10月      

2010年10月1日 (金) 緑茶カウント:3杯
あぁ、愛を告白されたいなぁ。一言、好きですと言ってもらえれば、ごめんなさい、と返して全てを終えることが出来るのに。面倒くさい。

あからさまで遠回りで時に直接的な、ほのめかすような態度をとりつつその行動は非常にわかりやすく、だが、決して言葉にして本人には伝えない慎ましさのおかげで、誰から見てもわかる好意の連射攻撃にもこちらに打つ手も術も無い。

そういった好意の表現をしてくるのは、愛を告白するのが恥ずかしい、勇気が出ない、踏み切れない、といった理由もあるだろうが、一番は伝える対象、即ち己が、恋愛にさして興味関心はありませんよ、誰かと付き合いたいという欲求はございませんよ、といったことを公言しているからだということはわかる。負けると決まった勝負を挑むのは馬鹿のすることだ。しかし、それにしてもだ。

だいたい、この己に気付かれるなんて相当なもんだぜ。自慢じゃあ無いが高校時代、美術部内で何組かのカップルが発生したり破滅したりしていた事情を知ったのは卒業してから数年後、という関心の無さ、鈍感さで、大学に入ってからも同じことを繰り返しているような人間だぞ。そいつが確信してるってのはいったい如何ほどになると思う? 尋常じゃないってことさ。つまりは。

向けられる笑顔と差し出される贈り物がつらい。あなたの好きなものを私も好きなの、と感動の共有をしたいがために、あれこれと手を出して語ろうとするも無理が出ている姿が痛ましい。わかった、わかった、わかった、わかったから。君の思いはわかったから、でも、だからって、興味関心が無いなら無理をするなよ。君が本当に好きなものを心から楽しんで語ればいいじゃないか。あぁ、全く、こんな自意識過剰のような日記を書いてしまって恥ずかしい。だが吐き出さずにはいられなかった。いっそ思い違いであってくれれば助かるのだが。参ったよ、本当に。


2010年10月2日 (土) 緑茶カウント:3杯
日記を読み返して気付く。もう十日も風邪を引いていたのかと。この風邪の野郎めが、どうにもしつこく己の体内に居座りやがる。よっぽど居心地が良いのか知れぬが、そろそろ出て行っていただきたい。今日、一日外に出ず、昼間はほとんど眠って過ごしたわけだが、病院に行っときゃ良かったかな、と思う深夜、一人咳き込む。昼間は良いが、日が落ちて空気が冷たくなると良くないらしい。一応部屋に濡らしたタオルを干して空気が乾きすぎないよう気を遣ってはいるのだが。限界があるかなぁ。明日、市販薬を買い足しに行くか。


2010年10月3日 (日) 緑茶カウント:3杯
観念して秋冬用の衣服を購入した。流石に十月だ、もう抗えない。そもそもこの体調じゃあ抗え切れていなかったとも言える。ハナから勝ち目の無い勝負だったのだ。喧嘩を売るだけ無駄だったのだ。いや、喧嘩を売ったっつうか、単に面倒くさかったからズルズルと先延ばしにしていた、ってだけだったんだがな。

それとだな。やはり、心の栄養も大事だが、体の栄養も大切だ。と、いうのを今日実感したわけであるが、ケイオスユニオンにあれこれと支払いをし、あれこれと我が家に届いてしまったため、既に食費その他が危機状態になり果てている。今月は橘高さんのライブもあるのにどうするつもりだ。どうにかしよう。どうにかなるかな。


2010年10月4日 (月) 緑茶カウント:1杯
どうしたわけか。パソコンからネットに繋げなくなってしまった。ルータとモデムを再起動してみたり、モデムに直接繋いだり、LANケーブルを取り替えてみたりと出来うる限りのことを試してはみたものの骨折り損の草臥れ儲け。もしやパソコンに原因があるかもしらんが、現状それを調べる術は無く、明日、外にパソコンを持っていって、よそで繋いでみるまではどうにもならない。ふむ。

これで実際パソコンに原因があったらどうしようか。どうしようかと言ったところで、修理に出すか買い換えるかしかやりようもないのだが、買い換えるにしたってそんな余裕はありはしないぞ。ものすごく頑張れば出せなくも無いが、なるべくなら頑張りたくない程度に余裕が無い。ううん。モデムかルータ、もしくはその他に原因があってほしいものだ。一番は明日の朝、繋げてみたらコロッと何事も無かったかのように回線が回復した、なんて奇跡が起こってくれることだが。そう上手くはいかないか。

ところで、秋冬用の衣服を着てみたら、思いのほか温かで、ぬくぬくで、ご機嫌である。うむ。着るものが増えるとその分ポケットが増える、これは愉快で結構好きだ。何を入れるというわけではないのだが、ポケットがたくさんあると嬉しい。あと、着膨れすると性別や年齢が一見わかりにくくなるのが良いね。曖昧なものがうろうろしているのを自分はとても好ましく思う。一見して何者だかわからない、なんて素敵じゃあないか。不安を煽られて。好きだな。そういう感覚。愉快になるよな。気味が悪くて。


2010年10月5日 (火) 緑茶カウント:0杯
パソコンを外に持ち出してよその回線と繋げてみた結果、見事、インターネットに接続された。ほっとする反面、また原因探しに戻らなければならないことに対するため息が一つ漏れる。はぁ。

そうして今日もあれこれと、携帯電話を片手に、細々と検索をかけながら復旧を試みるも芳しい結果は得られない。不便である。いったい何が悪いんだろうなぁ。困ったなぁ。


2010年10月6日 (水) 緑茶カウント:0杯
特に意識してのことではないが、このところ水分の過剰摂取をしていなかった。朝はジュースを一杯、日中はお茶を三百ミリリットルほど、夜はお茶を一杯か二杯。すると明らかに、わかりやすい形で体に不調が現われた。風邪とは別にしてである。何故それが水分の過剰摂取をしなかったことが原因である、と断定出来たかと言えば、水分の過剰摂取を再開した途端に症状が回復したからである。何とわかりやすい体だろうか。ネット回線の方もそれくらいわかりやすくあってくれれば助かるのだが。と、いうことで本日も復旧のめどは立たず。水分は朝にジュースを一杯に水道水を二杯、昼に緑茶を五百ミリリットル、夜に紅茶を五杯、という形で摂取した。良好である。風邪は未だ治ってないが。


2010年10月7日 (木) 緑茶カウント:0杯
昨日の日記に補足。ペットボトルやパックの緑茶は緑茶カウントの対象外になるので注意をするように。緑茶カウントの対象となるのは自分で淹れた緑茶のみである。注意するように。何にだ。


2010年10月8日 (金) 緑茶カウント:0杯
身体機能の著しい低下を意識し、自覚したので、昨日から寝る前にストレッチを始めることにしたが、いつかのスクワットのように三日坊主を遥かに超えた一日坊主で終わりそうで、我ながら呆れざるを得ない。とはいえそうも言っていられない。まだ二十代半ばだと言うのにこれは流石にいかがなものか。人より歩いているつもりでいたから油断した。あんな程度の歩行と移動じゃ動かされる体の部位は限られていて、あそこやここらはほとんど活用されておらず、活用されないから錆付きて、ぼろくなっちまったってわけだ! 試しに前屈をやってみたら全然手が届かないでやんの。情けない! あぁ、情けない!

