7月      

2010年7月1日 (木) 緑茶カウント:3杯
ついに七月がやって来た。原色の季節の到来だ。生命が過充電されて動けなくなる人々が増加するこの季節、己は夏を満喫すべくしばらく熱い国へ出かけることにした。二年か三年で戻れることを目標としよう。さぁ、放電の支度を整えようか。


2010年7月2日 (金) 緑茶カウント:0杯
ちょっと夏の準備に行ってくる。さて。これから忙しくなるな。大変だ。


2010年7月3日 (土) 緑茶カウント:3杯
このところ体力の消耗が激しいのは激しく体力を消費しているのと同時にいまいち供給と回復が足りていないからであり、しかし今動かなければ後々困るため動かざるを得ないが後々困らないために動いているのに後々困らないために動いているせいで今現在体力を消耗して困っているので、結局どちらにしろ困ることには変わりなくどうしようかと困り果てている。

とはいえ基本的に己は楽観的な人間なのでそこまで深刻に困ってはいない。ただしんどいなぁ、と感じているだけだ。しんどいので昨日今日と肉をがっつり食べたがなかなか活力には変換されないようだ。雨が上がれば元気も出るだろうか。ま、それよりもなるべく休息を取るこったな。


2010年7月5日 (月) 緑茶カウント:3杯
初対面の人間に自分のこだわりや性質をいちいち説明するのは面倒くさいので、どうせ二度と会わないなら良いや、と相手の望むキャラ、喜ばれるであろう受け答えを意識的に作り出し、社交的な人間になりきって会話を盛り上げたら思いのほか気に入られてしまい、連絡先の交換を希望され困り果てたことが今までに何度かあるので、そろそろそういったことは止めるべきだなと痛感している。

例えば。自分は家族以外の人間に下の名前で呼ばれるのはどうにも決まりが悪くて嫌なのだが、相手が下の名前で呼ぶことを希望した場合、どうして嫌なのか事情説明しなければならず、説明するためには己の根幹部分の面倒くさいところまで語らなければならなくなる。そんなもんを初対面の人間に話すのは憚られる。理解されないことも多い事柄だ。よって適当にその場でキャラを作って下の名前で呼ばれることを許容し、気持ち良く会話を進めていく方を選ぶのである。

しかし、関係が継続した場合は厄介なことになるんだな。相手はその時の作られた人格を期待しているわけだが、その好印象の人格を保持して付き合いを続けることは出来ない。一度限りだからこそ出来ることであり、作り物はあくまで作り物、紛い物の人格なのだ。だが、それを伝えられるだろうか? それとも伝えずに地を見せて、相手に「どうしてこんなに態度が変わってしまったのだろうか」と不安を抱かせようか。そうでなければ仮面を被り続けるか。仮面を被りながらゆっくりとフェイド・アウトを狙っていくか。どれを選ぼうともなかなかひどい行いだ。

一番良いのは偽物の自分なんぞ演出せず、面倒なところでは適当にお茶を濁してやり過ごし、仮に今後付き合いが継続されたとしても頭を抱えず済むようにすることだが、こいつが意外と難しい。とはいえ逃げてばかりもいられまい。練習しなければなるまいな。


2010年7月6日 (火) 緑茶カウント:2杯
涼しい部屋は魅力的だが、真夏にも関わらず温度も湿度も快適な状態に調整されている窓もドアーも締め切った部屋に二十二時に帰宅して出迎えられたら絶望するより他に無い。やっちまったよ。あぁ、悲しい快適だ。


2010年7月7日 (水) 緑茶カウント:2杯
何やってんだかよくわからない人になりたいので、何やってんだかよくわからない人になろうとしている。こういうわけのわからないことをするのは昔から好きだ。わけがわからないと言いつつ自分の中ではきちんとした理由付けがなされているのだ、が、あえて表に出しはしない。まぁ、そのために誤解を受けることもあるが、そのままにしておいた方が面白い場合はあえて放っておくのも一興だ。人生は楽しい方が良い。


