2009年8月3日 (月) 緑茶カウント:2杯
友人が急性アルコール中毒でぶっ倒れたので付き添いとして生まれて初めて救急車に乗った。
いやー。すげー疲れた。
その日は花火大会で、サークルの友人とそれぞれの友人を呼んで十人くらいで集まり、場所取りを兼ねて早い奴は朝から、それ以外の奴は昼から酒を呑みつまみを食いあれこれ喋りながら日が落ちるのを待っていた。サークルの人間とそれ以外の人間の割合はほぼ半々で、幹事の人間は双方と親しい奴である。
そして今回急性アルコール中毒になってしまった奴、仮にAとしよう。Aは夕方にやって来て、一番最後に到着した。Aは身長190cmの大柄な男で、酒に強く、呑みの席ではウイスキーなどの強い酒を呑むことが多いがいつもちょっとテンションが上がる程度で、フラフラになるほど酔ったところは今までに一度も見ていない。そのため、本人も周囲の人間も油断していたところがあった。
花火が終り、ではこれから駅まで移動してカラオケにでも参りましょうか、とゴミを片付けて立ち上がった頃から、少しAの様子がおかしくなった。我々の集団から離れてどっかに行ってしまいそうになるのである。しかし、こいつはサークル一のふざけ野郎のお調子者だったので単にふざけてるのだろうと全員が判断し、しょうがないので世話役として自分がAの手を引いて誘導することになった。
Aの歩き方は変だった。突然早足になってずんずん前に進んでしまうこともあれば、のろのろと歩いてグループから距離を置かれてしまったりする。そのたびに自分は「早く歩きすぎだって、ほらほら後ろ見ろよ」「おーい、置いてかれるから急ぐぞー」と声をかけて制御しようとするも、奴は190cm元ラグビー部自衛隊体験入隊経験有り、こちらはチビの文化系のオタク、どうしたって引きずられる。それでもまだAはふざけているだけだと思っていた。
Aの様子が明らかにおかしいと気づいたのはそれから程なくしてだった。花火の後の駅への帰り道で道路は大変混雑し、駅に近くなるとなかなか前へ進めなくなった。自然前後の人の間隔も狭くなる。するとAの目の前にいたカップルの男性の背中に、Aがやたらと物騒なことを呟き始めたのである。連れの浴衣姿の女性はぎょっとした様子で振り向いた。
流石にこれは尋常ではない。Aは力はあるが暴力を振るうタイプの人間ではなく、温厚でどちらかというと理詰めで相手を屈服させるタイプなのだ。決して喧嘩を売るような奴ではない。ここから、もしものことがあったときに到底自分ではAを止められないため、力のある男性二人が左右からAの両手をがっちり掴み、さらに前後を包囲してAを抑えながらの移動となった。
何とか無事に駅に到着し、すぐにトイレに行くことになった。このとき男子便所は空いていてちょっと並べばすぐに利用できる状態だったが、女子便所の前には長蛇の列ができていた。しかし、その長い列の一番後ろに立ったうちのグループの女子がトイレから出てくる時間になってもAはトイレにこもったままで出てくる気配はない。そして、ついにA本人から救急車を呼べという要請が入った。
ここでひとまず二手に分かれることになった。サークル外の友人達と幹部の友人にはカラオケに行ってもらい、自分と、同じサークルのBという奴がAに付き添う形になった。これから救急車が来ても全員が乗れるわけではないし、もともと遠くから来た子には幹部の家に泊まってもらう予定だったからである。
Bと自分で救急車を待ち、到着後Bが救急隊員をトイレまで案内し、自分は外で救急車に事情を説明した。いくらか時間がかかってから担架に乗せられたAが外に運び出され、救急車に乗せられた。後から聞いた話だが、Aは個室の中で倒れており、倒れたAの体がつっかえ棒になって内向きに開く仕組みのドアをなかなか開くことができなかったせいで時間がかかったそうである。
救急隊員に促されてBと自分も救急車に乗った。中では救急隊員がAの名前を呼びかけ、年齢や住所などの質問に、うめくような声でかろうじてAは返答していた。一応意識はあるらしいのでほっとする。救急隊員はAの両親の実家の住所の漢字は二文字でいいるのかと問いかけた。
A「トゥー…ー…」
救急隊員「え? 何? Aさん何?」
A「トゥー…ワー…」
B「…多分、Two Wardって言ってるんだと思います」
その後、病院に運び込まれてから目覚める直前にも、Aは寝言で英語を喋っていた。何で英語なんだ。
