6月      

2010年6月1日 (火) 緑茶カウント:6杯



待ちに待った筋肉少女帯再結成後三枚目となるニューアルバム、「蔦からまるQの惑星」を手に入れた。正確な発売日は明日だが意気込んで一日前にフライングゲット。三月のライブで新曲を聴いてからずっと願っていた、早くアルバムを手に入れたいという欲求がやっと充足された。

次の日曜にインストアライブが行われるということで、チケットを手に入れるため事前に新宿のタワーレコードで予約をしていた。そんなわけで新宿まで電車に揺られてゴトゴト出かけ、帰りにオーケンの衣装が展示されている渋谷のHMVに寄るために途中下車をし、ついでに新茶を買って帰宅するという算段だ。定期の残高を確認し、意気揚々と電車に乗り込んだ。

新宿のタワーレコードに到着すると、おお、筋少のスペースが作られている! ジャケットが見えるようにずらずらと並べられ、視聴用の機械と小さなテレビ画面。そこには「アウェー イン ザ ライフ」のPVと思われるものが! PVもちゃんとあったのかー! アニメーションと実写を組み合わせたPVだ。実写はオーケンだけのようで、アニメになった橘高さんのギターソロでの指使いが、奏でられる音に比べてゆったりしていてちょっと笑ってしまった。アンバランス。

ふと気付くと店内にも「蔦Q」からの曲が流されている。CD屋で筋少の曲を聴けるってのは嬉しいなぁ、と喜んでいたのも束の間、「アウェー イン ザ ライフ」が終わったところでどこかで耳にしたイントロが。これは恐らく「ワインライダー・フォーエバー」の筋少版だ! 原曲は聴いたことがあるが、筋少版はラジオで流されたときもアルバムで聴くときの楽しみのために回避していたのだ。ここでネタバレを食らうわけにはいかない! ということで、聴きたくてたまらないのを我慢してイヤホンを装着し、ポルノグラフィティを聴きながら予約票を持ってレジに並んだ。危機一髪である。

無事アルバムとインストアライブのチケットを入手してそのまま渋谷へと向かう。間もなくHMVに到着し、さてどこか、と探せば入り口近くに見慣れた特攻服の姿を発見。これが笑ってしまった。

透明な直方体のケースの中に頭部の無い白いマネキンが立っていて、それがオーケンの特攻服を着ているのだが、ガラスケースの側面によりにもよってでかでかと「人間嫌いの歌」の歌詞が書かれているのである。そして同じ歌詞が特攻服にも書かれている。よりにもよって。よりにもよって。人間嫌いであることを強く主張したケースに包まれた大槻ケンヂの特攻服。これ、筋少をよく知らない人が見たらどんな印象を受けるのだろうか。

衣装の方をまじまじと見ると、意外にももこもこした表面だった。いかにも冬服用の素材のようで見るからに熱そうだ。こんなものを着てライトを浴びながら歌うってのは大変だろうなぁ。もっと薄い生地にすることはできないのだろうか、なんて余計な心配をする始末。橘高さんの衣装はもう少し涼しげな生地が使われているのだろうか。

衣装をじっくり眺めたら後は緑茶を買って帰るだけだ。高鳴る胸を抑え逸る足を落ち着かせて帰宅。CDプレーヤーが無いためノートパソコンの電源を入れ、CDを突っ込み、イヤホンを耳に挿した。再生ボタンを押す。

それから風呂に入る時間を除いて今の今までずっとアルバムを聴いていた。一曲だけと思っても途中で止めることができなくて延々と最後まで聴いてしまいの繰り返し。ようやくイヤホンを外して日記を書き出したところである。

アルバム全体の感想を言うなら、華やかで賑やかで遊び心もあって、とにかく前向きな印象を受けた。四十数年生き抜いた人間の強さを感じると言えば良いだろうか。いろいろなひどい目やトホホな思い、辛いこと悲しいことを乗り越えて今を楽しんでいる人達が、さらに新しいものを取り入れて、立ち止まらずに前へ進んだことで出来上がった作品であるように思える。これは前作の「シーズン2」からも感じた。再結成後の前向きな筋少がここにある。

ただ、「月光蟲」や「ステーシーの美術」のような歌詞世界を求めている人には受け入れられないかもしれない。閉塞的で陰鬱な空気はこのアルバムからは感じられない。人によって筋少に求めるものは違うし、筋少たりうると考えるものも違うだろう。アングラでドロドロしたやりきれなさこそが筋少と考える人は「筋少らしくない」と思うだろうなぁ。だが、それも良し。

そうだ、らしくない。「蔦からまるQの惑星」は「シーズン2」に比べて筋少らしくないと自分は思った。まず発売前に発表された曲名を見たとき、次にアルバムジャケットを見たとき、最後に曲を聴いたとき。そして初めは違和感を抱き、それから不安を覚え、終わりに不安を解消されて違和感を受け入れた。多分、「エリーゼのために」が発表されたときも、こんな風に感じた人はいたんじゃないかな。だが、エリーゼの路線が今では筋少の要素の一つになったように、「蔦Q」の路線も筋少の魅力の一つとして消化されるだろう。もちろん人によって好みはあるのだから、「筋少はシスベリまでしか認めない」「再結成後からは何か違う」という意見もあるように全てが全てとはいかないだろうが、きっと「これも筋少!」と受け入れられると思うね。

では、そろそろ一曲一曲の感想を書いていくかな。

アウェー イン ザ ライフ …橘高さんの二十周年記念アルバムに収録された一曲「DESTINYをぶん殴れ!」の歌詞を書き換えたもの。よってこれがまた違和感絶大だったんだよなぁ。「DESTINYをぶん殴れ!」が気に入っていただけにね。ライブで初めて聴いたときも、どうしても脳内でそっちの歌詞が再生されて混ざってしまうのだ。また、ローディーの台詞が若者言葉であるため今までのオーケンの書く歌詞の文体と比べるとやたら軽く感じられ、正直不安な一曲であった。だが何度もライブやラジオで聴いたことで慣れたこともあり、イントロの格好良さ、ぎゅんぎゅんぎゅんぎゅんと繰り返されるギターの音にはまっていつの間にやら違和感なんぞ消えてしまった。アウェーだからこそ逆境を乗り越えて敵を味方に変えてしまえという歌詞は若いうちには作れなかっただろうなぁ。今の筋少だからこそ作れる力強い一曲。

レセプター(受容体) …「蔦Q」唯一の内田曲。つっても「捨て曲のマリア」はほとんど内田さんが曲を作ったものらしいが。これはのほほん学校での話である、と一応な。さて、レセプター。こいつがどんはまり。何と言っても曲が最高! じゃんじゃんじゃん、ハァッ!! ってところが大好きだ。歌詞については、尼僧大迷惑だな! と思った。まるで痴漢冤罪のようである。曲を聴く前タイトルだけを見たときは静かな曲かと思ったが全然違って驚いた。ご機嫌ノリノリな曲調だけど神父は磔。ひでぇ。ところで筋少ではない話なのだが、水戸華之介&3-10Chainの「A・E・D・D」という曲に「神様よりも好きだった」という歌詞があり、それがまた悲しく切ない曲であるために、歌詞が少し重なるせいで相乗効果で切なさが倍増している。自分の中だけで。こんなこともあるのだ。

ワインライダー・フォーエバー(筋少ver) …いろんな意味でまさかな一曲。当初、アルバム収録タイトルが発表されたときは、ソロと筋少は分けてほしいなぁ、程度にしか思わず、特別期待も注目もしていなかった。ところが発売直前のラジオで思わぬ情報がオーケンの口より発せられて驚愕とともに頭上に浮かび上がるハテナマーク。何と「筋少メンバーが全員ラップに挑戦している」というのだ。ラップだと!? 何で? どこで? しかも全員が!? これはアルバムで聴くまでとっておかねばなるまいと曲が流れる手前でイヤホンを耳から外し、ものすごく楽しみにしながらアルバムを買いに行った。だって気になるじゃないか、ラップだぞラップ。そして聴いてみたら大笑いした。これはすごい! いや、全体的に男らしさが増していて骨太で格好良い曲になっているとか、「ウ、ハァッ!」の掛け声が気合が入っていて好みだとかあるのだが、ラップに全てを持っていかれた。橘高さんの声はわかりやすいなぁ。おいちゃんが一番ラップっぽく語っているように思う。語尾のあたりが。内田さんの「どんなに強い」って台詞は力がこもっててすごく良い。……これライブで聴くのが楽しみだ。わはははは。

家なき子と打点王 …気に入りの一曲! 蔦Qで一番好きかもしれない。タイトルだけを見たときはピンと来なかったが、ラジオで聴いてびっくりだ。声優がコーラスで参加という点も、いわゆるアニメ声や舌ったらずなロリボイスが苦手な自分にとって鬼門になるのではないかと不安、ってまた不安かよ、不安を抱きすぎだろ。とにかく、不安だったのだが、この声は好きです! ばっちりはまっていて良し! イントロはややゆっくりと思い調子で始まり、だんだんとテンポアップして小林ゆうとの競るような掛け合い、そして間奏では怒涛のギターソロとピアノソロのバトル! この間奏がたまらないんだ! ライブではきっとサンフランシスコのようなバトルを見せてくれるに違いない。歌詞も良い。筋少と「スポーツ用語」といういかにもミスマッチな組み合わせ。しかも野球。まさか筋少で「かっとばせー!」なんて声を聴くとは思わなかった。

爆殺少女人形舞一号 …期待の一曲。ライブで初めて耳にしたときの、背筋がゾクゾクと震える興奮を今でも覚えている。これを聴いたからこそ、これを聴いたから特に、このアルバムをどうにか早く手に入れたいと切望するようになったのだ。そのうえで、アルバムを手にするまで絶対にこれだけはCD音源を別の媒体で聴きたくない、とっておきたいと思った。美しいピアノの調べで始まる。ゆっくりとした曲調だ。そこに差し込まれるギターのドラマティックな重い音。だが一旦曲調は戻り、少々勢いが増したかと思えば唐突に始まるワルツ。可愛らしいオルゴールのような音色。そしてまた差し込まれるギター。ライブでは「油紙」という歌詞が印象に残った。ころころと変わる曲調にただただ圧倒され、魂を鷲掴みにされたような思いがしたと言っても言いすぎではない。また、こうして歌詞カードをじっくり読みながら聴くと、少女人形がくるくる踊る姿、それを見て喜ぶ客人達の姿が映像になって眼に浮かぶ。この可愛らしいお人形は人々を暗殺するために炎を踊らせ、共に焼け焦げてしまうのだろう、と自分は思う。死を与える者も平等に死を与えられるのだ。ところで、文中でワルツと書いたが、あれが正確にワルツであるのか音楽に詳しくない自分には実はよくわからない。もしかしたら違うかもしれない。でも、確かああいうのがワルツだったような気がするんだよなぁ。曖昧である。

あのコは夏フェス焼け …ついに筋少にも夏の歌ができたのか! これ、タイトルだけ見たときは「あのコ」イコール「恋人」かと思ったのだが、まさかの娘。さりげなく歌詞中でママが死んでいるあたりに、オーケンの「結婚はしたくないけど娘は欲しい願望」が如実に表れていると思う。何となく女性ボーカルの曲をカラオケで男性がノリノリで歌っているように聞こえる。爽やかな青春ソングだが、最後の一行があるあたり筋少というか、オーケンらしいよな。

暁の戦力外部隊 …「ね」で続くところが群馬の若者言葉のようで、思わぬところでノスタルジィに浸ってしまった曲。群馬の若者は「だからさー、それでさー、まるまるがさー、あーだって言ってたからさーそれは違うって言ったんさー」というように延々と「さー」を繋げて言葉が伸びていくのである。このリズムとそっくりだったんだ。いやーしかし、これをわかってくれる人が何人いるだろうか。歌詞の方はものすごく今の若者っぽい曲。戦力外通告された人々がようやく見つけた晴れ舞台で今こそやってやろうという内容なのだが、「やるだけさ」と言いつつこいつら絶対本気でやらない気がする。へらへらと笑いながら全員で横並びに歩いて勇ましいことを言って士気を上げつつ、歌詞が終わった後にはばらばらになっていそうな軽さがある。でもそれもあまり気にしていないというか。悪い意味でめげない性格の奴らの集まりというか。歌詞以外の話では、「仲直りのテーマ」や「元祖高木ブー伝説」の前にある「もういっちょお!」などのまるでライブのような掛け声がすごく好きなので、そいつが入ってて嬉しくなった。

