6月      

2011年6月1日 (水) 緑茶カウント:0杯
あらゆる年間契約の更新日が一つの月に集中している。無論狙ってやったわけではない。それぞれは別々の年に申込みをしていた。よって毎年一つの契約を関連性の無い月にバラバラに結んでいた気になっていた。逆にある年に集中して申込みをする必要が生じていたならば、月を分散させたことが出来ただろう。ところが困ったことにそれぞれは全く別の年に必要が生じていたのである。悲劇。

明細書を見て頭を抱える。確か去年も頭を抱えた。そして去年よりも抱える頭の重さが酷くなったのは、去年よりもさらに契約の数が増えたから。やれウェブサイトのサーバー代だ、セキュリティソフトの更新料だ。あれやこれやの請求書。だからどうして己はよりにもよってこの月に申込みをするのだよ、と過去の自分に問いたいが、問わないまでも答えはわかる。何も考えていなかったのだ。

頼りない記憶が正しいならば今年は新たな契約の申込みはしていないはずなので、来年あまりの頭の重さに首が回らなくなりごとりと事切れる、なんてことは無いはずだが、今からでもどうにか分散出来ないものだろうか。どれかの契約を一度解約しなければなるまいか。頭が思い。まだぎりぎり回る首。水が不味い。


2011年6月2日 (木) 緑茶カウント:3杯
中野ブロードウェイで結構な高値で売られていた古雑誌がちょっと歩いたところにあるブックオフでは百円で売られていた。探し求めていた廃盤CDを中古品取扱店のワゴンの中から発見した。このようなとき、喜びを感じながらも同時に憤りを感じずにはいられない。「お前、この、物の価値をわかってねぇなあ!」と。しかししっかり恩恵は受けているこの構図が面白い。愉快である。

ところで前段の話とは全く関係が無いが、道で「砂になれ! 石になれ!」と唱えながら楽しく歩いていたらこれ以上は何も言わずともおわかりですね。

砂になれ! 石になれ!


2011年6月3日 (金) 緑茶カウント:5杯
確かに虫は好きだが、だからと言ってサイトまで虫のように動いてもらっては困るのである。

以前から、iPhoneからうちのサイトを見ると文字化けをするという話は聞いていたが、本日、「ウヲさんのサイトが不可思議な動きをしている」と報告を受けた。不可思議な動き。それも先月からのことだと言う。そんな楽しい仕掛けを施した記憶は己にはまるで無い。よって対処しなければならないが、困ったことに己はiPhoneを所有していないため画面を確認することが出来ない。

すると、他にも同じように動いて見える、という人が現れた。話をまとめると以下のようなことがサイトに起こっていたそうだ。

「ゆさゆさ動く」
「フレームの上の部分が広がったり元に戻ったりしている」
「遅すぎず早すぎず、絶妙な感覚で動いている」
「インベーダーゲームの最初の方くらいの速度で動いている」
「何らかの仕掛けかと思っていた」

繰り返すが、仕掛けは仕掛けていない。そのうえ、二千九年の十二月十二日から「動いている」と報告されているメニューは一切触っていないのである。フレームの方も同じだ。だが、iPhoneのスクリーンショットを見せてもらうと、確かに一枚目と二枚目ではフレームの広さが違う。そもそも一枚目からして己が設定しているつもりだったフレームの長さとはだいぶズレがあったのだが、それにしても、だ。

正直なところ原因は皆目不明である。皆目不明ではあるが、数年前に作られたサイトであるゆえミスも無くは無い。メモ帳を開いてポチポチとタグを修正し、アップロードをし直した。結果、動かなくなったらしい。何が原因だったかわからないが、何とか命が宿り始めたウェブサイトの息の根を止めることに己は成功したのである。

まぁ、文字は化けたままのようではあるが。それについてはいよいよ原因がわからないので、見られるアプリがあったらそちらをご利用くださいませ。どうぞ宜しくお願い致します。


2011年6月4日 (土) 緑茶カウント:7杯
さっぱりよくわからないが、既に二十八歳ほどの心持で日々を過ごしていて、公的書類に実年齢を記入する必要が生じるたびに年齢を確認し直して愕然としている。

