11月      

2010年11月1日 (月) 緑茶カウント:2杯
昆布を噛みながら緑茶を飲むこたつの上には籠の中、小ぶりのみかんがちょこちょこと。すっかり冬支度の整った部屋の中で、脇に置いた保温ポットからあつあつの湯を急須に注ぎ、半纏を着こんで茶を啜る。ふふふ。冬もなかなか悪くは無い。

それにしたって、少々老いた趣味だなとは、思わないでもないのだよ。あぁ、ぬくぬくと至福。幸福。うとうととまどろむ夜。そろそろ寝ようかね。歯を磨いてな。ふふふ。もう一杯飲んだらにしようかね。


2010年11月2日 (火) 緑茶カウント:3杯
またCDを買ってしまった。核P-MODELの「ビストロン」である。ただいま二周目に入ったところだが、たまらなく好み。気持ちが良い! ヒラサワさんの好きなところが凝縮されているように感じる。いやぁ、歌詞がまた。ストレートに過激で、それでいて茶目っ気が覗いているこのバランス。核P-MODELはアルバムを購入する前にライブDVDの方を先に購入し、ライブDVDにブックレットは付属されていないため、歌詞をきちんと知ることが出来ないまま曲を気にいってしまい、CD音源と歌詞に恋焦がされることとなり、ついに我慢が出来なくなって本日、という経緯である。今、ようやく欲望が充足されて落ち着いている。ふぅ。

そして思うこと。ライブDVDの方はやはり声が出ていないように感じる。ヒラサワさんのライブDVDは今のところ二枚所持しており、もう一枚の方はCDを超えるような声量を見せてくれているのだが、核P-MODELの方はどうにも咽喉がつらそうに聴こえるのだ。もしや風邪でも引いていたのだろうか、と思うほど。その、ちょっと声の迫力が足りなく感じられる音を先に聴き、次にCD音源を聴いたわけだから、また、半透明のフィルムが取り去られたような快感があるわけなのだ。あぁ、心地良い。あぁ、好きだなぁ。

それにしても、掛け声だと思っていたものが言葉だったり、言葉だと思っていたものが翻訳不可能の謎言語だったり、歌詞カードを見ないとわからないものだな。ファイファイヤーッ! と、叫んでいるだけかと思ったよ。面白いなぁ。


2010年11月4日 (木) 緑茶カウント:4杯
さて。様々な出費が重なった結果、己は今月残りを二万三千円で生き抜かなければならなくなったのだが、まぁ人生、こんなものである。はっはっはっ。やべぇな。ふふ。


2010年11月5日 (金) 緑茶カウント:4杯
クリスマスプレゼントに何が欲しい? と聞かれた、二十四才の冬である。流石にサンタクロースに頼んであげる、と続くことは無かったが、しかし我が家、成人するまでサンタが来ていた家である。二十五日の朝、目を覚ますと枕元にプレゼントが置かれている。この儀式が十九歳まで続けられていた。電話口で母に言う。

「クリスマスプレゼントって。わはは」

「この歳になって」と言外にある。ところが母も引き下がらない。「良いの! クリスマスプレゼントでもお中元でも良いから贈らせてよ! あんたのことだからビール一箱とか?」「クリスマスにビール一箱って、それじゃ完璧にお中元じゃん」確かにビールは大好きだが、いったいどういう認識のされ方だろう。しばし思いを馳せてしまう。

結局、新しい外套用のお金を送っていただくことになった。外套そのものでは好みに合うかわからないからである。ま、何だ。どこか気恥ずかしいが、有難いものだな。母の愛に感謝である。


2010年11月6日 (土) 緑茶カウント:0杯
午後まで惰眠を貪り、音楽を聴いて絵を描いて、きちんとした料理を作り、長風呂に浸かってゆうるりと一日を過ごした。週に一度はこんな日が欲しいものだな。とか言って週に二度ほどこんな風に過ごしてしまうのはいかがなものかと思わないでもないが。つまり明日はもう少し、今日と違った過ごし方をしたい、ということさ。何かしら活動らしいことをしなければな。ロッククライミングをやる気は無いが。

どうしていきなりロッククライミングなのか。それはロッククライミングをやらないかと、ロッククライミングを趣味とする人から誘われているからである。しかしやる気は無い。だって何か、大変そうじゃないか。きつそうだし。つらそうだし。そこまで体を鍛える気は無いし。体力は欲しいけどな。己は腹筋程度で充分なのだよ。そういえば珍しくも、ストレッチの方は続いている。驚くほど固くなっていた体も少しずつ柔らかくなってきたようで、変化が見られて面白い。だが、まだまだ毎週毎週体育のあった高校時代に比べると錆付いている。とはいえ、二十代半ばの時点で気付くことが出来て良かった。もっと後になってからではより苦労が伴ったことだろう。続けなければなるまいな。


