9月      

2010年9月1日 (水) 緑茶カウント:5杯
たまに行く定食屋で漬物バイキングというサービスをやっている。バイキングっつったって漬物ばかりそんな食えっかよ、おかずも味が濃いと言うのに、といった理由で今まで利用したことは無かったのだが、何となく気が向いたので小皿を持ってバイキングゾーンへ出向き、白菜漬けをとって自分の席へと戻った。注文した豚の生姜焼きが届くのを待ち、汁を飲んでからさっそく一口いただく。う、ううん…?

何だろう。出会ったことの無い不可思議な味だ。しかしよくよく知っているもののようでもある。白菜漬けであることは確かだが、妙に甘く、ほのかに酸っぱい。これはいったい何味だろう。

味の濃い生姜焼きを食べつつ時折漬物を口に運んでは考える。そうして、半ばほど食べたところでそいつの正体に気が付いた。これは…りんごジュース味だ………。

まさか自家製オリジナルの味なのか。それとも自分が知らないだけでありふれた品物なのか。単に漬物にりんごジュースをブチ撒けてしまっただけなのか。思わずメニューのドリンク欄にりんごジュースが無いか探してしまうほどの衝撃。食べられないほど不味くな無いが合うか合わないかで言えば違和感の方が大きい味。もしやどこかの名産なのか。謎の残った昼飯だった。


2010年9月2日 (木) 緑茶カウント:3杯
よく食べよく呑みよく話したがよく寝る時間は無さそうだ。明日起きられるか不安であるがとにもかくにも寝ることだ。本来ならこんなものを書いている場合では無いが習慣だから仕方が無い。さあ寝よう寝よう。おやすみおやすみ。ぐっないぐっない。


2010年9月3日 (金) 緑茶カウント:3杯
どういう縁かは知らないが、このところ癖のある人と話す機会に巡り合わすことが増え、世の中にはこんな変わった人がいるのだなぁ、と改めて認識させられている。初対面でいきなり人の宗教を聞いてくる人、大学時代に一人でアジアを旅した女性バックパッカー、バンド内で楽器を弾くわけでも無く、さりとて歌いもせず、では何をやっていたかと言えば裸で突っ立っていたという人。どの人にも共通するのは一見すると普通のようだが、少し近づくと何かが変だ、と感じられることである。

しかしそれにつけて思うのは、そんな癖の強い人々からどうしてよりにもよって自分が変人扱いされねばならないかと言うことだ。これが自己認識出来ているのならまだしも、何を指してそのように言われるのかわからないから始末に終えない。自覚のしようが無いのである。確かに中学高校と変人扱いされては来たが、あの頃に比べれば随分と丸くなり、あれこれと内に秘めているものを初っ端から曝け出し相手を威嚇することも無くなった。悪目立ちするのに疲れたのもあるが、考え方が変化したのもある。だからこそわからない。

そんな話を以前、実家に帰ったときに夕食の席で何となく話したら、「ばっか! 今更だよ! うちの一族は皆そんなもんなんだよ!」と妹に諭された。まさか一族レベルでまとめられるのは思わなかった。しかも母も頷いている。そうか、血なら仕方が無いのか。

と、納得しそうになるが、結局「何が要因か」明確に知ることが出来ないことに変化は無く。未だわだかまりとして内の中に残っているのであった。


2010年9月4日 (土) 緑茶カウント:4杯
初めて二日酔いになったときは、もう二度と酒など呑みたくないと頭を抱えながらぐるぐると思ったものだが、今では気持ち悪さと戦いつつもどこか頭の隅で冷静で、うわーもう死ぬほど気持ち悪くて吐き気もすごいし頭もガンガンするけどあと半日経ったら酒瓶見たって何も思わなくなるのだろうなぁ、と思うように変化した。といったことを書くとまるで今現在二日酔いにかかっているように思われるかもしれないが、単に再認しているだけである。今日は発泡酒を二本飲んだが既に酔いも覚めており、一時間ほど前から緑茶に切り替えているため明日に影響することは無いだろう。もういくらか呑みたい気もするが今日はここまで。三本買って残り一本、楽しみは明日に持ち越しだ。


2010年9月5日 (日) 緑茶カウント:5杯
日記を「明日に持ち越しだ」「明日も楽しみだ」といった結びで締めることが多いな、と気付いている。というのは自分で書いておきながら、「まただ」と飽き飽きしているからで、それでも尚使うのはどうしてかと言うと、無難で楽な表現だからだ。控えよう。