2010年7月8日 (木) 緑茶カウント:4杯
この間の日曜日にライブバーX.Y.Z.→Aで太田さんのセッションが行われ、ガタンゴトンと電車に揺られて観に行ってきたので今更ながら感想を。今回の課題曲は全曲筋少。曰く、普段はファンクなどの別の音楽をやってるんだけど、前回のセッションで筋少曲の参加希望者が多かったから、とのことである。太田さんのサービス精神に感謝しつつ、ちょいと複雑な気分になりもした。うーむ。

余裕を持ちつつものんびりとお店に到着し、空いている席に適当に腰を下ろす。………が、もう寝なければならない時刻なのでとりあえずセットリストのみ! 後で書き足すことにしよう。

以下、セットリストである。

サンフランシスコ
電波ブギー
マタンゴ
キノコパワー
踊るダメ人間
風車男ルリヲ
少年、グリグリメガネを拾う
日本印度化計画
詩人オウムの世界
くるくる少女
風車男ルリヲ
少年、グリグリメガネを拾う
詩人オウムの世界
イワンのばか
釈迦
サンフランシスコ


2010年7月9日 (金) 緑茶カウント:0杯



「蔦からまるQの惑星」ツアーの千秋楽、ツアーファイナルから帰ってきて、今、余韻に浸りしみじみとしている。六月から新譜の発売、筋少と演劇のコラボ企画「アウェーインザライフ」による二週間の赤坂ブリッツ完全占領、そしてインストアイベントに新譜ツアー。どっぷりと筋少を堪能した一ヶ月。それが今夜終わりを迎えた。あっという間の出来事だった。しかし呆気ない時間では無かった。一言で言うなら幸福だ。

これまでの中でも今日のライブは最高峰の楽しさだった。華やぐ祭りの賑わいの中、客の流れと時間を見ながら少しずつ店仕舞いの準備を始める的屋の様子を気にしつつ、最後の目玉の花火が一つ一つ散っていくのを噛み締める。騒々しくも浮ついた、バラバラに跳ね回っているものが一つの流れとなり、終息を迎え消えて行く。視界いっぱいに降ってきた橘高さんのピックの雨が、喜びと感激と狂乱と寂しさを象徴しているもののように見え、これで終わってしまうのだということを実感し、寂しくなった。

しかし最後の「ア デイ イン ザ ライフ」が物語るように、終わりを迎えてもまた会えるときが来る。一つの喜びが終わってもまた新しい出会いが現れる。それを約束してくれる、今の筋少が大好きだ。必ず終わりは来るけれど、これで全てがおしまいではない。終わることは寂しいことだが、悲しむ必要はない。「終わらない」と約束するよりもずっと希望的で現実的だ。この前向きさがたまらなく嬉しく、同時に「好きだ」と思える理由でもあるのだ。本当に、素晴らしい夜だった。


アウェー イン ザ ライフ
レセプター(受容体)

仲直りのテーマ
ワインライダー・フォーエバー(筋少ver)

あのコは夏フェス焼け
暁の戦力外部隊
これでいいのだ

家なき子と打点王
爆殺少女人形舞一号
子犬にしてあげる

ロシアンルーレット・マイライフ
心の折れたエンジェル
サンフランシスコ
ツアーファイナル
モコモコボンボン

〜アンコール〜

蓮華畑
若いコとドライブ〜80"sから来た恋人〜
境目のない世界
釈迦
ア デイ イン ザ ライフ


2010年7月10日 (土) 緑茶カウント:0杯
昼前から終電間際まで友人とたっぷり遊んできた。ブックオフの中を散策し、昼食を食べ、服や雑貨、本、フィギュアなどを買い、喫茶店で休み、居酒屋で呑んで、ゲームセンターに寄り、カラオケで歌い、最後にUFOキャッチャーをして駅で別れた。