そうだ。己はもう二十代半ばなのだ。精神ばかりはいつまで経っても成長しないから、こうして文字や言葉にしないとうっかり忘れてしまうのだ。何と無く、いつまでも二十二歳程度である気持ちでいる。そのくせついつい年齢を数え間違えて一つ二つ多いものだと思い込んでいたりする。そしてネット上ではその言動と好みの性質から三十代だと思われる。しかし身長は小学生だ。うまく落ちたと思ったか!

ところで、iPhoneからこの日記を見ると文字が崩れてしまうので読むことが出来ない、なる指摘を受けたのだが、この日記、というかサイトはHTMLで組んでおり、しかもメモ帳でポチポチやっているため恐らくミスも多いだろうし、そのうえ知識は初めてサイトを作った中二の頃からほとんど進歩しておらず、iPhoneがどんなものかっつーこともよくわかってないので、どうかあれだ。パソコンから見てください。よろしく。


2010年10月9日 (土) 緑茶カウント:0杯
流石、長年の己の習性をよくよく理解しているな、と感心しつつ呆れているのは一日坊主が実現したから。ところで本日、ひどい乗り物酔いにやられて夕飯をとる元気が出なかったのだが、何故かネット回線は復旧した。何故復旧したのか理由はわからない。気まぐれか。それとも乗り物酔いですっかり参ってしまった己に同情してくれたのだろうか。まぁ、何にせよ良かったよ。暇を持て余すことこそ無かったが、不便であることに変わりは無かったからな。


2010年10月10日 (日) 緑茶カウント:4杯
ふと、何故自分はこんなところにいるのだろう、と思うことがある。どこをどうしてここに辿り着いてしまったのか。後悔ではなく、疑問である。普段、活動している時には感じないが、一人で部屋の中でぼうっとしている時などに、不思議だなぁと思うのだ。不思議だなぁ。

今自分のいるところは、望んで行き着いたところでもあり、望まずして来てしまったところでもある。運命のような巡り合わせの力も多分に感じる。そうしてまたふと思うのだ。十年後の己はいかにして過ごしているのだろうと。二十代半ばまで来てしまったが、中身は歳相応に育っていない。結婚は無理だ、とわかっている。だが、結婚し、子孫を残すことを望む親族もいる。名字を次の世代へと繋げることを望まれている。

しかし、そいつが無理な話だってのは、昔から薄々感じていたことだし、先日出席した友人の結婚式で嫌と言うほど思い知った。あれは己には不可能だ。出来ないことだ。では、それを納得させるだけの材料を集められるか。別の道に辿り着くことが出来るか。どうかなぁ。

そもそも己は何になりたいのだろう。よくわからん。よくわからんうえに大して焦ってもいないのだから始末が悪い。何だかんだで、こういうこともあるだろう、と納得してしまっているのだ。長い人生、何だって起こりうる。だから今の状態も必然であり正常だ。そのように受け入れてしまっているのだ。

焦りを感じるほどの恐怖感を抱いていればまた違うのだろう。それが無いから問題なのだな。


2010年10月11日 (月) 緑茶カウント:4杯
思えば十代の頃に抱えていた主題は、己の内外に生じているズレにいかにして落としどころを発見するかであり、なかなか理解されにくい事柄であることから相談出来る人物も自然と限られ、何かをきっかけにしてそれを突きつけられたときなどに、自分はいったい何なのだろう、とくよくよ思い悩んだものだ。ようやく見つけたかと思われた答えも心から納得出来るものではなく、しかし違和に気付きつつもこれと思ってすがりつくしかなく、だが、すがりついたところでぼろが出て、あ、やっぱ違ったな、と思い知ってまた悩む。こんなことを繰り返し、やっとこんがらがった紐の塊を解いてくれる一つの結び目を見つけたのは二十歳を過ぎてからだった。

その探り当てた答えは自身を納得させてくれるものだが、人に説明するにはわかりにくいものだった。よって、これからの己の主題は、このわかりにくい答えを飲み込んだ自身がこれから生きていくうえで、どこまでを説明し、どこまでを説明せず、理解してもらうか、もしくはあえて誤解を与えておくか、ということだ。人は黒か白かはっきりしたものを好む。わからないものは不安を呼び、不安は不快に繋がるから、白でも黒でもともすれば、灰色でも無いものは歓迎されないものなのだ。さて、ある種のマイノリティであると自覚し、納得した先でいかに生きるか。答えを発見したところで即解決、といかないところが憎らしい。面倒くさいことこの上無いが、腹をくくれば度胸も持てる。見つけた答えは解決こそ与えてはくれなかったが、自信を持たせてくれはした。現在二十代半ば。壁も山も多かろうが、飛び越えるなり迂回するなり、頑張ろう。


2010年10月12日 (火) 緑茶カウント:3杯
ドライブに誘われた。さして親しくもなく、しかし特に嫌いでもない人間に。いつかの呑みの席で今度遊びに行きましょうと誘われたことがきっかけだが、まさか後日律儀にメールを寄越してくれるとは思わなかった。正直、あまり気乗りはしない。

昔、と言っても高校に入ったあたりの頃から、積極的に仲良くしようとしてくる人は苦手だった。何故この人はよく知りもしないこんな人間と繋がりを作ろうとするのだろう、面倒くさい、と思って及び腰になり、若干引き、拒絶反応が出て逃げようとしてしまう。実際、無碍にあしらったり逃げ回ったりしたものだ。高校のときも大学のときもそうだ。そうして、今も連絡を取り合っているのは、逃げ回る自分に対し尚も積極的に近づいてきた人、なのである。

だからさぁ。気乗りしないし。面倒くさいし、ちょっと嫌だな、と思うけど、これまでのことを考えて、少し我慢して関わり合ってみようと思ったのさ。受動的なことに変わりは無いが、せめて逃げ出しはせぬように、やってみようかなぁ、と。な。

