11月      

2010年12月1日 (水) 緑茶カウント:0杯
早めに病院に行ったおかげだろうか。回復が普段よりも早いようである。生姜紅茶をしつこく飲んだのも良かったかもしれない。睡眠を充分にとったことも影響しているかな。まぁ、それらの総合作用だろう。ところで、生姜紅茶を飲むとやたらと咽喉が渇くのだが、これは紅茶の作用か生姜の作用か生姜紅茶独特の作用か。別の飲み物も欲しくなるね。

話は戻って。回復してきているとはいえ、油断して悪化させてしまっては水の泡なので、就寝中と外出中はマスクをして過ごしているのであるが、今日の夜、帰宅途中の腹を空かしているところで駄菓子を売っているのを見かけたので、あぁ、飴なんか良いなと思い懐かしのチュッパチャップスを手に取りこれを購入。夜道にこっそりと歩きながら食べようとしたのであるが、チュッパチャップスを目の前に持ってきたところでしばし固まってしまった。目の前の丸いキャンディーを眺めて呆れ返るは己自身。いったい、マスクをしたままどうやって食べるつもりだったんだ、この棒付きキャンディーを。隙間に差し込んで舐めるのか?

結局、空腹を我慢して帰宅した後、部屋の中でチュッパチャップスは噛み砕かれた。噛んでも美味しいキャンディー。


2010年12月2日 (木) 緑茶カウント:0杯
よしよしよし。順調に体調が回復している。この調子ならば週末には完全回復出来そうだ。それにしても課題であるのはこの咽喉の弱さである。咽喉が弱いなら弱いで首を温めるなりして保護してやらねばならないのだが、生憎己は首部分だけ肌が弱いのでマフラーも付けられなければタートルネックも着られない。無理に身につけると赤く腫れて痒くなり、我慢出来無くなるのである。よって秋でも冬でも首周りを寒々しく露出して歩いているのであるが、さてどうしたものか。

と、思案していたら、首周りはともかく、せめてもっと厚着をしたらどうかと勧められ、体温が高く、食べるとすぐに体が熱くなってしまうためあまり着込まずにいるという事情があったものの、風邪の間だけでもやってみるか、と普段より二枚多く着込んでいたら、何と驚きの別効果。着込む前よりも腹が減らなくなった。ちょっと前まで短いスパンで訪れる空腹に苛まれ、その対処に悩み、腹持ちの良い干し芋を求めて歩き彷徨うなどしていたのだが、二枚着込むだけで解決した。無論、食事量は変わらない。

これはつまり、体温が高いから薄着で済んだと言うよりも、薄着であるために体を温める必要が生じ、熱を生むべくエネルギーを燃やしまくっていた結果、空腹が訪れるのが早かった、と言うことなのだろうか。で、あるということは。裏を返せば、普段より二枚着る量を減らせばダイエットになる、ということかもしれない。世のダイエットに苦心している方々よ、いかがかな。ただし風邪は引かないように注意していただきたい。まずは健康。何より健康。風邪っぴきが言っても説得力が無いだろうが。ま、健康に自信があるなら試してみるのも手かもしれないね。


2010年12月3日 (金) 緑茶カウント:3杯
十二月に入り思うのは、そろそろ年賀状を書かなければならないな、ということであり、同時に思うことと言えば、そいつは既に十一月の段階で思っていたのに何一つ手をつけずに十二月を迎えたな、ということだ。

とりあえず年賀状は既に購入してはあるが、油断していたらまた新年明けての一月元日にせこせことコピックで色塗りをするはめになる。今年はどうにかそいつは避けたい。コピックの詰まったケースを入れた紙袋をガシャガシャ鳴らしながら実家に帰省するのは今年こそは止めにしたい。あぁ、ここ数年はこれの繰り返し。今年こそは実現するぞ、と抱いた志は如何なるか。…なんて他人事のように言ってちゃ阿呆の繰り返しとなるだろう。うん、やらねばな。


