8月      

2009年8月3日 (月) 緑茶カウント:2杯
友人が急性アルコール中毒でぶっ倒れたので付き添いとして生まれて初めて救急車に乗った。
いやー。すげー疲れた。

その日は花火大会で、サークルの友人とそれぞれの友人を呼んで十人くらいで集まり、場所取りを兼ねて早い奴は朝から、それ以外の奴は昼から酒を呑みつまみを食いあれこれ喋りながら日が落ちるのを待っていた。サークルの人間とそれ以外の人間の割合はほぼ半々で、幹事の人間は双方と親しい奴である。

そして今回急性アルコール中毒になってしまった奴、仮にAとしよう。Aは夕方にやって来て、一番最後に到着した。Aは身長190cmの大柄な男で、酒に強く、呑みの席ではウイスキーなどの強い酒を呑むことが多いがいつもちょっとテンションが上がる程度で、フラフラになるほど酔ったところは今までに一度も見ていない。そのため、本人も周囲の人間も油断していたところがあった。

花火が終り、ではこれから駅まで移動してカラオケにでも参りましょうか、とゴミを片付けて立ち上がった頃から、少しAの様子がおかしくなった。我々の集団から離れてどっかに行ってしまいそうになるのである。しかし、こいつはサークル一のふざけ野郎のお調子者だったので単にふざけてるのだろうと全員が判断し、しょうがないので世話役として自分がAの手を引いて誘導することになった。

Aの歩き方は変だった。突然早足になってずんずん前に進んでしまうこともあれば、のろのろと歩いてグループから距離を置かれてしまったりする。そのたびに自分は「早く歩きすぎだって、ほらほら後ろ見ろよ」「おーい、置いてかれるから急ぐぞー」と声をかけて制御しようとするも、奴は190cm元ラグビー部自衛隊体験入隊経験有り、こちらはチビの文化系のオタク、どうしたって引きずられる。それでもまだAはふざけているだけだと思っていた。

Aの様子が明らかにおかしいと気づいたのはそれから程なくしてだった。花火の後の駅への帰り道で道路は大変混雑し、駅に近くなるとなかなか前へ進めなくなった。自然前後の人の間隔も狭くなる。するとAの目の前にいたカップルの男性の背中に、Aがやたらと物騒なことを呟き始めたのである。連れの浴衣姿の女性はぎょっとした様子で振り向いた。

流石にこれは尋常ではない。Aは力はあるが暴力を振るうタイプの人間ではなく、温厚でどちらかというと理詰めで相手を屈服させるタイプなのだ。決して喧嘩を売るような奴ではない。ここから、もしものことがあったときに到底自分ではAを止められないため、力のある男性二人が左右からAの両手をがっちり掴み、さらに前後を包囲してAを抑えながらの移動となった。

何とか無事に駅に到着し、すぐにトイレに行くことになった。このとき男子便所は空いていてちょっと並べばすぐに利用できる状態だったが、女子便所の前には長蛇の列ができていた。しかし、その長い列の一番後ろに立ったうちのグループの女子がトイレから出てくる時間になってもAはトイレにこもったままで出てくる気配はない。そして、ついにA本人から救急車を呼べという要請が入った。

ここでひとまず二手に分かれることになった。サークル外の友人達と幹部の友人にはカラオケに行ってもらい、自分と、同じサークルのBという奴がAに付き添う形になった。これから救急車が来ても全員が乗れるわけではないし、もともと遠くから来た子には幹部の家に泊まってもらう予定だったからである。

Bと自分で救急車を待ち、到着後Bが救急隊員をトイレまで案内し、自分は外で救急車に事情を説明した。いくらか時間がかかってから担架に乗せられたAが外に運び出され、救急車に乗せられた。後から聞いた話だが、Aは個室の中で倒れており、倒れたAの体がつっかえ棒になって内向きに開く仕組みのドアをなかなか開くことができなかったせいで時間がかかったそうである。

救急隊員に促されてBと自分も救急車に乗った。中では救急隊員がAの名前を呼びかけ、年齢や住所などの質問に、うめくような声でかろうじてAは返答していた。一応意識はあるらしいのでほっとする。救急隊員はAの両親の実家の住所の漢字は二文字でいいるのかと問いかけた。