ちなみに、せっかく積極的に接してくれたのに、自分がそっけない態度をとるものだから、落胆してか諦めてか、嫌いになってかとにかくも、離れていった人も多くあるよ。むしろそういう人の方が多いのではないかなぁ。ちゃんと覚えちゃいないのだがね。

決して人間嫌いでは無いが、知らない人間が嫌いな人間の話である。まぁ、ドライブ、頑張ってみるよ。


2010年10月13日 (水) 緑茶カウント:2杯
体を鍛えたくなってきた。そういう衝動が湧き起こっている。ちょっと体を引き締めたい、というのは何と無く体に気持ち悪さを感じるからだ。見た目ではなく、感覚的に。ううん、一日坊主の権化がいつまで続けられるか知れないが、とりあえず、そこここの数値を測ってみることから始めようか。メジャーメジャー。


2010年10月14日 (木) 緑茶カウント:3杯
体を鍛えるためではなく、自分のデータを集める目的でストレッチをすることにした。体重、体脂肪率、筋肉量、基礎代謝量、内臓脂肪レベルを測定し、紙に記録をするついでに筋トレをするのだ。この日記を見ていただければおわかりいただけるかと思うが、些細なことをあれこれと記録することを己は好む。また、中学高校の頃はゲームの攻略本集めにはまったことがあった。キャラクターのデータや、本によって異なる解説文を収集することが楽しかったからだ。そして今、現在進行形で続けている無意味な記録と言えばこの緑茶カウント。日記を書いている最中に一杯増えたらきちんと記録し直しているんだぜ。何に使うこともないのにさ。

あとは元来のオタクな気質がうまく作用して、上手に「はまる」ことさえ出来ればしめたものだが、さて、それはどうかな。とりあえずワードで記録表は作成した。しかしプリンタのインクが一本切れていたため印刷出来ず、結局コピー用紙にボールペンで手書きした。白黒印刷をするのにマゼンダは使わないんだから動いてくれても良いのに、この融通の利かない奴め。まぁ良い。さぁ、始めるぞ。


2010年10月15日 (金) 緑茶カウント:3杯
「記録を付ける」という目的に切り替えた途端、やる気が湧いてくるってんだから単純な構造をしているものだよ、己という人間は。せっかく記録を付けるなら数値が変動した方が楽しいしな。変動を狙うには運動しなけりゃならんしな。そういうわけでストレッチを始めたわけではあるが、昨日、開始早々左肩を痛めた。無音のラジオ体操をしていただけで。大事には至らず、すぐに痛みは収まったが、自分の体はもうだめかもしれない。劣化具合を体感した二十四歳の秋である。


2010年10月16日 (土) 緑茶カウント:2杯
夢心地と言うか、現実感が無いと言うか、とにかく、ふわふわしている。先程、水戸華之介&3-10Chainと穴場の対バンライブ、「プロ野郎スピリッツ2010」に行ってきた。それからずっと放心中だ。そんなわけで、放心している理由と共にライブの感想をここに書き記すが、セットリストやMC、全てにおいてネタバレ満載なのでどうかご注意願いたい。

ライブ会場は「The voodoo lounge」。キャパは二百ほどの小さなところだ。と、いうことは以前下北沢のクラブ251に行ったときのように、スタンディングスペースに荷物を持ち込んで入る形式なのかもしれないな、と思い、手ぶらで出かけることにした。財布や携帯電話、ウォークマン、ハンカチの類は腰のシザーバッグへ。これで何とかなるだろう。

今回、努力が実ってかなり良い整理番号を手に入れることが出来たので、最前、もしくは最前近辺を狙えるかもしれないな、と期待してライブハウスに向かった。五百円玉とチケットを握り締め、一人ずつ順番通りに中に入る。おお、結構良い位置だ。二列目の中央下手寄りに立つことが出来た。しかし、だ。

お客が荷物を中に持ち込むことは予想していたが、端に寄せるだけでなく、そのまま足元に置いていることには驚いた。それやっちゃったらライブ始まってから邪魔になるんじゃないかなぁ。踏まれても文句言えんと思うけどなぁ。良いのかなぁ。

そんでもって案の定、と言うほどでは無いが、この足元に置かれた荷物がライブ後半で思わぬ作用をもたらしたのであった。

開場から三十分で開演なら、待ち時間が少ないから楽で良いよなぁ、と思いつつ、暇つぶしに周囲を観察してみると、圧倒的に女性客が多い。九十五パーセントは女性のようだ。水戸さんファンに女性が多いのは福岡でも変わらないらしい。年齢層は三十代四十代が多そうだ。自分より年下らしき人は見当たらない。ふむ。なかなか珍しい状況だ。

ステージの前には白いスクリーンが下ろされている。緞帳の代わりだろうか。聞いた話によると穴場が最初で、3-10Chainは後らしい。するとこのスクリーンは穴場の演出なのかもしれないのか。

さて、ついに。会場の照明が落とされてあたりが薄ぼんやりとした闇に包まれる。来た来た来た来た! 高まる期待感を胸に前方を見据えれば、映画が始まった。えっ。

海外の映画に別物の字幕をくっつけたもの、らしく、会場後方で笑いが起こっている。何故後方か。前方は近すぎて映像がよく見えないからである。言うまでもなく己の位置からではどんな内容の代物だったのか把握することは出来なかったが、前説の機能を持つ映像らしいということはわかった。映像は終了し、スクリーンが上り始める。さぁ、いよいよだ。

そこに現れたのは「穴場」の二人、杉本恭一と上田健司だ! おお! 杉本さんはアコギ。上田さんが持つのは不可思議な形をしたチェロのような電子楽器だ。弦は四本で、尻を床に置いて立てて使用している。支えがあったか否かは忘れたが誰も触れていなくてもきちんと自立していた。時には指の腹で弦を叩くように弾いていたり、バイオリンに使うような弓で弦を弾いて音を奏でたり、ラジカセのように音を流して再生機の役割を果たしたりと多機能な代物で、あんまりそれが面白いために、気付けば上田さんばかりをじーっと観ていた。

穴場のお二人はスーツ姿。曲はアコースティックでご機嫌な感じだ。ぴょんぴょん飛び跳ねるのではなく、体を揺らして楽しむ感じ、と言ったら通じるだろうか。と言いつつ、一曲だけ杉本さんがエレキギターに持ち替えて突然お客がノリノリになったりした。この変化が面白い。

MCでは、「穴場」を「ANABA」と表記したら「ABBA」のようだった、と言っていたのだが、ABBAへの反応が薄く、「あれ、思ったより皆若いの?」とABBAの説明を追加してくれたりした。ABBAは字面を見たことだけならあるが、どういう代物なのかさっぱり知らなかったので助かった。そうかー離婚したのかー。

