8月      

2010年8月1日 (日) 緑茶カウント:6杯
まぁあれこれしようと予定を立てても一つに集中してしまえばなかなか思うようには行かないもので、ちょっと足りないものを買いに出かけ、のんびり絵を描くことも出来たが、読書とカラオケは実行せずに終わった。とはいえ満足である。予定通りに朝寝坊をし、ゆったりと休日を楽しめた。それとだな。買い出しのため外に出かけて寄り道をしつつてくてく歩き、ふと橋の上に一歩足を踏み入れた途端そこはトンボの群れの中、愛すべき赤い虫がピュンピュンと人間が来ても臆することなく、構うことなく飛び交っていて、思えばアカトンボの大群を見るのも久しぶり。しばらくそこに立ち止まり、飛び回るアカトンボを眺めながら幸せな一時を過ごした。止まらんかな、と立てた人差し指を差し出すもトンボは全く気にも留めず、そんなクールなところもたまらない。良い一日だった。


2010年8月2日 (月) 緑茶カウント:4杯
船って字がつくくせに、船の外では無く中の方に水が溜まっている湯船という代物は不思議だな、とふと思う。内と外が逆である。これに湯船と名付けた人と、名付けをその場で聞いた人は何かしらの違和感を抱かなかったのだろうか。それとも、調べれば由来の中にその理由が見えてくるのか。興味はあるがしばらくは、もう少し手足と思考を投げ出してたゆたっていたい。そんな二十二時の風呂である。良い塩梅だ。


2010年8月3日 (火) 緑茶カウント:3杯
我が家にDVDプレーヤーがやってきた。録画機能は無い、再生機能のみの機械である。以前実家で使っていたのだが、新しくブルーレイレコーダーを購入したので譲ってもらうことになったのだ。いつか資金を溜めてレコーダーを購入するまではこいつの世話になることとしよう。今までパソコンでしかDVDを再生出来なかったことを思えば我が家も一歩進んだものだ。

レコーダーのみならず、テレビとビデオとテレビ台も実家から譲ってもらったものだ。父が単身赴任をしていた頃に使っていたもので、単身赴任が解けてからずっと仕舞い込まれていたのだが、まだ使えるということで大学入学と同時に一人暮らし先の新居に運び入れ、以来五年の付き合いである。来年の地デジに対応すべく何らかの手を打たねばならないのだが、まだまだ世話になりそうな気配だ。

そうそう。昨日実家のローンが全て終わったと母より連絡を受けた。素晴らしい。二人の赤ん坊を養育して、学校に行かして、習い事も通わせて、部活もさせて、高校も大学も行かせて、一人は予備校まで通わせて、成人まで育て上げる長い年月を越えて家のローンを支払い終える、その道のりに至るまでと、道のりへ歩みだそうとするそのときの、恐らく感じたであろう途方も無く長い時間を目の前にする漠然とした気持ちを思うと感謝してもしきれない。親とは偉大なものである。

おめでとう、お疲れ様です。ありがとうございます。


2010年8月6日 (金) 緑茶カウント:4杯
とっぷりと日が暮れた後の話である。カレーを食いたいなぁ、という欲望を抱え、衝動のままにふらふらと、重い鞄を提げたまま真っ直ぐな道を突き進む。あぁ、どこもかしこもモツと焼き鳥ばかりじゃないか。己はカレーを食べたいのだよ、と歩いて歩いてうっかり遡る先は隣の駅だ。先程電車で通過したばかりである。いっそ乗車駅まで戻ってやろうかと阿呆な案を頭に浮かべ、さてやるか否かを半ば自棄になりつつ考えていた頃か、メニューにカツカレーと書かれた店を脇に発見する。定食屋かと思えばトンカツ屋のようだ。ドアーのガラスの向こうを覗くとまあまあの入り具合。混んでも無ければ閑散ともしていない、ちょうど良い塩梅だ。暖簾をくぐって中へと入る。