2010年11月7日 (日) 緑茶カウント:0杯
バナナケーキを作った。バナナを大量に購入したからである。何故バナナを大量に購入したかと言うと、大量のバナナが安かったからである。一房百円、ただし一房に十九本もついていやがる。いっそ四分割して二十五円で売っていただけたら助かるのだが、八百屋に交渉するのも気が引けて、百円を支払いまるまる一房抱えて帰宅した。さて、どうしようか。

我が家は一人暮らしである。つまり消費者は己しかいない。まぁ、最悪腐る前に冷凍すればよろしいが、何か良い消費の方法は無いものか、と考えて、ホットケーキミックスが食料保存ボックスの奥で眠っていることを思い出し、よし、バナナケーキを作るか、と思い立った。

バナナケーキ。実は以前にも一度作ったことがある。深夜、突然電話が鳴って、通話ボタンを押せば電話口から友人の泣き声、聞けば失恋をしたらしい。正直、面倒くせぇなと思ったが、傷心の友人は我が家に泊まりにくることになった。面倒くさい。しかし、何かしらもてなしてやりたい気持ちも無くも無い。そこで簡単な菓子を作ってやろうと思いつき、ネットで検索して調べ、フライパンさえあれば製作できるバナナケーキを作ることに決めたのである。

しかし結果は失敗であった。火加減が悪かったのかバナナの量が多すぎたのか、火が通っているにも関わらず、生っぽくてぶよぶよしていてつるつるしててところどころぷりぷりぬめぬめしている、気色の悪い代物が出来上がってしまったのである。食べてみれば食感も気持ち悪く、それなのに味だけはきっちりバナナケーキで、そこがまた不愉快だった。

一つ食べて自分はとても残念な気持ちになった。だが、友人は美味しいよ、と言いながら一つ食べてくれた。友人を励ますつもりが己が慰められてしまうとは本末転倒も甚だしい。そして我が家に泊まりにきた友人は、三日か四日滞在はしていたものの、一度も我が家に泊まることは無く帰って行った。友人の持参した大荷物だけがずっと部屋の片隅に置かれていて、自分は「面倒くせぇな」と感じたことを気取られたこと、そして遠慮されてしまったこと、二つに気付き、誤ったな、と感じた。

今回、炊飯器で作ったバナナケーキは成功した。生クリームでも添えると良さそうな味だ。己は生クリームは苦手なので添えないが、もしもあいつがいたならばチャッチャカとかき混ぜていただろう。次、機会があればだな。

ところでこのバナナケーキ。大量のバナナを消費することを目的に製作したのに、バナナをたったの一本半しか使わなかった。これまた本末転倒だ。ふむ。地道に食すか。


2010年11月8日 (月) 緑茶カウント:3杯
嫌な夢を見た。夢の中、自分は足首まで伸びた長い髪を持つ女になっていた。年の頃は十代後半と言ったところか。長い髪を四つに等分し、縄のように編み込んでいた。一本一本が注連縄のような太さで、もう一人、俯瞰から眺める自分が、どんな毛量だよと突っ込みを入れていた。

その四本に編まれた長い髪を、もう一人の登場人物である、同じ年齢と思われる男に乱暴に解かれた。嫌だ、止めろと言っても聞く耳を持たない。一つ解かれ、二つ解かれ、四本全てがバラバラに解されて、ぶわっと質量を増して流れる髪のカーテンの中で己はがっくりと俯いて、「あぁ、暴かれてしまった」と悲しさに包まれていた。

編まれていたときには艶のあった黒髪も、解かれた後には長さも揃わない、まるで段々に斬られたように不細工な型になっており、艶も無く、大量の白髪が混じって薄汚れた灰色になっていた。触ると固くパサパサしていて、床磨きのブラシのようだった。

目が覚めたとき、別に寝汗はかいていなかったが、じっとりとした嫌な気持ちに侵食されていた。分析をするまでもなく、これが何の夢なのかは見当が付く。フィルターをかけられた婉曲表現だろう。何故そんな夢を見たのかは定かではないが、嫌だと感じたことの一つは、夢の中でまで、きっちりがっつりとキッズgoo並にフィルターをかけてくる己の精神構造だ。便利ではある。しかし何か腹が立つ。そこまで嫌かよ。嫌だけど。何っか腹正しいなぁ、己に対して。

それにしても縁起でもない。嫌な夢であるよな。嫌なものだよ。


2010年11月9日 (火) 緑茶カウント:4杯
あぁ、眠るのが惜しい。今、フライングゲットした、明日発売の平沢進のニューアルバム「変弦自在」を聴いている。大げさでやりすぎで壮大で非常に、格好良い! このアルバムは過去の自分のアルバムからファンの投票を考慮に入れつつ選曲し、リメイクしていく企画で製作されたもので、まだ全てのアルバムを集めてはいないものの、既に聴いている曲も少なくないという立ち位置にいる己は、聴いたことのある曲はどのように変化するのかを楽しみに、未聴の曲はそれこそ新曲を受け取るのと同じ期待感で待ちわびて、入手が可能である今日は、一日新譜のことばかり考えてにやにやしていた。

