンの設定に四苦八苦している。Windows7の自動更新により、四十二個の更新プログラムをインストールした途端Twitterのタイムタインが表示されない、hotmailのページが表示されずサインイン出来ない、youtubeの動画が表示されない、サイトによってはページの表示が崩れる、といった不具合が起こり、どうしたものかと悩みつつ更新前にパソコンを復元したら復旧、しかし設定を変更していなかったためシャットダウンと同時に自動的に再び四十二個の更新プログラムがインストールされ、今度は復元ポイントまで戻すことが出来なくなり、フラッシュをアンインストールしてインストールし直したり、セキュリティを切ったり、その他出来得る範囲のことは調べに調べて試したが良い結果は得られない。firefoxを使えば不具合は表れないが、問題が未解決のまま放置するのは気分が悪い。恐らくIE9に問題があるのだろうが…。

数日間悩んだ挙句、ユーザーサポートに問い合わせをしたところ、更新プログラムとIE9に問題があるのだろうと結論、IE8にダウングレードすることで問題は解決した。あぁ、やれやれ良かった良かった。と、安心したのも束の間本日からインターネットが繋がらない。LANを変えても変化無し。ルータは壊れていない。IDとパスワードを入れ直してもダメ。インターネットの支払いも済ませている。困りきってNTTのユーザーサポートに電話。混雑中ということで三時間後に折り返しをいただき、色々試すも解決には至らない。プロバイダへの問い合わせが必要になり、受付時間が既に過ぎていたため問題は翌日に持ち越されることになった。

あぁ、いつになったら問題無く平静に使えるようになるのだ!

一難去ってまた一難。途方に暮れる日々である。どうかこれ以上の問題が起こってくれませんように。


2012年8月27日 (月) 緑茶カウント:4杯
パソコンを新調した。ついに今年で七年目を迎え、起動に十五分かかり、画像の多いページは読み込めず、インターネットエクスプローラーを立ち上げるだけでメモリ不足の警告が出る。それでもパソコンの方に自分を合わせ、騙し騙し使っていたが、あるときふと、自分は人生のうち何時間、ページを読み込むのを待つことに時間を消費しているのだろう、と考えたとき、どうしようもなくもったいなくなってすぐさまパソコンを買いに行き、その日のうちに購入した。一度決めると早いのである。

どれにしようかとも思ったが、七年も経てばどれを買っても性能は抜群であるので、大してコンピューターにこだわりの無い自分はどうでも良くなってしまって、まぁ、ずっとDELLを使ってたからDELLで良かろう、メーカーが決まればあとはその中から手頃なものを選べば良し、といった塩梅で、大して悩むことなく終わった。

外付けHDDに移したデータを中に入れ、少しずつ環境を整えている。まだまだ様々なソフトのインストールは済んでいないが、既に快適さに打ちのめされている。電源を入れた途端に立ち上がり、重いページも難なく読み込み、そして何よりパソコン本体が驚くほど軽いのだ! 宅配の人から受け取ったときにも驚愕したが、七年の間にこんなに軽量化が進んでいたなんて! 技術の進歩は素晴らしい。

今日は間に合わなかったが、明日はFFFTPの設定をしよう。少しずつ少しずつ快適にしていくのだ。


2012年8月25日 (土) 緑茶カウント:1杯
泳ぐ魚を見に行ったら、イグアナが岸辺に佇んでいた。

水族館に行ったのである。

長きに渡り、水族館に行きたいと思い続けていた。しかしなかなか良い機会が無く、希望を叶えることが出来ずにいたのだが、友人の誘いでついに本日念願叶うこととなった。十日ほど前から遊びの約束は入れていたものの内容は白紙の状態で、さて、何をしようかと数日前に問いかけたところ思いもよらぬ素敵な提案。場所は池袋。わくわくしながら電車に乗った。

「ウヲってそんなに小さかったっけ?」会うや否やこの台詞である。友よ、あなたはそれを会うたびに言っている気がするぞ。改めて友人の身長を問い、自分の身長を伝え、隔たりを再認識しつつ水族館を目指す。ビルの最上階にある水族館。このビルには何度も訪れたことがあるが、水族館に入ったことは無かった。いったいどんな生き物がいるのだろう。会いたいものに会えるだろうか。

そして自分はこの水族館で、大きなイグアナを見たのである。イグアナ。大きなトカゲのような生物。爬虫類。否・魚類。

何故かこの水族館、魚類以外も結構いた。アルマジロ、アリクイ、フェネック、猿、フラミンゴ、ペリカン。前述のイグアナは水槽の中で他の魚と一緒に生息していて、クマノミの水槽にヤドカリも一緒にいるような、いわばオマケのような存在だったのだが、オマケにしては存在感がありすぎるという問題は置いといて、アルマジロやアリクイは水槽とはまた別に作られた、ものすごく種類の偏った動物園のようなコーナーにいた。魚を見に来てアルマジロ。なかなかのインパクトである。

この動物コーナーが出口付近にあったため、うっかり魚類の思い出が動物達に塗り替えられそうになったが、たまらなかった! 大好きなタツノオトシゴ、暗闇で光に照らされるクラゲ、海底の穴から顔を覗かせるチンアナゴ、想像の二倍ほどの大きさだったマンボウ、やたらと腹を見せ付けてくるマンタとエイ、四角いサメ、巨大なタコ、分厚いヒトデ、せわしないラッコ、美味しそうなアジの群れ。

水の中をたゆたう生き物を見るのは、どうしてこんなに楽しいのだろう。何故あいつらはあんなにユニークな姿形をしているのだろう。人が多く、覗くのにも苦労したが、非常に楽しかった。やはり水族館は良い。


2012年8月24日 (金) 緑茶カウント:0杯
甘い菓子が部屋に溜まっているのだよ。

疲れを感じて甘い菓子が欲しくなる。買いたくなるので購入する。しかし買ったことで満足し、食べずにおいて、また外に出たときに新しいものを買ってしまう。大した量では無いが甘いものが増えている。家の中で。

パーッと食べたら気持ちが良いだろうか。まぁ、明日はいろいろと楽しい予定が入っているので良い気分転換が出来るだろう。出掛けた先で甘いものを食べても良いかもしれない。


2012年8月23日 (木) 緑茶カウント:0杯
クロゴキブリのせいしてしまったが、実のところ今週はずっと気が滅入っている。何があったというわけでは無いが、普段あまり意識せずに済む己の性分の面倒くささをしみじみと感じ、すっかり嫌気が差して、げんなりしてしまうのだ。脱出を願いつつも抜け出せない。気分を盛り上げようと楽しみを用意するも一時しのぎ。なかなか手強く、やるせない。

疲れているせいかもしれない。今日はよく寝よう。


2012年8月22日 (水) 緑茶カウント:3杯
外とはいえ、流石に三日連続同じ場所でクロゴキブリを目にしたら気が滅入る。滅入った。

あなたはそこに住んでいらっしゃるのですか?


2012年8月21日 (火) 緑茶カウント:3杯
酒を呑んでいるわけでもないのに、朝方咽喉が渇いて目が覚める、という日々が続いている。寝る前にも水分を摂っているのだが。今のところは大した影響は出ていないものの、疲労の原因になりそうなので何とかしたいものである。困ったものだよ。


2012年8月20日 (月) 緑茶カウント:4杯
夜道を歩いていると、石畳の上で小さな黒いものが蠢いていたので、サイズからして、もしやクワガタかもしれない、と期待を抱き、歩み寄って覗き込んでみたらクロゴキブリが死んだカナブンをモリモリ喰っていた。

見入ってしまった。

ゴキブリは大嫌いだ。我が家に出没したことも何度かあるが、そのたびに死に物狂いで応戦した。今も部屋のあちこちにホウ酸団子を仕掛けている。虫は好きだが、ゴキブリは別。敵。大嫌いだし苦手だし、なるべくなら関わり合いたくない。だが、見入ってしまった。だって面白かったから。

ゴキブリが何かを食べている姿を生で見たのは初めてだった。ゴキブリはカナブンの背中の羽に頭を突っ込み、時折前足でカナブンの体を動かしながら食べていた。抱え込む前足の動きを見るに、なかなか器用そうである。同時に、力持ちのようだ。自分は両の膝に手を付いて、腰を屈めて見入っていた。

夜道を歩いていると石畳の上で誰かが腰を屈めている。何をしているだろうと近寄ってみたら、その人はゴキブリが緑の虫を食べているのをじっと見つめていた。恐らく四人、これを目撃した人がいる。ご愁傷様。恐かったらごめんなさいね。


2012年8月19日 (日) 緑茶カウント:5杯
平沢進のインタラクティブ・ライブDVD「白虎野」を購入した。インタラクティブ・ライブとは、DVDの裏面の説明文から拝借すると「巨大スクリーンに投影される文字情報やCGを介して観客の意思が反映され、インターネットからも進行に介入できるという画期的なエンターテイメント」である。ステージで一つの物語が進んでいくのだが、途中途中に分岐点があり、観客がどちらの分岐を選ぶか決定する。分岐によって物語・曲目は変化し、無事ハッピーエンドを迎えることもあれば、バッドエンドに終わってしまうこともある。ロールプレイングゲームとライブコンサートの融合、と言ったらわかりやすいだろうか。

特徴的なのはこの物語の主人公が「ヒラサワ」本人ということだ。しかしミュージシャンの平沢進ではなく、あくまで「白虎野」という物語世界に、ヒラサワというキャラクターが存在しているという形である。舞台上で平沢進は特別にキャラクターとしてのヒラサワを演じることはなく、演奏・歌唱に集中していて、キャラクターのヒラサワの行動・セリフは全てスクリーン上で表現される。つまり舞台には、「キャラクターのヒラサワ」と「ミュージシャンの平沢進」二人が存在しているのである。

しかし、自分はインタラクティブ・ライブを観るのはこのDVDが初めてで、「現実世界に実在するミュージシャン平沢進」しか頭に無い。そのため、「キャラクターのヒラサワ」が悪役にボコボコ殴られたり、脳みそをいじられそうになったり、洗脳され「敵」の従順な僕になり本来の平沢なら絶対に言わないようなセリフを口にしだすと、非常に動揺するのである。特に洗脳されたルートを観たときは「こんなヒラサワ見たくない!」と切に思わされた。

物語は陰鬱とした空気のもので、ハッピーエンドルートも決してスカッとした終わり方では無い。また、物語を構成する用語に関する説明もそこそこで、「観ながら把握しろ」と言わんばかりであるためなかなか難解である。大雑把にどんな物語か説明するならば、「自由意志を奪われた世界で、自由意志を取り戻そうとする話」であるが、一度観ただけでは細部を理解しきれなかった。

ただ、理解しきれないなりに思ったことだが、平沢進にとって「分岐」という単語は、自分が思っていた以上に大きな意味を持っているらしい。サイトのブログや著作で見られる文章でも、たびたび「分岐」という単語が出てきている。そこで語られるのは、いろいろな分岐を辿った多くの自分がいたはずで、自分はその無数のヒラサワの中の一人に過ぎない、というものだ。誰しも、「あのときあっちを選んでいたらもっと別の人生を歩んでいたのだろうか」と思うことはあるだろうが、それはあくまで別のルートを辿った一人に思いを馳せているだけである。平沢進の場合は、無数のルートを辿り行き着いた無数の自分も、「可能性の一つ」として存在を認識しているように思えるのだ。

インタラクティブ・ライブは、その無数の自分のうちの一人の存在を、他者の目にも見える形で表現する遊びなのかもしれない。だからこそ、物語特有のキャラクターを作らず、自分自身をキャラクターにしてしまうのではないだろうか。本編と二つのバッドエンドを観て、そんなことを感じた。時間があるときにまた本編をじっくり見直そうと思う。


2012年8月18日 (土) 緑茶カウント:3杯
NESSとケンヂ浩司の対バンを観て来た。場所は高円寺HIGH。中野を散歩している最中に高円寺に迷い込んだことはあったが、高円寺の駅に降りたのは今回が初めてである。駅の外ではザ・スターリンのTシャツを着ているおじさんを十分間で二人も見かけた。なるほど、話の通りロックな雰囲気の大人が多い街である。

今回のライブの一番の目当てはケンヂ浩司の浩司こと石川さんだ。石川浩司、通称たまのランニング。自分はこの石川さんに大きな「興味」と「好意」を持っているのだが、石川さんのライブを観たことは今までに一度も無かった。何と無く、行き難かったのである。何故なら自分は、本命のライブに行けていないからだ。

母がたまのファンだったため、自分は幼稚園の頃からたまを聴いていた。常日頃家の中でたまがかかっていたわけでは無かったが、自然と耳にし、親しんでいた。しかしずっと熱心に聴いていたわけではなく、意識することはほとんど無かった。だが、中学の頃だろうか。何がきっかけだったか忘れたが、家にあったたまのアルバム「さんだる」を聴き、それから少しずつ興味を持ち始め、いつしか自らアルバムを購入してたまの音楽を聴くようになったのである。

大学に入ってからはライブに通うようになった。筋肉少女帯、水戸華之介、ブラック菩薩、電車、平沢進、人間椅子。だが、たまを観ることは叶わなかった。既に解散してしまっていたからだ。

自分が筋少を知ったとき、筋少は凍結状態で、オーケンは特撮で活動していた。そのときも自分は特撮のライブには行けなかった。本命を観られていないがために、他を観る気が起きなかったからである。同じように、元たまのメンバーのライブも、興味を持ちつつも抵抗感を拭うことが出来ず、一歩足を踏み出せないでいた。

そんな些細な抵抗感なんざもうどうでも良いじゃないか、と心の底から思えたライブだった。
あぁ、自分はもっとこの石川さんという人を観に行った方が良いに違いない。

このライブに行こうと思えたのはオーケンが関わっていたからだった。自分が好きなオーケンと石川さんの組み合わせ。いったいどんなステージを見せてくれるのか好奇心を抑えられない。さらに対バン相手はNESS。興味を抱きつつもまだ一度も観ていなかったバンドである。この機を逃す手は無いだろう。

石川さんはすごかった。

ステージで自由気ままに振舞っているように見えるが、きちんとステージとして成り立つように振舞っている。狂気と正気の境目を綱渡りしつつ、コミカルな面を見せてくれるが、そのコミカルの背後にはゾッとするものが潜んでいて、「自分はもしかして、危ういものを見ているのでは無いだろうか」と思わされる。そのバランスが秀逸なのだ。ただの悪ふざけでは無い。

ユニットを組んでいるオーケンが「怖い」と言っていたのも頷ける。ライブはケンヂ浩司が先手で、最初にステージに出てきたのはオーケンだけだった。そしてアコギを抱いてFOKとして一曲二曲三曲と一人で弾き語る。一曲目は「ミルクは人肌が良い」というような歌詞の曲で、二曲目は「香菜、頭を良くしてあげよう」、そして三曲目の「あのさぁ」の途中でケンヂ浩司の片割れ浩司を呼び込み、メンバーがステージに揃う!