B「俺達とは第二言語で話していたのかもしれないね」
ウヲ「日本人なのに何でだ」
救急車は話に聞いていたよりも安全運転だった。どのくらい走ったかは覚えていないが、小さな病院に辿り着き、入院のための病室をすごく簡素にしたような小部屋にAは運び込まれ、ベッドに寝かされた。治療中Bと自分は部屋の外の長椅子で待っていて、Aの荷物が足りているか確認をした。このときになってようやく自身の吐瀉物の上に倒れたため汚れていたAの靴を腹に抱えていたせいで、自分のシャツも汚れていることに気が付いた。あんま大した汚れじゃなかったけど。
入っていいよと看護師に呼ばれ、二人で病室の中に入り説明を受けた。血圧は正常で、後は酒が抜けるのを待つしかない。点滴を打っておくから、点滴が空になりそうになった時と、吐きそうになったら呼んでほしい。それまでここで見ててあげて、とのことだった。この時点で確か二十三時頃だった。
そんなわけで、ぐっすりと眠るAが吐かないか見守りつつ、Bと自分はだらだらとずーっと喋っていた。かなり暇である。話題が尽きることはなかったが、中身は「もし我々がAに惚れている美少女の幼馴染だったらもっとドラマティックだったのになぁ」「目が覚めたらあれだろ。もうっAのばかぁっ。死んじゃうのかと思って心配したんだからぁっ、て泣いて抱きつく」「じゃあもしも責任感の強い委員長が付き添ってたら」「Aには惚れてないんだな。…何馬鹿やってんのよ! 迷惑かけてんじゃないわよ! …とか?」といった具合であった。
たまに看護師や医師が見に来てくれることもあった。医師が部屋に訪れたとき、視線が口が開けられて中身が丸見えになっているAの鞄の上で止まった。身分証や保険証を探すために我々が引っ掻き回したのである。中には真新しいデジタルカメラ、ちょうど先月の三十日に自分とAと幹事の三人で買い物をした際にAが購入したものがあった。
医師「せっかくだから記念写真撮っちゃえば?」
ウヲ・B「…へ?」
それは不謹慎ではないのだろうかと思ったが、医療従事者が言うからにはきっとこれもれっきとした医療行為なのだろう。まずAの眠る姿をピンで撮り、次にBと交代で、横たわるAの隣でピースサインをする写真を撮った。どんな写真が撮れたか見てみると、二人ともものすっごく良い笑顔であった。
もしかして、こういうぐったりした姿を回復した後患者本人に見せることで、本人に自省を促し再発防止を狙う意図があったんですかと尋ねてみたら、いや、単にデジカメが目に入ったからと言われた。
二時を過ぎた頃だろうか。今までぴくりとも動かなかったAが突然右手を軽く開き、何だろうとBと二人で注目すると、ぐっと拳を握り締め、腕の筋肉が膨れ上がった。それを数回繰り返した。正直怖かった。いったい何の夢を見ているんだ。カップルの男を握り潰してるんじゃあるまいな。
Bと二人でどんな夢を見ているんだと話していると、今度は両手を胸の前であわあわと動かしながら、「I can… … I can…」と英語で寝言を喋りだした。ぼそぼそ喋っているのでI canまでしか聞き取れない。いや、はっきり喋られたところで自分の英語力ではほとんど内容を理解できるとは思えないが。そして英語を話している最中にかすかに目を開いたので、名前を呼んで声をかけるとAはようやく目を覚ました。
ようやく、と言ったがこれはかなり早いらしく看護師は驚いていた。しかも最初こそはぼーっとしていたものの、ここが病院であり、Aが救急車を呼んでくれと言ったので今このようなことになっていると説明すると、状況を把握してしきりに恥ずかしがり、完全に意識を覚醒させた。
聞いたところによると、Aは空きっ腹でビールと焼酎を呑みラム酒をビンの四分の一空けたそうである。ちなみにラム酒は四十度ある。それをストレートでいったらしい。空きっ腹で。そりゃあ急性アルコール中毒にもなるわと全員で納得した。ちなみに何故そのようなことをしたのかと聞けば、帰りに荷物にならないように全部空けようと思ったせいらしい。
Aの目は覚めたがとっくに終電は逃しているので病院のご好意で今夜は泊めてもらうことになったのだが、直後に急患が運び込まれる連絡が入り、部屋は他に空きが無い状態であるため我々は失礼することになった。だが、どのようにして夜を過ごすか。近くにカラオケも漫画喫茶も無い。さらに、Aの服は汚れているためとても着られる状態ではなく、現在のAは病院着姿だ。タクシーで家まで帰るには何万かかるかわからない。では、どこかで朝が来るのを待ち、スーパーが開くのを待って服を調達するのが最善か。