2010年9月6日 (月) 緑茶カウント:4杯
ネットもリアルの一つであるとは言え、可能な限りネットとリアルは分けたい人間であるので、友人との遊びや身近にあった話は細部をぼかしつつ、時に誤魔化しを加えてネットに載せるが、住む場所や路線が明確になる情報はネットに出さないようにしている。それにつけて思うのは、十年ほど前は路線や住所の市町村などといった情報は、あまり表に出すと危ないから止めた方がよろしいよといった風潮であったように思うのだが、ここ数年すっかり変わってしまったように思えて驚く。Twitterなどを眺めていても、皆結構あっさり公にしてしまうのだなぁ。危険は無いのだろうか。

ただし、ここで断っておくがそういった現在の風潮を批判しているわけでは無い。いかがなものか、と自身は思うが、そういう楽しみもあるだろう。そして己はまた別の楽しみ方をする。以前にも日記に書いたが、ライブの感想以外の話、友人とどんな話をした、外でどんなものを見た、といった系統のものは、それが起こった日に書いていないことも多い。「あるがまま」の情報をネットに載せることへの危機意識が働いてのことでもあるが、もう一つは自分を騙す目的だ。手前で書いた代物なのに、後になって読むとそれがその日の出来事か、それとも以前の出来事か、見分けがつかなくなってしまうのだ。これが面白い。曖昧な記憶がいい加減な、しかしはっきりとした情報によって上書きされ、何が真実かわからなくなる。これを思うとき、自分は非常に愉快な気分になるのだ。たまらなく楽しい気分になるのだ。

と、いう話も、ただの戯言かもわからんね。


2010年9月7日 (火) 緑茶カウント:6杯
元カノの話。元カノ、即ち元彼女だが、自分の元カノの話ではなく、友人の元カノの話である。しかし正確には友人の元カノでもない。

いったい何のこっちゃとお思いの方もいるだろうが、実際何のこっちゃな話なのだからしょうがない。登場人物は自分を含めて三人だ。自分、友人A、友人B。Aは男でBは女であることをまずご理解いただきたい。ある日、Aはしみじみとこんなことをのたまった。

A「俺にとってのBさんってのはさぁ、彼女すっ飛ばして元カノってのがしっくり来るんだよね」
ウヲ「お前Bちゃんの彼氏だったことが過去一回でもありましたか」
A「そうなんだけど、彼女じゃないの!」
ウヲ「ほお」
A「Bさんはぁ、俺が昔憧れてた女性なんだけど、で、告白したんだけど、こっぴどく振られて、でも良い友人のままでいられてるというか、そんな感じの人なんだよね!」
ウヲ「それ付き合ってないよね? 振られてるよね? 元カノですら無いよね?」
B「私は告白されたことも振ったことも無いのに元カノポジションなんだ…。光栄…?」
A「とにかく! Bさんは俺の永遠の元カノ!」
ウヲ「だいぶ曲がりくねった愛だよなそれ」

そんなAにはしっかりと彼女がいるが、ちょいと前に元カノになり、復縁して現カノに戻ったそうだ。永遠の元カノと共に幸せにやって行ってほしいと願っている。


2010年9月8日 (水) 緑茶カウント:2杯
夏場は冷たい緑茶を淹れて飲んでいる。細長いガラスの容器を用意し、茶葉を紙パックで包んだものをその中へと放り込み、沸かしておいた湯を注ぎ、色が出始めたところで氷を突っ込み、常温になったところで冷蔵庫へ。これで少しの時間で美味しい緑茶が大量に出来上がる。しかし今日は様子がおかしい。

まず色が変だった。普段なら鮮やかな黄緑色をしているはずなのに、まるで出涸らしで淹れたような黄色である。とはいえこの時はおかしいなと思いつつもさほど気にせず、トクトクとマグカップに緑茶を注いだ。明らかな異常を感じたのは口をつけたときだ。

妙なにおいがする。いつも嗅ぐ緑茶のにおいではない。これはいったい何だろう。思考を巡らし、近いにおいのものを探っていった結果、答えが出た。茹で卵、温泉、硫黄のにおいだ。………おい、やばくないか、これ。