別に早く歳を取りたいわけではない。生き急いでいるわけでもない。むしろ精神は成長しておらず、大学時代のまま甘ったれで、日々をふらふら過ごし、いつまでも子供のようにありたいと願いながら、女子会だの女子力だのと喚く人々を大人気ないと嘲笑う矛盾を抱えつつも矛盾に気付く程度の客観性は持っていて、俯瞰で自分を眺めながらも妥協をしつつ酒と塩を舐めている。ショットグラスでジンを四杯。ヒリヒリと咽喉が焼ける感覚が心地良い。

と、書くとまるで自分が呑んだくれのようだが、普段はあまり酒は呑まず、家に常備している酒もボンベイ・サファイヤと梅酒だけで、その梅酒も先日冷蔵庫がぶっ壊れた際に残り少なとは言えご冥福と相成って、ご冥福と知らずに一口舐めたらやばい舌触り、そして味。恐怖を感じつつショットグラスの中身を流しに空けて口をすすぎ、腹は壊さずに済んだものの、梅酒でも開封済みでは常温放置は不味かったのか、と一つ勉強をして反省をしたところである。つまり今日の出来事だ。

インターネット上では三十代と間違えられ、オフラインでも歳相応に見えないと言われるが、それは趣味と雰囲気によるもので、中身は何一つ大人では無い。いつまでも十代の頃と同じ服装に身を包み、ここまで書いて気付いたがこの文章はいったいどこに向かっているのか。この間の筋少ライブの感想を書こうとメモ帳を開いたはずなのに己はいったい何を書いているのだろう。とりあえず口をすすぐ。そして歯を磨く。今日は五回くらい歯を磨いた。己は歯磨きが好きのだ。


2011年6月5日 (日) 緑茶カウント:4杯
駅の階段でパラパラを踊るおっさんを見かけたら、君はどうするだろうか。

夜のこと。改札を抜け、さて家へ帰るかと駅の外へと繋がる階段を上る途中、その決して広くは無く、しかし接触するほど狭くもない階段の中途で、おっさんが無表情でパラパラを踊っていた。

仮にそこが階段の踊り場であればまだおっさんの行動に納得出来たのだが、生憎おっさんのリズミカルに動く足が踏んだり離れたりしているのは幅十五センチほどのスペース、段の一つに他ならず、駄洒落にも成りはしない不可解さ。もしもそこが踊り場で、おっさんが自身の肉体を持って駅を利用する人々に駄洒落を披露していたのなら、感動こそしないものの納得は出来たはずなのに。納得のチャンスすら与えられないなんて何たる苦行でありましょうか。

おっさんは爪先立ちだったのだろうか、といった疑問が浮かんだのは駅を抜けた後のことであった。頭の中はおっさんでいっぱいだったが、己は無表情で踊るおっさんをスルーした。何故ならちょっと怖かったから。蒸し暑い夏の夜の話である。


2011年6月6日 (月) 緑茶カウント:5杯
昨日の今日ではあるが、パラパラを踊るオッサンを今日も駅の階段で見かけ、あぁ、今日も踊っているのかと思いつつ視界の端に捉えていたら、右斜め前を歩いていた中学生と見受けられる女子が早歩きでおっさんに近づき、何事だ、と二人に注目するとおっさんと女子はにこにこしながら合流して肩を並べて駅の外へと出て行って、あぁ、おっさんは孫を待っていたのかとおっさんの目的は理解し、うっかり納得しそうになったが、何故パラパラを踊っていたのか、待ち合わせ場所で保護者がパラパラを踊っていることに対し嫌な顔一つせず、日常として受け入れたように見受けられた女子はどのような日常を送っているのか、謎は深まるばかりで、夜も更けていくのです。


2011年6月7日 (火) 緑茶カウント:4杯
精神的疲労である。あ、わかってもらえてないな、という悲しみだ。己はこれを一つ作るのに、これが何なのかをまず調べて、そして作り方を調べて、使い方を調べて、他と照らし合わせて、材料を揃えて吟味して、噛み砕いて理解して、やっと一つを作るのに、そういう過程をすっ飛ばして、「組み立てる」作業しか見てもらえないから、ちょっとのことに阿呆のように時間がかかっているように思われて、それが辛い。最初から完成形と仕組みと材料が全て用意されている状態ならばそれで良かろうが、何から何まで一から準備しなければならないというのに。しかも己は対象に関して全くの無知なのに。むしろ一番大変なのは下準備の作業なのに、下準備なんぞパッと終わるだろうと軽んぜられてしまっているのだ。