十四年近い付き合いになるが、未だに会うたびに新しい発見があるのが面白い。今日は一つとても驚いたことがあった。自分は深緑や紺などの濃い色が好きで、そういった色の服をよく着ているのだが、軽い色覚異常を持つ友人には深緑や紺が黒に見えていたため、ずっと「黒が大好きな奴」だと思っていたのだそうである。普段着で黒尽くめの格好なぞしたことが無いのに、全身黒のイメージを持たれていたのだ。もしくはモノクロ。友人の色覚異常は知っていたが、まさか己の格好が真っ黒に見えていたとはまでは知らなかったためびっくりした。そりゃ夏場は随分と暑苦しく見えただろうなぁ。

いつも飲み屋では一人頭六千円ほどかかるのだが、本日はたったの二千円ちょっとで済んだ。二人とも普段よりも食べられず、酔いが回るのも早かったため酒量もさほどでは無かったからである。ビール二杯と果実酒一杯だけで酔っ払ってしまった。いつもの半分ほどの量だ。多いときなら三分の一。だが、友人の計算では八分の一の頻度で己は酔い潰れているそうである。申し訳ないと思いつつも、いくら何でもそこまではと反論を試みようと思ったが墓穴を掘って終わってしまった。無念だ。

八分の一の頻度で迷惑を被る友人の方は酒はあまり強くなく、どちらかと言うとアルコールよりも甘いものを好む。辛党というより甘党だ。それも極度の。今日は大きめの皿に盛られたパイにアイスクリームと生クリームと果物がゴテゴテとトッピングされたハイカロリーな代物を満腹を宣言した後に嬉々として平らげていた。二人で分けるために注文されたものだったが自分は小皿一枚分で降参し、「極度の甘党」と「甘い物好き」の間に存在する確かな区分けの線を感じ、アイスの染みたパイの重さに苦戦しつつそのことを告白したところ、じゃあその線を点線に変える、と言われて笑った。それならキリトリ線にして切り取ってやるよと返せば、切り取ったら完璧に断絶だろと苦情が来たので、じゃあヤマオリ、越えるのがしんどい、じゃあタニオリ、上るのがきつい。阿呆な会話だ。

帰り際、「じゃ」「じゃ、また」と言って別れたが、どっちがどっちを言ったのか覚えていない。またいつか。良い言葉だな。またいつか。


2010年7月11日 (日) 緑茶カウント:0杯
不思議なほどに一昨日のライブの記憶が無い。これまではライブハウスで受け取ったものを一つでも多く持ち帰り、記録に残そうと記憶していた。ところが今回はまるで記憶が全て感動の余韻に昇華されたようで、他人の書き綴るものを見てもあまりピンと来ないのだ。あったなぁ、とは思うものの具体的に思い出せない。こんな感覚は初めてだ。

しかし惜しいとは感じない。忘れてしまったことへの悔しさも無い。むしろ全てが自身の中に浸透したようで心地が良い。「残す」方法は書き留めるだけでは無かったのだ。それを知るきっかけを得られたことに感謝したい。


2010年7月12日 (月) 緑茶カウント:0杯
コロリ、とカナル型イヤホンが耳の穴から零れ落ちることが増えてきた。特に左耳。コロリと耳から外れて落ちてしまうのだ。これについて考えられることは三つ。耳の穴が拡張されたか、イヤホンが耳によって削られ縮小されたか、もしくはその両方か。手前で書いておいてなんだが、まぁ二と三は無いよな。つまり毎日毎日ほぼ年中無休で休みもとらず耳の穴にイヤホンを突っ込んでいたせいで耳の穴が広がったのか。広がるなよ。もうちょっと耐えろよ。虫が入ったらどうしよう。


2010年7月13日 (火) 緑茶カウント:0杯
貸しっぱなしだったCDを返してもらうついでにちょっと飯でも食べようか、という話になり、サークルメンバーの一人と居酒屋で酒を呑みつつ肉豆腐などをつついていたら、突然友人が異様にハイテンションな女に絡まれだし、何事かと見上げたら共通の友人がそこにいた。彼女もまた同じサークルの仲間である。本日彼女も飲みに誘ったのだが先約があると断られ、しかし偶然同じ居酒屋の近しい席で飲んでいたのだ。こんなこともあるのだなぁ。