捨て曲のマリア …大人っぽいムーディーな曲。作曲はオーケンになっているが、歌と手拍子だけ入ったデモを内田さんに渡して作ってもらったそうなので、内田曲にも数えられるかもしれない。これはやけに歌い方が好きなんだな。「嫌なコ〜」のところが良い。昔の恋人の亡霊から逃れられないことを苦しみつつ、捨て曲とはいえそこに収録したことで、どこかで忘れられないことを望んでいたのではないか、と想像が膨らむ。この曲から少しずつ、徐々に切なさが増えていく。これぞアルバムで聴くことの醍醐味だな。

若いコとドライブ〜80'sから来た恋人〜 …すみません。タイトルだけ見たとき、「あのコは夏フェス焼け」と共に、おっさんが若い娘とデートするロリータ・コンプレックス的な曲かと思ってました…。全くもって申し訳ない。実際はSFテイストの切ない曲。多くの筋少のラブソングに見られる「恋はいつか終わる」思想がここでも歌われている。陽気な曲と切なく寂しい歌詞の組み合わせって好きだなぁ。たった数時間の再会を経て彼女を再び失った瞬間出てくる言葉が「明日からどうしよう」というところに、思い出の美しさと、蘇った一瞬の思い出によって抉られた傷の痛さが感じられる。それでも「生きていこう」と言葉が出て、空を見上げることができる。自然、「生きてあげようかな」を連想した。「生きてあげようかな」の少女よりも「若いコとドライブ」の男は歳をとっている。そこに絶望しきれない強さと分別と、そのうえでの哀愁を感じて悲しくなる。ところで冒頭の語りはライブではどうなるのだろうか。語ってくれるのか音源から流すのか。あと、そんなにTwitterが気になるのかよ! と突っ込まずにはいられなかった。気になりすぎだよ大槻さん!

ゴミ屋敷の王女 …冒頭のコーラスがたまらない。これは歌詞に共感するんだな。ゴミ屋敷ってほどではないが、我が家も物は多い方だ。他人から見ればガラクタに見えるものも多いだろう。だが、それらの一つ一つが当人にとっては宝物であったりもする。幸せの形は人それぞれだということ、例えゴミ屋敷で一人息絶えたとしても当人にとっては幸せだったかもしれないこと。曲も歌詞もコーラスも優しく美しい。一人の魔女の存在を穏やかに肯定しているようだ。人によって違うそれぞれの幸せをどうしてそれが幸せか理解することができなくても、否定することはしない温かさが根底に流れているように思う。

ア デイ イン ザ ライフ …不思議だ。この曲単体で聴くと爽やかさしか感じないのに、アルバムを通して最後に聴くと切なさがこみ上げてくるんだ。終わる悲しさと切なさ、だけど最後じゃない。「またいつか」がある。「ツアーファイナル」に通じる世界観を歌った曲だ。「意外にまだ好きでいたら」なんて控えめな表現がオーケンらしくて、良い。照れ隠しのようで希望のようで、だけど完全に信じきってもいないようで、けれど最後に「アデイ」の繰り返しが「アゲイン」に変わる。ここで救われるんだ。

困難を覆しアウェーをホームに変えようという前向きな意志で始まり、ちょっとの寂しさと希望を残して終わるアルバム。生活の中にあるライブという非日常を走る、四十代ならではの力強いタフな姿勢と、重ねてきた別れへの切なさが描かれているように感じた。今までの筋少らしくはないが、過去に筋少が新しいことに挑戦して、同時にそれらも筋少の要素の一つとして受け入れられてきたように、このアルバムも「これぞ筋少」と言われるようになるだろう。なんて御託は置いといて、良いアルバムだ! しばらくはエンドレスリピートになりそうである。


2010年6月2日 (水) 緑茶カウント:2杯
今日も暇さえあれば蔦Qを聴いていた。アルバム一枚を通して聴くのではなく、一曲選んで聴こうとするときは「レセプター(受容体)」を再生することがやけに多い。「レセプター(受容体)」「ワインライダー・フォーエバー(筋少ver)」「家なき子と打点王」の流れが好きだ。時間の無いときはこの三点セットで盛り上がる。聴くうちにどんどん好きになったのは「ゴミ屋敷の王女」かな。初めてタイトルを見たとき「ゴミ屋敷」の字面から思い浮かべた「汚い」というマイナスイメージを覆す、美しいコーラスと優しい歌詞が聴くごとに染みてきて、良い。「ゴミ屋敷」という単語を使うからこそ、この明るく印象的な曲とコーラスを当てたのだろうか。肯定の歌だよなぁ、と自分は思う。また、これは偶然かもしれないが「ガラクタか宝か」が「ガラクタが高らか」にも聴こえてそれもまた好きなんだ。

「ア デイ イン ザ ライフ」はアニメのエンディングテーマのようだと今日ふと気付いた。それもロボット戦隊物だ。ロボット戦隊物のアニメを観たことがないくせにそう思うのは、カラオケで人が歌うアニメソングを聴いていたからだ。青空を駆ける白い戦闘機と守護天使の姿がだぶるのである。そう、この切なさはエンディングテーマにぴったりだ。まさにアルバムのエンディングを飾っているのだから見当違いでは無いだろう。爽やかで寂しくてちょっと切ない物語の終わりを歌う曲。「ア デイ イン ザ ライフ」に関して言えば、曲が終わった後に来る無音、静けさも曲の一部、いや、アルバムに隠された第十二トラック目と言うべきか。余韻が消えるまでのしんみりとした時間、そこから終わったことを飲み込んで日常に戻るその瞬間までが一つの作品だと自分は思う。単体でも良いが、やはりアルバムを通して聴くことで真価が発揮される曲だ。

聴くごとに語りたいことが出てくるってんだから困ったものだよなぁ。他のことが書けないではないか。あぁ楽しい。幸せだ。


2010年6月3日 (木) 緑茶カウント:3杯
物事が決まるのはいつも唐突だ。次の土曜に友人と鎌倉に行くことになった。鎌倉には小学校の修学旅行で行ったらしい。しかし驚くほど何も覚えておらず、唯一アジサイが咲いていたことだけが記憶に残っている。友人は小学校からの付き合いで、彼は修学旅行の記憶があるらしい。じゃあまた修学旅行をやってみようじゃないか。しおりを用意をする時間は無いが似たようなルートを辿ってみよう。そして夜には飲み会だ。ははは。小学生の頃は酒なんか呑まなかったのにな。歳をとったのさ。我々も。もう十年以上も昔の道だ。アジサイは咲いているかなぁ。


2010年6月4日 (金) 緑茶カウント:3杯
高校で出会った友人とも、年に一度会うか会わないかの関係とはいえもう七年の付き合いになるのか。歳を取るのも良いものだ。うちの一人の友人が、今度結婚することになった。同い年の友人から結婚報告を受けるのはこれが初めてである。真っ白の封筒に包まれた美しい招待状が我が家にも届いた。中身は小さな冊子風で、紺の表紙に光沢で彩られた文字がキラキラと輝いている。嬉しいなぁ。

しみじみと、良いものを受け取ったことを喜び、大事に机の中にしまって、気付いたよやっべぇ返信用の葉書が入ってるってのにしまっちゃだめだろ! 返信しないと先方が困るだろ! 危ない危ない、危うくモズだかリスだかの仲間入りをするはめになるところだった。すぐに出そう。


2010年6月5日 (土) 緑茶カウント:0杯



小学生のときに行った修学旅行での鎌倉への道を復習するべく、財布、携帯電話、定期、折り畳み傘、見仏記を持って家を出た。しおりは無い。しかし友人はある程度ルートを記憶していると言う。対して自分はアジサイが咲いていたらしきことしか覚えていない。さて、今日の旅行で記憶は蘇るのか。修学旅行の思い出に浸ることが出来るのか。

結論から言えば見事なまでに欠片も記憶していなかった。友人曰く、スタート地点は北鎌倉駅で、そこから鎌倉駅に向かって建長寺や名月院などを観て回ったそうなのだが、北鎌倉から鎌倉までの道を一往復もしたくせにやはり何も思い出せなかった。もしかして己は修学旅行に行ってなかったのではないかとも思ったが、行った記憶だけは確かにある。つまり何一つ学を修めていなかったということである。血にも肉にもなってねぇ。

それにしても何故片道ではなく北鎌倉駅から鎌倉駅まで一往復もしたのか。それは下準備をほとんどせずに今日という日に臨んだからで、北鎌倉駅を待ち合わせ場所にすれば良かったものの何も考えずに「鎌倉に行くってんなら鎌倉駅だろ」と単純明快に決定し、鎌倉駅に着いてからその判断が間違っていたことに気付いたのである。そんなわけでわざわざ北鎌倉までのこのこ歩き、一度到着してからくるりと引き返して円覚寺、建長寺、円応寺を観てきたのである。この往復でタイムロスがおよそ一時間。

そしてその後遅い昼食をとろうと何がしかの店に入ることになったのだが、どこもここも観光地値段でなかなかこれといった店が見つからない。どうするかなぁ、どうするかなぁ、とうろうろしていたらまたここでタイムロスが一時間。ようやく見つけたちょうど良い店で昼飯を食らったのが三時半頃、甘味処にも入ろうぜってんであんみつを食ったら五時手前、気付けば鶴岡八幡宮の閉館時間は目前で、武器屋が閉まるのも三十分後、あちこちの土産物屋も店仕舞いを始めだす有様で、しかも徹夜明けの友人はぐったりしている。ちょっと待て。

お前な、遊ぶと決めた二日前、遅刻するなよ、睡眠はしっかりとれよと毎度の如くだが念を押したのに、毎度の如く何故寝ない! あぁ、しかし友人の遅刻にすっかり慣れてしまった自分が悲しい。遅刻報告を受けても動じなくなってしまったではないか。己は一時間二十分前に待ち合わせ場所に到着する計算だったのに。まぁ、これは単なるミスなので、実際は十分前に到着していたのだが。友人は十二分遅刻してやってきた。計二十二分の待ちぼうけ。この野郎。

この後呑みに行く予定、というよりも、呑みに行きたいからついでに遊ぼうということで鎌倉に行くことになっていたのだが、この状態で呑みに行くのは自殺行為である。というより場合によっては他殺行為である。ただでさえ友人はあまり酒に強くない。こんなところでお縄を頂戴するのも死なせてしまうのも真っ平だ。だが、まだ遊び足りないのも一つの事実。どうするか。

これから行ける神社仏閣は無い。店はどんどん閉じて行く。他に行けるところはないかと思案していたら、海が近いことが判明した。海! 海があるのか!

海無し県群馬出身の己は俄然テンションが急上昇、季節が季節、入るつもりはさらさら無いが見に行くつもりはまんまんである。海! 見たい、すごく見たい! ところが友人はあまり気乗りしていない様子。睡魔の威力がすごいらしい。でも行った。

由比ガ浜までの道をずんずん歩く。通常の速度で歩いていたつもりが気が急いていたせいだろう、いつの間にか早足になっていたことを友人に指摘されて気が付いた。速度を落とし、眠そうな友人に合わせて海まで歩く。ここまで眠そうとわかりつつ連れ歩く己はある意味鬼である。そう言えば今日見た閻魔寺こと円応寺で読んだ閻魔大王の話はすごかったなぁ。亡者に責め苦を与える罪で閻魔大王自身も日に三度責め苦を与えられるんだとさ。でも亡者の罪を知るからこそ閻魔大王は亡者を裁かなければいけないわけで、閻魔大王はいつか人々が悪しき行いをせず、責め苦を与えることをせずにすむことを願っているんだとさ、って関係ない。

海に着いた。空は曇り、日は傾きかけているためどんよりとした色の海だが己のテンションに海の色彩は関係無い。うわー! 海だーー!!