特に好きな曲、MOTHERと金星を楽しみに楽しみにしていて、聴いてみれば特に! 金星が素晴らしく良い! また、トビラ島が迫力を増していて大変好みで、初めて聴いた環太平洋擬装網の格好良さに今、やられている。あぁ、寝るのが惜しい。もっと聴いていたいのに寝なければならないなんて。つらいなぁ。

そして思う。過去のアルバムを入手出来るのも嬉しいが、それ以上に、新譜の発売に立ち会えることは特別な喜びがある。これは現在進行形を体感できる喜びであり、その喜びがアルバムへの思い入れを深め、より一層好きになっていくのだ。愛が深まる。喜びが深まる。頬が緩んだままである。ふふふ。


2010年11月10日 (水) 緑茶カウント:2杯
環太平洋擬装網を聴きまくっている。憑かれたように聴きまくっている。憑かれたように聴きまくっているせいで疲れている。精神は充足しているが体力が枯渇している現状だ。寝ないとまずい。寝るんだったら。寝るんだったら。寝るんだったら!

夜更かしの夜は更けていく。


2010年11月11日 (木) 緑茶カウント:3杯
妙な寝覚めであった。夢の中で自分は陥れられていて、友人と設定されている間柄の人々に、己の作品が剽窃であると指摘され、糾弾されていた。しかし、夢の中、それは事実ではなく、夢の中、実際は先頭に立って断罪しているその人物こそが剽窃者であった。周りの人物はそれを知ってグルになって己を陥れようとしていた。

夢の中、濡れ衣を着せられていること、真の剽窃者である友人に断罪されていること、親しい人々に陥れられようとしている悲しみと怒りが胸中に渦巻き、非常に興奮しながらも、感情の爆発を抑えようとこらえにこらえ、拳を震わせながら青ざめた表情で、「このクズが」と力強く発音し、さぁ、これから抑え込んだ感情を爆発させて怒鳴りつけてやろう、としたところで目覚ましの音が夢に介入、暴発寸前の興奮を胸に抱いたまま起床した、朝。

起きたばかりとは思えない、鍋を煮詰めたような興奮を感じつつ、三十秒ほどぼうっとしていた。朝食の支度をしているうちに興奮は霧散していったのだが、全く初めての感覚であったため、戸惑いは残ったままだった。まぁ、夢で良かった。な。


2010年11月12日 (金) 緑茶カウント:3杯
釣り合いがとれないなぁ。体感温度と季節がだ。十一月上旬、未だ己は薄手のパーカーとペラシャツで往来を歩き回っている。街を歩く人々を見れば既にコートにマフラーという重装備で防寒している人もいるというのに。だが、確かに少々肌寒いが、足に力を込めてシャキシャキ歩けば辛さを感じるほどでは無いのだよ。それでつい、な。

大学時代も、お前は季節が一つ遅れていると言われていた。秋には夏服、冬には秋服、真冬にようやく冬服に移行、といった塩梅らしい。まぁ、これで耐えられるならよろしい。しかし問題なのは、体感では寒さが無くとも、内部で不具合が生じていつの間にか風邪を引いてしまうということだ。これは困る。つまり、風邪予防のため、そろそろ己は冬用ジャケットを着なければならないのだが。ならないのだが、あと一週間くらいは平気かな、などと思っている。これでまた風邪を引いたら笑ってくれ。ケラケラと。ケラケラとな。


2010年11月13日 (土) 緑茶カウント:4杯
眺めながら、これはどのように転がるだろうと思っている。一人の男はとある女が好きで、とある女を女性として扱っている。しかしとある女は肉体こそ女性だが、本人は己を女と認識していない。むしろ逆の性であると自認している。ところが、男にとってはそれは大いに困ることである。彼はゲイでは無いし、女性としてとある女を好いているからだ。彼にとって、とある女は女性でなければならず、女性として扱うほかに手は無いのである。

よって、男は女を必要以上に女性として扱う。君は女の子なんだから、女の子らしくしなきゃ、などと言って、心配する素振りを見せながら、女に女を刷り込もうと努力する。しかし男の行為は女を不快にさせるだけである。女にとってその男は己という人格を全く理解してくれない自分勝手な人間だ。

「おい、君はあの人が好きなんだろう」「好きだよ」「じゃあ、あの人の望むように接すれば良い」「それは出来ない」「どうして」「己は女性として彼女を好いているからだ」「じゃあ、君の好きな人は君の幻想でしかないことになるよ。君の想う彼女はこの世に存在しないのだから」「でも、彼女こそ、いつか現実を見てくれると」「彼女なんていないんだよ、元から」「けど、初対面のときにはあんなに女性らしく」「それはあの人の処世術だろう。安全に生きていくためのね」「だけど」「諦めなよ」「出来ないよ」「ならせめて、あの人を苦しませるのはよしたらどうだい。あの人は自分が最初にあのように振舞ったことで、君に誤解を与えてしまったことに罪悪感を抱いているのだよ」「でもいつか」「無いったら」