2010年12月4日 (土) 緑茶カウント:4杯
とある経緯をきっかけに人間椅子を聴いている。人間椅子は人間失格を聴いたきりで、格好良いなと思いつつも以降他のアルバムに手を出すことなく止まっていたのだが、ここにきて別のアルバム、とりあえず羅生門を聴いてみて、おや、何か人間失格より好みだな、と感じた。今は無限の住人を聴いている。

数々の作品の中で、偶然最初に手にとったものがぴったり自分のツボにはまるとは限らない。下調べが無ければ尚更だ。そして仮にその他の作品に己の心を鷲掴みにするものがあり、一度それに出会ってしまえば勢いに乗って引きずり込まれることになろうとも、最初に出会うことが出来なければ次の機会が訪れるまで通り過ぎてしまうし、次の機会がやってくるのはいつになるかわからない。自分の場合、人為的な作用によって次の機会に巡り合ったわけだが、出会いというものは運であるよな、とつくづく思う。一周したらまた人間失格を聴いてみよう。


2010年12月5日 (日) 緑茶カウント:0杯
何となく、名古屋であった筋少ライブの感想に手を付けられないのは、これが自分にとっては年内最後の筋少ライブであり、終わってしまったことを再び実感することがひどく寂しいからである。あぁ、限定解除のライブも行きたかったなぁ。蔦Qの曲ももっと聴きたい、観たいと思っていたからして、この場に参加出来ないのはひどく残念だ。

とはいえ、人生が何もかも思い通りにいくわけではないことは百も承知していることで、楽しみの一部を対価とすることで己は別のものを手に入れて、今現在を生きている。よって納得はしているのだが、同時に理解と感情は別のものであることも把握しているので、このように寂しく思うことも何も不思議なことでは無く、となると結局いつもの通り、この思考から解決すること、生まれることは何も無いわけだが、己の脳内なんざいつもこんなものであり、考えることも趣味の一つ、というよりも習性に近いものなので、別に良いのだ。

ところで唇がガサガサしてきたのでメンソレータムの薬用リップスティックを購入したのだが、毎年毎年購入するものの、一度として使い切ったためしが無い。それにつけ思い出すのは、高校の頃、友人がよくマツモトキヨシで可愛らしいリップクリームを購入していたことで、どうして使い切れるのだろう、そんなにしょっちゅう塗っているのか、それともいろいろな種類を買って日によって使い分けているのか、単によく失くすだけなのか、と疑問符を頭の上に飛ばしまくっていたことだ。思えばあれから結構な年月が経ったものだ。あれから何度目の冬だろう。一度くらいはリップクリームを使い切る冬が来るだろうか。


2010年12月6日 (月) 緑茶カウント:0杯
いかに! 自分に! コミュニケーション能力が足りないかを! 思い知った今日この頃です。あぁ、しかし。知らない人と関わりたくない。知らない人に会いたくない。知らない人と話したくない。知っている人とだけ楽しくしたい、という、幼い欲望が未だ己の中に根付き息衝き、いやんいやんと心の中でくねくねするのだ。いやんいやん。いやんいやん。いやんいやん。とはいえそうも言ってられず。言ってられやしないのだが、言ってられやしないのだが。言ってられやしないんだよね。何でもかんでも個性で片付けられることは無く、それが問題にならないほどの強みがあれば別であるが、生憎己にそれは無く。で、あるとすると、鍛えなければならないのだよ。あぁ、嫌だ。嫌だがそれでも。やらなきゃいけないのだなぁ。

大人になるってのは大変だ。


2010年12月7日 (火) 緑茶カウント:2杯
格好良い友人がいる。彼女は背丈が百七十近くあり、そのうえ踵が十センチもあるハイヒールを履き、にやにやとこちらを見下ろしやがるのだ。彼女のにやついた笑顔を見上げつつ、「っかー! 大好きだ!」と己は思った。元来、高身長を気にして肩を丸める娘より、身長の高さを自分の長所と捉える娘の方が好きなのも大きいが、こいつの格好良さは何だ! ショートカットにパンツスーツでカチッとキリッとまとめているくせに、へらへらへらへら笑いながらふらふらふらふらにやにやにやにやしているのがまた宜しい。「充分高いくせにさらに高いヒールなんか履きやがって!」と、批難する己の顔もにやついている。「うへへへへ〜」なんて妙な笑い方をしやがって。あー格好良い。大好きだ。