座敷席もあるが一人であるのでカウンター席に腰を下ろす。店のおばちゃんがメニューとお冷を持ってきてくれ、大変丁寧に定食と定食以外の違いを教えてくれた。咽喉が渇いていたので出された水を一気に飲み干すと即座に二杯目を注いでくれ、目薬を差せばティッシュ箱ごと持ってきて目の前に置いてくれる。随分気の利く人だなぁ。有難くいただいたティッシュを目頭にあてつつそんな感想を抱いたのだが、そんなレベルではないことが直後に判明した。

カリカリでほかほかのカツカレーを美味しくいただいていたときだ。もぐもぐとカレーを咀嚼する自分に、傍に寄ってきたおばちゃんが「カレー美味しい?」と尋ねてきた。噛んだものを飲み込んだ後に正直な感想を告げる。するとおばちゃんは嬉しそうな顔で「良かったぁ〜」と言いながら、その手には真っ白なティッシュ。まるで空いたグラスに水を注ぐかのように、ごく自然な仕草で、手にしたそれで、口の端についていたカレーを拭ってくれたのである。親が小さな子供にするように。自然に。

このときの驚きをわかっていただけるだろうか。他人様に口を拭われたことなど何年ぶりだかわからない。その「他人様」とは家族を含めた他人様である。それもとっくに二十歳を越している成人した年齢であるというのにだ。今日初めて入った店で。

あまりに驚いたためにその行為に対しての反応を全く返すことが出来ず、自分も拭われるのが当然のような態度をとってしまい、それがますます己を混乱させたが、表面上は平静を保っていたため、美味しくカレーを食べつつ面倒見の良いおばちゃんとの雑談を楽しんだ。帰り際には「もうお母ちゃんだと思っていいのよ!」「怖い目にあったら『トンカツ屋のおばちゃーん!!』って叫びなさい!」とこれまた有難いお言葉をいただき、きっと名物おばちゃんなのだろうなぁ、と思いつつ、隅の方で盛り上がる常連さん達と軽く挨拶を交わして後、帰宅した。カツが食べたくなったらまた行こう。


2010年8月7日 (土) 緑茶カウント:4杯
朝食を摂るのが苦痛だ。食事をするのは好きなのだが、朝、腹を持たせるために、たくさん食べなければならないことが辛い。最近は毎朝パンを四つか五つとヨーグルトを食べ、緑茶とジュースを飲んでいる。しかも自分は食べるのが遅いので、これだけを腹に入れるのに二十分近くかかるのだ。美味しく食事をするのが目的ならまだしも、ほぼ詰め込み作業と化しているこの行為をひたすらもぐもぐと二十分続けるのはしんどく、楽しいと感じられるものではない。

やはり朝に腹持ちの悪いパンを食べるのは止した方が良いだろうかと考え直し、米食に一度切り替えたのだが、パンよりも噛むのに時間がかかるため、結局米も二十分かかってしまった。もぐもぐもぐもぐもぐもぐとひたすらひたすら噛み潰す。

どうしてこうも口の中の物はなかなか減らないのに、腹に入るとすぐ消えるのか。もしも手がかからず腹持ちの良いものを知っている方がいるなら御一報願いたい。調理は卵を焼く程度なら出来るが、あまり手の込んだものは時間の都合で適わない。手間がかからず腹持ちが良く食べやすいもの、あるだろうか。無いだろうか。あるならどうか、是非にと願う。


2010年8月8日 (日) 緑茶カウント:6杯
今日は昼の十二時から夜中の一時、途中休憩を挟みつつも、約十三時間ほとんどぶっ通しで放送されたNHK-FMの「プログレ三昧」を聴いて一日を過ごした。プログレ好きのトークを交えつつひたすらプログレの名曲を流すラジオ番組で、これがもう面白い。自分はプログレはピンク・フロイドの原子心母しか聴いたことがないのだが、それだけに知らなかった世界を次々と紹介される快感がたまらなかった。当たり前ではあるが一口にプログレと言ってもその種類は様々で、これで少しはプログレがどんな音楽なのかわかるだろうかといった期待を抱いてラジオを聴き始めたが、結局よくわからないままに終わってしまった。放送中にも語られていたが、よくわからない音楽はとりあえずプログレの枠の中に突っ込んどけというような、そんなごった煮感がある。幅広いと言うか何と言うか。