どのように転がるだろうかと眺めているが、絶交、絶縁、以外のルートが見えない現状。さぁ、どう動くかな。


2010年11月14日 (日) 緑茶カウント:4杯
ホラーでは無いがこのところ、嫌な夢を見ることが多い。恐怖に駆られて目覚めるよりも、うんざりして夢から抜け出すように目を覚ます、といった感じに近いだろうか。休息が休息にならない疲労感。あぁ、疲れた。

遠いところに行きたくない。知らない人に会いたくない。未知のものを食べたくない。知っている範囲の世界で少しずつ、ぐるぐると外向きの渦巻きを歩くように、己の世界にいるままで徐々に未知のものに触れていきたい。いきなり全ての壁を乗り越えてゼロ距離で接してくる人は苦手なのだ。そのうえで自分の知らない世界に連れて行かれると非常に疲れてしまうのだ。昼も夜も休まらない週末。精神疲労を癒したい。


2010年11月15日 (月) 緑茶カウント:3杯
素敵なリュックサックを買った。たくさん物が入って、ポケットがあちこちについていて、しっかりした縫製の丈夫な奴だ。これで手ぶらでどこへでも行ける。ふふふ。嬉しくなって空のリュックサックを背負って部屋の中をうろうろしている。サイドにペットボトルも突っ込めるぞ。色も好みの寒色系だぞ。緑のリックサックでは無いが、ランドセルより好きなんだ!

ところでランドセルから連想して思い出したのだが、小学校時代に使用した、実家の子供部屋の物置きの奥で眠っている、あのリコーダーやメロディオンは今、どういった有様に成り果てているのだろうか。……ほら、口をつける楽器だろう。子供だから扱いも乱暴だろう。卒業後は手入れもされてないだろう。ほら、想像したくない。せめて虫が湧いておりませんように。


2010年11月16日 (火) 緑茶カウント:4杯
本当、このところ精神攻撃系の嫌な夢を見るのだよなぁ。そのうえ起きている間にも、やってもやっても終わりが見えないどつぼにはまってげんなりしている。現実が夢に影響し、夢が現実に影響する悪循環。参ったなぁ。何の夢も見ずに眠りたいと願う。心から。


2010年11月17日 (水) 緑茶カウント:3杯
ふと思った。もしかしたらこの世の中に、同性愛者と言える人間はいないのではないか、と。異性愛者はいる。だが、自分と同じ性、と言い切れる他者などが果たして存在するのだろうか。

そして気付いた。厳密に、己と同性と言い切れる人間が、今まで生きてきて出会った人々の中にさえ、誰一人も存在しないということに。誰も彼もが異性である。同性と認識出来る人間はいない。

それは男も女も皆同じ、という意味ではない。男も違う、女も違う、男という塊独特の違いもあれば、女という塊独特の違いもあり、同時に個人個人の違いもあり、それらが皆、自分と同類ではないということだ。

同性愛者というのは面白い。同性愛者であると認識出来るということは、己の性を断言出来るということだ。何か一つの規定が無ければ同じものを認識することも出来ない。よって、仮に自分が今後男を愛すことになろうとも女を愛すことになろうとも、その全てが異性であり、異性愛にしかなり得ない、ということだ。これもまた、面白い。

しかしこれはあくまで自分の感覚。己は誰が男で誰が女と言い切れるなんてすごいなぁ、と思うが、そのように感じる人は多くないかもしれない。それを自分はひどく不思議に感じるが。そんな自分を人は不思議に感じるかもしれないね。


2010年11月18日 (木) 緑茶カウント:3杯
あなたが看板に興味を持つなら、人より多くの看板を見られるだろう。その代わり、様々な草花は見られないかもしれない。あなたが草花を好むなら、人より多くの草花に出会えるだろう。その代わり、人々のファッションや、家々の窓枠や、雲の形は知らずに通り過ぎるだろう。つまり、そういうことである。関心があるか無いかで見えるものも変化する。見えないものは無いのと同じだが、あなたの外では確実に存在する。この手の話が続いたが、己は特殊なコミュニティにいるのでは無いのだよ。つまりそういうことなのさ。


2010年11月19日 (金) 緑茶カウント:1杯
羽の無いトンボは歩くのだろうか。羽の無いトンボがぎこちなく歩く姿を見てみたい。掴まる機能があるのはわかるが、歩く機能もあるのだろうか。歩くトンボ。腹が邪魔になるな。では頭、胸。歩きやすそうだがトンボだろうか。それではいっそ頭のみ。これはトンボか。トンボだな。飛べも動けもしないがトンボだ。