A「トゥー…ー…」
救急隊員「え? 何? Aさん何?」
A「トゥー…ワー…」
B「…多分、Two Wardって言ってるんだと思います」

その後、病院に運び込まれてから目覚める直前にも、Aは寝言で英語を喋っていた。何で英語なんだ。

B「俺達とは第二言語で話していたのかもしれないね」
ウヲ「日本人なのに何でだ」

救急車は話に聞いていたよりも安全運転だった。どのくらい走ったかは覚えていないが、小さな病院に辿り着き、入院のための病室をすごく簡素にしたような小部屋にAは運び込まれ、ベッドに寝かされた。治療中Bと自分は部屋の外の長椅子で待っていて、Aの荷物が足りているか確認をした。このときになってようやく自身の吐瀉物の上に倒れたため汚れていたAの靴を腹に抱えていたせいで、自分のシャツも汚れていることに気が付いた。あんま大した汚れじゃなかったけど。

入っていいよと看護師に呼ばれ、二人で病室の中に入り説明を受けた。血圧は正常で、後は酒が抜けるのを待つしかない。点滴を打っておくから、点滴が空になりそうになった時と、吐きそうになったら呼んでほしい。それまでここで見ててあげて、とのことだった。この時点で確か二十三時頃だった。

そんなわけで、ぐっすりと眠るAが吐かないか見守りつつ、Bと自分はだらだらとずーっと喋っていた。かなり暇である。話題が尽きることはなかったが、中身は「もし我々がAに惚れている美少女の幼馴染だったらもっとドラマティックだったのになぁ」「目が覚めたらあれだろ。もうっAのばかぁっ。死んじゃうのかと思って心配したんだからぁっ、て泣いて抱きつく」「じゃあもしも責任感の強い委員長が付き添ってたら」「Aには惚れてないんだな。…何馬鹿やってんのよ! 迷惑かけてんじゃないわよ! …とか?」といった具合であった。

たまに看護師や医師が見に来てくれることもあった。医師が部屋に訪れたとき、視線が口が開けられて中身が丸見えになっているAの鞄の上で止まった。身分証や保険証を探すために我々が引っ掻き回したのである。中には真新しいデジタルカメラ、ちょうど先月の三十日に自分とAと幹事の三人で買い物をした際にAが購入したものがあった。

医師「せっかくだから記念写真撮っちゃえば?」
ウヲ・B「…へ?」

それは不謹慎ではないのだろうかと思ったが、医療従事者が言うからにはきっとこれもれっきとした医療行為なのだろう。まずAの眠る姿をピンで撮り、次にBと交代で、横たわるAの隣でピースサインをする写真を撮った。どんな写真が撮れたか見てみると、二人ともものすっごく良い笑顔であった。

もしかして、こういうぐったりした姿を回復した後患者本人に見せることで、本人に自省を促し再発防止を狙う意図があったんですかと尋ねてみたら、いや、単にデジカメが目に入ったからと言われた。

二時を過ぎた頃だろうか。今までぴくりとも動かなかったAが突然右手を軽く開き、何だろうとBと二人で注目すると、ぐっと拳を握り締め、腕の筋肉が膨れ上がった。それを数回繰り返した。正直怖かった。いったい何の夢を見ているんだ。カップルの男を握り潰してるんじゃあるまいな。

Bと二人でどんな夢を見ているんだと話していると、今度は両手を胸の前であわあわと動かしながら、「I can… … I can…」と英語で寝言を喋りだした。ぼそぼそ喋っているのでI canまでしか聞き取れない。いや、はっきり喋られたところで自分の英語力ではほとんど内容を理解できるとは思えないが。そして英語を話している最中にかすかに目を開いたので、名前を呼んで声をかけるとAはようやく目を覚ました。

ようやく、と言ったがこれはかなり早いらしく看護師は驚いていた。しかも最初こそはぼーっとしていたものの、ここが病院であり、Aが救急車を呼んでくれと言ったので今このようなことになっていると説明すると、状況を把握してしきりに恥ずかしがり、完全に意識を覚醒させた。

聞いたところによると、Aは空きっ腹でビールと焼酎を呑みラム酒をビンの四分の一空けたそうである。ちなみにラム酒は四十度ある。それをストレートでいったらしい。空きっ腹で。そりゃあ急性アルコール中毒にもなるわと全員で納得した。ちなみに何故そのようなことをしたのかと聞けば、帰りに荷物にならないように全部空けようと思ったせいらしい。