ここでMC。オーケン曰く、このライブは以前、FOKでツアーをした際に、ゲストをたくさん呼び、石川さんにも来ていただいたときの様子を再現しようという趣旨のもの。自分はそれには行けなかったのだが、何やらオーケン的にはだいぶショッキングだったらしい。またこのライブ、今日この日が来るまで何をやるか石川さんは全く知らされていなかったそうだ。メールで詳細を尋ねても返信が来ず、そのまま当日を迎えてしまったらしい。大槻さんちゃんと返信してください。だが、石川さん的には特に問題は無かったらしい。頼もしいことである。

次は石川さんの番ということで、オーケンはステージの隅に座り込み、ポカリスエットを飲み始める。飲む前に石川さんにお伺いを立てていた。「ポカリ飲んでても良いですか?」石川さん、何を飲んで食べてもOK、という内容のことを答え、ポカリを飲んだならお腹がパンパンになっただろう、ということで一曲目は「おなかパンパン」。ライブで初めて聴く石川さんの曲は「おなかパンパン」かー、と、一人感慨深くなりつつも、この曲、怖いので自分はあまり聴かないようにしているのである。実際ライブで聴いてみたらやはり、怖かった。

続いて「はげあたま〜」と歌の間で区切りを入れる曲では、石川さんが自分の口を両手でパンパン叩くことで声の調子を変えながら歌い、合間合間ににっこり笑って「はげあたま〜」とオーケンに向かって囁き、ステージの隅でうずくまるオーケンが泣きそうな顔をしながら逃げようとする、というステージが繰り広げられた。これに関し石川さんは、「今回は、照れる大槻くんを眺めて楽しむライブということで」というようなことを語っていたが、「照れてるんじゃないんですよ! 怖いんですよぉ!」とオーケンが反論していた。実際、怖いと思う。

「真面目な曲も」ということで「オンリーユー」がキーワードになる曲を石川さんが歌い、この後は二人でセッションという形になったのかな? やや、記憶が曖昧である。曲は「がんばったがダメ」「人として軸がブレている」「踊るダメ人間」「死んでゆく牛はモー」など。「がんばったがダメ」ではオーケンと石川さんが二人して犬の鳴き真似を演じた。「踊るダメ人間」は観客に一緒に歌ってくださいと言って「ダメダメ〜パパパヤ〜」の部分を任せていたが、ワンマン以外のライブでこれをやるのはなかなか度胸があるなぁ、と感心した。石川さんもオリジナルの合いの手を入れてくれ、それが見事に曲にマッチ。終わりには「オレはダメ人間をやればいいんだろ?」と言って笑わせてくれた。

オーケンはアコギを置き、エレキギターを持ち出して激しく掻き鳴らす。こんな激しい曲もやるのか! と戸惑いを感じつつ、何が来るかと身構えてみれば「死んでゆく牛はモー」。いったいいつの間にこの曲はこんなノイズになったのだろう…と唖然としつつ、石川さんの奇声のような笑い声による合いの手と、爆音のギターの重なり合いは非常に怪しく、もしかするとこれは今回のライブで一番好きだったかもしれない。

時間が過ぎるのは早いもので、ついに最後の曲。オーケン、「皆さんも知ってる曲です、良かったら一緒に歌ってくださーい!」と言ってすすめるも知らないわーこれ何の曲だー。いや、以前ものほほん学校か何かで聴いた覚えがあって、そのときも一緒に歌ってくださいと言われた気はするが…知らない…。ただ、合唱する箇所は同じフレーズの繰り返しのようだったので、その場で覚えて対応した。

ケンヂ浩司がステージを去り、照明が落ちて次のNESS用のステージの準備が始められる。これがなかなか時間がかかった。テクノは色々時間がかかるのだろうか…と思いつつ待ち続け、ようやく灯りが点り、先程までの空気を一変する音楽がその場に満ち溢れる。空気が全く違うものになった。

しかし、NESSの三浦さんは石川さんにだいぶショックを受けていたようで、その後のMCでは「全てを持っていかれた」といった内容のことを語っていた。また、三浦さんは本日お誕生日だったらしく、サプライズでケーキがステージに持ち込まれ観客全員でハッピーバースデーを合唱。三浦さんは蝋燭の炎を吹き消すも、どうせ領収書は俺宛だ、そのくせ結局食べるのは女性スタッフなんだ、としょっぱいことを語っていた。

MCでは内田さんの近況も語られた。内田さんの家は非常に暑く、夏場は室温が三十四度にまで達するらしい。しかしエアコンは使えず、古すぎるため買い換えるためには室外機を取り替えなければならず、だが、室外機をどかすには木の枝が邪魔をしていて、その木は内田家の水道管にも粗相を仕出かし、といったカオスな有様である故に、熱でコンピューターが壊れてしまうことを防ぐためにも夏場は仕事を休み、九百五十円で買った折りたたみ椅子を出して庭で涼んでいるらしい。誰か内田さんの家の木をどうにかしてあげてください。

NESSの音楽は格好良かった。テクノについては詳しくないが、大人が余裕を持って、趣味を全開にしてやっているテクノ、といった印象を受けた。だが、その直前の石川さんがあまりにも強烈だったため、正直あまり覚えていない。あぁ、そうだ! やはり生ドラムは良いな、と思ったのだった。テクノと言うと自分の引き出しからは平沢進、P-MODELしか出てこないのだが、昨今の平沢さんはライブでも楽器はギターとその他特殊な楽器くらいしか使わず、事前に作成している音源を流しているのである。それはそれとして面白いが、生音のドラムで聴きたいな、と思うことも多々あるのだ。そして今回改めてそれを思ったのである。

ところですごくどうでも良い話だが、NESSのドラムの河塚さん、河塚さんとわかっていてもついつい河豚さんと読んでしまう。ふぐさん。違うとわかっているのにだ。ちなみに河塚さんはピンクのシャツを着ていた。

アンコールではケンヂ浩司とNESSでのセッション。NESSだけでも一杯一杯なステージにマイクが二本追加され、さらに石川さんのパーカッションセットがドン! だいぶ窮屈になっていたのか、内田さんのベースのネックにオーケンがぶつかりそうになっていた。

アンコールの曲のタイトルは知らないが、テクノノイズとも言うべきか。大音響の中でオーケンが何かをシャウトし続け、石川さんはパーカッションを放棄して、ガムテープで自らの顔面、胸、腹部、下腹部をぐるぐる巻きにするというパフォーマンスを始め、さらにはパーカッションセットを分解し、分解したタンバリンなどをガムテープで自身の体にくっつけ、格子状の部品を高々と掲げ上げてそれに頭を通し、尚分解し、部品の一部で河塚さんのドラムセットのシンバルを叩き、もう石川さんしか見えない。ちなみにこのときオーケンが叫んでいた言葉、自分の位置からは音響の関係か、何を言っているのか聞き取れなかったのだが、聞いた話によるとひたすら石川さんが着ていたシャツに背中に書かれた謎の文字「ケルン」について言及していたらしい。もっと意味のある凝った内容の詩を叫んでいるのかと思っていたので、これにはずっこけそうになった。

そうしてセッションは終わったわけだが、ちょっと面白い話として、終わった直後にオーケンが内田さんに対し、「僕は君とこういうのがやりたかったんだよぉ!」と、当時「ノイズ」をやりたかったのに上手く伝わらず「ロック」になってしまったことを今になって伝えようとしていたが、内田さん、「ノイズまんが道やったじゃん」とあっさりスルーしていた。この「ノイズをやりたかったが上手く伝わらず、今の筋少という形になった」という話はオーケンの著作でも読んで知っていたが、いやぁ、上手く伝わらなくて良かったんじゃないかな、と思うね、自分は。ノイズがどうと言うよりも、今の筋少が好きだからさ。

今でこそ落ち着いたが終演後は石川さんのことで頭が一杯で、ドリンクとチケットを引き換えてもらっていないことに気付きつつも、まぁいいか、とライブハウスを後にして興奮の内容をTwitterに叩き付ける作業に没頭した。物販では勢いで石川さんの本を購入。帯はオーケンが書いている。願わくは、年に一度、数年に一度でも良いので、またこのケンヂ浩司のユニットでやってもらいたいなぁ。あぁ、楽しかった。本当に。






2012年8月17日 (金) 緑茶カウント:0杯
下ネタに対応出来るようになりたい。下ネタを聞いて気持ちが悪くなって夕飯も喰えず、胸の中でぐるぐる回る吐き気を持て余しながら鬱々と何も出来ないままに二時間三時間。いい加減情けない。

面倒くさい人間である。しかしこれも性分であるからして仕方が無い。無念。


2012年8月16日 (木) 緑茶カウント:3杯
「帰って来る日、何が食べたい?」

「肉を食べたい。ステーキが良い」

「よしきた!」

と、いうメールのやりとりを母と行った数日後の帰省第一目、テーブルに並べられていたのはステーキ、焼肉、ポテトサラダ、サーモンのカルパッチョ。ポテトサラダとカルパッチョは置いておくとして、ステーキと焼肉。大きなステーキが目の前の皿に乗せられ、テーブルの中心には熱せられた鉄板。そして脇では父が右手にトング、左手に肉の花が咲いた皿を持ってスタンバイ。正直に言おう。圧倒された。

いやー食べたいものを聞かれて第一に肉と答えるあたり、己もまだまだ若いじゃないかと思いきや、両親の頭の中にいる己の方がずっと若かったらしい。いや、一番肉を欲求していた高校時代でさえ、ステーキと焼肉のコンボを要求したことは無かったように思う。「鉄板焼き」をやるうえで、ステーキ肉を焼くこともあったが、明らかに量が違うのである。

久しぶりの帰省ということで奮発してくれたのだろう。ステーキはとても柔らかくジューシーで、焼肉も非常に美味しかったが、多かった。量が多かった。さらに、後日鉄板一杯の餃子と山のように盛られた分厚いローストビーフという素晴らしいコンボも供された。美味しかった。堪能した。他、手巻き寿司、蟹肉がたっぷり入ったトマトクリームスパゲティも頂いた。美味しかった。嬉しかった。有難いことである。ご馳走様でした。


2012年8月15日 (水) 緑茶カウント:3杯
実家に帰省していた。ここの日記も更新するつもりで、わざわざ重い思いをしてノートパソコンを持ち帰ったにも関わらず、結局一度もノートパソコンを開かずに終わった。ひたすら飯を食べ、酒を呑み、よく眠りの繰り返し。何をするでもなくだらだらと過ごした。

せっかく帰省したのだから、滅多に会えない友人に会っておけば良かったとも思いつつ、たまにはこんな休みも悪くない、としみじみ思った。約束を作ってあっちへ出かけこっちへ出かけ、友人との時間を調整しつつ家族との時間も作り、休みの中で計画をこなしていくのは楽しいが気を遣う。今回は全く気を遣わず、家でだらだらごろごろしていたので、非常に楽だった。解き放たれた気分である。

たまにはこんな休みも悪く無い。明日からまた普段の生活に戻るが、しっかり英気も養ったことだし、気合を入れて行こうじゃないか。よしよし。


2012年8月10日 (金) 緑茶カウント:0杯
遠くに行ってしまった呑み友達を思う。とはいえ、そこまでしょっちゅう呑んでいたわけでは無い。ただ友人は非常に酒に強く、また、人と共に居ることを非常に好いているため、ちょっと呑みに行かないかと誘えば二つ返事でやって来るし、話も馬鹿みたいで面白く、とことん遅くまで付き合ってくれるから酒呑みの自分としては嬉しかったのだ。

ところが友人は遠くに行ってしまった。一つ、地理的に。一つ、精神的に。友人に恋人が出来たことで何事も恋人が優先されるようになり、さらに、今までは愛や恋など良くわからんと言っていた友人が人を愛することを覚え、あぁ、成長したのだなぁと思うと同時にこの野郎つまんない男になりやがって、自分はお前がもっと馬鹿みたいな感じだった頃の方がとても魅力的だと思っていたのに、よりにもよってそんな面白味の無い女に惚れやがって、せめてもっと別のあっちの女ならまだしもお前何そんな普通の方向に向かってしまっているんだよちくしょうめ、みたいなー、感じでー、がっかりしてたら仕事の都合でお引越し。現在遠距離恋愛中、らしい。

非常につまらない。

皆もっとあの頃のままでいれば良いのにと思いつつ、きっと他者から見れば自分もくるくる変わっているのだろうと思いつつ一人酒。さして変わっていなかったりして。


2012年8月9日 (木) 緑茶カウント:0杯
筋少を聴き始めたばかりの頃の感覚が今になって急に蘇ってきている。最近ずっと、ヒラサワをメインで聴くことが多かったせいかもしれない。もしくはライブが決定したことで心が筋少モードに切り替わったのか。オーケンの歌声、歌詞、ベース、ギター、ドラム、ピアノ、暑苦しいコーラスがぎゅんぎゅん心に染み渡り、全身に響いてくるのである。それがとても心地良い。