一番好きな虫はトンボだ。中でも好きなのはオニヤンマ。格好良いよな。


2010年11月22日 (月) 緑茶カウント:2杯
土曜日大阪、日曜名古屋と、筋肉少女帯のライブを観るためにリュックを背負ってはるばるてくてくと出かけてきた。我ながらよくやるものだ。さて、人生初の大阪名古屋だったわけだが、大阪では美味しいお好み焼きと美味しいベーグルを食べ、名古屋ではチェーンの不味いうどんを食べてきた。シンプルなうどんをここまで不味く出来る出汁の味が印象深いが、こんな思い出を残してしまって名古屋に対して申し訳無いと思わなくも無い。ごめんなさい、名古屋人。次に行く機会があるならば、そのときはちゃんときしめんか手羽先かシロノワールか甘口いちごスパをいただきたいと思います。


2010年11月23日 (火) 緑茶カウント:0杯
腹を壊して具合を悪くしていた。原因はいまいち不明であるが、流石にあの不味いうどんは関係無いだろうと思う。もしかしたら旅の疲れが出たのかもしれない。今週末はゆっくり休もう。


2010年11月24日 (水) 緑茶カウント:0杯
風邪の初期症状が発現した。咽喉が痛み、鼻が出て、くしゃみが出て、熱は無い。思い出すのはただ一つ、あの一ヶ月続いた長い咳。心に決めるはただ一つ、繰り返してはなるものか。ただでさえ旅費その他で懐が寒々しいのに、また病院代に一万かけるなんぞもってのほかだ。と、いうわけで生姜紅茶と市販の総合風邪薬を腹に入れ、本日は早めに休もうと思う。マスクもするか。この部屋は湿度が低くて咽喉をやられやすいのだから。場合によっては加湿器の購入も検討すべきかもしれないな。十一月ももうすぐ終わる。皆さんも風邪には気をつけて。


2010年11月25日 (木) 緑茶カウント:0杯
悲しいことを考えて悲しくなるのは自然であるので、それで良い。

さて、これとは特に関係の無い話であるが、永遠に覚えているつもりであったことを年々忘れていくことに驚いている昨今だ。何、大した話ではない。ただ、小学校中学校、高校時代の記憶にだいぶ靄がかかり、ごく印象深い出来事を除いては、思い出せなくなっているのだ。とはいえそれらの霞んだ記憶も、昔馴染みの人々に会えば自然といくつか蘇るだろう。正月に何人かと会えるだろうか。会いたいものであるよなぁ。

そしてまた、話がふらふらと移動するのであるが、中学の頃の自分に言ってやりたいことがある。細かい出来事は思い出せないが、当時の自分が何を思って生きていたかは覚えているので、言ってやりたい。何とかなるもんだよと。どうにでもなるものさと。己の正体を掴めず右往左往するだろうが、十年経ったら何とかなる。そう言えば、十年前の自分は十年後、どんな人間になると思っていたのだろう。思い出せないが、そもそも何も考えていなかったのかもしれない。それすらも記憶に無いのであるのさ。


2010年11月26日 (金) 緑茶カウント:0杯
日々、目を酷使しているので仕方ないことではあるが、このところ目が疲れに疲れて疲れてつらい。特に疲れている折などは目の奥に痛みを感じることすらある。大島弓子が自身の漫画で描いていたが、確かに、目は生物であるのだなぁ。

多少は何かをしようという気持ちが無くも無いので、気休めに毎朝、ヨーグルトにブルーベリーのジャムを入れて食べてはいるのだが、気休めは気休めである。薬のような効き目は無い。視力もまた落ちてきたようであるし、大事にしなければならないことはわかっているのだが、これがなかなか。せめて寝る前に蒸しタオルを瞼に当てて労わるか。一生の付き合いであるものだしな。


2010年11月27日 (土) 緑茶カウント:2杯
告白するなら、このところ、気分の浮き沈みが激しい。本日も鬱々と悲しいことを考えて悲しくなっていた。しかし悲しさを感じながらも、悲しみに浸ることにのめりこみ、あえて突き詰めていこうとする自分自身に気付いてもいる。その客観性がある限りは大丈夫だとも思っている。

人間関係ってのは、喜びや嬉しさをおすそ分けしてもらうこともあれば、悲しみや憎しみをおすそ分けしてもらうこともある。己の悲しみは大概おすそ分けでいただいたものだ。よって、自分自身が真に困った状態にあるのでは無く、所詮は一部の欠片をいただいただけなので、当事者に比べれば大したことが無い。だからどこまで行こうとも、己はいつまでも大丈夫なのだ。

そしてまた、おすそ分けを遠慮され、抱えきれないものに押し潰されて小さくなられてしまうくらいなら、欠片の一つ二つくらい投げて寄越してもらえる方がよっぽど嬉しいので、これは歓迎すべき状態なのである。よって、これで良いと思っているのだが、思っているのだが、だ。