いくつか気になったタイトルをメモしておいたので、早速明日TSUTAYAに行ってみよう。だが、同じことを考える人は多そうだ。来てみたら並んでいるのは空のケースのみ、ありえる話だ。いかがかな。


2010年8月9日 (月) 緑茶カウント:2杯
鉄は熱いうちに打て。早速TSUTAYAへ出かけ、キング・クリムゾンの「クリムゾン・キングの宮殿」を借りてきた。昨日の影響でプログレコーナーはガッラガラ、になっているかと思えばそうでもなく、無事借りられて何よりであるが、少し寂しい。

他、戸川純の「JUN TOGAWA TWIN VERY BEST COLLECTION」と谷山浩子の「白と黒」、スパルタローカルズの「スパルタローカルズ」、BUCK-TICKの「darker than darkness」を一緒にレンタル。戸川純は平沢進から興味を持って、谷山浩子は前から好きだったので、最後二つはTwitterで募集して借りるものを決めてもらった。どちらも全く聴いたことが無いので非常に楽しみである。まぁ、まずは21世紀の精神異常者からだな。あぁー楽しみだ。


2010年8月10日 (火) 緑茶カウント:3杯
自業自得も含まれるとはいえ、困ること、悲しいこと、情けないこと、不安になること、悩ましいことが重なり、心が腐って落ち込んだ。緑茶も咽喉を通らない。

気分を紛らわすために筋少を聴く。心が弱っているせいだろうか、普段よりも浸透力が高く、泣きそうになることもしばしばだ。しかし、ずっと聴いているうちに少しずつ格好良さと楽しさで心が慰められていき、ふつふつと元気が湧いてきた。本っ当に、筋少が好きなんだなぁ、己は。全くなぁ。


2010年8月11日 (水) 緑茶カウント:3杯
夏場に髪を短く切るのは涼しくて良いように思われるかもしれないが、あまりに短くすると汗止めの機能を失い、だだ流しになるため傍から見れば暑苦しいし、当人は当人で顔や首に汗の道が出来て鬱陶しいので、ほどほどにするべきであるが、美容師の判断で勝手に切られたって場合には、とりあえずハンカチを忘れるな。としか言えない。としか言えないのだよ。


2010年8月12日 (木) 緑茶カウント:3杯
明日は母方の祖父母の家に行く。数日滞在するが、うちの一日は父方の祖父母の家に行き会食をすることになっている。母方はともかく父方は少々面倒くさい。昔は従兄弟達とも仲が良かったのだが、しばらく互いに忙しくして会う頻度が減っていた間に共通の話題が無くなり、ぎこちない間柄になってしまったのだ。そのぎこちない人間が約五名集まりぎこちなく会話をしつつ飯を食らうのである。うーむ。楽しいのかこれ。まぁ、楽しむことが目的でなく、それぞれの無事を確認する会のようなものなのだから良かろうか。無事が確認出来るだけよろしい。確認出来なくは無いが無事とは言い難い人間は来られないのだからな。全く世の中いろいろあるものである。遠い世界の話のように聞いていたものが唐突に身近な話題になってしまうのだから驚きだ、と書きつつ、正直そこまでの衝撃は受けていないのだが。予想していたわけではない、深刻に捉えていないだけである。つまりまだまだ他人事の枠の中に納まっているということだ。日本ひきこもり協会のテーマがカラオケで配信決定したそうだが、しばらくは話題に出せないな、などとどうでも良いことを考える程度だ。流石に実感が伴えば変わるだろうが。明日は遅れないように家を出よう。


2010年8月16日 (月) 緑茶カウント:3杯
帰宅! あれからさらに時間が経過したおかげかぎこちなさも随分解消され、思ったよりも楽しい時間を過ごすことが出来たが疲れた。なかなかのハードスケジュールに加え、食べろ食べろの飯責めにあい、嬉しくも有難くも体力が持たず今朝は朝食を摂る気力も無かった。あぁ疲れた。祖父から聞いた戦争の話はまた後日書き残すとしよう。寝るぞ寝るぞ。おやすみなさい。


2010年8月17日 (火) 緑茶カウント:2杯
盆に帰省した際に九十五歳の祖父から聞いた戦争の体験談でも綴ろうか。三回も話がループしたからなかなかはっきり覚えているぞ。

