過去ログ







2012年2月11日 (土) 緑茶カウント:6杯
ついに九周年を迎えた当サイト。途中何度か移転をしたり名前を変えたりしたものの、中身はだいたいこのまんま。ずーっとこんなことをしていたのだ。九年前からずーっとだ。

今年が九周年ということは、来年はついに十周年。十周年を迎えたところで、さして変わりはないだろうし、今後もずーっと今のようにだらだらと日記を書き続け、絵もちょこちょこと描くのだろう。

この先の人生どうなるかわからないが、出来ることなら死ぬまで続けていきたいなぁ。


2012年2月10日 (金) 緑茶カウント:3杯
もし、毎日毎日飽きることなく飲んでいるこの緑茶を、砂糖たっぷりのミルクコーヒーに置き換えたらどのくらい体重が増加するのだろうか、とどうでも良いことを考える。

自分はあまりジュースを飲まない。大学時代は果汁百パーセントのジュースを毎朝コップ一杯飲んでいたが、牛乳パックを捨てるのが面倒くさいというどうしようもない理由で飲むのを止めた。今は緑茶か白湯、それに加えてインスタントのポタージュスープが朝食の共である。

サイダーやコーラなどの炭酸飲料に関しては、実家にいた頃にはよく飲んでいたが、一人暮らしを始めてからは当時ほど手に取ることが無くなった。子供の頃は両親と夕飯の買い物に行くと、いつも好きな飲み物を一本だけ買ってもらえることになっていたので、コーラやらサイダーやらデカビタなどを飲む機会も多かったのだが、今はマクドナルドかケンタッキーを食べるときに買うか、散歩中のエネルギー補給に買う程度。家で飲むことはほとんど無い。好きか嫌いかで言えば大好きな味ではあるのだが、ペットボトルを捨てる面倒くささと天秤にかけると、面倒くささの方が勝ってしまうのである。

まぁ、そもそもジュースの類は我が家においては「嗜好品」であり、水分補給のために飲まれるものではないので、水の代わりにジュースを飲む習慣は無かったが。だが周囲を見渡すと、常に甘い飲み物を持っている人というのは意外といるもので、彼ら彼女らは水代わりにジュースを飲んでいる。学生の頃は一リットルのペットボトルにストローをぶっ刺して飲み歩く人々をよく見たものだ。

実行はしないが興味はある。毎日毎日緑茶ばかり飲んでいる人間が、緑茶の代わりに甘〜い飲み物を緑茶並みに摂取するようになったとき、健康にどのような影響を及ぼすのだろう。自分のコピーを一つ作ってテストが出来るのだったらしてみたい。意外と何も変わらなかったりして。


2012年2月9日 (木) 緑茶カウント:3杯



いろいろと遠回りをしたがようやく愛用の品を手に入れた。いつも使っている筆と紙。別にこれじゃなくても良いのかもしれないが、やはり使い慣れたものが良い。

気付けばこのサイトももうすぐ九周年を迎える。開設日に合わせてイラストをアップしたかったが、ちょっと間に合わなさそうだ。まぁ良し。その代わり当日はみっちり絵を描こうじゃないか。目標は最低下書きまでは完成させること。可能なら色塗りにも入りたい。色塗りが一番楽しいのだから。


2012年2月8日 (水) 緑茶カウント:2杯
いくら好きな曲でも二時間ぶっ通しで聴き続ければ流石にいくらか疲労する、ということは聴く前からわかっていたのにどうしても聴きたくて聴いてしまってこの結果。平沢進の「SOLAR RAY」を買ったのだよ。ソロの曲をP-MODEL風にアレンジしたというやつでね。そのアルバムの最後の曲、「広場で 2」がとてもとてもツボにはまってさ。オリジナルの「広場で」は軽く聞き流していたのに、急にガシッと心を掴まれてしまって、するとオリジナルの「広場で」も大好きになって、何度も何度も繰り返し繰り返し聴き続けて、まるで妖に取り付かれてしまったようだ。

ところでこの話とは何一つ関係無いがものすごく水族館に行きたくてたまらなくて困っている。ナマコやヒトデと一方的に戯れ、イワシの群れやシャチやサメやマンボウやクラゲやタツノオトシゴを眺めたい。一年以上前からずっと水族館に行きたいという欲求を抱えているのに未だ解消していない。そうして満たされない心を抱え魚屋の発泡スチロールの中で水に沈んでいるナマコやアサリを眺めて気を紛らわし、シラス干しだけを買って帰るのだ。シラス干しは炊き込みご飯の具にしている。カルシウムが摂れて良いらしい。しかしカルシウムは骨を丈夫にしてくれても心を満たすには機能しない。水族館に行きたい。


ウェブ拍手レス
(1月8日2時の方へ)p_inkさん、メッセージありがとうございます。
確かにステビアは不味い。他の人口甘味料はあまりピンと来ないけどステビアだけはピンと来る。いつの間にか砂糖からステビアに切り替わったアイスがあって残念だったなぁ。
あと人口甘味料と言えばチクロだけど、あれはどんな味なんだろうね。


2012年2月7日 (火) 緑茶カウント:4杯
「脂肪ゼロのタイプには砂糖付いてないですよ」

己には大いなる偏見がある。ゼロカロリーとか、ノンカロリーとか、カロリーオフとか、脂肪ゼロとか、コレステロールカットとか、そういうのってあんまり美味しくなさそー、という。通常のいろいろカットされたり代替されたりしていないものよりも味が落ちるイメージ、偏見。よってそれらの品にはほとんど手をつけた経験が無く、無論ヨーグルトも例外では無く、いつもいつもあえて避けて選んでいたため知る機会を得られなかったのだ!

知らなかった。同じ明治ブルガリアヨーグルトでも、いつもいつもあえて手に取らなかった方には砂糖が付属していなかったなんて。そちらを購入してさえいれば余りに余った砂糖の袋の山に心を押し潰されることも無かったのに、今の今まで知らなかった。しかし考えてみれば納得出来る。確かに脂肪が含まれないヨーグルトをわざわざ選ぶ人に砂糖は不要のものだろう。

だが、まだ不安は付きまとう。果たして味はいかがだろうか。これであまり美味しくなかったら己はどうすれば良いだろう。要らない砂糖が付属する美味しいヨーグルトを買い続けるか、砂糖は付いていないものの味の落ちるヨーグルトに切り替えるか。まぁ、悩む前に買ってみよう。どうか好みの味でありますように。


2012年2月6日 (月) 緑茶カウント:4杯
四十個の砂糖を抱えて途方に暮れる夜。我が家は毎日ヨーグルトを食べる。明治ブルガリアヨーグルトのプレーンタイプ、これの大きなパックを買い、週に一、二個食べる。このヨーグルトには砂糖の袋が付属しているが、己はいつもヨーグルトには何も入れないで食べている。

このヨーグルトに付いてくる砂糖を砂糖壷に入れると、砂糖が固まりにくくなると聞き、実行していたのは昔のこと。そもそも料理に砂糖をあまり使わない我が家、買って来た上白糖すらほとんど減らず、日増しに嵩を増すばかり。そして砂糖壷への投入を止めて放置に放置を重ねた結果がこの末路。置き場所も無いので冷蔵庫のドアポケットの、卵の横にバンバン置いていたらついにドアーを開閉するごとに砂糖の袋がバシバシ落ちるようになってしまった。床を打つ砂糖の袋の音が空しい。

数えてみたら四十個。いつの間にこんなに己はヨーグルトを食べたのだろう。こんなに己はヨーグルトを食べていたのに、一度も砂糖を使わなかったのか。感慨深くもなるが手の平の重みのやり場に困って悩む。己はこいつをどうすれば良い?

とりあえず十個ほど袋を破って砂糖壷に入れてみたが、いつまでも終わらない単純作業に心が折れて中止した。まだ大量にある砂糖の袋。そしてこれからも増える砂糖の袋。あぁ、困る。


2012年2月5日 (日) 緑茶カウント:2杯
チロルチョコの正式な食べ方をご存知だろうか? あれは包装紙を開き、中のチョコを摘んでそのまま口に入れるのが一般的に知られている食べ方だが、実際のところそれは本来推奨されている食べ方では無い。まず包装紙を開き、白い皿の上に裸のチョコを置く。一つでも良いが複数個の方が望ましい。だが、十個も二十個もあってはいけない。多くても四つまで。それ以上のチロルチョコを並べるときは皿の数も増やすのが良い。

チョコを皿に置いたらあとは食べるだけだが、指で摘んでしまってはいけない。ほとんどカーブの無い、バターナイフの刃の部分をスプーンのサイズに整形したような形をしたスプーンですくって食べる。これが正式な食べ方だ。このとき、テーブルには熱いお茶があると尚良い。チョコをすくうためのスプーンをカップの脇に置き、お茶の注がれたカップの熱で温めて、チロルチョコを切りやすくする。コンビニエンスストアーで売られている通常サイズのチロルチョコよりも大きく作られたチロルチョコは、切って分けて食べた方が上品だ。ただし切るときに音を立ててはいけない。だからスプーンを温めてチョコを切りやすくする必要があるのである。

「スプーンをお入れしましょうか?」

コンビニエンスストアーでチロルチョコを五つ買ったら店員にスプーンを勧められた。己は知らなかったが、きっとチロルチョコは本来スプーンで食べるべき代物なのだろう。まだまだ世の中知らないことだらけである。


2012年2月4日 (土) 緑茶カウント:3杯
今日は普段よりも早起きをして一日中歩き回った。早起きと言っても九時を過ぎてしまっていたため、五時や六時に起きている人が聞けば蹴っ飛ばしにやってくるかもしれないが。そんな時間であっても己にとっては早起きなのだ。

早起きの結果一つの心配事を一旦解消し、ほっとして意気揚々と歩くことが出来たが、歩いても歩いても欲しいものはどの店にも置いていなかった。ついこの間筆を新しくしたばかりだが、どうしてもいつも使っていた筆が欲しくなったのである。名村大成堂のセーブルヘヤー、サイズは大と中の二本。これがどこにも置いてない。

とある商店街の小さな文具店に足を踏み入れた。一階はオフィス文具しか置いていないが、二階で画材を扱っているらしい。初めて入る店なので詳細はわからないが、もしかしたらいつかに仕入れたものがひっそりと残っているかもしれない。ダメで元々と思いつつも、ひそかな希望を抱きながら狭い階段を上っていった。

十分も経たずに己は店の外に出ていた。次はどこに行こうか、と考えながら大股で歩く。二階にはおばちゃんがいて、目的の品を探すべくきょろきょろしている自分に「何かお探しですか」と声をかけてくれたが、「名村の筆を探してまして、イタチの毛の…」と口にした途端、「ハッ! 銘柄をご指定ですか!?」「筆はそこにあるものしかありませんよ!」と嫌そうな顔で言い捨てられたのである。

いったい何があの人の気に障ったのかはわからない。馬鹿にされていると思ったのだろうか。その後も歩き回ったが成果は得られず、結局アマゾンで注文をした。来週の半ば頃には届くらしい。


2012年2月3日 (金) 緑茶カウント:3杯
だんだん歳の数だけ豆を食べるのがしんどくなってきたが、しっかりと二十五粒の豆を食べ、盛大に豆をばら撒いた。ただし日付が変わる直前のことだったので、唱えの文句は口の中でもごもごと呟く程度。研ぎ澄まされた空気の中、豆がコンクリートを叩く音が響く。「コツコツ」と「パラパラ」の中間の音だ。己は穀物の持つ生命力にちょっとした信仰心と信頼を抱いているので、豆の奏でる音が悪いものを遠ざけてくれているように感じ、ちょっと心が安らいだ。何があると言うわけではないが、何があるかわからないからこそ必要だ。

豆による結界により我が家は今守られている。ただ、きちんと掃除をしないと害虫の類を呼び寄せてしまうかもしれない危険をはらんではいるのだが。豆のパワーで豆を喰った害虫もお亡くなりになれば良いのに。しかしそんなパワーが豆にあったら虫が死ぬ前に二十五粒も喰った己が先に死ぬ。食べ物による結界は後の始末が大変だ。きっと今年も六月頃に部屋の隅から粉々に砕けた豆が出てくるのだろうなぁ。この砕けた豆を掃除したところでようやく節分は終わるのだ。長いなぁ。


2012年2月2日 (木) 緑茶カウント:3杯
一重の美人というものはとても良いものだ。「あの人…美人って言われてるけど一重じゃん」「ねー目ぇ細いし…全然美人じゃないよね」と、陰口を叩かれる美人は素敵だ。妬み嫉みを抱えた人々が苦し紛れにようやく見つけた負の要素、しかしその一重は欠点でも何でもなく、むしろ美人の美しさを際立たせる要素でしかない。さらには陰口を叩いた本人もそれに気付いていて、かえって空しくなるような。そんな美人は素敵だなぁと昆虫図鑑を眺めながら思った。眼球丸出しの昆虫達を見ながら、昆虫とは何も関係の無いことを考えていた。よくあることである。


2012年2月1日 (水) 緑茶カウント:4杯
次に描く絵はオオスカシバにすることにした。「オオスカシバを描いて」と言ってくれた人がいたのである。虫の絵を描いて欲しいと言われることは滅多に無いので喜んで描かせていただくことにした。

オオスカシバを描くために、図鑑やネットの写真を参考にしながらオオスカシバの落描きしまくった。形を把握するためである。そうして描きまくりつつ思うのは、この虫はとても可愛らしく面白いということだ。虫のくせに鳥に似ていて、角度によっては蛙にも見える。背の反らし方は海老のようだ。胴体はぷりぷりしていて愛らしく、目つきは意外と男らしい。ちょっと美味しそうにも見える。

今週中に下書きを終えられたら良いな、と思う。どんな風に描こうかな。


2012年1月31日 (火) 緑茶カウント:2杯



こつこつと描いていたキアゲハの絵が出来上がった。使用した画材はいつも通りシャープペンシルと透明水彩。ただ、今回は中途で筆を新しくした影響が色濃く出てしまった。試行錯誤しながら筆を動かしていたため、思っていた線が引けなかったのである。その前に、下絵の段階で左右対称から大きく外れていたなど、他にも問題はあるのだが。とりあえずこの絵はこれにて完結である。

さて、次は何を描こうか。こういう絵は描く分には楽しいが見る分には面白みが無い。ちょっと擬人化したものでも描こうか、それともこの手のものを続けるか。気が向いた方向で行こうと思う。


2012年1月30日 (月) 緑茶カウント:3杯
本屋に行ったら四十二巻が無かったので、十四巻と四十巻だけ買って来た。銀魂の話である。

懐かしい。昨夜、布団に入ってから思い出したのだが、そういえば昔己はジャンプの感想を毎週ここで書いていたのだ。リングやサーチには登録していなかったが、言いたい放題好き勝手に書きまくっていた。「Mr.FULLSWING」、「ONEPIECE」、「ピューと吹く!ジャガー」「銀魂」「ULTRA RED」「魔人探偵脳噛ネウロ」「太臓もて王サーガ」「メゾン・ド・ペンギン」「武装錬金」「バリハケン」…。バリハケンの打ち切りを機にジャンプを卒業した。一時期は自転車飛ばして早売りジャンプを買いに走っていたのだが。あれから何年経っただろうか。

きっかけがあると色々と記憶が蘇るもので、銀魂では九兵衛の性についてかなりしつこく考察した覚えがある。最終的にどういう結論に至ったか。確か、九兵衛はレズビアンでもなかれば性同一性障害者でもなく、自らが考える「男の幼馴染」になりきるあまりに信じ込んでしまっただけではないか、と考えたのでは無かったか。根っからの男でも無ければ根っからのレズビアンにも見えないのだ、あのキャラは。

十四巻はまるまる一巻九ちゃんの話で終わったが、二十六巻すっ飛ばして四十巻を読んだら東城がかなり気持ちの悪いことになっていて驚いた。十四巻の時点でも格好悪い面は見えていたが、二十六巻の間にいったい何があったんだ、と突っ込みたくなるような気持ち悪さ。お前一応十四巻では格好良かったところもあったのに、お前。九ちゃんの心労が計り知れない。


2012年1月29日 (日) 緑茶カウント:3杯
久し振りに銀魂を読み返した。十三巻だけ我が家にあったのである。何故十三巻だけあるのかと言うと、表紙に好きなキャラが描かれていて、嬉しくなったから買ったのだ、記念に。銀魂は五巻か六巻あたりまでは単行本を買い続けていた。

銀魂の連載前、「だんでらいおん」と「しろくろ」の読み切りを本誌で読んだ。「だんでらいおん」の方は当時それほど印象に残らなかったが、「しろくろ」は大変に気に入り、この作者の連載を強く望むようになった。その後連載が開始された銀魂は己の好みの作品であったが、しばらく低空飛行が続き、打ち切りが危惧される状態だった。

懐かしい。単行本一巻が発売されたときは、各所で売り切れが続出して初版を手に入れるのが大変だったのだ。確かネウロのときにも売り切れ騒ぎが起こったなぁ。幸いどちらも初版を手に入れることに成功したが、ネウロはともかく銀魂はやや苦労したように思う。曖昧な記憶だが。

しかしジャンプでずっと読み続けていたのだが、シリアス長編に飽きてしまい、単行本の購入を途中で止めてしまったのである。十三巻を手に取ったときも、随分久し振りだなぁ、と思ったものだ。十三巻も続いたのか、と感慨深くも思った。十三巻で感慨深く思ったのに今現在出ている巻数を戯れに調べてみたら四十二巻だってんだから驚きだよ! 四十二巻! もう八年も連載してるのか! あれから八年経ったのか!!