それにしても。現在のことならともかく、昔にいただいたおすそ分けを掘り起こして、反芻し、噛み締めるなど、無駄以外の何ものでも無い。だというのにも関わらず、わかりつつもそれをやるのは、それをせずにはいられないからである。

せめていただきものでさえ無ければ好き勝手にブチ撒けられるのだが。この歯がゆさだけが、自分自身から生ずる悲しみだ。たったこれっきりである。あぁ歯がゆい。

なに、もどかしいだけで済むのであれば、これはやはり大したものでは無いのさ。所詮はな。他人事だからな。所詮はな。


2010年11月28日 (日) 緑茶カウント:4杯
よっし! もう一週間経ってしまったが、「サーチライト!後期曲(レティクル〜San francisco)を大量に、お座席も入れての2010年大感謝ツアー」大阪公演の感想を書くとしようか。せっかくだから2daysに参戦したいということで、大阪名古屋のチケットをとってしまったのだが、いやはや。大阪と名古屋って意外と距離があるんだな。もうちょっと近いものだと思っていたよ。

そんな地理に疎い人間による初めての大阪参戦記、というほど大したものではない。移動以外は基本のライブと同じであるので書き記すことも普段通りだ。と、いうことでセットリスト。記憶に間違いが無ければ以下のはず。


サンフランシスコ
タチムカウ〜狂い咲く人間の証明

ハッピーアイスクリーム
パリ・恋の都
トゥルー・ロマンス

小さな恋のメロディ
僕の歌を総て君にやる
機械

フィスト・オブ・ヒューリー
愛のためいき
蜘蛛の糸
おもちゃやめぐり

SAN FRANCISCO(Be Sure To Wear Flowers In Your Hair)
これでいいのだ
カーネーション・リインカーネーション
サーチライト
221B戦記

〜アンコール〜

山と渓谷
さらば桃子
再殺部隊
モコモコボンボン
釈迦


昨年の初期曲限定レアライブに続く、後期曲中心お座敷ありライブ。一番の期待と注目はやはり、ツアータイトルに冠されているサーチライトをやるか否か、ということだった。このツアータイトルを目にするまで、まさか今後ライブでサーチライトを演奏される可能性が出てこようとは思っていなかっただけに、期待感と不安感で心躍らされたものだ。筋肉少女帯にとっても、大槻ケンヂにとっても特別な位置づけにある曲ではないか、と個人的には思っている。これをやるのか。やれるのか。

そしてついに、己の目と耳で、今のサーチライトを体感した。
それはとても豪華で楽しく、健康的なサーチライトだった。

やれるのか、と思った所以はここにある。同時になるほどと納得した。筋肉少女帯は本当に健康になったのだ。それをしみじみと実感し、サーチライトで語られる言葉は、当時のオーケンの心情を表したもので、今のオーケンの言葉とは少し違っているのではないか、と思わされた。

具体的に言うと、今のオーケンは「俺みたいになるなよ」とは思ってないんじゃないかな、と感じたのである。いや、あくまでも自分の主観であるのだが。その主観のままに語るのなら、既にオーケンはサーチライトの閉塞感と狂気と自虐を通過して、「やあ詩人!」と語りかける声に対し、「そうだねぇ〜」と笑いながらにこにこと受け止められるところまで来たのではないかと感じさせられたのである。だから自分には、あのサーチライトの語りを聴いて、現在の大槻ケンヂの語りでは無く、当時のオーケンの言葉を語る現在の大槻ケンヂ、というものが見えたような気がした。誤解を恐れず言うならば、他者の言葉を他者になりきって語っているように見えたのだ。

「サーチライトは月の光と共に」の部分で観客がゆらゆらと手を左右に振る動作が、和やかで楽しげな雰囲気を作り出し、視覚的にもサーチライトの雰囲気を変えたのかもしれない。同じ曲でもこうも印象が変わるのか、と驚きながら自分も左右に揺れていた。

正直に言えば、物足りなさを感じもした。ちょっと寂しくもあった。とはいえ、予想していたことでもあり、あぁ、本当に筋少は健康になったんだな、と安心しもした。自分は当時を体感していないので本やMC、ライブレポートによる情報でしか知らないが、凍結前の後期筋少はそれは危うい状態だったらしい。だからこそ一度凍結するはめになり、再結成まで八年かかったのだ。その当時の空気を脱却した証拠が健康的なサーチライトである。逆に、サーチライトの頃の筋少が、再結成後の筋少曲を演奏することなるとしたらどのような仕上がりになるのだろう。それこそ空想の話でしか無いが、無理が出るだろう、と己は思う。