瞬間的に燃え上がり、自分の中で大きな流行が巻き起こると、その後は落ち着き、「自分の一部」として定着する。それはまるで血肉のようで、無くてはならないものであると同時に、在ることが当たり前になる。その血肉が沸騰しているのだから大変だ。好きだなぁ、好きだなぁ、好きだなぁ、好きだなぁ、という感情で一杯になっているのである。

今、自分はとても楽しい。


2012年8月8日 (水) 緑茶カウント:0杯
回転寿司に行きたい。回転寿司に行って、河童巻き、かんぴょう巻き、おしんこ巻き、サラダ巻き、納豆巻き、梅紫蘇巻き、ツナ軍艦、コーン軍艦を腹一杯食べたい。いろいろなものを少しずつ食べたいとき、同じ種類のものばかりが詰まっているパック寿司では心が満たされないのだ。余計な鉄火巻きが入っている可能性もあるし。鉄火巻きは要らないし。

寿司は好きだが生魚、魚卵、貝類が苦手な人間にとって回転寿司は一人で行くのはやや敷居が高い。悪いな、と思うのもあるし、安い皿しか喰えないのか、と思われたら嫌だな、というみみっちい見栄もある。だから出来ることならば、自分が河童やおしんこばっかり喰っていても何も気にしないでくれる人と回転寿司に行って腹一杯食べたい。

誰か誘ってみるとするかな。


2012年8月7日 (火) 緑茶カウント:6杯
徹夜明け。カーテンの隙間から差し込む白い光が眩しい。今食べるのはきついな、と判断して栄養ドリンクを朝食代わりにして、顔を洗い、服を着替える。しかしそこに違和感があった。着慣れた服のはずなのにしっくり来ない。何だろう、と不思議に思いつつ腕時計と指輪を嵌め、そして靴を履いたとき。違和感の正体に気が付いた。

ぴったりだったはずの靴が緩い。歩くたびに踵が外れそうになる。腕時計もいつもの穴に通しているにも関わらず手首の上で居場所を決めかねていて、服はまるで借り物を着たかのようにサイズが合わない。試しに左の手首を右手で握る。気のせいかもしれないが、以前はもう少し掴み応えがあった気がする。

どうやら徹夜の影響で一時的に痩せたらしい。いや、やつれたと言うべきか。体重計はマイナス一キロ半の値を出した。そういえば以前、このくらいの体重になったときも靴のサイズが合わなくなった覚えがある。なるほど、このあたりが分かれ目になるのかと、感心しつつも歩きづらい。どうせ一晩寝れば戻るだろうが、痩せるのはともかくいろいろなもののサイズが合わなくなるのは不便なのでなるべく避けたいところである。

さて、それでは一段落着いたので自分は夢の世界に潜る。あぁ布団よあなたがとても恋しくて仕方が無かった。おやすみなさい全人類。


2012年8月4日 (土) 緑茶カウント:0杯
やらなければならないことを放り出して一日楽しく過ごして追い込まれてそわそわしてて、しかし今日寝るまではこれを楽しもうと思いつつ四時を迎えたので良い加減に寝ます。明日は頑張ろう。明日こそは。


2012年8月2日 (木) 緑茶カウント:0杯
すごく疲れていたのだ。とにかく体を休めたくて、食事もそこそこにシャワーを浴び、日課の筋トレを休み、普段より一時間早く布団に入った。翌朝、目覚めは良かった。しかし全身の疲労は凄まじく、特に首と肩と背中がバリバリに固まっていて、一日中辛い思いをした。

すごく体がきつかったのだ。だが、昨日の失敗を踏まえ、きちんと食事をし、筋トレをして、風呂を沸かし、ゆっくりと湯船に浸かった。結果時間が圧迫され睡眠時間が犠牲となりそうだが、首と肩の背中の辛さはすっかり消え、随分と楽になった。まるで肉が柔らかく解れたようだ。

明日、眠くて辛い思いをするかもしれないが、やはり最低湯船にはゆっくり浸かるべきだろう。これはきっと己の生活に欠かすことの出来ない時間なのだ。実感した。


2012年8月1日 (水) 緑茶カウント:0杯
がっかりしている人に対して、きっと共感して欲しいのだろうなぁと思いつつも、その人ががっかりしている対象について言うならば、結構普通の事象に感じられるため、特に心が動かされず、悪いなぁと思いつつ、「そういうことってあるよね」と無難に流してしまったことに胸が痛むが、フォローの言葉は浮かばず、ただただ時間が過ぎて行く。

そして過ぎる時間の中で考えたところ、がっかりしている人はその事象そのものにがっかりしているのではなく、その事象があったことで派生した別件に不快を感じているようだということで、どういうことかと説明すると、佐藤さんという人が仲良しの鈴木さんにだけ特別に素敵なものをあげた、そして鈴木さんがそれをとても喜んで、他のもらえなかった人々に自慢をし、さらには贔屓をされたことに優越感を抱いて周囲の人を可哀想だと哀れみ始めるということがあり、がっかりしている人は「鈴木さんだけ特別扱いするなんてひどい」と佐藤さんに対する不満を述べているが、その実不快の原因は鈴木さんの態度にあるのである。

しかし持ち出された話はあくまで佐藤さんの行為の話であるため、鈴木さんには言及しにくいところがあり、また、あなたががっかりしているのは佐藤さんのせいでは無くて鈴木さんの態度が原因だろう、と言うのも余計相手を傷付けてしまいそうで気が引けて、されども佐藤さんが悪いことをしたかと言えば、確かにもう少し気を遣いなさいと思うものの、それ自体は良くあることでさして珍しいことでも無く、とすると自分としてはがっかりしている人を慰めるために佐藤さんを糾弾することも出来ない。もやもやしつつも無難なところに流れるしか無かったのである、というのが分析の結果だ。

こういう場合はわざわざ分析するのではなく、原因はともかくとして、その人ががっかりしているという事実に寄り添い、「残念だったね」「がっかりするよね」と声をかけるべきだったと思う。きっと相手もそれを求めていたのだろう。それなのに自分は状況の分析に向かってしまって、馬鹿なことをしたと思いつつ、でもなぁ、ともやもやしている夜。


2012年7月31日 (火) 緑茶カウント:0杯



グッバイマイフレンド。


2012年7月30日 (月) 緑茶カウント:0杯
だんだん年齢の認識が曖昧になっていくが、それでも誕生日を祝ってもらえるのはやはり嬉しい。わざわざ自分が生まれた日を記憶してもらえることをとても有難く感じる。

今日はヤキソバを炒め、惣菜の枝豆を皿に盛って塩を足し、チューハイで晩酌をした。風呂上りにはモンブランケーキを一つ。いつものように筋トレをして、風呂にゆっくり浸かって、明日の分のお茶を冷やして、今は日記を書きながら寝る準備を進めている。何気ない一日だが、今日はいつもより少しだけメールの着信が多かった。

さぁ、今月は散財してしまったから、明後日からまた節制だ。気を引き締めて行くぞ。


2012年7月29日 (日) 緑茶カウント:0杯
筋トレにより体重・体脂肪率が減少した結果、所有のズボンがほとんど体に合わなくなってしまったので、体に合うサイズのものを買いに出掛け、ポロシャツを二枚とTシャツを一枚買って帰って来た。

ポロシャツとTシャツを履くわけではない。足を袖に通すのではなく、頭から被って着るつもりである。無論、シャツの類も必要ではあるが、急を要するのはズボンである。そのうえで買わなかったのは、ズボンを買いに訪ねた店の店員がトンチンカンだったからである。

ハンガーに吊り下げられたズボンを眺めていると店員が声をかけてきた。「こちら、ご試着なさいますか?」「いえ、これと同じものは既に持っているんです。ただ、ちょっとサイズが合わなくなってしまったので、これよりも小さな別のものを買いに来たんです」

このように説明をして、「それではこちらがおすすめですよ」と店員が持ってきた服はとても大きなサイズだった。明らかに、自分が眺めていたものよりも。意図が掴めなかったものの、念のため内側を覗いてサイズを確認した。やはり大きい。明らかに。

「あの、これは大きすぎるんで、これと同じもっと小さいものを持ってきてくれませんか?」
「ご試着はされないんですか?」
「着なくてもわかりますから。別のにしてください」
「…わかりました」

そうして店員が新しく持ってきた服もぶかぶかで、「これも大きいです」と試着室の外にいる店員に伝えるも怪訝な顔。ウエストの余った布地を摘まんで見せたらようやく納得、渋々さらに小さいものを持ってきてくれたがそれも大きかったので、諦めて店を出ることにし、別の店で気持ち良くシャツの類を買ったのである。

原因は何だろう。体のラインが見えにくい、ドサッとした服を着ていたからだろうか。しかしそれにしたってあのサイズは無い。そもそも自分は今のものよりも小さなサイズを探していると告げたのに。さっぱり意味がわからなかった。どうしてもあれを売らなければならない理由があったのだろうか。他の店では普通の対応を受けただけに不可解な出来事だった。


2012年7月27日 (金) 緑茶カウント:0杯
夜の街、道路を堂々と横断する姿を右から左に眺め、踏み潰そうかするまいかしばし悩んだ。目の前をちょろちょろとクロゴキブリが歩いていたのである。

隠れる気は皆無のようだ。その足取りには余裕すら伺える。さほどでもないスピード、かの人はどこに行こうとしているか。飲み屋から飲み屋へ渡り歩いているかもしれない。さて、踏むか踏むまいか。自分はあいつが嫌いだ。家に出たら泣く。とても気色が悪い。よって、発見したら即刻始末したい。そしてそれはここが外であっても変わらない。だが、ゴキブリを踏み潰した靴を、仮に靴底の裏とはいえ、履き続けることに己は耐えられるのか。

決断する前にクロゴキブリはどこかに行き、決断を保留することが出来たことにほっとした。さようならクロゴキブリ。どうか遠くまで。我が家にはいらっしゃいませんように。


2012年7月26日 (木) 緑茶カウント:3杯



豆苗さんにカビが生えてしまった!

写真の真ん中、白い丸がカビである。カビは豆に生えている。根っこの方は元気なようで、腐っている気配も見えないが、これはもうさっさと緑の部分を刈り取って新しい豆苗さんを買ってきた方が良さそうだ。

そういえば前回試したときもカビが生えた。一つの豆苗から五回も収穫した、という驚きの報告を受けているが、中途でカビが生えてしまったのでは収穫の限界に挑みようが無い。水の入れすぎだろうか。試しに次は水を少なめにして、こまめに取り替えるようにしてみよう。

こういう試行錯誤が、ちょっと楽しい。


2012年7月25日 (水) 緑茶カウント:4杯
睡眠時間が足りていない。睡眠時間を確保するためには一時間早く寝れば良いのだが、風呂上り、何をするわけでもなくだらだらする時間がどうしても欲しく、結果睡眠時間を削ってしまう。ぐっすりとだらだらの両方を手に入れるためにはどこかの時間を削らなければならないが、要領が悪くなかなか上手くいかない。故にストレスが溜まりやすい。

結局今日も六時間睡眠だ。欲を言えば八時間、出来たら七時間は寝たいのだが。とはいえ、日記と筋トレとドローイングを止める気も無い。これを削れば一時間は確保出来るとわかっているが、これは絶対に続けたい。ドローイングも今日で八十七日目。何だかんだで続いているのだ。やることが多くて忙しいが望んで続けていることなのでこれで良し。まぁせめて十五分早く寝られるよう努めるか。


2012年7月24日 (火) 緑茶カウント:4杯
いったいどれだけ嬉しかったというのか。少し前に顔の皮膚がヒリヒリ痛み、肌荒れを自覚していたのだが、今朝洗顔時に触れた手触り。ザラザラした感覚がすっかり消えて、ツルッツルになっていた。

ストレスを感じると皮膚に出やすい性質を持っているが、ここまであからさまなのかと驚いた。太陽光線の刺激には強いが、首の皮膚は綿百パーセントしか受け付けず、アクリルはもちろんカシミヤですら長時間触れると痒くなり、熱を持ってかぶれてしまう。二年前、酷いストレスにやられたときはニキビが大量発生して、一年前は震災の映像にやられて円形脱毛症になった。何度皮膚科の世話になったかわからない。しかしストレスに弱いということはストレスを解消すれば治るということで、楽しいことがあれば一気に回復するらしい。そういえばライブの翌日は大概皮膚の調子が良いのだった。

単純なものだ、と思いつつ、腕時計が視界に入るとついつい頬が綻んでしまう。嬉しかったんだ。とても。すごく。


ウェブ拍手レス
(7月24日23時2分の方へ)鬼畜のフォロワーさん、メッセージありがとうございます。
実は今やっている筋トレというものがまさにダンベルを使ったものなのです! 水を入れるタイプも検討したのですが、一キロ以下の物しか見当たらなかったので金属製のものを購入しました。とはいえ重さが足りなくなってきたので、とりあえず今は二本を片手に持って筋トレしてます。ダンベルは気軽に出来てなかなか楽しいですよね。

Tarzanは存在は知っているのですが、手に取ったことはありませんでした。食生活の特集に興味があるので次に本屋に行ったとき探してみようかと思います。サーキットトレーニング、今検索して初めてその内容を知りました。一緒に筋トレ頑張りましょう!