ものすごく勝手なことを言うが、銀魂は長くて二十巻くらいでまとまるとちょうど良い漫画のイメージだった。それがこんな長期連載にいたるとは。ものすごく失礼なことを言うが、そこまで続けなくても良いのでは無いだろうか。銀魂ばかり四十二巻も描いてるのか。銀魂二十巻完結、別作品二十巻完結、新連載三作目二巻現在進行形、で良いのでは無いだろうか。

我ながら全く余計なお世話であるがびっくりした。とてもびっくりした。四十二巻ではどんな話になっているのだろう。知らないキャラばかりになっているのだろうか。ハタ皇子はまだ登場しているのだろうか。気になるのでちょっと本屋に行ってみようと思う。四十二巻か。…すごいなぁ。


2012年1月28日 (土) 緑茶カウント:4杯
デザイン用品店で筆と絵の具その他を購入した。結局いつもの筆は手に入らなかったが仕方が無い。代わりに似たような品を買ってきたが、家で所有の筆と比べてみたら、新しい方が毛が長く、若干細めに作られているようだった。前の筆よりも細かい作業に向いているかもしれないが、やや、水を含ませにくいかもしれない。とりあえず明日試してみるつもりである。どんな使い心地か楽しみだ。


2012年1月27日 (金) 緑茶カウント:3杯
通販で物品を購入しようと思っているが気が進まない。欲しいものは三つあるが、三つとも取り扱い店舗が異なるのである。Amazon、楽天、ミュージシャンの公式サイト。これらを全部一つにまとめられれば送料無料になりそうな金額になるというのに、どうしてこうも見事に分かれてしまったのだろうか。

もし、これで玄関前に郵便、佐川、ヤマトが同時集結したらたまらないだろうなぁ。とりあえず明日はどうにか目当ての品が手に入らないか探す旅に出ようと思う。ついでに不足の品をいくつか揃えようとしようか。そろそろ靴も欲しいのだ。


2012年1月26日 (木) 緑茶カウント:2杯
「この筆を入荷する予定は無いんですよ。…いえ、生産中止では無いです。ただ、別のメーカーの筆を仕入れることになりまして。ここにあるのが最後なんですよ」

一件目を訪ねたときは、まぁ品が無いのは残念だが他にも店はあることだし、とたかを括っていた。ところが二件目の店には学童用の水彩筆しか置いておらず、デザイン用品コーナーにはアクリル用の筆しか無い。どこにでもあると思っていた筆が急に手に入りづらくなるなんて。己の手はあれの使い心地をすっかり気に入ってしまっているのに。

とはいえこれは新しい筆を試す良い機会かもしれない。一件目の店に目当ての品は無かったが、普段己が使っているものよりもちょっと良い筆が置いてあった。正直迷った。買ってみたい気持ちはある。買えないほど高くも無い。だが、今の筆に満足しているし、今の筆を正しく手入れして長持ちさせてみたいとも思う。そして結局買わずに出たのだ。

買っておけば良かったと、今になって思わないでもない。使えないことも無いが使いづらいバサバサの筆を、筆先のばらけた方向に軌道を調整して無理矢理一本線を引く作業は、筆を征服しているような気持ちにさせられて加虐心が満たされるが、面倒くさい。ちょっと気を抜くと筆がばらけて余計な線を引きそうになる。己は筆を虐めているのか、それとも虐められているのか。どちらにしろ健康的では無いので、早く筆探しの旅に出たい。


2012年1月25日 (水) 緑茶カウント:5杯
スカイプで話し込んでいたら寝る時間を過ぎてしまった。そんな日もあるのである。楽しかった。


2012年1月24日 (火) 緑茶カウント:3杯
かれこれ十年以上、透明水彩と付き合いがあるが、今に至るまで正しい筆の手入れの仕方を知らなかったことが判明し、大きなショックを受けている。

愛用しているのはどこにでも売っているイタチの筆だ。画材屋に行けば大抵見かける品で、値段は一本千円前後だったように思う。これをずっと使い続けているのだが、何度も筆先をだめにして買い換えている。パックリと割れてしまったり、毛がバラバラになってしまったりするのである。

ここ一週間ほどちょこちょことキアゲハに色をつけていたのだが、色を塗りつつだんだん筆先が思うように動かなくなる感触を得ていた。筆先が割れる。割れても塗れないことは無いが割れない方が塗りやすい。筆を細かく動かしながら、もしかしたら手入れの仕方が悪いのだろうか、と考えた。

それがビンゴだったのだ。筆を流水につけ、絵の具が残らないように優しく指で洗い、水気を拭き取り筆先を整える。ここまでは良い。この後、筆にキャップをつける。ここが間違っていた。買って来たときに筆に被せられていたキャップは、濡れた状態でつけてはいけなかったのだ!

むしろキャップは捨ててしまって構わないらしい。キャップをつけると筆を乾燥させることが出来なくなり、結果傷んでしまうそうなのである。知らなかった。知らずに自分は、毎度毎度ご丁寧に、毛を噛まないように気をつけて、慎重にあのプラスティックのキャップをはめていたのである。

既に筆先が割れてしまった今、手遅れだとは思うがキャップを外して筆入れに立てかけてみた。あぁ、わかっているつもりだったのに全然わかっていなかったとは。何事も調べてみるものである。


2012年1月21日 (土) 緑茶カウント:5杯
キアゲハをコツコツ塗りながら思う。やはり絵を描くのは楽しい。好きなものを描くのが楽しい。色水を重ねるのが楽しい。濃い色の線を引くのが楽しい。作ることが楽しい。

とても楽しい、楽しいが、同時に神経を使う作業である。受動的な趣味とは違い、気力体力を消耗する。自分は残念ながら、いつもいつも絵を描いていないではいられないほど、絵が好きでは無い。取り付かれるほど好きでは無い。こんなことを言うと悲しくなるが、絵を描かなくても己は決して死なないのだ。

しかしいつまでも絵を描いていたいと思う。ずっと絵を描き続けたいと思う。手前からこのささやかなものを無くしてしまったらいったい何が残るだろうか。これはきっと、自分が生きていくうえで、最後まで大切にしなければならないものなのである。

だから生活にかまけてばかりではいられない。何の為に生活をするのかわからなくなってはいけない。コツコツと描き続けなければ生活するだけの存在になってしまう。そんなものはつまらない。

作る人になりたい。ずっとそう思っている。作る人でありたい。ずっとそう思っている。職人に憧れる。真面目に作り続ける人でありたい。

高校のときから使っているホルベインの透明水彩絵の具をいつか使い切ることが目標だ。何枚の絵を描いたらチューブが空になるかわからないが、目指して行こうと思う。まずはキアゲハ一枚。完成させるのだ。


2012年1月20日 (金) 緑茶カウント:2杯
とても疲れていたので外食をして、串カツを食べてビールを呑んで、カウンターの隣に座っていたおっちゃんに鯨の塩漬けを分けてもらって、それがあんまりしょっぱかったからビールが進んで、まぁ大した量でも無いが疲れていたから、普段より少しだけ酔いが早い。しかしそれでも帰宅後皿洗いをしてシャワーを浴びて腹筋をした自分は偉い。酔っ払っているけどね。


2012年1月19日 (木) 緑茶カウント:1杯
コンビニエンスストアーでポイントを貯められるカードをもらって困っている。足りないものを思い出し、道の途中にあるコンビニエンスストアーに寄った。すぐに目当てのものを見つけ、レジに商品を持って行くと、店員にポイントカードを所持しているか尋ねられ、持っていないことを伝えた。ここまでは毎度のやり取りであるが、今日はその続きがあった。店員はサッと脇からカードを取り出すと、「お客さん、よくいらっしゃるからカードを作っておきますね」と言って己の了承を得る前にカードをレジに通し、説明書とカードを己に手渡し、「ここに個人情報を入力すれば使えますよ、今日の分はもうポイント貯めておきましたんで」と言った。

よりにもよって分厚いプラスティック製のカードだ。ただでさえ財布がカードでパンパンになっているのに、さらにカードが増えるのか。紙ならまだ薄いのに。

店員の言うとおり、確かにこのコンビニエンスストアーはよく利用する。だが、コンビニエンスストアーで買い物をするときまで、財布を出してわちゃわちゃやってカードを出して、なんて手間をかけたくないのも本音である。さっと来てさっと帰りたい。己がコンビニエンスストアーに求めているものの一つはスピード感なのだ。

別に使わなくても良いのだが、あの様子だと覚えられているのだろうなぁ。「カードは持っていますか?」と問われた後の返事を用意するのが億劫で、何と無く近寄りがたくなりそうだ。便利な場所にある店なのに。大したことでは無いががっかりした。


2012年1月18日 (水) 緑茶カウント:1杯
「スポーツをなさってたんですか?」

着払いの荷物を受け取るため、玄関先で財布から千円札を取り出そうとしている最中に郵便局のおっちゃんから尋ねられた。一応大学時代に運動系のサークルに所属していたことを伝えると、おっちゃんはうんうんと頷く。何かに納得したようだ。

「ハッキリ返事が出来て偉い! やっぱりスポーツをやっている人は違いますね」

うちの二人の娘もソフトボールとアメフトをやっていたんですよ、と言い、荷物と送り状を手渡すとおっちゃんはにこやかに帰って行った。いや、運動系のサークルに所属していたとはいえ、己は体育会系とは程遠い、根っからの文科系人間なのだが、と思いつつおっちゃんが去るのを見送り、受け取った荷物を抱えて玄関のドアーを閉める。しかし、スポーツ云々も気にはなったがそれよりも。おっちゃんよ、褒めていただけてありがたいが、己は今年二十六歳になるんだぜ。

まさかこの年齢になって「ハッキリ返事が出来て偉い」と言われるとは。まるで小学生のようである。

以上、印象に残ったおっちゃんの話。彼の目に己の姿はどのように映っていたのだろうか。


2012年1月17日 (火) 緑茶カウント:2杯
ひどく疲れている。ここ数日寝つきが悪いせいで、思うように睡眠が取れないからだ。悩みがあるわけでもなく、体調を崩しているわけでも無いが、これが続くと寝付けないことを悩んで体調を崩してしまいそうでちょっと嫌である。

それはそうとして今日はキアゲハを描いている。線画までは完成させることが出来た。線画と言えども色を塗る段階で、シャープペンシルで描いた線を消しゴムで叩き、溝の上にかすかに線が残るまで薄くしてから、色水を乗せて描いていくので、ほとんど線画として残らないのであるが。どうも線を引くのが苦手で、つい色を塗って何となく形を作ってしまう。この描き方も良いとは思うが、色を塗らずとも形のわかる、はっきりとした線にも憧れる。モノクロでもそれとわかる絵を描いてみたいものだ。

と、言いつつとりあえずはカラーを描きたいので、明日は線画をトントン叩いて色を塗る。この色塗りの作業が楽しいんだ。楽しみだ。


2012年1月16日 (月) 緑茶カウント:0杯
リサイクルショップで動けなくなった。その店は今までにも何度か見かけたことがあったが、いつもその道を通るときには他の用事があったので素通りしていた。そのリサイクルショップの中で己は動けなくなった。手に掴んだ赤と白のストライプのエプロンを凝視したまま動けない。

そのエプロンにはとてもリアルなテントウムシが描かれていたのだ。

触覚はもちろん、肢の関節もある。漫画チックにディフォルメされていないテントウムシが五百円玉ほどの大きさで描かれている。とてもリアルなナナホシテントウが赤と白のストライプの上を歩き回っている。タグを見るとオーストリアの品であることがわかった。オーストリア人さんめ、なかなか良いセンスをしてるじゃないか。

反射的に欲しいと思った。テーブルの上に畳んで置かれた生地の上にテントウムシの姿を見つけてから釘付けになってしまった。広げてみると四角い形に裁断されている。レースなどはついておらず、シンプルだ。男女兼用の品のようにも見える。広げたエプロンを掲げながら考える。買うべきか、買わぬべきか。

赤と白の細いストライプ模様のそれは遠目からはピンクに見える。ピンクの上に大きな赤いテントウムシがうろうろしているのだから、着用したら銃弾の雨を浴びたようにも見えそうだ。グロテスクである。だが、素敵だ。関節もしっかり描かれたテントウムシは魅力的だ。とても魅力的だ。世にテントウムシグッズは多いが、こんなにしっかりリアルに描かれたものはそうそう無い。無論、シンプルにディフォルメされたものも好きなのだが。

迷いに迷ったが、結局何も買わずに店を出た。そもそもエプロンは使わないし、使ったら汚れてしまうし、さりとて観賞用にするのももったいないし、ピンクを着るっていう柄でも無い。あぁ、でもあのテントウムシがもし、黒地に赤紋のテントウムシだったら買ってしまっていただろうなぁ。正直、まだ未練はある。あるけど買わない。あるけど買わない。


2012年1月15日 (土) 緑茶カウント:2杯
密かに考えていた今年の抱負をここに告白する。今更ながら告白する。実現出来なかったら格好悪いなぁ、と思って口に出さずにいたのだが、実現するために告白をする。

今年は十枚、虫の絵を描いてここにアップする。最低十枚は必ず描いてアップする。それが今年の目標だ。

今日一枚、アオスジアゲハの絵を描いたが、ここにアップしないもの、出来ないものはカウントしない。よって現状ゼロであるので、今月中に一枚は手をつけるつもりだ。わざわざこんなことを言う必要も無いとは思うが、こうして決意表明をしなければすぐに楽な方へと流れてしまう。生活することにばかりかまけていても仕様が無いのだ。

描きたいものはいくつもあるのだ。やってやるのだ。


2012年1月14日 (金) 緑茶カウント:9杯
今日はこれといって特筆すべきことはない一日だったが、たくさん緑茶を飲んだので、緑茶カウントを記録するために日記を書くことにした。もらいものの茶葉を新しく開けたのである。葬式か何かでもらった玉露だそうで、回りまわって緑茶消費量の多い我が家のところにやってきたのだ。我が家にはそんな緑茶がいくつもある。こんなにもらったところで消費するにも限度があるぞ、と思ってもあればあるだけガンガン使っていくので意外と減るものなのである。と言ってもせいぜい一月に百グラムといった程度であるのだが。

さて新しく開けたこの玉露、己の淹れ方が不味かったのかもしれないが、あまり好みの味では無かった。茶葉の色はなかなか素敵で見た目は気に入ったのだが、渋みが強くて飲みにくい。と、言いつつあれば飲むのでガンガン飲んだ。他、本日はビールも一本だけ呑んだ。過剰に水分を摂取した一日だった。しかしいつものことかもしれない。


2012年1月13日 (金) 緑茶カウント:4杯
今日は一万二千歩ほど歩いたかな、と、わくわくしながら万歩計の数値を確かめたらたったの七千歩しか歩いておらず、己はそんなに大股で歩いていたのだろうか、と訝しみつつがっかりした。一万二千歩の予測が七千歩だったということは、普段の二倍近く足を開いて歩いていたということだ。よく股が裂けなかったものである。丈夫な股関節を持っていて良かった。そんなわけがあるか。


2012年1月12日 (木) 緑茶カウント:3杯
町田康にはまった最初は十代の後半だっただろうか。二十歳になる手前あたりだっただろうか。始まりは定かでは無いが、大学の頃、鞄の中にいつも町田康の詩集を詰め込んでいた時期があった。壊色と供花と土間の四十八滝。本にはタイミングがある。あの頃は特に、町田康の詩がビンビンと響く時期だった。読んだ言葉が体の中で増幅して共鳴して染みていく。今も好きだが、今は以前よりも冷静だ。

冷静になったとはいえ興奮しないわけではない。今もやはり、詩集を開くとあのときの感覚が揺すり起こされ、妙な興奮を感じてしまう。しかしそれは詩から受ける興奮では無く、当時の自分が得ていた感覚の記憶を思い出したことにより得られる、懐かしさが主体の興奮の方が割合が高い。それほど影響が強かったのだ。当時の己にとって。

たまに、あなたの文章に町田康の匂いを感じる、と言われることがある。多分、己がものを書くうえで一番影響を受けた人物は町田康なのだろう。好きな本を何度も何度も繰り返して読んでしまう己は、思い返してみるとあまり種類を読んでいない。意識して見知らぬ作家の本を読もうとしていた時期もあったが、つい本棚にある好きな本のページをめくってしまう。壊色と供花と土間の四十八滝のページはどれも非常にやわらかい。指の腹で紙の角が滑らかに潰されている。

時折、あの大学時代の、ぴったりとタイミングが合っていた時期をもう一度体感したいと思うことがある。だがそれはまた別の作家の本で得られるものなのかもしれない。


2012年1月11日 (水) 緑茶カウント:3杯
落し物を警察に届けてくれた人がいたんだが、思わぬところにあったんだ。

何故、そんな大移動をしてしまったのか。答えを出すのは容易い。電車の中で落としてしまったからだ。線路は続くよどこまでも、の歌の如く、線路の上をどこまでもどこまでもひた走った電車は己の落とした持ち物を端の端まで運んでくれ、線路の端の遠い土地で拾った人がその人の地元の警察署に落し物を届けてくれたのである。

落し物をしたことに気付いた翌日、鉄道会社に問い合わせをし、該当の品の届出は無いと言われ、半ば諦めかけていたのだが、よもやまさかそんな大移動をしていたとは思わなかった。遠い土地の警察署から電話がかかってきたときは何事かと驚いた。警察署の方も何でまたこんなものがこんなところにと驚かれたことだろう。

「と、いうわけで落し物が届いているのですが…取りに来ることは出来ますか?」
「取りに行きたいのは山々ですが…無理です」
「そうですよねぇ」

やりとりの後、落し物は着払いで送ってもらえることになった。警察から届いた書類に必要事項を記入し、返送して確認後、送ってくれるというのだから有難い。ありがとう、遠い土地の警察の方、そして届けてくれた人。

ちなみに落としたものは筋肉少女帯のロゴの入った定期入れである。見つかって良かった、本当に。


2012年1月10日 (火) 緑茶カウント:4杯
あと四十分で消費期限が切れるコンビニおにぎりを眺めつつ己の腹具合と相談しているが、埒が明かないので困っている。いくら相談しようが容量に空きは無く、これ以上詰め込む余地も気力も食欲も無いのだ。

このコンビニおにぎりは昼飯に食べる予定のものだった。食欲は無いが腹は減り、簡単に済ませようと思って近所のコンビニエンスストアーへ出かけ、スパゲティとおにぎりとヨーグルトを買って店を出た。ところが帰宅後スパゲティを食べたらもう食欲が無い。食べられなくは無いが食べたく無い。仕方なく、デザートのヨーグルトだけ食べておにぎりは後に回すことにした。

そして残ったのがこのおにぎりである。晩飯に食べれば良かったが、夕飯時にはうっかりおにぎりの存在を忘れてロースカツ丼を食べてしまった。気付いたのはロースカツ丼を食べ終わった後だ。仮に食べている途中に思い出したところで結果は変わらないのだが、どちらにしろおにぎりをデザートにするのは重い。では夜食に回そうか、と思いつつ、夕飯を食べたのはなかなかに遅い時刻で、その後おにぎりを食べたくなることは無いだろうと予測はついていた。

予測は正確だった。消費期限の限界まで残り三十五分を切った。たかだか五分で腹は減らず、食べる元気も湧いてこない。むしろさっさと眠りたい。でもおにぎりは目の前にある。可愛らしいフォルムだなぁ。でも今は食べたく無いなぁ。

残り三十分。仕方が無いので問題を先送りにすることにした。冷蔵庫の中でおにぎりが冷え固まる。文明の利器って素晴らしい。


2012年1月9日 (月) 緑茶カウント:5杯
風邪を引いた。軽度のものだが鼻がぐずぐずし、やや、鬱陶しい。他人様から頂戴したものだが、あまり嬉しくない頂き物である。