穴場のラスト手前の曲にアイヌ語が混ぜられているものがあり、アイヌ語好きな自分は一人勝手に興奮した。上田さんが「途中途中に意味のわからない言葉が入るだろうけど」と言っていたけど、わかったよ! カムイとかキムンとか! あとレラって言ってたかな? いやーにこにこしちゃったなぁ。

穴場が終了。お次は水戸華之介&3-10Chain。3-10Chainを見るのは二回目か。アンジーの曲も以前よりは手に入れたし、今回はセットリストも全曲わかるかもしれないな! ……と思ったのだが、未だ知らない曲が数曲あった。残念! そのうえさらに。記憶が一部滅茶苦茶になってしまっているが、まぁ一応書き記そう。


ロケットが飛ぶだろう
ハーイここまで

愛に愛はあるのかい?
100万$よりもっとの夜景
君と瓶の中

犬と夕暮れ
銀の腕時計
生きる

すべての若き糞溜野郎ども
サイクリング
(不明)
沈没船
リックサック
天井裏より愛をこめて

〜アンコール〜

(だくてん? ぎゃくてん?)
アストロボーイ・アストロガール


前半では「愛に愛はあるのかい?」と「100万$よりもっとの夜景」の順番が怪しい。後半はもう一曲ほどどこかに知らない曲があったような気もするのだがわからない。それというのもだ。それというのもだ。放心してしまったその理由が! 理由がだな!

アンコールの! アストロボーイ・アストロガールで! 突然ものすごい押しがやって来て! 二列目にいたのが最前に流されて! しかも柵が無い上にステージが低いからステージ上に自分の上半身が乗り出してしまって! その真横で内田さんが! 演奏を! していたのだよ!!

この興奮をわかってくれるか。もうわけがわからなくなった。

あのね。「君と瓶の中」で内田さんと澄田さんがイントロの「バンッ!」って音に合わせてギターとベースを振るう様子が水戸さんを中心とした線対称になっていて、それがまるで刀で斬るような仕草だったのが格好良かったとか、同じく君と瓶の中で、水戸さんの動きがかなりセクシャルだったとか、「銀の腕時計」で拳を握り締め、「生きる」で大喜びをして胸をぎゅうぎゅう締め付けられて、大好きな「糞溜野郎」で感無量で、まさかの「サイクリング」に興奮しつつもオーケンボーカルを恋しく思ったり、水戸さんと拳を合わせたり! 水戸さんが口に含んで霧状に噴射した水を頭から被ったり! いろいろ楽しいことが山ほどあったのに、内田さんが横取り四十万。

だって、おい。踏ん張ろうにも件の荷物、足元に置かれた他人様の荷物が邪魔をして足をうまく床に配置させることが出来ず、無論そんなことは構わず人は背後からぎゅんぎゅんに押してきて、ステージの角に当たった太腿が痛み、腕で体を支えようにも上半身はどうしてもステージ上に乗り出してしまって、その真横で演奏する内田さんの足が普通に体に触れたりするのだよ。その前、まだ立っていられたときに、ステージのギリギリまで出てきて煽る内田さんに手を突き出しつつ、触れそうな距離だが触れて良いのだろうか、周囲のお客は誰も手を突き出していないしなぁ、とどうしたものか躊躇していたら、ひょいっとネックを握る左手を傾けて自分の指先に触れさせてくれて頭の中で何かが爆発した直後に、これ。しかも初めての最前列でただでさえ興奮している。曲も大好きなアストロボーイ・アストロガールだし。もう。わけがわからない。

どこで挟まれたか定かでは無いが、水戸さんの「学園天国ヘイヘイコール」がきちんとオリジナルの音程のままで、ついオーケンに慣れた自分はオーケンの音程に合わせてコールしてしまいそうになって慌てたり、沈没船にうっとりしたり、後半杉本さんが合流してからは特に、3-10Chainのライブというよりもっと別の何かのライブのようだ、と思ったり、したのだが内田さんショックがでかくて未だ放心状態である。あまりに混乱してしまったためにうっかりドリンクも物販も忘れて帰りそうになったほどである。落ち着け。ちょっと落ち着け。自分。

明日、また熊本で穴場と3-10Chainのライブを観てくる。明日はもう少し冷静に観られるだろうか。


2010年10月18日 (月) 緑茶カウント:2杯
日記の重要性を再認識した。昨日、日記を書かずに眠ろうとしたのだが、ライブの興奮が体に残ったままだったためいつまでも目が冴えて眠りに付くことが出来ず、今日一日を寝不足で過ごすこととなったのだ。己はいつも日記で興奮を発散していたのだなぁ。意外に重要な役目を持っていたんだね、こいつは。

さて、引き続き水戸華之介&3-10Chainと穴場の対バンライブ、「プロ野郎スピリッツ2010」の感想を。例によってネタバレ満載なのでご注意を。

先日は博多。そして熊本。博多は水戸さんのホームであり、熊本は恭一さんの故郷である。土地ごとのMCもツアーの楽しみの一つかな。何か特別なお喋りはあるだろうか、と、楽しみにしながらライブハウスに向かう。おお、あったあった。ライブハウス「Django」。比較的わかりやすい位置にあったから助かった。これなら道に迷う心配も無いな。

下見を済ませてうろうろして後、時間前にまたライブハウスへ。中に入ると奥にステージがあり、入り口側にテーブルや椅子が設置されていた。無論自分はステージ前へ。いそいそと人の列の後ろに並ぶ。二列目だ。

ところが。会場に人が増えてきても己の後ろになかなか人の列が出来ない。お客の半分以上はテーブル席や椅子席、もしくは壁寄りの床に座り込んでいて、スタンディングスペースは三列目が最後列という謎現象が起きている。こんなことは初めてだ。これは…ライブが始まったらいったいどのようになるのだろう…。

少しばかりハラハラしていたのだが、ライブが始まると今まで椅子に腰掛けていた人々も前に来たのか、スタンディングスペースも賑やかになったようだった。あぁ、ほっとした。

出演順は昨日と同じく穴場が先だ。今回の会場にはスクリーンが無いため、開演前の映像の演出は無く、代わりに映像につけられていた音楽だけが流されていた。そして登場、穴場の二人! 恭一さんと上田さんだ! おおー! やっぱ上田さんの楽器は面白いなぁ! 何て名前なんだろうな、あれ。

