9月      

2011年9月1日 (木) 緑茶カウント:6杯
ちょっとずつ回復している。


2011年9月2日 (金) 緑茶カウント:6杯
流石にタンクトップで一日過ごすのはこの季節、無理を感じるようになってきた。

己は基本的に秋服を持たない。春に春らしい色の服を着ず、濃い色ばかり選ぶので春と秋に同じ服を着ているのである。さらに、夏服を着る期間が長く、人々が冬服を着る頃に秋服を着て、冬場もジャケット、Tシャツ、ジーパンといった出で立ちで生活している。大学時代は友人からよく「いつも寒そう」「もっと着ろ」と言われたものだ。

まぁ、寒そうに見えるのは真冬も首元を露出しているせいでもある。ここでも何度か書いたが、己は首の皮膚だけが異様にかぶれやすく、金属系は大丈夫なのだが、布は綿製品しか身につけることができない。アクリルはもちろん、羊毛、カシミヤもだめ。綿百パーセントでもタートルネックのように常に首に密着するものは痒くなる。

それでも寒いものは寒いので、昔は綿百パーセントのマフラーを探して首に巻いていたのだが、綿百パーセントのマフラーは意外と数が無いもので、すると好みの色柄もなかなか無く、探すのにも疲れ果て、ここ数年はすっかり諦めて寒風に首を晒して過ごしている。寒いが慣れた。痒くなるよりはよっぽど良い。

話は戻って、しかし、もうちょっと頑張ってみようと思う。まだいける。ちょっと寒いけどまだいける。あと一週間くらいはいける。風邪を引いたら笑って欲しい。


2011年9月3日 (土) 緑茶カウント:6杯
予想の不穏が予想通りにやって来たのでまた落ちた。
無気力。


2011年9月7日 (水) 緑茶カウント:0杯
ゆっくりゆっくり、じわじわと気力が回復しつつあるが、定期的にやってくる人間嫌いが発動し、人との接触を避ける日々を続けている。

大学の友人はコミュニケーションをとることが好きで接客業の仕事に就いた。ところが働き始めてからというもの、飲み会などの遊びにはほとんど顔を出さなくなった。曰く、お金をもらって人と接する仕事をしていると、お金を払って人に会いに行くのがしんどくなってしまった、とのことだ。休みの日は家にこもり、一人を満喫しているらしい。

友人の話を聞いて、彼は少し疲れているのだろうと思った。若干参っている風にも感じられた。仕事やプライベートのことで悩みがあるらしい。しかし友人は飲み会に顔を出さなくなったが、我々と絶縁したわけではない。三日に一度から週に一度ほどの頻度で、自分の日常、妄想、創作物語などをメールにしたためて一斉送信するという、一方的コミュニケーションを大学を卒業して以来一年以上続けているのである。

己の所有する携帯電話は千通のメールを保存するが、うち四百通は友人のメルマガのようなメールである。ほぼ半分が友人一人のメールで占められるという恐ろしい状況になっている。そして自分はその状況を楽しんで、気が向いたらメルマガに返信をしている。たまに内容が採用されて、ラジオの投稿コーナーのように「こんなお便りが届きました」と紹介されることもある。

この友人の一方的コミュニケーションは、コミュニケーションのリハビリだそうだ。友人なりに内々の何かを回復させようと努めているのだそうである。自分はそれを知っているが、特に深くは考えず送りつけられるメールを楽しんでいる。

友人のリハビリがメルマガならば己のリハビリはこの日記だ。言葉を選んで形にして、整理をして、不定形の不安を明確にし、乗り越えられるよう努めよう。まだしんどいが幾分マシになったのだ。どうにかしよう。無理をしない程度にやるのだ。


2011年9月8日 (木) 緑茶カウント:6杯
回復したかと思えば唐突に落ち込んで暗くなる。しかし作業に没頭すると忘れられる。今日は一日、ライブDVDを流しながらひたすら作業を続けた。だいぶ頑張った。そして頑張っただけの結果が得られた。今は束の間の達成感に浸っている。