いや、マグカップが良くないのかもしれない。思い直し、別のカップに注ぎ再びにおいと味を確かめる。同じだ。つまりカップに異常は無い。あるとしたら緑茶か自分のどちらかだ。自分という可能性も高い。何せ亜鉛の摂取量が足りずに軽度の味覚障害にかかった前歴があるのだ。よし、ならば水の味はいかがか調べよう。水もまずいなら自分がまずいと確定出来る。

幸か不幸か水の味は正常だった。すると答えは自ずと知れる。異常があるのは緑茶で確定だ。しかし何故、突然こんなことに? 茶葉が腐ったのか、淹れ方が悪かったのか。まさか冷蔵庫が壊れているんじゃあるまいな、と確認をしてみたところそちらは正常、ゴンゴンに冷気を放っている。いったい何が原因だろう。

そして数十分後、己は大量の水を飲むことになる。容器に洗剤が残っていたのが原因だとわかったからだ。硫黄の味に感じられたのは洗剤だったというわけさ。あな恐ろしや。今のところ体に異変は無いが、ガブ飲みしなくて良かったと心から思う。ちなみに、この緑茶カウントは今朝の分であるのでご安心を、と一応な。


2010年9月9日 (木) 緑茶カウント:2杯
容器をよく水で濯ぎ、内部を熱湯消毒し、注意深く茶葉を袋に入れ、綺麗な氷を放り込み、そうして作った緑茶を冷やしてドキドキしながら飲んでみた結果、昨日のようなおかしな臭いはせず、正常な香りと味がした。良かった。やはり洗剤が原因だったか。これでまた同じ異常が表れたならまた一から原因を探らねばならないところであった。ひとまず安心である。体の方もおかしなことにはなっていない。良かった良かった。

ところで本日は重陽の節句、五節句の中で一番目立たない菊の花のお節句だ。多分皆忘れているだろうと思う。そもそも存在すら知らないだろうとも思う。誰も重陽の節句のことなんざ考えちゃいない。店頭には一ヶ月以上も先にある外来のイベントハロウィーンのグッズが並べられ、重陽の節句を盛り上げようと頑張る店はどこにも見受けられなかった。ひどい話だ。己はとても悲しく思い、同時に愛おしくも感じ、にやにやしながら今年も笑った。ふっふっふっ。


2010年9月10日 (金) 緑茶カウント:3杯
あっという間に一週間が終わる。特にこの一週間は矢のように、と言うのも誇張ではないほどに、まるで一瞬の出来事のようだった。何も起こっていないかもしれない。早く土日に出会えるのは嬉しいが、さて、残りの月火水木金、七分の五が空気となってしまってよろしいか。ただでさえ人生の三分の一は寝ているというのだから、せめて起きている時間は有効活用すべきでないか。あぁ、だが本当に、日々は川のように流れる。あっという間だ。あっという間だ。よろしくないなぁ。よろしくないなぁ。

このように、焦燥を感じつつも動き出さないあたりが己である。深夜のお供は発泡酒を三本と無印良品にて購入したマスタード味のプレッツェル。プレッツェルを食べれば発泡酒の存在を忘れてしまい、発泡酒を呑めばプレッツェルの存在をないがしろにしてしまうあたり、己は食べるのがうまくない。最終的には全て腹に収まるとはいえ、もう少しバランス良く消費出来ないものなのか。酔っ払いだから無理なのか。明日は何時に起きるだろう。


2010年9月11日 (土) 緑茶カウント:4杯
あなたは野菜をどこで洗うか。台所、井戸、川、など、選択肢はさほど無いまでも、いくつかは思い浮かぶだろう。まさか風呂場では洗わないことと思う。己も風呂場では洗わない。洗面台で洗っている。

この野菜というのは畑からとってきた泥だらけのものではなく、スーパー、八百屋などの商店で販売されているある程度見た目が綺麗なものだ。よって、台所が泥で汚れてしまうことを避けるため、といった理由では無い。単に台所が狭いから、という悲しくも切実な理由である。

我が家の台所には食器の水切り用の網状になった棚が無い。そのため、流しの中に設置出来るステンレスの籠を購入し、それを流しに引っ掛けて鍋や皿の水気を切っているのだが、こいつがどうにも場所をとるため、水切り中は流しを本来の用途として使用することが出来ないのである。無理をすれば洗えないことも無いが野菜から滴る水で水切り中の鍋や皿がびっしゃびしゃの元の木阿弥になってしまうためいつまで経っても水を切れず、これはいかんと止めることにした。しかし野菜を洗わないわけにはいかない。では、どこで洗うべきか、と考えた先に行き着いたのが洗面台だったのだ。