昨日は上田さんの楽器に気を取られて気付けば上田さんばかりを見ていたが、この日は恭一さんもじっくり見られた。そこで気付いたのだが、昨日の日記で「恭一さんはアコギを持っていた」と書いたが、よく見たらエレキも演奏していた。アコギメインでエレキは一度だけ、くらいに思っていたが全然そんなことは無い。どれだけ上田さんの楽器に気を取られていたのだろうか。

チェロを細くしたような形をしている上田さんの楽器は、まぁ、流石にそうだろうとは思うが、よくよく見たら支えがあって、斜めに立てかけられる形になっていた。ラジカセのように音を流しているときは、その音はまるで洞窟の中で録音したかのようで、地下のライブハウスが洞窟に様変わりしたような錯覚を感じさせてくれた。湿った反響音がブゥウウウンブゥウウウウンと波紋のように広がっていくようでね。面白かったな。

最初のMCでは恭一さんが、「俺のプロ野球はここで終わりました」と一言。笑いが起こる会場。話によると先程地元のプロ野球チームが逆転負けしたそうで、野球に全く興味の無い自分はチーム名すら出てこないのだが、「穴場ということで、穴を空けようかと思いました」と気落ちしながら笑いをとる恭一さんには笑わせてもらった。

穴場で一番盛り上がったのは「便所!」とコールする曲かな。元々あった曲をラテン風に作り直したものらしい。出来る限り歌詞を聞き取ってみたのだが、生理現象と戦う人間の必死さと緊迫感を感じさせられる内容だった。

穴場の曲を聴きながら、あぁ、もう今聴いているこの音楽を聴ける機会は無いのかもしれないのか、と気付き、同時に聴き直したいという欲求が生じていることにも気付いたので、ライブ終了後CDを購入することに決め、実際購入して帰宅した。まだ封は開けていないがわくわくしている。CDで聴くとまた感じが変わるよな。楽しみ楽しみ。

お次は3-10Chainだ。以下、記憶したセットリストである。わからない曲があるのが悔しい。


ロケットが飛ぶだろう
ファンタジック

ハーイここまで
100万$よりもっとの夜景
君と瓶の中

犬と夕暮れ
銀の腕時計
生きる

サイクリング
すべての若き糞溜野郎ども
(不明。歌詞に「リックサック」「パヤパヤ」があった。)

沈没船
リックサック
天井裏から愛をこめて

(ぎゃくてん? だくてん? らくてん?)
アストロボーイ・アストロガール


若干の入れ替えがあるようだ。ファンタジックが聴けて嬉しい。もしや昨日は博多だからアンジー曲を多く入れてあるのだろうか、と思ったがその点の変更は無いらしい。それでだ。それでね。ちょっとした不満と言うか、物足りない点が昨日今日のライブにはあってだな。

何かっつーと、3-10Chainの名義なのに、3-10Chainの曲が少ないのだよ!

アンジーの曲も大好きだ。「銀の腕時計」では心が沸き立ったし、「サイクリング」が聴けたのもすごく嬉しい。「沈没船」も心から満喫した。けど…もっと3-10Chainの曲も聴きたかったなぁ、と思うのだ。

ブログで水戸さんが書いているように、確かにこれは「出し惜しみのないメニュー」ではあるのだが、何て言うかな。メインの肉料理をがっつり食べる気でいたら、デザートが思いの外充実していて嬉しかったのだけれど、肉料理が意外と少なくて、肉を堪能するつもりだった胃袋にはちょっと物足りなかった、という感じ。特にアンコールはどっちか、3-10Chainの曲を聴きたかったなぁ。

そこで気になったのが、水戸さんにおけるソロと3-10Chainの違いは何なのだろう、ということだ。今、ふと思い立って自分の行った水戸さんのライブの記録を見てみたのだが、3-10Chainでもアンジーの曲は演奏されていて、ソロの方でもアンジー、3-10Chainの曲が演奏されている。メインによっての比率の違いはあるが、明確な区分けは無いようだ。……とすると、メンバー編成に尽きるのかな。

無論、今回は大型ツアーで普段なかなか回れない地方の人々のためにいろいろな曲を聴けるようにしてくれたであろうことと、せっかく恭一さんが参加するのだから、それに映える曲をやろうとした意図があったことは理解しているよ。それでも! 尚! もうちょっと! 聴きたかったのさ!

閑話休題、本編へ。「こんにちは! 我々です!」というお馴染みの挨拶で現れた水戸華之介&3-10Chain! いよっしゃあああ待ってました! 一曲目は先日と同じく「ロケットが飛ぶだろう」! 沸き立つ会場! うわー楽しいなぁ!

そして二曲目の「ファンタジック」がたまらんかった! メンバー全員大合唱で賑やか賑やか! それでだね。自分は数日前までは水戸さんを観に行くつもりであったのに、気付けば内田さんばかりを見てしまっていた。昨日の内田ショックがまだ抜けていなかったのである。

会場のノリの方はと言うと、博多はやはり、水戸さんのホームなのだなということをつくづく思い知らされた。博多での水戸さんはかなりサービス過剰で、拳をゴツンを合わせてくれる場面も一度では無く、口に含んだ水を思いっきり霧状に噴出したり、煽りながら煽られているようだった。また、「君と瓶の中」のセクシャルなパフォーマンスも博多の方が過剰だったな。客もそれを全身で喜んで返してくるからどんどんヒートアップする。

だが、水戸さん以外のメンバーの煽りにはそっけなく、自分の周囲で内田さんのコーラスに合わせて拳を突き上げている人は見える範囲ではいなかった。上手はどうかと見渡してみると、ギターソロ中でも興奮真っ只中、という様子では無い。穴場の演奏にも無反応、3-10Chainの曲にも無反応、アンジーの曲になっていきなり爆発、なんて客がいたくらいだしなぁ。なかなかのカルチャーショックであった。

よって、博多の方では最前付近であったにも関わらず周囲が静かだったため内田さんの煽りにも少々ノリにくかったのだが、熊本は結構満遍なく盛り上がっていたのでわーわーと騒ぎやすかった。でも熊本では「銀の腕時計」の「シャンランラーララー」という客のコーラスが成立しそうにない気配だったので、全部水戸さんが歌ってたんだよな。歌わせるかな? と思ったんだけどね。このへん、会場の盛り上がりによって変化をつけてくるんだね。あと学園天国ヘイヘイコールも熊本では無かった。けど「イェエ!」「イェエ!」っていう短いコールならあったかな。

昨日も聴いたが今日も聴きたい、やると予想はついていたけどイントロを聴いたら反射的にガッツポーズをしてしまったのが「生きる」だ。大好きなんだよ、この曲。切なくて泣きそうになるけど力強さに溢れてて、死に物狂いにならなけりゃ、と思わされる苦しい曲だ。「生きろ」でも「生きて」でもなく、「生きる」と己に対して言い切っているのが良い。