向こうのテーブルの会合が終わって後、彼女もこちらにやってきて、近況報告や将来の話をしながらべたべた喋った。相変わらずノリは変わらないが、話題は少し変わったなぁ。それぞれが各々の道を歩みだしているということだ。皆バラバラになっていくが、たまにはこうして集まりたいものである。繋ぎとめられるうちに繋ぎとめておかんとな。


2010年7月15日 (木) 緑茶カウント:1杯
書きたいことはあれやこれやとあるはずなのだが、このところパソコンの前に向かうとふっと消えてしまう。いや、消えると言うのは正しくない。雲隠れしてしまうとでも言うべきか。こういう時期ってのはたまにあるんだよな。まぁ過ぎてしまえばそれで済むのであるが。

ところでこのところ緑茶カウントが芳しくない数字であるのは、麦茶、玄米茶、烏龍茶、オレンジジュースの類を飲んでいるからである。浮気だな。浮気だよ。何で浮気するの。だって熱いから。流石に夏だもんなぁ。急須はなぁ。


2010年7月16日 (金) 緑茶カウント:0杯
部屋をすっきりさせたらアシダカさんが所在無さ気にうろうろしている。あっちにちょこまかこっちにうろちょろ。居場所を求めて彷徨い歩く彼の頭の上には漫画的記号の汗が見える。どうやら落ち着く場所が見つからず困りきっているようだ。部屋がすっきりしたことには満足しているものの、アシダカさんを困らせるつもりは無かったため思わずすみませんと謝りたくなってしまった。ので、謝った。しかしアシダカさんは聞いていない。ちょこまかちょこまか。うろちょろうろちょろ。部屋の隅へと歩いて行った。


2010年7月18日 (日) 緑茶カウント:3杯
いつも眼鏡をかけている友人が顔面に何もつけずに目をシパシパさせていた。どうしたのかと己が聞く前に、シパシパの隣のでかでかとした男が、シパシパは今コンタクトをしている体なのだ、と言い、シパシパが「体で」と反復した。体で。

「体で?」
「体で」
「何で?」
「流行ってるから」
「何が」
「今、俺達の中で『体で』って言うのが」
「つまりコンタクトはしていないと」
「何も見えない……」
「眼鏡どうしたんだよ」
「あるけどコンタクトをしている体で」
「何で…」

曰く、集合場所に着いてみたら全員が眼鏡をかけていて、傍から見たら不健康な集団に思われるのではないかと危惧し、部屋に引きこもって漫画ばかり読んでパソコンをカタカタ言わせている奴らだと思われることを回避するために眼鏡を外して目をシパシパさせていたのだそうである。なるほど、努力は買おう。しかし一つ突っ込みたい。

「お前らみたいなガタイの良い奴らがそんな心配することないだろ」

恰幅が良く貫禄のある百七十センチ、武道経験の長い百八十センチ、元ラグビー部自衛隊体験入隊経験者の百九十センチを視界に入れて誰がそのような印象を抱くだろうか。客観的視点が足りているのか少ないのかわからない奴らである。己は呆れた体で笑った。


2010年7月19日 (月) 緑茶カウント:2杯
良くないと思いつつ、散歩に夢中になると食事を取るのをついつい忘れてしまう。休日散歩に出かけるときは朝昼兼用食として軽くジュースやヨーグルトを腹に入れて出かけ、下手をすると夕飯まで何も食べずに終わらせてしまう。流石に水分は摂るようにしているが固形物にまであまり気は回らない。歩くのに夢中になっていると大して腹の減りが気にならないのもあるが、却って空腹が心地良い場合もあるのだ。