そんなわけで本日は、養生すべくだらだらと寝て、食べたいものを食べて、まただらだらと寝て一日を過ごした。栄養を摂らねば、と思いつつ、カップラーメンとポテトチップスとバニラクリームをクッキー生地で包んだ甘い菓子を貪り喰った。ポンカンも食べ、緑茶も飲んだ。ろくな栄養が摂れていない。

保存食を作っておきたかったが、鶏肉をレンジで蒸して小分けして冷凍するだけに留め、他の作業は自重した。鶏肉は傷むから今日やらねば仕方が無い。鶏肉と挽肉に関しては買って来たその日のうちに処理しなければ泣きを見る。だったら買って来るなよ今日は、と言いたいが、身についた習慣が災いしてしまったのである。

寝る前に梅酒のお湯割りを飲んで体を温めよう。こじらす前に治すに限る。あぁ、でも呑んだら歯を磨きなおさなければいけないと考えると面倒くさいなぁ。磨かずに眠る度胸は無い。緑茶だけにしておこうか悩むところだ。どうしたものかな。甘いからな。美味しいけどね。甘いからな。


2012年1月8日 (日) 緑茶カウント:5杯
どう見ても丈が合っていない服を自信満々で薦めてくる店員の鋼の心を見習いたい。

まず肩幅からして合っていない。指先は袖から出ていない。巨大な照る照る坊主のようになっているにも関わらず、「お似合いですよ!!」と言ってのける店員の笑顔を姿見で眺める。すごい。よしんばサイズの合わない服を着ることが今世間で大変に流行っているとしても、そもそも己には似合っていないし、まずこの着方は好みでない。そのうえで「好きでない」と申告しても「見慣れていないだけですよ!」と言ってのけるのはすごい。何故そこまでして売りたがる。サイズがぴったり合った人間に薦めてやれば良いじゃないか。

呪われているのだろうか、と思った。この衣服を店に置いておくと何か悪いことが起こるのかもしれない。だから「変わったデザインだなぁ」と眺めていた己に必死になって売りつけようとしているのだろう。そんなくだらない妄想が膨らんでしまうほど、その店員の押しは強かった。いらない、いらない、いらない、いらないってば。九割引になってもいらないってば。親戚からお下がりでもらえることになっても断るってば。でかいし。すげえでかいし。これ。

面白いデザインの服が多くて品揃えは気に入っているのだが、どうしてここの店の人はいつもいつもこうなのだろう。その後何とか逃げ出して、別の店で無事きちんと体に合ったサイズの良いものを見つけた。当初思い描いていたものとはややタイプが異なるが、シルエットと裏地の色が気に入ったので即決した。最初からここに来れば良かったと少し思った。でもデザインが面白いんだ、あそこは。デザインは面白いんだけどね。


2012年1月7日 (土) 緑茶カウント:3杯
人日の節句らしく七草粥を作り、これを食してみた。一人暮らしをしてからきちんと七草粥を作ったのは初めてである。今までは七草のふりかけなどでお茶を濁していた。しかし本日、八百屋で見かけた七草のパックがスーパーで売られているものよりも大分安かったので、これも機会かと買ってみた。

実だけを刻んで米と水と共に炊飯器に入れ、葉は塩で湯がいて刻み、出来上がった粥に混ぜ、器に盛り、塩と醤油で味をつけながら食べる。うん、シンプル。うん、味気ない。よく知った味であり、懐かしくもあるが味気ない。だが、腹には溜まらなかったものの満足感は得られた。一行事終えた気分である。

とはいえまだ正月は終わらない。年賀状の返事を書いていないのだ。喪中のくせに喪中の知らせを送るのをすっかり忘れていたのである。ずっと喪中を体験したことが無かっただけに油断していた。迂闊である。

これを終えなければ正月が続き続けてしまう。あくまでも己の中の正月だが、いつまでも正月気分でもいられない。正月は好きだが周囲が正月の世界で過ごしていないのに自分だけ暦が違っていては問題が生じる。早く書かなければ大変だ、と言いつつ今日書かなかったけど。明日書こう。


2012年1月6日 (金) 緑茶カウント:3杯
そういえば報告を忘れていたが、SBRは無事年内に読み終わった。結局あの日記を書いた翌日の深夜に読み終わり、翌朝寝不足に苛まれながらどうにかこうにか一日を終えて、実家に帰省したのだった。

そしてここで今告白をするが、実は己はその日まで、SBRを読みきっていなかった。読み直すと言っていながら、そもそもSBRは最後まで読んでいなかったのである。二十一巻までは持っていた。二十巻までは読んでいた。二十一巻は所有していたもののずっと読んでいなかったのだ。

何となく心が離れていたのである。週刊連載の漫画を雑誌で毎週読むのとは違い、単行本はどうしても次巻を読むまでに長い時間が空いてしまう。毎日読み返し全ての物語が頭の中に入っている状態ならば、新刊も読み始めからすんなりと物語世界に入っていけるが、細かいところを忘れてしまい、置いてかれてしまうことが増えてしまったのだ。

しかし今回、ジョジョリオン発売を機会としてSBRの残りの巻も購入し、最初からみっちり読み込むことを決め、それを実行したのだが、全く何て面白いんだろう! それこそ寝不足も厭わず毎夜毎夜ギリギリの時間まで読みふけってしまった。ジョニィは他のジョジョに比べて陰が薄いと思ったこともあったが、今では歴代ジョジョの中で一、二を争うほど好きなジョジョになってしまった。自分でもこれには驚きだ。あの泣いて叫んでばかりのジョニィがあんなに強く成長するとは。どこまでも人間臭く、完璧とは程遠かった彼が、立ち向かい立ち上がる姿にとても強く心惹かれた。

SBRに夢中になっていたおかげでジョジョリオンを買い逃し、どこの店舗も売り切れの札を掲げる中で、何とか手に入れるためにあちらこちらへと奔走する破目に陥ったがジョジョリオンも無事入手。現状ではまだ主人公の正体は知れず、謎ばかりが犇いていて、早く明らかにならないか、と解かれることを欲してはいるが心は余り急いていない。ゆっくり待ってじっくり読もう。今までのジョジョを読みながら待つ。


2012年1月5日 (木) 緑茶カウント:2杯
植物で編んだ籠がある。木の皮で編んだものだと思う。みかんを入れるための籠であり、みかんやのど飴、ガム、粉薬、目薬、請求書などを入れるために使っているというか、みかんを入れるためのものにそこらへんのものを雑多に突っ込んでいると言った方が正しいのだが、この籠のある場所にみかんを置き、一週間以上放置すると必ずそこのみかんがカビるという現象が起きるので、生命の神秘って嫌だなぁ、と感じている。

類推するに、ここに置いたみかんがカビたことでカビが籠の目に根付き、目には見えずともひっそり潜み、ずっとチャンスを伺って、請求書やガムや目薬や粉薬では無く、瑞々しい生物であるみかんが置かれるや否や、それ! とばかりに狙いに狙ってじくじくじわじわとこれを蝕み、生命の神秘って嫌だなぁ。

アルコール消毒か虫干しか。どちらの方が効果的だろうか。忌々しい生命の神秘に対抗したい。


2012年1月4日 (水) 緑茶カウント:0杯
素晴らしく楽しかった。里帰り、久し振りに家族が揃い、大好きな飼い猫を撫で、地元の友人と遊び、話し、屈託なく笑って買い物をしてカラオケに行って、だらだらして、美味しいものをたくさん食べ、風の冷たさに震え上がった。本当に楽しい数日間だった。

感覚を共有出来ることが嬉しい。大学を卒業以来、言葉が通じないことに悩まされることが多かった。日本で暮らしているにも関わらず言葉が通じない。感覚を共有出来ず、変人扱いされて会話と会話の間に妙な間が空いてしまう。何とか擦り合わせようとするもうまくいかない。そもそもコミュニケーション能力が高い方では無いが、どうしてこんなに感覚が違うのだろう。何故こんなに言葉が通じないのだろう。何度途方に暮れたかわからない。

家族や友人、今も付き合いのある人は、どこか似通った部分を持っているからこそ言葉が通じるのであり、きっと今までの人生の中でも何度も言葉が通じない場面に遭遇してきたことがあったはずなのだ。しかしそれを感じられないくらいに己は恵まれていた。だから一人放り出され、今まで自分が使っていた言語が何も通じない場面に遭遇し、そんなことばかりが続くものだから疲れ切ってしまったのだ。

知らず知らずのうちにストレスが溜まっていたのだろうなぁ。あんまり楽しかったから、実家から下宿先に戻る道すがら、駅の土産物売り場で泣きそうになってしまった。また言葉の通じないところに行くのは辛いなぁ、と思って切なくなってしまった。でも頑張ろう。あんなに楽しい日々があったのだから頑張れる。そうしてもう少し、わかりやすい言葉で話せるようになろうとしよう。新年の抱負では無いが、少しでもわかってもらるように。頑張ろう。


2012年1月1日 (日) 緑茶カウント:0杯
胸の上に重みを感じていた。正体には気付いていたが、重さよりも眠さに負けてそのまま放置していた。しばらくして己の名前を呼ぶ声を聞き、反射的に目覚めたとき。案の定、視界の中心に映ったのは愛する飼い猫の顔だった。

動こうとすると「にゃあ」と鳴く。ずっと飼い猫に寝顔を見つめられていたらしい。己を見下ろす飼い猫はやけに偉そうな顔をしていて、そのくせ甘えた声を出しながら何かしらの要求をしてきた。カーテンを開けろ。窓を開けろ。外の景色を見せろ。そんなところだ。

言ってしまえば飼い猫に利用されているだけのことに過ぎないが、年明けと共に飼い猫の顔を見られたことをこの上ない幸福に感じた。


2011年12月31日 (土) 緑茶カウント:2杯
ただいま実家に帰省中。初日から酒を呑みすぎて二重を一重にしてしまったりしながら、ちょっと飲酒を控えようかな、などと考えている大晦日。今年も残りあと三十分。紅白も架橋に入っている。

それでは皆さん、良いお年を!


2011年12月29日 (木) 緑茶カウント:1杯
その本は鞄の中にあったのだ。

鞄の口は閉まっていなかったが、大きく開かれてはいなかった。バスケットのような開放的なつくりではなく、チャックを全開にしたところで鞄の中身が曝け出されることは無い。しかし細く開かれた口から中に何があるのか知ることは出来る。筆記用具、ノート、手帳、そして本。

床の上に無造作に放置された鞄の傍を通ったその人は、「あ、これ何ですか」と言うと、先程までのゆっくりした足取りからは予測の付かない素早さで鞄の中に手を突っ込み、中の本を引っ張り出して握るように掴み取ったのだった。

その人は友人か? 答えは否である。見知らぬ人か? 答えは否である。知っている。話したこともある。名前も職業も年齢も存じ上げているが、まだまだ浅い仲である。かの人は己が虫を非常に愛していることすら知らない。己もかの人の好きなもの・嫌いなものをよく知らない。つまり知り合い程度なのである。

本を掴む両手の指には力が込められていたのが見えた。両目は表紙に注がれていた。得体の知れない異様な執着を感じ、己はじわりと恐怖を抱いた。

その本はちょっとした専門書だった。簡単すぎず、難しすぎない。素人にも理解出来るが素人騙しで終わっていない。ちょっと突っ込んだことを学びたい素人にとっては使いやすい本である。

「わぁ…良いなぁ、こういう本、あるんですねぇ…すごいなぁ…」

「え…。あぁ、まぁ、探せばありますよ」

「良いなぁ…すごいなぁ…これ年末年始持って帰っても良いですか?」

疑問文の形をとっているが、がっしりと本を掴む手には二度と離すまいという異常な執着が感じられた。自分は軽く混乱していてその妙な迫力に気圧された。わけがわからない。親しい友人ならばともかく、知り合い程度の人間が、普通、口が開いていたとはいえいきなり人の鞄に手を突っ込んで、中にある本を持って帰ろうとするだろうか。

他人の持ち物への執着や、所有が定まっていない宙ぶらりんな品物への積極性の片鱗は何度か見ていて、ちょっと変わった人だなとは思っていたが、流石にこれには驚いた。あくまでも下手な態度とは裏腹に行動は非常に強気で、そのチグハグさも怖かった。

そもそも鞄の中に手を突っ込まれたことに拒否感を抱いていたため、嫌だな、とは思ったが、結局本は貸した。かの人はありがとうありがとうと礼を言っていたが、己は妙な後味の悪さを感じていた。


2011年12月28日 (水) 緑茶カウント:2杯
ひそかに、今年中にジョジョを読み直すぞ大会を一人決行していることをここに告白する。ちなみに戦況は厳しい。現在、SBRの十七巻まで進んだが、明後日の昼には家を出るためリミットは明日の夜までである。ギリギリ行けるか行けないか。難しいところだ。

ちなみにどうしてそんなことをしているのかと言うと、ジョジョリオンを読むためである。ジョジョシリーズの第八部。せっかく新たな物語を読むのなら充分にジョジョの世界に浸りきってから味わいたい。そんな思いで始めたものの、そんな思いで始めてしまったせいで未だにジョジョリオンを読めていない。現状にもどかしさを感じつつ。これから寝るまでの一時間、じっくりとまた読み進める。急ぎはしない。もどかしいけど面白いから。


2011年12月27日 (火) 緑茶カウント:4杯
旅行をしたいなぁ、と旅行の思い出を綴った昔の日記を読んで思った。二泊三日ほど旅に出たい。知らない土地で観光をしてひたすら歩き回りたい。出来たら一人ではなく複数人で。

もう少し生活が落ち着いたらまた旅行の計画でも立ててみようか。北海道と四国は未だ出向いたことが無い。あと外国。言葉の不安はあるが海外旅行もしてみたい。トルコに行ってみたいなぁ。イタリアにも行ってみたいものだ。いつかきっと実現しよう。


ウェブ拍手レス
(12月27日2時の方へ)メッセージありがとうございます。
目から鱗でした。そういう使い方もあったのですね。全く思いつかず、ずっと膝に乗せて抱いていました。何て間抜けな…。
次に同じようにクッションを渡されたらそのようにしてみます、そうします。


2011年12月26日 (月) 緑茶カウント:2杯
美容院に髪を切りに行った。事前に予約はしていたが時期が時期。鏡の席に通されてから髪を切られるまで四十分以上待たされた。しかし混雑は想定内。時間にも余裕を持ってきたので問題は無い。とはいえ待たせていることに負い目を感じているのだろう、通りかかる美容師があれこれと気を遣ってくれ、飲み物や菓子を用意してくれた。普段、飲み物はともかく菓子が供されることは無い。

恐らくこれは「お〜いお茶」を湯飲みに注いでそのまま電子レンジに突っ込んだのだろう。湯飲みまでカンカンに熱くなっている熱湯のような緑茶を啜りつつ待つ。人差し指と親指の先をクレーンに見立て、湯飲みの口を引っ掛けて持ち上げ、注意深く味わった。熱い。

用意された雑誌を読み終わってしまったため、鏡の前に直し、ぼーっと窓の外を眺めていた。あまり変わり映えのしない景色だ。退屈では無いが格別面白くは無い。先程の雑誌をもう一度最初から読み直そうか。そんなことを考えながらぼーっとしていたら巨大なものを持った美容師が己の傍らに立った。

「良かったら使ってください」と言って渡されたそれは巨大なクッションだった。大きく、分厚く、ふかふかで、縦横ともに大人の肩幅程もある。とても触り心地が良い。だが、使い方がわからない。クッションであれば尻の下に敷くか背中と背もたれの間に挟むかするのが一般的だろう。しかしでかいのである。巨大なのである。上に座れば鏡に比べておかしな高さになるし、背にはさめば椅子に浅く座らざるを得なくなる。どちらもあまり具合は宜しく無く、とても乗り気になれる使い方では無い。

膝の上で抱えたそれをどう使ったら良いものか、悩みながらもふもふと抱いていたら担当の美容師がやってきて、謝罪と挨拶の後、マントのようなよだれかけのようなものでクッションを抱えたまま体をすっぽり包まれた。

結果として手持ち無沙汰にはならなかった。暖かかった。触り心地も良くて満足したが、結局どういった意図で渡されたのかわからないまま終わってしまった。他に同じように巨大なクッションを渡された人がいないかこそこそ見回してみたが、皆あの白いマントのようなよだれかけのようなもので全身覆い隠されているので、よくわからなかった。今思うとクッションを抱える己の姿は奇異に映ったかもしれない。少し反省している。


2011年12月25日 (日) 緑茶カウント:2杯



メリークリスマス! 今日は一日ゆっくりと過ごした。昼過ぎに起き、うどんを食べ、クリスマスプレゼントとして己自身に買い与えたCDの封を開け、音楽を聴き、漫画を読み、ちょっと散歩をして、帰り道にチキンとケーキを買い、ビールを呑んだ。

ところで企画の締めくくりとして、昨日描いたそれぞれのポチ袋について軽く書いて行こうと思う。

まず、この企画は以前に実施した「湯飲み屋本舗」という、いただいたお題をもとに色々なデザインの湯飲みを描いていく企画を下敷きにしている。そして今回、正月が近いということで、印刷したら実用出来る「ポチ袋」で似たようなことをやろうと思ったのだが、誤算が一つ。湯飲みは十五分から三十分で一つを描き上げることが出来たが、ポチ袋は一つに三十分から一時間かかってしまった。面積の違いと、印刷される可能性を考えて湯飲みよりも丁寧に塗ってしまったことが原因である。そのため湯飲みのときよりも余裕が持てずに終わってしまった。リアルタイムでやるにはちょっと無理がある企画だったかもしれない。

ちなみにポチ袋の絵柄によく登場している赤鬼のようなキャラクターは、上半身が鬼、下半身が獣の「鬼畜」という生き物である。己が作ったTwitterのbotキャラクターだ。

「鬼畜(見本)」

見本第一弾。とりあえずお手軽に鬼畜を描いた。もしかしたらこいつはお年玉を理解していないのかもしれない。


「生卵(見本)」

見本第二弾。「お年玉お年玉…」と唱えていたら思いついた。卵を落としているところである。見本用に、違うテイストのものをいくつか用意したかった、というのもある。


「ゾンビ(見本)」

見本第三弾。「お年玉っぽいもの…」と考えていて連想した。落とし目玉。ゾンビについては門外漢なのでグーグルで画像検索をかけて参考にした。何でこんな気味の悪いものを見なきゃならないのだろうと思いながら描いた。