まぁ洗面台と言ったところで面だけを洗わなければならないことは無かろうが、料理のたびにナスやトマトといった野菜を抱えて洗面台に向かうのは何ともおかしな気持ちになる。不便とまでは行かないが、何だろうこのねじれた様子は。何かが間違っている気がしないでもない。


2010年9月12日 (日) 緑茶カウント:5杯
唐突に肉豆腐を食べたくなった深夜二時。いや、無論これから食べに行こうなどとは思わないし、ましてや料理しようとも思わないが、肉豆腐。あれをちびちびつまみながらビールを呑んだり、ご飯を食べたり、ご飯を食べたりしたいなぁ。つまりは腹が減っているということだ。よし寝よう。


2010年9月13日 (月) 緑茶カウント:3杯
くさくさくよくよする破目になれども、美味いもんを作って食べて、ゆっくりと風呂に浸かりつつ本を読んで、友人と話をし、好きな音楽を聴きながら緑茶を飲みさえすればスッと気分は晴れやかに……晴れやかにはなるが、なかなか段階を踏まなければならないものだな。とはいえ段階さえ踏めば晴れやかになれるならそれで良し。あとはぐっすり眠って体を休めて爽やかに目覚めれば完璧だな。善処しよう。

そうだ。図鑑か画集か写真集、好きなものをを枕の上で開いて眺めながらうとうとしよう。色とりどりの花の図鑑、蔦のからまる植物図鑑、光る目玉の爬虫類図鑑、六つ足蠢く昆虫図鑑、白刃浮かぶ名刀・拵・刀装具総覧、エッシャー、ベクシンスキー、SP-2。漁れば他にも出てくるはずだが、さて、今夜のお供はどれにしようか。表紙を開くだけて夢を見せてくれる、心を蕩かせてくれるものはどれだろう。

ま、あれかな。


2010年9月14日 (火) 緑茶カウント:4杯
野菜が欲しい、野菜が欲しい、と体の欲求を感じつつ、欲求に従うためとある喫茶店の中へと入り、ハヤシライスを注文する。付け合せの野菜が目当てだ。出汁で煮て味をつけたカボチャ、ジャガイモ、キャベツ、ニンジン、ナス、ダイコンがたっぷり皿に盛られていて、無論ハヤシライスも美味いのだが、自分はこいつを楽しみにして週一単位で通っている。定食屋で野菜炒めを食べても良いがいかんせんご飯のお供として調理されているため味が濃い。野菜を求めているときには薄味の方が良い。いかにも野菜を食べている気分になれるからだ。

セットにはデザートとドリンクも付いてきた。ドリンクにはオレンジジュースを指定し、運ばれたチョコムースをもくもくと食べ終わるとムースの器と交換するようにドリンクが卓上に置かれた。チョコ味を食った後にオレンジジュースは失敗したかな、と内心思うが顔には出さずにストローへと口をつける。オレンジのドリンク。オレンジ色のドリンク。しかしチョコムースに舌を侵されているせいかオレンジの味が感じられない。いや、チョコムースのせいでは無いようだ。飲み込むと同時に咽喉の奥から感じられる独特の青臭い香り。店員が間違えたのだろう、野菜ジュースだ、こいつは。

野菜ジュース。野菜は好きだが野菜ジュースは好きではない。野菜のまま食べれば美味いのに、何故半端に甘いジュースになんぞしやがるのか。余計なことをしやがって。しっかり噛んで口中で液状にして飲み込めばすむことじゃないか。目の前のグラスに向けて思わず口の中で悪態をつく。取り替えてもらおうか。すみません、と手を挙げて店員を呼べば良いだろう。伝票を見れば、ふむ。こちらにはきちんとオレンジジュースと書かれている。注文時のミスでは無いようだ。

しかし、自分は野菜ジュースを飲み干して店を出た。苦手は苦手、決して好きな味では無いが、あれだけ体が野菜を欲していたのだから、これは天啓のようなものかもしれない。今はこいつを飲んでおけという意味でもって受け取ろう。しかし美味くは無かった。数年ぶりに飲んだがやはり苦手な味だった。あぁ。