(7月24日23時39分の方へ)メッセージありがとうございます。
豆苗五回ってすごいですね! そんなに収穫出来るものなのですか…。自分も限界まで挑戦してみようかと思いますが、果たしてそこまで頑張ってくれるかどうか。ちなみに今日、かなりぐんぐんに伸びていたので半分ほど刈り取りました。このままでももう一回分くらいは食べられそうです。


2012年7月23日 (月) 緑茶カウント:3杯
嬉しすぎてくらくらしている。ビールも呑んだが、それ以上に幸福で酩酊状態だ。

小学校の頃から使っていた腕時計は、デジタル式で、ごつくて、祖母に「四輪駆動のような時計」と言われていた。高校までずっと愛用していたが、ベルトが切れてしまったことをきっかけに、長らく使っていなかった。新しい腕時計を買おうと思ったこともあったが、なかなか好みと価格がちょうど良く一致するものが見当たらず、ずっと先延ばしにしていたのだ。

腕時計をもらった。アナログ式で、細かい時刻はわからず、紺の革ベルトにくすんだ金色の金具。それは自分が買おうと思っていた時計とかすりもしない物だが、今一番、何よりも気に入っている時計だ。友人達が選んでくれたのだ。誕生日プレゼントに。自分の為に。「これはウヲっぽい」と言って。

小学校六年から中学にかけて、自分はやや孤立していた。男の輪にも入れず、女の輪にも入れず、いつも疎外感が傍にあった。とはいえどちらにも入れなかったのは性別が全てでは無い。自分の性格に多大な問題があったことも理解している。それでも完全に一人だったわけではなく、心の支えになってくれる友人もいたが、輪の中に入れないことを悩んで担任に相談したこともあった。

担任は言った。「大学生になったら、男も女も関係無くなるよ」と。思春期を過ぎれば大丈夫だと。今だけだから大丈夫だと。当時の自分は、そうは言っても、それではあと五年も六年も我慢しなければならないのかと失望した。結局、今は為す術も無いんじゃないか、と。

担任の言葉よりも早く事態は好転した。高校ではクラスメイトと親交を深めることこそ無かったが、部活では仲間と言える存在と関わり合うことが出来た。そして大学。自分は本当に幸運だと思う。たまに不安になるほどに、自分を好いてくれる人達がいるのだ。

本当にありがたい。

「ちょっと早い誕生日プレゼント」と言って、昆虫のフィギュアに、クッション、浄水器、手作りの雑貨、それに腕時計をいただいた。リボンをかけられた綺麗な袋を次から次へと渡されて、開けるたびに喜びがこみ上げて、たまらなくなった。

時に不安になることがある。昔を思い出して、どうしてこんなに幸せなのだろうと。受け入れてもらえるのだろうと。きっとそれはずっと、何年経っても着いてくる感情だとは思うが、そろそろ、そんなことを考えてしまうことは、彼ら彼女らに対して失礼だろう、とも思う。それでも尚、幸福すぎて不安になるのだ。

この時計はずっと心の支えになってくれるだろう。いつまでも大切にする。本当に、嬉しい。ありがとう。


2012年7月22日 (日) 緑茶カウント:5杯



豆苗を育てている。エンドウの若菜で、このようにプラスティックのケースに入れて、水を与えればすくすく育つ。最初、店で購入したときもこのくらいに育っていたが、茎の部分を刈り取って、水を与えて日に当てたところまた食べられる部分が伸びたのである。話によると、一、二回は繰り返せるらしい。

この豆苗は二代目だが、意外とこれが便利で良い。「生きている」状態であるため他の葉物野菜のように冷蔵庫でしなびることが無く、必要なときにちょっと切って軽く洗ってパラッとスープに入れたり、炒め物に投入すればすぐ食べられる。そして何より可愛らしい。毎日にょきにょき伸びるので、生長の様子がわかりやすく、だんだん愛着が湧いてくるのだ。お、今日はここまで育ったな。お、水が無くなってるな。よしよし、新しい水を汲んでやるからな。などと言って話しかけてしまう毎日。あぁ楽しい。

土があるものは面倒だが、水だけを与えれば済むものが他にもあるならやってみようかな、と思っている。どうせ一人暮らしだし、食べられるペットと思えば良い。しばらくはこの豆苗と同居しよう。


2012年7月21日 (土) 緑茶カウント:3杯



平沢進のソロCDボックス、「HALDYN DOME」を購入して、今日は一日にやにやしていた。自分の誕生日プレゼントに買ったのだ。誕生日は三十日だが、ついつい色々な言い訳を作って今日開けてしまった。通販だからな。もし、何かあったら連絡しなければならないし、交換の場合の期限もあるし。そしてガサガサ開いて、ニヤニヤ眺めて、フォトストーリーブックを読んで、音楽を取り込んだ。

このボックスセットは平沢進の二十世紀までのソロ活動をまとめたもので、正直、既に入手しているアルバムも多かったが、今では入手困難になっているものや、買うのに悩んでいた企画もの、また、このセットでしか聞けない音源などもあるし、フォトストーリーブックもあるし。これはファンなら買うしかない。とはいえ値段は三万円。己の経済状況ではなかなか易々と出せる値段ではなく、発売後、ずっと時期を見計らっていたのだが、今月思い切って購入した。

嬉しいなー。

平沢進のファンになったのはおよそ三年前。Twitterでのあの発言がリツイートされ、興味を持ったのがきっかけだ。それから氏の著作を読み、音楽を聴き、気付けばどっぷりはまっていた。初めてライブに行ったときのあの感動は忘れられない。平沢進は本当に実在したのかと震え、同じ空間に滞在出来ることに感動した。

ふと思う。彼の人はあと何年活動してくれるだろうと。永遠はきっと無いはずで、どこかに終わりがあるはずで、それはヒラサワも例外では無い。筋少はアラフィフ、と言えどもまだ四十代。ヒラサワは既に五十代後半の還暦間近。いつまで歌い続けてくれるだろう。

と、思うから、なるべく少しでも、今実在する彼の活動をこの目に焼き付けておきたいのだ。

この間のライブはどうしても行けなかったが、次のライブには必ず行こう。きっと、喜びを与えてくれるに違いないのだから。


2012年7月20日 (金) 緑茶カウント:3杯
布団の中、さぁ寝ようとしたところでポッと物語の種が生まれた。眠くて仕方が無かったが、面白く感じたので頭の中で展開していく。この人物がこうしたら、あの人はこう言って、すると自然に考えればこのようになるはずで、とはいえ相手方も馬鹿ではないのでそれは予想の上であり、既に対策はとっていて…。スルスルと話は広がり、まとまり、終息へと近付き、最後、非常にショッキングなバッドエンドを迎えた。

布団に入ったのは深夜だったが、窓の外には日差しの気配があった。立ち上がり、カーテンを閉め直して台所に向かい、水を飲む。あえて時計は確認しなかったが、いったい何十分頭の中で物語を転がしていたのだろう。それでいてあのひどい終わり方。確かに登場人物の性格、状況から考えて一番自然な流れではあるが…。

クラクラする頭を抑え、布団に戻る。いくら何でも救われない。全く、どうして自ら作った物語に己は打ちのめされているのだろうか。いや、あれは仕方が無い。終わりが見えた途端自分でもびっくりして、唖然としてしまったのだから。と、あっちこっち考えつつ、久し振りに馬鹿なことをやってしまったと思った。


2012年7月19日 (木) 緑茶カウント:3杯
唐突に肌がものすごく荒れて驚いた。顔の皮膚が痛いのである。夏には強い自覚があるが、もしや紫外線のせいだろうか。それとも忙しさ故か、体調不良か。原因は不明だが、とりあえず、体に良さげなものを食べることを心がけよう。ビタミンを摂れば良いのだろうか。気をつけよう。


2012年7月18日 (水) 緑茶カウント:3杯
あんまり疲れたので二時間昼寝をしたらすこぶる快適に過ごせた。とはいえその後に用事があったので安眠は出来ず、ちょくちょく途中で起きてしまってはいた。しかしそれでも体を横たえられるだけで随分違う。楽である。

疲れていても筋トレは継続している。今日でついに五ヶ月目。ここまで来たか、と思うと感慨深い。流石に五ヶ月前に比べれば筋肉も付いてきたようで、きつかったメニューが物足りなくなってきた。とりあえず手頃な品を使って負荷を増やしているが、物足りないので近々何か策を講じようと思う。筋トレの時間を増やしたくは無いので少し重めのメニューにしよう。より良く歳を取るためにも頑張るぞ。


2012年7月17日 (火) 緑茶カウント:3杯
若干風邪気味である。温度差の変化に付いていけていないのだ。それにしても己はいったい年に何回風邪を引くのか。ここ数年やたらと風邪を引きやすくなったように思う。栄養が偏っているのか、生活が乱れているのか。一人暮らしだと好きなものしか食べないし、何時に寝ても文句を言われないから詮無いことかもわからぬが、一人暮らしでは看病してくれる人もいないのだ。気をつけよう。気をつけたい。


2012年7月15日 (日) 緑茶カウント:4杯
うにせんが好きでたまに買って食べることがあるのだが、肝腎のウニの味を知らずにうにせんを食べていたので、うにせんがウニの味に近いか否か、長いこと知らずにいた。しかし一ヶ月ほど前、ついに本物のウニの味を知った。一口目は恐る恐る良く噛んで食べ、二口目は軽く噛んで丸呑みした。全く美味しさがわからなかった。

うにせんはこんなに美味しいのに、どうして本物のウニはあんな味がするのだろう。かっぱえびせんもあんなに美味しいのに、どうして海老の味は苦手なのだろう。生臭さの有無が問題なのだろうか、と思いつつも、うにせんを味わう自分の舌は既にウニの味を覚えていない。好きじゃない味がしたことは覚えているものの、具体的にどんな味だったかわからない。ただ、うにせんの印象と遠くは慣れたものだけは覚えていて、多分今後進んで食べることは無いだろうな、と確信している。


2012年7月14日 (土) 緑茶カウント:0杯
地震対策に本棚を天井で固定するつっかえ棒の購入を考えているが、本棚と天井までの距離を測ろうとしたときに、自分はどうやってここにつっかえ棒を設置すれば良いのだろうか、という問題に直面した。即ち、背が届かない。

何年も前から踏み台や脚立の必要性を感じていたが、ずっと手を出してはいなかった。買おう買おうと思いつつ、でも邪魔だし、何か悔しいし、家狭いし、頑張ればどうにかなったりするし、と先延ばしにしていたのだ。しかし今回ばかりはどうにもならない気配である。本棚の上に器具を置き、高さを調整し、ネジを巻いたりしなければならないのだ。安定した土台が必要である。いい加減覚悟を決めて買いに行くしか無い。しょうがないか。


2012年7月13日 (金) 緑茶カウント:3杯
本棚の整理のついでで、数年ぶりに「明稜帝梧桐勢十郎」を読み返したらえらい面白かった。初期は若干引くほどの外道っぷりを見せつける梧桐が、物語が進行するにつれだんだん良い人っぽくなっていくあたり、もったいないようなほっとするような。もっと外道でも良いものを、と思ってしまうところがある。

しかしこれ、改めて読むとわかりやすい打ち切りである。二条派が出てくるあたりなど、きっとテコ入れだったのだろうと余計なことを考えてしまう。連載が続いていたら梧桐の親父の話ももっと深く掘り下げられたのだろう。十巻は一気読みを刷るのにちょうど良い長さだが、もう五巻くらい読みたかった。好きだなこれ。


2012年7月12日 (木) 緑茶カウント:3杯
そう遠くないところに、サウナと岩盤浴がある、大きめの銭湯のような温泉施設があると知ったので次の休みに出かけてみることにした。家族や親類に裸を見られるのも家族や親類の裸を見るのも嫌いなので、親族と温泉に出かけても時間をずらして入ったり、温泉そのものになるべく行かないようにしているが、温泉自体は好きである。自分のことを全く知らない赤の他人しかいない世界ならば気にならない。そういえば温泉に行くのも久し振りだ。ゆっくり羽を伸ばすとしよう。


2012年7月11日 (水) 緑茶カウント:3杯
あなたはジェラートを買おうとして、店の人に「本当にバニラで良いの?」と問いかけられたことがあるだろうか。自分は無かった。初めてだった。

ある店の前を通ると、入り口の脇の小さな屋台で手作りジェラートが売られていた。強い日差しの中を歩いてきた人間の目に、この屋台はどれだけ魅力的に映るだろう。言うまでもなく、自分はいそいそと屋台に並んだ。

人の肩から覗き込むと味はおよそ十種類。バニラ、チョコ、メロン、バナナ、チョコミント、などなど。屋台に貼り付けられた料金表の素朴さもあいまって、いかにも手作りといった風合いだ。味の種類を眺めつつも心は決まっていた。ジェラートの幟を一目見たときから、バニラを食べようと思っていたのだ。

「バニラをください」
「本当にバニラで良いの?」
「えっ!?」

あなたはバニラを買おうとして、店の人に「本当にバニラで良いの?」と問いかけられたことがあるだろうか。面食らう己に構わずおばちゃんはマイペースに続けた。

「本当にバニラで良いの? 他の味も美味しいよ」
「えっ…えー……」
「食べてみる? 好きなの食べさせてあげる。何が良い?」
「あっ…あのじゃあおすすめは何ですか…」
「バニラが好きならバナナだね!」

そして己はスプーンにたっぷり乗せられたバナナのジェラートをいただき、これでもかというほどてんこもりに盛られたバニラとバナナのジェラートをお腹一杯食べることになった。「サービスで多めに盛っちゃった!」おばちゃんは楽しげに笑う。この後飯を食うはずだったんだが、と思いつつ、嬉しくもありおかしくもあり。次はチョコミントを買ってみようか。


2012年7月10日 (火) 緑茶カウント:2杯



地図を両手に歩いていると、「どこに行きたいんだい?」と声をかけられた。振り向くと知らないおっちゃんが立っている。まぁ、当然だ、ここは知らない土地なのだから。突然声をかけられたことに驚きはしたが、有難いと思う気持ちが正直なところである。どこどこに行きたいんです、とおっちゃんに返答した。

「それならね、ここをずーっと真っ直ぐ行って、大きな交差点が見えたら右に曲がるんだ。その手前に小さな道があるけどそこじゃないよ、大きな交差点だ。信号が見えるからね。で、右に曲がったら五十メートル程先に大きな建物が見える。その建物がそれだよ。良いかい、ここをずーっと真っ直ぐ歩いて、大きな交差点が見えたら曲がるんだよ」

身振り手振りを加えて大変わかりやすく説明してくれた。親切だなぁ、良い人だなぁ、と思いつつ礼を行って目的の場所へ向かおうとすると、去り際におっちゃんが立ち止まり、ポケットから何かを掴んで急いで渡してくれた。

手の平の中のものを見る。渡されたのはキティーちゃんのイラストが袋にプリントされた個包装のマシュマロだった。

再度ありがとうございますと礼を言い、今度こそおっちゃんと別れた。おっちゃんの親切心に感謝をしつつ思うことは、もしかしたら自分はものすごく頼りなげに見えるのだろうか、ということだった。ありがとう。ありがとう…。


2012年7月9日 (月) 緑茶カウント:2杯
筋トレ継続中。一度増えた体重がまた減り、体脂肪率がもうちょっと落ちた。あと九日で五ヶ月達成である。以前重く感じていたものを軽々持てるのが便利で楽しい。未だ雨戸は動かないが。

もういっそ雨戸が詰まった隙間の奥に油を大量に流し込んでやりたい。もしくは全て解体したい。あと少し、が動かないのが口惜しい。雨戸め。雨戸め。雨戸のやつめ。こんちくしょう。


2012年7月8日 (日) 緑茶カウント:2杯
筋少動画上映会イベントに行ってきた。楽しかった。グレートウチダハウス監督こと内田さんとオーケンが終始和やかに話していて、筋肉少女帯として舞台に立っているときよりも内輪ネタが多く、若干素に近いように見えた。ポロポロと中学や高校の同級生の名前が出てくるのが面白い。今更だが、この二人が仲直り出来て良かったな、と改めて思った。


2012年7月7日 (土) 緑茶カウント:5杯
あっ。ぬかった。七夕らしいことを何もしなかった!