さて、サーチライトばかり長々と語ってしまったが、他にも語りたいことがあるので、そろそろ最初から順を追って語るとするか。スタンディングでもお座席でも照明が落とされると歓声が沸くのは変わらない。メンバーが登場。第一曲目はまさかのサンフランシスコ! いきなりのド定番で盛り上がらないわけがない。ここのベースソロで内田さんに透明感の無い、紫がかったドピンクのライトが当たっていて、それが何とも怪しげで格好良かった。何度も言うがベースソロはもっとあっても良いと思う。いや、たまにあるからこそ際立つ良さというものもあるかもしれないが、もっと聴きたいと思うのだよ。

サンフランシスコの次がタチムカウ。タチムカウは思い入れのある曲なので感慨深い。これを浪人時代に聴いて受験にタチムカっていたのだよ。懐かしいなぁ。あの頃は生で筋少の音楽を聴けるなんて夢にも思っていなかった。あの頃からも時は流れているのである。変わるというのは良いものだ。

タチムカウの後には何と盛り上げるためにビールにイッキが行われた。これは確か、初めて参戦した中野サンプラザの復活ライブでも行われたので、イッキコールに参加するのはこれで二回目になると思う。嬉しい。嬉しいが、大槻さん大丈夫っすか。通風平気なんすか、とハラハラしてしまう。大阪名古屋のどっちだったかは忘れたが、後期に比べて心は健康になったが体は不健康になってしまったとオーケンが語っていた通り、年齢も年齢だし、あまり無理はしないで欲しい。いつまでも元気で筋少をやって欲しいのだ。

お次は亡霊ゾーンとでも言うべきか、ハッピーアイスクリーム、パリ・恋の都、トゥルー・ロマンスの三連打。ハッピーアイスクリームの合いの手が綺麗に決まったときの快感といったら無い。パリ・恋の都ではエディが変なダンスを踊っていたのだが、具体的にどんなダンスだったかは忘れてしまった。揺れていたような気がするのだが。

この後のMCで紳士協定が結ばれた。「ジプシー男爵」という宝塚か何かの劇のポーズらしきもの、という大変曖昧な認識なのだが、脇を締めて右手の肘を折りたたみ、右の手の平が左側を向くように指をそろえて右耳の前あたりで立てるポーズが、タチムカウの後のMCのときから流行っていて、何かに付けてメンバーがジプシー男爵ポーズを決めていたのである。だが、あまりにも笑いを誘うのでオーケンによって「真面目な曲のときにやるのはやめましょう」と約束されたのである。余談だが、このジプシー男爵ポーズは東京公演のときにも行われていて、大阪で爆発的ヒットをし、名古屋で飽きられたようである。とにかく今回の大阪ライブでは、何度も何度もジプシー男爵ポーズが色々な場面で決められていたのだ。

しかしニコニコな筋肉紳士達、紳士協定は守られ、お次のオーケン曰く「神セトリ」三曲中ではジプシー男爵は封印された。小さな恋のメロディ、僕の歌を総て君にやる、機械の三つである。小さな恋のメロディ以外は準定番なのでよく聴いたことがあり、あまり目新しさは無いが、「機械」のキーが原曲キーよりも低くなっていたという驚きがあった。「天使、その羽」のところだったかな。この歌い方は確か今回が初めてでは無いだろうか。少なくとも自分が参戦しているライブでは初めてのはずである。

恒例のアコースティックゾーンではお座席を有効活用してしっとりと聴き入る。ステージからおいちゃんがいなくなり、オーケン、内田さん、橘高さんの三人になる。内田さんがいるのは珍しいなと思っていると、オーケンが「あ、内田はいてもいいんだ」と確認をしていた。しかし内田さん、楽器は持っていない。いったい何をやるのだろうか。

アコースティック一曲目はまさかの! オーケンのギターによるフィスト・オブ・ヒューリー! ……あれ、このときはおいちゃんいたっけか。この後においちゃんが退場したのか? 記憶が曖昧である。

内田さんの役柄の謎は「愛のためいき」で解けた。ギターは橘高さん。ボーカルはオーケン。内田さんは指揮。ゆるやかな曲調でありながらも観客との掛け合いがある曲なので、客の「入り」を合図する必要があるのだ。その前にオーケンが初っ端の入りを間違えたのでオーケンを導く仕事もあったのだが。愛のためいき終了後、内田さんはジプシー男爵ポーズを決めながら退場し、しっとりした空気に笑いを起こして去っていった。

入れ替わりでおいちゃんが登場。アコースティック三曲目は蜘蛛の糸! おお! 蜘蛛の糸は初めて聴いた筋少曲で思い出深い! でも、一度アコースティックではない形式でも聴いてみたいものだ。「笑ってろ、見てろよ」の担当はおいちゃん。後日、おいちゃんの歌う「笑ってろぉ、見ぃてろぉよ、ぉお〜」が耳に残ったまま、アルバムの蜘蛛の糸を聴いたら、やけにさっぱり終わるように聴こえて違和感を覚えた。おいちゃんバージョンに耳が慣れてしまったようである。

