5月      

2010年5月1日 (土) 緑茶カウント:4杯
気になっていることがある。最寄り駅の歩道橋に最近落書きが増えてきた。内容は落書きのセオリーに則って罵詈雑言や卑猥な単語がほとんどである。一箇所に集中しているのではなく、あちこちの壁や床に書かれているのでまるで歩道橋がぽつぽつと罵倒語や卑猥語を呟いているようだ。これは良い。いや、落書きは良くないが。

気になるのは歩道橋の床の真ん中に、やたらとリアルなゴキブリの絵が落書きされていることである。使用されたインクから見て、他の罵倒語や卑猥語を書いた者達と同じ人種がこれを描いたに違いない。大きさは五センチほどでディフォルメはされているがなかなか特徴が捉えてあり、抱いた感想をそのまま言えば、上手い。

で、だ。全く気になってしょうがないのは、このゴキブリを描いた奴は描いてる最中何を思っていたのかということだ。先程もここに書いた通り、ゴキブリの絵は歩道橋の床に描かれている。床に描くにはどうすればいけないかと言うと、当然膝をついて肘をついて顔をある程度床に近づけて、つまり跪かなければならないということだ。

もしもそのように跪いている姿勢を赤の他人に見られたらあなたはどう思うだろうか。自分だったら恥ずかしくて嫌だ。そんな恥ずかしい姿勢をとることも厭わずに、何故わざわざ壁面ではなく床を選んでゴキブリなんぞの絵を描いたのか。他の落書きも床に書かれていたならまだしも床に描かれていたのはこいつだけである。もしくは、他の仲間が壁に書いていたために床にしか描く場所がとれなかったのか。そんなわけはない。歩道橋にはまだまだ落書きをするスペースは有り余っているのである。決して落書きをするためのスペースなんかじゃないのだが。

恐らく決行は深夜を選んでのこととは思うが、深夜とは言え周囲はちょっとした繁華街、人通りが無いとは言えない場所であるというのに何故床に、跪いてゴキブリを。歩道橋を渡るたび、やたらと上手いゴキブリの絵を目にするたびに姿も知らない不良に思いを馳せる。きっとすごく、馬鹿なんだろうなぁ…。


2010年5月2日 (日) 緑茶カウント:1杯
オーケンのトークイベントであるのほほん学校に行ってきた。タイトルは「緊急開催大決定!GWのほ学だよ、行くとこないやつみんな来い!どうなる筋少ニューアルバム『蔦Q』!?」である。長い。

十八時半開場十九時開演、終わったのは二十一時四十分くらいかな。およそ二時間四十分に渡り時に爆笑、時にぐだぐだ、楽しませていただいた。まず夕飯に松屋へ入り牛丼の並を食して新宿ロフトプラスワンへ。前回来たときと同じ、下手側の奥の段差があって見やすい位置を陣取り、ビールを呑みつつトークを聴いた。前回はドリンクカウンターの位置がわからなかったため終演後にドリンクを引き換えたが今回は把握しているので大丈夫だ。休憩中にもう一杯追加で買って、そして家では発泡酒。ビール呑んだ後の発泡酒はどうしても薄く感じてよろしくないな。

開演を待つまでの時間はスクリーンに映されたCDJでの映像やこの間発売された「どこへでも行ける切手」のDVD映像を眺めて時間を潰した。いやーこういう時間潰しを用意してくれるのは親切で良いなぁ、と思ってる間にオーケン登場、しかし! ステージの上手側に何故かトマトジュースらしきものがこぼれているという謎のハプニング! どうやら前の出演者がこぼしたものらしいが、それにしても何故トマトジュースらしきものが。スタッフに要請して謎の液体を拭いてもらいつつ本日一人目のゲスト登場。アウェーインザライフの脚本家楠野一郎さんである。と、いうわけでまずはアウェーインザライフの話から。

アウェーインザライフの稽古をオーケンが見に行った話、その時オーケンが持っていったお土産が、歌を歌って台詞を喋ってと稽古で役者は咽喉がカラカラになるのに何故かパンだった話、しかもオーケンは稽古場見学に行く話をしていたのに楠野さんと待ち合わせ場所で落ち合ったとき、近くにある柔術道場を見に行かないかと誘った話、などがされた。お土産については楠野さんのブログに詳しく書かれていて、ブログで突っ込まれていたこととほぼ同じことをオーケンにぶつけていた。何故パンなのか。何故出演者は二十人近くいるのにパンは七つなのか。ロールケーキやハムのパンはともかく味の無いバターロールを選んだのは何故か、などなど。

パンが七つなのは七人の侍に関係して云々かんぬん、いくつかの映画の話を持ってきて、七という数字が重要であること、二十人のうちの七人こそが選ばれし者であり、みたいな話をしていたが、おかしくて忘れてしまったなぁ。ビール呑んでたし。何かあったらアルコールのせいにすれば良いと思っている面は、まぁ、否定できない。すまん。

柔術道場に見に行かないかと誘った件については、オーケンはギターの他にも何か始めたいと考えているそうで、その何かってのが武道の類らしいのである。それも東洋と西洋両方を一つずつ。昔空手をやっていたんじゃないのかなることを楠野さんに聞かれ、続かなかった的なことをオーケンは語っていた。

あと何だっけ。オーケンは演劇に興味があるのかって話になって、楠野さんに演劇興味ないでしょ、というようなことを言われて、いや、俺は古くから演劇に触れていた、とケラさんの話を持ち出してオーケンは語っていた。そこで有頂天は演奏の合間にコントを挟むバンドだったけど、あるときから急にコントの内容がシュールになって、その瞬間を目にして驚いた記憶があるとオーケンは語っていた。それで有頂天に在籍していたおいちゃんの演じていたシュールなコントを再現し、その再現のひどさから楠野さんに演劇とケラさんと本城さんをコケにしてるでしょ! とつっこまれていた。あと一人ケラさんとおいちゃんの間に名前が挙がっていたのだが、それについては忘れてしまった。オーケンは笑いながら「そんなことはない!」と否定していた。

オーケンの物真似ってのがまた似てなくて、この後にみのすけさんと、どういう流れかは忘れたがX.Y.Z.→Aのニイハラさんの声真似もしていて、ニイハラさんの方はどう聞いてもボースカの声にしか聞こえなかった。というよりオーケンが声の高い人の真似をしようとすると全てボースカになるんだよな。

それでそうだ、アウェーインザライフにからめて「蔦からまるQの惑星」発売の告知もして、ジャケットを発表っつって出されたのがあれだよ。爺さんの顔写真の上に「蔦からまるQの惑星」と書かれた透明の下敷きのようなものを重ねたり、前のオーケンが十歳の頃としまえんで描いてもらった似顔絵に蔦からまるQの惑星、その時オーケンのお父さんも似顔絵を描いてもらってそれにも蔦からまるQの惑星、さらにまたもう一枚似顔絵が増えて、それが何とその人の背後霊まで描いてくれるという似顔絵師、スクリーンに映されたオーケンの似顔絵の後ろにはゴーグルを額につけた謎の海パン男子が! それに蔦からまるQの惑星! 腹を抱えて笑った。最初のお爺さんの写真は誰だか知らなかったのだが、オーケンのお父さんだろうか。わからない。わからないけど笑った。

で、嬉しかったのが、「蔦からまるQの惑星」に収録されている「捨て曲のマリア」の完成版とデモ版を聴かせてもらえたことだ! アルバム発売前に曲を聴けるだけでも嬉しいのにデモ版までとは、大サービスだなぁ、嬉しいなぁ。個人的一番の目玉はこれだった。

まずは完成版の「捨て曲のマリア」を聴いてから、いっちゃん最初の「鼻歌版」へ。楽器の出来ないオーケンが鼻歌で作曲するのはファンの間では有名な話だが、鼻歌状態のものを聴くのはこれが初めてだ。どんなものだろうかと耳をすますと………鼻歌ではなく、熱唱である。しかもノリノリだ。

「ふ〜んふふ〜んふふふ〜ん♪」のようなものを想像していただけにこれには驚いた。さっき聴いたばかりの完成版から曲を抜いたものにほぼ近い。曲が作られてない状態でよくぞここまで歌えるものだと感心するほどだ。いや、歌や曲の作り方をわからない素人が言うのも何であるが。

この鼻歌版はスタジオで録音されたそうで、オーケン曰く、スタジオにはビデオカメラがついているから、大槻ケンヂが入ったぞ、何してるんだろう、とスタジオのスタッフに、楽器も使わずノリノリで足でリズムを取りながら熱唱する姿を見られたかもしれない、とのことだ。鼻歌版にはきちんと手で腿を叩いてリズムをとる音も録音されていた。ちなみに、昔はペンで机か何かを叩いてリズムをとって録音していたのだが、あまりにふざけているとNARASAKIさんに怒られて以来それはやめたらしい。………あまり変わらない気もするが。

この鼻歌版を内田さんに渡して曲を作ってもらったそうで、その第一段階はジャズ風のものだった。音はズンドコ、いや、ズンボコかな。完成版よりもムーディーで、ズンズン響く感じがする。しかしこれ、オーケン的には少し違うらしい。というわけで、TOTOっぽくとイメージを伝えて作り直してもらったのが第二段階、これを元にしてレコーディングをしたそうだ。

この第二段階も聴かせてもらい、その後に再び完成版を聴いたのだが、ほとんど曲調に変わりはないものの完成版の方がずっと筋少らしい。第二段階だと格好良いのだが「らしくない」感じが強すぎるのだ。いったいどこに違いがあるのだろう、と考えるまでもなくわかった。橘高さんのギターの有無の違いだ。橘高さんの「ギュワーン」というギターの音が入るだけで一気に筋少らしくなるのだなぁ、て思ったね。