しかし心地良いうちに帰宅できれば良いが、「あ、やばい」と散歩の途中に危険信号を感じ取ることもままある。大概水分と塩分が足りなくなってのことだが、水分までならまだしも塩分の不足を感じる時にはかなりよろしくない状態まで来ているので早々に栄養の摂取が必要になる。こういう時はアクエリアスなどを飲むだけでは追いつかない。固形物を食べなければだめだ。それも甘いものよりもしょっぱいもの。そうして本日、塩気のあるものを求めて彷徨い歩き、串カツ屋に入って事なきを得た。きすをまるまる一尾串に刺して揚げたやつが美味しかったなぁ。また行こう。


2010年7月21日 (水) 緑茶カウント:0杯
昔から飯を食らうのが遅かった。家族で食事をすれば必ず最後まで食卓に残っているのは自分で、何度と無く、すっかりその光景に見慣れた母親に、ゆっくり洗ってるから早く食べ終わりなさいと台所から声をかけられたものだ。何故こんなに遅いのだろう。

そして先日この謎が判明した。友人と食事をしていたときである。あれやこれやと語らいながら楽しい時間を過ごす中、自分が喋るときは友人が箸を進め、友人が話をするときには自分が箸を皿に伸ばし……、ていると今まで思っていたのだが、伸ばしていなかった。友人の話を聞きながらほうほうと頷きつつ箸を口から下ろし、皿には向かわせず、そのまま箸置きの上に戻して両の手の指を組んでテーブルの上に乗せ、話に集中しまくっていた。

言うまでもないことだが喋りながらものを食べるのは行儀が悪いので喋るときは喋ることに集中している。……そりゃあ食べるのが遅いわけだ。パチンと箸を置いたとき、己の動作と意味に気付いて長年の疑問が氷解するとともに、何てすっとろいことをやっているのだと呆れ返った。友人も呆れていた。そりゃそうだ。

そんなすっとろい自分でも飲み物は問題なく量を減らすことが出来る。だから酒量が増えるのか。合点がいった。合点がいった。


2010年7月22日 (木) 緑茶カウント:0杯
歯磨きってのは結構な快感だよなぁと思う。快感には平静の状態から快感を得るものと、不快を拭い去って快感を得るものの二種類があるが、後者のほうが快楽の度合いが強いように思う。歯磨きは後者だ。口の中の混沌が一掃されてすっきり洗われる気持ちよさ。これを食事のたびに感じられるなんて幸せだ。そうして歯磨きの後はモンダミンをすると良いね。好きだよ。キシリトールガムも良いねぇ。好きだよ。ブレスケアも良いねぇ。好きだよ。フリスクも勿論好きだよ。って語っていたら本題の歯磨きがよそに行って単なるミント好きの表明になってしまった。ミントのカクテルのグラスホッパーも好きだよ。バッタも好きだよ。

しかしこんなに喜んで歯磨きをしているのに虫歯になりやすいのはどういうわけだ。かかりつけの歯医者曰く、遺伝だねとのことだがどうにも納得できない。確かに両親ともに歯はあまり丈夫では無いが。無いけど。無いけど。あぁ。歯は大事。


2010年7月24日 (土) 緑茶カウント:3杯
何者かになろうと定める前に、周囲の流れと力と運によって何者かになろうとしていく状況を奇妙に思いつつ、さて、何かしらの目標意識を抱いて抗い己の力で道を作るか、流れに乗って尚自らの力で進みぬくか、流れの中でまた別の道への用意を水面下で進めるか、考えているところである。もうすぐまた一つ歳をとる。年々時間が消費されていく。老いることに対する悲観は無いが、より良く老いるためには、二十年後、自分が憧れる人々のように楽しく日々を暮らすためにはいかにしたら良いか。二十年後、あんな風に人生を楽しむためには今をどのように過ごすべきか。自分がなりたかったものは何だろう。

考えている。


2010年7月25日 (日) 緑茶カウント:3杯
このところやたらと人から衣服の類をもらうのだが、どれもこれもサイズがでかい。着られないこともないだけに小さいよりはましだとも考えられるが、体に合わない衣類によって衣装ケースを満員状態にされるのはあまり芳しい状況では無い。端的に言えば困る。本音を言えばいらない。だが捨てるには忍びない。