達成感に浸りながら、昼間買ったケーキを食べ損ねていたことに今気が付いた。深夜二時。正直食欲はあまり無く、朝にケーキを食べる元気も無く、だからと言って明日の夜ではせっかくのケーキが劣化してしまう。出来ることならばそれは避けたい。

迷った結果、頑張った自分へのご褒美と銘打って、深夜のおやつを片付けることにした。いただきます。


2011年9月9日 (金) 緑茶カウント:3杯
今日は重陽の節句である。五節句の中で一番地味で、一番目立たず、一番注目されない菊の花の節句である。その地味さが愛おしい。

夜中から深夜にかけて四時間ほど、スカイプを使い友人と三人でだらだらと雑談をして過ごしたが、無論友人達にも今日が重陽の節句であることは告知した。しかし、告知をした頃には日付が変わってしまっていたため、重陽の節句は過ぎていた。うまくいかないが、そこもまた、愛おしい。

今後、月に二回ほどの頻度で友人主導でスカイプ会が行われるかもしれないらしい。人が集まるかわからないが、予定を立てていると友人は話していた。学食で二時間も三時間もたむろしながらだらだら過ごしていた大学時代のあの時間、あんな時間を持つことは卒業後二度と無いだろうと思っていたが、インターネットによってそれがまた作られた。

頭から外したヘッドセットをこたつの上に置き、適当に作業をしつつだらだらと会話をしながら、まさか再びこんな時間を持てるなんて、と静かに感動していた。姿は見えないが同じ部屋で友人の話し声が聞こえる。自分はビールを一缶開けた。


2011年9月10日 (土) 緑茶カウント:5杯
橋の上から川を眺めていたら大き目の亀が上流から下流へと、結構なスピードで流されていた。橋から川面までの距離は十メートル以上と思われる。水深は目測で一メートル程だろうか。遠目から見ても亀とわかる大きさのそれは手足をバタバタと動かしていたが泳いでいるようには見えず、亀とは溺れる生き物だっただろうかと記憶の図鑑をめくりながら己は橋の下を見つめていた。

流される亀は岩に引っかかり、一度方向転換を試みようとしているように見られたが、岩から体が外れると抵抗空しくまた急流に流され、亀と視認出来るまで己はずっと眺めていたが、ついに下流の先へと消えてしまった。

亀とは水中を自在に動き回れる生き物だと思っていたが、溺れない程度に水中で活動出来るくらいであって、飛べはするが上昇は出来ず、あくまでもゆっくり下降することしか出来ないカマキリのように、意思の通りに水の中を泳ぎ回れる生き物では無かったらしい。知らなかった。テレビの動物番組などのイメージで、亀は泳げるものと思い込んでいた。

見えなくなった亀を追うのを止め、川全体を広く見渡した。大きな魚の群れがいた。驚くほど大きな魚だった。一メートルはありそうな、でっぷりと太った魚が群れをなして泳いでいる。その近くに亀がいた。遠くにも亀がいた。視界に三匹の亀がいて、どいつも自在に水中を動き回っていた。

浮いたり、潜ったり、流れに逆らったりと自由自在である。己はまた下流の方に目をやった。川は茶色い色だった。


2011年9月11日 (日) 緑茶カウント:7杯
公園で鉄棒を見かけ、十数年ぶりに逆上がりをしてみたら、鉄棒に接触する皮膚が引き連れて、非常に痛かったことをここに報告をする。

無論、己は素っ裸で鉄棒に挑戦したわけではない。下着とシャツとズボンを身につけて逆上がりをした。しかし、布を介して触れる皮膚が、まるで歯車に巻き込まれたかのような痛みを訴えて、逆上がりには成功したものの鉄棒の上で悶絶することになったのだ。

鍛えなければ弱くなる。それは筋肉だけではなく、皮膚の強度にも言えることを実感させられた出来事だった。痛かった。


2011年9月12日 (月) 緑茶カウント:3杯
ザ・インタビューズが面白い。インタビューをしたりされたりするウェブサービスなのだが、匿名でインタビュー出来るのを良いことに登録してからあれこれと、知っている人知らない人にインタビューをしまくっている。