2010年9月15日 (水) 緑茶カウント:2杯
待ちわびた、品が我が家に到着し、ついにあいまみえ、それで、今、開封して聴いているのだが、ドキドキと、興奮して、にやにやと、口角が上がりっぱなしで、脳から心臓へじわじわと、送られた快感が全身に染み渡るようで、つまり言えば、幸福なのです。

P-MODELのCDボックスセット、太陽系亞種音が、一ヵ月半待って、届いたのさ。


2010年9月16日 (木) 緑茶カウント:1杯
一気に全部聴いてしまいたいが、いっぺんに全て触れてしまうのももったいないように感じられ、その狭間でギリギリと楽しくも苦しんでいる。今までCDセットを購入したことが無く、これが初めての経験で、一度に大量の宝物を手に入れてしまった幸福をどこか持て余し、そしてそれすらも嬉しく感じているのだ。つまり言えば浮かれている。十六枚組み、二百九十七曲入りのCDセット。二百九十七曲が突然全て自分のものになったのだ。レンタル屋で、CD屋で、アルバムを手にとってジャケットを眺めつつ、いやいやいつかまとめて買うのだからここで手を出すのは我慢しよう、と、堪えて堪えて、しかし堪え切れなくて購入してしまったものもあったりして、そういった経過があってのことなので、尚更それは魅力的に輝いている。あぁ、嬉しい。


2010年9月17日 (金) 緑茶カウント:3杯
音楽、漫画、小説、図鑑、虫。趣味の良いところは、対象にいくら愛を注いでも愛が返って来ないところにある。これが人間であれば好意を向けられることに対して好意を抱き、好意を返されることがあるが、それが無い。非常に楽だ。愛されるより愛したいとどこかの誰かが歌っていたが、また、それとは意味合いが異なるだろうが、対象の都合なんぞ考えずに好き勝手愛を注げるのが何より楽しいと己は思う。非常に我侭な遊びが好みだ。そして好きなだけ愛して満足したら切り上げる。人間相手だとこうはいかない。人形を愛でる感覚に近いだろうか。何も言わず、ただ黙って愛されるだけの物々に、囲まれる幸福にどっぷりと浸かる日々。口も意思も気遣いも何も無いのが魅力的。心からそれらが愛おしい。


2010年9月18日 (土) 緑茶カウント:5杯
昼。ガタガタとけたたましくその身を振動させることで着信を伝える携帯電話。掴んでパカリ、開いてみれば知らないアドレスからメールが届いている。アドレス内容から人物を類推しようにも何の言語かわからない。本文には「いいもの送るから住所教えて♪」と書かれている。怪訝。誰だよと思いつつ、アドレスをコピーアンドペーストして受信トレイ内で検索をかける。程なくしてアドレス変更通知のメールが発見され、同時にメールの主が妹だと知れた。以上。


2010年9月19日 (日) 緑茶カウント:3杯
焼肉に行きカラオケに行き、昆虫話とオタク話をたっぷりして帰宅。楽しかった。いやぁ、なかなかすごい話を聞いてしまったぞ。とある田舎の話なのだが、周りに山と川しかなく、過疎化の進むその町に、十年近く前だろうか、大きな塔が建てられた。夜はライトが煌々と灯され、壁面を下から上へと虹色の光が駆け上る。真っ暗な田舎の空を割るように聳え輝く塔は美しく、見る者を喜ばせ、小さな名物になったと言う。内部には階段が作られており、カンカンと上れば頂上から町を見下ろすことも可能だ。

しかし今、七色の眩い光に、ゴキブリカメムシの類が大集合して蠢いて、塔の内部はすっかりそれらの巣と化してしまい、そら恐ろしいことになっているそうだ。話をしてくれた人物は、小学校時代に虫捕りがしたいがために授業を抜け出してしまったことさえあるほどの虫好きだが、そんな彼ですらゾッとしたと言う。彼ほどではない自分は言うまでもない。あな恐ろしや。ゾッとした。あんなに綺麗な塔なのに、あんなに綺麗であるせいで。まるで何かの寓話のようだ。怖いものだね。気色が悪いね。