Aの目は覚めたがとっくに終電は逃しているので病院のご好意で今夜は泊めてもらうことになったのだが、直後に急患が運び込まれる連絡が入り、部屋は他に空きが無い状態であるため我々は失礼することになった。だが、どのようにして夜を過ごすか。近くにカラオケも漫画喫茶も無い。さらに、Aの服は汚れているためとても着られる状態ではなく、現在のAは病院着姿だ。タクシーで家まで帰るには何万かかるかわからない。では、どこかで朝が来るのを待ち、スーパーが開くのを待って服を調達するのが最善か。

と、我々はこのように案をめぐらしていたが、A本人が病院着でも全く恥ずかしくないというので、遠くない場所にある二十四時間営業のファミレスで始発を待ち、病院着のAを連れて電車で帰ることになった。

病院の人々にお礼を言って我々三人はファミレスに向かった。予想通り、病院着姿のAを見てファミレスの店員は一瞬何だこりゃという顔をしたが無事席に通してもらうことができた。無理もない。どう見たって脱走患者だものなぁ。

とりあえず何か頼まないことにはしょうがないと、一人がかけうどんを頼むと二人もそれに続き、さらに一時間ほど経った後、一人がコーンポタージュを頼むと二人もそれに続き、全員が同じものを一緒に食べた。

ウヲ「なんだか女子中学生の仲良しグループみたいだ」
A「えー。○○もそれにするのー? じゃああたしもー」
B「俺ら大学生なのにね」

かけうどんが運ばれるのを待つ間、自分は席を立って幹事に電話で連絡を入れた。三時を過ぎた時間にはなっていたが、多分起きているはずである。案の定幹事は起きていてすぐに電話に出てくれた。Aは回復し、今はファミレスにいて始発を待っているといったことを伝えていると、Aもこちらにやってきて、人が電話をしている横で「うんこー♪ うんこー♪」と自作の阿呆な歌を歌いだした。何て馬鹿な奴なんだ。

このようにふざけているAだが流石に今回のことは恥ずかしかったらしく、「今日のことは忘れて欲しい」「ごめんなさい」「後でお詫びとお礼をさせてください」「シャツのクリーニング代は出します」と大きい体を小さくさせて弱りきった様子で謝っていた。自分も救急車で運ばれたことは無いにしろ潰れて迷惑をかけたことはあるので気持ちはよくわかるので、あの写真をくれるだけで構わないよと言っておいた。ちなみにあの写真を見たAは、「すげえ情けねぇ…」と苦笑して虚脱していた。

時計の針が四時を回った頃、全員に疲れが出始めた。特にAは目覚めてからやたらと元気だったが、急にスイッチが切れたようで、ぐったりとテーブルに突っ伏して眠り込んでしまった。声をかけても起きる気配がない。そのうえBまでも疲れきって眠ってしまった。無理もない、というか当たり前だ。だって大なり小なりアルコールとって動き回った後なんだもんよ。何もなくったって眠くなるのは当然だ。自分も眠い。だが、ファミレスのテーブルで三人全員が眠りこけるのはいかがなものか。誰か一人でも起きていないとまずいような気がする。

仕方なしに、空が明るくなる様子を窓からじーっと眺めて時を過ごした。すっげぇ暇だった。

五時になる前にBは起きた。しかしAは目覚める気配がない。どうしたものかとBと相談する。このまま寝かせておいてやりたいが、我々の体力も限界に近いし、あまり遅くなって日中人々が活発に歩き回る中病院着姿のAを連れまわすのは気が引ける。無論Aは全く気にしないだろうが一緒に歩くこっちが恥ずかしいのである。話し合った結果、Aを起こしてファミレスを出ることにした。

Aの足取りは覚束なく、歩きながら眠り込みそうな勢いであったが、何とか電車に乗せることに成功し、乗換えでBと別れてからは何とか眠らせまいとAに声をかけながら先に進んだ。五時過ぎであるとはいえ空はかなり明るくなっており、道行く人がたまにぎょっとしてAを見つめるが、こっちもすぐに慣れきって見るなら見やがれと開き直った。