2012年7月6日 (金) 緑茶カウント:4杯
例え心底疲れていても、他でもないお前が困っているのなら、話だけでも聞こうじゃないか、と思う人はいるが、誰に対してもそれを出来るわけではなく、平静でもぐったりするような重い話を聞くのは体力が要ることで、体力が無いときにこちらの都合も考えずにそれを強いられるのは腹立たしいことで、つまりそこまで愛が無い。

結果、自分は相談事を持ちかけてきた人に対して怒ったのであった。最悪である。

まず自分の言い分を主張するなら、本当に今日は勘弁して欲しかった。連日の疲れが溜まり、ようやく風呂から上がったのが夜の一時半。そこにメールが届いて、誰々が困っているからアドバイスをくれと言う。しかし、深刻そうで厄介そうで面倒くさそうな雰囲気の話であることは読み取れるものの、何があったのかさっぱりわからない。だからまず自分は、何があったのか教えてもらわないことには何もアドバイスのしようがない、だが、今日は疲れているので電話は後日に改めて欲しい、と伝えた。その五分後に相談者本人から電話がかかってきたのだ。

それだけ一杯一杯だったのだろう。困っていたのだろう。でも無理だ。今からその話を聞いて、慰めて、優しい言葉を考えて、より良いアドバイスをしてあげる余裕は無い。無理なのである。無理だから後日にしてくれと言ったのである。無い袖は振れないのだ。

こちらの都合を考えずに強行突破しようとする人の態度に苛立ちを感じると同時に、助けを求めてきた人を突き放したことに対し、罪悪感が生じている。綯い交ぜになり嫌な気分だ。そして相談者に対し、一言も謝る気が起きないほど怒っているのが現状。八つ当たりに何かを殴りたい。


2012年7月5日 (木) 緑茶カウント:4杯
ドラッグストアに行きたいのに行けない日々が続いていて、ヘアスプレー、リセッシュ、カミソリ、ミューズの不足に悩んでいる。あとティッシュペーパーも買い足したいが土日までは無理かもしれない。ところで「かいたしたい」と変換したら先程、真っ先に出てきたのが「描いた死体」。びっくりした。怖い。


2012年7月4日 (水) 緑茶カウント:4杯
草食系・肉食系と言う言葉が流行る昨今。遊びで、それもやや言葉自体を馬鹿にするテイストで、ネタとして用いることこそあったが、自分自身が何系であるかなどとは考えたことも無い。ところがつい先日、ある人から紹介される際に、「この人は見た目は肉食系ですが、中身は生粋の草食系です」と言われた。驚いた。知らなかった。そうか、自分は草食系だったのか。

しかし何を指して草食系と言われたのだろう。単に大人しい、内気、内向的という意味か。それとも恋愛に関するものか。何にせよ、言われてみれば確かに、と思わないでも無いが、次に気になることと言えば見た目が肉食系ということで、そんなに己は肉をガツガツ食べそうな外見をしているのだろうか、と思う。実際のところは肉も好きだが、肉よりも野菜を多く食べ、さらに結構な頻度でうどんを摂取している。今日もうどんを食べた。週に一度はうどんを食べないと落ち着かない。うどんは何て美味いんだ。


2012年7月3日 (火) 緑茶カウント:3杯
筋トレ継続中。最近になって一度減った体重が一キロ戻ったのだが、その反対に体脂肪率がぐんと減り、代謝が少々上がった。筋肉が増えたのだろうか。

しかし筋肉が増えたとはいえ所詮雨戸に負ける程度である。どのくらい鍛えたらあいつに勝てるのだろうか。冬までには勝利したい。出来るなら。


2012年7月2日 (月) 緑茶カウント:2杯
雨戸と一時間以上格闘していた。

雨戸が出てこないのである。押しても引いてもうんともすんとも言わず、一時間ほど努力をした結果、うんとすんくらいは言うようになったが解決には至らない。夕方、窓から身を乗り出し、家路を急ぐ人々の頭上でガタガタガタガタ、ああでもないこうでもないと頑張っていた。そのうちに日が暮れ、懐中電灯、サラダ油、綿棒、割り箸、トンカチ、ドライバーを持ち出しひたすらに雨戸と組み合うが、結局どうにもならず、諦めた。

今日は足りないものを買出しに行くついでに軽く散歩をするつもりだったが、雨戸のおかげで全てパーである。これは家主、もしくは不動産会社に相談すべきなのだろうか。疲れた。


2012年7月1日 (日) 緑茶カウント:0杯
友人の手際の良い整頓技術に感嘆した。そして自分の大雑把さ、不器用さ、手際の悪さに呆れ果てた。自分がもたもたしている間にテキパキと仕事をこなす鮮やかさ。きちんと種類別に物を分け、収納出来るのがまたすごい。

整頓が苦手だ。机の中など、最初のうちこそこっちは小さいもの、あっちは大きいものと区別をして入れようとするのだが、とりあえず、と置き場所が見つからなかった大き目の封筒などをその上に重ねるともういけない。封筒の上にハガキ、メモ帳、ポストイットなど、何でもかんでも重ねてしまい、最終的にはごちゃごちゃになってしまうのである。

と、言うと「百円均一に行って小さな箱を買い、それで仕切りを作ると良い」と友人がアドバイスをくれたので、今度やってみようかなぁ、と思う。友人に触発され、滅多に生じない貴重な整頓欲が湧いてきたのだ。次の土曜日、覚えていたら百円均一に行ってみよう。


ウェブ拍手レス
(6月30日22時の方へ)鬼畜のフォロワーさん、メッセージありがとうございます。
こっそりありがとうございます。なんとなーく気付いたら十年疎遠になってた、なんてことになってしまうのも嫌なので、頑張ってみようと思います!


2012年6月28日 (木) 緑茶カウント:1杯
ゆった。

ほのかに兄や姉という存在に憧れを持っていて、子供の頃は叔母をお姉ちゃんと呼んで姉のように慕っていたのだが、あの人は言うなれば、自分にとって兄のような人だったのだろうなぁ。と、言うとその人はわざと露骨に嫌な顔をするだろうが。面倒見がよく、親切で、イタズラ好きの人であり、眠たそうな目をしていることが多く、午前中は挨拶をしても咽喉の奥で返事をするだけ。それでいて体調を崩すとすぐに気付いて声をかけてくれた。ニューハーフパブに連れて行ってくれたのもその人だった。大変ショッキングな体験だった。

またいつかどこかで会えると良いなぁ。会いたいです。


ウェブ拍手レス
(6月28日23時の方へ)鬼畜のフォロワーさん、メッセージありがとうございます。
そうですね、恩人であり兄であるような人です。己は、妹はいるものの兄や姉はいないので、実際に自分に兄がいたらこんな感じなのだろうか、と思うこともありました。

このように近しく感じてはいるのですが、実際会うことが無くなるとすると、年賀状を出すくらいしか、なかなかコミュニケーションのきっかけが掴めない距離感でもありまして。また、改まって手紙を書くのも気恥ずかしく、という具合に考え込んでおりましたが、暑中お見舞いや残暑お見舞い、寒中お見舞いを活用する手もありますね! 一応、今回口頭で、自分の中の感謝の気持ちのたった二十分の一程度ですが、伝えることは出来ました。とはいえたったの二十分の一なので、残りをどうにか、時間をかけて伝えていきたいと思います。


2012年6月27日 (水) 緑茶カウント:2杯
長いこと己に対し、ずっと気を遣ってくれている人がいる。その人には本当にお世話になった。言葉にするのは照れくさいのでなかなか態度に出せないでいるのだが、心から感謝している。親しくない人や知らない人との間に壁を作りがちな自分を連れ出して、新しい遊びを教えてくれ、色々な人に会わせてくれた。感謝してもし足りない。

今日の呑み会でもとてもお世話になった。楽しかった。すごく楽しかった。多分きっと、その人とはもう滅多に会えなくなる。次に会うのは誰かの葬式か、といった冗談も出た。さて、さよならをする前に、どうしたらありがとうございました、と伝えられるだろうか。考えている。


2012年6月26日 (火) 緑茶カウント:1杯
大人気なく怒ってしまったことを悔いているが、同時に、いや、あれは誰でも怒るだろう、いくら何でも失礼すぎるだろうと考える。依頼をされたから資料を提出したのに、全く内容を確認せずにけろっとした顔で思い込みと妥協で練り上げた結果に出来上がった、資料と全く違うものを寄越してくるこの神経、そうしてこちらが添削しまくって返したら、直す時間は無いと涙目。自分は怒って良いはずだ。

だが思い出せ。祖父が言った言葉、「正義は微笑を持って語れ」、を。それは太宰治の「正義と微笑」から引用されたもので、太宰治を愛読している祖父がふとしたときに口にしたものだ。そうだ。怒りに任せてはいけない。自分が正しいと思うなら、冷静になってしっかりと言葉を選んで話さなければならないのだ。

と、頭では思いつつ、腸が煮えくり返っていたので浴室で「嫌いだ」「嫌いだ」「大っ嫌いだ」と叫んで鬱憤を晴らした。まだちょっと煮えている。


2012年6月23日 (土) 緑茶カウント:4杯
呑み会帰り、ちょいと呑み足りなかったので、コンビニで買った缶チューハイをちびちびと呑みながら夜道をぷらぷら歩いていた。家に帰るのは呑み終わってからと決め、我が家のある方角から逸れた道を選んで歩く。とはいえ長い散歩に出かける気は無く、頃合を見て引き返すつもりだった。

どこに行こうか特に意識したわけではなかったが、道の先にブックオフが見えたのでそこを折り返し地点にすることにした。ブックオフに着くまでに中身を空にし、ブックオフの中を通って我が家のある道へと引き返そう。缶の中身は残り三分の一ほど。ちょうど良い距離だ。

予想はしていたがやはり、折り返し地点に長く滞在することになった。およそ一時間はそこにいただろう。だが、ただ立ち読みをしていたわけではない。立ち読みもしたが、素敵な物も手に入れた。アンジーの「レア・トラックス」というアルバムだ。活動休止記念に作られたものらしく、ファイナル・ライブの音源や、未発表曲、シングルバージョン、ソノシート収録曲などが詰まっている。アンジーはオリジナルアルバムが新品ではなかなか手に入らない状況にあるので、少しずつ少しずつ、ブックオフなどの中古屋で買い集めているが、まだまだなかなか揃わない。そんな中でのこの出会い。買わないわけが無いだろう。

アンジーの曲はボーカル水戸華之介のライブでよく演奏されるので、「オリジナルアルバムは持っていないが、聴いたことのある曲」が結構ある。未聴の曲をアルバムを通して初めて聴くのも楽しいが、後からオリジナルを知ることで、記憶の中のおぼろげな輪郭がはっきりと上書きされる感覚も心躍る。ライブアレンジが激しい曲の場合は、サビまで聴いてようやく気付くことさえある。そして、もとはこんな曲だったのかと驚き、時間による変遷に思いを馳せるのだ。

日記を書きながら今まさにこの「レア・トラックス」を聴いている。曲のチョイス、空気の切り取り方にもよるだろうが、ファイナル・ライブの音源だとは指摘されなければ気付かない湿っぽさの無さが心地良い。ライブで何度も聴いた「天井裏から愛をこめて」もシングルバージョンではまた印象が違って面白い。確かカラオケで配信されているのはシングルバージョンをベースに作られたもののはず。そうかこんな曲だったのか。

寄り道はやはり、良いものだ。


2012年6月22日 (金) 緑茶カウント:2杯
このところ、どんどん就寝時間が後ろへ後ろへとずれてきているので、そろそろ軌道修正をしなければなるまい、と実感している。本来ならば一時半には寝たいので、一時にはパソコンの電源を落としたいところだが、気付けば二時過ぎ、ということが続いていて非常に良くない。

と、いうわけで少しずつ寝る時間を早めてみようと思う。一時に寝られたら拍手喝采。そのためには、日付が変わる前に風呂に入らなければならないが。出来るだろうか。大変だ。


2012年6月21日 (木) 緑茶カウント:4杯
まんまと…プレミアム会員登録をしてしまった…。ニコニコ動画の…。

ベルセルクの宣伝で、平沢進がニコニコ生放送に一時間半出演する話を聞き。通常会員で視聴を試みたがあえなく追い出され、矢も盾もたまらず即座にカード決済。大人で良かった、と思った瞬間である。