友人も少し眠気が引いたのか、自分ほどではないにしろ楽しそうにしている。海の写真を撮り、そこらで拾った枝を波に放り投げ、浜辺に打ち捨てられた鳥の死骸を眺め、砂を掴んで思いっきり撒き捨て、海水の味を確認し、思いっきり海を堪能した。あぁ楽しい。生き物を発見できなかったのが残念だが死に物は発見できた。チョンボも多い一日だったが今日のゲームは勝ちである。楽しかった!

ポツポツと小雨の降る気配を感じた友人に帰ることを促され、鎌倉駅まで戻ることになった。しかし。ここで友人の電池が完全に空になってしまった。歩いている。歩いてはいる、が、目はほとんど閉じている。ゆらゆらと歩く姿はまるで夢遊病者のそれで、話す言葉はほぼ寝言。歩行しているのがむしろ不思議なほどである。だ、大丈夫か…。

海まで連れ回した罪悪感を抱きつつ、ハラハラしながら隣を歩く友人を見守りながら隣を歩く。気分はあれだ。昔あった、バケツを被ったマリオだかワリオだかを正しい道まで誘導するゲーム。あれをやっている気分である。ただし問題なのは、誘導しなければならない己が正しい道を把握しておらず、把握しているのは誘導される友人の方だということだ。何て使いものにならないナビゲーターか。ゲームオーバーになったらどうするか。

ゲームと異なり、一度ゲームオーバーを食らったらはいそれまでのハードな道のり、運良くリセットボタンを探しに行く手間も生じず駅へと到着し、電車に揺られて帰宅した。友人とは途中で別れたが、吊り革に掴まるその体は完全に眠りに落ちていて、これまたいつか倒れやしないかとハラハラ隣で眺めていたのだが、別れた後もどうやら無事帰宅できたらしい。あぁ良かった安心した。次は名月院と鶴岡八幡宮と長谷寺と武器屋を観に行こう。今度は何か思い出すかな。


2010年6月6日 (日) 緑茶カウント:0杯
新宿タワーレコードにて行われた、筋肉少女帯の「NEW ALBUM 『蔦からまるQの惑星』発売記念インストアイベント」に行ってきた。イベントが決定した翌日に新宿まで予約に走ってイベント券をゲット。前回は予約せず発売日前日にCDを買ったときにイベント券をもらったが、流石に遅い番号だったためほとんど前が見えなかった。その反省を生かしての行動である。これが正しかった。何と、予約分だけでイベント券が終了してしまったそうなのだ。おおー。蔦Q売れてるんじゃないのかい。嬉しいなぁ。六月三日付けのオリコンデイリーチャートではめでたく四位にランクインしたし、なかなかどうして、好調のようじゃないか。オーケンが嬉しそうに話す姿が眼に浮かぶようである。

実際、眼に浮かべるまでもなく目の前でその姿を見ることができた、ってったってモニター画面でだがな。手に入れたイベント整理券は五十番以内、とはいえ狭い会場にぎゅんぎゅん詰めで立ち見をするため人と人の間に隙間が少なく、ステージも低い位置にあるため前回よりも遥かに良い番号であったのだが、直接メンバーの姿を見ることは難しかったのだ。よって全体を見たいと思ったときはメンバーの後ろ上方に設置された大きなテレビ画面に映されたメンバーを眺めることになったのである。しかし! おいちゃんだけはしっかり見ることができたので、本日は主においちゃんをじっくり見ることにした。

拍手に迎えられてメンバーが登場、おいちゃん、オーケン、内田さん、橘高さんといういつもの並びである。まずオーケンが新譜「蔦からまるQの惑星」が発売ということで、メンバー各自に何か一言と進め、橘高さんが優等生的なコメントをしたのだが、橘高さんが話しているときもおいちゃんが話しているときもずっと内田さんが下を向いていたことが気になっていた。何かをいじっているようであるが何をしているのだろうか。

すぐにその謎は解明される。何と! 内田さんがいじっていたのは発売されたばかりのiPadだったのだ! iPhone大好きな内田さん、各所で買うに違いないと囁かれていたが、やはり買ったか、そして持ってきたか。このiPadと内田さんが今日の主役と言っても過言ではなかろう。去年欠席した分を挽回するかのように、大活躍というか大目玉になってくれて大いに笑わせていただいた。いやーははは、これ見てiPad欲しくなった人もいるんじゃないかなぁ。

内田さん曰く「アコースティックでベースを弾きたくない」「内田はいつもやることがない」、よって本日はiPadを持ってきて、楽器として使用するとのこと。それに対し空バカのようだと話が出て、「次のアルバムの路線は決まったな!」と橘高さんが言った。空バカみたいな筋少アルバム…冗談だとはわかりきっているが、今の筋少で空バカのようなものを作ったらどうなるかと想像するのは楽しい。お遊びで一曲くらいそんな曲を作ってみたらどうだろう、なんて思ってしまうね。

そういやこの話に入る前、内田さんがすげぇことを言ってたな。昨日アウェーインザライフを観てきたという話になり、「演劇とロックと組み合わせなんて、しゃらくせぇじゃん」といきなり暴言。何で唐突にそんなロックになってるんですか内田さん、と笑いつつもトークは進む。「そしたら結構、面白かった」「改めて聴くと、筋少の曲って良いなぁと思った」とこれまたらしからぬ発言、そこに橘高さんが「俺みたいなこと言うね」と突っ込んだんだっけ、オーケンが「橘高みたい発言だね」と言ったんだっけ。少々曖昧である。

おいちゃんからはアルバムをしっかり聴きこんで、ライブでは何も言わなくても参加してくださいとのこと。確か去年も同じようなことを言っていた気がする。去年はまたロシアンルーレット・マイライフがあったものなぁ。あれも立派に定番化したなぁ。あれから一年、早いものだ。

そうして始まる一曲目は「捨て曲のマリア」……だが、iPadの準備が整わずiPad待ちの状態に。購入したばかりでまだ操作に慣れていないらしい。発売してから数日だものなぁ、と思っている間に準備完了、何のソフトを使っているのかは知らないが、iPadを叩く内田さんの指によってイントロが奏でられる………が、ギターが入ったところで思いっきり音が外れてメンバーも客もずっこけそうになった。これがまた何とも間抜けな音だったんだな。

タワレコ七階で沸き起こる爆笑。iPadが滑らか過ぎて操作ミスをしてしまったと言い訳をする内田さんに、アップルの回し者かといった内容のことを突っ込むオーケン。ひとしきりコントのようなやりとりが終わった後、気を取り直して捨て曲のマリアへ。今度は失敗しなかった。

トークを挟んで次は何と「アウェー イン ザ ライフ」! まさかアコースティックでアウェー インザ ライフをやるとは思っていなかった。これは嬉しい予想外。捨て曲のマリアでは静かに聴いていた観客も肩を揺らして乗っている。力強いコーラスもきっちり入って格好良い。アコギをかき鳴らすおいちゃんを画面越しでなくばっちり見ることができた。普段の筋少ライブのアコースティックコーナーはアコースティックらしい静かな曲が多いから、これはなかなか貴重なものが見られたなぁ。嬉しい。

ラストの三曲目は「ゴミ屋敷の王女」。今日やった三曲の中では一番好きかもしれないな、これ。三月のライブで聴いたときはさほどピンと来なかったのだが、どんどん好きになって行く。アルバムの曲順もあるかな。流れと言うか。染みるんだよなぁ。

歌が終わり、語りが入るところで「本日はありがとうございました」とオーケンが挨拶し、ステージを去っていくメンバー。……しかし、内田さんだけが一人ぽつんと残ってiPadでアウトロを奏でている。メンバーが去っていった方に首を伸ばしつつも最後まで演奏し終え、iPadと接続していたスピーカーか何かから線を引っこ抜く。何やら「ブツッ」というでかい音がして驚くような素振りを見せる内田さん。そして立ち上がるとiPadを顔の前に掲げる。そこには蔦Qの歌詞カードに載っていた、内田さんのバストショット写真が! それをぐーんぐいーんと画面の中で拡大縮小して見せて、最後に写真を橘高さんのものに変えて去っていった。その間客は大喜び。笑いと歓声とウッチーコールが巻き起こり、美味しいところを全部かっさらって行ってしまった。

とにかく内田さんはiPadを手に入れたことが嬉しくてたまらないようで、今度のツアーの日程を誰かきちんと覚えていますかとオーケンがメンバーに振ったとき、iPadにスケジュール帳が入っているからと内田さんが読み上げるために操作するもまたもiPad待ちになったり、スケジュール帳が表示されても何故か五月のところを見ていて橘高さんに突っ込まれたり、結局iPadの起動を待つより橘高さんとおいちゃんの記憶力の方が優秀だったりと大笑い。しっかり覚えている橘高さんとおいちゃんは偉い。そうして発表された日程に内田さんがiPadを見ながら「合ってる」と呟き、それに対して「打ち込みが間違ってたら意味無いけどな」と橘高さんが上乗せするように突っ込んでいた。

橘高さんがらみの話では、オーケンが「橘高さんは今度ひらパー兄さんになるんですよね」と冗談を言い、その流れから橘高さんが「枚方に住もう」と言うと、オーケンが「枚方にスタジオってあるんですか?」と返し、「俺がひらパーにスタジオを作る!」と橘高さんが断言し、インストアライブ、筋少ライブ、アウェーインザライフゲスト出演による三日間の大阪滞在の意気込みを見せてくれた。

そういえば今日の橘高さんはサングラスをかけていなかったな。おいちゃんがサングラス、オーケンが釈迦PVを彷彿とさせる黒縁眼鏡、内田さんが眼鏡の中で一人だけ眼鏡無し。これで橘高さんがサングラスをかけていたら眼鏡率百パーセントになるとこだったな。だからどうしたという話であるが。

あと「ゴミ屋敷の王女」に入る前、オーケンの譜面台の上に開かれていたページが何故か戦国自衛隊のエンディングテーマだか何だかで、隣に座っていた内田さんが何を歌うつもりなのだろうと不思議に思っていたと言う。どうしてそんなページを開いていたのだオーケン。謎である。

「ワインライダー・フォーエバー」に関する言及もあったな。オーケンが「ラップ部分はメンバーが各自で練習してきてください」と言うと、橘高さんが「大槻はラップラップと言ってるけど、あれをラップと言うのはラップの人に失礼」と突っ込み、あれは寸劇であると言い切った。わはは。寸劇か、確かに。あれをライブでやってくれたら盛り上がるだろうなぁ。

和やかで楽しいiPadの販促イベントならぬ蔦Q発売記念インストアイベントは終了した。iPadからの音はどこかチープな感じで、それがまた生で聴いたことは無いにしろ、空バカっぽい雰囲気で面白かった。時間は確か三十分ほど。終わった後もしばらくはタワレコ内に蔦Qの曲が流れていて、そいつが何だか嬉しかった。あーそうそう、おいちゃんの髪型が格好良かったなぁ。ライブやアルバム用の写真じゃいつも波打ってるが、あれはわざわざ手間隙かけて作ったものなんだね。パーマをあてているわけじゃないらしく、本日はまっすぐで珍しくも新鮮だった。こういうイベントだと普段と違う姿が見られて貴重だなぁ。

そうだこいつを忘れてた。トークの中で、新人、シーズン2、蔦Qで再結成三部作とオーケンは考えているけれど、これで終わりというわけではないことが名言されたことが何より嬉しく、ほっとした。ブログで三部作って言い出したときからもしやこれで終わりになるんじゃないかとハラハラしてたんだよなぁ。橘高さんが五年後、「筋少と言えば蔦Qだよね」と言われるくらい育っていってくれたら嬉しいと言ったとき、オーケンが「それじゃその後のアルバムがだめみたいじゃないか」と突っ込んだときも、今後をやる気があるのだと感じられて安心したのだ。我ながら心配性だとは思うが、ついな。あー良かった。ははははは。