「鬼畜と冬)」

「暖かい感じで」ということだったのでマフラーを巻くことにした。しかしその前に服を着るべきだと思う。雪が降っているのは少しだけ「お年玉」を意識している。


「辰年を意識した鬼畜」

「鬼畜は辰年をきちんと理解していないんじゃないか」と思ってこいのぼりを被せた。鯉は滝を登れば龍になるので当たらずとも遠からず。いや遠いな。


「将軍」

「将軍」とはTwitterで「将軍」と名乗っている方がアイコンにしているオリジナルキャラクター。キャラクターと言うよりも自画像に近いかもしれない。形が丸いのでお年玉代わりにポチ袋に入れてみた。


「カンガルー」

「カンガルーコンテスト」というブログを運営している方からリクエストをいただいたので、表彰式のイラストに。青が綺麗で気に入っている。


「辰年生まれのパンダと戯れる鬼畜」

「辰年生まれのパンダ」をどう描くか迷った挙句謎の生物が出来上がった。あんなに可愛い生き物をこんなによくわからないものにしてしまって申し訳が無い。


「内田さんイメージ」

筋肉少女帯のベーシストである内田さんイメージと言うことで、内田さんのアンプと物販のグッズを描くことにした。資料はWeRockの筋少特集。この雑誌は楽器や機材が詳細に掲載されているので、いつもこういう時に役に立ってくれている。買って良かった。


「筋少とウヲさん」

いったいどう描けば良いんだ、とだいぶ考え込み、筋少のオリジナルアルバムジャケット十五枚と、ライブで完全燃焼する自分を並べてみた。右側の自画像は以前Twitterのアイコンで使っていたものと同じテイストのもの。この自画像はともかく、左側のジャケット群は結構格好良く描けたので気に入っている。


「オーケンイメージ」

まさかオーケンをそのまま描くわけにもいかないので、オーケンの愛する怪獣ブースカのぬいぐるみに、オーケンの衣装を着せ、ヌンチャクを持たせてヒビワレメイクを施した。ブースカを描いたのはほぼ初めてである。


「セフィロス」

セフィロスを全然知らないことが見事に露呈しているどころでは無い。真ん中分けのイケメンでファイナルファンタジーに登場することだけは知っている。醤油点しを描くのが楽しかった。


「将軍と羽子板をして遊ぶ鬼畜」

リクエストでは「羽子板」と指定されておらず、「お正月の遊び」とされていたので、顔に墨でラクガキをするやつにしようと決めたのだが、それはあくまでも罰ゲームで遊びのメインでは無いことに気付いて途中で羽子板を描き足した。


「邪悪な笑みの内田さん」

「内田さんは水戸さんにオーケンの話をするときに邪悪な表情になる」というMCネタから。しかし己自身はその表情を見たことが無いので、雰囲気で邪悪さを表すことにした。ちょっとアウトだと思っている。


「辰年感あふれるアムールトラ」

とにかく虎を描くのに時間がかかった。口にくわえているのはタツノオトシゴ。どこから狩って来たのか謎。


「酉年で山羊座」

リクエストでは「酉年で山羊座でA型」だったが、A型要素を入れることが出来なかった。そこだけは残念だが、デザインはかなり気に入っている。山羊と鶏のキメラ。


「昆虫とキノコ」

「種類はお任せ」ということで、図鑑のページをめくりながら考えた。キノコの図鑑を見ていて「傘に何かが垂れ下がっていたら可愛いのではないだろうか」と思いついてミノムシに。色合いがとても気にいている。


「猫耳っぽいサンタ帽の鬼畜」

リクエストでは「猫耳+サンタ帽の鬼畜」だったのだが勘違いをして猫耳とサンタ帽を合体させてしまった。しかしサンタ帽を被った状態で猫耳を露出する方法がわからないので、こうするしか無かった気がしないでもない。


「おいちゃんイメージ」

筋肉少女帯のギタリストであるおいちゃんをイメージしたもの。「ピンクの袋」という指定をいただいていたので、ジッパーのついたピンクのスーツと、おいちゃんのギターを組み合わせた。このときもWeRockが活躍した。


「水戸さんイメージ」

ミュージシャンである水戸華之介さんのイメージ。かなり悩んだ。何しろ手元に資料がほとんど無いのである。水戸さんと言えば隈取とアスクレピオスの杖だが、隈取はともかくアスクレピオスの杖のデザインがよくわかる資料が全然無い。そこで水戸さんの名曲「銀の腕時計」をモチーフに描くことにした。背景の葉は歌詞に出てくるポプラの葉。


以上。これにて完全終了である。時間など、改善すべき点はいくつかあるが、またいつか余裕のあるときにこういうことをやりたいと思っているので、よろしければまたいつか。ありがとうございました。


ウェブ拍手レス
(12月25日6時の方へ)メッセージありがとうございます。
こちらこそリクエストありがとうございました。こういう企画はリクエストあってのものなので本当に感謝しております。

ペナントはなかなか描くのが楽しかったです。あんなにじっくりあのペナントを見たのも初めてかもしれません。
「筋少とウヲさん」のアレは左側のアルバムジャケットを並べたところは自分でも気に入っています。右側はいらなかったかもしれません。(笑)

また何かしらこういうことをやりたいと考えておりますので、そのときはお付き合いいただけると嬉しいです。よろしくお願いします!


2011年12月24日 (土) 緑茶カウント:15杯
描きまくった! 二十四日の日記ではあるが、現在二十五日の朝の五時二十分! リクエストいただいた十七個のポチ袋をようやく完成させたところである。楽しかった。疲れた。やりきった。とりあえず寝る! 昼には起きることを目標におやすみなさい!


2011年12月23日 (金) 緑茶カウント:4杯
他人と他人が会話をしている近くでぼーっとしていたら、唐突に巻き込まれて被弾した。

「クリスマスどうすんの?」
「特に予定が無いんですよねー」
「クリスマスまでに相手見つけるって言ってたじゃん」
「それが無理でー。ほんっとカップルが羨ましいんですけど、残念ながら今年も自分らは一人寂しくクリスマスですよ!」
「もういっそお前ら二人で鍋でも突いて慰め合っちゃえよ!」
「それも良いかなー。でもやっぱ空しいしパスですねー」

「自分ら」でいきなり一緒くたにされ、「えっ何こいつ確かに一人で過ごすけど別に羨んでないのに勝手に一緒にすんなよおい」と思っていたら一方的に振られた。まるで通り魔にあったようだった。とはいえ、「おいこら」と口を挟むにも会話は既に別の話題へと移っていて、今更否定をしても却って必死さが目立ってしまうため、何も言えずに終わってしまった。

そんな出来事があったのでポチ袋企画の予定を入れた、わけでは無いがせっかくのクリスマスイブ。存分に楽しもうと思う。描きまくるぞ。


ウェブ拍手レス
(12月23日8時の方へ)修都さん、リクエストありがとうございます。
お久しぶりです! カンガルーのポチ袋、確かに承りました。
そういえばふと思い出しましたが、カンガルーを修都さん関連以外で描いたことってありませんでした。ポチ袋は人生第二回目のカンガルーです。頑張ります。


2011年12月22日 (木) 緑茶カウント:4杯
あまりの寒さに耐えかねて、ついにエアコンを入れるようになった。起床の三十分前に稼動するよう予約をし、三十分だけ使用する。たったの三十分でも随分変わるものだ、ということを実感したのは数日前の朝だった。布団から抜け出ることに勇気が要らなくなったのである。それほどまでに寒かった。

今のところ我が家で常時活躍している暖房器具はこたつだけである。こたつに潜り、肩に半纏を羽織り、緑茶を飲んでいれば何とかなる。ただしそれは活動時のこと。流石に就寝時までこたつは愛用していない。

ちなみに普段、夏場は電気代が五千円ほどかかるが、今月の請求は二千三百円だった。一人暮らしの相場は知らぬが、今までの経験から察するに、これは結構安いと思う。あくまで我が家の基準だが。それならばエアコンくらい使っても良いじゃないか。我慢をしているわけでは無く、何と無く使っていなかっただけだが、ここはもう積極的に使うべきだろうと判断した。何故なら起動力が落ちるから。

暖かくは無いが、起床に苦痛を感じるほどの寒さは感じない温度に感謝をしつつ湯を沸かす。明日からまた少しずつ昼の時間が長くなる。まだまだ冬は長く続くが、折り返し地点を越えるとほっとする。早く夏になれば良い。


2011年12月21日 (水) 緑茶カウント:3杯
一週間ほど前から考えていた企画を実行することにした。トップページで告知を出した、ポチ袋を描きまくるリクエスト企画である。ポチ袋ならサイズが小さいから描きやすいし、印刷すれば実用出来る。やってみたら案外面白いかもしれないなと思っていたのである。

ただ、我が家の印刷機はただいまインク切れを起こしているため、見本として描いてみたものが、きちんとポチ袋の形になるかわからないという懸念点はある。一応、手元の茶封筒をじっくりと眺めながら描いたのだがいかがだろうか。まぁ、使えなければそれはそれで本末転倒で間抜けでよろしい。とりあえず実施日は二十四日に決定した。クリスマスイブである。実施日は二十四日だが、リクエストの募集は既に開始しているので、当日予定がある人も良かったらお付き合いいただけると嬉しい。

ちなみに中身は流石に配布出来ないので、各自で用意していただきたい。そこだけはよろしくお願いします。


2011年12月20日 (火) 緑茶カウント:3杯
運動すると腹が減るのだなぁ、と思いつつ昼はコロッケをもぐもぐ喰い、夜は餃子定食をガツガツ食べた。目標の一万歩を達成するには一日に一時間以上は歩かなければならない。一時間、信号待ちの時間を除いて全力で歩き続けると多少息が切れる。腹もこなれる。歩き切った頃には疲労感と眠気が襲い、これを書いている今現在、さっさと布団に入りたくて仕方が無い。

よく食べたせいかここ数日で体重が増えた。だが、体脂肪率はちょっと減っていた。続けたら少しは筋肉が付くだろうか。とはいえ一日一時間の散歩を毎日続けられる自信は正直なところあまり無い。というのも、歩きやすい道を選ぶとどうしてもルートが定まってしまい、景色に飽きてしまうのである。さらに、迷子になることを恐れてややこしく右や左に曲がらず、真っ直ぐ歩いてUターン、というルートを繰り返していると、やはり飽きるのである。

飽きたおかげで折り返し地点を過ぎてからはさっさと帰りたくなるので、より早足で歩を進めることが出来るのだが、これはあまり面白くない。景色に変化があっても飽きてしまうのだから、室内で永遠に歩行が出来る機器なんぞはもっと早くに飽きてしまうだろうと一人予測する。あれは購入者のうち何割ほどが続けられているのだろう。統計があったら見てみたい。

とりあえず飽きてはいるが、今日も歩行は快適です。


2011年12月19日 (月) 緑茶カウント:2杯
疑いをかけられた。正直なところ「やべー」と思った。存外的を射ていたからである。上手に隠していたつもりはなかったが、面と向かって追究されようとは思ってもみなかっただけに「やべー」と思ったのである。あらまぁわかるものなのかしら。これはちょっと気をつけなくちゃならないかしら。さて、どのように返答しようか。

さて、と言いつつ考えるまでもなく、サラッと言い逃れてその場を脱した、という出来事があったことだけはここに記すが、何を暴かれそうになったかは言わない。

とはいえそれは絶対にどうしても口に出せない事柄では無い。ただ、一つを説明するためには連鎖的に説明が必要となり、時にそれは枝分かれし、枝の一つを語り終えたらまた分岐点に戻って別の枝を進まなければならず、非常に面倒くさいのでお茶を濁した。面倒くさいし厄介だし困ってしまうのでお茶を濁した。しかし自分はその人に好感を抱いた。気付いてくれたのが嬉しかったのだ。

今は話すつもりは無いが頃合を見て小出しにしてみようかな、と少し思った夜である。己は嬉しかったのだ。


2011年12月18日 (日) 緑茶カウント:1杯
悩んでいるときに散歩に出ることがままある。部屋の中で一人考え込んでいると渦の中に取り込まれ、出られなくなってしまうが、ズンズン歩きながら自問自答を繰り返すと、歩くスピードと思考がリンクして、ポンポンと考えが飛んで行き、渦から脱出しやすくなることがあるためだ。無論、歩いたところでいつまでも渦から出られないこともあるが、歩かないよりは歩いた方が出られる率が高まるのである。

それにやはり気分転換になる。歩けば空気が体に沿って流れて行く。景色がどんどん変わる。右足を突き出し、上半身の重心を移動させ、左足を前に出す。こんな地道な運動をひたすら繰り返すだけで、何キロも移動出来ることに面白さを感じる。知らない景色に出会えば楽しくなる。帰れなくなれば不安になる。帰り道を見つければほっとする。気を逸らすことが出来るのだ。

新しく目標を立てた。一日一万歩歩くこと。歩いて歩いて足腰を鍛えて風を切って景色を眺めて外の空気を吸って渦を抜け出す。いつも渦の中にいるわけでは無いが、まずは継続してみよう。


2011年12月17日 (土) 緑茶カウント:5杯
ミスフル文庫の新刊を買うついでに散歩をして、散歩のついでに食事をした。食べたものはオムハヤシライスとサラダとデザートのセットで、飲み物は紅茶。味は可も無く不可も無く。ミスフルは今回もおまけでキャラがぶっ壊れていた。流石である。女装と仮装と露出が凄まじい。これはいったい何の漫画だろうか。六巻の表紙に三象がいないことに少し寂しさを感じた。カレーが少し食べたくなった。


2011年12月16日 (金) 緑茶カウント:2杯
企画を知り、キャストを見て、続報が出るたびに文句を言って、騒ぐだけ騒いだくせに放送日・時刻・テレビ局は全く把握しておらず、連続ドラマで無いことすら知らなかったため、気付いたら終わっていたらんま1/2実写版。

「ウヲさんはらんまのドラマ観た?」
「え、もう始まったんだっけ」
「もう終わったよ」
「何と。あれ? 何週間か続けてやるんじゃなかったんだっけか」
「ううん、一話限りだよ」
「一話しか無いのか。一話くらいは観ようと思ったのに。で、観たの?」
「観た」
「どうだった?」
「ガッキーが可愛かった」
「ガッキー知らん。あかねの役の人ってことしか知らん」
「ガッキーの可愛さを堪能するには良かったよ」
「話はどうよ」
「全く期待してなかったから落胆もしなかった」
「なるほど」

以上。「らんま1/2ではうっちゃんが一番可愛いよね」仲間の友人との会話である。とりあえずガッキーという人が可愛いかったことは良くわかった。次回はアニメ化してください。


2011年12月15日 (木) 緑茶カウント:4杯
今日は特に室内にこもりがちだったので、夜中に散歩に出ることを決め、万歩計をポケットに入れて全力で歩いた。肩で風を切り、大股でガツガツと一万歩ほど歩いた。だんだんと体が熱を生み始め、寒さを感じなくなってくるのが面白い。道に迷わないよう注意しながら大通りを抜け、脇道に入り、ちょっと歩いてすぐに大通りに戻り、コンビニでジャガイモのポタージュスープの素を買って帰った。

最悪に感じるのは、嫌だなぁ、と思いつつもズルズルと関係を続け、突如我慢が出来なくなり、バッサリ断ち切ってしまう癖だ。そんなことをするくらいならば最初から相手になんぞしなければ良かったのに。ついへらへら笑って愛想良くして後で悔やんでくよくよして、全くいつものパターンである。

幸か不幸か進展は無い。何事も無く終わりそうな気配もあるものの、どこか引っかかっていて、未だもやもやと気持ち悪い。当のご近所さんはメールを送ったことなんぞとっくに忘れて日々を過ごしているかもしれないのに。しかし「しれない」と言うならば。

楽しかったから明日も散歩に出かけよう。散歩はやはり良いものだ。


2011年12月14日 (水) 緑茶カウント:3杯
考え込んでしまうのは、相手が悪意では無いからだ。厄介ではあるものの、悪い人では無いと感じられるからいろいろと想像してしまうのだ。「この土地に引っ越してきて早四年。職場にはそれなりに親しい人もいるけど、休日に遊びに出かけるような友達はいない。そしてつい最近、その仕事も辞めてしまった。でも、何とあのお客さんがものすごく近所に住んでいたんだ! 手紙を出したらメールも返ってきたし! これを機に仲良くなれると良いなぁ!」とわくわくされていたらどうしよう、と実際の境遇なんぞ全く知らないくせに勝手にストーリーを頭の中で拵えて切なくなってしまうのだ。

とはいえ馴れ馴れしくされるのは苦手だし、既に客と店員という間柄でも無いし、ほぼ初対面の人と雑談メールをやりとりする趣味も無いし、でも家も知られているし何かがきっかけでご近所トラブルに発展したら嫌だしさりとてやっぱり面倒くさいし、とくよくよくよくよくよくよくよくよ。その後に届いたメールも放置しているが、くよくよくよくよ。ゆっくりと時が過ぎるのを待っている。困ったものだ。


2011年12月11日 (日) 緑茶カウント:5杯
ひたすら友人達と喋り倒したらスカッとした。昨日ここに書くことで少しは悩みが整理されたのだが、あれからも実はもやもやしていた。もともと距離を一足飛びで詰められることを苦手としている己のこと、もしかしたらこれはさほど珍しくも無い普通のことであるのかもしれない。単に己が過敏になりすぎているのか。迷惑だと思う自分は冷たいのか。などとぐるぐる自問自答していた。幸い友人達は「それはちょっとどうか」「無視をしても良いと思う」「返信をする義理は無い」と言ってくれたので、やや自信を取り戻せたのだが。人付き合いは難しい。


2011年12月10日 (土) 緑茶カウント:3杯
どうしたものか。届いたメールを睨みつつ悩んでいる。良かったら話を聞いてもらいたい。

何度か通ったことのある居酒屋がある。通った、と言ってもその店に行った回数は片手の指で足りるほどで、常連と言えるほどでもなく、顔なじみにもなっていない。そこはこじんまりとした狭い店で、カウンター席とテーブル席があり、己はいつもカウンター席に腰掛けていた。

一人で行くので、カウンターの向こうにいる店員と飲み食いしながらポツポツ会話をするのが常だった。店員はいつも違う人間で、同じ顔を見たことは無い。よって、店員にとっては己は一見さんなので、二回目以降の入店時も「初めてですか?」と聞かれていた。

ある日その店に行ったときも、いつものように「初めてですか」「いえ何度か」というやりとりをし、その後は適当に天気の話や季節の話などをしていた。当たり障りの無い話である。そして少しずつ個人的な話をするようになったとき、驚きの事実が判明した。近所の店の美味しい食べ物について話している流れで、互いに「おや」と気付いて少しずつ探りを入れていった結果にわかったのだが、何とこの店員の住まいは我が家のごく近く、つまり店員と自分はかなりのご近所さんだったのである。

こんな偶然があるとは思わず、互いに「これはすごい」「こんな近くだったとは」と笑い合い、また来ることを約束して己は気分良く店を出た。その日はとても楽しかったので、よし、ちょっと頻繁に通おうかな、と思いつつ、うきうきしながら帰宅した。ここまでは良かった。

その数日後のことだ。ポストを見ると封筒に入っていない、二つに折られた便箋が一通入っていた。手紙の主は予想の通り、あのご近所さんの店員で、手紙には「近くだったから家を覚えていました」「サービスするのでまた来てください」「メールアドレス書いときますね!」と書かれていた。

営業熱心な店員さんだな、と思いつつ、正直少し困惑した。だが、気持ちが嬉しかったので、五日ほど時間を置いてから「わざわざ手紙をありがとう」「また食べに行きます」と手紙に書かれていたメールアドレスにメールを送った。その数日後に返信が来た。内容を見て、どうしたものか、と思った。メールには「仕事辞めちゃいました♪」「良かったら友達になってください!」とテンション高く書かれていた。

どうしたものか。確かにあの日、この店員と話をするのは楽しかった。しかし、己は店を通して以外にこの人と関わりを持つつもりは無い。あくまでも「居酒屋」という場における、店員と客という間柄でコミュニケーションを深めるつもりだったのである。己がその居酒屋の常連で、その店員と何度も顔を合わせていて、店員と客以上の関係性を構築した後に、自然と休みの日に遊びに出かける約束をするならまだしもそうではない。しかも初対面である。意気投合したとはいえ初対面である。

困った。

とりあえず現状、返信はしておらず、件の店にも行っていない。考えすぎかもしれないが、面倒くさい事象が発生しそうな予感もして、あぁ、どうしたものか。迂闊だったな、と自省もしつつ。悩んでいる。どうしたものか。


2011年12月9日 (金) 緑茶カウント:3杯
何も言葉が出てこないくらい、疲れた。

しかし明日は遊ぶ! 明後日は休む! ようやく週末がやって来たのだ!
とりあえず寝る!