そうして何とかAをAの最寄り駅まで連れて行き、家に着いた頃には七時半になっていた。そうして歯を磨き、シャワーを浴びてコンタクトを外して布団に入って眠りこけると十五時に目が覚めた。しかし体内時計が狂っていたらしく、二十一時には眠くてたまらなくなって布団に入ったものの今度は二時に目覚めて眠れなくなり、朝の六時まで読書をした後昼の十四時に目が覚めた。

今は体調も回復し、今日はいつもどおりの時間に眠れそうである。今日の二十三時半にはAからメールが着て、ものすごく畏まった文体で謝罪とお詫びとお礼がしたいと長文で書かれていて、普段のAとのギャップに笑ってしまった。Aも体調は回復したそうである。良かった良かった。

しかしAの件が印象的すぎて花火を全然覚えてない。どんな花火だったっけか。


2009年8月4日 (火) 緑茶カウント:3杯
魔人探偵脳噛ネウロを最終巻まで読みきった。良い終り方だったなー。実はシックス編からバトル要素が増えたことを嘆いてネウロからはしばらく遠ざかっていたのだが、時間を置いてある程度落ち着いてから読み直したら案外すんなり楽しむことができた。中途で止まっていた残りの巻もこの機に一気に買い揃えた。

ネウロを読まなくなったのとジャンプを買わなくなった時期は多少前後するもののだいたい近いものであったので、笹塚と本城博士の一連の出来事からは全く新鮮な気持ちで読み、弥子と同じようにショックを受け、サイがアイを思い出すシーンでは思わず涙腺が緩んでしまった。

シックスとの戦いを終えて衰弱したネウロの背中を、こっちは大丈夫だから心配せずに魔界に帰れと押す弥子と、それによって弥子の進化に気付かされたネウロ、そしてついに互いを「相棒」と呼ぶまでに二人の関係性が成長したのが読者として素直に嬉しい。シックスに止めを刺した後の独白、命を捨ててまで人間の営みを守ろうとした理由は何故か、この答えが「弥子に恋をしていたから」なんて理由でなくって良かった。

魔人が人間の少女に恋をしたという話もそれはそれで面白いが、この漫画は弥子の成長を描いた作品であると思うので、奴隷扱いされていた弥子がネウロと対等の位置まで上ってきた姿を見せてほしかったのだ。とはいえ、相棒と呼び合うシーンの前ページでネウロが弥子の頭を引き寄せたときはまさかキスすんのかとびっくりしたけどな。ネウロが少女漫画だったらそうなっていたかもしれない。

さて、早速一巻からざーっと読み直したいが、あいにく二巻から五巻までは友人に貸したままなのでそれが叶わない。そういや近頃会っていないし、返してもらうついでにちょっと連絡してみるか。

最後に、今更ですが松井先生連載お疲れ様でした。次回作も期待しております。


2009年8月5日 (水) 緑茶カウント:3杯
改めて見てみたら三日の日記が長いにも程があるので簡潔にまとめてみようではないか。

・サークルで花火を見に行ったら友人Aが急性アルコール中毒になった。
・救急車を呼んで友人Bと二人で付き添った。
・Aの寝言が何故か英語だった。
・医師に勧められて、眠っているAとピースサインをして記念写真を撮った。撮れたものを見たらすげー良い笑顔だった。
・服が汚れたのでAは病院着を借りることになり、それで帰宅しなければならなくなったが当のAは全く恥ずかしがらず、医師と看護師と我々を驚き呆れさせた。
・始発までファミレスで過ごした。病院着のAはどう見ても脱走患者だった。
・ファミレスで二人がダウン。自分も眠かったが我慢してひたすら夜が明けていく様子を眺めていて暇だった。
・Aの出来事が印象的すぎて花火の内容を全く覚えていなかった。

箇条書きって便利だね。


2009年8月7日 (金) 緑茶カウント:3杯
現在使用しているリンスの香りがクワガタ用のゼリーとそっくりなにおいだった。つまりこれは、自分の頭部もクワガタゼリーと同じにおいがし、さらには日本中のこのリンスを愛用しているありとあらゆる人の頭部もクワガタゼリーと同じにおいを発しているということである。