2010年6月7日 (月) 緑茶カウント:1杯
調子の出ない一日だった。頭がぼーっとし、細かい作業をするにも指先が思うようにままならず、歩けばやたらとどこかにぶつかる。熱があるのかと体温計を腋に挟むも七度手前のいつもの平熱。寝不足かと思い返すも睡眠はたっぷりとっていた。そして現在、やや、体がだるく瞼が重い。風邪の手前か憑き物か、正体は不明であるが早めに寝た方が良さそうだ。明日には回復することを願う。


2010年6月8日 (火) 緑茶カウント:0杯



本当は今日の予定じゃなかったのだが、ついつい行きたくなってしまって衝動をこらえずに行ってしまったアウェーインザライフ。演劇ユニット「プロペラ犬」とロックバンド「筋肉少女帯」がコラボレーションした舞台だ。プロペラ犬は女優水野美紀と脚本家楠野一郎によるユニット。そのプロペラ犬の作る舞台に筋肉少女帯の楽曲が数多く使われるエンゲキロックという代物で、会場はライブハウスの赤坂BLITZ。しかも演奏はCDではなく生バンド。役者である水野美紀、ソニン、木野花、森三中村上知子達が「あの」筋少の曲を歌いまくるってんだからこれはいったいどんな仕上がりになるのだろう。企画が発表されたときから興味は募り、小出しにされる情報に踊らされ、そうしてついに観に行った。

公演中なので詳しい話は控えるが、つっても本気でネタバレを回避したい方はこっから先はご注意を。話は戻って、面白いものを観たなぁ、というのが第一印象。まずあの筋少の曲を大槻ケンヂ以外が歌う姿を見られる機会なんてそうそう無い。また、使われる楽曲も演劇に合わせて歌詞が一部変えられており、ほとんど原曲と同じものもあれば全くの別物に成り果てているものもある。舞台の背後に設置されたスクリーンに時折映像が映されて、時にそれは歌詞表示として、回想シーンとして、演出として機能する。照明もライブシーンではライブハウスの派手な照明として役者を照らし、演劇シーンではそれとしての役割を果たす。自分は二階の立見席にいたために客席を含めて全体を眺めることができたので、舞台の本質以外のところも結構見ることができた。

物語はある意味で伝説のガールズバンド「シスターロメロ」が二度の解散を乗り越えて後に再結成をするが、三十路を超えたガールズバンドに人々が求めるのは懐かしさだけ。そのうえバンド内の人間関係も良好とは言えない有様。せっかくの再結成記念ライブも今一つの盛り上がりで……。といったもの。バンドメンバーはそれぞれ人生の中でアウェーを感じているが、バンドとしてもなかなかアウェー。楽器がろくにできないためテレビ収録でもないのに影バンドを従えてライブを行う前代未聞のあてふりバンド。実際こんなバンドってあるのかなぁ。

演劇はほとんど未体験の筋少ファンとして観に行ったが、立ち見にも関わらず立ちっぱなしを苦に感じることなく楽しむことができた。ガンガン演奏される生演奏も筋少なら、BGMで流される音楽も筋少、そして演出のあちらこちらに挿入される筋少ネタ。筋少ファンならまず元ネタ探しでにやりと笑える仕上がりだ。ただ、ついつい演奏に合わせて拳を振り上げたくなるのをこらえるのが苦しかったな。何度も「落ち着けこれは違うんだ、いつものライブのように振舞ってはいけない」と自制することを強いられたよ。

アウェーインザライフでは日替わりゲストが毎回出演するのだが、本日のゲストはキャイ〜ン。まさか演劇を観に行ってキャイ〜ンの漫才を観ることになろうとは思わなかった。そのときだけ空間がロックでも演劇でもないお笑いライブのそれになっていた。忙しい空間である。

あと「演劇」中に待機している影バンドの様子も見ていると楽しかったな。役者が演技をしている最中、次の出番のために待ち構えつつも、髪を直したりちょっと横を向いたりしていて、まるでボーカルのMC中のようなのだ。手持ち無沙汰だけど気は抜けないというような。しかしその影バンドも影だけでは終わらない。黒子のような存在するけどしないもの、なのかと思いきや、ちゃーんとそういう役柄なんだな! これにはびっくり。笑わせてもらった。

個人的には筋少を全く知らない演劇ファンがどのような感想を抱いたのか気になるところである。さて、次はゲストで筋肉少女帯が出演する十六日に観に行くぞ。キャイ〜ンは漫才をしたが筋少は何をするのか。楽しみだ。


2010年6月9日 (水) 緑茶カウント:2杯
己の最大のコンプレックスであり悩みの種でもあることは、とにかく過剰に下ネタ、猥談の類が苦手なことだ。不快を抱くだけならいざ知らず、程度によっては具合が悪くなるのである。冗談に思われるかもしれないが生憎真のことである。猥談、下ネタに対して抱いた不快と、その程度のことで不快を抱く己自身に嫌気が差して自己嫌悪に陥り、ずるずるずるずるといつまでも尾を引いて体力と精神力を消耗し、ぐったりと寝込んでしまうのだ。我ながら実に馬鹿らしい。

昔から、他人、赤の他人ならまだ良いが、親しい人間の性欲の発露を見るのが苦手だ。そんなもん誰しもが持っている、表に出すのも不自然ではない、頭では理解しているのだが心の方が受け付けない。誰と誰が付き合った、までなら許容範囲だが、キスした以降の話は聞きたくない。ぞっと怖気が走ってしまう。

飲み会の席で交わされる明るい猥談も自分にとっては苦行以外の何物でもなく、良くて苦笑いを浮かべることしか出来ない。彼らはむしろ健全だ。不健全なのは己の方だ。だが、己に何が出来ようか。「エロい」という言葉すら未だ口に出すことが憚られ、多くの禁止ワードを保有している人間に! 人の性欲を感じるのも嫌なら自分の性欲を表現するのも嫌だ。そんなものは心に秘めておくものだ。なーんつうのも通用しない年齢なんだがな。

同時に、開けっぴろげにそういった話を出来る人を羨ましくも思う。ナゴム時代の筋少の楽曲「オレンジペニス」のライブバージョンの間奏で、若かりし頃の大槻ケンヂがあることを叫ぶ。それについて真剣に思うのだ。実際、一言叫べたら楽になれるんだろうなぁ、と。だけれども絶対に自分にゃそんなことは出来ないだろうこともわかる。あぁ、苦しい。


2010年6月10日 (木) 緑茶カウント:5杯
参った。困った。未だに尾を引いている。昨日の日記で発散したつもりだったのだが上手くいかなかったようだ。では発端は何かと語るならば、先日観に行ったエンゲキロック「アウェーインザライフ」に少々の下ネタが含まれており、これが結構自分にとってはダメージがでかかったのだ。言っておくが、そんなにドギツイものではない。会場では笑いが起こっていた。舞台ではテレビでは出来ないようなある種刺激的なものが含まれることも多々あることは承知している。それもまた舞台の醍醐味である。しかし自分にはきつかった。

面白かったという感想は嘘ではない。また観たいとも思うし、また観に行く予定である。ただ、どうにも不安なのだ。苦手なものがあるとわかりつつ楽しく観に行くことができるのか。何を大げさなと思う人もいるだろうが、そこは下ネタをホラー、もしくはグロテスクに置き換えて想像していただきたい。ホラーが苦手な人はどうしたってホラーは苦手。それと同じ感覚なのだ。

ジレンマに悩みつつ自己嫌悪。参った。困った。こんなことで悩んでいる自分の情けなさに悲しくなってくるのが辛い。だが、まぁ、長い人生こういうこともあるわな。しゃーないしゃーない。しゃーないしゃーない。


2010年6月11日 (金) 緑茶カウント:5杯
脱出した。ふっはっはっ。鶏のささみは美味しいね。


2010年6月12日 (土) 緑茶カウント:0杯
ラジオにて。流れてきた新曲らしき音楽の、歌詞を何とは無しに聴いていたのだが、あまり感じたことの無い不快感を抱いてなかなか興味深かった。何だろう、いけ好かないと言うのが近いかな。興味が無いと感じるならばともかく、一語一語をあげつらってやりたくなるこの感じは珍しい。うっかりタイトルを覚えてしまった。しかし自発的には買わないだろう。ただただ記憶に刻まれただけなのだ。


2010年6月13日 (日) 緑茶カウント:3杯
さて、困ったな。このところよく困っているが、今日も困っている。無論好きで困っているわけではない。机に肘を突き、手の甲に顎を乗せ、空いた方の手の爪で机を叩くこと数回。繰り返したところで問題は解決しない。硬い音が響くだけだ。

小学校からの友人がいる。この間一緒に鎌倉へ行った友人とは別の友人だ。奴とは小中で何度か同じクラスになり、同じ選択教科をとるなどして親しくしていた。高校で進路が変わってからは以前ほど連絡はとらなくなったが、年に一、二度は話をしたり、遊びに行く機会があった。変人であるせいで周囲からの好き嫌いの評価が極端な人物であったと記憶しているが、頭が良く、ある方面において深い造詣を持っている。友人の興味を持つ分野は完全に自分のアンテナの範囲外で、彼の語る話は時にはひどく退屈なこともあったが、新鮮な感動を与えてくれることもあり、尊敬の念を抱くことさえあった。

その友人と現在、自分は絶交している。いや、正確には己が絶縁状を叩き付けただけで相手は絶交されたとは認識していない。薄々感づいてはいるらしいが今日も電話がかかってきた。そう頻繁にではない。三ヶ月ぶりの電話だ。三ヶ月前をついこの間と感じるのは時間の感覚が短くなったせいだろうか。それとも罪悪感のせいだろうか。

友人のことを嫌いになったわけではない。良い奴だ、と思っている。思っているからこそ絶交しなければならなくなった状況に苦しみを感じる。他に良い手は無かったかと考えるが、今のところこれ以外の選択肢は無い。

絶交の原因は猥談だ。ここ数日の日記で書いてきたように、己は猥談と下ネタの類を大の苦手としていて、程度によっては冗談でなく具合が悪くなってしまう。どうしても受け付けられない。そして困ったことに、この友人はごく気軽に下ネタ、猥談を話せる、むしろ好んで話す人物なのである。子供の頃にもその傾向は見られたがまだ可愛いものだった。しかし二十歳を超えてからは年齢と共に内容も過激化し、女友達へのセクハラめいたスキンシップなども見られるようになって、完全に己の許容範囲外になってしまったのだ。

そのうえ困ったことに彼は暖簾に腕押しタイプの人間で、抗議をしてもなあなあにして流してしまい、周囲の人間に「しょうがないな」と許されることに慣れている。悪く言えば聴く耳を持ってもらえない。とはいえこの件については友人をあまり責められない。自分自身も「しょーがねーな」と半ば呆れつつ、友人を許してきた人間の一人なのだ。それを今になって、少し後悔している。

猥談、下ネタ、性的な匂いのする話がどうしても苦手なこと、受け付けないことは友人に話してきた。何とかわかってもらいたかった。わかってもらいたかったが残念なことに叶わなかった。友人はそれらに異常な拒否反応を示す様子を無邪気に楽しみ、耐性をつけさせようと荒療治めいたことをする。慣れれば平気になると思っているらしい。このままではいけないと気遣う面もあるらしい。そう、何が困るって、友人に欠片の悪意も無いことだ。

そして決定的な事件が起こり、自分は絶縁状を叩き付けた。友人は猥談、下ネタ込みの付き合いを希望している。その希望を受け入れることは少なくとも今の自分には不可能で、友人が配慮してくれない限りは距離を置くしか道が無い。しばらくは我慢をした。こういう奴だからしょうがないと受け流そうとした。でも無理だった。友人が理想とする、下ネタ、猥談込みの付き合いをできる昔ながらの友人に、自分はなれない。

電話がかかると苦しくなる。出ればまたなあなあにされそうで、奴の人柄に「しょうがないな」と許してしまいそうになる。とはいえ許したところで友人は変わらない、自分も変われない、どうにもならないことに変わりは無い。また嫌な思いをして具合が悪くなるだけだ。どうしようもない。