難し。
悲し。
寂し。

アウェーインザラーイフ。


2011年6月8日 (水) 緑茶カウント:4杯
新しいおもちゃを手に入れて浮かれている。ヘッドセットを家電量販店で購入してきたのである。先日友人の家に泊まったとき、友人のパソコンに我々と共通の友人からスカイプで通信が入り、三人で四時間語らい合ったのがとても楽しくていても立ってもいられなくなり、購入に踏み切ったのである。

友人が使用していたのはヘッドセットだったが、ヘッドセットのマイクを机に立て、パソコンのスピーカーから音を垂れ流しにした状態で会話をした。友人曰く千円以下の安いヘッドセットだそうだがかなり広範囲の音を拾っていて、その使用法が他のマイクで出来るかは不明だが、もう己はヘッドセットを買う気まんまんになっていた。

ところが、ヘッドセット売り場で悩む自分を見かけた店員、己がイヤホンを首にかけているのを確認すると、イヤホンがあるなら単独のマイクを購入した方が宜しい、何故ならヘッドセットでは壊れたときに両方使えなくなってしまうから、と教えてくれた。ほうほうと聞いているとあれこれとマイクについて教えてくれる。これは動かせないからおすすめしない、これはハウリングするかもしれない、これは広範囲の音は拾えない、などなど。なるほど、それぞれにはこのような違いがあるのかと納得しつつ拝聴。大変興味深かった。

大変興味深かったが己はやっぱりヘッドセットが欲しくて、恥ずかしながらちょっとしたミーハー心もあって、店員が売り場を去った隙にこそこそっとヘッドセットを購入した。アイアムオンリーユアモデル。

帰宅後、頑丈な入れ物を慎重に解体し、ヘッドセットをつける練習をした。なかなかこれが難しく、あ、一度眼鏡を外してからつけりゃ良いんだな、と気付いたのはもう少し後の話である。浮かれていたのだ。嬉しくて。


2011年6月9日 (木) 緑茶カウント:6杯
六月九日、今日はロックの日かぁ、ロックの日かぁ、ロックの日だなぁとへらへらしていたら一日が終わった。ロックなことは特に何もしなかった。


2011年6月10日 (金) 緑茶カウント:5杯
せっかく買ったのに未だ開封していないCDが数枚ある。何故開けていないかというと答えは明確。我が家にCDプレーヤーが無いからである。ではどうやってCDを扱っているのかと言うとノートパソコンでCDを再生するのだが、ノートパソコンを使って音楽を聴くならついでにデータを取り込んでウォークマンに移したいと思うのである。

ところがこのウォークマンにデータを移行するのが意外と手間で、取り込んだ曲データのタイトルが全角英数になっていたら全部半角英数に直したいし、アルバムジャケットもどこからか拾ってこなければならないし、一枚のCDならまだしもそれを数枚やるのはひどく面倒くさい。すると疲れているときには当然やる気なぞ生じるわけもなく、気力体力が充実していて尚且つ暇なときにしか取り込み作業が出来ないのである。

純粋なCDプレーヤーがあれば物事は一気にシンプルになり、開封、取り込み、再生、鑑賞で終了する。それならばCDプレーヤーを買えば良いのだが、どうせ買うならちょっと良いスピーカーつきの再生マシンが欲しいなぁ、と欲をかくので実行に移されない。では、聴きたくないのかと問うならばとても聴きたい。聴きたいけどどうせ聴くならば面倒な作業も終わらせたいけど面倒な作業はしたくない。そんなジレンマに苛まれている。

明日こそ勝負。如何なるか。


2011年6月11日 (土) 緑茶カウント:7杯
これは美味しいのだろうか、と首を傾げながら食べているのはあばれほうとうなる食べ物。鍋に熱湯を沸かし、野菜を入れ、平たい麺を入れて煮込んだ後、付属のスープを入れれば出来上がり、という簡易な食べ物であり、実家から送られてきた支援物資の一つである。