おいちゃんの持ってくるデモはいつも完成されていて直すところがないそうだ。これは初耳で驚いた。おいちゃんすごいなぁ。

この後かな? 流れは忘れてしまったが、オーケンと水野美紀さんの演技対決ビデオが流された。「稽古を見てたけど、あれくらいなら俺にもできる」と嘘くさく豪語するオーケンと水野さんに同じお題を出してそれぞれに演じてもらうというものである。ちなみに水野さんは九時間の稽古の後このビデオを撮るために演技をしてくれたのだそうだ。しかもその頃にはオーケンは既に帰っていたそうだ。ひでぇ。

お題は「うきうき気分で家を出たら犬の糞を踏んでがっかり」「愛する人を守って銃で蜂の巣にされる」「コンビニで肉まんを買って食べたら腹からエイリアンが出てきた」というもので、加えてもう一つ、オーケンのみ「殺人拳で恩師を殺してしまう」なるお題が出されたが、結果は言わずもがなである、っつーかオーケンはそもそも演技をすることに照れていて、始終ニヤニヤしていたりやたらと変な顔を作っていたりしていた。対して水野さんの迫真の演技はすごい。何というか漢らしい。特に三つ目のお題「コンビニで肉まんを買って食べたら腹からエイリアンが出てきた」では、本当に肉まんを頬張っているように見えるリアリティ、腹に異常を感じながらも尚も肉まんを食べ続ける食い意地、服に手を突っ込んでドーンと突き出しエイリアンが腹を破る様を表現するときの大胆な動き、表情! 格好良かった、すごかった。面白かった、笑えた。

綺麗な人が顔を崩すことを厭わず、すごい表情や動きをしたりするってのは格好良いなぁ、美しいなぁ。大好きだ。

他にもオーケンはコーナーを用意していたそうなのだが、思わぬところ、どこかっつーとパンのくだりなのだが、そこで時間を使ってしまったため全部消化することはできず、また来てくださいねと挨拶をして楠野さんは退場。しばしの休憩を挟み第二部へ。休憩時間中は「どこへでも行ける切手」のハイライトシーン、おサル音頭の映像が流されていた。この隙に温くなったビールを飲み干して新しいビールを買いにドリンクカウンターへゴー。受け取った後段差に気付かずバランスを崩してちょっとビールを零してしまった。人にかけることはなかったが、右の袖を通ってビールが腕を伝っていき、自分の席に戻ってから腕まくりをしてハンカチで拭ったもののベトベトは残ったままで、自業自得ではあるもののこれはちょっと嫌だった。

第二部のゲストは末飛登さん。筋肉少女帯の元マネージャーで、ステーシーあたりの時代にオーケンと「T.P.M」という遊びのフォークバンドを組んだり、いくつかの曲にコーラスを入れたりしていた人だ。自分の中では末飛登さんと言うとまず思い浮かぶのは「お散歩モコちゃん」である。よって、末飛登さんが登場してからしばらく脳内BGMはお散歩モコちゃんだった。ラ〜ラララララララ〜♪

ということでT.P.Mで地方ライブをしていた頃の映像が流された。「長髪の頃の俺だ!」と昔の自分の映像を見て驚くオーケンが面白い。おっかけてきたファンの女の子達がしょっちゅう画面に映り、彼女達を見てオーケンが「知ってる人だ!」と懐かしそうにしていた。

そして盛り上がったのが妊娠、出産の話である。二ヶ月ほど前に末飛登さんは娘さんが生まれたそうで、そのことに対しオーケンがひどく関心を抱いていた。妊娠すると奥さんはどうなるの? 酸っぱいものや壁土が食べたくなるって本当? マタニティブルーってあった? 子供が生まれると変わる? などなど。オーケンは結婚はしたいとは思わないが子供は欲しいと思うそうで、散々質問した挙句末飛登さんに婚活をしたらどうかと勧められたら困ったような顔をして話題を変えてしまった。そうそう、それで末飛登さんに携帯電話で娘さんの写真を見せてもらったときだ。「あの」ボースカの声になって、「いやーんかわいー、パパでしゅよー」なることを呟いていて末飛登さんに突っ込まれていた。「パパでしゅよ」はだめだよな、そりゃ。わはは。

この後だろうか? 公開ギター練習へ。練習してるけどなかなか上手くならない、ギターを始めてからいかに橘高さんと本城さんがすごいかわかったとオーケンは語った。それで何だっけ。家で練習したときはもっと上手く弾けたのに! なることを言ったら橘高さんに怒られたそうだ。橘高さんがプロデュースしている若いバンドの子も似たようなことを言って怒られたらしい。オーケン……。

曲目は「あのさぁ」「オンリー・ユー」「猫見に行ったら犬がいた」「テレパシー」「Guru」…の他にもあったな、確か。順番もぐちゃぐちゃである。ただ、やたらテンポが速かったり、途中で立ち止まったりはしたものの、結構様になってたよ! すごいよ! 前に見たときよりも上達してるって! などとネットに書くとどんどん話が大きくなってハードルが上がるから困るそうだ。でもなー。本当、弾き語りライブも夢じゃないと思うなー。飽きなければ。

ってな感じで盛りだくさんののほほん学校は終了。最後の方でオーケンより「皆さん連休を持て余してください」なるありがたいお言葉をいただいてロフトプラスワンを後にした。終演後にかかった最初のBGMは「アウェー イン ザ ライフ」。もちろん最後まで聴いてから外に出た。

明後日のレピッシュとの対バンライブも楽しみだ。こんな近くに楽しみが集中しているなんて贅沢だなぁ。


2010年5月3日 (月) 緑茶カウント:3杯



模写である。実在の人物を描くのは勉強になる。じゃ、どうせ描くなら好きな人物にしようってことで筋肉少女帯の大槻ケンヂ氏を。アップこそしなかったものの、オーケンは今までも結構描いてきた。特にモヒカン時代はお世話になったものだ。頭の形が綺麗だから頭部を描く良い練習になるんだ。生憎衣装はだぼーっとしているので体を描く練習にはならなかったが。

よくある話で女の子ばっか描いてきたために男を描くのが苦手である。じゃあ女の子なら得意かっつえばそうでもなく、男よりはマシかなって程度で、まぁそれでもどっちみち、ってあまり続けると悲しくなるのでここらで止めて、つーことで最近はちょこちょこと成人男性を描く練習をしている。なかなか面白い。

人間を描けるようになりたいなー。


2010年5月4日 (火) 緑茶カウント:2杯



ライブが終わってからの数時間が好きだ。心地よい疲れに僅かなアルコールが体にしみて、心はふわふわとライブハウスの世界を引きずっている。現実と非現実の境をたゆたうような気持ちよさ。あぁ、幸せだなぁ。

本日観てきたライブはレピッシュと筋少の対バンライブ、正式名称「MUSUIC DAY 2010  SATURDAY NIGHT R&R SHOW 2010〜SPECIAL Vol.2  supported by ぴあ LA-PPISCH / 筋肉少女帯」である。長いな。

筋少と別のバンドが対バンするライブを観るのは初めてだ。いつも筋少のワンマンばっかり観てるからなぁ。対バンだとどんな違いがあるのだろう。やっぱりセットリストは定番曲で行くのかな。レピッシュはどんな曲をやるんだろうなぁ、「レピッシュ」「make」「フラワー」しか聴いてないけど大丈夫だろうか。「COMPLEX」や「ガンジー」「三本辻の少女たち」やらんかな。サイクリングは絶対にやるよなー! 水戸さんゲストで来てくれないかなー。などなどなど考えつつ、思いっきり大胆に阿呆のように道に迷って後、SHIBUYA-AXに到着した。

いや…タカをくくって地図を持たずに来た自分が悪いんだが…。それでも開場一時間十五分前に到着したんだが…。準備が良いのか悪いのかさっぱりわからん。しかもだ。一度C.C.Lemonホール近くまで来た後、ぐねぐね歩いて東急ハンズまで戻り、携帯電話で地図を検索して思いっきり大回りをしてまたC.C.Lemonホールまで歩き、やっと目的地であるSHIBUYA-AXに辿り着いた。自分は頭が悪いのだと思う。

さて、先日ののほほん学校とブログで「早めに来てね」とオーケンが言っていたが何かあるのだろうか、ってだから開場の一時間十五分も前に来たってわけじゃないのだが、結果道の途中で試供品のポテトチップスをもらうことができた。わーい。

特にこれといったサプライズなどは無かったので、多分あれは筋少が先に出ることを言いたかったのだろう、と今になって思う。今回チケットの整理番号は三百番代後半。自分の基準ではかなり良い方だ。これは良いところで観られそうだなとわくわくしつつ、コーラを飲んだりそこらをぶらぶら歩いたりして時間を潰した。

そして筋少では内田さん、レピッシュではMAGUMIさんの正面前から三列目あたりの位置をとることができ、楽しくライブは終了した。……あー楽しかったー!!

やっぱりサイクリングやったー! アンコールでゲストに水戸さん来たー!
平成二十二年にまさかのポコチンロック! 話だけは聴いたことがあったがまさかこの目で見られるとは!
MAGUMIさんすげー! 四十六歳とは思えない動き! ジャンプ! 上半身裸! まさかの客席ダイブ! 初めてダイブ見た! しかもこの手で運んだー!!
つーか歌うたってトランペット吹くってすげぇ! 肺活量すげぇ!
マジック・ブルー・ケイスにCOMPLEXににハーメルンにプレゼント! 嬉しいなー!
橘高さんのピックシャワー、おいちゃんのペットボトルシャワー、MAGUMIさんのダイブを一度のライブで! ピックは取れなかったものの見るだけでも楽しかった!
「第二富士ホテル〜♪」聴けたーー!!