この「生きる」を初めて聴いたのはライブ盤だった。何度も繰り返して聴いて、まるでスタジオで録音したかのような完成度だ、と思っていたのに、その後でやっとオリジナルアルバムを聴いたらスタジオ収録ならではの格好良さ、追いかけるようなイントロに心を鷲掴みにされたんだ。この曲をまた今日も聴ける。喜びと締め付けられるような想いが胸の中で同居してどうにかなってしまいそうだった。

「サイクリング」から恭一さんが参加。ついつい橘高さんのギターを頭の中で再生して、「あれっここにピロピロ言う音が入らない!」とびっくりしてしまうのは筋少ファンの性だろう。「すべての若き糞溜野郎共」で「糞溜野郎おおおおお!!」と叫べるのが最高に楽しい。普段大声で言えないような言葉を叫べるってのもライブの醍醐味の一つだね。そうそう、この曲は水戸さんと恭一さんが二人でボーカルをとってたな。

「リックサック」では上田さんが電子トランペットなるものを持って登場。色は真っ黒、ツルツルではなくサラサラした表面のようで、これまた非常に格好良い。昨日今日と見慣れない楽器を二つも見られて嬉しいなぁ。「ラッパッパッパッ」のところでは、一度マイクから離れ、コーラスが近くなると慌ててマイクに駆け戻ってコーラスをする、という振りを内田さんは見せてくれた。お茶目である。

昨日の会場では柵が無く、アンコールではものすごい押しにやられてステージ上に上半身が乗り出してしまうハプニングにあったが、今回は柵があり、押しもそこまででは無かったため安全に盛り上がることが出来た。昨日は狂乱の中にいたのでアンコール中何があったのかよく覚えていなかったのが正直なところである。そのうえで内田ショックもあったんだってんだから頭も真っ白になるわ。未だにあれは夢では無かったのかと思うほどだ。

アンコールの「アストロボーイ・アストロガール」では一度終わったと見せかけて、静まりかけたところでベースが鳴り響きまた爆発! を繰り返し、爆発が起こるたびにステージも客席もヒートアップしていった。そして途中、内田さんがベースを降ろしてマイクを握り、引っ込んでいた上田さんが三度登場、内田さんのベースを手にして演奏を始め、マイクオンリーになった内田さんは「アストロボーイ・アストロガール!!」と叫びながら柵から身を乗り出して煽りまくりの大・サービス!! 本日も内田さんに触れてしまった。先日ほどの混乱は起きなかったとはいえ、ものすごく嬉しい。

全てが終わった後にはシャツがじっとりと濡れていた。あぁ、楽しかったなぁ。二日続けて3-10Chain。そしてまさかこんなに内田さんを堪能出来ることになろうとは。柵のギリギリまで近づいてベースを弾いて煽る内田さんが、ステージの上から客席を見下ろしながらにっこり笑った瞬間が写真のように記憶に残っている。それを見上げて嬉しくなって余計白熱してしまったのだ。………最後まで内田さんの話か。未だショックは抜けないらしい。ははは。


2010年10月19日 (火) 緑茶カウント:3杯
先程、不死鳥007のDVDを観終わった。ふー、落ち着いた。ここ数日でがっつり水戸華之介成分を補給した。そしてライブと移動と感想書きとDVD視聴も終わって、ようやくゆっくり眠ることが出来る。楽しいには違いないが、楽しいことには体力がいるのだ。己の体も限界だ。休もう休もう。おやすみおやすみ。


2010年10月20日 (水) 緑茶カウント:0杯
ようやく咳が収まってきたが、ここまでくるのにほぼ一ヶ月かかってしまった。そしてこの一ヶ月の薬代と病院代、合わせて軽く一万は超えている。あぁ、痛い。金額から痛感する健康の大切さ。ストレッチと筋トレは続けよう。ちょうど数値も変動してきたところだしな。体が資本。資本だよ。


2010年10月21日 (木) 緑茶カウント:3杯
咳がぶり返したーははははははは寝る。


2010年10月22日 (金) 緑茶カウント:2杯
ひどく疲れている。今週は大変だった。なかなか山を乗り越えられず、うんうんうんうん唸りながら苦悩して、やっと山を乗り越えた! と思った矢先、開放感に浸る間も無く目の前に新たな山が聳え立つ。疲れすぎて日記を綴る言葉も出てこない。恐らく、体調があまりよろしくないのも原因の一つだとは思うが、疲れた。しかし、明日は久し振りにサークルメンバーと宅呑みだ。明後日は橘高さんの二十五周年記念ライブだ。嬉しい嬉しい。あいつらと馬鹿話が出来る。橘高さんのギターが聴ける。お祭りだ。でも今は、疲れた。倒れそうなほどに疲れた。ぐったりだ。ぐったりしているんだ。疲れたんだ。


2010年10月25日 (月) 緑茶カウント:3杯
遊びに遊んで遊びつかれた。昨日は我らが筋肉少女帯のギタリスト、橘高文彦デビュー二十五周年記念ライブ。そして一昨日はというと、じゃあついでにお祭り騒ぎしちゃおうぜってんで別に筋少ファンでも何でもないサークル仲間と集まって宅呑み。丼いっぱいのスパゲティと山盛りの冷凍たこ焼きを食べながらビール、ウイスキー、日本酒を呑み、アニソンを垂れ流しながら時には合唱し、ポケモンをやりたい奴はやり、深夜小腹が減ったとコンビニに出かけ、朝方に眠り昼前に起きた。そしてライブ前に銭湯でひとっ風呂浴びて、ライブ後にもまた銭湯に寄って汗を流し、二日間、遊びに遊びまくってきたのである。ああー疲れた。充実充実。

そうして充実しまくった後に書くことでもないと思うが、銭湯に行って一つ気付いたことがある。いや、再確認したと言うべきかな。己は自分の裸を親しい人に見られることを極度に嫌い、絶対に家族親族とは温泉に行っても同じ時間に入らないようにしているのだが、見られることだけが問題では無かったらしい。同時に、近しい他人の裸を見ることも苦手としていたのだ。

近しい、の定義は曖昧だが、友人がセーフ、従兄弟は嫌だ、ということから察するに、血が繋がっているとアウトらしい。何と言うかな。見られる嫌悪感もあるのだが、近しい人の非日常的姿を目の前に晒される拒否感と言えば通じるだろうか。見たくないのである。服の中に隠していてほしいのである。互いに曝け出し合う間柄になりたくないのである。