番組は意外と安心して楽しめる内容だった。ニコニコとヒラサワという組み合わせに、喜びと警戒・不安と期待が入り混じった複雑な感情を抱いたが、まぁ良かった。内容はベルセルクのテーマ曲「Sign」を使ってユーザーが作った動画を平沢進と鑑賞するというもので、言ってみれば同人誌を原作者と一緒に読むようなものであったが、妙な空気になることもなく、和やかに進行し、当のヒラサワも楽しそうに見えたのでほっとした。

そして何とヒラサワから今度はAriaを使って偽歌詞・動画を作ってみろという御指示。さらに秋には投稿された動画を鑑賞する企画を再度行うという大発表。面白いことになってきたが、さて、プレミアム会員はいつまで継続するべきか。一度解約してまた秋に契約するか、ずっとそのままにしておくか。迷うところである。これがきっかけでニコニコにどっぷりはまってしまったりして。

と、言いつつどれとは言わないが、一度料理動画を投稿したことはあるという内緒の話。そこそこの再生数とコメントをいただけて嬉しかったが、動画制作はなかなか大変で、非常に疲れたのでもうやらないと思う。と、言いつつどうだかな。多分やらないだろうけど。な。


2012年6月20日 (水) 緑茶カウント:3杯
人生で二度目の挑戦である。ウニを食べた。食わず嫌いでずっと避けてきたウニを食べた。苦かった。美味しいものなのか何なのかさっぱりわからなかった。ただ一つわかることと言えば、己はウニという生き物を信用していないことだけだ。あんなトゲトゲで、割ったら脳のようなものが入っている、何が楽しくて生きているのかよくわからない生物。お前はいったい何なのだよ! ウニっていったい何なんだよ!! 咀嚼しながら口の中のウニに己は言葉をぶつけていた。飲み込んでも腑に落ちない。

三度目は無くても良いかな、と思った。やっぱり、苦手だ。まだ貝は信用出来るがウニはだめだ。あいつとは仲良くなれる気がしない。


2012年6月19日 (火) 緑茶カウント:4杯
ここ一週間程度の話だが、味噌汁やスープといった汁物、枇杷や柑橘類といった果物を除いて、自分が水分摂取の源としているものは、ほぼ緑茶のみであることに気付いた。今日はビールを呑んだが、通常は緑茶以外の飲み物を己は口にしていないらしい。

ちなみにこの緑茶カウント、マグカップに注いだものしかカウントしていない。水筒に詰めたものはカウント対象外になっているため、水筒分をマグカップに注いだものと仮定してカウントすると、軽く倍にはなるだろう。

緑茶は殺菌作用が強いからあまり飲みすぎちゃいけないのだよ、と先日友人から忠告を受けたが、ご覧の通りぐびぐび飲んでいる。爽やかな咽喉越し、すっきりとした甘み、ほのかな苦味、そして透き通った緑色の美しさ。殺菌作用が強かろうが何だろうが、こればっかりは止められない。緑茶のある国に生まれて良かった。


2012年6月18日 (月) 緑茶カウント:3杯
やった。やり遂げた。第一目標を達成した。二月十八日から筋トレを開始し、ついに本日四ヶ月目を迎えた。途中、旅行や呑み会などで休むこともあったが、合計してもせいぜい十日に満たないはず。ほぼ毎日続けられたと言っても過言では無いだろう。

筋トレは一日二十分から三十分ほど行った。音楽を聴いたり、ライブDVDを観たりしながらマイペースに続けたため、さほどきつくは無かった。それでも継続は力なり。最初の二ヶ月ほどはほとんど体重・体脂肪率ともに変化は無かったが、一ヶ月ほどで体の見た目は若干変わった。引き締まってきたのである。そして三ヶ月目から体重と体脂肪率が落ち始め、今は落ちたところで安定しつつ、少しずつ減っていっている。ちなみに筋トレによる変化を箇条書きにしてまとめると以下のようになる。

●全体的に引き締まった。
●上半身、主に肩と腕に筋肉が付いた。若干肩幅が広くなった。
●整体の先生から、背筋が付いたと指摘された。
●以前は片手で持とうとすると手がブルブル震えた重い鍋を片手で軽々振れるようになった。
●夜に甘いものを食べても太らなくなった。
●呑み会などで大量に食べた場合、一時的に体重が増えるが、一日で元に戻るようになった。
●体重が四キロ減った。
●体脂肪率が四パーセント減った。
●代謝が上がった。
●食べた直後も腹が出にくくなった。
●ジーンズが二サイズダウンした。
●去年履いていた夏服が体に合わなくなった。

ちなみに元の体重はBMIによると標準体型の範囲内に収まるものであったが、年々体脂肪率が上昇してきたという側面があった。そして四ヶ月前の二月。締まりの無い腹部に気付き、これは放置していたら不味いのでは無いか、と危機感を覚え、筋トレの開始を決断した。

今は大学時代の体重・体脂肪率まで戻った。次の目標は高校時代の体重・体脂肪率に辿り着くことである。恐らく、このまま継続していけば到達することが出来るだろう。とりあえず次は六ヶ月継続を目指す。やるぞ。


2012年6月17日 (日) 緑茶カウント:6杯
疲労のせいか、このところ睡眠が気持ち良くて仕方が無く、あまり夢らしい夢を見ない日々が続いていたが、今日は妙な夢を見た。SMっぽい夢である。恐らく、眠る前に特撮の「SM作家」という曲を聴いていた影響かもしれないが、内容はこうだ。

何も無い白い部屋にドアーが一つ。入り口から入ってきたのはボンデージの衣装に身を包み、パピヨンマスクを付け、右手に鞭を持った女王様だ。部屋の中心で彼女を眺めつつ「これが女王様か」と感心していると、黄金の冠を被り、赤く分厚いマントを羽織り、豊かな髭をたくわえ、両手に荒縄を握り締めた王様と、女王様と色違いのパピヨンマスクをつけ、提灯袖にカボチャパンツの衣装に身を包み、やはり女王様と同じ鞭を持った王子様が部屋に入ってきた。そして「なるほど、サディスト役の女が女王様ならサディスト役の男は王様や王子様といった名前になるのか」と納得する。

この後場面が切り替わり、自転車でマフィアから逃げる場面もあったが、それは「SM作家」の曲がそのまま夢に反映されたのだろう。すると己はSM作家役で、マフィアを死なせてしまった恋人のSMクイーンの身代わりになってその後殺されたのか。殺されるところまで夢に見ずに済んで良かった。

それにつけても思うのは、あの女王様と王様と王子様の三人組が並ぶ絵面の間抜けさったら無かったということだ。あぁいう方々はそれなりのムードのある場面に存在してこそ映えるだろうに、よりにもよって己の夢になんざ出てきてしまったばかりにギャグにしか見えなくなってしまった。と、いうよりも、こんな役者が揃っているにも関わらず全く卑猥さが無い夢を見るあたりいっそかえって不健全では無かろうか。と、起き抜けの頭でぼうっと考えた。


2012年6月16日 (土) 緑茶カウント:4杯
泡風呂に入るなんざ何年ぶりだろうか。とある泡風呂用の石鹸がいかに良いか、人に熱弁を振るわれて戯れに購入し、それから数ヶ月ずっと放置していたそれ。すっかりその存在を忘れていたのだが、今日はゆっくり風呂に浸かって疲れをとろかすか、と風呂掃除をしようとしたときに思い出した。そういえばあれがあったじゃないか。

感想を述べるならば、なかなか面白かった。ざぶざぶと湯をかき混ぜて空気を入れなければ泡が発生しないため、一手間かかるがそれもまた楽しい。風呂に入っている間、ちょうど洗濯機を回していたため、ゴウンゴウンという音が浴槽まで響いてきて、まるで自分が洗濯物になったような気分になった。

泡風呂用のものだからだろうか。泡は丈夫で消えにくく、腕に乗せて掲げても落ちることなくくっついていた。これならば少年漫画のヒロインの入浴シーンにも使えそうである。しっかりと体を隠してくれることだろう。

泡を作ったり飛ばしたりして遊んでいたおかげで普段よりも湯船に浸かる時間が長くなったせいだろうか。上がるころには疲労もすっかり融けていた。確か石鹸の割りには高い値段がしたと思うが、たまにはこういう遊びも良いかもしれない。


2012年6月15日 (金) 緑茶カウント:3杯
ちいとも格好良いと思わない、好みの枠から外れる扇子をあえて愛用しているのは、それをくれた人の気持ちが嬉しかったからだ。

風をそよがせるとふわりと甘い香りがする。もらったばかりの頃は強く感じられたそれも今はだいぶ薄まり、何の匂いだったか思い出せない。淡く濁った緑の色から抹茶の香りを連想するが、きっとそれは正しくないと思う。

とても忙しい一週間だった。六月は楽になるかと思いきや全くそんなことは無く、自分の要領の悪さを痛感するばかりで何度心で泣いたかわからない。

網戸からわずかに抜ける夜風がまだるっこしい。内側から冷やそうと作ったばかりの緑茶を飲むがまだぬるい。呑み会の帰りだ。ビールを四杯呑んだ。楽しかったが、一人になって一週間を振り返ると情けなくてたまらなくなった。帰宅後、皿を洗い、風呂を洗い、湯船に湯を溜めて、筋トレをして、浴槽に浸かった。

続けられていることが一つの勇気になる。何でも良い。日記でも筋トレでもドローイングでも、何か続けられているものを持ちたい。これだけは出来る、と言えるものを持ちたい。日記を書くのは楽しいからだ。筋トレをするのは体を鍛えたいからだ。ドローイングをするのは少しでも上手くなりたいからだ。ただそれだけでは無い。自信が無いのだ。

自分は頭の良い子供だった。人より少し早熟で、勉強しなくてもテストで百点を取ることが出来た。学校の授業と宿題だけで充分だった。そして予習復習の仕方を覚えぬままに成長し、どんどん出来なくなったのだ。好きなことは出来るが少しでも苦手意識のあるものには手をつけられない。未だにそうだ。努力することがとても苦手だ。

己の好みに近く、それでいて微妙に外れたものをいくつかくれた友人は、深い深い繋がりがあるわけでは無く、二人きりで遊んだことも無いが、それでもわざわざ自分の誕生日を覚えてくれて、自分のために物を買ってくれて、それを送って寄越してくれたのだ。全然好みじゃない。だが、それを大事にせずにはいられない自分がいて、同時に好みから外れるものを愛用せずにはいられない自分に苛立ちを感じ、心の中はざわめいて穏やかさから遠く離れる。もっと出来るように、要領良く諸々をこなせるようになりたい。今、これを言うのはしんどいが、やはり言おう。頑張ろうと。


2012年6月13日 (水) 緑茶カウント:4杯
きのうはとても頑張った。やらなければならないことをやり遂げるために四苦八苦していたらいつの間にやら朝を迎え、布団に入ったのはすっかり日も昇りきった六時過ぎ。そして二時間寝て起き上がり、用事を解消するために出掛けた。達成感はあったがあの起き抜けの一時間は地獄のような苦しみだった。朝は強い方だと自負しているが、辛かった。

だが朝を乗り越えればその後は快調、とまではいかないものの、うとうとすることも無く元気に過ごすことが出来た。睡眠不足でハイになっていたのだと思う。ただ、目はだめだ。非常に疲れて視力が普段よりも落ちている。無論コンタクトレンズなんど持っての外だ。目薬がひどく染みた。

流石に今日は夜更かしをする気力も無いので、この日記を書いたらすぐに眠ることにする。きっと泥のように眠れるはずだ。


2012年6月11日 (月) 緑茶カウント:6杯
先の予定が出来たのである。楽しみが増えるのは嬉しいことだ。その直前まで、あれやこれやと忙しくなることが予測されるが、何とかそいつを乗り越えてやろうと思う気力が湧く。楽しみのために、やーるぞーお。


2012年6月10日 (日) 緑茶カウント:6杯
シュークリームを食べたいという欲求を抱えていて、いかにして欲求を満たすか考えていた。コンビニエンスストアーではなく、ケーキ屋で売っているようなものが食べたい。中身はカスタードクリームのみ。生クリームはいらない。カスタードクリームがたっぷり詰まったこってりしたシュークリームが食べたい。

しかし、このあたりにその手のシュークリームを売っている店舗は無かったような気がする。ではどうするか。よくよく考えた結果、自分はシュークリームに固執しているのではなく、カスタードクリーム、もしくはミルククリームが食べたいらしいことに気付いた。では、近所のパン屋で売られている、細めのフランスパンにミルククリームがたっぷり挟まれたパンでも欲求は満たされよう。あるかわからないシュークリームを探す旅に出かけるよりそっちの方が良い。己は真っ直ぐパン屋に向かった。

運良く目当てのパンは見つかった。時間帯によって品数が少なくなっていることもあるのでもしやと心配していたのだが杞憂だったようである。左手に持ったトレイにミルククリームが挟まれたパンを乗せ、ついでに大きめのハンバーグとチーズががっつりサンドされているハンバーガーも横に乗せた。さぁ、会計を済まそうか、と思ったその時だ。「ただいまクリームパンが焼きたてでーす」という声とともに、釜から出されたばかりのツヤツヤのクリームパンが売り場に並べられたのである。

ここのクリームパンは絶品だ。冷めても美味いが、焼きたての美味しさは筆舌に尽くしがたい。口に含むと柔らかなパン生地がとろとろにとろけて、熱々のクリームがどろりと舌の上に流れ込んでくる。パンというよりも、薄い膜に包まれた溶解寸前のクリームの塊のようなのだ。

迷った。既にトレイにはミルククリームパンを乗せている。己は普段パンを買うとき、調理パンを二つ、甘いパンを一つという数で買うことに決めている。しかも同じクリーム同士だ。せめてアップルパイとクリームパンならばまだしも、だぶっているのである。だが、あのとろとろのクリームパンの魅力には抗いがたく、一度トレイに乗せたパンを戻すという選択肢も持ち合わせていない。

結局誘惑に負けてクリームパンをトレイに乗せた。トングで掴もうとすると、それだけでパンは今にも崩れてしまいそうで、慎重にトレイに乗せながらやはりこの選択は間違っていなかった、と満足した。こんなに素敵な味のものを逃すことは出来ない。では、レジに向かおうか、と思ったその時。サンドイッチコーナーに見慣れぬものを発見した。何ということだろう。閉じきれない口からカスタードクリームがはみ出ているシュークリームがあったのである。いつの間にか、新商品として販売されていたのだ!