とりあえず一番叫びたいところを叫んで満足した。さ、冷静に書くか。

セットリストはおぼろげだ。今回はあまり自信が無い。レピッシュを観ている間に忘れてしまったのだ。


イワンのばか

日本印度化計画
ロシアンルーレット・マイライフ
人間嫌いの歌

新人バンドのテーマ
元祖高木ブー伝説
アウェー イン ザ ライフ

踊るダメ人間
釈迦


レピッシュの方は知らない曲が半分くらいあったから、知ってる曲だけ順不同に。


COMPLEX
パヤパヤ
マジック・ブルー・ケイス
美代ちゃんの×××
ハーメルン
プレゼント


そしてアンコールではゲストに水戸さんを迎えてサイクリング! 十九時開演で終了は二十一時四十分頃。二時間半近くやったかな。

入場してから開演を待つまでの時間をどう過ごすかがいつも問題になるのだが、今回は近くにいた集団が二階席のファンキーさんに手を振ったりしていて面白かったので退屈せずにすんだ。そうかそうか、ファンキーさんも観に来てたのか。

照明が落ちると膨らむ期待感、それを叶えられる歓喜の心。メンバーがステージに現れ送られる声援! 一曲目はいきなりイワンのばか! うっわ最初から飛ばす気かー!?

と思ったら一曲目のイワン終了後いきなりMCが長々と。これが長かった! 十分以上喋ってたのではなかろうか。だが今回のMCはレピッシュと筋少の関係やポコチンロックの名前の由来、バンドブームにあったことなどを面白おかしく説明するという、当時を知らない若者や、片方のバンドだけ知っている人間に対して大変親切なMCだった。

「ゴールデンウィークにこんなところ来ちゃって! 今日以外の連休を持て余してるんでしょ?」「どう道を間違えたのか若い人もこんなところに…」と言って若者に向けたコールをし、コールが返って来た直後「年寄りは返事するなーー!!」と絶叫して笑いをとったり、ここらへんが最初のMCだったかな。

普段の筋少よりも曲と曲の間にちょっとしたMCがちょこちょこ入ったのはレピッシュファンに曲の説明をするためだろう。「良かったら一緒に盛り上がってくださいね」というオーケンのスタンスの表れだと思う。

レピッシュと筋少の関係は似たような時期にデビューして、何かのフェスで一緒になり、レピッシュは移動のバスでずっと「第二富士ホテル〜♪」と歌って盛り上がっていて筋少側はげんなりしていたが、レピッシュと言えば「第二富士ホテル〜♪」というほど印象に残っていた、しかし後に内田さんが恭一さんと一緒にバンドをやったときにその話をしたら「覚えとらん」と言われてショックだった、という話である。

ポコチンロックは、バンドブームの時代にやたらと「何とかロック」とカテゴライズすることが流行り、それに反発して「俺たちはポコチンロックだ!」と二人のキチガイ(レピッシュのMAGUMIさんとアンジーの水戸さん)が言い出して、それに筋少のキチガイ(オーケン)が乗っかったものであるそうだ。そしてポコチンロックのテーマなるものが手拍子つきであるのだが、オーケンが手拍子をしたことで当時を知っていた観客による手拍子が広がり始めてそのテーマ曲が歌われそうになると、「やめろー! 大人なんだから!」と必死な顔をして止めだした。笑った。

定番の日本印度化計画で盛り上げ、新たな定番曲であるロシアンルーレット・マイライフで。この曲の終わりの方でオーケンが入るところを間違えて「いっくよー!」と言ってしまったのだが、ここがすごかった。何がすごいってオーケンが間違えてもメンバーは全く動じてないのである。特に内田さんの平静さったら無かった。目の前で見てたから尚更印象深かった。「えっ?」と反射的に振り向くことすらしない。すげぇな。これくらいはアクシデントのうちに入らないのか。「いっくよー!」の掛け声に客席も含めて誰もついてこないって。すごいものを見た。

ロシアンのアウトロに入る前、オーケンが退場するふりをして、エディがライライ歌いだすと戻ってくるって構図はお決まりのようだ。そうそう、エディと言えばだ。あのポコチンロックの説明はポコチンロックを知らないエディに向けてしたもので、その会話を客席に見せるという形だったのだが、その時のエディのリアクションがいちいちオーバーで面白かった。ところで全く関係ないが、いったい何回ポコチンって打ってるんだよ今日の自分は。今日だけで今までの人生で使用した回数を突破したんじゃなかろうか。

そのうえさらにまだ打つぞ。ロシアンのお次は人間嫌い。ロシアンの後に曲をやるってのは珍しいなぁ、と思いつつン、タン、ンタタンと手拍子をしていると、一人オーケンだけ手拍子ができていない。タイミングがわからなくなったのか内田さんにやり方を聞いている。手拍子をしつつ様子を眺めているとオーケンが手拍子を再開した。しかし、おや、何かリズムが違うぞ。これは……ポコチンロックのテーマの手拍子だー!

さっきやめろと言ったばかりのくせに!

ポコチンロックのテーマを客に歌わせようとするオーケン。だが自分の周りでは照れていたのか、恥ずかしいのか、あまり声に出している人はいなかった。後ろの方はどうだったろう。

MCに入り、筋少が一度活動休止をした旨をレピッシュファンに説明し、「三分ほどの歌にまとめました」と前置きをして新人バンドのテーマへ。「新曲なんか聴きたくない〜♪ 昔の曲をやってくれ〜♪」と「パパ、ママどこ行くの〜♪ うそ、やだ、若くない〜♪」のところでドッと笑いが起きてた。何となく自分のことのように嬉しい。

年齢の話では、オーケンがアラフィフをオーバーフィフティと言い間違えたり、この中では若い方と言ったらあまり変わらないと内田さんに突っ込まれ、学年が違う、学年が違うことは重要だ、と力説していた。あと何か高城剛がキモいとかキモくないとか、話のネタはわからないが、若い女の子と結婚したんだか手を出したんだか、その系統のネタだったように思う。そして「キモいキモい言うアラフィフって」と自虐に走り、客席を煽ったりしていた。

高木ブー伝説は久しぶりに聴いたなー。聞き飽きた気もしていたが、改めてじっくり聴くと間奏が格好良くて好きだ。アウェー イン ザ ライフもだんだんノリ方がわかってきた。インザライフ!!

踊るダメ人間前にダメジャンプの元ネタ、Xの話をし、ガーッと盛り上がってそのまま釈迦へ。定番で固めたセットリストは久しぶりだったが、これはこれでなかなか。曲数は少ないながらもアコースティックも混ぜてきて、構成自体はいつもと変わらない。人間嫌いあたりで楽器を持ってない内田さんがオーケンにいじられてたっけ、そう言えば。

ところで今日の筋少は最前付近にも関わらずいつもより押しが少なく、苦しさを感じない程度に余裕があった。ふむ、対バンだからいつもとノリが違うのかな。ところがだ。

筋少が終了しレピッシュの始まりを待つ間、だんだんと人が前へ前へとつめてきた。あぁ、レピッシュファンが前の方に来たのだなと一人納得していたが、始まった途端すっげぇ押し! いつもの最前付近での雰囲気がいきなり再現され、うわああああああああああ!! 盛り上がりがすげええええ!!

そういや筋少のコーラス部分を合唱する人が自分の周りは少なかったような気がする。しゃららしゃかしゃかー、とか。つまりだ。位置的にややアウェーだったらしいのである。なるほど。

知ってる曲と知らない曲が半々くらいだが、今までのライブで見たことのない楽器、トランペットが演奏されるだけで何やら物珍しく、楽しい気分になれた。そして知ってる曲が間にやってくるとテンションが上がるわけだ! COMPLEXが聴けて嬉しいなー! コンプレックス! コンプレックス! コンプレックスまーみーれーっ!! 拳を振り上げてコーラス部分を合唱できた! 楽しい!

筋少はちょくちょくMCを挟んでいたのに比べ、レピッシュはMCが少なく、激しい曲を続けて演奏するので体感的によりハードに感じられた。また客の盛り上がりがすごい! MAGUMIさんがダイブしてからさらにヒートアップした印象を受ける。そりゃあボーカルがダイブして盛り上がらないわけがないからな! いやー負けないようにするのが大変だった。

MCでは「筋少の後だと普段着に見える」、アンプを指差して「うちのあのちっこいの…」と橘高さんの壁のようなマーシャルと比較して笑いをとって、恭一さんが「俺にとっては大きい方」と話したり、などがあった。普段着と言うか、筋少の後にレピッシュメンバーを見たとき自分は「まともな大人の格好だ…」と、つい、思った。つい。つい、な。

ハーメルン、プレゼントはしっとりと聴いた。この二曲は上田現トリビュートにも収録されている曲で、アルバムの中でも気に入っていただけに今回聴けて本当に嬉しかった。ハーメルンはオリジナルとBUCK-TICK版では歌詞が違うんだよな。子供達を連れて行こうとするMAGUMIさんの手つきが妖しかった。

レピッシュ退場後、アンコールの拍手が鳴り響き、歓声を受けて先にステージに現れたのはレピッシュ、そしてMAGUMIさんのコールにより筋少登場、そして! 前ふりに前ふりを重ねついに! ポコチンロックの一人、アンジーの水戸華之介の登場だー! やったー! 水戸さんだー!!