2011年12月8日 (木) 緑茶カウント:3杯
ある程度酒が強くて良かったなぁ、と思うのは、よく知らない人に囲まれた飲み会で、へらへら笑いながらとりあえずグラスに口をつけて、他人のグラスに酒を注いで、注がれたグラスを飲み干しているときだ。あー楽。話題が無くて喋れなくても何とか間が持つ。両親と一族の血に感謝である。

ただ困るのは、確実に以前よりも少食になったことだ。ここでも何度か書いたと思うが、少し食べただけで満足する体になってしまった。いつの間にか。これは不便である。かなり不便である。しかし酒は呑めるので酒は呑む。食べる代わりに酒を呑む。体には悪いが酒を呑む。

と、いうわけでそこそこ酔っ払った。現在ウコンと緑茶を飲んで中和している。二日酔いになる程ではなく、前後不覚になる程でもなく、ちょっと気持ち良くなる程度に呑んだ。楽しかった。


2011年12月7日 (水) 緑茶カウント:3杯
「別に起きなくても良いんじゃないか?」

むしろ何故起きなければならないのだろう。さっぱり意味がわからない。意味がわからないので目覚ましを止め、掛け布団を被りなおし、起きるのを放棄しようとした直後に慌てて跳ね起きて布団から抜け出した。何を言っているんだ自分自身よ。起きなくて良いわけが無い!

何が「別に起きなくても良いんじゃないか?」だ。今日も今日とて外に出かける用事がある。先程も口にしたが、起きなくて良いわけが無い。にも関わらず一切の義務を放り投げて惰眠を貪ろうとした数秒前の自身の行動が恐ろしい。眠気で脳がとろけたか。

寝不足で辛いときなどは、起きたくない眠りたいとたびたび睡魔と闘わされるが、まるで起きることが間違いであるかのように真正面で捉えてしまうことは流石の自分もあまり無い。起床することが愚かしいことのようにさえ感じた。それだけ起きたくなかったということだろうが、何もそこまでとも思う。

起床後は比較的すぐにエンジンがかかるので、その後の支度は問題なく進み、時間通りに家を出ることができたが、いい加減今日は早く寝るようにしようと思った。明日の朝は起きることを当然と認識したまま起床したい。


2011年12月6日 (火) 緑茶カウント:3杯
朝食にポタージュスープをつけると腹持ちが良いことに気付き、この一週間と少しほど、インスタントのスープの素をお湯で溶かして飲んでいるのだが、毎日飲んでいるうちに気が付いた。己はコーンポタージュスープは大好きだが、インスタントのコーンポタージュスープはあまり好きではないらしい。

好きだからこそ飲んでいたのだが、毎朝飲むたびに期待を裏切られるような、ほのかな残念感を抱いていた。不思議と同じメーカーのじゃがいものポタージュスープにはそれを感じず、美味しくいただけたというのに。己はじゃがいものポタージュとコーンポタージュなら断然コーンポタージュの方が好きなのに。むしろ好きだからこそだろうか。こだわりがあるからこその好き嫌いなのだろうか。

悔やまざるを得ないのは気付くのが遅すぎたことだ。もしくはもっと遅く気付くべきであったのだ。何故ならこんなにたくさん、一箱二箱三箱と、箱を買いだめしてしまったから。買いだめをする前に気付けば、もしくは消費しきった後に気付けば幸福でいられただろうに。

あぁ、こんな程度のことが無性に残念に感じられるなんて。全く持って馬鹿馬鹿しい。

ちなみにどのあたりが余り好きでないのかと言うと、やけにサラサラすることが気に食わないのである。コーンポタージュスープはドロリとしていて欲しい。ドロリとしていて欲しいのにサラサラだから憎らしい。湯の量を調節することにも既に挑戦したが、生憎ドロリとはならずザラザラになっただけだった。

サラサラのザラザラだが、腹持ちは良いので明日も飲む。サラッサラだなぁ、と思いながら飲む。咽喉越しの良いコーンポタージュスープを。


2011年12月5日 (月) 緑茶カウント:6杯
今日も今日とてDVD「東京異次弦空洞」を観てしまった。睡眠時間を犠牲にして、緑茶を飲みつつ楽しんだ。本当は音だけを聴いて別に作業をするつもりだったのだが、最初から最後までじっくり通して観てしまった。MOTHERとルクトゥン or DIEだけは二回再生した。何故ならとても好きなので。アルバムを聴いたとき、MOTHERは還弦ヴァージョンよりもオリジナルヴァージョンの方が好きだなぁ、と思ったが、いやいやいやいや、こちらのヴァージョンも良いものだな。

ところで、ヒラサワのMCを聞いたときに己が感じた違和感についてここに書き記したい。昨日、DVDを観た後に東京異次弦空洞の参戦日記を読み返し、そういえばこんな場面もあったのか、と映像には無かったシーンを思い出したのだ。本編最後のトビラ島が終了した後、日記によればアンコールでヒラサワが再びステージセットを引いて持ってきたとあるのだが、そのシーンが無く、アンコールの映像ではヒラサワは既にステージセットの上にいた。この場面は「持ってくる」シーンだが、他にも随所に「片付ける」シーンがあったはずなのに、そちらもほぼ映像に残されていないのである。そのため、MCでの「しまったものは片付けましょう」という発言にピンと来なかったのだ。実際は頻繁に出し入れされていたステージセットも映像ではいつの間にかセットされていたり片付けられたりしていたため整理整頓が記憶に残らない。これは少々勿体無いと思った。

などと語っていたら今日も夜更かしをしてしまった。いい加減に寝なければならないが、平沢さんは今度はいつライブをしてくれるだろう。むしろあと何回ライブをしてくれるだろう。そのうち何回参戦することが出来るだろうなぁ、と考えつつ。明日も睡眠時間を削りそうなのが恐ろしい。せめて七時間は眠りたいのだが。難しそうな塩梅だ。しかし楽しいのだから仕様が無い。


2011年12月4日 (日) 緑茶カウント:10杯
待ちに待ったDVDがようやく我が家に届いた。一年間に渡って行われた、平沢進が自身の作品を弦アレンジでリメイクするイベントのフィナーレを飾る、ライブ「東京異次弦空洞」。例によって己は布団の中でぐっすり眠っていたのだが、玄関のベルの音で跳ね起きて、慌てて帽子を被り、寝巻きの上に半纏を羽織り、下だけジーパンに履き替えて配達のにーちゃんから小包を受け取った。妙な小細工をしたところで寝起きであることはバレバレなのだから、もう潔く寝巻きのまま応対した方が良かったかもしれない、と思うようなチャランポランな出で立ちだったが、そんなことは最早どうでも良い。ついにDVDが我が家に届いたのだ!

それから顔を洗い、朝昼兼用食を作ってそれを食べ、洗濯を終え、お茶を淹れ、準備万端の姿勢を整えてからDVDの封を変えた。およそ一年前に開催されたライブ。初めて参戦した平沢進のライブ。初めて生で観た平沢のライブ。大好きな金星、驚きのトビラ島が入っているDVD。タイのパフォーマーによるコミカルな動きも、妖しい舞踊も楽しくて興奮させられて、胸いっぱいになったライブだった。ちなみに当時の感想はこちらにしたためている。興奮のままに書き綴ったものだ。あの時はしばらく熱に浮かされたようにヒラサワヒラサワ言っていた。

一周目は通して見て、二周目は特に好きなところをツマミ食いしながら見て、三周目は映像を見ずに音だけを聴きながら作業をしている。楽しい。ライブではわからなかった細かな表情、全体の動きなどが見られて嬉しい。同時にあのときの興奮が呼び覚まされて、そうだこのイントロのアレンジがたまらなく好きだったんだ、ここで腕を振り上げたなぁ、と懐かしんだ。かと思えばすっかり忘れている演出もあって、新鮮な気持ちで楽しくことも出来た。

若干、画質があまり宜しくないことや、レーザーハープのレーザーが見えづらいためにヒラサワが何も無いところで踊っているように見えるのが気にかかるが、MCも収録されているし、笑顔のヒラサワまで見られるし、何と言ってもスタンドマイクを握って歌うヒラサワは格好良いし、夢みる機械とLEAKはこのDVDでしか聴けないアレンジがあるし、整理整頓をするヒラサワは面白いし、大満足のDVDである。最近ヒラサワに興味を持ち始めた、という人には是非見てもらいたい。特設サイトではダイジェストムービーも見られるので、是非どうぞ。おすすめだ。


2011年12月3日 (土) 緑茶カウント:1杯







夢のように美味しかった。三十分で喰らい尽くした。ハイパー美味しかった。美味だった。


2011年12月2日 (金) 緑茶カウント:3杯
郵便受けを開いてみたら、宅配ピザのチラシが入っていた。いつもはすぐに捨ててしまうのだが、今日ばかりは部屋まで持って帰り、じっくりと見入ってしまった。マルゲリータ…ゴルゴンゾーラ…生ハム…アスパラ…ハーフ&ハーフ…。

二枚は喰えない。一枚でも多いかもしれない。でも色々な味が食べたい。四種類の味が楽しめるピザもいくつかあるが、これは中身を指定出来ないらしい。これとこれはエビが入っているし、これはシーフードが乗っている。こっちのこれとこっちのそれを入れ替えることが出来たらベストなんだが…値段も同じだし出来ないかな…。

などと真剣に考えつつチラシを凝視しながら今日は割けるチーズと緑茶と生姜を食べた。割けるチーズは割かずに丸齧りした。ピザが食べたい。ピザが食べたい。ピザが食べたい。ピザが食べたい。


2011年12月1日 (木) 緑茶カウント:3杯
ヒートテックを着てみたら、暑くて、暑くて、辛かった。

防寒の為にヒートテックを買った。多分きっと、生まれて初めて購入した。暑がりなのであまり必要性を感じず、これまで手にしたことは無かったのだが、ちょうど衣類を買う用事があったので試しに買ってみたのである。

そうして着てみたら確かに暖かいが、暑い。暖かいが、むしろ暑い。辛い。十二月に入り、そろそろと思いきや、まだ時期尚早だったようで、しかし街を行き交う人々は厚手の外套を羽織ってマフラーまで首に巻き、季節感のギャップを感じて、それでもやはり暑いものは暑い。

現在、半袖のシャツを着て、半纏を肩にかけてこたつの前で正座している。こたつの電源は入れていない。つい先日、とうとう冬が訪れたかと思ったが、またどこかに行ってしまったらしい。それとも己が早々に順応してしまったのか。わからないがとにかく暑い。風邪を引いているわけでも無いのに。

とはいえ群馬に帰省するときにはこれも活躍するだろう。帰るたび、予想外の寒さに文字通り震え上がるのだ。それまではしばらくタンスの中で眠らせる。それにしても何を着れば良いのか悩むところだ。自分自身は薄手のシャツで充分なのだが、ある程度は季節感も考えなければならないし。難しいところであるよな。


2011年11月30日 (水) 緑茶カウント:3杯
どうして己は一人暮らしをしているのだろう、誰かと一緒に住んでさえいれば願いが叶うはずなのに。そんなことまで考えてしまうほど、今、無性に、どうしようもないほどに、宅配ピザが食べたくてたまらない。

宅配ピザが食べたい。

年末年始に実家に帰省する際には、本格的な釜焼きのピザを食べさせてもらえることになっている。イタリアンが好きな両親が、自宅で使える小さな釜焼き器を購入したのである。無論それも非常に楽しみだ。楽しみだが、今はとにかくアメリカーンでボリューミーでカロリーをとことん上乗せした、分厚い生地の宅配ピザが食べたい。ものすごく。

このピザ食べたい病は昨日から発症した。「よつばと!」を読んでから発症した。作中で、宅配ピザを注文し、大喜びしながら食べるシーンがあったのである。あれを見てからしばらく宅配ピザを食べていないことに気が付いた。恐らく、数年は口にしていないはずである。

実家にいるときはたまに食べていたが、たまに実家に帰るとなるとわざわざピザを注文せずに、両親が腕によりをかけてご馳走を振舞ってくれたり、外食に出かけたりしていたので宅配ピザの出番が無かったのである。一人暮らし歴はもう五年を越えているが、一度も宅配ピザを注文したことは無い。値段もあるが、あれは一人で食べるものという認識が無かったのである。ポストにはしょっちゅうピザのチラシが突っ込まれていたが、いつもすぐに捨てていた。

そういえば己は宅配ピザなどのチラシを配る事務所でアルバイトをしていたことがある。配達員がチラシを配るための地図を作り、チラシを数えたりまとめたりするのだ。あれはなかなか力のいる仕事だった。そんなことよりピザが食べたい。食べたい。食べたい。食べたい。今日は豚汁を食べた。宅配ピザが食べたい。食べたい。誰か付き合って欲しい。


2011年11月29日 (火) 緑茶カウント:3杯
今日もきちんとラジオの開始時刻に間に合うようにあれこれと準備を整えて、「よつばと!」を読みながらこたつの前で待機した。そうして聴いた聖飢魔II。気に入った! とりあえず何も考えずに音を楽しみたいと感じさせられた。分厚い音がとても気持ち良かった。タイトルはわからないが、クリスマスの歌が一曲流れていて、それが特に好みだった。この曲が入っているアルバムを探そうと思う。所有していたい曲だ。


2011年11月28日 (月) 緑茶カウント:3杯
ラジオNIKKEIで一時間まるまる、デーモン閣下の歌を流す特集があると聞いたので、そういえばデーモン閣下の歌をまともに聴いたことはこれまでに一度も無いことであるし、これも良い機会と開始時間に間に合うように風呂を出て、きちんとこたつに座してラジオを聴いたら、歌が上手いという評判こそ耳にしていたものの、こんなに爽やかで美しい歌声だったとは露知らず、心の底から驚いた。

今日はソロ特集で、女性歌手のカバーなども流れていたがどれもとにかく上手い。そして爽やか。一時間じっくり聴き入った。これはもうCDを手にするより他に無いと確信した。しかし一時間ずっと聴いていたのに、最後まで歌声とデーモン閣下の外見がリンクせず、歌声から閣下のご尊顔をイメージすることが出来なかった。話し声しか知らなかったため、もっと濁った声だと思っていたのだ。それが予想外の爽やかさ。悪魔の声とは思えない。

明日は聖飢魔IIの特集をやるそうなので、明日も二十三時にはパソコンの前に待機できるよう手筈を整えるつもりである。楽しみだ。


2011年11月27日 (日) 緑茶カウント:6杯
この日記によると己は十月十日にジーンズを新しくしたらしい。すると一ヶ月と十七日経過したことになるわけだが、既にジーンズがゆるゆるのガバガバになってしまっているのは一体どうしたことだろう。

どうしたもこうしたも無い。痩せたのである。

結構なお値段がしたのに。頭を抱え無いではいられない。しかも同時期にもう一本、ズボンを購入していたが、当然そちらもゆるゆるのガバガバ。言うまでも無い。痩せたからである。

時期が悪かった。二ヶ月ほど前、己は普段よりも太っていた。今より三キロ多かった。そのピークを過ぎてちょうど元の体重に戻り始める時期に二本買ってしまったのである。何故ならどうしても必要だったから。買わないわけにはいかなかったのである。そして結果がこのザマだ。

三キロはでかい。体から新生児が消滅したようなものだ。そりゃあズボンもゆるくなる。合点は行くがとても悔しい。とはいえ、体重が戻らないままでもそれはそれで困るのだが。戻ってくれたこと自体は歓迎すべきことではあるが。

一体どうしてくれようか。体のサイズをズボンの方に合わせるのも馬鹿らしい。無論実行する気は無い。お直しをするのも近所の店では結構かかる。さりとて新しく買い換えるのも出費が嵩む。だからと言ってこのまま履き続けるのも不恰好。悩みどころである。

とりあえず現状はベルトで無理矢理締めてやり過ごしてはいるのだが。いまいちやり過ごせていないのが悲しい。


2011年11月26日 (土) 緑茶カウント:4杯
サラサラになった卵液を床と壁にブチ撒けて、真っ二つに割れた卵の殻を掴んだまま、腰をひねった姿勢で己は数秒立ち止まっていた。開けっ放しの冷蔵庫のドアー、床、壁の上に弧を描いて卵液が落ちている。腕を振るった軌道を飛んだ卵液。己はただ、冷蔵庫から卵を取り出そうとしただけなのに。

味噌煮込みうどんを作っている最中に起こった悲劇だった。野菜を切り、水と酒と醤油と出汁で煮て、味噌を溶かしてうどんを入れ、蓋をして煮込み、最後に卵を落として完成させようとしたときだった。勝手知ったる冷蔵庫の扉を開き、ドアーのポケットの一番上に配置された卵を掴み、ひょいと取り出そうとした。指に力は入れていない。卵の殻の固さくらい熟知している。しかし卵を持ち上げて鍋の方に持って行こうとスッと腕を振るったら、卵の殻の下半分が吹っ飛び、溶けた卵液が台所のある廊下の上にブチ撒けられ、指先にあるはずの重さが一瞬にして吹っ飛ばされた感覚に驚愕し、妙な叫び声をあげ、目の前の光景に呆然としていた。