これは美味しいのだろうか、と首を傾げながら食べているのはこのあばれほうとうなる食べ物を己は今まで自発的に食べたことが無いからで、もしかしたらどこかで食べていたのかもしれないが、あばれほうとうとして自覚していなかったためにあばれほうとうとしての味覚の記憶が無く、味の具合を知らずに作ったものだから完成した代物が美味しく出来上がったのか判断しかねて困っていたのである。

無論、「美味しい!」と感動するような料理ならば事前知識が無くても悩むことはないが、困ったことに極めて普通な仕上がりだったのである。まぁ美味い。若干味が薄い気もするが美味い。美味いが、「あばれほうとうとして」美味しく出来上がったのか否かがわからない。

ちゃんと生産側の思惑通りの味を作れたのだろうか。未だにそれはわからないが、袋を見ると「生姜を入れるとより美味しくなりますよ」と書かれていたので、より美味しく作るためにもう一度チャレンジしてみようと思う。明日あたりに。


2011年6月12日 (日) 緑茶カウント:8杯
今の今まで「えーけーびーよんじゅうはち」と読んでいた。生姜を入れたあばれほうとうはそれなりに美味しく作ることが出来たが、それがいったい何になると言うのだろう。よんじゅうはち。

ちなみに「わいふぁい」なのか「うぃーひー」なのか未だに混乱しているあれの名称、読み方。一度覚えたはずなのにどちらが正しく、どちらが間違いなのか忘れてしまい、混乱したまま日々を過ごしている。いっそだぶりゅあいえふあいと読んでやろうか。

「AKB48」と「wi-fi」に共通するのはどちらも己の生活には関わりが無いということ。あばれほうとうを美味しく作ることの方がよっぽど己にとっては重要なのだ。しかしそのあばれほうとうも今日食べ終えてしまったので、恐らく今後はしばらく関わることも無いのだが。ご馳走様でした。さようなら。


2011年6月13日 (月) 緑茶カウント:4杯


二ヶ月前の約束をようやく果たすのである。最後の湯飲みの鬼畜柄。これにて全商品納品完了。大変お待たせいたしました。

ちなみに何故こんなに時間がかかったかと言うと、鬼畜を描くことに慣れていないため、うまく描けずに手間取って投げ出してしまっていたからだ。このところは練習したので慣れてきたが、描くたびに顔が違ってしまってなかなか難しかったのだ。

鬼畜にしろ湯飲みにしろ、自分の描いたものを喜んでいただけるのはとても嬉しい。思った以上の反応を頂いて恐縮することもある。有難いことだ。己は未だ何者になるのかよくわからないまま道の上を歩いているが、何か作って、喜んでもらって、また喜んで、ってのを、繰り返していけたらなぁ、と思っている。

この鬼畜でもいつか、物語が作れたら良いね。


2011年6月14日 (火) 緑茶カウント:4杯
このところ就寝時間が段々遅くなってきているが、昼間睡魔に教われることなく一応活動することが出来ている。もしかして進化したのだろうか。と、思うが土曜日の運動が原因の筋肉痛を日曜日から未だ引きずっているあたり、無理が出ているのかもしれない。今日は早く寝ようと、計画しつつ既に時刻は二次を回っているあたり、明日も筋肉痛を引きずっているかもしれない。肩が痛い。腕が痛い。


2011年6月16日 (木) 緑茶カウント:4杯
毎日毎日イヤホンを耳に突っ込んでいるせいだろう。無ければ無いで特に何も感じないのだが、耳にイヤホンを嵌める時。何とも言えないしっくり感、満足感、落ち着きを抱くようになってしまった。つまりはこれ、耳に何かが入っている状態が常となり、イヤホンが体の一部となってしまったのである。

足りないものが満たされる喜びと言うべきか。「あ、これこれ」と安心するのだ。考え方を変えれば音楽が無くてもイヤホンさえあれば心の充足を得ることが出来るのだから便利だと思われなくも無い。が、どこか釈然としないものがある。便利ではあるが、裏を返せばイヤホンに依存してしまっているのでは無いだろうか。耳がイヤホン依存症に陥っているのである。今はまだ「無い」状態に不安や焦り、違和感を得ることは無いが、これがもしも進行したならわからない。己は常日頃から耳に何かを突っ込まなければ生活出来なくなるかもしれない。