単純に自分が聞きたいこと、知りたいことをインタビューすることもあるが、この人は何を聞かれたら活き活きするだろう、と想像しながら質問内容を考えるのが楽しい。この人は何について語りたいのか。熱い思いを秘めているのか。聞いて欲しいと待っているのか。上手くそれを引き出せるインタビューが出来たときは嬉しくもあり楽しくもある。皆きっと語りたいのだ。


2011年9月13日 (火) 緑茶カウント:6杯
別に禁煙しているわけではない。そもそも喫煙していない。ただ噛みたい欲求に従ってガムを噛んでいるのだが、顎が痛くなるほどガムを噛み続けた結果、間接のあたりからゴリゴリという音がしてくるようになったので、そろそろ噛むのを止めようかと思う。

と、言いつつまた一つ。ボトルガムは気楽に食べられて良いなぁ。


2011年9月14日 (水) 緑茶カウント:4杯
夜遅くまでやっている定食屋がある。御飯と味噌汁、小鉢とサラダとお新香に、主菜が一品ついて七百円前後。食器も盛り付けも凝っていて味も良いが見た目も宜しい。

その店に通うのは今日で三回目だったが、食事をしたのは二回目だった。一度目に入ったときに気に入ってまた来ようと決めたのだが、二度目に店に入ったときは大入り満員で引き返さざるを得なかったのである。

今日は自分の他に客は二人しかいなかったので、前回と同じ席に座り焼きナスの定食を食べた。小鉢の中身が苦手な刺身だったがこれも我慢していただき、ご馳走様と挨拶をして席を立つ。会計をすべく厨房の奥にいる店の人に声をかけると、この間はすみません、と謝られた。

「この間も来てくれましたよね」
「え。あ、はい」
「あのときは満席で申し訳なかったです。入り口のとこに立ってらしたのが見えたんですよ」
「あー…! いや、でも今日食べられて良かったんで。いえいえ。美味しかったです、また来ます」
「ありがとうございました!」

この店に来たのは三回目だが、食事をしたのは二回目だ。常連でもない。なのに、店に入って立ち止まって、店員とちょっと話して出て行く自分を覚えていてくれたとは思わなかった。きっと忙しかっただろうに。

元より通うつもりでいるが、こういう嬉しいことがあるとついついその気が強まってしまう。良い店に出会えて嬉しい。


2011年9月15日 (木) 緑茶カウント:8杯
進路で悩んでいる後輩にアドバイスをしてあげてほしいと、面倒見の良い友人が言い出したことにより、合同進路相談会が開催されて己も招集されたのだが、びっくりするほど何の役にも立たなかったことをここに報告する。むしろ、結果は出せていないもののその後輩の行動力たるや凄まじく、逆に己が勉強させられたと言っても過言では無い。

話をしてきて見えてきた後輩の弱点と思われるものは、覇気の無さとコミュニケーション能力の不足くらいだったが、どちらも己に言えることは何も無い。特に後者については残念なほどに何も無い。そしてさらに残念なことに、高いコミュニケーション能力を持っている人物は我々の周囲にはほとんどいなかったのである。面倒見の良い友人も含め。

「うちのサークルは…何かそういう人達の集まりだったからね…」
「皆…、こう、内輪の集まりは良いんだけど外とのアレとかあんまり得意じゃなかったよね…」

沈黙。

その後ある程度話はまとまったが、己はほとんどアドバイス出来るものを持っていなかったので、お茶を飲んだりガムを噛んだりして楽しく過ごした。後輩はこれからまた頑張るらしい。頑張って欲しい。頑張れ。


2011年9月16日 (金) 緑茶カウント:8杯
いよいよ漫画を置く場所が無くなってきたがまた買ってきてしまった。松田洋子の「ママゴト」と、笠井スイの「ジゼル・アラン」。両者は系統が全く異なる作品だが、どちらも非常に面白かった。特に「ママゴト」はおすすめである。同作者の「薫の秘話」もおすすめである。読むべし。