せめて嫌いになれれば良いんだけどな。困ったことだよ。


2010年6月14日 (月) 緑茶カウント:3杯
歳と共に人の中身や外見が変わっていくように、人との関係も変化していく。それを知っているからこそ、変化の中でも変わらず保持されていくものをとても大切に思っている。変わることが当たり前の中で変わらないものを大事にしたい。だから自分は年月の積み重ねに固執して、時に喜び、時に悲しむのだ。

今は悲しんでいるが、いつかまた変わってしまったものが変化して、喜べるときが来るかもしれない。残念ながら別の悲しみが訪れることもあるだろう。その代わり別の喜びに出会える可能性もある。長い時間をかければ何かが変わるかもしれない。その先に希望を持って絶縁状を叩き付けた。今はどうしようもないが、いつか笑い話に出来ることを期待して。

このように、頭の中では整理されているが心の方は腐っていく。鬱々とした気分がどうにも解消できない。まるで悩むのが趣味であるかのようだ。もう少し余裕があれば、悩む自分を俯瞰で眺めて笑ってやることも出来るのだが、そこまで達するだけの元気があまり無い。

友人が電話をかけてくるのは大概一人で酒を呑んでいるときだ。そして今度一緒に呑もうと誘われる。寂しいときに電話をかけてくるのだ、あいつは。それも日付が変わった後ばかり。出れば出たで何でこんな時間に起きているんだと窘められる。起きている場合もあるが、起こされた場合もあるんだよ。だいたいお前が言うことじゃない。深夜の電話は不幸の知らせかと身構えるので止めて欲しいがどこ吹く風だ。いつものことなので、しょうがないなと諦める。諦めつつも嫌いじゃない。

自分から友人に電話をかけることは無い。用が無ければ電話はかけない。その件について友人に良くないと説教された。用が無ければ電話をしてはいけないわけではない、用が無くても週に一度はメールを送れ、関係なんてものは繋ごうとしないと切れてしまうのだ、とのことである。最もだが、面倒くさい。お前は恋人か何かかよ。結局メールは送らないでいたら一週間後に文句の電話がかかった。半分、どうせ酔っ払っているから本気の話では無いだろうと思いつつ、真剣な要望であることにも気付いていたため、面倒くさくなってわかったわかったと適当な相槌を打ったことに、悪いことをしたなと思った。友人の感覚を理解は出来ても共感出来ないにしても。はっきり断るべきだった。

友人は寂しがりやだ。自分はそれを知っている。そして、友人のセクハラまがいの言動に辟易して離れていった女友達を一人知っている。以前、彼女と友人と同席して飲み会をしたとき、友人の自分から見れば過激なからかいにも彼女はにこにこしながらあしらっていたので、許容範囲内のことだと思っていたのだが、表に出さないだけで実際は嫌がっていたらしい。彼女と遊びの相談をするとき、友人も呼ぼうかと提案すると彼女は表情を曇らせて今は距離を置いていると告白し、その理由を説明してくれた。後日友人と話をしたとき、最近あいつと連絡がとれないんだよな、と彼はぽつりと呟いた。距離を置こうとする彼女の意思に彼は気付いてないらしい。

言ってしまえば自業自得のことだ。しかし簡単には割り切れない。困った奴で、理解出来ない面も多いが、中学時代、いくらかの生き辛さを感じていた自分にとって、友人の存在は一つの居場所になってくれていた。他称変人同士で気があったのかもしれない。だからこそ、今、絶交しなければならない現状が、辛い。

世の中しょうがないことなどいくらでもある。いくらでもあるからしょうがない。わかりきったことが辛い。悩んでも仕方の無いことだが、悩まずにはいられない。でも大丈夫だ。いつかどうにかなるかもしれない。どうにかなるかもしれないから、せめて嫌いにはならないように距離を置こう。変化が訪れるのを待つ。何年かかるか知らないが、長生きすれば何とかなる。希望を忘れないことが大切だ。

あぁ、まるで博打で身を持ち崩し、酒に溺れて麻薬に手を出したダメ野郎と離婚するか否か悩む女のようだな。こんなにくよくよしやがって、傍から見れば阿呆らしいことだよ本当に。だが、何、どうにかなるさ。大丈夫だよ。ただ、こちらの方が友人に嫌われて修復出来なくなるかもしれないけどな。

それはそれで、しょうがない。


2010年6月15日 (火) 緑茶カウント:7杯
別件で青天の霹靂に出会い、驚愕し、混乱し、今鼻をぐじゅぐじゅ言わせて泣き終わったところである。こんなに泣いたのは久しぶりだ。額のあたりがズキズキ痛む。全く人が精神を疲弊させているときにそういうドラマティックな展開は止していただけないかな! 平凡な人生を歩みたいのに何だこれ! いや、言うほど破天荒な人生でも無いのだが。今日は感傷的な気分だ。

ごきげんよう。一段落目を書いてから十二時間程度が経過している。今はだいぶ落ち着いて、友人が隣でゴロゴロしている。無印のクッションを気に入ったようで、潰したり潰したり思いのままに潰している。明日の朝始発で帰るそうだ。ゆっくりしてけ。な。


2010年6月16日 (水) 緑茶カウント:2杯
エンゲキロック「アウェーインザライフ」に行って来た! 下ネタという不安要素があるために心から楽しむことが出来るか不安だったが、前回流れを把握したおかげで心構えと回避準備をすることが出来た。もう当該箇所に至ってからは舞台真ん中は見ないように努めてずっと屍忌蛇さんだけを見つめて乗り切った。昨日友人に「苦手なのにまた観に行って大丈夫なのか」と心配されたが、何とかなったよ! 楽しめたよ!

演劇中にいろいろな筋少の楽曲が、歌詞を大幅改変されたり、ほとんどそのままだったりしながら演奏され歌われるのだが、こういう普段と違う構成で聴くことで改めて「どんなバンドだ…」と思わされた。バリエーション豊かというか、何でもありというか。 特に自分が筋少を知らずに観に行った客だったら「これは演劇用に改変されてるんだろうな」と思いそうな曲ほどびっくりするほどそのまんまだったりするんだよな。演劇ファンがパンフレット買って後で元の歌詞を確認したら驚くのではないだろうか。

今回のゲストは筋肉少女帯で、いやー笑わせていただいた。ちゃんと全員に台詞があってそれぞれの味が出ていて面白かった。あれは本人達が自分で考えたものなのか用意されたものなのか、そのあたりも気になるところだ。橘高さんはちょっとの出演にも限らず登場の度に衣装をチェンジ。流石橘高文彦だ! こういうところが最高に格好良いと思う。

詳しい感想は公演が全日終了後よりぬき日記録の方にアップしようと思う。つっても、感想も感想のレビューとは程遠い形になりそうなのであんまり当てにはならんだろう。特に自分は何度も書いた通り過剰に下ネタを苦手としているので、一度目に観に行ったとき下ネタでドン引きしてからサッと冷めてしまい完全に入り込むことができなくなり、それによって見えたつっこみどころと、二度目に完全に入り込んで楽しめたときの比較などを書いてみようかと思っているのだ。やはり入り込んだときには気にならないことも冷めてしまうと気になったり、逆の場合もまた然り。そういうことってあるんだよな。

とにかく今日は楽しめた! DVD化は未定とのことだが、是非もう一度じっくり観たい。喜ばしいニュースが届くことを願う。


2010年6月17日 (木) 緑茶カウント:3杯
数日前からアシダカグモと同居している。確か去年も似たような時期に同居していたのだが、いつの間にやらいなくなってしまっていた。大変寂しく残念に思い、今回の再来をとても喜ばしく思ったのだが、調べたところアシダカグモの寿命は二年から三年ほどとのこと。つまり、もしかしたら新しいアシダカグモが我が家にやって来たのではなく、アシダカヒコさんは去年からずっと我が家にひっそりと隠れ住んでいて、久しぶりに姿を見せてくれただけかもしれない。彼はアシダカヒコさんなのかアシダカヒコさん二世なのか。事実を知るのは彼だけである。いやメスかも知れんけど。


2010年6月18日 (金) 緑茶カウント:4杯
小学校五、六年の頃からかな。世の中の人々は全員、四六時中何かしらのことを考えて過ごしているのだろうか、と思っていた。それと言うのも自分こそくだらないことから真剣なことまで、口を閉じている間、人から見れば何もしていないときはずっとものを考えていたからである。それが平常のことなのか、それとも自分が考えすぎなのか。何も考えていない時間などというものは果たして存在するのか、疑問であった。

あれから十年以上経ったが未だこの疑問は明確にならない。比較の使用が無いからだ。人の頭の中を覗くことが出来ない限り真実を知ることは出来ない。

ただ、音楽を聴き始めてから頭の中が空っぽになっている時間が出来るようになった。耳に流れる歌詞を頭の中で追ってはいるが吟味しているわけでも無い、このときは何も考えて無いに等しい。

音楽を聴くと楽になるのはこれも理由の一つかもしれない。考えるのは嫌いでは無いがいかんせん内容によっては疲れてしまう。音楽を聴きながら考え事をすることもあるが、音楽によって思考を放棄できるのは自分の中で発見だった。

しかし同時に危うさも感じる。楽ではあるが、楽な方に転がってしまって良いのだろうか。意味のあること無いこと種類は様々だが、この思考の時間が減ることは自分にとってマイナスにならないか。これもまた答えは出ない。十年後に見つかるか否かもわからない。わからないが考える。十年前からそうだった。それは今も変わらない。


2010年6月19日 (土) 緑茶カウント:0杯
「蔦からまるQの惑星」ツアー初日に行ってきた。あの曲この曲聴きたいものは山ほどある。待ちに待ったライブの日を迎えられたことを喜んで、心躍らせて赤坂ブリッツにすったか向かった。赤坂ブリッツに行くのは今月で三度目になるので流石に電車の乗り換えその他は把握している。明日も行く。計四回だ。

物販を買うために早めに到着。赤坂ブリッツの壁にでかでかと掲げられていた「アウェーインザライフ」の看板が無くなっていたのが少し寂しかった。そうだ、もう東京は千秋楽を迎えたんだものなぁ。筋少が赤坂ブリッツを占拠するのも明日で終わりなんだ。しんみりと感傷的な気持ちになったが、あちらこちらのラーメン屋の出店から漂う油っぽいにおいに心がしらけたので壁を見上げるのを止めてさっさと物販の列に並んだ。

なかなかの長蛇の列である。筋少の物販でこんなに賑わっているのを見たのは去年のレア曲ライブ以来だなぁ。今回魅力的な商品が多いしな。湯飲みの登場には驚いた。まさか本当に作るとは。MCネタを本気で実現させる筋少はすごい。しかし湯飲みは買わなかった。実物を見たら笑えてしまってそれで満足してしまったのさ。タオルとリストバンドは買ったよ。

番号は自分にしては良い方だ。前の方に行けそうなので内田さん前あたりに並ぶ。最近は内田さん前を選ぶことが多い。オーケン前ほど激しくなく、それでいて見やすいから居心地が良いのだ。

五分程度押しただろうか。携帯電話の電源を切ってしまっていたため正確な時間はわからないが、恐らく開演時間を少々過ぎた頃、照明が落とされて期待の声があちこちで上がった。自分も上げた。前へと進むと五列目くらいか。視界はそこそこ。全体を見渡すには向かないが、メンバー一人一人に狙いを定めれば見えるといった感じである。一曲目は予想通り、アウェー イン ザ ライフ!


アウェー イン ザ ライフ
レセプター(受容体)

仲直りのテーマ
ワインライダー・フォーエバー(筋少ver)

あのコは夏フェス焼け
暁の戦力外部隊
これでいいのだ

家なき子と打点王
爆殺少女人形舞一号
子犬にしてあげる

イワンのばか
ロシアンルーレット・マイライフ
戦え!何を!?人生を!
ツアーファイナル
モコモコボンボン

〜アンコール〜

蜘蛛の糸
若いコとドライブ〜80'sから来た恋人〜
心の折れたエンジェル
釈迦
ア デイ イン ザ ライフ


後半がちょっと自信が無いのだが…順番はともかく曲目は間違ってないと思う。本編ラストがモコモコボンボンってのが痺れたなぁ。まさかやってくれるとは!