臭いは無い。しかし鮮度は落ちている。白身と黄身はかろうじて分離していたようだが、黄身はブチ撒けられる前から形を失くしていたようだった。卵が収納されていた容器を確認すると、卵の殻が三欠片ほど落ちていた。恐らく、何かの衝撃で卵にヒビが入っていて、冷蔵庫の中にあった間は何とか形を保っていたが、持ち上げた拍子に崩れてしまったのだろう。

鍋の火を止めて床と壁の拭き掃除をしている間に、うどんにはバッチリ味が染みた。あぁ、どうしてよりにもよって白い壁の上に黄身がかかってしまったのだ。少しとはいえ。ティッシュでおおまかに卵液を集めて捨て、固く絞った雑巾で何度も丹念に磨くように拭いた。掃除の手間は思ったほどでは無かったが、あのサラサラになった卵液がブチ撒けられた光景を目にしたときの疲労感。己はただ、卵を落とした味噌煮込みうどんを食べたかっただけなのに、どうしてこんな悲劇に合間見えなければならぬのか。思わず全てをかなぐり捨ててこたつに引きこもりたい気持ちになった。しかしそれをすると今度こそサラサラの卵液は本格的に腐敗を始めるので、腐敗を始めなくても床にブチ撒けられた卵液の存在をうっかり忘れて湯を入れようと台所に赴き、ぐちゃっと踏んでしまうことも考えられたので、踏まなくても虫がたかると嫌なので、我慢をして掃除を決行した。味噌煮込みうどんは美味しかった。新しい卵もきちんと落とした。床は結構綺麗になった。壁には不安が残っている。


2011年11月25日 (金) 緑茶カウント:4杯
楽しみにしていただけにがっかりした。久し振りに大学の友人とわいわい話せると思っていたのに、明け透けに妄想を垂れ流す一人の腐女子のせいで全然楽しめなかった。しかもその娘、同じ大学の友人では無く、ただの友人の友人であり、自分にとっては他人に等しい。ちょっと男同士でふざけ合っただけで大喜びし、キャーキャーと興奮してもっととせがむ。率直に言って嫌いだ。

こうして居心地の良い空間が侵食されていくのだな。ため息一つ。胸糞悪い。己の心の狭さにも。


2011年11月24日 (木) 緑茶カウント:3杯
大学時代、よく遊びに行っていた友人の家があった。そこは寮の一室で、毎日誰かが入り浸るほどでは無いが、軽いたまり場になっていた。部屋の主は人好きの寂しがり屋なため、人が来ることを歓迎し、しかし過剰にもてなしはせず、遊びに来る人々も勝手に布団を出したり食器を出したり料理を作ったり、好き勝手にそこで過ごしていた。

自分がその友人の家に行くときは大抵泊まって翌朝、もしくは昼に帰宅していた。宅呑みをし、そのまま泊まることが多かったのである。複数人で泊まったこともあれば一人で世話になったこともあった。友人の家には懸賞で充てたという大画面テレビがあり、本が壁という壁を多いつくし、それでもあぶれた本の山が床の上にも積み上げられていた。ユニットバスにはシャンプーの他、ほとんど中身の減っていない化粧水が置いてあった。泊まりにきた友人が置きっぱなしにしたものらしい。友人は律儀な男で、泊まりにきた人々が置いていった歯ブラシさえ、次に来たときのためにきちんと保管をしてくれるのだ。「この化粧水は百均で買ったんだよ」「まだ使えんの」「わかんない」

冷蔵庫に食料は少なく、あるものもよく見れば期限が怪しい。とてつもなく頭が良いのに食品の衛生と栄養には無頓着で、一度鍋一杯にカレーを作ってやったことがあったのだが、夏場であるにも関わらず台所に放置し、腐らせてしまったと言っていた。腐る・腐らないがわからないのである。信じられないことに。

大人数で押しかけるときには途中でスーパーに寄り、業務用の冷凍食品や菓子、酒、食材などを大量に購入し、料理の出来る者が台所に立ち、ゲームをしたいものがコントローラーを握り、茶々を入れたいものが画面に向かって野次を飛ばし、飽きたら大画面でyoutubeを観るなどして大いに楽しんだ。その家は己にとってまるで別荘のような存在で、大学卒業後同じように遊びに来ていた友人と話をしたら、彼も同様に感じていたと言っていた。

「あの空間が無くなっちゃったってのが寂しくてさぁ」

「わかるわー。大学時代の象徴っつーか、俺らの秘密基地っつーかね」

「そうそう。まぁいつまでもあるとは思っちゃいなかったけどさ」

「寂しいよなー」

「恋をするって言うのがよくわからない」と、理解出来ない自分自身に困惑しながら大真面目に語っていた部屋の主は今、恋人の部屋で暮らしている。「あいつのさー。恋愛がわからんってとこがまた好きだったんだけどなー」「格好付けじゃなくて本気で言ってたもんなー。そんでよくわからない見合いをしたり」「あれは全く意味不明だった。それでいて面白かった」「大人になったんだねー」「大人になったんだなー」

大人になったんだなー。


2011年11月23日 (水) 緑茶カウント:5杯
こたつを出し、籠にみかんとドライジンジャーの袋とカンロのど飴を盛り、保温ポットを洗って沸かした湯を入れ手の届く場所に置き、愛用の急須には茶葉、マグカップには注いだばかりの緑茶、肩には紺色の半纏を羽織り、すっかりと冬支度を整えてのほほんと温まっている。あぁ、至福。

ところでこのところ入浴剤に凝っている。凝っている、と言っても入浴剤の使用を始めてからまだ二週間も経っていないのだが、雑貨屋にある変わったものや近所のドラッグストアーにある普遍的なもの、それらの中からばら売りしているものを選んで、毎日日替わりで使用してみた。変り種では、あの三角の形をしたイチゴミルクキャンディーの香りがする入浴剤も試してみた。見事に風呂場に甘ったるい匂いが充満し、面白くはあったが一度で満足する香りであった。

他に、ゆず、生姜、桃、木の実、オレンジなどを入れてみたが、一番好みに合ったのは無印良品で購入したレモングラスの入浴剤だった。袋の中身を湯船に空けた瞬間、サァーッと爽やかな香りが広がって、何とも言えない爽快感と清涼感に包まれて、いつまでもその香りを嗅いでいたい気持ちにさせられた。

もともと柑橘系の香りが好きだったので、気に入るような気はしていたがこうもドンピシャだとは思わなかった。ゆずの香りのバブもなかなか良かったが、あの一瞬して浴室の空気が入れ替わったかのような爽快さには及ばない。無印良品の入浴剤には大きなパックもあるようなので、時間を見つけて買いに行きたいと思う。この冬はレモングラスをリピートするつもりだ。


2011年11月22日 (火) 緑茶カウント:0杯
あまりの寒さに絶望している。明日こそはきっとこたつを出さなければ生きていけないかもしれない。どうしてこんなに寒いのだ。早く夏が来て欲しい。


2011年11月21日 (月) 緑茶カウント:4杯
ミスフルが面白い。ミスフルの面白さは「あぁっ! ちょっと待て! そこは違う! 何か違う! いやそこも大事だけどその前にそれがおかしいまずおかしい! 何で皆スルーするんだよー!」と思わず本に向かって叫びたくなる、いつまでもズレが噛み合わないもどかしさから感じる作中世界との距離感と、唐突にぶっちゃけ話が始まって暗黙の了解としてスルーされていた事柄に突っ込みが入る爽快感にあるだろう。そして行き当たりばったりのキャラ作りとしつこいまでの描き込み。たまらない。

可能であれば全ページに突っ込みたい。特に蛇神が登場してからはすごい。どう見てもこいつが一番狂っているのに、作中では常識人ポジションにいるのがすごい。とんでもない。素晴らしい。文庫版に書き下ろされたおまけページではさらにキャラが壊れていき、あなた方どうなすったの、と突っ込みを入れたくなるので一人部屋で入れている。マジで念じる五刻前。


2011年11月20日 (日) 緑茶カウント:2杯
今朝から冬になったのか、唐突に冷え込みが厳しくなっていて驚いた。しかし昨夜布団に重ねた毛布は床の上。熱かったのか。こんなに寒いのに。

そういえばこれまでヒートテックを着用したことが無い。寒さを感じるのは苦手だが、あまり寒さを感じないので防寒対策はさほど練らないのである。とはいえ今日は厚手のジャケットを着て外に出た。薄手のロングパーカーにしようかと思ったが、いくらなんでもこれは寒かろうと判断したのである。

寝巻きも今日から長袖に替えた。昨日までは半袖の上に半纏を羽織るという、毎度の事ながらわけのわからない格好をしていたが、これでようやく辻褄が合った。明日は保温ポットを出してこよう。やかんが冷めるのも早くなったものだ。こたつの出番もそろそろか。


2011年11月19日 (土) 緑茶カウント:6杯
告白しよう。歩数計に飽きたことを。購入してから一ヶ月未満。我ながら早いと思う。

持ち歩くのは楽しい。歩数や距離を確認するのも楽しい。消費カロリーの表示を見て、歩行で使われるエネルギーの少なさに、貯金箱一杯に貯めた一円玉貯金の総額を数えたときのような、努力の割りに報われない気持ちになるのはやや、飽きた。ちなみにこれは例え話であり、一円玉貯金の経験は無い。

話が逸れたが、歩数計を歩数計として利用するのは楽しいのである。ただ、何千歩歩いた、というデータをパソコンに送り、管理することには飽きてしまった。というのも、特にダイエットを目的にしているわけではなく、単に平日と休日の歩数の違いと、たくさん歩いた日の歩行距離を知りたかっただけだったので、数週使って一日に歩く距離の平均値をだいだい把握すると、もうデータ管理までしなくても良いな、と己の脳が判断してしまったのである。

歩数よりも緑茶カウントの方がデータ管理したら面白いかもしれない。そういえばこの緑茶カウントもとっくに一年以上続けているはずである。初日から今までのカウント数を合計したら軽く千杯は超えそうだ。そろそろ血液が緑色になってきているかもしれない。

また話が逸れたが、データ管理は飽きたものの歩数計は今後も持ち歩く。ちなみに今日は彼のデータによると八百五十二歩しか歩いていないらしい。一日家にいたことがバレバレな数値である。帳尻合わせに明日はちょっと出かけよう。


2011年11月18日 (金) 緑茶カウント:5杯
先週行った串カツ屋に今週も行った。先週気に入ったメニューを中心に注文し、おでんも食べ、ビールを一杯呑んで二千円以下。食事と考えると高いが、呑み代と考えれば安い。やわらかい大根を箸で崩してほふほふ食べながらカウンターの向こうに立つ店員のにーちゃんと喋る。二人立っているが、二人とも先週とは違う人だ。

このにーちゃんが何かビクビクしていた。話しかけてくれるので返答をし、こちらも話しかけるのだが、声をかけるたびに目が泳ぎ、ビクッと体を引いている。挙動不審で喋ろうとするにーちゃんの横でもう一人のにーちゃんは黙々と料理を作っている。

「そういえばおでん食べるの、これが今年初めてです」

「はっ、はい! おめでとうございます!!」

何がおめでたいのかよくわからないが、このにーちゃんがどうしてビクビクしながらちょっとズレた返答をするのかはわかる。身に覚えがあるからわかる。多分、よく知らない人と話すのが苦手で、咄嗟の切り替えしが出来ないのである。

自分もよく、知らない人と話すと頓珍漢な返しをしてしまうことがある。特にこれから関係を深めなければいけないが、ほとんど初対面という微妙な立場の人と話すのは苦手だ。呑み屋でカウンターで話すのはまだ良い。面倒くさくなったら行かなければ良いから、気負いせずに喋ることが出来る。

よく知らん人と喋るのが苦手なのに、一所懸命サービスをしようとしてくれているけど、追いついてないのだなぁ、と思いつつ揚げてくれる串カツを食べ、ビールを呑んだ。

そう言えば串カツ屋では容器に入ったソースに串カツを突っ込んで食べるのだが、今日出してくれたソース壷にはソースがなみなみと補充されていて、たくさん入れてくれるのは嬉しいが、肝腎の串カツを突っ込むとソースが溢れそうになり、気持ちは有難いもののちょっと困ってしまったのだった。そのなみなみのソース壷とこのにーちゃんは少し似ているかもしれない。

そんな気を遣ってくれんでもいいよ、放っておいてくれても構わないんだよ。心の中で呟きつつ、しかし店を出る頃にはわりとスムースに会話が出来るようになった。会計をして帰宅する道すがら、きっと自分もこのように人に気を遣わせているのだろうなぁ、とぼんやり思った。自分と会話をしているようだった。


2011年11月17日 (木) 緑茶カウント:2杯
何も考えないでカレーうどんを作ったら、汁気のほとんど無いネトネトのカレー玉のようなカレーうどんが出来た。暗黒カレー饂飩と名付けた。喰ってみたら非常に味が濃かった。わかる、これはきっと、ルーを入れる数を間違えたことが原因だろう。熱湯を注いでみたらスープカレーうどんになった。量の調整が出来ない日。


ウェブ拍手レス
(11月17日21時の方へ)拍手ポチポチありがとうございます!
いえいえ。広告については以前からご指摘を頂いていたので。むしろ対応が遅くて申し訳ない! 自分がスマートフォンユーザーじゃないので、ついつい後回しになっていたんですよね。

「しょうがのまんま」早速食べてみました。薄手でピリッと辛くて美味しいですね。無印のはスライス生姜ではなく生姜の塊を干したものなので、同じドライジンジャーなのに異なる味わいを楽しめてお得な気分でした。「パリパリごまわかめ」のチェックします。緑茶に合いそうですね。


2011年11月16日 (水) 緑茶カウント:3杯
一段落着いたので安心して眠る。今週末は気を抜こう。


2011年11月15日 (火) 緑茶カウント:1杯
冗談では無く、普段の三倍近い量の夕飯を食べた。非常に満足したがちょっと疲れた。

しかしエネルギーは充填出来た。少しばかり忙しいがもう一踏ん張りである。頑張ろう。


2011年11月14日 (月) 緑茶カウント:0杯
不可解なことが起こった。朝、衣装ケースからシャツを引っ張り出し、顔を洗ってタオルで拭いた後に頭から被って袖を通した。違和感があった。しかし思い違いだろうと思い、スプレーで髪を塗らしてジェルで形を整えようとした。また違和感。ほぼ確信していたが、まさかと思う気持ちが強く、しかし気付かぬ振りもしていられず、意を決して着たばかりのシャツを脱いだ。脱いだシャツをまじまじと見つめる。思い違いでは無かった。

だがわからない。何故、この洗濯をして干して畳んでしまいこまれていたはずのシャツから、汗の臭いがするのだ。

脱いでそのまま放り出し、取り込んだ洗濯物と混ざったのか? それとも洗濯をしても臭いが落ちなかったのか? 前者はともかく後者はありえない。ライブでもみくちゃになり、自分と他人の汗でぐしょぐしょになったシャツでさえ、洗えば洗剤の香りがするのである。すると前者か。前者なのか。

未だ信じられない。信じられないがシャツが汗臭かったのは事実であるので、リセッシュを吹きまくった後に洗濯籠に突っ込み、別のシャツを着て身支度を整えた。それにしても、あの綺麗に洗濯されていると信じ込んだシャツに袖を通した瞬間に、あるはずの無い臭いを感じたときのあの不気味さ。些細なことだが、ありえないことが身に起こるとこうも気味が悪く感じられるのか。怖かった。


2011年11月13日 (日) 緑茶カウント:7杯
作業をするために机の上を片付けるために本棚を整理した。この機会に色々、読んでない本は処分しようかと思ったが、たったの三冊しか対象にならなかった。そして今、机の上で聳え立っていた本の塔は床の上に移動している。しかしこんな具合でも整頓はだいぶ出来たので満足した。三冊は来週処分する。

さぁ、今週は忙しいぞ!