2010年9月20日 (月) 緑茶カウント:5杯
肌身離さず付けられるものが欲しいなぁ、と思っている。ずっと身につけたもの、使い続けたものには温もりが移り、温もりは命となり、魂が宿る。体温によって温められた異質な存在が己の体の一部となる、一種の信仰だ。こういったものを何か一つ、大事に持ち続けたいと思う。

しかし今現在の自分はそういったものを所持していない。一時前まではシャープペンシルがそれに近しいものだったが、パソコンを叩くことの方が増えてしまい接触頻度が減っている。筆は消耗品だ。いつも持ち歩きはするものの財布、定期、携帯電話、携帯音楽再生装置はその性質上該当しない。

ならば無難なところでアクセサリーはどうだろう。一つ、毎日つけている気に入りの指輪を持っている。細い銀のシンプルな指輪だ。しかし作業をするには邪魔になるため、外出時にしか装着しない。一度睡眠、風呂、調理その他の間も付け続けて一日を過ごしたことがあったが、想像通り邪魔くさく、習慣化することは不可能だった。ではネックレス、チョーカーの類。服の中に完全に隠せれば良いが服の構造的にこれもなかなか難しそうだ。耳飾は論外である。アンクレット? ははははは、ご冗談を。

理想としては意識せずしていつの間にか肌身離せぬものになっていた、という状態が好ましいが、さて。それとも何か、気付かぬうちにそういったものを既に所有しているか。いかがなものかな。模索と追究が必要か。


2010年9月21日 (火) 緑茶カウント:3杯
咽喉が痛むので冷凍生姜を口の中で転がしてみた。辛かった。皆も真似するがよろしい。というのは冗談として、気を抜くと咳も少々出るので悪化させないよう気をつけねばなるまいな。今日は早く寝よう。


2010年9月22日 (水) 緑茶カウント:4杯
日中のど飴を口中で転がして咽喉の調子はだいたい回復。とりあえず痛みは感じないのでひとまずは安心出来るだろうか。まだ油断はならないだろうが、悪化せずに済みそうで良かった。

ところで。P-MODELのCDセットを購入してからというもの、どっぷり平沢漬けである。あぁ楽しい。出来るなら、還弦イベントが始まる前には既に様々な曲を聴き込んでいる状態でありたかった。そうしてわくわくしながらプロデューサー気分で投票に参加したかったものだ。とはいえ、自分が平沢進に興味を抱いたきっかけはそれこそ還弦イベントの、それもTwitterのあの発言であるからして、そうだ、あれで何か面白い人がいるぞと注目して、どこかで曲をちょっと聴いたことがあったため、あぁ、あの曲の人かと思い出し、公式サイトへ飛んで、三行ログとPhantom Notesを読み漁り、ヒラサワファンの友人からおすすめのアルバムを教えてもらい、救済の技法をレンタルし、気に入って、しかし音楽も面白いがこの人の文章が読みたくてたまらなくなってしまったため、いの一番に購入したのはSP-2本。それから点呼する惑星、IN A MODEL ROOMと手を出して、初期P-MODELと現在とのギャップに驚き、ゆるやかにはまり続け、ついにファンクラブに入会し同時に太陽系亞種音を購入、そうして現在どっぷり、という経緯である。

名前を知るよりも前に聴いたのは夢の島思念公園だ。アニメを観たことは無いがどこかで聴いた。その独特な歌声に強いインパクトを受けたが、それ以上は広がらず、通り過ぎてしまった。だが、印象には残っていた。あのとき通り過ぎる前に出会うことさえ無かったら、今のこの状況は無かったかもしれない。

その後Twitterを見てからは平沢進という人物に興味を抱いた。己はけいおん!を知らないが、何となく何が起こっているのかは読み取れた。人気アニメのキャラクターの元ネタとされている人物が、それもお堅そうな人物が、よりにもよってそのアニメのキャラクターについて言及しているため、祭りになっているのだろうと考えた。当たらずとも遠からず。そして平沢進と検索窓に入力し、Wikipediaから情報を得て、何やら普通では無いようだ、もしかして怪しい人物か? とオーケンを知ったときと同じような警戒心を抱き、知るにつれ、怪しいことには間違いは無いが、それはとても好ましい怪しさだと読み取れて、以降ずるずる、といった様子だ。