あと、そうだな。家族親族ってのは子供の頃から親しんでいる存在というわけであって、すると風呂場で肉体、体格、骨格の変化を指摘される危険性が高いのだ。それがゾッとする。考えるだけで気色が悪い。服を着ている状態で「大人になったな」と言われても「そうですね」と思うだけだが、裸の状態で言われたら嫌悪感しか抱かない。そういったことを言っても許される間柄だと思われていそうなのがまた嫌だ。そうして相手の変化を確認するのも嫌だ。うーん、屈折しているな。

まぁ、こうして嫌いなこと、苦手なことを知れるのも、一つ自分という人間がどういった性質のものであるのか知る要素の一つになるので、良かろう。しかしまぁ、嫌な奴だな、と、我ながら思うね。無論、一緒に風呂に入りたがらない真実の理由を家族親族に話すつもりは無い。ここらは最低限の配慮だろうな。


2010年10月27日 (水) 緑茶カウント:3杯
心が疲れているのだよ。楽しさを突き詰めた反動かもしらないが、別件も関係しているのだが、今、地面すれすれに心がよたよたと低空飛行をしている。心が疲れているのだよ。あぁ、しかし。しゃーないしゃーない。よくあるよくある。割り切るよりは他に無い。大丈夫だ、抜け道なんぞいくらでもあるからな。大丈夫だ、阿呆のふりさえしていれば何とかなるさ。そう。どうにもならなくてもどうにか出来ることを己は知っている。けれども、どうにか出来るとはいえ、どうにかしなければならないことを思うと疲労困憊してしまうのさ。

どうしようもないどうしようもないどうにもならないどうにもならない、と思うと頭がぐるぐるして泣きたくなることもあるが、それでも結局、そうなろうとも、そうなってしまう性質を生まれ持ってしまったことを、幸いにして己は憎んでおらず、別の生まれ方をしたかった、と思いを馳せることもなく、それは別の生まれ方をしようにも他に何があるのかい? と問うてみれば、こうなるより行き着く先が無いと知っているからでもあるのだが、自分は自分が嫌いじゃない。それが救いだ。だからこれは、心底面倒だが、生きている限り立ち向かわなければならないことと納得し、腹もくくってしまっているので、大丈夫ではあるけれど、あぁ、疲れたなぁ、とため息をついてしまう日だってあるのさ。心が疲れているのだよ。

性とは無関係の存在でありたかったなぁ、なんて、思っても詮無いことであるからね。


2010年10月28日 (木) 緑茶カウント:2杯
疲れていたが、落ち着いた。あぁ、己は本当に打たれ弱い。だめだなぁ。しかし、何とかなるだろう。大丈夫だ。だが、今は体力を消耗しているので、回復に努めるのだ。緑茶を飲んでゆっくりと眠るのだ。ライブの感想は土日に書こう。


2010年10月29日 (金) 緑茶カウント:4杯
じんわりと疲労しているので、じんわりと寝るよ。


2010年10月30日 (土) 緑茶カウント:0杯
二代前の人々の常識に相対して会話をする。これだけでぐったりと疲労するということは、もし、自分が己の生年よりさらに五十年前に生まれていたならば、生きていけないまでは無いにしろ、さぞかし生きづらく、息苦しかったのでは無いかと思う。三十年前でもしんどかったに違いない。

すると己は大分ラッキーなのだ。きっといつの時代にも自分のような人間はいたはずで、時代時代の常識の中で苦悩していたと思われる。今、比較的自分は楽に生きられる。今後はもっと良くなるだろう。この流れを不都合に、いやらしく感じる人もあろうが、自分にとっては有難い。だからラッキーなのだと感謝して、ちっと前の時代よりは随分楽なのだからと励まして、やってかなけりゃあならないだ。

多様化万歳。こんくらいでへこたれてちゃだめだよな。頑張ろう。


2010年10月31日 (日) 緑茶カウント:3杯
もう一週間経ってしまったのか、としみじみしつつ、橘高文彦デビュー二十五周年記念ライブ「Fumihiko Kitsutaka 25th Anniversary Live〜Dream Castle〜」の感想を。

橘高文彦とは筋肉少女帯のリードギタリスト。そして筋肉少女帯とは己にとって音楽にはまるきっかけとなったバンドであり、これまでの人生の中で一番聴いた音楽である。つまり、自分にとってのギターの音色とはこれ即ち橘高さんの音ということ。その後にも範囲は狭いもののいろいろな音楽を聴いたが、やはりギターと聞いて連想するのはあのギュゥ〜ンと唸り、駆け上るような音色である。

そんな橘高さんのデビュー二十五周年を祝うめでたいライブ、行かないわけにはいかなかろう。しかも今回はオーケンもちゃんと参加するのである。二十周年の時はまだ、筋少が活動凍結中、仲直り前で、オーケンは参加予定だったもののドタキャンしてしまったのだ。しかし今度はその心配が無い。ははははは。その点においても嬉しいなぁ、めでたいなぁ。うきうきしながらライブへ出かけた。

前日、久し振りにサークル仲間と集まって馬鹿騒ぎをし、そのまま友人宅で一泊して当日を迎えたのでライブ前に銭湯に行き、ひとっ風呂浴びてからリキッドルームへ向かった。銭湯で頭に塗りたくったワックスを落とし、さっぱりした頭にまたワックスを塗りたくろうとする己を見た友人達から「何の意味があるのか」「そのままで良いじゃないか」なる意味のことを言われたが、どうせライブが始まったらボッサボサの汗みどろになるってのはわかっていたって、最初っから湯上がりそのまんまは嫌だよ、己は。

して、到着リキッドルーム。ゆっくり風呂に浸かっていたせいか少々ギリギリになってしまったが、モスコミュールを飲むくらいの余裕は持てた。さて、開場後はどこへ向かおうかな。やはり橘高さんのお祭りだから上手かな。ヘドバンはやり慣れていないため得意じゃないが頑張ってみようじゃないか。と、決めて、実際上手に立ったのだが、ここに来るまでちょっとしたトラブルがあった。

入場はファンクラブのFC番、A番、B番という順番で、己はAの半ばよりちょい手前、くらいの番号だったのだが、いつまで経っても己の番が来ないのである。いや、己の番というよりA番が。いや、正確に言えばFC五十五番より先が。何故か知らぬがどうしたわけか、ずーっとFC五十五番で止まっているのである。