またオーケンがわざとらしく驚いて、「今までどこにいたんですか!」「ずっと話してたじゃない!」と漫才を繰り広げ、さっきMAGUMIさんがダイブした時、帰ってきたらMAGUMIさんじゃなくて水戸さんだった! なんてことになったら面白かったのにとオーケンが話して受けて、次にやるときはそうしよう、なーんて冗談が飛ばされていた。

この三組が揃って演奏されるのは言わずもがな、サイクリングである。MAGUMIさん曰く、アンコールらしい曲じゃないんだけどとのことだがそれも良し! 曲はレピッシュオリジナル版、ギターソロは橘高さん、って感じかな? オーケンと内田さんは下手の本城さん側に行き、水戸さんは目の前へ! 今日はいろいろな人を満遍なく見られて良いなぁ。

サイクリングの、曲が展開するにつれて、ドロドロというか、混ざっていくというか、混沌としていく怪しさが好きだ。おいちゃんと内田さんは楽器を持たずコーラスに専念。三人のボーカリストがマイクを握って熱唱しつつ歩き回る。迫力だ。

惜しむらくはもう一曲、せっかく水戸さんが来てくれたんだからアンコールでやって欲しかったなぁとも思うが、その「もう一口欲しい」と感じるところも含めて良いライブだったと思う。帰り道、レピッシュファンが高木ブー伝説を聴けて喜んでいる会話が聞こえて、これもまた対バンライブの楽しみの一つだな、なんてことを思ったりした。

そうだそうだ。CDの売れない時代だから、筋少ファンもレピッシュファンも互いのバンドのCDを買うようにしましょう、筋少ファンとレピッシュファンはCDの貸し借り禁止! とオーケンが話していた。ははは。いや、売れない云々は笑えないんだけどね。時代が変わったとはいえ寂しいものだなぁ。


2010年5月5日 (水) 緑茶カウント:4杯
朝ドラ「ゲゲゲの女房」を録画して再生して観ている。ゲゲゲの鬼太郎は大好きだが、ドラマの原作本は読んでいないため毎日何が起こるかドキドキだ。しかしこのドラマ、視聴者は水木しげるが成功することを知っているからこそ安心して見られるが、全く事前情報が無い状態で見たら布美枝は今後無事暮らしていけるのだろうかと朝から不安になりそうだ。

見始めた頃は浦木がねずみ男をモデルとした人物と知らなかったため、この野郎、何て厄介な奴なんだ、これ以上水木夫妻の邪魔をするのはよせ、と腹を立てたものだ。だが、ねずみ男だと思ってみれば………やはり厄介である。なるほど、あの姿形で漫画の中に出てくるキャラクターだからこそ許せるものもあるのだな。いや、そこまで浦木を憎んでいるわけではないぞ、一応な。

ドラマではまだまだ苦労が続きそうだが、最後はどのあたりで終わるのだろう。大丈夫だとわかっていつつも早く成功を掴んで幸せになってほしいものだ。頑張れー。


2010年5月6日 (木) 緑茶カウント:3杯



模写練習とその結果。こちらは平沢進著「SP-2」よりFiat嬢。どうでもいいがヒラサワ関連で最初に買ったのはこの本だ。CDでもなく。MP3でもなく。まぁ、その前にCDを何枚かレンタルしていたんだが、その後公式サイトのPhantom Notesと三行logを読んだら「うっわこの人の文章面白ぇー! もっと読みたい!」となり、購入に至ったわけだ。

タイトルのSP-2とは平沢進が「第二の女性」を意味するタイ語を略したもので、タイの性同一性障害者の、男性の肉体を持って生まれて女性の体に戻った人を指す。彼女達との長年に渡る交流を綴り、彼女達の写真を収めたフォトエッセイ集である。もともといくらか興味を持っている方面の内容だということもあり面白く読めた。

平沢進は彼女達が女性を超えた女性性を持っていることに魅力を感じている。生まれながらの女性には持ち得ない不自然なほどの女性らしさ。性別適合手術と美容整形による美しい容姿に、指の先まで意識された身のこなし、母を感じさせる慈悲の心、周囲の人々を安堵させる細やかな気遣いと優しさ。磨きぬかれた外見と内面こそがSP-2の美しさの所以である。

ただ、自分は本で描写されるSP-2の美しさに感嘆すると同時に切なさも感じた。彼女達が素晴らしく不自然なほどに女性らしく美しいのは、そう振舞わざるを得ない状況にいるからだとも思われるからである。例えば、生まれたときから女性であるなら、多少がさつであったり、品が無い挙動をとっても「男っぽい女」と認識されるだろう。しかし男性から女性に肉体を変えた場合、ちょっと男っぽい動作をとっただけで「やっぱり元が男だからね」と周囲の人間に上げ足をとられてしまうのだ。

彼女達の異常なまでの女性らしさは、そういった心無い人々の品定めの目つきを潜り抜け、きちんと女性であると周囲に認知させるため、つまりはそうしなければ認めてもらえない現状、というものもあるのでは、と思うとな。ちょっとしんみりするんだよ。いや、そういった経緯があるからこそ、生まれながらの女性には持ち得ない美しさを手に入れられる、とも考えられるんだけどね。

って模写の話をするはずだったのに随分横道にそれてしまった。前回のオーケン模写では線画レイヤー、色塗りレイヤー、ヒビレイヤーと三つに分けたが、今回は一枚のレイヤーで全ての作業を終える方法をとってみた。まず線画を描いて、必要なところだけ残しながら塗りつぶすように色を塗るのである。そうして出来上がったのがこれだ。感想としてはやはりこっちの方が手間がかかるというか、気を遣うので、レイヤー分けして線画もある程度残して、あっさり塗った方が楽そうだ。次はそうしよう。


2010年5月7日 (金) 緑茶カウント:4杯
いやあ、アルコールは怖いね。普段内に秘めているあれこれをどんどん暴露してしまうね。全くアルコールは恐ろしい。面白いけど恐ろしい。それでも尚、嫌いになれないってんだからむしろ意味がわからない。何故こうもビールは美味いのだって自分が普段呑むのは発泡酒だけど、ビール高いから。ビールは大概実家に帰ったときだなぁ。あとサークルメンバーで宅呑みするときはちょっと気張って買ってくかな。何にしろ、アルコールは恐ろしい。

真面目な話をするのは嫌いじゃないし、告白をするのもやぶさかではないが、どっか一部で茶化さないといてもたってもいられなくなるのにアルコールが入るとストレートにいっちまうから恐ろしい。ちくしょう。何てことだろう。だが、恥ずかしいと思うと同時に、言えて良かったとすっきりしている自分もいて、全くアルコールは恐ろしい恐ろしい恐ろしいので、しかし美味しいので国はどうにかしなくて良いので恐ろしい。ぐんない。


2010年5月8日 (土) 緑茶カウント:2杯
昨日の日記を読み返すと、まるで酔いに任せて愛の告白をかましたかのようだが、そうじゃないから。一応断っておくけどそうじゃないから。ただ己の心情を吐露しただけだから、と一応な。一応。念のため、書いておきますよってな。

文章のみの表現では、伝えたつもりが伝わっていなかったり、誤解を与えていたりすることが少なくない。面と向かっての会話中ならば表情や手振り、または話者の年齢、性別、職業、などが加味されることもあるだろう。そういったことをうっかり忘れ、まるで実際に対面して話しているかのように文章を打ち込むと誤解を招くこともある。だが、誤解を与えているなと気付きつつ、それを面白いと思えばあえて放置することもある。それもまた一つの楽しみ方だと考えているからだ。しかしつまんない、不都合だと感じればそりゃね、訂正もしくはお断りを入れるさ。で、今回は放置しない方向を選んだのさ。そのように誤解されるのは恥ずかしいからね。ははは。


2010年5月9日 (日) 緑茶カウント:3杯
せっかく良い天気だってのに家にこもりっぱなしじゃもったいない、ってんでちょっくら散歩に出かけるか、と歩き出したらちょっとじゃすまず、気付けば数駅先の見慣れた土手まで歩いていて、茂る草や飛ぶ虫などを眺めつつ、のんびりてくてく日の光を浴びて散歩を楽しんでいたらだんだん肌寒くなってきて、ここはどこだ。

土手に着いてからはひたすらまっすぐまっすぐまっすぐまっすぐ歩いていたので百八十度体を転換させれば帰宅することはできるはずだが、ここはどこだ。自分がどこにいるのかわからない。いったいどこまで歩いてきてしまったのだろうか。うーん、日が沈みきる前に現在地を把握したいなぁ。まだ半袖シャツ一枚で出かけるには早すぎたか。どこだここ。

少々の不安を抱きつつ、同時に見知らぬ土地を彷徨う楽しさも味わいながらさらに先へと突き進む。お、前方に見えるは線路に電車。ということは線路を辿れば駅に着けるということだ。しかし見慣れぬ電車だなぁ。本当に自分はどこに来てしまったのだろう。わからないながらも線路に沿っててくてく歩き、ようやく一つの駅に到着した。駅名を確認するも耳慣れない名前である。だが駅にさえ着ければこちらのもの。路線図から現在地と最寄り駅を探せばよろしいのだ。

なるほど、地元の駅へ行くには乗り換えを一度しなければならないのか。結構遠くまで歩いてきたんだなぁ。ふむ、バスも出ているようだ。バスなら直通で楽である。どうしようかなぁ。電車か、バスか、徒歩で帰宅か。そう、この時点でまだ徒歩という選択肢があったのだ。線路を見失わなければ何とかなるに違いないと確信しているからである。実際、何とかならずに道に迷ったことも何度かあったのだが、人間ポジティブであるべきだ。

まぁ帰りの手段の算段はついたし、ちょっくら駅の周辺を見て回るか。駅の位置さえ覚えていれば多少出歩いても問題なかろう。駅に隣接する商店街が何やら賑やかそうで気になるのだ。などと考えつつ駅から出ようとしたところ、見知らぬ土地の見知らぬ駅で唐突に己の名前を呼ばう声が聞こえた。

振り向くと。高校の美術部仲間であり、二年次のクラスメイトであり、卒業後一緒に美術グループ展を行った、しかし一年以上会ってなかった友人がそこにいた。驚きである。

何と友人はこの土地に住んでいたのだそうである。知らなかった。漠然と何市に住んでいることは把握していたが、最寄り駅までは知らなかったのだ。友人も驚いている。何故ここにいるのかと当然ながら尋ねられ、散歩してたら迷ってここに着いたと正直に答えると、歩きすぎだと笑われた。全くだ。

こんな偶然があるんだなぁ。再会を喜びつつ喫茶店に入り、コーヒーを飲みながら近況報告、思い出話、これからの話、趣味の話などをひたすらに語り合った。良いのか悪いのかわからないが、友人は高校の頃から何も変わっていなかった。きっと向こうも同じように思ったことだろう。似たような性質を持つ友人との会話は気楽で共感しやすく、楽しかった。

日もとっぷり暮れた頃、バスはこの駅から出ていると思ったがそうではなく、隣の駅から出ているとのことで友人にそこまで案内してもらい、その道すがら虫の声が聞こえ、夏を感じつつセミ捕りをしたいなぁなどとつぶやいたら「セミ捕りの何が面白いのかわからない」と真っ向から全否定されてショックを受けつつ大笑いした。お前、あれだけ、さっきまであれだけ話が合っていたのに、ここに来てセミで! セミで全否定! セミで!