今はようやく平沢進以外の、P-MODELメンバーについても関心が湧いてきたところだ。と、すると欲しくなってくるのがP-MODELと平沢進の資料集「音楽産業廃棄物」だ。しかしこれ、最近復刊が決定したものの、本という形では無くデータによる販売である。これがネックだ。本を読むなら紙媒体で読みたい。何かしら、データで購入したものを本にしてくれるサービスがあれば良いが、あるにしても高そうである。読みたいが、欲しいが、悩みどころだ。読みたいんだがなぁ。

とはいえこれも贅沢な悩み、楽しい類の悩みである。好きなものが増えるのは良いものだ。ふっふっふっ。


2010年9月23日 (木) 緑茶カウント:5杯
気をつけていたというのに、栄養も摂っていたというのに、咽喉の調子が悪化してしまった。痛みは無いがイガイガとした不愉快な感覚が纏わりつき、たまに咳が口から飛び出す。冷たい風の吹く季節だ。まだまだ、夏は続くと感じていたが、もう九月も後半なのだ。あぁ、秋が来る。冬が来る。夏も終わってしまったのだ。


2010年9月25日 (土) 緑茶カウント:0杯
そうだ、既に秋だったのだ。長袖の季節だったってのに、半袖半ズボンでそこらを歩き回り、腹にタオルケットと半纏を乗せただけで眠っていたならば、そりゃあ風邪も引くさ、引くはずだよ。

昨日はほとんど声が出ず、今日は頑張れば声が出る程度には回復したが、店頭で商品を注文するためにその名を発声した際に、店員のお姉さんにひどく驚かれてしまった、そんなしゃがれ声である。まるで自分の声では無いようで面白くもあるが、もう充分に違和感ある声のおかしさは楽しんだのでさっさと治ってもらいたいものだ。

咽喉のため、昨日今日は生姜紅茶を消費中。生姜紅茶というより紅茶風味の生姜汁だが、そんなわけで緑茶カウントはゼロ。恐らく明日も同じ調子だろう。月曜までには回復したいものだ。


2010年9月26日 (日) 緑茶カウント:0杯
生姜紅茶、正確には紅茶風味の生姜汁が現在四杯目に突入している。発汗作用に驚きながら消費中だ。咽喉の方はだいぶ良くなった。とりあえず声は出る。だが、痛みはやや残っている。三日もすれば完治するかな、といった様子だ。上手くいけばの話だが。

と、書いている間に五杯目の生姜紅茶に口を付けている。飲み終わる前には寝ようかな。


2010年9月27日 (月) 緑茶カウント:0杯
寝る前に生姜紅茶を五杯飲んだら、深夜あまりの寝苦しさに目が覚めた。汗で湿るシャツの感触が気持ち悪く、まるで熱帯夜の出来事ようだが部屋の気温は秋のそれ。生姜の発汗作用で異様なほど温まってしまった結果であると思われる。まさに過ぎたるは及ばざるが如し。

ところでここ二ヶ月程、電子レンジ、掃除機を全く使わない生活をしている。ついでに牛肉と豚肉も一切買っていない。鶏肉は一度購入した。何故そんな生活をしているのかというと、電子レンジが使用不能の状態になっていて、肉を冷凍保存出来ないからである。しかし無ければ無いで何とかなるので放置したままなのだ。掃除機の方は別に壊れちゃいないのだが、吸引力が大変に低いので使うのが嫌になってしまったのだ。もうコロコロと雑巾を使うから良いよ、と見限ってしまったのだ。

とはいえ、まぁ、電子レンジはあった方が便利だよなぁ。冷凍ご飯を網に置き、鍋の上に載せて湯気で解凍するのは時間がかかるし、面倒くさいし、途中で諦めて鍋の中に米をぶち込んでおじやとも雑炊ともつかないものばかり食べているし。だけれども、不便は不便だけど不便のままでも生活出来て、直に慣れてしまうのだよなぁ。そして現在、慣れかけている。己のこれは長所か短所か。判断の分かれるところであろうな。


2010年9月28日 (火) 緑茶カウント:0杯
学習した。さしもの己も学習した。寝る前に生姜紅茶を飲むべきではない。昨日は一昨日ほどではなく、二杯か三杯飲んで止めたのだが、血行が良くなったのかやたらと体が元気になり、目が冴え、眠りたいのに眠れないという有様。阿呆である。そうしたおかげで昨日今日とそれぞれ三時間程度しか睡眠時間をとれず、本日はくたくたのふらふらで、今も眠くて仕方が無い。今日は生姜紅茶を一杯に紅茶を二杯、白湯を一杯飲んだ。あぁ、眠い。今日こそは泥のように眠りたい。