アウェー イン ザ ライフは初めてライブで聴いたときは「DESTINYをぶん殴れ」に引っ張られて体が混乱したが、もうすっかり染みこんでいた。ベースが格好良いよなぁ。

お次は期待のレセプター。これこれ! アルバムで一回聴いたときから大好きなんだ。何と言ってもリズムが気持ちよい。初めて演奏される曲にも関わらず客席は乗りに乗っていた。このまま突っ走ったらかなり激しいライブになるんじゃないか、と一抹の不安を覚えるほどだ。

しかし杞憂であった。MCが挟まれたために流れが一旦落ち着いたのだ。筋少のMCは毎度長いが、今日のMCは特に長かった気がするなぁ。楽しいから歓迎するが、回を重ねる毎に長くなっていく気がする。やはり立て続けに演奏をすると体が疲れてしまうのだろうか。

ふわふわして凍結して、八年経って仲直りした大人がやることはすごいってことを次の二曲で教えてやる、みたいなことをオーケンが言って、いやだいぶ違うが実際はどんなんだったっけか、とにかく、お約束の喧嘩ネタを持ち出してきたからには仲直りのテーマが来るに決まってる! そして後に続く曲は…ある意味で今回一番期待のあれ! 四十代のラップもどき、遊び心が爆発したセルフカバー! ワインライダー・フォーエバー!!

待ってましたあああ!!

タワレコインストアイベントであのラップ部分を全員やる気まんまんだとわかってから尚更楽しみで仕方が無くなったあの掛け合いをついに! 生で! いやー期待以上だった。何がすごいって、ラップ部分じゃ全員楽器持ってない!

わざわざ肩から外して気合充分でラップに挑む。素晴らしい。内田さんはハンドマイクだったが橘高さんとおいちゃんはどうだっただろう。オーケン曰く、かなり練習したとのことでバッチリと失敗することなく掛け合いが決まった。最初の、内田さんから始まる出だしはアルバムよりも伸ばした言い方だったかな。

掛け合い中のメンバーの動きも見所だ。と言ってもオーケンと内田さんしかじっくり見ることは出来なかったのだが。自分の出番以外のところでは暇なのだろう、軽く体を動かして踊っていた。内田さんは結構ノリノリだったなぁ。随分と楽しげに踊っていた。橘高さんとおいちゃんの様子も見たかったなぁ。

ワインライダー終了後は照れ隠しのようなMCから始まり、夏フェスでこれをやったらどうだろうとオーケンが言い出して、橘高さんが止めといた方が良いと思うと提言した。夏フェスの会場でおじさん達がラップみたいなことをして、エグザイルのように踊りだしたら観客がポカーンとするんじゃないか、と言いながらオーケンがエグザイルのように体をぐるぐる回す。それにおいちゃんも乗ってオーケンの後ろでぐるぐる体を動かしたのだが、橘高さんにオーケンと同じタイミングで回っているから意味がない、との突っ込みをされていた。微笑ましいなぁ。

筋少は今度ROCK IN JAPAN FES 2010に出演する、出順はまだ言えないけど今度もすごい、筋少ファンも夏フェスにおいでよ! なることをオーケン。と言うのもいつもの顔ぶれのファンがフェスではぐっと見られなくなるのだそうだ。夏フェスに来ない理由をオーケンなりに分析したのか、ファンをニートや引きこもり呼ばわり。無論冗談であると明記しておくが、ひどさに笑った。

蔦Qには夏フェスの曲がたくさんある、と言ってから、「たくさん」が二曲であることに気付くオーケン、ここぞとばかりに突っ込みをいれる観客。それに対して苦言を呈すオーケン。そんなことはいちいちその場で突っ込みなんか入れないで、家に帰ってブログに書けばいいでしょ、とすね始める。この流れだったかなぁ。記憶が曖昧なのだが、似たような突っ込み話でおいちゃんに「オーケンが間違えたなう」ってTwitterに書けばいいでしょ! みたいなことを言っていて、おいちゃんがにこにこしながら携帯電話を操る素振りをしていた。どこだったかなーこれ。

夏フェスの話題が出たからにはってことで「あのコは夏フェス焼け」! そして「暁の戦力外部隊」! 暁の戦力外部隊は途中ちょっとだれたかなー。似たような調子が続く曲だからだろうか。だが「ね!」のコールアンドレスポンスはしやすい。楽しく拳を振り上げられる曲だ。

てっきり次も新曲が来るつもりでいたので「これでいいのだ」が来て驚いた。慌ててタオルを外して備える。そうだ。新曲ツアーと言っても、アルバム収録曲は十一曲なんだから半分はこれまでの曲なんだよな。すっかり失念していた。

家なき子と打点王に入る前、オーケンがギターを始めて橘高さんとおいちゃんのすごさに気付いた話をした。ここのMCも長かった記憶がある。他の話もしたんだっけ。どっかでエンゲキロックのゲスト出演にまつわる裏話もしてくれたはずだが、まぁそれは後でまとめて書こう。話は戻って、そうして「こう!」「こう!」と言いながら早弾きの真似をするオーケン。意図は無いのだろうが馬鹿にしているというかギャグにしているようにも見えて、予想通り橘高さんに突っ込まれていた。

そして橘高さんにリクエストをするオーケン。次の曲はギターのリフで始まると格好良いと思うからやって欲しい、との要望。考えつつも橘高さん、あれとあれとあれを入れてやるから聴いとけよ! とリクエストに応えてギターを奏で始める。「あれ」にはそれぞれ専門用語が入っていたのだがギターを知らない自分は覚えられなかった。だがわからないながらも、格好良かったなぁ…。しかしそれに見入るオーケンの顔芸とオーバーリアクションが…おかしかったなぁ…。さらにギターを弾きながらオーケンに向かってライオンが吼えるときのような表情を向ける橘高さん、橘高さんだけ見ればものすごく格好良いのだが、その正面のオーケンの顔芸との組み合わせのせいで…おかしかった…。

家なき子の見所は何と言っても間奏だ! 案の定、ギターとピアノのバトルに入ると橘高さんはエディのところまでやって来た。自分の位置からはキーボードの音がやや小さく聴こえたのが残念だが、それにしても鬼気迫る迫力。だがゾクゾクと背筋を駆け上る感覚とは違う。待ちわびた心地よいものが体中に染み渡っていく感覚だ。あの音が聴けて良かったと心から思う。

この後が爆殺少女人形舞一号ってんだからたまらない。イントロのピアノはアルバムとは異なる出だしで始まってからアルバムのイントロに繋がった。初めてライブで聴いたときに目を見開き、演奏終了後しばらく拍手が鳴り止まなかったことを昨日のことのように思い出す。つい体を動かすのを忘れて聴き入ってしまった。曲が終わると今日もまた拍手が静かに沸き起こった。筋少を知らない人、興味の無い人にも聴いて欲しい。

今回のレア曲は「子犬にしてあげる」のようだ。再結成してからは初めて演奏する曲らしいが、それよりも、まさかのオーケンの「エア犬の散歩」が復活することになろうとは! 説明しよう! エア犬の散歩とは、オーケンが犬を飼いたがっていた時期に架空の犬と戯れて………やっぱ止めた。…これを生で見るときが来ようとは思わなかった。大槻さん、良い笑顔だったな…。

愛犬家のエディには「犬は咽喉をごろごろ鳴らさない」と突っ込まれたそうである。あ! ここかな? おいちゃんに「オーケンが間違えたなう」って言えばいいでしょってオーケンが言ってたのは。ここだっけ。結局よく覚えてないのだが、間違えたオーケンに突っ込みを入れるネタは二回ほどあったと思う。

「馬鹿で有名なあいつがやって来たー!」とのシャウト、直後に「間違えたー」といくらなんでもこの入り文句は無かったかと後悔しつつ「イワンのばか」へ。オーケンが「失敗した」と言い出したとき、まさか高木ブー伝説が始まるんじゃないだろうなとハラハラしたのだが、イワンで良かったイワンで。馬鹿で有名なイワンで良かった。

イワンの後にロシアンが来たことははっきり記憶している。この並びはすごいなと少し驚いたのだ。さらに「戦え!何を!?人生を!」に続くってんだから恐ろしい。楽器班の咽喉が心配になるセットリストだ。心配になるセットリストだが、「戦え!何を!?人生を!」は大好きな一曲! 今日やってくれて本当に嬉しかった。

この死に物狂いのような全力のコールは心に刺さる。特に後半、橘高さんの叫ぶような声はたまらない。そして感極まったところで奏でられる心を震わすギターソロ。橘高さんのギターソロの中でもかなり好きなものだ。これを今日、間近で目の前で、橘高さんがギターを奏でる姿を見ることができた。ほとんど視界を妨げるもの無しに。嬉しかった。

ツアーファイナルで本編終了、かと思いきやオーケンがステージを去った後、内田さんが「まだ物足りないんじゃないのかい」と言い出した。そしてあまりライブでは馴染みの無いイントロが始まって…。うわあ! 内田さんボーカルのモコモコボンボンだー!

これは貴重! 内田さんバージョンはドスが利いていて…格好良いなぁ……と思っていたらうわああああ! 下手から! やって来たのは! ヌイグルマーならぬキグルマー! リラックマの着ぐるみに身を包んだ大槻ケンヂーーって何だこれ!!

何やってるんですか大槻さん。何でもありですね大槻さん。大好きですよ大槻さん。すげぇ。

そうして本編は終了し、すかさずアンコールを求める拍手が響いてメンバー登場、アンコール一曲目はアコースティックで蜘蛛の糸。うわー嬉しいなー。蜘蛛の糸は初めて聴いた筋少曲だから感慨深い。ここから筋少に入ったんだよなぁ。……ここから筋少に入ったんだよなぁ…。

アコースティックの蜘蛛の糸は歌詞はどうしようもなく暗いのにどこか優しげ。この曲なら第二章の結末を迎えることは無かったのではないか、とぼんやり思った。

「しんみりしちゃったねぇ」とオーケン。じゃあ八十年代の恋人とドライブに行くような明るい曲を! ってことで始まったけど、この曲も結構しんみりするよ大槻さーん! 曲調は明るいけど寂しいよー!

最初の語りはカット。うーん残念だが想定の範囲内。明るい曲調なだけに切なさが際立つが、切なさの余韻に浸る間もなく振り払うように「心の折れたエンジェル」! 「釈迦」! 大いに盛り上がったところでやってくれた! 「ア デイ イン ザ ライフ」!