迷った。売り場を二周した。覚悟を決めた。そうして今日、自分はミルククリームパンとクリームパンとシュークリームとハンバーガーを食した。幸せだった。美味しかった。たまにはこういった偏った贅沢も良いものだ。満喫した。


2012年6月9日 (土) 緑茶カウント:2杯
ある日、友人と出掛けたときこと。商店街を歩いていたら靴下の専門店が見え、友人が靴下を買いたいと言ったので中に入ることにした。店には靴下だけでなく、ニーソックス、レギンス、タイツ、ストッキングなどもあり、ストッキングを履いたマネキンの足がずらずらと棚の上に並べられていた。カラフルな足が一列に並ぶ様はなかなか圧巻である。

友人が欲しいのは靴下だけであるらしく、ストッキングの類には用が無いようであったが、彼女が選んでいる間、暇つぶしに様々な柄のストッキングを眺めていた。ほう、網タイツにもこんなに種類があるものなのか、引っ掛けてしまったら大変そうだ、細かいものだなぁと感心していると、目当ての品を見つけたらしい友人が近くに寄ってきた。何を見ているのだと聞かれたので、あの柄は面白いなと話すついでに、最近は色々な模様ののストッキングがあるらしいこと、中にはニーソックスを履いているように見えるストッキングがあることなど、数週間前に仕入れたばかりの知識を披露した。

「ニーソックスみたいなストッキング? わざわざストッキングにしなくても、ニーソックス履けば良いだけじゃない」

「それがさ、ニーソックスだとゴムの口のところで太ももが圧迫されて、ちょっとむにってなるだろ。あれが嫌な人にとっては良いんだって。スッキリ履けるからさ。それにずり下がらないっていう利点もあるらしいよ」

「ふーん。……何でそんなに詳しいの」

何で、と聞かれても困るが、やましいことなど全く無いにも関わらず、一瞬動揺したのは真実である。自分は面白いから、と答え、友人は靴下を持ってレジに並んだ。ところで一番良いな、と思うシチュエーションを考えてみたのだが、豪華な模様の入った網タイツを履いた女性が、タイトなジーンズをその上に履き、網タイツの存在がすっかり感じさせられなくなっている姿。しかし実は履いている。こういうのが何だか、グッと来ると思うのである。あぁまた墓穴を掘った。もういい。


2012年6月8日 (金) 緑茶カウント:3杯
楽しい三日間だった。欲を言えば現地に足を運びたかったが、予定が合わず泣く泣く見送った平沢進のコンサートライブ。しかしライブハウスにこそ行くことは出来なかったものの、自宅でストリーミング放送を視聴し、間接的に参加することが出来た。生憎開演から全て観ることは叶わなかったが、それでも嬉しい。

映像は鮮明で無く、ノイズが多く、途中途中で回線が途切れることもあったが、それがまた、耳をそばだてて、深夜音の悪いラジオをわくわくしながら聴くようで、それは決して自分が体験してこなかったものであるにも関わらず、その感覚の近さはとてもリアルに感じられ、喜びともどかしさがない交ぜになった。

サイボーグ、庭師KING、Lotus、生まれなかった都市。しかも今回はミュージシャンのゲストが二人。生で聴きたかったなぁ。次こそは、と心に誓う。次こそは。


2012年6月7日 (木) 緑茶カウント:3杯
夜もたっぷり更けた頃、携帯電話に着信があった。履歴を見ると父からのものである。母からはともかく、父から電話がかかることは滅多に無い。時間も時間、いったい何の用事だろうと若干緊張しながら電話をかける。やや時間はかかったが、程なくして父が電話に出た。先程の電話の用件について尋ねる。父は言った。今日ラジオにオーケンが出てたよ、と。

「車を運転しながらラジオを聴いていたらゲストに出てきてな」
「お前は筋肉少女帯の名前の由来を知ってるか? アナウンサーにバンド名について質問されてな…」
「あと、メイクしてるだろ。顔に。あれの話もあってな。面白かった。どんな話かと言うと…」

筋少好きの我が子にラジオの内容を教えるため、わざわざ電話をかけてくれたのである。この時間、ラジオをやることは知っていたが、用事があったため視聴は断念していたところでまさかの父からの伝聞ラジオ。以前にも、テレビで放送された筋少のライブの録画を頼んだら、録画をするだけでなく、リアルタイムで視聴してメールで実況してくれたことがあったが。まさか父の口からオーケンの話が聴けるとは。

何と言うか、良い両親を持ったなぁ、と思う。感謝である。


ウェブ拍手レス
(6月5日20時の方へ)鬼畜のフォロワーさん、メッセージありがとうございます。
フレーバーティーは高貴な方々が嗜む高級品…そうだったのですか! 知らなかったです。今じゃそこらのお店でちょこちょこっと買えますから、そう考えると良い時代になったものです。桂花茶なるものは記憶にある限り、飲んだことが無いので一度試してみたいです。小さなパックがあったら買ってみようかと思います。

ちなみにぶどうの麦茶ですが、香りのもとを確認すべく成分表示を見ようしたのですが…袋を開ける際に切り取ってしまっていたため、真実は藪の中です。ただ、かなり強烈な香りで、麦茶を入れた容器に香りが染みこみ、今日淹れた緑茶もぶどうの香りに染まってしまった程なので、何らかの香料を使っているかもしれません。ぶどうの香りの緑茶は…まあまあでした。

あと、カマキリをお褒めいただきましてありがとうございます! ちょっとメルヘンにしてみました。


2012年6月4日 (月) 緑茶カウント:1杯
珍しいものを見つけたので、ついつい購入してしまった。ぶどうの香りの麦茶である。湯飲みに注ぐとふわりと甘酸っぱい香りが漂うが、味はすっきりとした麦の味。元来ぶどうが好きなので、誘惑に抗うことが出来なかった。

そして今日一日、じっくり味わい楽しんで思うことには、やはり麦茶は麦の香りがするのが一番で、ぶどうの香りを嗅ぎたいのならぶどうジュースを飲んだ方が良い。結論、どっちつかず。まだティーバッグが九袋残っているが、人を驚かすには良さそうなので、来客時に出すことにしよう。つまり既に、飽きたのだ。

今は緑茶を飲んでいる。あぁ、美味い。緑茶はやはり美味いなぁ。


2012年6月3日 (日) 緑茶カウント:1杯
用事があったため、土曜日に友人の家に泊めてもらったのだが、友人の家でタオルを借りて洗顔後、鏡で顔を確認しようとしたら、眉毛から上しか写っていなかった。

これが…二十センチの身長差か…。

以前この友人が我が家に泊まりに来たとき、ドアーの上に吊り下げた衣服が開閉のたびに動くのが邪魔だと言っていて、自分は特に不自由を感じたことが無かったため何がどう邪魔なのだろうと思っていたのだが、どうやら背が高いとあれが開閉のたびに顔にぶつかってしまうらしいのである。なるほど、これが二十センチの身長差か。

鏡だけでなく、棚なども高い位置にセットしてあって、物の配置がほんの十センチか二十センチ高いだけであるにも関わらず、ふとしたことで見上げる必要性が生じ、子供の頃に戻ったような気分になった。部屋はそこの住人が住みやすいようにカスタマイズされるのが常である。ちょっと体格が違うだけでこうも見える世界が変わってしまうのか、と思うと面白かった。


2012年6月1日 (金) 緑茶カウント:4杯
髪を切りに行ったら思っていた以上に切られてしまって悲しい。襟足を刈り上げ直前まで切ってくれと頼んだのだが、襟足以外も刈り上げ直前に近い形にされてしまったのである。己は首周りを涼しげにしたかっただけなのに。

今回担当してくれた人は歳が近く、ジャンプやコロコロ、ミニ四駆の話で盛り上がり、会話自体は非常に楽しかったのだが、喋ることに夢中になるあまり、こちらの意向を確認する前にザクザク作業を進めてしまう人で、「これくらい切ってしまっても良いですか?」と聞かれた際には既に切りすぎの状態であった。だめですと答えたら何かしてくれたのだろうか。

救いとして、自分はどちらかと言うとすぐに髪が伸びる方なので、二週間もすれば多少は落ち着くだろうが、それまでの間は若干困りそうだ。参ったな。


2012年5月31日 (木) 緑茶カウント:5杯
ちょっと思い切って買ってしまった。一目惚れのポロシャツを。それはシンプルで、細やかな演出が心憎く、サイズもぴったりで、しっかりとした縫製のものだった。とてつもなく格好良い。普段自分が購入している服よりも若干高いものだったが、ちょうど懐にも余裕があったので、迷わず購入した。

ついこの間、良いと思った服が試着をしてみるとぶかぶかで、とても見られたものではなく、購入を断念しただけに、今回の出会いは嬉しかった。そしてもう一つ嬉しかったのが、この服を売っている店を友人が教えてくれたことだ。こんな服が好きだ、と話したら、好みの服を販売していて、サイズの種類も多い店を数店教えてくれたのである。

早速インターネットで検索してみたところ、やや値段はするため買うのにはいくらか勇気がいるが、どれも好みのデザインだった。あぁ、こんなところにあったのか。そうしてうちの一つの店が近所にあることを知り、出向いてみたところ一目惚れ。そうそう何着も買えないが、選択肢が増えたのは喜ばしいことだ。またいつか懐が温かいときに買いに出かけるつもりである。友人に感謝。


2012年5月28日 (月) 緑茶カウント:3杯
筋トレを始めて三ヶ月と十日経過した現在。若干、以前よりも肩幅が広くなったような気がする。単に上半身が以前よりも少しだけ絞られて、その分肩が広く見えるようになっただけかもしれないが。

もともと、ほとんど運動とは無縁の生活をしてきたのでタカが知れているが、それでも少しずつ筋肉が付いてくるのは嬉しい。力こぶはだいぶ固くなった。すると次に興味が出てくるのは、この筋肉は何という名称で、どんな働きを持つものかということだ。ちょうど我が家には無いことだし、デッサン用の人体解剖図でも買ってみよう。照らし合わせると面白そうだ。


2012年5月27日 (日) 緑茶カウント:3杯
楽しい二日間だった。自分はこんなに早口で饒舌だったのかと驚くほど良く喋った。歳を取り、饒舌と言うよりは寡黙に近くなったように感じていて、昔はあれこれと良く喋っていた気がするのだが、人は変わるものだなぁ、などと考えていたのだが。自分が変わったのではなく、どちらかと言えば環境が変わったせいだったらしい。心安く喋れる相手が周囲にあまりいない状態では口数が減るのも道理である。なるほどな、と一人納得した。


2012年5月26日 (土) 緑茶カウント:0杯
今、人を泊めている。友人は小学校のときから断続的に付き合いのある人物なのだが、うちに泊まりにきたのは初めてで、人を泊めるのも久し振りなので、何かチョンボが無かったか、静かにハラハラしている。見られてはいけないものは出ていなかったか。掃除をし損ねたところは無かったか。足りない道具は無かったか。とりあえず今のところは特に問題無さそうで、友人は我が家にある漫画と図鑑と画集を楽しげに眺めて、うちの一つを部屋の隅で熟読していた。楽しんでもらえたなら幸いだ。

友人が風呂に入っている間に冷たい緑茶の支度を整えた。少しでも快適に過ごしてもらえれば嬉しい。


2012年5月25日 (金) 緑茶カウント:0杯
昨日のアダルトビデオの話にも通じるのだが、好きな人の名前を言うことや、好きな人がいることを公にすることが恥ずかしく無いのは何故なのだろう。小学生や中学生のときは、「好きな人の名前」は最大クラスの秘密事であり、そっと人に洩らすのは勇気がいることで、知られるのは恥ずかしいことで、周囲からからかわれたり、囃し立てられたりする対象だったのに。

歳を取ったと言えばそれまでだが、自分は未だにあのときの感覚を引きずっているので、愛や恋の話で、人が好意を寄せる相手の名前をさらりと口にすることにひどく違和感を覚えるのだ。あれはいつから恥ずかしくなくなるものなのだろうか。

いつの間にか夜道を一人で歩けるようになるのと同じことなのかもしれない。ただ、念のため一つ断っておこう。己はその感覚に違和感を覚えるが否定はしない。あぁ、平気なんだなぁと思いつつ話を聴いたり聴いているふりをするだけだ。それは自分にとってはタブーだが人にとってはそうではない。それだけのことなのである。しかしやはり、不思議だな、と思うので、こうして口に出したくなるのだ。不思議だな。


2012年5月24日 (木) 緑茶カウント:0杯
友人達とだらだら喋っていたら、何かの流れでアダルドビデオの話になった。とはいえ、内容には触れず、AV女優の名前がつらつら出てきて、あれは知ってる、あれは可愛い、あれが好きだ、あれは先輩に教えてもらった、あれは引退した、という話題だったので、気分が悪くなるまでには至らず適当にスルーしていたのだが、話を聞きつつ自分は静かに驚きを感じていた。確かもっと若い頃はアダルトビデオを観ているなんてことはそうそう公にはするものではなく、観ていることがばれたらまずい、という背徳感と危機感があるものだと思っていたが、二十代も半ばになるとこういうものを鑑賞するのも一種の嗜みであるらしい。特にこの場、男共だけの空間ではなく女もいる。そして女友達も「あーその人は知ってるー観たことないけど有名だよねー」と話に混ざっていた。

そしていつしか「AV女優の名前をスタンド風にする遊び」が始まり、非常に頑張って「フード・アイランド・ラブ」というスタンドを考案したが、その人は実際はあまり出演していないから微妙にずれている、と突っ込まれた。知ったことか。