2010年12月8日 (水) 緑茶カウント:2杯
この背の高い友人との出会いは高二のときで、四月の初め、新しいクラスでの自己紹介の後、彼女が唐突に声をかけてきたのだ。何と言っていたのか正確には覚えていないが、自己紹介で美術部に所属していると話した自分に、美術部に入りたいからどこで活動しているのか教えて欲しい、と言いに来たのだったと思う。既にクラスに溶け込もうとする気持ちすら持っていなかった自分は、接点があるならまだしも、ただクラスが同じだけなのに自分みたいな人間に話しかけてくるなんて酔狂な奴だなぁ、と思いながら彼女を美術室に案内した。

なまじ一人を楽しめるだけに、高一の時点で己は一人でいることに危機感を抱かず、クラスメイトとはほとんどコミュニケーションをとらずに一年を過ごしていた。友人がいなくても授業は受けられる。友人とのじゃれ合いは放課後の美術室で出来る。自分にとってクラスメイトは単に同じ教室で授業を受けているだけの人々で、友人でも何でも無かったのだ。さらに言えばクラスの雰囲気が嫌いだったためさっさと二年になりたくて仕方が無く、愛着の情など欠片も持っていなかった。

かと言って二年になったところで己の性質が急激に変化することは無い。だから、自己紹介があったその日に声をかけられたと言うのに、妙な奴だとしか思わなかったのだ。妙な奴は当時から背が高かったが、出会ったばかりの頃はそんなににやにやしていなかった。彼女が美術部に入り、互いに慣れ親しんで来たところでだんだん本性が露呈して、気付けばにやにやにやにやしていたのだ。

面白いことにそんな彼女も教室ではにやにやへらへらしていなかった。彼女は己と違い、クラスメイトとも満遍なくコミュニケーションをとるタイプだったが、彼女は彼女で別の面を隠し持っていたのである。

「だめだ、ウヲを見ると美術部の雰囲気につられてにやにやしちゃう」
「良いじゃん。不審者っぷりを見せつけちまえ」

ある日の、教室でにやにやへらへらする彼女との会話だ。そんな彼女を見て、自分もにやにやしていた。教室にて、不審者二人。楽しかったな。


2010年12月9日 (木) 緑茶カウント:2杯
件の背の高い友人に思いつきでふざけたメールを送った。友人のあだ名の語尾を崩して奇声のように変形させた文字列のみを本文に打ち込んだものである。しばらくして後返信があった。

「何?」
「何でもないです」
「構ってほしかったんでしょ」
「そうです」
「素直だ!」

して、遊ぶ約束を取り付けたので、現在わくわくうきうきしているのです。


2010年12月10日 (金) 緑茶カウント:2杯
あ、ワリオランドかマリオランドをやりたい。欲望とは時として何の前触れも無く湧き起こるものである。とはいえこの二つのゲームはゲームボーイのソフトであり、最後に遊んだのは十年近く前だと思われる。我が家の最新携帯ゲーム機はゲームボーイアドバンスであるので、問題なくこの二つのソフトを稼動させることは出来るのだが、生憎下宿先にまでこれらのソフトを持ってきてはいなかった。

いや、しかし、もしかしたら、と、湧き起こった欲望を処理すべく、一縷の望みをかけて机の引き出しを漁ってみるも目当ての物は出てこない。当然だ。持ってきた覚えは無いのだし、ワリオランドとマリオランドが実家の棚の引き出しのどこに仕舞われているか己はきちんと記憶している。だが、そうとわかりつつも確認するのが性なのよ。