2011年9月17日 (土) 緑茶カウント:8杯
首の後ろを冷やすと安眠出来ることに気付いたので、このところずっと小さな保冷剤を二つビニール袋に入れたものの上に直に首を乗せて寝ている。当初はハンカチや手拭いでくるんでいたが、冷たさをほとんど感じられないためすぐにそれらを巻くのを止めてしまった。

そもそも己は体温が高い。平熱が三十七度手前なので、飲酒や運動をしていないにも関わらず、部屋を冷やしているにも関わらず、己の体温で布団が温まることにより、寝苦しくてたまらなくなってしまうのである。どうしたものかと考えていた折に首の後ろを冷やすとよろしいとの情報を得て、快適な睡眠を得るに至っているのだが、保冷剤をほぼ直に首の後ろにあてるという行為は体に悪くは無いのだろうか。今のところ凍傷の気配は無いが、やや気になるところである。

しかし仮に体に悪かろうとも、重大な異常が身に訪れない限り続けてしまいそうである。それほどに気持ちが良い。冷たさだけでなく固さも良い。とりあえず現状は異常も無いので涼しくなるまでは続けるつもりだ。注意をされたら考えよう。


2011年9月18日 (日) 緑茶カウント:8杯
己という人間は、よっぽどぶどうが好きらしい。

夕飯にお呼ばれをして美味しい肉と野菜、冷え冷えのビール、ワイン、チーズをご馳走になった。どれも非常に美味しかった。スキヤキなどは久し振りに食べた。一人ではなかなか拵えない料理であるだけに、鍋をつつき肉をつつき、味もよろしいがその動作も楽しく、素敵な晩餐を喜んだ。

そして帰り際、渡された鞄にはスキヤキの残り、梨、お茶、クッキー、煎餅、タクシー代などが入っていたのだが、とても大きく、とても立派で、鮮度も抜群なぶどうが一房入っていて、肉以上に己のテンションは高まってしまったのだ。

帰宅後、ぬるいままに四粒食べた。とても美味しかった。いそいそと袋に包み直し冷蔵庫に戻した。明日の夕餉はスキヤキ丼と、おやつは美味しい巨峰を一房だ。楽しみである。とてもとても。己はひひひと笑った。


2011年9月19日 (月) 緑茶カウント:8杯
スカイプと作業を同時にこなすことは、己には出来ないらしい。

夜中に阿呆のように馬鹿笑いをしまくった。楽しかった。


2011年9月20日 (火) 緑茶カウント:5杯
ポストに無造作に突っ込まれていた、ピンクの拍子でデコデコがキラキラで、まつ毛がバサバサのとろんとした瞳の女の子が表紙を飾る、いかがわしい求人情報誌が我が家で活躍している。鍋敷きとして。

我が家に鍋敷きの名を冠した鍋敷きは無い。日により、タオルを畳んだものやそこらの雑誌がその役目を果たし、味噌汁の入った小鍋とこたつの表面が接触しないよう働いてくれている。そしてここ数日はその件の求人情報誌は鍋敷きになっているのだが、複数回使用したためデコデコキラキラバサバサの表紙がボコボコグシャグシャになっており、女の子の姿においては見る影も無い。

中身もちょっとめくったが、嫌になって鍋敷きにした。むしろイラッとして鍋敷きにした。こういうものを見て気軽に応募するような輩がいるから困る。彼女も既に足は洗ったが、全くそれを告白された日には、とぐるぐるぐるぐる。やめとけっての。やめときなさい。全くもう。

軽いトラウマだよなー、とベコベコの表紙を見ながら思った。


2011年9月21日 (水) 緑茶カウント:4杯
つい数日前に首の後ろを冷やして眠ると気持ちが良いと書いたばかりだというのに、急に半袖では寒さを感じるほど気温が下がってしまったから季節というのはわからない。昨日までは美味しく冷たい緑茶を飲み下していたが、本日熱い緑茶に切り替えた。湯気の甘みにほっとする。