祖父はシベリア抑留体験者だ。日本に帰国出来たのは終戦から二年後、シベリアで二回の冬を経験したという。満足な食料も支給されない中での過酷な重労働。たくさんの仲間が壊血病で死んでいくのを見たそうだ。祖父が三十歳のときの話だ。

日本が敗戦したことを知らないままナホトカに連れて行かれ、その地で上官が掲げた白旗を見て現状を理解したそうだ。それから二年、祖父のシベリアので暮らしが始まる。連れて行かれたのは百人ほどで、いくつかの班に分けられた。祖父のいた班では祖父が一番の下っ端だったそうだ。

祖父達に与えられた仕事は穴を掘ることだ。他にも仕事はあったかもしれないが、祖父が語ったのはこれだけなので、知っていることしか記せない。縦横一メートル、深さ十六メートルの穴を削岩機で掘り進める。場所は山。ヘルメットやマスク、ゴーグルなどの防具は無い。一枚のタオルで口と鼻を覆うだけで、粉塵の舞う中作業を進めなければならない。そういった穴を山にいくつも開け、最後に横穴を掘って爆薬を仕掛け、山を一つ崩し落して平地を作るのだという。また、崩壊して積もった岩や土は一輪車に積んで人力で海まで運んで捨てに行き、そのとき埋め立てて作られた港は今も使われているそうだ。

ある日、祖父の班の班長が神経衰弱にかかりダウンする。班長がいなくては班は動けない。するとロシア兵が日本語で命令を下した。祖父の名字を仮に田中としよう。「タナカ、ハンチョー!!」どういうわけか、班で一番下っ端の、二等兵の祖父が班長に任命されてしまった。祖父は戸惑ったという。しかしロシア兵の命令には逆らえない。

班長になった祖父は、とにかく班の人間を死なせないよう努力した。極寒のシベリアで黒パンと少々のおかずのみでの重労働。これでは仲間は生きられない。死なせないためにはどうしたら良いか。祖父はロシア兵の目を盗んでは、部下に野草をとってくるよう命じた。そして二つに切った油缶を鍋の代わりにして湯を沸かし、部下が抱えてきた野草を塩茹でにして仲間に食べさせたそうだ。これは祖父も驚いたことだが、部下がとってきた野草は春菊だった。幸運にも野生の春菊が群生していたらしい。仲間達はそれはもう喜んで春菊を食べたそうだ。

また、山を崩す際に余った爆薬をこっそりと隠し持ち、海に放り投げて海中で爆破させ、魚が浮かぶや否や裸になって海に飛び込み、飯盒に詰めて持って帰って、塩焼きにして仲間と分け合って食べたそうだ。泳ぎが上手かったから出来た、と祖父は語る。

必死の尽力の結果、祖父の班は他の班よりも体格が良く、何故あの班だけ太っているのだろうと不思議がられながらも、作業成績が良かったために一番早く日本に帰してもらえることになった。帰国の一週間前にロシア兵は祖父の班に「お前達は何もしなくて良い」と命じ、これまでの待遇が嘘のように毎日ごちそうが運び込まれたそうだ。恐らくこれは、太らせて帰国させることで虐待は無かったとアピールしようとしていたのではないか、と自分は思った。さて、祖父は本当に帰国出来るのか半信半疑だったそうだが、ついに一週間後、終戦から二年経って、ようやく日本に帰ることが出来た。班の人間は誰も死なず全員が無事生き残った。祖父は三十二歳になっていた。

帰国後、祖父の下に班の仲間の家族からお礼の手紙が届いたという。あなたのおかげで夫に会えた、息子に会えた。ありがとう、と。それらの手紙は今はもうどこかに行ってしまったが、取っておけば良かったと祖父は話していた。