アクションゲームがしたかったのだが、出てきたのはヨッシーのパネポンだった。パズルゲームである。あまり乗り気はしないがせっかくなので遊んでみた。一年ほど放ったらかしにしていたにも関わらず、ゲームボーイアドバンスは正常に作動して、せり上がるパネルをバンバン消して行く遊びをさせてくれ、しばし己はカチャカチャとプレイしたのだが、スーパーファミコン版のパネルでポンを遊び倒した己にはコンピューターなんぞ赤子のようで、隠しモードのスーパーハードすら温く温く、やっぱパネポンは対人プレイに限るよなぁ、と思い、いまいち欲望を発散出来ないまま電源を落とした。


2010年12月11日 (土) 緑茶カウント:3杯
気になっていることがある。とある友人がクリスマスに向けて順調に自虐に浸っていっているのである。時にネタにし、時に愚痴り、クリスマスを謳歌する恋人達に向けて妬みのこもった呪詛の言葉を冗談交じりに呟いているのだが、何が気になるって、こいつには恋人がいるはずなのに何故そうも荒んでいるのかと言うことで、考えられることの一つは破局した、ということなのだが、友人がクリスマスを呪う理由は気になるものの、友人の恋愛関係は別に正直どうでも良いし、仮に興味があったとしても、恋愛系の話を苦手としている己の性質を理解してくれている友人達はあえて己には進んで教えないでくれているという状況にあるので、わざわざ気を遣ってもらっているのに自分から、というのもいかがなものかと思われるし、そもそもやっぱり興味が無いし。そんなわけでとりあえず、友人がクリスマス当日にどのように自虐に浸るのか、その報告が寄越されることを楽しみにしている昨今なのである。

ちなみに自分はイヤホンを耳に突っ込んで外を歩いていたために街中でクリスマスソングが流れていたことに一昨日まで気付いていなかった。まぁ、ケーキくらいは食べるよ。


2010年12月12日 (日) 緑茶カウント:2杯
昨日の今日ではあるがクリスマスイブに予定が出来たので、それに向けていろいろと調整することになった。と言っても色っぽい話では無い。親族と食事をするだけだ。さて、己も何かしらの用意をしないとな。どうするかな。


2010年12月13日 (月) 緑茶カウント:3杯
文章中における一人称のメインが変化しつつあるな、と自覚している。以前は「自分」がメインで「己」は補助的に使用していたのだが、いつの間にやら少しずつ逆転して来ているようだ。では、口頭での一人称はいかがかと言うと、主として「自分」を使い、冗談めかして己の名字にさんづけ呼びをたまに、と言ったところか。「己」の方は使用しない。

しかしこの逆転現象。己の中でどのような変化があったのだろうね。何か意味があるのかな。


2010年12月14日 (火) 緑茶カウント:2杯
深夜。玄関のドアーを開けたら、曇天模様の空の下で風がごうごうと吹いていて、身に纏う紺の半纏がぼふぼふと音を鳴らし、煽られる感覚が面白かったので、寝巻きに半纏、サンダルを足にひっかけて、高いところに上ってみた。

仰ぎ見ればごうごう吹く風に灰色の雲が目に見てわかる速さで流されていて、この風から湿気を抜いたら群馬の風に近いな、と己は感じた。深夜にも関わらずあまり寒さを感じないのは乾燥していないせいかもしれない。

見渡すも人は誰もいない。しかし真っ黒の暗闇でも無い。曇り空が下まで降りてきたかのような色合いだった。

満足して後半纏をぼふぼふ鳴らしながら玄関へと戻る。吐く息に色は無かった。


2010年12月15日 (水) 緑茶カウント:0杯
初めて行ったパブがフィリピンニューハーフパブってのは、なかなか濃いのではないかと思う。

さて、無論連れられて行ったわけだが、言うまでもなく己は猥談、下ネタ、下品ネタの類を一切受け付けられない面倒くさい人間である。で、連れて行かれたそちらでは、綺麗なお姉さんの華麗なダンスと、おばさまによる下品なダンス、それは局部が見えているのではないですか、と突っ込みたくなるようなものを見せていただいて、その間己は天井の照明を眺めて意識を飛ばしていたのだが、ショーの終わりにはチップを渡すのが慣わしらしく、二人のお姉さんの胸元に千円札を突っ込ませていただいて、一人のおばさまに究極の質問を為され、己は畳んだ千円札を手にしたまま硬直してしまった。

