2010年4月3日 (土) 緑茶カウント:4杯
自分は「伝えたい」よりも「残したい」気持ちが強くて日記を書くんだなぁ、と数日前に何となく気付く。その感覚は十年ほど前に、人間の細胞はある一定の期間で完全に入れ替わり、例えば七歳の自分と十歳の自分を並べた場合、二つは同じ人間であるはずなのに一つとして同じ物質は含んでおらず、全く別のもので構成されていることを知ったときの恐怖に結びつく。何を持って「自分」とするのかわからなくなったんだな。
己の連続性を保つために、記憶や感情の一部をどうにか形にして留めておきたい。十年前とは違い、今では人間なんざ流動的なものなんだからいくら変わったって不思議じゃないと気付いたため変化への恐怖を抱くことは無くなったが、一日一日の己を保存しておきたい気持ちは変わらないらしい。公開こそしてないが、サイト開設当時からの日記も全て保存している。初期のものは特に今読むと恥ずかしく感じる部分が多いが、これらは胸を張って大事な財産だと言えるだろう。
そんなスタンスで自分は日記を書いている。とはいえ、「伝えたい」よりも「残したい」気持ちが強いからといって、「伝えたくない」わけではなく、むしろ自分の「残したい」ものが「伝わる」ことは大変に喜ばしいことだ。だからわざわざ公開してるんだな。そして、たまに反応をもらうとすごく嬉しくなるんだよ。自分の一部を他人に読んでもらえることは幸福なことだ。幸せなことだ。子孫繁栄のみが己の一部の拡散方法じゃないんだぜ。
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