しかし生憎これでおしまいではなく、後になって戦争の名残に苦しまされることになる。削岩機で山を掘り進めたとき、タオル一枚ではどうしても口を保護しきることは出来ず、吸い込んだ多くの粉塵が肺にたまり塊となってしまっていた。塊はひそかに祖父の肺の中に隠れていたが、あるとき、会社で残業中の祖父の背中を上司が拳で叩いた拍子に祖父の体に作用した。叩かれた直後は何も無かったが、帰宅後洗面器いっぱいに血を吐き、血液と一緒に粉塵の塊も吐き出したのだが当時は知られず、結核と誤診されてしまった。それから二年、結核でも無いのに結核療養所に閉じ込められることになり、不幸中の幸いで結核に感染せずには済んだが、流石に心身が参ってノイローゼになってしまったそうだ。

だが結核と誤診されるはめにはなったものの、粉塵の塊を吐き出したおかげかその後肺の病気をすることは無く健康に過ごし、今は歳のせいで少々体が弱くなってしまったが、百を目指して生きている。祖父は言う。あのときどうして露助が自分を班長に任命したかはわからないが、こいつならうまくやると奴らなりに思ったのかもしれないと。祖父は今もロシア兵のことだけは露助と呼ぶ。いわゆる差別用語とされているものだが、そりゃしょうがないよなと自分は思う。家族も咎める人はいない。

以上、九十五歳の祖父が語った体験談である。ただの体験談であるので教訓もオチもありはしないが、こんな出来事があったのか、とだけ知っていただければ幸いだ。


2010年8月18日 (水) 緑茶カウント:6杯
そういえば、一月に中性脂肪値がかなり低いので脂っこいものを食べてくださいと医者から言われたが、現在の己の中性脂肪値はどうなのだろう。調べてないからわからない。献血にでも行けばわかるだろうか。

何となく、より低くなってるかやたら高くなっているかのどちらかだと予想する。このところは手を抜いてあまり健康的な食事をしていないからな。そろそろ気合を入れなおすべきか。とりあえず米を炊くところから始めよう。パスタとパンにも飽きたことだし。うどんもあるけど。そうめんもあるけど。


2010年8月19日 (木) 緑茶カウント:5杯
ふと思い立ってスクワットをしてみたらたったの二十回続けたところで内腿に耐え難い負荷がかかり、大変悔しく感じたので明日からも続けようと思う。よく歩く方なのでそこまで衰えていないつもりでいたが、内腿はだめか。内腿は。ところで内腿ってパッと見ると内臓に見えて素敵だね。腿の内側に内臓が露出していたら嫌だなぁ。


2010年8月20日 (金) 緑茶カウント:3杯
夜。信号待ちの最中、後ろから歩いてきたおっさんに話しかけられて慌てて耳にはめていたイヤホンを外す。「美人がいないと意味が無いんだよ! 緑とか、たくさん色があっても美人がいなきゃ意味無いの!」と、指差す先に顔を向ければあるのは信号。黒い空を背景に輝く青色発光ダイオードが美しいが、そうか、美人がいなければ意味が無いのか、と納得するはずも無く、しかし勢いに押されて思わず無言で頷いた。信号が変わるとおっさんは先に歩いて行った。


2010年8月23日 (月) 緑茶カウント:0杯
このところの週末は高速バスや飛行機に乗って移動移動の移動ばかりなので流石に疲れ切ってしまった。しかし珍しくも睡眠欲よりも絵を描きたい欲が勝っていた、が、結局ほとんど別のことをして過ごし、だが絵もちょっとは描き、ちょっと描いて資料が全然足りねぇことに気付き、画像検索しつつも諦めて眠ることにしたので、ぐっない。


2010年8月24日 (火) 緑茶カウント:4杯
告白しよう。スクワットを続けていないことを。それもあれだ。一日も続いていないことを今告白しよう。見事な計画倒れ。計画として樹立する前にぶっ倒れた思いつき。そして今日も筋力の衰えを実感し、根性の続かないことも実感し、とりあえず栄養だけは摂ろうかと思い、ナスを四本、玉ねぎを一個、キャベツを四分の一玉突っ込んだ味噌汁を作りこれを食す。まこと美味なり。


2010年8月25日 (水) 緑茶カウント:6杯
いつか辿ることになりそうだが、他にも気になるものはあるし、と、後回しにしていたら亡くなってしまった。作品はあるので今からでも追える。知っているだけなので思い入れも無い。よって深い悲しみが生じることも無いが、ただ、不意打ちのように表れた幾許かの寂しさに若干戸惑っているのである。冥福を祈るにもしらじらしい。黙祷するにもそらぞらしい。己に出来ることと言えば、事実をそれと受け入れて、呑み込み黙ることだけだ。