Ruktun or Die…。

上に入れるか、下に入れるかということであるが、どちらにしろ己にそれを言わせるのか、言わせるつもりか、言えるわけが無かろうが、と固まっている間に三度同じ質問が繰り返され、状況を察したおばさまが胸元を寄せてくださったので、ここまで連れて行ってくださった方から預かった千円札をおばさまの胸元に入れさせていただいた。Ruktun or Die。

とはいえ、ショーの後、お姉さん、おばさま達がばらばらに客席へと散らばってから、お酒を作っていただいたりといろいろお気遣いをいただきながら会話をするのは楽しかった。楽しかったが、素手を引き寄せられ、衣装の中に仕舞われた胸に素手で触らせていただいたのは参った。己はそこでどんな反応を返せば良い! しかし、何の反応も返せず固まる自分をそれはそれで楽しんでくださって、最後にはツーショットハグ写真などを撮り、というより撮られ、お姉さんやおばさまとの猥談抜きの会話は純粋に面白かったが、いろいろとショッキングなことが起こりすぎて、処理が未だ追いついていないのであります。


2010年12月16日 (木) 緑茶カウント:3杯
「ウヲさんナンターラちゃんと電話番号交換した?」
「ちゃんと連絡とってる? 放ったらかしにしちゃだめだよ」
「いやー知らなかった、ウヲさんああいう子が好みなんだ」
「次にナンターラちゃんと会うのはいつ?」
「早く告白しちゃえよー」

浮いた話が全く無いせいだろう。昨日の一件以来、ここぞとばかりにからかわれている。お相手は言うまでもなくフィリピンニューハーフパブのお姉さんだ。皆さん楽しそうなことで何よりである。

話は発展し、いつの間にか己と彼女は交際していることになっていて、足しげく彼女のもとに通わなければいけないと設定されていた。皆さん楽しそうなことで何よりである。何よりである。はっはっはっ。


2010年12月17日 (金) 緑茶カウント:2杯
明日は明日とてやるべきことが、あるので己は外に出る。

携帯音楽再生装置と、スピーカーと、イヤホンと、携帯電話とハンカチと、定期と財布とフリスクを持って、帽子を被って出かけよう。飯はどこかで買い食いだ。しかし飲み物は持参する。水筒に温かいほうじ茶をつめて行くのだ。中指には指輪を一つ。耳には気に入りのカフスをはめて、厚着の支度で出かけるかな。


2010年12月18日 (土) 緑茶カウント:3杯
例の如く、全く年賀状に手を付けていないことに焦りを感じているが、明日も出かける用事があるので手を付けられる気がしない。そして来週も厳しそうであることを日程表から予測できるこの危機的状況で、己は無事に年越しをすることが出来るのだろうか。次号に続く。


2010年12月19日 (日) 緑茶カウント:3杯
ごく個人的な奇跡が起こり、幸福を噛み締めつつ浮き足立ちながら心の中で小躍りする日曜の夜、ふふふふふふ! ははははははは! 今なら太陽を大きくしてすぐさま季節を真夏に塗り替えてしまうことすら出来そうだ! 早く! 夏に! なれ!!