話は代わるが最近テトリスにはまっている。暇つぶしにと取り出したゲームボーイアドバンスの埃を払い、ピコピコやっていたら思いの外楽しかったのだ。昔、テトリスをやっていたときよりも面白く感じる。この間の日曜日などには、このステージでこの点数を出すまでは眠らないと心に決め、テトリスに励んだ結果就寝時間が朝の六時になった。

そうして遊び倒したがためにゲームボーイアドバンスの中で長らく眠っていた電池がついに切れてしまった。しかし残念ながら我が家に電池の買い置きは無い。あるにはあるが、災害用に備えておいた必要最小限のものしか無いため、今のご時勢でテトリスに消費するのは気後れする。

よって現在、己はテトリス断ちを余儀なくされ、テトリスをやりたい気持ちに苛まれ、チラチラとゲームボーイアドバンスに目をやりながら日記を書いている。ちなみに中の電池を取り出してこすり、瞬間的に電池を復活させる方法は既に試した。起動はしたが途中で力尽き、ゲームの途中で画面が消えてしまった。あぁテトリス。夢に出そうだ。


2011年9月22日 (木) 緑茶カウント:4杯
ただでさえ目を酷使する作業を重ねた後だというのに、一心不乱にテトリスをやってしまったため一時的に視力が低下してしまった。物がぼやけて見えづらい。

既に日付は変わってしまったが、今日は早めに眠るとするか。


2011年9月23日 (金) 緑茶カウント:5杯
どう見ても己の身長に合っていない衣服をごり押しで売りつけようとする店員には参った。

裾上げが出来るタイプならばわかる。しかしそれは裾上げをするとその衣服が持つ特徴的な機能が丸々排除され、アイデンティティが喪失するタイプの衣服なのである。確かに、己は丈の長いタイプを探していると言って店員が最初に薦めてきた七分丈だか八分丈だかの衣服の購入を断った。だからと言ってそんな、試着するまでもなく体に合わないことが一目瞭然な衣服を薦められても困る。

しかもこの店員、諦めない。どう見ても体に合わないから、と言ってもしつこく食い下がるのである。何がお前をそうさせるのか。「いえ、そんなことないですよ!」「今このタイプ流行ってますから!」おい、長裃が流行ってるなんて話はここ数年聞いたことがないぞ。

強気の店員に閉口しつつ、振り切るように店を出た。ちょうど良い丈の衣服は別の店舗で購入した。


2011年9月24日 (土) 緑茶カウント:0杯
どうやら己の目玉はテトリスに対応していないらしい。

パソコンでネットサーフィンをする、Twitterをする、WEB漫画を読む、フォトショップで絵を描く、問題無い。本を読む、テレビを観る、携帯電話に届いた長文メールを読む、メールを打つ、問題無い。ところがゲームボーイアドバンスでテトリスを一ステージやると、視界がぼやけてしまうのである。たったの一ステージでだ。

数年前もじぴったんにはまっていた頃はそうでもなかったように思う。穏やかに視力の低下を実感したことは今までにも何度と無く体験したが、一時的に急激な視力の低下を感じたことはこれまで一度も無かったはずだ。そう、受験生の頃ですら。

そういえば大学受験を乗り越えたあと、視力が急激に回復したことがあった。それでも近眼であることには変わりないが、眼鏡屋曰く「二段階」視力が回復したそうである。所有の眼鏡の度が合わなくなり、また視力が落ちたのかと思って眼鏡屋に行ってみればまさかの結果。受験勉強による目の酷使から解放されたおかげだろうと考えられるが、こんなことは滅多に無い、と店の主人に驚かれてしまった。

あれからしばらく経ったが未だにあのとき使用していた眼鏡は度が合わない。いつかまた使うときが来るかもしれないと思ってとっておいてあるのだが、一度回復してからは視力も落ち着いたらしく、毎日毎日目を酷使する生活を続けているわりに変化することは無くなった。

しかしテトリス。テトリス直後の状態でならあの眼鏡も再び役に立つかもしれない。青緑色のセルフレームの眼鏡。そういえば何故青緑色を選んだのだったか。気に入って購入したのは確かだがよく思い出せない。不思議な色を選んだものだな。