ウェブ拍手レス
(11月13日11時の方へ)メッセージありがとうございます。
忍者が原因でしたか! 調べてくださったんですね、感謝です。
うーむ、では、いくらなんでもあの広告は酷いので、忍者に代わるアクセス解析を探しつつ、サイトのお知らせ欄あたりにメニューを作ることを考えてみます。
ちょっと今週はだいぶ忙しいので後々にはなるかと思いますが。お待ちください。

あ、「しょうがのまんま」探してみますね。どんなのだろう。楽しみです。


2011年11月12日 (土) 緑茶カウント:0杯
無印良品が結構好きだ。シンプルで使いやすく、機能的で値段も手頃。我が家の食器の一部、こたつ、ドライヤー、クッション、カーペット、カーペットのコロコロ、ゴミ箱、収納ボックス、体重計は無印良品のものだ。

無印良品の食べ物も好きだ。紅茶の類は種類が多いし、量もちょうど良いので色々試せて楽しい。パスタソースも気に入っている。そして何と言っても菓子類だ。スーパーやコンビニではそこまで吸引力を感じないのに、無印の菓子コーナーの魅力たるや凄まじい。つい余計なものまで買ってしまうから困ったものだ。

今日はノートを買うために無印に行ったが、ノートだけ買って帰るのも味気ないので店の中をぐるりと見て回った。衣服、家具、収納用品を見て周り、辿り着いた菓子コーナー。特に何かを買うつもりはなく、自制をするつもりだったが、気付いたらカゴを手に取っていた。ノート一冊買うだけのつもりだったのに。

抗えなかったのも仕様が無い。あれはもう仕方が無い。だって己の大好きな、生姜が使われた菓子の新商品が、いくつもいくつもドドーンと売られていたのだから。

大好きなのである。常に冷凍生姜のストックを持ち、スープはもちろん、紅茶にも入れ、炊き込みご飯の具にもし、千切りにした生の生姜をそのまま食べることもある。辛かった。流石に千切りはやりすぎたかと思って反省したが、あの辛味と香りが大好きでたまらないのである。

今、我が家にはジンジャーマンクッキーとドライジンジャーと、ジンジャーチャイとミルクのチョコと、オレンジジンジャーティーとルイボスジンジャーチャイがある。まだ全部の封は開けていないが、ドライジンジャーがびっくりするほど美味しくて感動した。こんなに美味しい食べ物があったのか、と感じ入るほどだった。無印良品のお客様センターにお礼を申し上げたいくらい美味しかった。

この様子では近いうちに今日買わなかった商品にも手を出してしまいそうである。ありがとう無印良品。たまらない。


ウェブ拍手レス
(11月12日13時の方へ)メッセージありがとうございます。
おや、また広告が出てきましたか。うーん何が原因なんでしょう。
サイト自体は広告の出ない有料サーバーなので、広告が出るはずは無いのですが。困ったものですなぁ…。


2011年11月11日 (金) 緑茶カウント:2杯
オーケンが筋肉少女帯はビジュアル系だった、という話をするたび、ハッハッハッハッ御冗談を、と本気にせずに笑っていたのだが、今日入った串カツ屋で、鶏、豚、牛、エリンギ、ちくわチーズ、ささみチーズ、などを食べつつビールを呑み呑み、ホイホイと串カツを揚げてくれるにーちゃん二人と喋っていたら、「筋肉少女帯ってビジュアル系の?」と言われた。

店内に流れる音楽に懐かしいものが多く、誰の選曲ですかと尋ねた流れで、好きなバンドは筋肉少女帯であることを口にした。そして返って来た言葉がビジュアル系。にーちゃん二人は三十代前後。「大槻ケンヂってあの左目のとこに線が入ってる…」「ソバージュみたいな髪型の」「そういえば最近あんまりテレビで観ないですよね」とも言われた。二人のにーちゃんのうち、一人はジャンヌダルクというバンドが好きらしい。確か友人が良くカラオケで歌っていたように思う。そうかビジュアル系か。

全く本気にしていなくてごめんね大槻さん、と思いつつ、今はモヒカンなんですよ、と最新情報を伝えてきた。


ウェブ拍手レス
(11月11日22時の方へ)メッセージありがとうございます。
おお、iPhoneで見られるようになりましたか! ということは広告が消えたということでしょうか。しかしいったい何の広告だったのか…謎ですな。
CCCDはいつの間にか無くなったような気がしますが、もしかしたら今もどこかで生き残っていたりして。不便な代物でしたねぇ。


2011年11月10日 (木) 緑茶カウント:2杯
爪の甘皮を押す、という話を聞くたび、熱心に押し過ぎて押しすぎた挙句、見えてはいけないところまで見えてしまった人もどこかにいるかもしれない、と想像して、いつも背筋がゾッとする。

爪の根元の先というか。肉というか。怖い。


2011年11月9日 (水) 緑茶カウント:3杯
歩数計を購入してから意識して歩くよう心がけるようになった。元より歩くのは好きな方だが、尚更歩くようになったのだ。だって値が少ないと悔しいから。少しでも大きい値をを残したいから。そうしてムキになってしまい、ふらふらふらふらと歩き回ってしまうのだ。

渋谷駅から東京タワーまで歩いて行ったときは楽しかった。東京タワーが見えたから、という理由だけで赤い塔を目印に、ひたすらテクテク歩いた挙句、タワーに着いたら雨が降り、雷鳴が轟き、土砂降りの中最寄り駅を探して帰宅したのだ。学校帰りに。阿呆なことをしたものだ。

この間の休みには一万六千歩歩いたので、次の休みには二万歩を目指したい。ただ、次の休みに歩き回るだけの余裕をとれるか現状では不安なところなのだが。今月はやや忙しい。だいぶ頑張らないと乗り切れない。

いや、忙しいからこそ気分転換に散歩をしよう。そうして家々の表札を見て回り、変わった名字を発見して喜ぶのだ。これがなかなか、楽しいのだ。


2011年11月8日 (火) 緑茶カウント:3杯
昨日。日記を書いた後に気付いたが、アップロードこそしてないものの、ポルノグラフィティのベスト盤二枚を手に入れた頃の日記は手元に残っているはずである。今までに書いた日記は全て保存しているのだ。

そこで該当の日記を探してみようと思い、ちょっと昔の日記を読んでみたら、既に記憶していない出来事があれやらそれやら。確かにこれは己、もしくは己の周囲の人々の行動に相違ないと思いはするが、どこか他人の出来事を見聞きしているような、そんな不思議な感覚があって面白かった。日記では省いた細かい事象を思いだせるものもあれば、細部を埋められないものもある。

ポルノグラフィティについて書いた日記は見つからなかった。もしかしたらクリスマスプレゼントではなかったかもしれない。誕生日プレゼントだっただろうか。そう言えば暑い季節だったような気もする。どうだろう。また明日探してみようか。


2011年11月7日 (月) 緑茶カウント:0杯
久し振りにたっぷりとポルノグラフィティを聴いている。懐かしい。高校の頃アゲハ蝶を気に入ってシングルを買い、その後誕生日プレゼントに二枚のベスト盤を買ってもらって、繰り返し繰り返し何度も何度も聴いていたのである。学校に小型のCDプレーヤーを持ち込んで、休憩時間中、教室にいるときはずっと聴いていた。

懐かしいと言えばこのアルバムをパソコンに取り込むには苦労がいったのだ。そう、コピーコントロールCD。違法コピーを防止するために作られたCDだ。CCCDはしっかりとその働きを成したため、パソコンにデータを取り込むことが出来なくなり、手前の持ち物であるにも関わらず、しばらくはMP3プレーヤーでポルノグラフィティを聴くことが出来ずにいた。その後そのあたりに詳しい友人のお陰で何とかデータを移すことは出来たが、未だに自力では出来ないため、もしこのパソコンが何かの拍子で壊れてしまったら、また取り込みに苦労することになる。難儀なものだ。

あのCCCDは今でもどこかで生き残っているのだろうか。不便な代物だったなぁ。


2011年11月6日 (日) 緑茶カウント:5杯
高校時代の体育の思い出がふと蘇り、あれは全国的に見て普通だったのだろうか、と数秒考え込んでしまった。洗濯物を干しながらのことである。

体育の思い出といえども、体育の授業そのものでは無い。体育の時間に着るジャージにまつわる思い出だ。半袖のシャツとハーフパンツ、冬場に上に着る長袖のジャージで一揃えであり、恐らくこれは全国不変の組み合わせで無いかと思う。問題はこの上に着る、ちょっとゴワゴワするジャージである。何、材質やデザインは問題では無い。問題はこれの扱い方だ。

統計を取ったわけではないので正確な数値はわからないが、感覚的に見て、結構な人数がジャージを教室に置きっぱにしていたのである。

男子も。
女子も。

置きっぱにするとはいかなる意味か。つまり、体育でそれを着て、運動して、脱いで鞄にしまった後、その鞄を自宅に持って帰らないのである。週一か月二か頻度は知らぬが、とにかく複数回使用してから持って帰って洗濯していたのである。体育で使った後のジャージを。

確かに直接肌に触れるのは下に着ているシャツとハーフパンツであるので、シャツに比べれば汚れは少ないと言えるだろう。しかし汗を吸収し、土や埃にまみれたものを次回の体育でまた着るのは気持ちが悪くなかったのだろうか。気持ちが悪くなかったから着ていたのだろうが、毎回持ち帰って洗濯をするのが当然と考えていた自分にとっては結構なカルチャーショックだった。

ちなみに置きっぱにしていたのは特に変わった人達ではなく、クラスの中でも目立つグループにいた人々や、普通の人々だった。その他の人達も置きっぱにしていたのかもしれないが、詳しく調べたわけではないので知らない。どこの学校もそんなもんだったのだろうか。真相は不明だが、ただただ不可解な思い出である。


2011年11月5日 (土) 緑茶カウント:0杯
愛用の外套をクリーニングに出した。そこは初めて入る店だったので、店員のおばちゃんはあれこれと、営業時間や仕上がり時間、各種サービスについて説明してくれた。立て板に水とはこのことだろうか。流暢にペラペラと喋るおばちゃんにうんうんと相槌を返しながら話を聴く。

「毎月基本料金が四割引になる日がありまして、大抵月末なんですけど不定なんですね、だいたいはお葉書などでお知らせしてるんですけど今月はどうかしら、確か先月よりもあらーあなた面白いペンダントしてるわねーそれ何? 変わったのがあるのねー素敵だわー確か先月よりも早くなるんだったんじゃないかしら、決まったらお店でも貼り紙を出すんで是非ご覧くださいねー」

お気付きいただけただろうか。割引サービスの説明の途中でサラッと唐突に、己が首にかけていたペンダントのデザインに触れ、何事も無かったかのようにサラッと本筋に戻ったのである。

おばちゃんの言うように、己はちょっと変わったモチーフのペンダントを首にかけていた。デザインについて面白い、変わっていると人に言われることも少なくなく、自分自身もその変わったモチーフを気に入って購入したのでその感想自体には特に驚かないのだが、あまりにスムースに、説明口調のままその部分に触れられ、そのくせ触れた直後には全く興味が無くなったかのように、あっさり話が元に戻ったそのスピード感、文章では伝わらないかもわからないが、置いてけぼりにされた感覚は結構なものだった。うん、うん、うん、うん、えっ、えっ!? あれっ。

そういえばふと思い出したが、外套をクリーニングに出すために、レジ脇に立つそのおばちゃんの前まで歩いていこうとしたとき、レジまであと数歩というところで「あ、ここは違いますよ」と何故か何かを否定され、Uターンをさせられそうになったという出来事があった。何が違うのかさっぱりわからなかったが、クリーニングが出来ないと困るので正直にクリーニングをしてもらいたい旨を伝えると、「えっ!? お客さんだったんですか!?」と非常に驚かれた。その後は普通に対応してもらい、無事外套を預けることは出来たが、おばちゃんの目に己はどのように映ったのだろうか。

よくわからないが面白かったのでまた行ってみようと思う。興味が湧いた。


2011年11月4日 (金) 緑茶カウント:0杯
声がやや、元に戻った。咽喉が治ったのである。

このハーブティーはなかなかすごい。元より体温が高い方であるのだが、たった三杯飲んだだけで額に汗が浮いている。その間己は台所と自室の間を数度往復しただけで、ほとんど座ったままであった。あんまり暑いので羽織っていた半纏も脱いでしまった。今は半袖の寝巻きを上下で二枚着ているだけである。

とはいえ油断は大敵だ。きちんと加湿器の購入を検討しなければ。明日はパンフレットを熟読しよう。


2011年11月3日 (木) 緑茶カウント:0杯
声がやや、低くなった。咽喉を痛めたのである。

本日は美術館でイラストの展示を眺め、電器屋で加湿器を探し、そこらを歩き回って帰宅し、夕方から夜までグースカ寝た。健康で文化的な生活かどうかは別として、なかなか楽しく過ごせたので、今は満ち足りた気持ちで急須でハーブティーを飲んでいる。咽喉と鼻を清涼感が駆け抜けて、体温がじわじわと上昇した。ユーカリやレモングラスが入っているらしい。

今晩も寝る前に濡れタオルをぶん回し、マスクを装備して布団に入ろう。良い加湿器が手に入るまでの辛抱だ。


2011年11月2日 (水) 緑茶カウント:2杯
宅配便に叩き起こされた。玄関チャイムの音に反応して目を覚ますと薄暗い部屋にカーテンから漏れた日の光が差し込んでいる。叩き起こされたとはいえ、早朝でも無ければ朝でもない。人によっては昼に近い時間帯、荷物の配達指定もしていないので、安眠を妨害されたものの配達人に非はまるで無く、顔も洗わずドアーを開け、サインをして荷物を受け取った。

もう届いたのか、早いな、とAmazonの箱を眺めつつ思う。中身は歩数計と漫画である。漫画は本屋にも古本屋にも無かったもので、数年前に雑誌で連載されていた頃、心に留まった作品である。最近、同作者の別の作品を買ったきっかけで思い出し、もう一度読んでみたくなり購入を決意したのである。

どちらも待ちわびた品であったが、のそのそと布団に戻り、二度寝した。今は既にどちらも開封済みで、歩数計は六千歩を記録し、漫画も既に読み終えた。連載当時、これはどうよと思ったラストの展開も、いかがなものかと思うことに変化は無いが、こいつらが安寧に生きていってくれれば良いな、と昔よりも平静に思った。作者は 西炯子、タイトルは「双子座の女」である。


2011年11月1日 (火) 緑茶カウント:2杯
「すごく素敵な骨格標本の図鑑があってさー」
「マジでー? 欲しい!」
「欲しい!」
「欲しい!」
「買いたい!」
「頬骨弓にはまっててさー」
「マニアック過ぎてどこだかわかんねー」
「名前わかんないけどさー、上腕にある二本の骨が好きでさー」
「わかるわかる指突っ込みたくなるよね!」

あぁ、懐かしきこの感覚! こんな話で盛り上がれるのって、やっぱり良いなぁ!
久し振りに大学時代の面子と複数人で会話をした。感覚を共有できる喜び。楽しいなぁ。


2011年10月31日 (月) 緑茶カウント:2杯
部屋が乾燥するのである。去年の今頃も乾燥していたのである。よって恒例行事であり、咳が出るのも恒例行事と言えなくも無いが、そんなものを年中行事に組み込む趣味は無いので、とりあえず室内に洗濯物を干しているのであるが、あっという間に乾くのである。カランカラン。

洗濯物が乾くのは宜しいが、咽喉がカラカラになるのは困るのである。意識があるうちならばいくらでも水分を摂取出来るが、就寝中は出来ないのである。マスクをして眠る手があるが、大概起床時には外れているのである。邪魔だから。なのである。

そういえば去年の今頃は部屋中に霧吹きで霧を吹いてやり過ごしたなぁと思い出して部屋をぐるりと眺めたら中身の入っている霧吹きがあって、君はもしかして去年からずっと、と思うとちょっと気持ち悪く、流石にそれをそのまま吹くのは病気になりそうなので、今夜は濡らしたタオルを吊るして眠ろうかなぁ、などと考えている。緑茶を飲みながら。

湿った夏が恋しいのだよ。


2011年10月30日 (日) 緑茶カウント:3杯
ちょっと良い歩数計を注文してしまった。来月の頭に届くと言う。楽しみだ。


2011年10月29日 (土) 緑茶カウント:3杯
本日は整体に行って体を解してもらい、その後、八百屋、パン屋、銀行、服屋、本屋、古本屋、CD屋、電器屋、アクセサリー屋を巡り歩き、へとへとになって帰宅したが、戦利品は余り獲られず、半分以上はネット通販で買うこととなった。

良い運動にはなったが隠し切れない徒労感。疲れた。疲れたが、夕飯は既に冷蔵庫の中にあったので、手間をかけずに美味しい料理を腹いっぱい味わうことが出来た。へとへとに疲れて帰ってから料理をするはめにならずに済んだのは良かったと思う。用意をしていた自分を褒めたい。

明日は古本屋にだけ行って、それからは家でゆっくりと過ごす。開けていないCDでも聴こうかな。


2011年10月28日 (金) 緑茶カウント:3杯
まだ三度しか通っていないのにすっかり顔を覚えられてしまった定食屋。夜遅くまでやっていて、夜遅くにも関わらず安価で美味しい御飯が食べられる。白米、味噌汁、漬物、サラダ、小鉢にメイン料理、お茶。そして袋に入った飴玉を一つ。食器はどれも重みがあり、安価な定食屋にありがちなプラスティック製でないことが己を喜ばせてくれる。このザラリとした手触りと重みが嬉しい。

この店で食事をしたのは三度目だが、持ち帰った飴玉は未だ口に入れていない。己はいつも、深夜この店を出るときに、幸せな満腹感に浸っている。ポケットには飴玉がある。この、飴玉をもらって帰るという行為が楽しくて、子供に帰ったような心地がして、この飴玉を持ってさえいればきっとどうにかなるのではないか、と思ってしまうのである。

体と心に栄養が得られる、大事な休息場所である。今日の定食も美味しかった。月に一度か二度は行きたい。


2011年10月27日 (木) 緑茶カウント:3杯
あー、万歩計が欲しいなぁ、と思いつつ、今はどんな万歩計があるのだろうとカタカタ検索し、カチカチといくつかのページを手繰ってみれば、すごいものだよ。カロリー消費量の測定だけでなく、歩行距離の計測、データ管理、パソコンとの同期機能、物によっては防犯ブザーまでついていて、携帯電話だって電話のくせにあれだけの機能がついているのだから、万歩計が進化していたところで何の不思議も無いはずなのだが、シンプルなイメージが覆されてついつい感動してしまったのである。

すると俄然欲しくなる。元より欲しいと思ってはいたが、今週中には手に入れたい、出来ることなら明日電器店に向かいたい、と思うほどまでテンションが上昇している。色々な機能のものがあるが、歩行距離を計測出来るものが欲しい。散歩に出かけて歩くだけ歩いても、道に迷ってどこをどれだけ歩いたのかわからなくなってしまうことがよくあるが、距離がわかれば満足感を得られる。今、半袖の上に半纏を着てパソコンに向かっているが、長袖よりも万歩計が欲しい。買いに行こうか。行ってしまおうか。欲しいなぁ。


2011年10月26日 (水) 緑茶カウント:2杯
急に寒くなってきたので戸惑っている。昼はともかく夜が寒い。ついこの間まで半袖で過ごしていたというのに、今はその上に半纏を羽織っている。それなのに未だ厚手の服をほとんど買い足していないのだから困ったものだ。この間も半袖のTシャツを買ってしまった。まぁ、それはライブの物販で購入したものであるので、特例として捉えることも出来るのだが。

そうそう、筋肉少女帯のライブを観てきたのだ。いろいろと好きな曲が聴けて嬉しかったのだが、よもやまさかの、待ちに待ち望んだ、その日演奏されるとは思ってもみなかった「ゴミ屋敷の王女」が聴けてしまい、もう喜びのあまりに変な声が出て、感極まって泣きそうになって、本当に本当に嬉しかった。今後、予定が合わず参戦出来なかったライブで、ワダチやペテンが演奏されても、ゴミ屋敷の王女さえあの日聴けたなら大丈夫だ。そのくらい嬉しかった。心から嬉しかった。大事な心の糧をもらえた。

余力と時間があればライブの感想も書きたいが、書けないかもしれないのでこの感動だけ書き記した。己はあの、青空を駆け抜けるような、カラフルな色彩の、爽やかで優しい綺麗な歌が大好きなんだ。


2011年10月25日 (火) 緑茶カウント:1杯
ようやく二重に戻ったのである。とはいえ、己はもともとは一重であり、二十歳を過ぎてから二重になったクチなので、一重になったことを戻ったと表現する方が正しいのかもしれないが、左目だけ、まつ毛が見えなくなるほど瞼が腫れ上がってしまったことなど、これまでの人生に一度だってありはせず、やはり二重になったことを「戻った」と表現する方が正しいだろう。