と、我々はこのように案をめぐらしていたが、A本人が病院着でも全く恥ずかしくないというので、遠くない場所にある二十四時間営業のファミレスで始発を待ち、病院着のAを連れて電車で帰ることになった。
病院の人々にお礼を言って我々三人はファミレスに向かった。予想通り、病院着姿のAを見てファミレスの店員は一瞬何だこりゃという顔をしたが無事席に通してもらうことができた。無理もない。どう見たって脱走患者だものなぁ。
とりあえず何か頼まないことにはしょうがないと、一人がかけうどんを頼むと二人もそれに続き、さらに一時間ほど経った後、一人がコーンポタージュを頼むと二人もそれに続き、全員が同じものを一緒に食べた。
ウヲ「なんだか女子中学生の仲良しグループみたいだ」
A「えー。○○もそれにするのー? じゃああたしもー」
B「俺ら大学生なのにね」
かけうどんが運ばれるのを待つ間、自分は席を立って幹事に電話で連絡を入れた。三時を過ぎた時間にはなっていたが、多分起きているはずである。案の定幹事は起きていてすぐに電話に出てくれた。Aは回復し、今はファミレスにいて始発を待っているといったことを伝えていると、Aもこちらにやってきて、人が電話をしている横で「うんこー♪ うんこー♪」と自作の阿呆な歌を歌いだした。何て馬鹿な奴なんだ。
このようにふざけているAだが流石に今回のことは恥ずかしかったらしく、「今日のことは忘れて欲しい」「ごめんなさい」「後でお詫びとお礼をさせてください」「シャツのクリーニング代は出します」と大きい体を小さくさせて弱りきった様子で謝っていた。自分も救急車で運ばれたことは無いにしろ潰れて迷惑をかけたことはあるので気持ちはよくわかるので、あの写真をくれるだけで構わないよと言っておいた。ちなみにあの写真を見たAは、「すげえ情けねぇ…」と苦笑して虚脱していた。
時計の針が四時を回った頃、全員に疲れが出始めた。特にAは目覚めてからやたらと元気だったが、急にスイッチが切れたようで、ぐったりとテーブルに突っ伏して眠り込んでしまった。声をかけても起きる気配がない。そのうえBまでも疲れきって眠ってしまった。無理もない、というか当たり前だ。だって大なり小なりアルコールとって動き回った後なんだもんよ。何もなくったって眠くなるのは当然だ。自分も眠い。だが、ファミレスのテーブルで三人全員が眠りこけるのはいかがなものか。誰か一人でも起きていないとまずいような気がする。
仕方なしに、空が明るくなる様子を窓からじーっと眺めて時を過ごした。すっげぇ暇だった。
五時になる前にBは起きた。しかしAは目覚める気配がない。どうしたものかとBと相談する。このまま寝かせておいてやりたいが、我々の体力も限界に近いし、あまり遅くなって日中人々が活発に歩き回る中病院着姿のAを連れまわすのは気が引ける。無論Aは全く気にしないだろうが一緒に歩くこっちが恥ずかしいのである。話し合った結果、Aを起こしてファミレスを出ることにした。
Aの足取りは覚束なく、歩きながら眠り込みそうな勢いであったが、何とか電車に乗せることに成功し、乗換えでBと別れてからは何とか眠らせまいとAに声をかけながら先に進んだ。五時過ぎであるとはいえ空はかなり明るくなっており、道行く人がたまにぎょっとしてAを見つめるが、こっちもすぐに慣れきって見るなら見やがれと開き直った。
そうして何とかAをAの最寄り駅まで連れて行き、家に着いた頃には七時半になっていた。そうして歯を磨き、シャワーを浴びてコンタクトを外して布団に入って眠りこけると十五時に目が覚めた。しかし体内時計が狂っていたらしく、二十一時には眠くてたまらなくなって布団に入ったものの今度は二時に目覚めて眠れなくなり、朝の六時まで読書をした後昼の十四時に目が覚めた。
今は体調も回復し、今日はいつもどおりの時間に眠れそうである。今日の二十三時半にはAからメールが着て、ものすごく畏まった文体で謝罪とお詫びとお礼がしたいと長文で書かれていて、普段のAとのギャップに笑ってしまった。Aも体調は回復したそうである。良かった良かった。
しかしAの件が印象的すぎて花火を全然覚えてない。どんな花火だったっけか。
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