2011年9月25日 (日) 緑茶カウント:5杯
場を仕切り、話題を提供し、話を振り、相槌を打ち、会話を盛り上げる。本来、こういったことを率先してやるタイプでは無い。親しい人の集まる場以外で積極性を発揮するのは苦手だからだ。にも関わらず動くのは、その場に集まった人々が全員、自分以上に内向的だったからである。

誰も喋らない。自分はこのまま無言が続いても構わないが、周囲の人々は居心地が悪そうである。となれば動くしかない。苦手ではあるが口火を切った。

自分は初対面の人間を相手に喋るのは苦手だが、初対面でも「もう二度と会わないだろう人」が相手ならサービス精神を発揮出来るというよくわからない性質を持っている。二度と会わないのなら、社交的なキャラを作り、場を盛り上げるために微妙な嘘をついたり、おどけた口調で喋っても後を引く心配は無いからだ。ただし、その作ったキャラクターが気に入られ、今後も仲良くしましょうと連絡先の交換を希望されると非常に困ったことになるのだが。

話を戻そう。そうしてなけなしの社交性を発揮したのだが、会話が弾むことは無かった。己が話題を提供する、一人が答える、もう一人がそれに乗る、さらに会話が転がる、という形で進展するのを期待していたのだが、いちいち「○○さんはどうですか?」と個人個人に振らないと誰も喋らなかったのである。

まるで集団面接のようだった。

ウヲ「好きな食べ物は何ですか?」
A「カレーが好きです」
ウヲ「あー良いですねー夏野菜カレーとか美味しいですよね」
A「美味しいですよね。………」
B「………」
C「………」
ウヲ「Bさんはどんなカレーが好きですか?」
B「あー。シーフードカレーとか好きですね」
ウヲ「そうなんですか。自分はあんまシーフードって食べたこと無いです」
B「美味しいですよ。一度食べてみてください」
A「………」
C「………」
ウヲ「Cさんはシーフードってどうですか?」
C「まー…普通ですね。あ、シーフードドリアとか好きです」
ウヲ「あーエビとかイカとか?」
C「そうですね。あと貝とか」
B「………」
C「………」

せめてもう一人仲間がいれば、と思いつつ頑張ったが、残念ながら力及ばなかった。何度か、これはもしかして喋りたく無いのだろうか、己は無理強いしているのだろうか、と、思ったが、話題を振れば嬉しそうに喋るのでそういうわけでは無いらしい。そのあたりを見極めるのも難しかった。

世の中のムードメーカーと呼ばれる人々は偉大だ、と帰宅してからしみじみ感じさせられた一件である。あと、自分も気をつけないとな。もうちょっと。自戒である。


2011年9月26日 (月) 緑茶カウント:2杯
今日は非常に疲れたが、明日はもっと疲れるだろう。だが、今日の疲れは風呂と緑茶とスカイプでだいぶ和らいだ。どうでも良いことをぐだぐだ喋ることの何と心地の良いことか。明日も頑張ろう。


2011年9月27日 (火) 緑茶カウント:2杯
予想通りハイパー疲れることとなったが、どうして一時過ぎに、疲労困憊なのに、料理を始めてしまうのか!

気分転換も必要だからさ。作った料理は明日食べよう。


2011年9月28日 (水) 緑茶カウント:2杯
四十度ほどの湯を湯船に張り、十二分に温まって疲れを解した後、蛇口をひねって冷たい水を湯船に入れる。温度の低い水は湯船の底にたまり、風呂の中が二層に分かれる。

二層の仕切りを崩さないようにゆっくりと頭を沈ませ、少しずつ体を横たえさせ、背中が湯船の底につくように体をL字型に曲げ、足を湯船の淵に置く。傍から見れば滑稽なことこの上ない姿勢だが、一人暮らしなので構わない。

上半身があるところには冷たい水が流れており、下半身は熱い湯に浸かっていて、足首は外気に晒されている。冷たさと温かさを堪能しながら、二つの層を崩さないように気をつけつつ体を浮上させて息継ぎをし、何度か繰り返した後に湯船の水を全部混ぜて、ぬるいお湯がたっぷりと湛えられた湯船の中で満足をする。