曰く、トンボやバッタ、カブトムシを捕る楽しさはわかる、だがセミはうるさいだけじゃないかとのことだ。そうか、うるさいとだめなのか。そうなのか。バス乗り場に着き、再会を約束してセミ捕りの楽しさを共有できなかった友人と別れた。いつか付き合わせてやりたい。


2010年5月10日 (月) 緑茶カウント:4杯
そういえば、駅で久しぶりの友人と偶然の再会を果たしたわけだが、友人が自分を発見したきっかけは背格好でも服装でもなく歩き方だったという。「何かウヲっぽい歩き方の奴がいるな」と思って目で追っていたら本人だったそうだ。あまり意識したことはなかったが、歩き方にも個性は出るものなのだなぁ。単に変な歩き方をしてるだけだったりして。そうじゃありませんように。


2010年5月11日 (火) 緑茶カウント:4杯
ライブによく行くようになったのは去年からだ。それまでは年に一回か二回行けば充分だと思っていたのだが、去年から唐突にはまった。同時に筋少と音楽への熱も上昇して来たように思う。さらに他のバンドへの興味も拡大してきた。すると去年行ったライブ数は五月の筋少インストアイベントから数えてトークイベントも含めると十一個、そして今年は五月の時点で七つ、現時点でとってあるチケットは四枚。………。

何故、こんなことに…。


2010年5月12日 (水) 緑茶カウント:4杯
友人を尊敬した。今は五月である。

一斉送信でメールを送ってきたのだ。送信先は自分を含めたサークルメンバーだ。内容はケーキバイキングに行った話だ。別口の友人に誘われて行ったが、友人を誘った人物に「本当は甘いもの好きじゃないんでしょ?」と聞かれ、格好つけて肯定してしまったが、実は甘いものは大好きですと懺悔するというものだ。今は五月である。

友人を尊敬した。話はまだ続く。「でも正直そこまで甘党でもない、だけど二月はチョコ大好きになります。よろしくお願いします」、と。今は五月である。今は五月である。

友人を尊敬した。

バレンタインにチョコをもらうためには、今から活動しなければならないのか! そこまでしてチョコが欲しいのか! その心意気や、良し!

しかし送信先一覧を見る限りほっとんどが男なんだが。友人よ、それで良いのか。友人よ。


2010年5月13日 (木) 緑茶カウント:4杯
カラオケというと自分にとっては一人で行くのが基本である。皆で行くこともあるが一人で行くことも同じくらいあり、一人で行く方が心行くまで好きな歌を歌うことができるのでカラオケ即ちヒトカラなのだ。好きだけど歌いにくい歌も自由に歌えるし、選曲に気を遣うこともないし、同じ曲を再び歌い直しても良い。何をしても自由だ。楽である。

ただヒトカラにも難点があって、別に受付で一人であることを告白することに恥ずかしさを感じるほどナイーブでもないのだが、一人で行くと集団で行くときよりも悪い部屋に通される確率が高いんだよな。リモコンが一つしかなかったり、たった一つのリモコンの充電が切れてたり、マイクの具合が悪かったりと準備の整ってない部屋に通されることが多々あるのである。そりゃあ一人で一部屋使われるよりも大人数で一部屋使ってもらった方が商売になるだろう。気持ちもわかる。しかし悲しい。

ところで平沢進の「救済の技法」を歌ってきたのだがあえなく撃沈した。己には救済できなかった。誰も救えやしなかった。何て無力な人間なんだ! と哀れな自分に酔って就寝。おやすみなさい。


2010年5月14日 (金) 緑茶カウント:1杯
唐突に、だが。ここでこの場所で書いている日記を同人誌という形態にして、販売方法も決まっていないが、本という形にすることに決めた。唐突である。

今まで同人誌というものを作ったことがない。文章を組み立てるソフトはWordで良いのかそうでないのか、それすらもわからない。販売方法も決定していない。自分は表に姿を見せたくないし住所も公開したくない。しかしそれでも手はあるという。教えていただいた。では、需要はあるか? ほとんど無いと思う。

無いと思うが、ここで書いてきたものが、本という形にすると何ページになるのか、といった興味はある。形にして見てみたいとの思いはある。どうせ趣味だ。やってやろうじゃないか。

いったいいつ頃の日記から使うか。写真、イラストを添えたものはどのように扱うか。何も考えていない。だがやってやろうじゃないか。面白そうじゃないか。コピー本にするかオフセットにするかも何も決めていない、わからないが、利益が目的でないなら可能だろう。試してみよう。せっかくの人生だ。試したいなら実行しなけりゃ損じゃないか。

ってなわけでやってみる。やると決めた。不言実行はできないが有限実行だ。やってやるからなこの野郎。


2010年5月15日 (土) 緑茶カウント:3杯
やるのかよ本当に、と、手前で書いた日記を読み返して思う翌朝。ふむ、やるのか。やるってんならやるしかないな。やるのかー。

やるならなー。やるならどうすっかー、と思考の合間に思い出してはぽこぽこと思い巡らし、大まかな構成と販売手段は考えついた。あれをあーしてこうすりゃ何とかなりそうだ。あとは同人誌の形式だなぁ。紙の大きさ、文字の大きさ、行数なども決めねばならぬ。むしろこれを決められなければ先へは進めないだろう。

いただいたアドバイスを元にあれこれ調べてみっか。やってやるぜ。


2010年5月16日 (日) 緑茶カウント:3杯



アコースティックライブに行くのは生まれて初めてだ。いつもオールスタンディングなので座って聞くのも生まれて初めてだ。アコースティックと聞いてイメージするのはしっとりとした空間で奏でられる静かな音楽だが、さて、どうだろうか。そんなわけで本日は水戸華之介のアコースティックライブ、「ウタノコリ〜黄金の日々 一年半ぶりに贈る珠玉のアコースティックライブ」に行ってきた。

場所は代官山の「晴れたら空に豆まいて」。地図を印刷するためにライブハウスのサイトを検索したのだが、これが面白い。温かみをコンセプトにしたライブハウスと言えばいいだろうか。壁は土壁、畳と板張りの桟敷席があり、豆を重要視するとのこと。内装はまるでお洒落な喫茶店、もしくはレストランのようだ。そもそもアコースティックライブで使われるような座席のあるライブハウスに行ったことがないのもあるが、ライブそのものだけでなく、いつもと違う知らない空間に行く楽しみもできてより今日のこの日が待ち遠しくなった。

地図を見る。簡単に到着することができそうだが、念のため余裕を持って早めに家を出たところ、道に迷うことなく無事辿りつくことができ、入り口からリハーサルの音が聞こえてきて思わず覗き見をしたような、フライングをしたような気持ちになる。別に悪いことをしたわけじゃないとわかっちゃいるんだがドキドキするね。さらに入り口付近で開場時間を待っていたら入り口から出てきた水戸さんがさーっと横を通り過ぎて行ったのだから、ははは。心臓に悪いよ。

このライブに行くと決めたのはわりと最近のことなのであまり番号はよろしくない。うーむ、どのあたりに座れるかなぁとやや心配していたが、ちょいと前の方にちょうどよく見やすそうな場所が一つ空いていたのでこれは嬉しいと腰を下ろした。一人で行くと身軽で良いね。

ドリンクチケットはおはじきである。ライブハウスによってドリンクチケットに違いがあるのも面白い。バッジだったりコインだったり。こういうところにもそれぞれの特徴が表れてくるのだなぁ、としみじみしつつさっさとビールに取り替えて開演を待った。空きっ腹にビールは効くなー。ちょうど良い具合に酔ってきたぞ。しかしジョッキ重いなー。

空になったジョッキをドリンクカウンターに戻し、携帯電話の電源を切ってじわじわと開演を待つ。開場から開演まで、同じ一時間だとしてもやっぱ座って待てるとそれだけで楽だよなー。飲み物を飲みながら待てるってのもあるが、オールスタンディングほど待つのが苦にならなかった。お、ついに開演だ。

照明が落とされて登場するは藤原マヒト、澄田健、水戸華之介の三人だ! 待ってましたとばかりに始まるは「世界が待っている」! 大好きだ!

以下、セットリストとは言い難い曖昧な曲目である。


世界が待っている
愛に愛はあるのかい?
唇にメロディ、心に牙を
カナリア
犬と夕暮れ
地図
生きてるうちが花なのよ
かざぐるま
ジョンのうた
おやすみ
誰だ
(「わよ」と連呼する曲)
(ふたりで?)
天井裏から愛をこめて
(数年経ってから拾い上げた曲?)