視界に問題は無く、痛みも無く、眼科で処方された二つの目薬を点していたら腫れが引いてきたので大事には至らなかった。アレルギー性の何かだったらしい。やや左目に疲労を感じるだけで今はほとんど通常のそれに戻っているが、一つ腑に落ちないこととして、眼科で診察前に眼の検査を受けることとなり、視力と乱視の具合をかなり熱心に診てもらったのだが、それに関する結果は何も伝えられず検査と診察だけを終えて終わってしまったのである。あの検査はいったい何だったのだろうか。何か一言教えて欲しかった、と、今になって思う。もっと早くに気付けば良かった。


2011年10月21日 (金) 緑茶カウント:1杯
そろそろ己は「とりあえず黒」をやめるべきだと思いつつ、とりあえず黒を抜け出せない。だって便利だから。何にでも合うから。無難だから。汚れても目立たないし。

そんなわけで、明日は黒以外の衣服を身につけて外に出ると心に決めた。カラフルとまでは行かずとも、別の色を身につけよう。グレイとか。紺とか。濃紺とか。

と、言いつつ屈は結局黒なのだがね。抜け出せない。


2011年10月20日 (木) 緑茶カウント:2杯
浮き足立ってしまったのだよ。

一時期は好きだと公言するのが、やや、恥ずかしかった。しかしやはりこれが己にとって大事な漫画である事実は揺ぎ無く、高校時代一番はまった漫画、ジャンプで一番楽しみにしていた漫画、筋肉少女帯にはまるきっかけとなった漫画、「Mr.FULLSWING」が文庫化され、嬉しくて嬉しくてたまらず、浮き足立ってしまったのだ。

連載が終了して五年が経った。連載当初、猿野と同い年だった己はいつの間にか蛇神先輩と同じ学年になり、羊谷には追いついていないが、今では猿野達より十近く歳をとってしまっている。そうか、十年前かと思うと感慨深い。

文庫版のMr.FULLSWINGは、一巻ごとにおまけ漫画がつき、総扉も新しくなり、キャラクター名鑑もついていて、もちろん表紙も書き下ろし。単行本でもおまけページが満載でサービス精神に溢れていたが、文庫本もここまで行くか。発売日のたび、わくわくしながら本屋に向かったあの日の気持ちが表紙を見た途端に心臓から温泉のように湧き出てきて、興奮と喜びがじわじわと全身に浸透した。

就寝までの一時間、たっぷり楽しむこととする。己はこの漫画が本当に大好きだったんだ。


2011年10月19日 (水) 緑茶カウント:2杯
このところ、熟睡しているわりに夢見が悪い。脂汗をかくような内容ではないが、地味に「これは無かろう」と思う内容のそれを見る。

ところでこのところ急に寒くなったように思う。よく意識をして見渡せばコートを着ている人も見かけるようになった。気付けば十月も後半か。この調子ではあっという間に年末が訪れ、来年を迎えてしまうだろう。

まぁ、それはそれで。


2011年10月18日 (火) 緑茶カウント:2杯
ようやく口内炎が塞がってきた。長かった。四つのうちの三つは既に消えてしまったのだが、最後の一つが大物だった。七ミリかける五ミリほどのサイズで、せっかく塞がりかけても喋ると皮膚が引き連れてまた穴が開いてしまうのである。これがもう痛いのなんの。二十五年生きてきて、こんなにひどい口内炎は経験したことが無かった。

そんなわけで、今後は何か人を呪うような場面に出くわした際には、「でかい口内炎が口に二つずつ出来て一つが治った頃新しく別の場所にもう一つ発生して永遠に食欲はあるのに食事への意欲が湧かなくなる」呪いをかけることに決めた。呪い返しには注意をしたい。


2011年10月17日 (月) 緑茶カウント:2杯
ドリフターズが面白いので、ヘルシングにも興味が湧いてきた。今週末は予定があるため本屋に行く時間は取れないが、来週以降に手を出してみようと思う。また一つ楽しみが増えた。


2011年10月16日 (日) 緑茶カウント:3杯
せっかく神社に参ったのに、あまりにも色々ありすぎて、賽銭を投げて拍手打って頭を下げて、何も願わずに帰ってしまった。

好きか嫌いかで言えばそこはそんなに好きな神社では無い。事情があるのは理解するが、それにしても寄付を募るのに頑張りすぎだ。あちこちに設置された大看板がお金をくださいと喚いていて視覚的に非常に五月蝿い。

今日、このあまり好きではない神社に参ったのは散歩の途中に偶然通りかかったからだった。前に来たときと同じように看板はやはり存在感を発揮していて、何だかな、と思いつつも口と手を清めた。通りかかったからには何か一つでも神頼みをして行かなければいけない気になったのだ。義務感である。願えばどうにかなるというより、ここで神様を無視して素通りしたら、後々助けられたかもしれない不幸に見舞われてしまうのではないか、というような。

現状は不安だ。この先どうにかわからない不安だ。ドラえもんが現れて、さっとこの国に蔓延する不安とその根っこを、うまい具合に取り除いてくれないかな、と夢のように思うことがある。自分は若いとはいえまだ成人しているから良い。しかし三ヶ月前に友人が群馬で子供を産んだ。五年後、十年後を思うと心に暗闇が立ち込める。

なーんでこんなことになってしまったのだろうなぁ。神社の石段を降りながら出てきたのは願いではなくボヤキだった。


2011年10月15日 (土) 緑茶カウント:5杯
一日、どっぷり漫画を読んで過ごした。平野耕太の「ドリフターズ」となるしまゆりの「少年魔法士」。少年魔法士は長らく連載が中断されていて、それ以前からも刊行ペースが非常にゆっくりであったため、もう続きは期待出来ないかと半ば諦めていたのだが、ドリフターズの新刊を探しに行った際に六年ぶりに発売されたという十四巻と十五巻を発見し、喜び勇んで購入したのである。

そして十四巻十五巻を読んだのだが、よもや続きを読めると思っていなかっただけに話の詳細も忘却の彼方、既刊も売っ払ってはいないが実家の本棚に置いてあり、すぐに取り出して読むことは出来ない。だが、面白い。つながりを覚えていないのにわくわくし胸が躍る感覚。この漫画を初めて読んだのは十年前だ。あれから十年経っているということは、当時理解出来なかったもの、共有出来なかったものも今の自分にならわかるかもしれない。

足は迷わず本屋に向かっていた。うちの本棚にもうこれらを収める余裕は無いので床に積むことになるが仕方が無い。腰をすえてこの物語にどっぷり浸りたくなったのだ。

途中食事や風呂も挟んだが、全てを読み終えた頃には日付変更線を過ぎていた。十三巻、十四巻だけを読んだときもそれなりに面白かったが、一息に物語を駆け走るとやはり違う。おぼろげだった話の断片が繋がりを持って意味を成し、筋の通った物語を形成する。また、昔、雰囲気で読んでいた箇所もスルリと飲み込むことが出来るようになっていて、成長を感じられたことに密かな満足感を得た。

物語は最終章。さぁ、後は再び連載が中断しないことを祈るだけか。どうか次巻は一年以内に拝むことが出来ますように。


2011年10月14日 (金) 緑茶カウント:2杯
痛みに誘発されるのか、傷があるのは左の唇の裏だけなのに、口の中全体がじわじわと痛み、とても嫌な気分である。緑茶を飲むのもままならない。何と因果なことだろうか。

あと困るのが、大きく口を開くと塞がりかけた傷口が引き連れてしまうのだ。これも痛い。一人でいる場合はほとんど無言なので口を開く機会も無いように思われるが、生理現象即ちあくび。これをやってしまうと口内で残念な結果が生じてしまうのである。

これを防ぐ有効的な手段の一つはさっさと眠ることにあるだろう。明日は少しでも回復してくれるようにと祈りながら。願いながら。あぁ痛い。


2011年10月13日 (木) 緑茶カウント:0杯
口内炎が出来た。一箇所に四つ、集中的に。四つの口内炎が菱形を作り、左の唇の裏で強い痛みを発している。何もせずとも痛みを発し、食事をすれば尚のこと。「旨み」を「痛み」が上回る。あの日あの時、酔っ払って肉を噛み、犬歯の先をザクザクと、四連打かましてしまったがために、四つの白い穴が唇の裏に開いてしまったのだ。

この間抜けめ、と罵っても始まらない。仕方無しにドラッグストアで薬を購入し、ペタペタと患部に塗布したのが一時間ほど前だろうか。今は患部とその周辺の唇がじわじわ痺れている。痛みは無い。効いているかは不明だが、とりあえず明日は酸っぱいものをとるのは控える。辛いものもだ。だってすごく痛いから。


2011年10月12日 (水) 緑茶カウント:3杯
ジーンズは一本買った。上着も一着買った。しかしそれ以外に散財の覚えは無く、今月はCDも買っていない。新しいDVDは届いたが代金は既に先月支払い済みだ。にも関わらずどうして残金が残り少なになっているのだろう。

とはいえ生活に困るほどでは無い。仮に今月分が底を突いても、コツコツ貯めた五百円玉貯金がそろそろ一杯になる頃であるし、臨時収入もある。あぁ、もしかしたら調子に乗って五百円玉貯金をやりすぎてしまったのだろうか。目玉の親父の形の貯金箱なので、五百円玉が財布にあるとつい喜んで差し出してしまうのである。もしやそれが原因か。

自力救済手段はあるがなるべく手元の金だけで乗り切られるよう頑張ろう。今月末にまた、シャツやらタオルやらを買う予定なのだから。余裕はあった方が良い。


2011年10月11日 (火) 緑茶カウント:2杯
筋肉少女帯のアルバム「蔦からまるQの惑星」に収録されている楽曲に「捨て曲のマリア」というタイトルがあるが、己が本屋で探そうとしていたのは似て非なる別のタイトルだったはずだった。ところがうっかり度忘れし、何のマリアだっただろうかと思い出そうとしたときに、「捨て曲のマリア」が浮かんでしまい、それから先自力で正しいタイトルを思い出すことがついぞ叶わなかったのであった。

「捨て曲のマリア」は、とあるバンドマンが自分のアルバムに「捨て曲」を入れ、どうせ誰もまともに聴かないだろうと思い、昔付き合っていた女「マリア」との思い出を詩にしたら思いの外に大流行、着メロが鳴り街中で流れ新しい彼女にまでマリアの曲を歌ってとせがまれ、振り払えない過去に苦悩するという曲であるが、一番迷惑を被っているのは恐らく勝手に歌にされてしまったマリアさんで、えーちょっと何であいつ別れたのに今頃私のこと歌にしてんのよありえなーいしかも何か大流行してるしいい迷惑なんだけど信じられなーい、と自分を取り巻く状況に唖然とした後にバンドマンに苦情の電話を一本入れ、いやいや俺も悪かったけど実は俺も困ってるんだよ、何よそんなのあんたの自業自得じゃない馬鹿じゃないの、などというやりとりを経て電話では埒が明かない、一度会って話そうじゃないか、と二人が付き合っていた頃に頻繁に通っていた居酒屋で杯を重ねるうちに酒が過去の確執を和らげ、どちらともなく謝り始め、ほがらかな空気の中自然二人は寄りを戻すことになり、それから数年後に結婚し幸せな家庭を築いた。あの忌々しかったはずの捨て曲も二人の縁を結ぶきっかけとなった思い出の一曲に変じ、後日ドキュメンタリー番組で感動的なエピソードの一つとして語られた、というのは大部分が妄想である。

目当ての本は携帯電話で「石川雅之 マリア」で検索することによって、無事購入することが出来た。携帯電話に感謝したい。


2011年10月10日 (月) 緑茶カウント:7杯
秋物を買うつもりだったのに、新しいジーンズを買ってしまった。

満足はしているが暖かくは無い。暖かくは無いが、まぁ良し。


2011年10月9日 (日) 緑茶カウント:2杯
あんなに大好きだった肉を食べられなくなる時が来るなんて。

いや、食べられる。肉が食べられなくなったわけではない。ただ、脂っぽい肉を大量に食べることが出来なくなっただけだ。そして濃い味。焼肉、スキヤキが胃に辛い。

あぁ、しゃぶしゃぶとスキヤキなら断然スキヤキ! 肉足りない肉もっと食べたい肉肉肉肉! わーい肉だー! と言っていた頃の自分はどこに行ったのか!

とはいえ、肉を大量に食べていた当時も、翌日は腹を壊していたのだが。昔から脂っぽい肉が鬼門であった。好きなのに。

焼肉、スキヤキは今も好きだが、ちょっとで良い。ちょっと摘んで野菜を食べ、酒を呑んで済ませたい。己より年下の者が肉を注文する際に、「脂の多いやつ! とにかく脂があるやつが良い!」と言っていた。あぁ、年齢差。胃の強さ。美味しいと感じるのに食べられないことの残念さ。食後、無糖ヨーグルトとビオフェルミンを摂取したが、明日の腹具合はいかがだろうか。野菜スープが飲みたい。


2011年10月8日 (土) 緑茶カウント:3杯
手前は肴が無くても酒が呑めるクチである。今日は酒を呑もうと決め、わざわざコンビニエンスストアーに寄ってスナック菓子などを買いこんでも、いざ呑み始めると菓子が脇にあるのに放置して、そのまま酒だけを呑み進めるということがままある。昨日もそのパターンであった。

こういう呑み方は体に良くない。重々承知しているのだが、家で一人で酒を呑むときは大概パソコンが相手なので、キーを打つ手が汚れるのを嫌って、封を開けるのを止めてしまう。そして翌朝を迎えるも朝は朝で飯を食べるので、食べるタイミングを掴めないままいつまでも菓子が放置され続けることも、ままある。

今日は朝飯も昼飯も食べなかったので、十五時過ぎ頃に菓子を一つ消費した。久し振りに食べたサラダ味のプリッツはなかなか美味しかった。このプリッツを昨日の夜に酒と一緒に腹に入れていれば朝飯と昼飯を食べられなくなるようなことにはならなかっただろうに。

しかしそれでも洗濯と掃除はしっかりやったのでそんな自分を褒め称えたい。割り箸にティッシュをぐるぐる巻きにして輪ゴムで止めたもの、通称マツイ棒を用い、隅の埃も綺麗に取り除いた。明日は散髪と買い物をしたい。


2011年10月7日 (金) 緑茶カウント:0杯
こんばんは、酔っ払いです。

発泡酒を二本と、ジンをショットグラスで二杯呑みました。発泡酒はもちろん五百ミリリットル二本です。我が家においては常識です。

ジンはボンベイ・サファイアです。スパイスの香りが利いた美味しいジンです。でも己はフィンランディア・クランベリーという、甘い香りがして甘い味のしないウォッカが呑みたいんだ。美味しいのだよ、これが。

注文しようかしまいか、逡巡している午前三時過ぎ。明日は整体に参りましょう。


2011年10月6日 (木) 緑茶カウント:3杯
散髪から連想して思い出したが、そういえば己の後頭部、右側下方襟足の辺りに五百円玉大のハゲが出来ていたのだった。「だった」と言うのはどういうことか。正直に申し上げよう。すっかり忘れていたのだ。

出来たのは三月の半ばである。発覚してから二、三ヶ月は気にしていた。日記を遡ると七月まではハゲの話題を出している。しかしその後、ここ一ヶ月ほどは皮膚科に通うのも止めて、全くハゲのことを意識せずに過ごしてしまっていた。今に至っては思い出しはしたものの、だいぶどうでも良くなっている。

八月の終わりから九月にかけては気分が沈んでいたため、ハゲどころでは無かったのもあるが、一番の理由は面倒くさくなったことだろう。皮膚科でもらった薬を毎夜毎夜ハゲに塗りつけていたのだが、寝る前にやるのでよく塗り忘れて寝てしまう。布団の中で、あ、やべ薬塗ってねぇ、と気付くこともあるが、わざわざ布団から出るのも億劫で、そんな日がだんだんと増えてくると次第にどうでも良くなり、面倒くささ回避のためにハゲのことを忘却してしまったのである。

今、ハゲの部分を触ってみたらよくわからなかった。鏡で見たら、まだ生え揃ってはいないがハゲとは言えない状態になっていた。忘れている間に良くなっていたらしい。

気に病むことを止めたのが良かったのだろうか。それとも薬が効いていたのか。何にせよ、ま、良かったな。嬉し。


2011年10月5日 (水) 緑茶カウント:2杯
ここ数日体調不良を報告する日記が続いているが、生憎今日もその手の内容である。熱は下がったが体の節々が痛み、全体的にだるい。食欲もあまり湧かないので夕飯は軽く済ませた。ネギは食べた。

体調不良報告ばかり続けるのもつまらないので、次の休みにやりたいことでも書いてみようか。

●散髪。(バッサリスッキリ。)
●整体。(毎週行っているので。体がスッキリする。)
●医者。(内科ではなく。歯科検診のお誘いの手紙をいただいたので。)
●掃除。(床面積を広くして机を物置状態から脱却させる。)
●買い物。(秋物を買わないと風邪を引く。また。)
●料理。(何か凝ったもんをドカッと。)
●お絵かき。(ざっかざっかとあれこれ描きたい。)
●日記のログ整理。(流石に。)

以上。それでは明日も頑張ろう。


2011年10月4日 (火) 緑茶カウント:2杯
おおよそ治ったように感じる。とりあえず六度台に落ち着いたので安心した。念のため、薬は未だ服用しているが。恐らくここからぶり返すことは無いだろう。

しかし緑茶も控えめに。今日も早めに寝るとしよう。


2011年10月3日 (月) 緑茶カウント:2杯
七度近辺をうろうろしている。気のせいかもしれぬ、と思うが、やはりいくらか体がだるい。栄養も睡眠も十二分にとっている。他、不足しているのは何だろうか。

ところで一度も日記のログを整理することなく来年を迎えてしまいそうな状態にあることに気付いて一人呆れている。四ヶ月ほど放置したことはあったかもしれないが半年以上放置したことはあっただろうか。

調べてみたところここの日記だけで三百キロバイトあった。去年の十二月の日記は二十九キロバイトであるからして、その溜め込みっぷりたるやいかばかりかお分かりいただけるだろう。平熱になったら整理する、と約束して。


2011年10月2日 (日) 緑茶カウント:5杯
ほぼ寝ていた。寝倒した一日だった。おかげで熱は六度九分まで下がった。ひとまず安心である。それにしても平熱からたかだか三分四分上がっただけでだるくなるこの体のシステムはどのようになっているのだろう。明確な境界線があるのだなぁ。

ぶり返したら阿呆のようなのでこのまま眠る。明日には完全回復したいところだ。


2011年10月1日 (土) 緑茶カウント:5杯
熱が上がったり下がったり。朝、やや下がり、安静に過ごし、夜、届いたばかりのライブDVD「心の折れたエンジェル」を観ている最中に計測したらやや上がり、観終わった後にもう一度測ったらやや下がった。ややややや。

色々と買出しに出かけたかったが諦めて、明日も家でゆっくりしよう。まだ特典映像が残っているしな。ふふふ。