もしも貴方がどこかで頭をクワガタにたかられている人を見たとしたら、その人はここの管理人と同じリンスを使っているのかもしれない。


2009年8月8日 (土) 緑茶カウント:6杯
漫画家がファミレスでネームを練ったり、学生が喫茶店でレポートを書いたりと、お茶や食事を楽しめる店で長居をして作業をするという話を聞くのは珍しくない。腹が減っても自分で用意する必要がなく、いつでもエアコンが稼動しているため居心地が良く、図書館よりは気を抜いて作業ができる、このあたりが人気の理由だろうか。

自分は今までそういった場所で作業をしたことはなかったが、先日友人に卒論を書くときには毎朝喫茶店に行って書いていた、集中できてとても宜しいので強くおすすめする、と言われたので、ものは試しと鞄に筆箱とノートを詰め込んでやってみたが他人の目が気になってとてもじゃないが集中できなかった。正直な話きっと他人の目が気になって集中できないだろうと予測していたのだが、全く思ったとおりだった。

というわけで今日も部屋にこもって作業をする。風の通りにくいこの部屋は夏はエアコンを入れないことにはやりきれない。電気代が心配だ。


2009年8月9日 (日) 緑茶カウント:5杯
このところ、少なくとも一週間以上は前から、さてそろそろ寝るかと寝る準備、パソコンの電源を落としたり寝床を整えたりし始めると両足にブツブツができてこれが痒くて困っている。

見た目は虫刺されのようで、一度膨らむとなかなかしぶとく蚊に刺されるよりも長引いて、しかも膨らみと膨らみが合体して巨大な膨らみとなり領土を広げ、そいつが固くなるってんだからたまらない。もしかしたら蕁麻疹かもしれない。

しかし問題は何が原因かわからないことだ。ダニに刺されているのかと思ったが、それらは布団に入る前の段階から現れるのだ。室内をうろうろ歩いて電気を消したり物をどかしたりする作業は全て日中も行っているもので、その際にはブツブツは浮き上がらない。

まさか睡眠アレルギーではあるまいな。体が寝ることに拒否反応を起こしてるなんてことが原因だったら生物として問題がありすぎてうなだれるぞ。とりあえずこのブツブツは朝になれば消えるのだが、痒みのためになかなか寝付けないのが問題だ。頼みの綱のキンカンも切れてしまった。明日買ってこよう。


2009年8月10日 (月) 緑茶カウント:1杯
買い物の帰り道。前方を歩く小学校低学年くらいの少女が突然走り出し、その拍子に少女のポケットから何かが転げ落ちた。拾ってみると猫の前足を切り取った形のキーホールダーだ。あーこれは教えてやらんとな、と顔を上げると少女は遥か先の方を走っていて、買い物袋を持ったまま少女を全速力で追いかけるはめになり、「おじょーちゃーん!!」と叫んでようやく止まってもらったのだが、落し物を見せても渡してもそれは怪訝そうな表情で、まるっきり不審者を見る目つきでちょっと心が折れた。


2009年8月11日 (火) 緑茶カウント:5杯
帰省前になると、いかに冷蔵庫の中を片付け、いかに出立当日まで余らないように足りないものを買い足すか計算しつつ料理を作るのでどうしても妙なメニューになりやすい。いつだったかの帰省前にはキャベツに手を焼かされて結局当日まで食べきれず残りを実家に持って帰った。

今回は余らせることなく消費が進んでいるが、消費が進みすぎて若干足りなくなっている。しかし今更買い足すのも考え物なので、既製品を買うか食べないかの二択に迫られているが、ただでさえ一日二食の生活をしているのだからこれ以上は減らせない。うーん、うまく冷蔵庫を空にするのは難しいものだ。


2009年8月19日 (水) 緑茶カウント:3杯
祖母「ほらほら、もっと食べなさい」
ウヲ「いや、もう満腹です。お腹いっぱいです」
祖母「若いんだからすぐにエネルギーになるでしょう。ほらほら、遠慮しないで」
ウヲ「いや、遠慮してるんじゃなくて、まだエネルギーになる前の段階のものが腹にぎっしり詰まってまして!」
祖母「エネルギーになるんだから大丈夫よぉ。若いんだから太らないわよ」
ウヲ「いえいえですから! 太る太らない以前に、発散するにも消化されてないからまだエネルギーになってないんですよ!」
祖母「お寿司の他にもお菓子もあるからたーんとお上がりなさい。お茶はいる?」
ウヲ「お茶も、いいです、ガボガボです。ありがとうございます。もう気持ちだけで! 気持ちだけで!」