〜アンコール〜
情熱の薔薇

蝿の王様
センチメンタル・ストリート
しあわせになれ

マグマの人よ


「天井裏から愛をこめて」までは曲名はともかくとして順番はだいたい合っていると思うが、そっから後は……ごちゃごちゃだ…。本編ラストが未聴の曲、アンコールは三回、ラスト二曲は間違いないはず。ただし最初のアンコールと二番目のアンコールの曲数は覚えておらず、もしかしたら一曲抜けているかもしれない気もする。うーん…無念。

数々の曲の中ですごいなと印象に残る歌詞ってのはいくつかあり、その「すごい」と思う理由もそれぞれ違うが、「世界が待っている」の「長い飛行機雲だな 未練がましくて スッとしないから好きじゃないな」には感性の部分にハッとさせられた。「あ! 飛行機雲だ!」と笑顔で空を見上げる人は今までも数限りなく見聞きしてきた。どちらかというとラッキーなものとして認識されていると思う。嫌なものと捉える人の話は聞いたことがない。あれに未練たらしさを感じ取る水戸さんの感性に驚嘆するとともに、目に浮かんだのは青空を分断する一筋の飛行機雲を眺めて眉を顰める男の顔だ。

「世界が待っている」「地図」「誰だ」「天井裏から愛をこめて」「蝿の王様」「マグマの人よ」が特に聴けて嬉しかった曲だが、今回特筆すべきは「ジョンのうた」だろう。ジョンのうた。あのさ、今までライブで涙目になったことはあるけれど、涙が流れたことは無かったぞ。ボロボロとまではいかないもののたらたら涙が垂れてきて鼻もぐずつき、もうちょっと勢いがついたらまさに泣いている状態そのものである。これは来た。

歌詞内容は男の子が母親と家を出て行くことになったが、飼い犬を連れて行くことはできず、飲んだくれの父親のもとに置いていかなければならなくなって………ってこんな文章読むよりもさっさと本物を聴くべきだ。悲しい歌だよ。胸に迫るよ。思い出すとため息が出る。歌ってすごいや。

「かざぐるま」「ジョンのうた」「おやすみ」としんみりした曲が続き、ぐっと盛り下がる観客、そして盛り下げた水戸さん。次はファンキーな曲で盛り上げていくつもりなだけのこのままでは何なので、ってことで面白いMCで笑わせてくれた。しかしここで話されたMCがどの内容だったかは忘れてしまったぜ! 澄田さんのお父さんが夏休みの工作を手伝ってくれたは良いが、作ってくれたのは三度笠と草鞋だった話か、同じく澄田さんがホテルでTシャツ一丁の状態でトイレに行こうとしたらドアーがオートロックで部屋から閉め出された話か、最近の子が曲中で褒め合いをしていて理解ができないという話か、どれだったかなぁ。

そしてファンキーな曲とは何かと言えば…「誰だ」が来た! いよっしゃーこれ大好きだ! そうかこれがファンキーな曲なのか! 未だにファンキーってのがどういうものなのかよくわかってないためにここで勝手に納得した! ちなみに自慢するこっちゃないが、何を持ってバラードと言うかってこともよくわかっていない。あれやそれがバラードらしいってことは何となくわかるんだが、わかるんだがな。

次の曲がまた面白かったなぁ。掛け合いがたっぷりで、「はりつめたー弓のー」と水戸さんがうろ覚えなもののけ姫っぽいものを歌い、マイクを観客に向けて歌わせた直後、「知らないのに歌うんじゃない!」って内容のことを言って笑いが起きたり、そしてあれだ。何と言ってもウルトラソウルだ。

「わよー!」「わよー!」と連呼する中で、「ウルトラソウルッハイッ!!」てのを混ぜてくるのだ。言わずもがな、B'zの「ultra soul」における有名な一節である。あれを掛け合いの中に混ぜてきて、しかも水戸さんによる「ウルトラソウルッハイッ!」の言い方のご指南もあった。よく知らない人は「ウルトラソウルッ」で拳を振り上げてしまうけど、一拍置いて「ウルトラソウルッハイッ!」で拳を振り上げるのが正しいそうだ。これを知らないとカラオケで一人先走って拳を振り上げて恥をかくはめになってしまうと言う。なるほど、良い勉強になった。

盛り上げ曲はまだまだ続く。今度の曲では水戸さんがステージから下りてきて観客をいじりまくっていておかしかった。歌いながら握手をしたり、一人の女性の手をとって頬に添えたり、客の眼鏡を抜き取って自分の眼鏡の上に重ねてダブル眼鏡にしてみたり、サービス満点である。いじられて嬉しそうな恥ずかしそうな、それていてちょっと困ったような顔をしてはにかむお客の様子も面白かった。

中でも一人、一番後ろに座っていたアフロっぽい髪型の男性は二度もいじられていて面白いやらおかしいやら。ステージを下りて一直線に男性のもとへと早足で歩いていく水戸さん、男性の髪をもしゃもしゃしたり、肩を抱いているのか抱え込んでいるのか格闘しているのかよくわからないものの、何となく男性が抵抗しているらしいことが伺えたり、さらにステージに戻ってからももう一度水戸さんはその男性のもとへ一直線、ついに男性も立ち上がりその場で一緒に踊らされていた。わははははは。すげぇー。

悲しみを吹き飛ばして沸き立つ観客は「あの」イントロのもとさらに沸騰する。「天井裏から愛をこめて」! 流れとしてはラブソング続きといったところだが、このラブソングは怖いよな! 「大好き大好き!」のコールがぴったりはまっていて感動した。「かび臭いのも素敵なものさ」の部分を歌う水戸さんがやけに格好良かったのが印象に残っている。爆発を前にして溜めに溜めている緊張感と怪しい声の響きのせいか。

本編ラストは未聴の曲で、タイトルを耳にしたはずだが忘れてしまったのが残念だ。「風」という単語が入っていた気がするのだが…。どうだったかなぁ。

アンコールの手拍子が鳴り響き、メンバーはすぐにステージに戻ってきてくれた。こっからなー。記憶が定かじゃないんだが、「情熱の薔薇」はブルーハーツのトリビュートに参加して、頑張って覚えたからせっかくだから歌う、ってことだったかな。笑えるのが、同じレーベル繋がりで参加することになったのに、録音した曲はそのレーベルをブルーハーツが出て行った後の曲だったことに録音した後に気付いたという話だ。わはははは。いい加減だなぁ。

ブルーハーツはテレビなどで耳にする程度でしか聴いたことがなく、「情熱の薔薇」も全く知らない曲だったが、特に違和感は抱かなかった。

「蝿の王様」も楽しかったなぁ! 「銭ゲバ! 銭ゲバ!」なんて実生活じゃまず使わない言葉だから、こういう場所で口に出すと新鮮だ。「ばいばい、落ちこぼれ」で手を振るふりがあったので真似してやってみた。ここだけじゃなく、ほとんどの振りは周囲の人の動きを参考にしながらやっていた。つっても夢中になりすぎて手拍子が止まったりもしていたけどね。手拍子することを忘れるほど引き込まれるってのはあるものだ。単にリズム感が無いために手拍子をうまく保持できないだけかもわからないが。うん、テンポによっては難しくて苦労するんだよな。うん。

「蝿の王様」には「ボランティアじゃねーぞ!」という歌詞があるのだが、ここで水戸さん、「ボランティアじゃないしぃ〜」と女子高校生のような口調で一度つぶやいた。そのおかしさに笑いが起こる。が、もう一度、今度はふざけた調子を取っ払って「ボランティアじゃねーぞ!!」と一喝!! 直前とのギャップもあいまってものすごく格好良かった!

「センチメンタル・ストリート」を聴きながら、まだ一部のアルバムしか手にしてないが、水戸さんの歌詞には地図や未来図といった言葉がよく出てくるな、と思った。この曲の入っているアルバムも手に入れたいなぁ。気に入ったというか気になったというか。もう一度じっくり聴き直したい。

最後、水戸さんから「しあわせになれ」というメッセージをたっぷり受け取って、多幸感に包まれながらライブは終わった。だが手拍子は終わらない。客席を立つ者も現れない。無論自分もそのうちの一人である。追い出し曲が流れる中でだんだんとテンポが加速する手拍子を打ちながら、………やったー来てくれたー!

トリプルアンコール!! 嬉しい!

水戸さんはハンチングを脱いで手拭を頭にかぶった姿で登場。マイクを握り、「しあわせになれ」を一部歌った後、始まったのは「マグマの人よ」! あー…。ぐっとくるなぁー…。

「青空を見ようじゃないか」で手のひらをライブハウスの光に向ける。最後にこの曲が聴けるとは。歌を聴いて、言葉が耳から体内に浸透して、勇気が湧いてくる。明日も頑張ろうと前を見据える力が湧く。

アコースティックと聞いてイメージしたしっとりとした空間もそこにはあった。だが、美しく迫力あるグランドピアノ、どこか瑞々しさを感じるアコースティックギター、力漲る歌声とパフォーマンス、手拍子に掛け合いと、空間を支配していたのは力強い熱気だった。あぁ、アコースティックでもエレキでも、ロックはロックなのだなぁと、夢中になりながら、頭の片隅でふと思ったりした。

せっかくだ、何かCDを買っていこうと思い、物販に並んでいると出入り口付近の小さなスペースにふっと水戸さんが現れて、サインと握手をしてくれることになって驚いた。いや、前にもあったし今回もあるかなとは思ったが、告知も何も無かったから驚いたよ! 驚いたおかげであわあわ慌ててろくろく言いたいことも言えなかったが、嬉しかった。また大事なものが一つ増えたぞ。


2010年5月17日 (月) 緑茶カウント:0杯
火傷らしい火傷をしたことがないことを密かに誇りに思っていたのだが、ついうっかり熱したフライパンの金属部分に左の薬指が触れ、瞬間「あ、やばい」と思うほどの熱さと痛さがズキンとやってきた。すぐさま流水に浸し、五時間経った今も保冷財で冷やしているがちょっと冷やすのを止めるとズキズキと痛む。見た目に変化は無いのでそこまで深くは無さそうだが保冷財は手放せない状態だ。困った。