それにしてもこちらは見るからにチビなのだから、細かなサイズはわからないにしてもLやLLが体に合わないことなぞ自明の理だと思うのだが。まだ誰も袖を通していない新品であることをくれる人は強調するが、使用未使用よりもサイズを。大きさを。そちらを考慮してもらいたいなぁ、と思いつつとりあえず寝巻きにしている。でけぇ。


2010年7月26日 (月) 緑茶カウント:2杯
平沢進のファンクラブ「GREEN NERVE」に入会してしまった。入会してしまった。何かしらのこういうものに入会するのはコンパイルクラブ以来である。これもまた懐かしい単語であることだ。

会員カードと共に送られてきたのはファンクラブの説明書きと一冊の会報誌。平沢進の近況、グッズ、ライブ情報、高品位粗食のレシピ、Twitterを軽くまとめたもの、などが載っていてページ数は少ないがなかなか面白い。何が面白いって何故こうも誤字というか、ミスタイプのようなものが多いのだ。手作り感に溢れすぎている。まるで個人サイトの日記のようだ。もっと念入りに見直すべきだと思う。

さて、準備は整ったから今月中に太陽系亞種音を注文するぞ。P-MODELのスペシャルボックスセット。気が早いにも程があるが、今から届くのが楽しみだ。明日手続きするぞー。


2010年7月27日 (火) 緑茶カウント:2杯
風呂の重要さを実感している。一人暮らしを始めてから、ユニットバスということもありほとんどシャワーで済ませていた。湯船に湯を溜めてゆっくりと漬かることはあまり無く、体を洗うための場所として我が家の風呂場は機能していた。

しかし、年齢のせいか知らないが最近どうにも疲れやすくなってきた。そのうえ解消もされにくい。だるいとまではいかないのだが、どうにもハツラツとしないのである。すると自然、体は湯船を求めた。ゆったりのんびり湯の中に体を沈めたい。体が求めるならば抗う必要は無いだろう。そんなわけで、一週間前から湯船にぬるめの湯を溜めて、たっぷり四十分ほど半身浴を楽しむようになった。

するとどうしたことだろう。冗談のようだが、疲れを引きずることが無くなった。疲れることには疲れるのだが後を引かずに解消されるのである。また寝覚めも良くなった。六、七時間寝ても昼には睡魔と闘わざるを得なかったのに、風呂に漬かるようになってからは朝すっきりと目が覚めて快適に一日を過ごせるのである。

恐るべし風呂。実家暮らしをしていた頃、毎日当然のように湯船に漬かっていたときは気が付かなかったが、なかなかどうして侮れないものである。今後も時間が許す限りは湯船で寛ぐことにしよう。


2010年7月28日 (水) 緑茶カウント:3杯
緑茶も毎日欠かさないがミントも同じく好きである。鞄にはミント味のガムとフリスクを常備し、何かにつけては食べている。両親の話によると幼少の頃からミントを愛好していたそうで、きっかけは父がイタズラ半分でミントのガムを与えたことだったという。刺激に戸惑って吐き出すかと思えば結果は逆。大層気に入ってしまい、ロッテのブラックブラックガムが大好きな幼稚園児になってしまったのだそうだ。

そんなある日のことである。毎日使う鞄のチャックを開けると爽やかな香りが鼻を通り抜けた。言わずもがな、ミントの香りである。随分鼻に馴染んだにおいだが、どうやら鞄にミントの香りが染み込んでしまったらしい。最初は鞄の中のガムやフリスクのにおいがしているだけかと思ったが、中のメモ帳も筆箱もミント臭に侵されていた。

ミントは好きだがいくら何でもこれはいかがなものか。あらゆる所持品からミント臭がするのでは、異常にミントが好きな人のようではないか。それもただミントの爽やかな香りがするだけならまだしも、発生源はガムやフリスクである故に、どうにもこうにも甘臭いのだ。冬ならまだしも夏場にこれは鬱陶しい。