2012年5月23日 (水) 緑茶カウント:3杯
二月に友人からもらい、ずっと持て余していた知恵の輪が一つ。たまに思い出したように触ってみるもうんともすんとも言わず、ただ指が胴臭くなるだけ。どのように解けば良いのかと友人に問うてみたところ、引っ張ったり押したりするものではない、とヒントをくれた。

「わからん。どういうこっちゃ。投げて良い?」
「あー…近いかもしれないけど…」

そして。軽く投げてみたところ、落下の衝撃で複雑に組み合わさっていた知恵の輪は二つに分解。何一つ知恵を使わずに解けてしまった。

友人に報告すると、せめてはめ方は自分で考えてごらんなさいと言われ、一所懸命考えたがよくわからず、もう一度空に投げてみたが、バラバラの金属が二つ布団の上に落ちただけだった。


2012年5月22日 (火) 緑茶カウント:3杯
一番大きな山を乗り越えた。あまりのハードスケジュール、この山はもしかしたら越えることが出来ずに野垂れ死ぬのではあるまいか、と思うほどのきつさしんどさ難しさ。それでもその山を、様々なものを後回しにしたが、何とか乗り越えた。今はひたすらほっとしている。

ところで南京虫の交尾について調べてみたのだが、あまりのひどさにびっくりした。オスはメスの腹に交尾器をぶっ刺してそこから精子を注入、メスの体内で血液と混ざり合い、血液の中を駆け巡る精子が卵子に辿り着き、その果てに受精するのだそうで、まぁこんな方法なのでメスは死ぬことすらあると言う。どうしてそんな交尾の仕方をするのかさっぱり意味がわからない。何があっても南京虫のメスにだけは生まれ変わらないようにしようと思った。


2012年5月21日 (月) 緑茶カウント:0杯
学生の頃美味しく食べていたインスタントのヤキソバを不味く感じるようになった。麺に染み込んだ油の味に胸焼けするのである。久し振りに食べたいな、と思って買ったというのに、一口でうんざりしてしまった。昔はカップヤキソバをペロリと平らげて、さらに肉まんを食べたりしていたのだが。味覚は変わるものである。


2012年5月20日 (日) 緑茶カウント:3杯
長崎から戻ってきた。今日は疲れているので詳細は省くが、とても楽しかった。とりあえず観光した箇所のみ記しておこう。

一日目。

原爆資料館
原爆落下中心地
平和公園
浦上天主堂
龍馬通り
龍馬のぶーつ像
亀山社中記念館
眼鏡橋
稲佐山(ロープウェイ)

二日目。

大浦天主堂
グラバー園
オランダ坂
中華街
出島

次の機会があるなら、今度は軍艦島とハウステンボスも見たい。


2012年5月18日 (金) 緑茶カウント:0杯
明日から一泊二日で旅行に出かけてくるので少しの間留守にする。初めての長崎だ。楽しみである。


2012年5月17日 (木) 緑茶カウント:2杯
チョコレートは不思議だ。食べなければ特に欲求が生じないのに、一口食べるともっと食べたくなる。まるで欲求に着火をしてしまったようで、半分残っていた板チョコを夕飯前に全部平らげてしまった。さらに、昼にもチョコボールをボリボリボリボリ食べていて、今日のチョコレート摂取量といったら、普段食べないだけにやけに多い。

ちなみに自分は甘ーいホワイトチョコレートと、カカオの割合が非常に高い苦ーいチョコレートが好きだ。苦いチョコレートはまるで香りの良い泥を食べているような気分になれて楽しい。人に食べさせるのも楽しい。むしろそちらの方が楽しい。今度また、久し振りに買ってみようか。


2012年5月16日 (水) 緑茶カウント:0杯
誰もいないところで一人、何かにつけて口走る言葉がある。飼い猫を抱きたいという内容のものだ。最後に会ったのは正月、もうかれこれ半年近く会っていない。あぁ、この膝にあのずっしりした重みが感じられれば良いのに。風呂が嫌いなくせに風呂場のドアーを開けて人の入浴を覗き見しにくれば良いのに。ジーンズに爪を立てて立ち上がり、甘えた声で鳴けば良いのに。

八月には絶対に会いに行く。あのもふもふして、やわらかくてでかくて、抱っこが嫌いだけど人の上に乗るのは好きな、甘えっこを抱いて昼寝がしたい。可愛いんだ、あの猫は。


2012年5月15日 (火) 緑茶カウント:0杯
そろそろ、筋トレを始めてから三ヶ月になる。また、寝る前十分のドローイングに関しては、もうすぐ一ヶ月になる。どちらも習慣化し、生活の一つとして定着しつつある。根性無しのくせに自分もなかなかやるではないか。今後も継続を目指していこう。


2012年5月14日 (月) 緑茶カウント:3杯
最近街でよく見かける、若い娘が履いている模様入りのストッキング、あれはなかなか目に楽しい。まるで大きなタトゥーが彫られているかのように見える模様のものや、カラフルなイラストが描かれたもの。さらにはまるで自身の足が球体関節人形のそれのように見せかけることが出来るもの。これには一瞬ギョッとしたが、発想の面白さに舌を巻いた。素晴らしい!

直接的には繋がらないが、まるで現実がジョジョの世界に近付いているようだ。あのユニークな模様入りのストッキングを見るとわくわくしてくる。ストッキングと言えば無地の肌色のイメージしか無かったが、いつの間にかこんなに楽しいことになっていたなんて。もっとどんどん広がればよろしい。


2012年5月13日 (日) 緑茶カウント:4杯
小学校高学年の頃に読んだ本に、夜中に機関車を走らせていると、灯り目掛けて飛んできた雀が衝突することが度々あり、その雀を焼いて食べると良いおやつになった、という話があった。田んぼの米を食べてまるまる太った雀は真に美味であったという。そして今日、横断歩道の脇でカラスがその味を堪能していた。

あっという間のことだった。信号が青に変わり、停止した自動車と自動車の間に降りてきて、ちゅんちゅんとぴょこぴょこ跳ねていた三羽の雀。そこにカラスが降りてきて、あ、と気付いたときには一話はカラスの嘴の間に挟まっていた。

話に聞いたことこそあったが、実際にカラスが雀を襲う様を見たのは初めてである。一羽が襲われた直後も二羽の雀はカラスの周囲で跳ねていたが、ふと我に返ったかのように、慌てふためきながらその場を飛び去り、逃げていった。

生ゴミを漁るだけでは無いのだな、と感心しつつ、昔読んだ本のことを思い出していた。あの時は美味そうだな、食べてみたいな、と思ったが、今食べられる雀を目撃して若干ショックを受けている。そして「嫌なものを見たな」と思いつつ、「面白いものを見た」「ラッキー」「得をしたな」「飲み込むところまで全部見たい」と思った。

昆虫が昆虫を捕食する様であったなら、「嫌なものを見た」という感情は生まれなかっただろうが、雀は自分にとってのどかさの象徴の一つであったので、それを破壊されて嫌な気分が生じたのだ。だが同時に、機関士が機関車にぶつかった雀を焼いて食すという話もまた、己にとってはのどかな話だったのである。どちらも雀が食べられていることには変わりが無いのだが。

とはいえ飛来した嫌な感情は一時のもので、横断歩道を渡りきった後には、土地柄、田んぼの米とは無縁に思えるあの雀は美味い味がしたのだろうかということが気になった。あの雀は何を食べていたのだろう。カラスは満足出来ただろうか。

そうして己はパン屋で美味しいパンを買い、もぐもぐと齧って腹を満たした。


2012年5月12日 (土) 緑茶カウント:3杯
よく見かける、不可思議な格好をした女性が気になっている。あなたは何故そのような格好をしているのですかと何度尋ねたくなったかわからない。それを思い留まらせるのは、あくまでも他人でいたいからである。興味深いが、接点は要らない。ただ傍観者でありたいが、どうしても目に入るので気にはなる。だからここに書き記す。

彼女は左右の胸にクマちゃんのアップリケがついた、だらっとした緑色のカーディガンを羽織り、ドサッとした七分丈のジーンズを履いている。典型的なおばさん体型だが、恐らく三十代前後だ。ここまでならただのラフな格好である。しかしジーンズの下、足首から爪先までが異なるのだ。白いフリフリのレースが幾重にも飾られた靴下と、足の甲に大きな花が付いたテカテカ光るハイヒール。足元だけ唐突にパーティー仕様なのである。

遠目で全体を眺めるととてもチグハグで、「しっくりこない」感覚が気持ち悪く、己の心をざわつかせる。その感覚を解消するために、納得出来る理由を探そうと頭の中でいくつものストーリーを作ってしまう、ここまでが、彼女を見てから反射的に起こしてしまう行為である。きっと、そんな深い理由などなく、単にその格好が気に入っているからしているだけに過ぎないだろうに。あれこれ考えてしまうのだ。

今日はその人を見かけなかったが、いつの間にかその人を探すようになってしまった自分がいて、やや、嫌だ。好きじゃないのに気になる人というのは、処理がし辛くて難しい。


2012年5月11日 (金) 緑茶カウント:2杯
甚だしく疲労していて言葉が頭に浮かばない。とりあえず寝よう。明日も明日でやるべきことがあるのだから。


2012年5月10日 (木) 緑茶カウント:2杯
もっと聴いてみたいリスト。

谷山浩子
T.M.Revolution
戸川純
スターリン
レピッシュ
ニューロティカ
有頂天

中でも特に、谷山浩子はベストを買ったばかりでただいまどっぷりはまっているので、ベスト盤以外にも手を出したい。とはいえまずは衣服の購入が先であるので、なかなか費用を割けないのだが。あぁ、もっと深く浸かりたい。


2012年5月9日 (水) 緑茶カウント:2杯
服が無い。あるにはあるが、今の季節にふさわしい服の数が足りていない。が、買いに行く時間がなかなかとれず、予算もさして無く、好みのものも見つからず、何故人間の体にも犬猫のように毛が生えないのだろうかと仕様の無いことを考える。

服選びは難しい。着るべき服と着たい服と似合う服が何一つ一致しないので、妥協点の模索に脳が疲れてうんざりしてしまうのだ。とはいえそうも言っていられないので今週末に思い切って買いに行こう。最低、二着は手に入れないときつい。

しかし、整体、病院、服探し、イラスト二枚、旅行の下調べに大掃除。土日だけでこなせるのだろうか。自信が無い。


2012年5月8日 (火) 緑茶カウント:1杯
鬱々としながらかすかな回復の兆しを感じていたが、そんな悠長なことを言ってられなくなってしまった。予定を書き加えようと開いた手帳を見れば、いつの間にやら眩暈がするようなハードスケジュール。旅行の予定もあれば友人が泊まりに来る約束もあり、平日は平日で様々な用事がギュッと凝縮されている。この凝縮された用事を分散すべく、最終手段で休日を利用しようとしていたが、土日は全部遊びその他で埋まっている。己はこの五月を乗り越えられるのだろうか。

まぁ、考える暇が無くなるのは良いことだ。今に限って言うならば、な。


2012年5月7日 (月) 緑茶カウント:2杯
最近ずっと消耗している。まとめて買った「天才柳沢教授の生活」を読んでは回復し、思い切って購入した谷山浩子の二枚組ベストアルバム「花とゆめ」を聴いては安らいで、生活のポイントポイントに仕掛けを作って気力を充実させようとしているのだが、すぐに空になってしまう。

悩んでも仕様の無いことを悩むのは面倒くさい。


2012年5月6日 (日) 緑茶カウント:3杯
ついにこたつを片付けた。カバーを洗い、布団を日に干して、夕方まだ温かさの残るカバーを畳みながら声をかけてみた。「お疲れ様でした」「あなたのおかげで温かかったです」「また次の冬もよろしくお願いいたします」、と。

布団とカバーを物置に押しやると部屋が若干広くなった。こうして独り言が増えていくのか。ただ、こたつのカバーに声をかけたとき、やや色が増えたように感じられたのだ。部屋の中に。大事なことをずっと伝え損ねていた人に、やっと言いたかった言葉をかけられたような気がした。思えばずっと、有難く感じていたのにその心を示していなかったのである。

とても大事に思っているので、ずっと長く長く付き合っていきたいです、と言ってみようか。改めて。


2012年5月5日 (土) 緑茶カウント:4杯
出かけていたので留守をしていた。今は帰宅して、買って来た天才柳沢教授の生活を読んでいる。文庫で一巻から六巻まで。読みながら思う。柳沢教授と会話を交わしてみたい。自分は教授の関心を引く話題を提供出来るだろうか。


2012年5月2日 (水) 緑茶カウント:2杯
たまに。性別を間違えたなぁ、としみじみ思うことがあるが、その件については自分の中で既に決着がついている。きっと自分は男に生まれようが女に生まれようが、あぁ間違った、と思うに違いないのだ。どちらにしたところでしっくり来ない。しかし自分がどういう人間かは二十年かけて把握することが出来たので、日常、時に不都合も生じるがこんなもんだと思って生きている。

が、揺らぐこともある。あぁ、逆だったらもっと生きやすかったかもしれないとつくづく思うことがある。本当に自分が求めているのはどちらでもないというのに、現状の苦悩から脱却したいと願うばかりに強く思ってしまうのだ。

とはいえ。己はこの体で一生生きていかなければならない。飲み込むしか無いのである。余計なものがついていようが、足りないものが手に入らなかろうが。そういうものだと思うしか無い。それが出来なくなるのはベースの性別に期待されるものに応えられないときと、然るべきと言われる世間一般の常識がひどく邪魔で仕様が無いときと、性別ゆえに警戒されてしまうときだ。そんな心配をしなくとも、己は何の脅威にもなりはしないよ、と口にしたところで通じない寂しさが悲しい。こういうときは、ほんの少し生きづらい。


2012年5月1日 (火) 緑茶カウント:0杯
気分が沈んでいたところでスカイプの誘いがあり、だらだら喋っていたら元気が出た。そんな五月の始まりでした。