と、思ったが既に常日頃から耳にイヤホンを突っ込んで生活をしているようなものなのだから今更は話である。問題は何も無いのであった。はっはっはっ。


2011年6月17日 (金) 緑茶カウント:4杯
通販で物品を購入した。いや、正確には購入の申込みをしたのである。支払い手段は郵便振替で、注文確認書を受け取り後、ほてほてと郵便局まで支払いに行かなければならないのだ。

ところが申込みをして一日後、メールボックスを開くとまだ入金をしていないのに入金確認済みのメールが届いていて、さらにその直後にもう一通同じ宛先からのメールが受信されていた。

「申し訳ございません。勢い余って発送してしまいました。お時間のあるときにご入金をお願いします」と書かれていた。

勢い余るにも程がある。思わず己は笑ってしまった。入金は明日済ませよう。こんなこともあるのだな。


2011年6月18日 (土) 緑茶カウント:5杯
疲れ切っていたらしい。昼までぐっすり寝たのだがそれでも足りず、夕方にまたベッドに倒れて夜まで意識を飛ばしていた。

目を覚ましたのは二十一時だ。空腹と体のだるさを感じながら、これは意図的に体をリフレッシュさせねばなるまいな、と気が付いた。昼間整体に行ったとき、筋肉をほぐしてもらい、自分が嫌いな人への悪口を整体師の口を通して代わりに言ってもらい、「あ、そう思っても良いんだ」と安心感を得たが、まだストレスは残っている。

そんなわけでいそいそと、酒と食い物を買いに外に出て、体に悪いインスタントラーメンを持ち帰り、もやしとキャベツと玉ねぎを入れて、調理用チーズもたっぷり入れて、これを食した後にゆったりと湯船に浸かり、買ったものの開けられていなかったCD四枚のうち二枚を開封した。

人の言葉を借りて言うなら己は人間では無いらしい。新人類ですら無く、宇宙人であるらしい。コミュニケーション能力の低さと他人への興味の無さ、性欲の無さを総じて見るに、人間には見えないとのことだ。荒療治として恋愛をした方が良いらしいが、特に恋する対象がいない今は無理な話である。性欲は全く無いわけではない。自覚することもある。ただ、自覚したところでスルー出来る範囲内であり、巨大な衝動にはならないので放置しているだけである。代わりに物欲はたっぷりあるが、物欲は三大欲求には入らない。

「早く人間になれると良いね」と言われた。今己が生きていく世界で、生きやすく生きるためには己は変わる必要がある。宇宙人から人間に。そして人間になれていない今、正直なところやや、生きづらい。アウェーインザライフを体感している。

問題は変わることではない。変わることは恐ろしくないが、変わる対象が問題である。例として提示されるものに心底なりたいと思えるか。そう問われたとき、問いが翳されたとき、言葉に窮してしまうのだ。なりたいかと言えば魅力を感じない。格好良いとは思わない。むしろださいと感せられる。それにならなければならないか。特になりたいとは思わない。

そんな葛藤の中を生きている。今の己は宇宙人だが、これから何になるか、そもそも変わるか、変わらぬかわからない。ただ、出来ることなら可能であれば、格好悪いと思う存在にはなりたくないと思っている。現状宇宙人。未来は知れず。明日は知れず。如何なるか。


2011年6月19日 (日) 緑茶カウント:6杯
あれこれと考えていたらだんだん腹が立ってきた。非常にムカッ腹が立つ。畜生め。この野郎め。畜生め。

腹が立つ。腹が立つから、己も素人の化物を目指そう。まずはそこを目標にしよう。求められているものとは異なるが、まずはそれ。素人の化物に己はなる。決めたので。


2011年6月20日 (月) 緑茶カウント:5杯
萌えすぎて健康になりそうな勢いである。

乙嫁語りという漫画がある。物語の舞台は中央アジアで、主人公はアミルという名のお嫁さん。歳は二十歳で、花婿は十二歳。八歳の歳の差の夫婦が少しずつ距離を縮めていく様子と、遊牧民の生活や文化が丁寧に描かれている作品なのであるが、もう黒髪萌えにはたまらない。着地点がそんなところで申し訳ないが、黒髪で長髪でたっぷりした生地の服を着ていて服にはエキゾチックな刺繍が一杯入っていて強くて可愛くてそんな女の子が大好きな人間にはたまらない、萌えずにはいられない漫画なのである。

