2010年10月1日 (金) 緑茶カウント:3杯
あぁ、愛を告白されたいなぁ。一言、好きですと言ってもらえれば、ごめんなさい、と返して全てを終えることが出来るのに。面倒くさい。
あからさまで遠回りで時に直接的な、ほのめかすような態度をとりつつその行動は非常にわかりやすく、だが、決して言葉にして本人には伝えない慎ましさのおかげで、誰から見てもわかる好意の連射攻撃にもこちらに打つ手も術も無い。
そういった好意の表現をしてくるのは、愛を告白するのが恥ずかしい、勇気が出ない、踏み切れない、といった理由もあるだろうが、一番は伝える対象、即ち己が、恋愛にさして興味関心はありませんよ、誰かと付き合いたいという欲求はございませんよ、といったことを公言しているからだということはわかる。負けると決まった勝負を挑むのは馬鹿のすることだ。しかし、それにしてもだ。
だいたい、この己に気付かれるなんて相当なもんだぜ。自慢じゃあ無いが高校時代、美術部内で何組かのカップルが発生したり破滅したりしていた事情を知ったのは卒業してから数年後、という関心の無さ、鈍感さで、大学に入ってからも同じことを繰り返しているような人間だぞ。そいつが確信してるってのはいったい如何ほどになると思う? 尋常じゃないってことさ。つまりは。
向けられる笑顔と差し出される贈り物がつらい。あなたの好きなものを私も好きなの、と感動の共有をしたいがために、あれこれと手を出して語ろうとするも無理が出ている姿が痛ましい。わかった、わかった、わかった、わかったから。君の思いはわかったから、でも、だからって、興味関心が無いなら無理をするなよ。君が本当に好きなものを心から楽しんで語ればいいじゃないか。あぁ、全く、こんな自意識過剰のような日記を書いてしまって恥ずかしい。だが吐き出さずにはいられなかった。いっそ思い違いであってくれれば助かるのだが。参ったよ、本当に。
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