一つ間違えれば風邪を引いてしまいそうだが、このたまらない気持ち良さには換えがたい。今日は四十分ほど湯船の中にいた。疲れが溶けるようだった。


2011年9月29日 (木) 緑茶カウント:2杯
霧が晴れた気がした。友人達とスカイプで会話をしていたとき、とある後輩がいけない遊びにはまったと一人の友人が口にした。周囲は何だ何だと遊びの内容を問うが、言い出しっぺは言いよどんだ。遊びの内容は彼にとって口にしづらいものではなかったが、この場に己がいることが彼を躊躇させたのだ。

己が気を遣われるということはそういう内容だということだ。つまりは性的なことである。端的に言えば後輩は女を買うことにはまったのだ。友人は遊びの内容に深くは触れなかったが事実だけは口にし、それ以上は口にしなかった。お気遣いに感謝である。

この手の話は苦手だが、その後輩とは直接の面識が無かったため具合が悪くなることはなかった。それどころか一つ、この話がきっかけで長年漠然と感じていた他人と自分の感覚の違いに気付かされ、霧が晴れたようにスッキリとした気持ちになれた。

性的なものとは特別なものであり、明るい時間帯には語られるべきではないものであり、隠されるべきものと捉えていた。身近なタブーの一つと捉えていた。今もそう捉えている。常に影が付きまとい、罪悪感と表裏一体のものだ。だから軽々しく猥談を口にする人々が不思議でたまらず、特殊宿泊施設の名前をそこらのスーパーと同列に並べて舌の上に乗せられる神経が理解出来なかった。

それは子供の感覚だった。己はずっと子供の感覚を持ち続けていたのだ。大人にとって、軽い性の話、猥談などは娯楽の一つとして落とし込まれていたのだ。己の中では全く娯楽とは別個の存在として認識されていたが、もっと身近なものだったのだ。

誤解を招いてはいけないので断っておくが、決して大人は女を買うことを娯楽の一つとして捉えているものだ、と言っているわけではない。後輩が女を買った話はあくまでも気付きのきっかけであり、もっと、こう、口に出しづらいのだが、アダルトビデオとか、年齢制限本とか、その手の漫画とか、猥談とか、そういったもののことだ。それらを己はタブーと捉えていた。しかし人々にとってそれらはタブーでも何でもないらしく、あれを見たこれを読んだウヒヒ、といとも容易く気軽に語られる。彼ら彼女らと己の間にはいったいどんな差があるのだろう、とずっと不思議に感じていたが、ようやく欠片を掴めたのだ。

「美味しい」「楽しい」「面白い」「可愛い」「気持ちよい」「心地良い」「格好良い」は言えても、「エロい」は言えない。前者と後者の間には明確な区分けが己の中ではされているが、人々にとって後者も前者の一部なのである。無論、全ての人がそうとは言わないが、ある程度の年齢を経た人々にとっては自然なことなのだ。合点がいった。ストンと落ちた。納得した。

しかし後輩。その遊びはなるべく止めろ。


2011年9月30日 (金) 緑茶カウント:0杯
一つ間違えたので風邪を引いた。昨夜、妙に体が熱いことに気付き、嫌な予感を抱きつつ体温計を脇に挟んだら七度と少々。微熱である。やっちまったなぁと思いつつ、体が熱くて寝苦しいため首の下に保冷剤を置いて寝た。

朝、嫌な感覚はあったが改めて自覚をしたくなかったため体温計を使うことを放棄し、一日過ごした結果脳がふらふらして、市販の薬を買って帰宅。食欲はあったのでコンビニエンスストアーで購入した味噌ラーメンを食し、薬を飲み、さっさとシャワーを浴びて服を着て、生姜の塊を摩り下ろした辛さにむせ返る生姜紅茶を飲んだ。つくづく己は程度を知らない。

悪化はさせたくないので今夜はさっさと眠る。体力の回復に励む。おやすみなさい全人類。




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