多分、サムライスピリッツのナコルルが好きな人間ならツボにはまると思う。ナコルルに似ているわけでは無いが、近い要素を持っている。ここまで書けばわかっていただけると思うが、己はサムライスピリッツのキャラクター、ナコルルが大好きだ。はまったのは小一の頃だったと思う。そこからアイヌ文化に興味を持ち、アイヌ語辞書を購入した口である。あれは中学の頃だった。その頃にはサムライスピリッツはやっていなかったがアイヌ文化は変わらず好きで、我慢出来ずに一万円の辞書を東京の大型書店から取り寄せてしまった程である。

話は戻って乙嫁語り。最近待望の三巻が発売され、本日手に入れて読んだのだが、可愛い可愛い可愛い可愛い。物語自体は切ないのだが、可愛い可愛い可愛い可愛い。アミルさんも可愛いが三巻はパリヤさんがツボにはまって萌えまくって仕方が無い。内側から迸る制御出来ない萌えが全身の血液を循環し、生命と歓喜が満ち溢れ細胞が生まれ変わり健康になってしまう勢いである。別に現状不健康というわけでは無いが、健康が促進されそうな勢いである。あぁ、可愛い可愛い可愛い可愛い。しばらくはこの一冊さえあれば萌えたぎっていられそうだ。


2011年6月21日 (火) 緑茶カウント:7杯
己の主観では、飲み屋において、ビールならば何杯呑んでも泥酔はしないことになっている。主観と言うよりも希望であり、想像であり、妄想であるが、ビールならばたかだか六杯呑んだ程度で己は酔っ払うはずは無いのであるが、よくよく考えてみれば自宅において、己の限度は五百ミリの缶ビールが三本までであり、それ即ち一リットル半が限度ということであり、それなのに呑んでしまったのだから良い気分。酔い気分。

ふらふらしながら帰宅して、べったりと床に座り込んで、のろのろとシャワーを浴びて、熱湯を湧かし、熱湯を冷まし、冷たい緑茶を作り、大量に飲んで、今、パソコンの前でうとうとしている。ちょっと呑みすぎた。いくらか呑みすぎた。しかし楽しかった。たまにはこうして呑みすぎるのも良いものだ。二日酔いにならない程度になら呑みすぎるのも良いものだ。今日はゆったり眠りに就こう。おやすみなさいませ全人類。


2011年6月22日 (水) 緑茶カウント:5杯
朝、呆然としながら皿によそったヨーグルトを見つめ、数分間行動を停止していた。認めよう、あるがままに。認めよう、正直に。昨夜、呑み過ぎてしまったことを。

頭痛は無い。吐き気も無い。ただ、若干体にアルコールが残っていて、目覚めた後も酔っ払ったままだった。体が寝られていなかったのかひどくだるく、腰が痛く、食欲が湧かないのでパンが食べられない。仕方なしにせめてヨーグルトだけでもと思い自ら皿によそったのであるが、全くもって食う気にならず、押し黙りながらこれを凝視していたのである。

そういえばふと思い出したのだが、己は酔うと甘いものを食べたくなる習性があるらしい。よく覚えていないが、帰宅途中にゼリーとプリンを買って家で美味しくいただいた気がする。その前に友人と呑みに行ったときも、己は散々ビールを呑んで飯を喰らった後にコンビニでアイスモナカを購入し、ゲーセンでゲーム機をリズミカルに叩く友人の背中でむしゃむしゃ貪り食っていた。締めが甘味。居酒屋で食っておけよと言いたい。

ちなみに酔いは午には醒め、腹を空かした己は元気に餃子と春巻と肉団子を貪り食った。美味だった。


2011年6月23日 (木) 緑茶カウント:5杯
主に面倒くさいという理由で、次に美味さに目覚めたという理由で、このところの夕飯は主に冷奴に鰹節をまぶしたり、醤油をかけたり、専用の汁をかけたり、わさびを添えたり、茗荷を乗せたり、刻みキャベツを乗せたり、ピーマンを乗せたり、トマトを乗せたりしたものを毎日毎日そればかり頂いていたら体重が落ちた。