まぁ年賀状は案の定全く手を付けられなかったのだがね。ふふふ。


2010年12月20日 (月) 緑茶カウント:2杯
水道代を滞納したら水の供給を止めるのではなくて、供給する水に少しずつ下水を混ぜていくようにすれば、誰もが期限前に支払いを終えるようになるのではなかろうか、と、考えるのは水道代の督促状が届いたからである。金が無いわけではない。すっかり支払いを終えた気でいただけだ。とどのつまり、勘違いをし、忘れていたのである。

面倒だ面倒だと先延ばしにしたまま今日という日を迎えてしまったが、いい加減口座引き落としの手続きをするべきか。サンダルをつっかけて深夜のコンビニへ向かう道すがら。見上げると月が丸かった。


2010年12月21日 (火) 緑茶カウント:2杯
ロッククライミングに行った話、おばさんに道を聞かれた話、ちびまる子ちゃんとサザエさんを己が大いに嫌う理由、などを書こうと思っていたのだが、あまりに眠いので後日に回す。と、言っておばさんの話は半年ほど後日に回しっぱなしにしているのだがね。全く日付があてにならない日記であることだ。寝るよ寝るよ。おやすみおやすみ。


2010年12月22日 (水) 緑茶カウント:3杯
あんな思い込みの激しいはた迷惑な人が近所に住んでいたら嫌だなぁ、と心の底からしみじみと思うので、サザエさんが嫌いだ。藤木を卑怯者呼ばわりしていじめることを当然のこととして描いている様が恐ろしく、そんなものが健全な国民的アニメとして見做されていることに気色の悪さすら感じるため、ちびまる子ちゃんが大嫌いだ。両者とも虫唾が走るほど嫌っており、視界の隅に入るだけで不快を感じる。嫌いなものに対する嫌悪の感情が倍々にされた結果であるが、家族の他の者は己のようには感じていないので、日曜の十八時からの一時間、実家では完全にアウェーだった。

しかし家族のうちの一人は素直な心でこの二つの番組を楽しんでいたわけではなかった。「ウヲがさぁ、ものすごく嫌そうな顔してるのが面白くて」とは妹の言葉である。番組そのものではなく、大嫌いな番組を本気で嫌がる自分を眺めるのを楽しんでいやがったのだ。全くとんでもねぇ妹だ。

一人暮らしを始めて嬉しかったことの一つは、日曜日にテレビを消したままにしておけることだった。もうほとんど数年ろくに見ていないので大変に清々しい。この清々しさが永劫続くことを願う。


2010年12月23日 (木) 緑茶カウント:9杯
特に書くべきことは無いのだが、緑茶カウントだけは記録しておきたくてメモ帳を開いた。メモ帳一筋十数年。初めてウェブサイトを作ったのは中一のときか中二のときか。その頃からほとんど使うタグに変化が無いってんだから驚きだ。あぁ、そういえば最初の頃はページごとに違う音楽が流れるようにしたりしていたなぁ。いろいろ出来るようになることが嬉しいあまりに何でもかんでも詰め込んでしまうのだ。誰もが通る道である。そして改装を何度か繰り返してシンプルイズベストに気付くのだ。誰もが通る道である。まぁ、もうちょっと凝ったつくりでも良いと思うがね。


2010年12月24日 (金) 緑茶カウント:3杯
成人してから四年も経つとクリスマスへのこだわりや執着も薄くなってくるものだ。実家にいれば、もしくは家族がいれば異なるだろうが、一人暮らしじゃあそこまで気合も入らない。いつも通りに過ごし、しかしケーキは買って、手持ちの音楽でクリスマスっぽいものは何かなと探して、夜は餃子を入れた味噌汁雑炊を食べた。ついに酒も鶏も買わなくなったが、これでも何だ。意外と楽しんでいるじゃあないか。メリークリスマスあなた方。


2010年12月25日 (土) 緑茶カウント:4杯



昨日の今日ではあるが、結局本日、鶏の丸焼きと生ハム果物とスモークサーモンとチーズとワインとシャンパンとグラタンとケーキを食べて、思いっきりものすごくクリスマスを満喫してきた。満腹であり満足である。ご馳走様でした。

そして、実はTwitterでもクリスマスにちなんだ遊びをこっそりと行っていた。自分は普段の呟き用のアカウントの他に、オリジナルbotのアカウントも所有している。他にもあれこれと使っているもの、使っていないもの全部含めて五つほどのアカウントを無駄に持っているのだが、基本は@uzuwauwoと@kichiku_botしか動かしていない。とはいえ、己の話なんぞは虚実織り交ぜたものであるので鵜呑みにしてはいけないのだ、と一言忠告しておく。