2010年8月26日 (木) 緑茶カウント:7杯
そうして腹に落としたものは、いつか巡り合ったとき、ようやく開いて何かしらと成り、その役目を終えるのだ。


2010年8月27日 (金) 緑茶カウント:2杯



好きなミュージシャンを描いてみよう、ということで筋肉少女帯のメンバーを描いてみた。大槻ケンヂ、橘高文彦、内田雄一郎、本城聡章の順で描いたため、最初の方に描いたヌンチャクとフライングVがちょっとひどい。と、思ったがスペクターとストラトも結構ひどかった。大きさが統一されていないのがよろしくないのだな。

それにしてもこうして描いてみて改めて思うのだが、まるで少年漫画の主人公グループのような出で立ちである。バラエティに富んでいる点にそれを感じるのだろうか。それとあれだな。必ず一人女性的なキャラがいるというお約束も守られているせいか。全員四十代の人物なんだがな。まぁディフォルメしちゃあわからんか。


2010年8月28日 (土) 緑茶カウント:4杯



「今夜も生でさだまさし」を観ながらさだまさしのイラストを描く。筋肉少女帯のメンバーのようなわかりやすく過剰な記号が無いため、描いてる最中似ているのかいないのかわからなくなったり、途中平沢進に見えたりなどしてどうしたものかと思ったものの、何とかこのように仕上がった。

疲れが蓄積されていたせいか、今日など目覚めはお天道様もそろそろ下ろうかと準備をし出す十四時過ぎという有様で、いくら何でもこりゃねーよと思いながら出かける支度を始めたのだが、それというのもここ最近、やたらと絵を描くのが楽しく、睡眠よりも絵にかける時間を欲していたせいだ。翌日のことを考えれば早寝をするのが得策だが、この欲求は貴重なものだ。描きたいときに描かなければいつ描くというのだろう。ムラがあるのを自覚しているだけに尚更強くそう感じる。よって今日も世が更けて現在時刻は三時半。明日は何時に起きるだろうか。


2010年8月29日 (日) 緑茶カウント:2杯
ゆっくりと体を休めつつ、午後には買い物に出かけたり料理をしたりと充実した休日だった。そして夜にはライブDVDを観ながら発泡酒。至福の一時である。本も買って来た。描きたい絵もある。充実を実感している幸せな時間だ。さて、こいつがいつまで続くかな? と己に対して意地悪な態度を示しつつ、これがいつまでも続くのを願うのだ。なぁに、前向きであれば良いのさ。


2010年8月30日 (月) 緑茶カウント:2杯
子供の頃、イチゴミルクなる飲み物を飲む習慣が無く、ほとんど口にせず成長し、成人してからイチゴリキュールを牛乳で割って呑むようになったせいか、昼間普通の「イチゴミルク」を口にしただけでアルコールを連想し、一瞬くらりと酔いを感じる体になってしまったことを太陽の下、自販機の前、ピンクの紙パックを手にしながら気が付いた。錯覚とは言えイチゴミルクで酔う体。妙な設定付けの多い漫画のキャラにありそうなマニアックさ。へっ。鼻で笑って屑篭へ。


2010年8月31日 (火) 緑茶カウント:4杯



平沢進を描いてみた、が、衣装がよくわからないため適当である。これまでに描いたのは筋肉少女帯メンバー、水戸華之介、さだまさし、平沢進。調和が取れているのか取れていないのかいまいちわからないが、描いてて楽しければそれで良し。だんだんとディフォルメの等身の描き方にも慣れてきた。なかなか一つの形に安定しないため、最初に描いたオーケンのディフォルメ絵を常に隣に表示させ、それを見ながら描いていたがもう必要も無さそうだ。ところでこれらの絵はいったいどこに収納すべきだろうか。置く場所が無いため日記にアップしているが、二次創作ページは撤去してしまったし、さりとてオリジナルイラストでも無く、言うまでも無く虫では無い。新たにページを作るべきか。とはいえ今後も増えるのか。どうすっかな。




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