しかし体調は悪くない。健康であるし生気が落ちたこともない。どうやら健康的に痩せたらしい。他に何か、体に影響は出てくるだろうか。面白いのでしばらく続けてみようと思う。


2011年6月24日 (金) 緑茶カウント:3杯
相変わらず己のハゲは直らない。

何、大したことはない。三ヶ月前、地震の後に己の後頭部、襟足付近に生まれた五百円玉台のハゲである。何、大したことはない。場所が場所であるだけに目立ちにくく、自ら髪を掻き揚げて見せ付けるようなことさえしなければ人に知られることも無い。全く大したことは無いのだが。

暑いのである。切りたいのである。通常、己は襟足を刈り上げ直前まで短くするのだが、ハゲ隠しのためにそれが出来ず、極細のゴムを用いれば細い毛束をくくれそうなほど伸びてしまっているのである。大したことは無いが鬱陶しくて暑苦しい。だが、希望の長さまで切ってしまうとハゲが隠せない。では、丸見えにすることを覚悟するか。それはちょっと、嫌だ。

暑いのである。なるべくエアコンを用いずにうちわで過ごすようにしているのである。髪が邪魔でしょうがないのである。半端に伸びた髪が暑苦しいのである。もういっそ手前で刈り上げたいくらいなのである。それを我慢しているのである。

明日か明後日、このぼうぼうに伸びた頭をプロの手によってどうにかしてもらおうと思う。でなければ衝動的にバッサリザックリ行ってしまいそうだ。それは宜しくないのでプロの手を借りる。プロの技術で頭を涼しくしてもらうのである。暑いのである。


2011年6月25日 (土) 緑茶カウント:0杯
夜、買出しから帰る道すがらのこと。正確には買出しに失敗した帰りの道すがらのことである。不足を補うために生活必需品と娯楽の品を買いに出かけた昼間、しかし一点だけ手に入れることが出来ず、夕方を越え夜まで迎えてしまったのだ。その他の品は手に入れたが、どうにも心満たされない。

手に入らなかったのはジンのビンだ。ボンベイ・サファイアというスパイスの利いたピリッと辛い酒である。透明な水色のビンに紺のキャップ、白と金のラベルシールによって構成される色合いは美しく、見た目にも楽しい。これを時たま取り出しては、ショットグラスで頂くのを好んでいるのだが、今日回った店では見つけることが出来なかったのである。

夕飯は既に済ませていた。サイゼリヤでスープとサラダとドリアとピザとジュースとジュースとジュースを頂いていた。水色のビンは手に入らなかったが、どこかのバーでちょっと呑んで帰ろうか。ボンベイ・サファイアで無くても良い。家では飲めないカクテルや果実酒を二杯ほど頂いて帰宅しよう。そうすれば心も満たされる。

ところが入りたい、と思える店になかなか出会えず、一駅歩いたが出会えず、もっと歩いたがイマイチで、湿気た空気に汗ばむ肌も耐え難く、外酒を諦めて五百ミリリットルの発泡酒が六本まとめられた塊をスーパーで購入して元来た道を引き返し、冷蔵庫に発泡酒を詰め込んだのだが、紅茶を飲んだら落ち着いてしまい、酒欲もいったいどこへやら。いっそ明日は昼酒でもしようかなぁ、ボンベイ・サファイアはAmazonで取り寄せようかなぁ、などと呑気に考えている。冷たい紅茶は三杯目。


2011年6月27日 (月) 緑茶カウント:0杯
ふと気付いたが、そろそろ六月が終わるのである。つまりは七月がやってくるということで、それ即ち地デジ化の完了も間近ということであるが、未だ我が家はアナログテレビ。何の用意もしちゃいない。

とはいえテレビの主な使用用途はDVDの再生であり、朝、ニュースをつける以外にはほとんどテレビ放送を見ない生活をしている以上、特に準備は不要かとも思われるが、果たしてこのまま放置していても宜しいのか、と思わなくもない。見られなければ見られないで不便なのではあるまいか。