何が困るって、左の薬指を火傷したら指環をはめるのに支障が生じ、仕方なく指環をはずしているところを恋人に見られ誤解を受け、あわや破局寸前にってそんな程度で破局の危機を迎えるような奴らは別れてしまえ、そうしてもう一度時間を置いて反省をしたうえで新たに関係を修復するのだ。雨降って地固まる。こうして人間的成長を遂げた二人は愛を育みとかじゃなくて、保冷財を当ててるってことは実質左手が使えないということで、自分はしばし食卓に並べた白米、味噌汁、秋刀魚の塩焼きを眺めて固まった。

汁物の飲み方がわからない。

食事を始める際にはまず汁物に口をつけ、それから固形物の摂取にとりかかる。だが、右手に箸を持った状態でどのように御椀を持ち上げればよろしいか。この難問を前に自分はしばらく起動停止、フリーズし、保冷財と箸を上げ下げしながら途方にくれた。傍から見ればこいつはいったい何をやっているのだと思われる所作に違いないが、事実その通りでこいつは何をやっているのだ、と我ながら思うしかない。秋刀魚が湯気を立てている。

そういえば水木しげるは左腕が無いから右腕のみで食事をするのだな、と朝ドラの食事シーンを回想した。あぁ、思い出した。子供の頃、ゲゲゲの鬼太郎が大好きだったものの、当初は水木しげるが戦争で片腕を失くしたことを知らなくて、何かをきっかけにそれを知ったとき、へー水木しげるは左腕が無いのかー、と何も考えずに漫画の中の水木しげるのように、左袖が空っぽになるように腕を服の中に引っ込めて、にこにこと水木しげるの真似だと言って母親に見せたらえらい怒られたなんてことがあったなぁ。悪気は全く無かったんだが。

一旦箸を手放して右手で椀を持ち上げて汁をすすり、その後椀を置いてから箸を持ち直して具をつまめばよろしいと気付いたのはその後のことである。ごちそうさまでした。


2010年5月18日 (火) 緑茶カウント:6杯
寝る前には痛みは引き、朝目覚めた頃には治っていた。しつこく冷やし続けたおかげである。深い火傷でなくて良かった。

朝。駅の階段に向かって歩いていくと、子供を背負い、ベビーカーを押した若い女性が上り階段の前にいた。ベビーカーの中にも子供は座っている。あぁ、こりゃ大変そうだ、手伝った方が良いかなと声をかけようとしたそのとき、母親は子供を片腕で抱くと空いた方の手で手早くベビーカーを畳み、さっさと階段を上っていってしまった。

その手際の良さと軽々とした歩き方に呆気にとられ立ちすくむ。母親の姿はU字になった階段を曲がっていったためもう見えない。あぁ、流石だなぁ。この程度のことは慣れたものなのか。強いものだなぁ。

しみじみと感じ入りながら歩行を再開し、同じようにU字になった階段を曲がると、そこにはベビーカーを持ってにこにこ微笑むおばさんと、子供を両腕で抱きながらぺこぺこと頭を下げる先程の母親が二人並んで階段を上っていた。

あぁ、これだから自分はだめなのか、と思った。


2010年5月19日 (水) 緑茶カウント:2杯
四、五年になるかな。UNOのスーパーハードワックス、あの丸くて平たい黒い缶で、蓋に白文字でUNOと書いてるやつな、そいつを愛用しているのだが、ある人に同じUNO製品のFOG BARなるものを勧められ、試しに使ってみることにしていた。

みることにしていた、と過去形なのは今は使っていないからだ。FOG BARとは固めずまとめることを売りにした霧状の整髪剤で、形を作った後も手櫛などでまた形を変えることができるというものだ。こいつのがっちりアクティブタイプを購入。説明書きに習って使用した。なるほど、寝癖直しを使うことなくこれ一本で形を作ることができて便利である。………が、髪を洗う際、少し落ちにくいんだな。

あと個人的には部分部分をかっちり固めて邪魔にならないようにしたかったので、己の好みと相性が合わないことが判明した。それとどっちかっつーと無香料のが好きなんだ。FOG BARの香りが嫌いなわけじゃなく、むしろ良い香りだと思う方であるが、それでも無い方が好きなのさ。そんなわけで現在は従来通り寝癖直しのスーパーヘアウォーターとスーパーハードワックスを使って髪形を整えている。

このような経緯で使用されなくなったFOG BARをまだ中身が残ったまま放置しているのであるがふと思う。梅雨を迎える前の時期、暑さがやってくる直前にふと思う。こいつ、害虫にふっかけてみたらどうなるんだろ。固めずまとめるタイプだが…。

ま、やらんけどね。


2010年5月20日 (木) 緑茶カウント:3杯
己はいつになったら日付が変わる前に日記をつける習慣を身につけることができるのだ。あぁ、眠い。ハイパー眠い。ウルトラスーパーミラクルデリシャスストロング眠い。語彙が小学生である。小学生レベルの語彙力にまで落ちるほど眠いのだ、ということを伝えたかったのだが、よくよく考えたら普段からこんなもんだった。胸の前で両腕をクロスさせ、両の親指のみを立てて残りの指は握りこみ、「バーリア」と唱えて結界を張るなど、未だにやってる。未だに。でもえんがちょは経験が無い。あれは子供の頃にもやらなかった、っつーか身の回りじゃやってなかったな。単に見てない、覚えてないだけかもわからないが。今日はホウ酸団子を十五個室内にばら撒いた。明日は公共料金を支払う。


2010年5月22日 (土) 緑茶カウント:2杯
三月の終わりにあったライブの帰り、浮かれて歩いてエスカレーターで勢いよくすっ転んで膝を強打、激烈に痛む膝を抱えてしばし悶絶した後、まぁそのうち治るだろと楽観的に放っておいたら治らなくってこりゃやべー、下り階段を下りる、屈む、正座する、などの行為に支障が生じ、流石に危機感を抱いて整形外科へレッツらゴー、消炎剤をもらうと共にリハビリ通いを余儀なくされ、つっても時間的に毎日は通えないので週一、二日で通っていたが、ようやくそいつが良くなった。もう膝に痛みはない。

とはいえなかなか長引いたものだ。一時はもしかして一生この痛みを引きずらなきゃいけないのかって恐怖したね。一番酷いときはただ平らかな道を水平に歩くだけでも痛んだものなぁ。治るまで二ヶ月かかったが、二ヶ月で治って良かったって思いの方が今は強い。歩くってのは移動の基本動作であって、移動の基本動作に支障が出るということは移動に支障が出るということだ。こんな回りくどい言い方なんぞしなくっても誰でもそれくらいわかるっての。何にせよ、まずいと思ったらすぐさま病院に向かうのが大事だな。皆さんもどうか気をつけて。


2010年5月23日 (日) 緑茶カウント:2杯
悩んでいる。どうして己は一定のジャンルの人から好意を抱かれやすいのか、と。嫌われるよりは好かれる方がそりゃあ一般的にはありがたいことではあるが、場合によっては相思相愛ならぬ相思相嫌、相思相憎の方が幸福なこともある。一番不幸なのは嫌いな人に好かれることだ。相手のそれは好意であるだけに無碍に断ることもできず、自分なりの理由を持とうとも嫌いという感情を表明することは危険性を伴い、場合によっては加害者になり得ることもある。このことは中学時代に思い知った。いや、まぁ、今回の場合、まだ嫌いってわけじゃあないんだが。悩むところだ。困ったことだ。


2010年5月24日 (月) 緑茶カウント:4杯
「あの子は頭がおかしいからしょうがないのよ」

頭がおかしいんじゃあしょうがない、と納得しつつも教師の口からこんな言葉が出てしまって良いのかと、聞いてはいけないものを聞いた気がしてぞっと冷たいものを感じたが、同時に誰かの口からそれを聞くのを願っていたこともまた事実であり、そのうえで現状を打開する見込みがない現実に暗く重い気持ちになった。

中学時代の話だ。当時、自分は友人はいたもののどの集団にも属すことがなく、悪く言えば孤立気味になっていた。仲の良いクラスメイトや部活仲間はいた。休み時間には数人で馬鹿話に興じることもあった。ただし、それぞれの集団にいるうちの数人と仲が良いだけで、決してその集団の一員ではなかったのだ。しかし一人でいることを好んでいたためその状態に不満も無く、適当にあっちこっちで好き勝手にやっていた。

ところが一人でいることの多い自分に対して共感と同情を抱く者が現れた。彼女は変わり者で嫌われ者だった。事実を確認したことはないが、毎週毎週、週に一度は男子に惚れて、告白し、振られてまた新しい男子を好きになり、次の週には告白をする、そんな行為を繰り返す娘だったらしい。「今度は○○が告白されたって!」「ありえねー!」と同学年の男や女が騒いでいるのをしょっちゅう耳にしていたし、彼女も決して否定することはなく、「やだー、言わないでよ」とにやにや照れていたのを覚えているので全くのデマでは無いと思うが、未だにそれを現実として認識できないのは、そんなことがありうるのかと不可思議に感じるせいである。

その告白行為の繰り返しは誰から見ても奇異なものだったが、それが原因で嫌われていたのか、他の原因が先にあったのかはわからない。彼女は女子からも男子からも気持ち悪がられていて、そういう意味で有名人だった。自分も彼女をあまり好きではなかったが、接点が無い間は特に意識しなかった。彼女を本格的に嫌いになったのは彼女に好かれてからである。