始まりの機械をかけられたような「アデイアデイアデイ…」の声はそのまま流され、爆発するようにオーケンのボーカルが入る。「霊媒師」のところで一瞬照明が暗くなるのが印象的だった。歌詞を頭の中で追い、終わりが近いことを再認する。この楽しいライブももうすぐ終わり。別れがたい。寂しい。歌声に共鳴したせいか、普段よりも強く別れの寂しさを感じさせられた。

最後の締めと音と共に、アルバムが物語を終えるようにこの空間も終わる。あぁ。終わったんだなぁ。明日もある。明日もあるが今日のライブは終わってしまった。去りがたいのか、ステージでカーテンコールの真似事をしてお辞儀をするメンバーはいつもより長くステージに留まってくれた。楽しそうな表情だった。楽しかったなぁ。

新曲のうちやらなかったのは「捨て曲のマリア」と「ゴミ屋敷の王女」。「ゴミ屋敷の王女」は特に好きな曲なので、明日やってくれないかなぁと希望している。最初に聴いたのは前回のライブだが、気に入ったのはアルバムで何度から聴いてから。これをまたライブで聴いて印象の違いを確かめたい。

他、MCでは、「蔦からまるQの惑星」がデイリーランキングで四位になったことについて。「どうすんの? 筋少また人気になっちゃうんじゃないの? PV撮るのにゾウ来たらどうしよう、ゾウ!」とやたらとゾウにこだわる。そこに橘高さん、「また男と絡まなきゃいけないかもな」と氷の世界のPVについて言及。オーケンにとって、あれは黒歴史のようなものらしい。そりゃな。

はしゃぎながら「筋少に負けるアーティストって…」と馬鹿にしてるんだか自虐してるんだかわからない冗談を言うオーケン。また、橘高さんが、いつかのランキングで安全地帯と筋肉少女帯が並んでいることがあって、「帯」の字が二つ並んでいることから、きっとあちらさんも迷惑していただろうと話していた。

何かのアーティストがスキャンダルで話題になってCDが売れたので、嘘でも良いからオーケンと水野さんが何か写真を撮られれば良かったのに! と橘高さん。するとオーケン、俺は木野花さん萌えだから木野花さんが良いと反論! わはははは。笑った。

デジもの好きの内田さんは楽屋でiPadを使って「iPhoneの予約時間だ!」なることを言って新しいiPhoneを予約したそうだ。本当にiPhone好きなんだなぁ。

ライブではエディコールが巻き起こるのが最早恒例になっているが、今回はオーケンの音頭でコージコールも起こった。しかしサポートミュージシャンのコールはあってもメインメンバーのコールは無い。寂しいね、とオーケン。

エディは毛量が多いらしく、毛穴から三本髪の毛が生えていて、つむじが三つあるらしい。髪の毛をかき混ぜながら「誰かに分けてあげたいよ!」と言ってオーケンが「つむじを三つもらっても困るよ!」なることを言っていた。ちょっとハラハラした。

夏フェスでだったかな。自分は気付かなかったのだが、観客が新しい振りを始めていたらしく、オーケンがそれについて言及していた。オーケンは観客が自発的に始めたと思ったらしい。ところが観客はエディの真似をしていたと主張する。するとエディは「本城にやってって頼まれてやった」と衝撃の告白。何と作曲者本人が考案した振りだった! どんな振りだったんだろう。

エンゲキロック「アウェーインザライフ」では、ゲストで筋少が出演するとき、橘高さんがやけに熱くなってしまい、メンバーに「これは………こうなのか? こうなのか? はっきりしろよ!」と細かく確認していたらしい。橘高さんの真面目な性格が窺い知れるエピソードである。「橘高一座」なる劇団があったら暑苦しいんだろうな、とオーケンが言っていた。

また、カーテンコールでは役者とバンドとゲストが横一列に並んで手を繋いでお辞儀をするのだが、このとき誰と並ぶかがオーケンとしては重要だったそうで、水野さんとソニンちゃんの間が本命、百歩譲って木野花さん、だったのに内田さんと隣になってしまって不満だったと言っていた。さらに内田さんの隣では橘高さんが手を繋いでいて、あっちの方から嫌な空気が流れてきたと笑っていた。わははは。ひっでぇ。

あとこれはどの場面か忘れたのだが、オーケンが頬を膨らませて口を窄めて「ぶるるるる」と言って不満を表明しているのを見たとき、このおっさんは自分が可愛いと言われていることをしっかり自覚しているな、と思った。オーケンファンだけど思った。それにしても四十四歳男性のする動作じゃない。二十歳の女性でもしないのでは無かろうか。やるなぁ。


2010年6月20日 (日) 緑茶カウント:0杯
今日も行ってきたぞ! 「蔦からまるQの惑星」ツアー二日目! しかし開演前のアナウンスでは昨日と同じく「蔦からまるQのツアー」だった。渡されたメモが間違っていたのだろうか。大したことでは無いがやや気になる。

ところでだ。今回は、ついに初めて! 自発的に橘高ゾーンに行ってきた。まだライブ慣れしていない頃に人の波に流されて橘高ゾーンに来てしまったときはそのあまりの激しさに対応できず、散々な結果に終わってしまったが今回は! ばっちりと堪能することが出来た! 多少なりとも経験値を積んだ結果だな!

ただし上手前方にいたために、ギターとベースの音はよく聴こえるのだがボーカルは少し聴こえづらかった。おかげで今日のオーケンは歌っている姿よりも喋っている姿の方が印象に残っている。やはりバランス良く音を聴くにはもう少し下がった方が良いのだろう。でもついつい前方に突っ込みたくなるんだよなぁ。行けるうちには行っときたいのだ。

本日のセットリストは以下の通りである。昨日と似た構成であるため覚えやすかったが、イワンのばかの位置だけ曖昧だ。とはいえここ以外に入る場所は無いよなぁ…。暁のロシアの家なき子が人形抱えて蓮華畑、ダメなエンジェル、モコモコツアーファイナル、香菜とドライブ境目サンフラアデイ、という覚え方だったのだ。


アウェー イン ザ ライフ
レセプター(受容体)

仲直りのテーマ
ワインライダー・フォーエバー(筋少ver)

あのコは夏フェス焼け
暁の戦力外部隊
ロシアンルーレット・マイライフ

家なき子と打点王
爆殺少女人形舞一号
蓮華畑

踊るダメ人間
心の折れたエンジェル
イワンのばか
モコモコボンボン
ツアーファイナル

〜アンコール〜

香菜、頭をよくしてあげよう
若いコとドライブ〜80'sから来た恋人〜
境目のない世界
サンフランシスコ
ア デイ イン ザ ライフ


「蓮華畑」も予想外だったが、それ以上に嬉しかったのは「境目のない世界」をやってくれたことである。ライブで聴いたのは初めてだ。筋少の中では珍しくアダルトテイストの漂う曲だが絶妙なバランスで下品さを感じさせない。直接表現がほとんど無いところも、オーケンの歌詞が好きな理由の一つなんだな。意識的か無意識的かはわからないが、オーケンの中で「詩」はエッセイや小説とはまた別の位置に置かれているように思う。その違いが興味深い。だってエッセイや小説じゃあれだけ下ネタや性表現を使う人なのに、歌詞にはほとんど出てこないんだぜ。猥談も好きな人なのに。だからこそ、「歌詞」に対する思い、「歌」に対する思いは特別なのかな、と思ってしまうのだ。わからないけどね。

初っ端は昨日と同じくアウェー イン ザ ライフ! いつかのライブで一曲目がツアーファイナルだったことがあったので、今日はあえてアデイ イン ザ ライフから始めたりするかな、と思ったが変化球は来なかった。次のレセプターも昨日と同じ。間奏の語りがカットされているのが少々残念。間奏では「筋肉少女帯でーす!」と挨拶してたかな。

ここで最初のMC。今日のライブは特別なライブ、何と筋少は明日でデビュー二十三周年を迎えるとのことで、今日が最後の二十二年目とのことだ。これはおめでたい! そしてオーケン、内田さん、エディの三人も明日でデビュー二十三周年! おおおおお。何だか感慨深いなぁ。

二十三年間いろいろなことがあったと話すオーケン。頷く内田さん。ここでオーケン、デビュー当初の自分は女の子の胸を掴んで「モーレツ〜」と言わせてモーレツア太郎に入っていた、でも今過去の自分に会ったら説教したい。それは当時は面白かったかもしれないけど、四十四歳になると恥ずかしいんだよ! と。何歳までは恥ずかしくなかったんだろうか。

しばらく思い出話のようなMCは続く。橘高さん曰く、オーケンは何度もバンド名を変えようとしたとのこと。だがオーケンは記憶に無いらしく、「嘘! どんなバンド名にしようとしたの?」と驚いた顔をしている。「良いのが思いつかなかったから変えなかったんだよ」とは橘高さん。そして話題はそのままバンド名に関することに。オーケン、二十三周年に入るのに未だ名前を「筋肉少女隊」に間違えられる。聖飢魔IIのデーモン小暮閣下がバンドの綴りを間違えられることを怒っていたとき、それくらいのこと…と思ったが、帯の字を間違えられるとやっぱり頭にくるとのこと。確かに。CD屋に行ってバンド名が間違ってないとむしろ喜びを感じてしまうものな。期待値の低さが我ながら悲しい。

思い出話から仲直りのテーマ、ワインライダー・フォーエバーへ。ラインライダーの掛け合いでは昨日と同じく全員楽器を外し、ハンドマイクを握って叫んでいた。今日も失敗は一つも無くバッチリ成功! 橘高さん前にいたので橘高さんと内田さんがよく見えたのだが、橘高さんは「腕に!」と叫んだとき左の二の腕に触れるポーズをとっていた。観客含め全員で声を合わせての「クランクアーーップ!!」は格好良くも気持ちが良い。「ウ、ハッ!」のところでは客が拳を「グー、パー」と動かしていて、それを見たオーケン、同じようにしないと悪いかなと思ってグー、パーの振りを真似したそうだ。

振りの話で、エンゲキロックの「アウェーインザライフ」にゲスト出演したとき最後に踊るダメ人間をやって、内田さん達は初めてダメジャンプをしてみたがきつかったそうだ。それでオーケン、ダメジャンプの部分はきついから曲の長さは半分で良いんじゃない? と言うと客席から不満の声。「皆マゾなんだよ」と橘高さん。「じゃあ二倍にしよう」と内田さん。「ドSかよ」と橘高さん。オーケン、タオル回しもきついけど皆やったことある? と聞くとやったことがあると答える内田さん。意外そうなオーケン。橘高さんが「内田はいつもやってるよ」と教えていた。

他にここではテレビの話と夏フェスの話を。昨日のMCで、家に帰ってもワールドカップなんか見ずにテレ東の鬼平犯科帳を見ろ、見てるかどうか明日クイズを出してチェックをするからな、と言っていたのだが、鬼平犯科帳はテレ東ではなくフジテレビだったことをまず謝罪。エンゲキロックがTBSのお世話になっているため他局の番組を薦めるのは控えようかと思ったが、テレ東なら良いだろうと思ったのに意味が無かったとのことだ。

そのうえオーケンも鬼平犯科帳は見ていなくて、「ようこそ☆おちこぼれカレッジ」という、どこの大学にも受からなかった主人公が、しかし落ちたことを言い出せず、ついに自分で大学を作ってしまい、するとどうしようもない人間が山ほど集まったが最終的には良い大学になった…ようなストーリーの映画を見たそうだ。「絶対筋少聴いてるような奴だよ!」とオーケンに言われる主人公。オーケンは自分のファンをどんな奴らだと思っているのだろうか。

そして夏フェスの話題。いつもライブに来てくれている筋少ファンが夏フェスでは少ない、だからもっと来て欲しいと昨日言ったけど、物販の湯飲みが完売した報告を受けて、あぁ、湯飲みが完売するんじゃしょうがないなと思った、皆さん湯飲みでお茶を飲んでらっしゃるんですね、もういいです、と諦めるオーケン。そして「せめて次の曲で夏フェスの気分を味わわせてやるぜー!」と叫ぶと客席から勢いよく「おー!!」と声が返ってきて、「味わいたいんだ…」とオーケンが苦笑した。わはは。

あのコは夏フェス焼け、暁の戦力外部隊までは昨日と同じ流れ。暁の戦力外部隊は昨日は間延びした印象を受けたが今日は決まったなぁ。たった一日で変化してくるのだから面白い。

ここから昨日と変化してロシアンルーレット・マイライフ! 楽しいけどきつい、きついけど楽しい。拳を振り上げて叫んでいるうちに脳がだんだん馬鹿になっていく感覚が生じる。トビマストビマス! 印度じゃないのに!