内田さんが入場し、おもちゃやめぐりへ。ここで観客は立ち上がったのだが、オーケンはおもちゃやめぐりでも座ったままやるつもりだったらしく、慌てて立ち上がったそうだ。おもちゃやめぐり終了後、これくらいの曲が盛り上げ曲なポップスもあるのに、やっぱり筋少は激しい、とオーケンが言っていた。

ここでまたオーケンによるギター演奏が。ベストアルバム「SAN FRANCISCO」一曲目、片仮名ではない方の「SAN FRANCISCO(Be Sure To Wear Flowers In Your Hair)」だ。ギターを構えるオーケンを、おいちゃん、内田さん、橘高さんがドラム台に座って保護者のように眺めている。それに対し、「この後続くんだから前に出た方が良いよ!」とオーケンが良い、三人はドラム台から腰を上げて定位置に。

オーケンのギターに合わせて、自然と観客の手拍子が始まる。が、手拍子を止めるオーケン。人にリズムをとられるとわからなくなってしまうらしい。橘高さんが「好きにやらせてやって!」と言っていて、まるで本当に保護者のようで笑ってしまった。

オーケンのSAN FRANCISCOは、原曲よりもややテンポが速めではあったが、予想以上に上手い。ちょうど去年に行われた、初期曲ライブでのルリヲ前のギターとは比べ物にならない。これがオーケンなのだろうか、と思ってしまうほどである。

しかしオーケンはちゃんとオーケンだった。SAN FRANCISCOの終わり、思いっきりシャウトした次の曲名が「SAN FRANCISCOからの………サンフランシスコー!!」だったのだ。サンフランシスコは本日一曲目にやっている。何だ? これはどういうことだ? またサンフランシスコをやるのか、もしかして仏陀Lバージョンをやるのか、と頭上にハテナを浮かべながらステージ上の動きを待つも、見てみればメンバーも困っているようであり、何故か悶絶しているオーケンに「からの? からの!?」と橘高さんが軌道修正をしようとしていた。

流石にサンフランシスコを二回やるとはなく、これでいいのだが正解だった。オーケンが悶絶していたのは外そうとしたギターを鼻にぶつけたせいだったそうだ。せっかく格好良かったのに、全く、実にオーケンらしいなぁ。

と、一時ぐだぐだっと和やかになったが、ここからは怒涛の展開である。これでいいのだ、カーネーション・リインカーネーション、そして本日の目玉サーチライト! 本編ラストは221B戦記で締め! どこかにジプシー男爵ポーズがあったかもしれないが、全く覚えていられなかった!

アンコール一曲目は和やかに山と渓谷。ライブハウスでやっほーコールなんてもんをすることになろうとは思わなかった。メンバーが各々好き好きにやっほーやっほー言っていて楽しい。橘高さんのやっほーは非常に漢らしかった。

和やかムードから一転して次がすごい。さらば桃子と再殺部隊のこの二曲。今回のライブで一番良かったのは個人的にはこの二曲だ。さらば桃子は絶対にCDよりも格好良くなっている。再殺部隊は語りに力がこもっていてゾクゾクした。実はこの二曲とも、アルバムでしか聴いていなかった頃は筋少曲の中での好きさ加減で言えば普通くらいだったのだが、橘高さんの二十周年記念ライブで聴いて以来グンと急上昇したのである。そしてまたこうしてアルバムを聴き返すと印象が変わるのだから面白い。

モコモコボンボンでは内田さんがボーカルをとり、全身キンキラキンの謎の衣装に身を包んだオーケンが曲の途中に登場するという演出があったのだが、何よりもエディである。エディが! ステージを下りて! 無表情で客席を練り歩いてくれたのだ! 位置が良かったおかげで二回もエディに触れてしまった! 予想出来なかったサプライズに大興奮してしまったよ。間近で見るエディはとても大きかった。背中にチャックは無かった。

ラストはキラーチューンで釈迦。大盛り上がりの大団円で終了し、終演のアナウンスによる一本締めで綺麗に幕が閉じられた。去年の初期曲ライブほどのレアさは無かったが、やはり筋少のライブは楽しい。変化を再認識することも出来た。はるばる大阪まで足を運んだ甲斐があったというものだ。

しかしまだ終わらない。明日は名古屋が待っているのだ。大阪に続き人生初の名古屋の地。無事に辿り着けるかな。


2010年11月30日 (火) 緑茶カウント:2杯
結局風邪を引いてしまい、病院と薬局に行ってきた。そろそろ本格的に加湿器の導入を検討したい。前段階として霧吹きを購入してみたが、霧吹きは寝ている間に稼動できない点に難がある。

しかしこれ以上部屋にコードが増えるのも気が進まないのが正直なところ。とはいえ健康には代えられない。これ以上風邪をこじらせるのは御免被りたいのである。あぁ、でもコードが。コードとLANケーブルの這い回る我が部屋。この線は全て蔦だったら愉快な気持ちになれるのに。蔦這い回るウヲの部屋。茶色のフローリングに合いそうだ。




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