2010年9月29日 (水) 緑茶カウント:0杯
声は出るようになったが咳も出るようになったので、これは悪化したのかもしれない。市販の薬を飲んではいるが、いつからこんなに風邪が治りにくくなったのだろう。昨日は眠って泥になり、今日も眠って泥となる。体調不良だと疲れがとれにくくて眠気も消えにくくて不便だなぁ。不便な体だ。咽喉がイガイガする。くたびれた。


2010年9月30日 (木) 緑茶カウント:2杯
未だ風邪は引きっぱなしだが、今は風邪などどうでも良い。何故なら風邪のことなど気にならないくらいに、体の一部分が痛むことすら気にならないほどに、楽しく興奮しているからだ。

届いたぞ! 日曜日に注文した、平沢進のライブDVD「PHONON 2551 VISION」と、核P-MODELのライブDVD「LIVE VISTORON」が! 太陽系亞種音を購入してからすっかりどっぷりヒラサワにはまってしまって勢い込んで購入したのだ。出費を考えるとそら恐ろしくなるが後悔などはするものか。これは間違いなく己にとって必要なものだと断言出来る。大事な心の栄養だ。

さて、体を清め、皿洗いを済ませ、お茶を淹れて準備を万端整えて、ビリッと親指でビニールを開封。購入前、公式サイトでざっと曲名を見て好きなものが特に多く入っているDVDを選んだのだが、正確には記憶していないので、実際にライブに行ったときのように次に何が来るかを楽しみに待つべく、パッケージに書かれた曲郡を見ないように注意してパソコンの中に差し入れた。

興奮。パソコン、ギター、キーボード、何やらわからない機械達に囲まれて、その中心に立つ黒装束の一人の男。一曲目、鍵盤の調べが流れ、壮大なシンバルに合わせて振り下ろされる拳により始まるは救済の技法! 大好きな曲だ!!

しかし好きだからこそ感じる違和感。息継ぎがしづらいのか、歌い方が切り替わる箇所で声が出づらそうな様子である。なるほど、やはりライブではCDの通りにはいかないか、とその時は思った。

ところがだ。曲が進むにつれ、最初の一、二曲で感じていた違和感は消えていき、中盤に差し掛かる頃にはCDを超えるほどの声量と、絶妙な声の切り替えを見せてくれた。その時、また思ったのだ。あぁ、ヒラサワさんもちゃんと人間なんだな、と。

ライブの始まり、歌い始めはまだ調子を掴みきれていなかったのが、進むにつれて乗っていき、カチッと歯車が合わさって、ベストな状態に入ったのだろう。もう一つ、驚いたのはヒラサワさんが自分の想像よりもずっと、体を動かしていて、表情豊かなことだった。

己の中で勝手に出来上がっていたヒラサワさんのイメージは、直立不動で汗もかかず、表情もほとんど変えないで歌うものだった。黙々と歌う、と言うと矛盾が生じるが、それが一番イメージを伝えるのに近い言葉である。まるで体の半分が機械であるか、人間離れしたサイボーグのような存在だと思っていたのだ。

だが、映像で観るヒラサワさんは膝を曲げてリズムを踏み、背を仰け反らせて歌い上げ、体を揺らし、眉を顰め、歯を剥き出しにシャウトする、まさに全身を使って歌っていた。ギターを弾く手の甲には皺が走り、角度により瞳は色を薄く見せ、声に反して年齢を感じさせる。あぁ、この人もちゃんと人間なのだなぁ。

数々の機械に囲まれて、一人肉声で歌うヒラサワさんは、映像を見る前までのイメージとは正反対に、人間らしさが際立って見えた。まるで異物のように存在する「生き物」の違和感。ツルツルした凹凸の無い無機物の中に君臨する老いた肌を持つ男。不変という言葉を持たず、老化と終焉を持つ人間だからこそ持てる、「今」を振り絞ったパワフルな威力。その刻まれた皺に人の生きてきた証や時間と、いつか迎える終わりの時をまるで象徴のように感じさせられ、美しいな、と思った。

一枚のDVDに与えられた衝撃と感動に感謝。やはり、これは観るべきものだった。




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