先に断っておくが、己は「変わり者」「変人」と呼ばれることに喜びは感じない。褒め言葉として使用する人も多いと聞くが自分にとっては嬉しくない。自意識過剰な思春期ならまだしも、自然に活動しているだけで「変わっている」と評されても鬱陶しいだけである。だが、これはまさに自意識過剰の思春期時代の話であり、さらに言えば実際変わり者だったと過去を振り返って思わざるをえない頃のこと。そう、変わり者で孤立していて、どの集団にも属せないが、自らそれを望んでもいて、群れている奴らを見下しもしていて、けれども自由な班を作って良いと言われると居場所が作れなくて胃が痛みつつ、基本は自由闊達に楽しく過ごしていた頃の話だ。

そんな変わり者で孤立していた自分に対し、彼女は仲間意識を抱いたらしい。いつからか頻繁に話しかけてくるようになり、べったりとした友情を押し付けてくるようになった。最初の頃、同じクラスでありつつもそれまで接触が無かったために彼女についてはあの噂程度しか知らず、しかしそんなものはクラスメイト達が面白がって話を大きくしただけかもしれないと真に受けないようしていたため、普通に話に応じていた。これがまずかった。

彼女の中で「クラスで仲間外れにされている可哀想な私達」に分類されてしまったのだ。分類自体も不本意かつ不愉快なものだが、それによって彼女の仲間意識が日に日に膨れ上がっていくことが何より恐怖だった。今思えばあれは「二人組み」を作る際にあぶれることから逃れるための、組む相手の確保として、逃げ場所として必要とされていただけかもしれないが、何にせよ困ったことだった。何故なら、自分も二人組みを組む相手を持っていないため、彼女からの逃げ場所を見つけることができなかったのだ。

せめて彼女と過ごす時間が面白ければ良かったが、彼女の話は専らクラスメイトの悪口ばかりで聞いてて辟易するものだった。悪口ばかりを楽しげに嬉しげに話す彼女を目の前にしてどんどん彼女が嫌いになり、だが、彼女はついて回る。クラス内の係りを決める際にも必ず自分の選んだ係りの欄にピッタリと名前の書かれたマグネットを貼り付けて、あぶれることから逃れようとしていた。

数ヶ月か半年か、詳細な時間は忘れたが、とうとう音を上げてこっそりと担任に相談したことがあった。そして言われたのが冒頭の文句である。あぁ、頭がおかしいならしょうがない。やっぱり頭がおかしかったのか。自分だけが異常に感じていたのではと嫌悪を感じることに罪悪感を抱いてもいたので、彼女の数々の異常な振る舞い、告白行為を繰り返す、人前で好きな男子をほのめかすパフォーマンスをする、悪口を話す、嘘をつく、などなどの、一つ一つならともかくも、それぞれが一つ残らず過剰だったそれらに嫌悪と不愉快と恐ろしさを感じたことは、決して異常ではなかったのか、と知って安心した。安心したが、どうにもならない。頭がおかしいことを理由に学校側は手を出せないからだ。だから一言。「我慢してね」

言ってみりゃ厄介者を押し付けられたようなものだ。その押し付けられた奴もある意味で厄介者ではあったんだが。おかしいと思ったら担任でも校長でも平気で意見する嫌なガキだったからなぁ。全く嫌なガキだったよ。とにかく、この件から互いに嫌い合えることはまだ幸福で、一番不幸なのは嫌いな奴に好かれることだってことを痛感した。嫌い合えるならいいよ、まだ。


2010年5月25日 (火) 緑茶カウント:1杯
ついにこたつを収納した。二、三日前からか。とうとうこたつ布団が足に触れることに不愉快を感じるようになってきて、こりゃ流石にそろそろな、とこたつの季節が終わったことを実感し、ところがこたつ布団を干そうにも続く天気は悪天候、これではいつまでたってもこたつをしまえないではないか、と眺める空に一筋の光、雲の切れ目、よっしゃこの日を逃してなるものか、ってんでゴウンゴウン洗濯機を回して干して太陽光のお力によって無事乾燥、畳んだこたつ布団とカバーとコンセントをロフトの上へ押し上げ、それだけで部屋がすっきり見える、はは、夏仕様になったじゃないか、ってのはいくらなんでも単純だが、ガーッと掃除機をかけて埃をとって網戸を全開にする朝、ってのは気持ちが良いものだな。

夏が来るぞ!


2010年5月26日 (水) 緑茶カウント:0杯
うーん。

認められたことは嬉しいが、それは過大評価じゃないのか、自分にそれができるのか、考えると不安である。見込んでもらえたことは有難い。期待に応えられるよう頑張りたいとも思う。だが、出来るのか。可能なのか。不安である。

とはいえ腹をくくるしかない。なぁに、人生は長いんだ。やってみるしかないじゃないか。やってやるぞ! って書くと前向きなようだが、こうして文章にして決意表明しないと不安でたまらないんだな。そんな能力があるのか、ってな。しかし同時に思う。それ以外に何が出来る? とも。出来るかどうかわからないが、出来ないかもしれないが、それでもそいつは自分に出来る数少ないことの一つだ。これが出来なきゃ何も出来ない。

ま、やるよ。


2010年5月27日 (木) 緑茶カウント:2杯
気付けばもう遅い時間だ。今から夕食を作るのも面倒であるし、ちょっくらコンビニで買ってくっかと、コンビニエンスストアーに入り棚を物色、ナポリタンを選んでレジに持っていくと、店員のおっちゃんに「温めますか?」と聞かれた。すぐに食べる予定であるのでお願いしますと頷き、脇によけてナポリタンが温まるのを待つ。程なくして電子レンジは音を鳴らし、おっちゃんはさっとレンジの扉を開いて取り出したナポリタンをこちらに持ってくると、「お待ちどうさま! ナポリタンの出来上がり! 美味しいよ!」とにかっと笑って茶色いビニールに入れて渡してくれて、そんなコンビニのナポリタンなんてもんは冷えたもんを温めるだけで決して作りたてってわけじゃないとわかっているのに、注文した料理をできたてのまま運ばれてきたような心地がして、イカスおっちゃんだなぁ、格好良いなぁ、嬉しいなぁ。と、思った。


2010年5月28日 (金) 緑茶カウント:0杯
ほぼ、初対面と言える人にお酒は好きかと聞かれた。

「好きですよ」
「通風が怖いですね」

何て答えれば良かったのか、何を期待されていたのか……、わからない…。


2010年5月29日 (土) 緑茶カウント:5杯
自分の脳内地図によると中野は東京の東の端に配置されている。しかしここにある東京二十三区の地図を見るに中野の位置は東というより北である。納得できない。理解はできるが腑に落ちない。

また、豊島が豊島区ではなく北区にあることも納得できない。群馬県群馬郡群馬町を見習えと強く訴えたいが、群馬県群馬郡群馬町の字面の圧力、ゲシュタルト崩壊誘引っぷりたるや凄まじく、そこまでしなくても良いじゃないかと思わずなだめたくなるほどで、同時に何か懐かしい感じがするなぁと思ったら漢字練習ノートのそれに似ているのだと今気付き、もう何年もやってないなぁと思いつつ、豊島には納得できない。


2010年5月30日 (日) 緑茶カウント:0杯
今日一日、楽しいことがたくさんあったのだが、「生き生きしてるね」と言われたことを何より嬉しく感じた自分は、ああだこうだとそこそこ困るような目に合いつつも、結構人生を謳歌していると思う。

高校の美術部仲間と遊びに出かけた。昼食をとるべく入った甘味処で定食と甘味を楽しみ、時に真面目な話を交えながらも、終始馬鹿馬鹿しい、何の意味も無いようなことを喋り続け、店を出た後もひたすら今川焼きが焼かれる様をただただ観察するという、人から見れば暇を持て余したような、だが当人達にとっては心底充実した時間を過ごし、大いに笑って遊び暮れた。

やりたいことも欲しいものも試したいことも山ほどある。それらを手に入れ、実行に移すために生きるのは苦労も伴うことだろうが面白みもまた存在する。面白くなかったら終わりだが面白ければ何とかなる。楽しめることが何より肝腎だ。楽しむために生きるんだ。

自分は未だ、あの放課後の美術室の延長線上の時間に立っている。いつまでもその道から外れずにありたい。


2010年5月31日 (月) 緑茶カウント:0杯
物置と化している机を思い切って撤去しちまえばどでかい本棚が置けるな。我が家はロフトなので天井が高い。今ある二つの本棚のうち、一つは一メートルほどだが、新たに買い足した二つ目の方は百八十センチある。そして机を置いてある箇所は天井まで何も障害物が無く、まっすぐ壁が伸びているので百八十センチ以上の本棚を置くことが可能だ。

壁面を全て本棚にしてしまったらどんなに気持ちが良いだろう。狭くても良い、昔からそういう部屋に憧れていた。しかし現実問題として、狭い我が家では実行できない。確かに机は物置と化して本来の用途から外れているが、物置として利用されている現状、つまりは物が置かれているということで、絵の具、ペン立て、墨汁、白墨汁、パレット、充電器、ウォークマンの付属スピーカー、A4とB5のコピー用紙、使用済みペン先を溜め込んでいるビン、デッサン人形、骨格標本、フィギュア、専門書、雲形定規、茶封筒などが机を撤去することによって路頭に迷う危険性があり、行き着く先はどう考えても我が家のどこか、とはいえ机以外に置き場所は無く、最悪の場合床積みされることも否定できず、ただでさえ雑然としているのに文字通り足の踏み場も無くなってしまうが、踏み場の有無に関わらず空中浮遊の技を習得できていない己はどうにか何かを踏まねばならず、踏んではいけないものを踏むことにより器物が破損、もしくは足を滑らせて頭を強打、儚くなってナンマイダ、となるやもしれないのである。それは嫌だ。

だったら物を整理しろとの意見もあるに違いない。ところが生憎整理した上でこの有様。運び込まれるものは多くとも出て行くものが少ないのは昔っからの己の性。二十年以上もこれなのだから永劫変わることは無いだろう。そうして夢想は終了した。




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