で、だ。次のMCがすごかったなぁ。メンバーがステージを去った後エディと長谷川さんとの会話になって、それからおいちゃん、内田さん、橘高さんの順でオーケンがメンバーを一人一人ステージに呼び込むのだが、何と内田さんがビワを手にしてやってきた。しかも実だけではない。枝つきの。いや、むしろビワの実がついた枝と表現する方が正しいだろう。枝がでかいのだ。

今日オーケンが楽屋に入ると内田さんがビワを片手に立っていて驚いたことから話は始まる。何故こんなものを持って内田さんは立っていたのか。それはエディが原因だった。内田家の庭にはビワの木があり、毎年大量に実が成って処分に困っている。そんなわけでこの間ビワを友人にあげたらしい。それを聞いたエディが自分も欲しいと言ったので、今日持ってきたのだそうだ。しかしエディ、欲しいと言ったとき「うちまで取りに来て」なることを言われて面倒くさくなり、昨日の帰りに美味しいビワを買って冷蔵庫に冷やしているとのこと。よって「もういらない」と持ってきたビワは断られ、そして今に至るということだ。

持ってきた枝に蜘蛛の巣が張っていたことによってエディの食欲が減退されたことも拒否の理由の一つらしい。枝を持って勧める内田さん、拒否するエディ、おいちゃんはどうかと振るオーケン、「内田の家にビワだけはいらない」と何故か頑なに拒否。最終的に持て余されたビワの枝は橘高さんのマーシャルアンプの壁の間にぶっ刺された。オーケンとおいちゃんが話をしている間にこっそりやったことで、イタズラを仕掛けた子供のように突っ込まれることを期待していたように見えた内田さんだったが、しばらく誰も気付かずビワはスルーされていた。だが、照明さんは気付いてくれたのだろう。ビワにスポットライトが当たっていた…。

ようやく橘高さんがやって来てギターの話に。ギターを習い始めたばかりのオーケンに早くソロが弾けるようになると良いねと橘高さん。するとオーケン、俺は弾き語り派だから云々、トンボとか歌うの、なることを喋る。弾き語り派って何だよと橘高さん。あれ、この前だったかな。おいちゃんとは最近ギターの話ばかりしているとオーケンが言って、おいちゃんがそんなにしてないよ、ビワの話の方が多いよと突っ込みを入れ、橘高のピックよりおいちゃんのピックの方が使いやすいからちょうだい、とおいちゃんにピックをねだって一枚もらっていた。何故今ここでもらうのだ。

ギターの話から昨日と同じく、橘高さんにメンバーがリクエストをし、お題に沿ったギターソロを即興で演奏するという大サービスを見せてくれた! 上手の定位置に橘高さん、下手に内田さん、オーケン、おいちゃんが並び、マイクを持った内田さんがあれとあれとあれ、とリクエストをする。何とかオフって言ってたかな。ライトハンドを希望したのはオーケンかな。あー、これはギターを知ってる人だったらもっと楽しめたんだろうなぁ。

この即興演奏を目の前で見られた。正直な話何をしているのかわからないが、橘高さんの奏でるソロからイメージする音よりも、ガシガシギシギシした硬く力強い音だった気がする。ちゃんと記憶できないのが惜しい。そのまま昨日と同じく家なき子と打点王へ。昨日よりもコールアンドレスポンスが決まっていたように感じる。間奏部分では橘高さんはエディのところまでは行かず、上手と下手で大バトル。あー、もう、たまらないなぁ。

照明が落とされると爆殺少女人形舞一号へ。アルバムに無いピアノの調べから始まりアルバムのイントロに繋がる。タイトルのごつさと曲調のギャップが激しいといつも思う。ピアノの後の「ジャーンジャーン」と響く、あのギターが好きだ。あの重く暗い切りつけるような音が、人形がただの可愛らしい人形ではなく、暗殺道具であることを表現しているんだろうなぁ。

続くは蓮華畑! エンゲキロックで役者さんの歌うバージョンを聴いたとはいえ、久しぶりだなぁ。これ聴きたかったなぁ。しみじみとしてしまった。

あー、ダメジャンプについての話はここでしてたんだっけ。ここのMCで何を話していたかよく覚えてないのだがとにかく怒涛の後半戦へ! 踊るダメ人間でダメジャンプをし、エンジェルで拳を突き上げ、イワンのばかではオーケンがステージ下まで降りてきて、ただでさえ盛り上がる曲なのに興奮した観客が前方に押し寄せて大騒ぎだ。残念ながらステージを降りたオーケンの姿を見ることは出来なかった。そんな余裕無かったって!

イワンが終わるとオーケンがステージを去り、じゃあ三人でやっちゃうぞ、と内田さんボーカルでモコモコボンボン! ドスが利いてて格好良いなー! オーケンボーカルよりも邪悪さが増す。内田さんボーカルの音源を作ってくれないかと思うほどである。

無論オーケンは引っ込んだままではない。昨日と同じくリラックマの着ぐるみを着て再登場! 内田さんのボーカルを引き継いで歌うリラックマオーケン。…このリラックマを情けを捨ててぶん殴らなければいけないのか…。

モコモコボンボン終了後。着ぐるみを気に入ったらしいオーケン、このままで良い? 脱いだ方が良い? 次ツアーファイナルだけど着たままで良いの? と言って結局脱ぐ。別に良いんじゃないという空気だったが流石にどうかと思ったらしい。脱ぎ終わると宣言通りツアーファイナルへ。

本編終了後程無くしてアンコール。アコースティックのセットがステージに作られ、アンコール一曲目は「香菜、頭をよくしてあげよう」だ。良い曲ではあるが正直ちょっと期待外れではあった。ゴミ屋敷の王女をこのあたりでやってくれないかなと思っていたのだ。ゴミ屋敷の王女と捨て曲のマリアは昨日今日のライブではやらなかった。新曲発表ライブやインストアイベントではやっていたので今更出し惜しみをすることも無いと思うがどうしたのだろう。今まで演奏する機会が多かったから寝かせているのだろうか。

「若いコとドライブ〜80'sから来た恋人〜」でしんみりし………たが次がまさかのレア曲! やってくれるとは思わなかった! 「境目のない世界」だー! 香菜、若いコで落ち着いていた観客がいきなり爆発、そりゃ橘高ゾーンにいるんだから当たり前だ。ヘドバンの嵐が巻き起こり首がどうにかなるかと思った。そのまま勢いに乗ってサンフランシスコ! 盛り上がらないわけがない!

「ハァッ!!」でジャンプをしてからも客席の動きは止まらない、小さく跳ね続け、拳を振り上げたままコーラスを叫ぶ。そうだ、この曲は珍しいベースソロが堪能できる曲でもあるんだ! 橘高さんが手を広げて内田さんがソロをやるぞとアピール。ライトの下で照らされて響き渡る重く低く歪んだ音色。かぁっこ良いなぁ!!

相手を魅せながら、負けるものかと魅せ付けるギターとピアノのバトルにくらくらした。何て贅沢な時間なんだろう。それももうすぐ終わりを迎える。「まだ百曲も二百曲も出来る!」と強がった後「あと一曲で勘弁してください」と弱って見せるオーケン。最後は言わずもがな、「アデイ イン ザ ライフ」。

別れを惜しむ歌にジンと来ていたら橘高さんが枝ごとビワを客席に投げ込んで笑ってしまった。橘高さん、すごいものを投げるなぁ。誰かが美味しく食べていると良いな。

こうして二日間のライブは終了。まだやっていない曲はツアーファイナルのリキッドの期待したい。特にゴミ屋敷の王女。これが聴きたくてたまらないんだ。

他、MCでは、何の話か忘れたが、橘高さんがオーケンの喋りを真似したとき、妙になよなよした喋りでおかしかった。あとオーケンが橘高さんに水戸黄門の新しいキャストが誰かと教えていたときにまたおいちゃんが宇宙に行っていて、それをオーケンと橘高さんが突っ込んだら、おいちゃんが「助さん格さんが誰々だってことは知ってるよ」と反論し、何でそんな上から目線…だったかな? 高圧的? 偉そうに? 忘れてしまったがそんなニュアンスで、言うの? とオーケンと橘高さんに笑いながら突っ込まれていた。


2010年6月21日 (月) 緑茶カウント:1杯
恋愛なら好きだよ愛してるよと言えば済むが、友情は気持ちを表明するのが難しい。言うまでもないと思っていることでも言わなければ伝わらないなら口に出すべきだ。しかし言葉が見つからないので黙っている。体内に言語化されない思いがわだかまる。難しい。


2010年6月22日 (火) 緑茶カウント:3杯
夏風邪は馬鹿が引くという。つまり、だ。これ以上は言わないぞ。つまり、だ。そういうわけだ。つまり、だ。薬飲んで寝ろ。


2010年6月24日 (木) 緑茶カウント:1杯
三十九度の熱が出るなど何年ぶりのことだろう。移動中に体を動かすことが出来なくなるのは初めての体験だ。アルコールの過剰摂取が原因でなら数回あるが、風邪による経験は無い。空っぽの胃の底で気色の悪いものが渦巻く心地がして、足に力が入らず、脳に靄がかかっているようだった。今だからこそ面白がれるが、真っ只中の最中には流石にそんな余裕は持てないものだ。本日は内科に行き薬を処方してもらい一日寝ていた。現在は平熱であるがまだ咽喉の調子が悪く、咳が出る。しかしほとんど声が出なくなった昨日に比べれば充分な回復だ。今夜も早めに寝るとしよう。皆さんも風邪にはご注意を。


2010年6月25日 (金) 緑茶カウント:4杯
なかなか安定しない体調。部屋が暑いので冷房を入れたくなるが、冷えた空気が咽喉を刺激して咳の出る原因となる。やたらと汗をかくのは熱のせいだけではないのだ。食欲は戻ったが食べればまた汗をかく、どうにも困ったものだと思う。もともと体温は高い方なのだ。窓を開けても風はあまり入らない。その上飲み物は熱い緑茶だ。美味しいが、熱いな。

それでも夏という季節の到来は嬉しい。青い空から活力が降り注いでいるようだ。白い日差しが濃い影を作る季節が来た。セミの鳴く季節が来た。羽化の途中に干からびて固まるものも見るだろう。夏が来たのだ。


2010年6月26日 (土) 緑茶カウント:4杯
横になると咳が出る、かと言って体を起こしては眠れない。そんな日々が続いており苦心している。日中も水分とのど飴が無ければ狙い済ましたかのように咳が出る。あまりひどいと吐きそうになるうえまた咽喉を痛めてしまうので今日はずっと口にものを入れていた。咳止めの薬もシロップもあまり効果を感じられない。水面下で頑張ってくれているのかもしれないが、しんどいなぁ。睡眠は楽なものであるはずなのだが、今日も苦労を強いられそうだ。


2010年6月27日 (日) 緑茶カウント:2杯
可愛らしいと思う。害も無い。むしろ益虫なので歓迎したい。しかし気になるのはこの八畳足らずの狭い部屋、加えて玄関、台所、風呂場の付属する大きくもないこのスペースに、三匹の蜘蛛達が毎日腹を満たせるだけの何が潜んでいるというのか。アシダカグモ、ネコハエトリ、マミジロハエトリ。ねぇ貴方方、何を召し上がってらっしゃるの?

あまり深く考えたくない。


2010年6月28日 (月) 緑茶カウント:3杯
実の親より。「別に付き合っても良いんだよ……?」と交際の許可をいただく。何か心配されているようだが、いくら何でも中高生じゃあるまいし、そんな許可が必要などと考えたことは微塵も無く、許可を求めようとも思っていない。そもそも今現在交際したい相手がいないのだが。まさか交際相手のいない理由を親から許可を得ていないからだとは思われちゃいないだろうな、と呆れるような情けなくなるような、そんな電話の後の妙な余韻。咳は未だ止まらない。


2010年6月30日 (水) 緑茶カウント:2杯
しかしよくよく考えてみれば、己は自分の家であるにも関わらず冷蔵庫の中のものを勝手に飲み食いすることが出来ない子供だった。必ず確認をとって許可を得なければ安心出来ず、我が家に客が来ることなど滅多に無いくせに、もしもこれが客用の品だったら、誰かが楽しみにしているものだったら、と、考えるととても手を出すことが出来ない。人が期待を裏切られてがっかりする様子を見ると切なくなるのも理由の一つだ。よって家に自分以外の人間がいないときには仮に小腹が空いていたとしても冷蔵庫の中のものを食べることが出来なかった。

そんなこと気にしなくていいのに、と母は言うが、そんなことを気にしてしまうのだから仕方が無い。真面目すぎたのである。いわゆる「良い子」だったのだ。これについても色々と書いておきたいことがあるが夜も遅いのでまた後日。明日から七月の到来だ。




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