クリスマスにちなんだ遊びをしていたのはbot用のアカウントの方である。まずこのbotが製作された経緯から説明すると、そもそもこの鬼畜のイラストを@uzuwauwoのアイコンとして己は使っていた。これである。



しばらくはただのアイコンとして使用していたのだが、あるときノリと思いつきで鬼畜の首を落とし、一日ごとにアイコンを差し替え、腐敗が進行していく様を表現して遊んでいた。哀れな鬼畜は腐り果ててぐにゃぐにゃになり、最終的にはゴミ袋に詰められた。



その様子はTwitterのとある方によってGIFアニメにしてまとめられた。こうして見るとなかなか悪趣味な遊びである。その後、鬼畜は死んだので己は別のアイコンを使い始めたが、ちょこちょこと鬼畜の死を惜しむ声を頂いたので、@uzuwauwoとは別に新しいアカウントをとり、こっそりと鬼畜をbotにして復活させた。

己の言葉をそのまま詰め込んだも同然の代物なので、ほとんど「鬼畜」ではなく「ウヲ」のbotであった。それも含めて馬鹿らしさを笑ってもらいたいという、いわばジョークで作ったものだ。ところが誤算が発生した。鬼畜botをフォローしてくれた人々も一週間もすれば飽きるだろうと思っていたのだが、意外と鬼畜へのリプライがちょこちょこと続いているのである。さらには、鬼畜botが生まれた経緯も製作者である己の存在も知らない人からのフォローもわずかではあるが増えてきたのだ。

全力で作ったがあくまでもジョーク。一週間かそこらでさっさとアカウントを削除するつもりだったが、どうにもしづらくなってしまった。それならば。じゃ、もうちょい充実させるかと、占い機能を持たせたり、特定の単語に反応して勝手に話しかけるように仕向けたりと、あれこれ更新を重ね、クリスマスイブとクリスマス当日の二日間には、クリスマス限定仕様を用意して、ノリノリで鬼畜を動かしたのである。そのときのアイコンが一番上のイラストだ。

おおもとの鬼畜の絵は二、三年前にお絵かき掲示板で描いたものである。紛れも無い一発ネタだった。それが数年後、新しいアイコンを作るまでの場つなぎで使用したことをきっかけに、悪ノリによって死亡して、また息を吹き返し、毎日毎日三十分ごとに呟いて、誰かとお喋りをしたり話しかけたり絡んだり絡まれたりするようになるとは思わなかった。現在の鬼畜は口調こそそのままではあるものの、だいぶ製作者である己から離れて「鬼畜」という別個のキャラクターとして動き出している。この変化もまた、面白い。鬼畜の言葉を考えるのは自分だが、同時に己は観察者でもある。さて、その後はいかようになるのかな。


2010年12月26日 (日) 緑茶カウント:6杯
本日は一日年賀状の準備をしていた。ギリギリではあるが何とかなりそうな気配である。が、卯年にちなんだ絵を描いていたら、今までに無くグロテスクな代物になってしまい、まだ描きかけではあるもののこれをお世話になった方々の家に年の初めから送りつけて良いものかと、流石の己も一時躊躇したのだが、毎年毎年年賀状を送りつけている方々ならばきっと受け入れてくれるだろうと、楽観的に考えて作業を継続することにした。あと一日色を塗れば出来上がりそうだ。大きな失敗が無ければの話だが。


2010年12月27日 (月) 緑茶カウント:2杯
美味しく料理とお酒と会話を楽しんできたら、酔っ払ってしまったので、言語が言語にならないのだよ。


2010年12月31日 (金) 緑茶カウント:0杯
流石年末。あれこれとやることがあって日記を書くのもままならない、と言いつつ現在は実家にて、猫を撫でながら美味しく酒を呑んでいる。

それでは皆様、良いお年を。




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