しかしよくよく考えてみれば不便を感じた時点で対処すれば良いような気がする。実際、さほど不便で無かったらこのままでも問題は無いわけだ。どうせ筋肉少女帯がテレビに出るときは我が家では見られないBSその他であり、その場合は実家で録画して送ってもらっているのである。

と、いうことで放置を進めることにした。そうと決めるとちょっと七月の到来が楽しみである。本当に予定通りに地テジ化が完全実行されるのか。とくとこの目で見てみよう。砂嵐になるのかな。


2011年6月28日 (火) 緑茶カウント:0杯
特撮の「5年後の世界」をフライングゲットした。さて、最初に言っておくと、己は生粋の筋少ファンであり、特撮の好きさ加減は「限りなく普通」に近いところだ。

己が筋少にはまった頃筋少は活動を凍結していて、オーケンは特撮をやっていた。現在のオーケンの音楽を聴きたいと思い、最初に手にとった特撮のアルバムが「初めての特撮」である。そこにはオーケンの歌声はあったが、己の求めるものとはズレがあった。

ズレがあるのも当然だ。自分は特撮に筋少の残像を求めていた。「格好良いけど、しっくり来ないな」と思いながら、「爆誕」「ヌイグルマー」「綿いっぱいの愛を!」を聴いた。好きな曲もある、気に入りの曲もある。だが、深追いする気は起こらなかったので、全てのアルバムを揃えることは無かった。

「5年後の世界」を聴く。今も、筋少と特撮ならどっちが好きか、と問われれば迷うことなく筋少と答える。しかし、筋少が再結成を果たし活動を再開したことで、己は特撮に筋少の残像を求めることは無くなり、「それはそれ、これはこれ」と楽しむことが出来るようになった。筋少と特撮の違いに違和感を抱くのではなく、気持ち良く味わえるようになったのである。

表題曲の「5年後の世界」を聴きながら、あぁ、筋少とは歌い方が違うなぁ、としみじみ思いつつ、いつだってオーケンは己が必要としているものを、与えてくれるんだな、と歌詞を見ながら感じている。大好きだ。


2011年6月29日 (水) 緑茶カウント:0杯
このところは毎日オレンジジンジャー紅茶だかジンジャーオレンジ紅茶だかジンジャーオレンジティーだか、とにかく紅茶にオレンジと生姜の香り付けがされたものを冷やして飲んでいるので、全く緑茶カウントがカウントされない日々が続いている。浮気である。浮気浮気。

己だって浮気くらいするのだ。しかし浮気は浮気であり、決して本気にはならないので、結局最後は緑茶のもとに戻ってくるのである。オレンジナンタラティーのパックの数も少ないし。そろそろ尽きるし。尽きたら緑茶を飲むし。その前に麦茶に浮気をするかもしれないけど最終的には戻ってくるし。だってそこに愛があるから。

あ、ほうじ茶も良いな。


2011年6月30日 (木) 緑茶カウント:0杯
歯が抜ける夢を見た、とつぶやいたら友人がちょっと珍しい勢いで食いついてきて、それは夢占いでは有名な凶夢だから気をつけるべし、と教えてくれた。身内の不幸を表す夢らしい。飲み込まないように気をつけながら舌の上で歯を転がす感触が気持ち悪かったなぁ、と思いながら気軽に口にしたら、全く何という悪夢だろうか。

己は基本的に占いは信じないが、迷信は信じてしまう傾向にある。夜に口笛を吹かない、爪を切らないなど、守れるところは守っている。夢占いは占いだが、感覚として迷信に近いものを感じたので、正直なところゾッとした。あまり良い気持ちのするものではない。そもそも気をつけるにしたところでいったいどのように気をつければ良いのか。凶夢を祓う呪いは無いのか。あればそれをするのだが。

しかし思い出す。夢で確かに歯が抜けたが、その後何らかの器具で抜けた歯を固定され、がっちりと復活させられたことを。食いしばるような力が顎にかかり、頑丈に固定されていた。さて、抜けた歯がまた植え込まれ固定される夢には何か意味があるのだろうか。復活? ゾンビ化? よみがえり? 調べてないので不明であるが、もしも偶然ご存知の方がいらっしゃったら御一報を。悪い意味合いならついでに祓いの呪いも教えてくれると嬉しい。




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