鬱陶しい。だが、それでも自分の好きなにおいであるわけだし、香水ほど強烈でも無いのだから構わないか、と己を納得させ、本日ホワイトチョコレートを食べて絶句した。小腹が減ったときのためにとコンビニエンスストアーで購入し、そのまま鞄の中に入れていたホワイトチョコレート。開封済みとは言え買ってから三日かそこらしか経ってない。経ってないのに、ミント味になっていた……。

美味しかった。が、ホワイトチョコレートの立場になって考えてみると、ファブリーズ、もしくはリセッシュの必要性を考慮すべきかもしれない、と思わされた。恐るべし、ミント。


2010年7月29日 (木) 緑茶カウント:2杯
大学在学中の四年間で、自分は随分と弱くなった。かつては集団でつるむよりも単独行動を好み、仲良くなろうと近寄ってくる人を鬱陶しがって逃げ回り、一人暮らしを始めてもホームシックとは無縁の生活、むしろその快適さを楽しんだ。他人の寂しさを嘆く言葉にも何一つ共感出来ず、へぇと思うだけだった。それが今や、確かに寂しさを感じている。

ため息が出そうだ。弱くなった自分にか、それとも弱くなった故にか、はたまたその両方か。四年間、いつの間にか皆と共に過ごすことが普通になり、無論一人の時間が持てないことには耐えられないので程良い距離感を保っていたのだが、以前のように彼らとつるむことが出来なくなった現在、それを悲しみ、それを憂い、心から残念に思い、寂しさを募らせている。

それは成長であるかもしれず、ただ変化した、それだけであるかもわからない。どちらにせよ思うのは、中学の頃の自分がこの現状を知ったなら、ひどく驚くだろうということだ。だが、そのことに関して当時の自分は喜びも悲しみもしないだろう。ただ驚くだけに違いない。変わるもんだな、と呟くだけだ。

十年前は変人と呼ばれていたが、ここ数年、少しずつ角が取れて来たことを実感している。こうして普通の人になっていくのだなぁ。良かったのか良くないのか、よく知らないが感慨深い。人は変わるものなんだな。


2010年7月30日 (金) 緑茶カウント:1杯
寂しさを噛み締めていた矢先、ネットとリアルでたくさんのお祝いの言葉をいただいた。言葉だけでなくケーキとケーキのようなものまで。どれも、予想していなかっただけに、まさか覚えていただけているとは思っていただけに、嬉しく、ぽっかりと空いた穴に花束をぎゅんぎゅんに詰め込まれたような気分だ。有難い。

それにしても、だ。Twitterにて、お礼と共に何歳になりましたと自身の年齢をツイートした途端、思っていたよりも若くて驚いた、なる感想を次々といただき、どうやら己は三十代に見られていたらしいことが判明し、その理由と言うのがやけに落ち着いていたからだと聞いて、おかしいなぁ、日記ならばともかく、Twitterでは少々文体と雰囲気を変えているのになぁ、と不思議に思った。が、よくよく考えたら十年前からネット上じゃあ年齢よりも上に見られていたなぁ。今に始まったことでは無かったな。ははは。

つーことで、二十四歳になりました。ありがとう!


2010年7月31日 (土) 緑茶カウント:4杯
明日はそうだな。このところ出かけることが多かったから、ちょっと足りないものだけ買いに行ったら、絵を描いて本を読んでゆっくりと部屋で過ごそうかな。しかしカラオケにも行きたいのだよなぁ。思いっきり腹から声を出して、覚えたての曲に挑戦して舌が回らず慌てふためき軌道修正を図るもそのまま終わって苦笑い、なんてことをやりたいものだ。それとそうだな。冷やしておいた葡萄を食べよう。普段より少し遅く起きて蝉時雨の降る中で残った時間を満喫しようじゃないか。

八月の到来である。夏本番だ。




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