「FC五十五番までの方、お入りくださーい」
「FC五十五番までの方、お入りくださーい」
「FC五十五番までの方、お入りくださーい」

FC五十五番に何が起こっているのか。この人ごみの先、整理番号を呼ばう人の身に何が起こっているのか。それも五分や十分じゃない。結構な時間FC五十五番様コールが続いていた。「聞こえませーん!」「もっと大きな声でー!」と横の人が叫ぶ。その反対側ではベテランと思われるスタッフがFC五十五番を呼ぶ人に指示を出している。確か、この時点で開場から三十分近く経っていたのでは無かろうか。我々は開演前に中に入ることは出来るのだろうか。リキッドルームが屋内では無く、屋外で待つタイプのライブハウスであったら寒さのために暴動が起きていたかもしれない。いや、実際結構、空気がピリピリしていて、恐ろしかったよ。なかなか。

ついにFC六十番が呼ばれたときには歓声と拍手が起こり、それからは今までの様子が嘘であったかのように、スルスルと淀みなく入場が進んでいった。中では橘高さんがプロデュースしたバンド、Pan-d-raがライブを行っている。開演前のお楽しみ、ということらしい。外見が全員橘高さんのバンドのようであって驚いた。おおおおお。何やらわからん迫力があるな…。

Pan-d-raのお次はこれまた橘高さんプロデュースのバンドZig+Zagの演奏だ。開演前にこういったサービスがあると待ち時間も楽しめて良いなぁ。いつも一人で行くから時間潰しが大変なんだよね。Zig+Zagは眼鏡をかけたまま勢いよくヘドバンしていたことが印象的だった。あと小物というか、アイテムがやたらと多い様子であったな。

さて、前座も終わり、暗闇の中で開演を待ち続け、ついに始まった橘高文彦二十五周年記念ライブ! しかし、だ! 己は筋肉少女帯は全部聴いているが、X.Y.Z.→Aは「Learn from Yesterday! Live for Today! Hope for Tomorrow!」だけ。他は「NEVER ENDING STORY」しか聴いておらず、今回発売されたベストも終演後の物販で買うつもりであり、実際物販で購入したため予習が出来ていないため、知らない曲が盛りだくさんだったのである。つまりAROUGEとEuphoriaは完全未聴の状態でライブに臨んだのだ。

そんなわけでセットリストもきちんと覚えられたのは筋少だけである。一応下に記録しておこうか。


さらば桃子
アンクレット
再殺部隊
小さな恋のメロディ
イワンのばか


で、だ。これを言わせて欲しい。橘高さんのライブの感想で初っ端これかよ、と思われそうだが、もう、びっくりしたのが! 感動したのが! 「再殺部隊」の語りを、オーケンがきちんと語ってくれたんだよ! あの! 最近語りたがらないオーケンが!!

すげーよオーケンやれば出来るじゃん! 実際、橘高さんも「やれば出来る子なんだよ」とオーケンを指して言っていたが、いやーもう。いやーもう。しばらくこの感動の余韻に浸りっ放しだったね。オーケンすごいじゃないかああああ!!

まさか再殺部隊を生で、しかも語り付きで聴ける日が来ようとは。橘高さんが選曲したからこその曲目である。いやぁ、すごかったなぁ。特に己がいた上手側は、さらば桃子の開始から爆発したようにヘドバンの嵐で、普段の筋少ライブよりも狂乱しているように感じられた。熱暴走を起こしているというか。すごかったなぁ。

もしかしたらあの語りは、オーケンなりに橘高さんを祝おうとした気持ちなのかもしれない。それで頑張ってくれたのかなぁ、なんてことを思ったりもする。特に、二十周年ではドタキャンで不参加だったわけであるし、オーケンも今回同じステージに立ってお祝いすることが出来たことを嬉しく思っていたのかもしれない。なかなか素直に「おめでとう」と言わず、「橘高文彦二十五周年記念ライブに見せかけたファンキー末吉殺害ライブ」とちゃかしたりしていたが、ずーっとにやにやにやにやしていたんだよ、オーケンが。照れ笑いのような照れ隠しのような。最初は何でこんなににやにやしてるのだろうと思ったが、むず痒かったのかもしれないなぁ。

そういえば、てっきり散々ネタにするかと思いきや、二十周年でオーケンがドタキャンした話を橘高さんが持ち出さなかったのが意外だったな。いや、一回くらいは言っただろうか。記憶が定かでは無いが、ほとんどネタにされていなかったのは覚えている。どうしてだろう、と思ったが、これもまた、持ち出すと照れくさくなるからかもしれない、と思った。知らないけどね。

橘高さんメインのライブということもあり、お色直しを除いては橘高さんが出ずっぱりで、こんなに喋る橘高さんを見たのは生まれて初めてだった。基本、トークの中心は橘高さんで、これは筋少では見られない光景だ。ギターに対する想いや人生観、自身のトラウマについて語る姿は、とても真面目で、ギターに対して、人生に対して、ファンに対して、真摯に向き合っている人なのだな、と感じさせらた。さらに、ライブバーX.Y.Z.→Aで行われた太田さんセッションのときのMCで、一緒に飲み歩いていると橘高は金髪だからよく因縁をつけられて、それで因縁をつけてきた相手と喧嘩をすることはあったけど、自分のために喧嘩をしたことはない、と太田さんが語っていたのを思い出した。あの派手な外見で軽んじられたり、見くびられたり、誤解を受けたりしたことは何度と無くあったのだろう。筋少自伝でも、AROUGEはアイドルメタルということで風当たりが強かったと書かれていた。ずっとそういった偏見の目と戦いつつ、今に至るまで自己のスタイルを貫き通してきた人なのだなぁ。格好良い。

AROUGEのベースとドラムスは橘高さん曰く、「今はカタギの人」とのこと。既に別の世界で生きている人も、この日は橘高さんのために駆けつけてきてくれたのだと想うと感慨深い。同窓会のようなどこか気恥ずかしく、そして温かい空気は次のEuphoriaにも、さらにはX.Y.Z.→A、筋肉少女帯にも引き継がれて、最後の最後の大合唱では紅白歌合戦のフィナーレといっちゃ失礼だが、十月後半であるにも関わらずこのまま年を越せてしまいそうなめでたさと温かさでいっぱいになっていた。橘高さんが「ドリームキャッスルの住人」とステージに集ったメンバー全員を指して言っていたが、まさに、親戚一同が大終結してのパーティーのような状態であった。

五年後も、同じような、もしくはそれ以上の温かい、和やかなパーティーが見られたら良いなぁ、という思いとは似つかない、汗だく汗まみれふらふらの状態で、半ば朦朧としながら輝くステージを眺めていた。このライブは後日DVDになるそうだ。位置的に映っていそうで恐ろしい。ははは。

橘高さん、二十五周年おめでとうございます。同時に、ありがとうございます。




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