クワガタ連れてノートパソコン持って帰省してました。よく食べよく飲んで年下の従兄弟と虫捕りと蛙捕りをして、田舎を堪能してよく食べてよく飲んで合間合間に結婚の話をされ、ああ、もう自分もそんな歳になってしまったのだなぁ、とどこかしみじみとし、ちょっとイラッとしたりしました。

そんで明後日からは一泊二日で友人と長野旅行。忙しいながらも充実した日々だ。明日は小休止に本でも読んでゆっくりするかな。


2009年8月20日 (木) 緑茶カウント:0杯
みうらじゅんといとうせいこうの「見仏記」を読んでいる。実家にあったのでまるまる母から借りてきた。面白いなこの人。

さて、明日から一泊二日で諏訪旅行だ。花火も見られるらしい。楽しんでくるぞー。


2009年8月22日 (土) 緑茶カウント:0杯
諏訪から帰って参りました。今日は疲れたから詳しいことはまた明日。しかしとにかく楽しかった! ものすごく凝縮された一泊二日だったなぁ。最高の夏休みだった。


2009年8月23日 (日) 緑茶カウント:6杯



諏訪旅行の話。当日は八時発の電車に乗る予定だったので、余裕を持って友人との待ち合わせ時間を七時半に設定した。となると五時半に起きなければ間に合わない。前日の夜、絶対に寝過ごさないようにと祈るような気持ちで目覚ましをセットし、緊張のためか就寝して一時間半後に目を覚ますなどしたが、何とか問題なく五時半に起床できたけど友人が寝坊した。

連絡が入ったのは待ち合わせ場所に向かう途中の電車の中。「二十分遅れる」とメールで謝罪された。ということは、出発の十分前に友人は到着することになる。電車は事前に指定席を予約してあるが、それを予約したのは友人なので自分が切符を受け取っておくことはできない。果たしてちゃんと間に合うだろうかと早くもこれからの旅行に不安を感じながら見物記を読んで友人を待った。

七時五十分を過ぎ、気持ちが焦りだした頃友人が目の前を駆け抜けて行った。行き先はみどりの窓口である。切符を発券する友人の背中を眺めつつ自分は鞄に文庫本をしまい、すぐに二人で駅のホームへと急いで向かった。ギリギリではあったが電車には無事乗り込むことができた。

電車の中で朝食を食べつつ、今後の予定について話す。今回の旅の目的は諏訪大社を回ることで、それ以外は何も決めていない。事前にしておいたのは宿の予約と切符の予約と諏訪大社の場所確認だけだ。それだけでは何なので諏訪の名所や名物を調べておこうと話してはいたのだが書店に諏訪に関するガイドブックはほとんどなく、結局遊覧船があるらしいことと、ワカサギ釣りが有名らしいという情報をネットで拾っただけだった。一泊二日の旅行とはいえ、諏訪大社めぐりだけで存分に時間を使うことができるのか。それが我々の心配事だった。

しかしその心配も杞憂に終る。体力温存のため行きの電車の中では寝ておこうかと話してはいたが、あれこれと喋っているうちに電車は茅野に着いた。さて、これからどうするか。まずは上社本宮に行くことに決まり、と言っても話し合って決めたのではなく、この旅行のルートは全て友人にお任せしていた。道を調べるのも任せていた。時刻表を調べるのも任せていた。自分がしたことは宿の予約をとることだけだったが、宿を探したのも友人だ。改めて振り返ると本当に何もしていない。ただノリノリで歩きまくって遊んでいただけである。何て奴だ。

コンビニエンスストアで飲み物と菓子を買い、観光協会でもらった地図を見ながらてくてく歩く。諏訪湖が近いせいか川を目にすることが多かった。元来歩くのが好きなので、知らない土地をずんずん歩くのはとても愉快だ。そのうえ自分は頭を使って地図を見て道を考えながら歩いているわけではない。そりゃあ楽しいに決まっているな。全く気楽なものである。

道の途中で守矢資料館に寄った。守矢とは諏訪大社でずっと神長官をを勤め、口伝によって諏訪の歴史を伝えてきた家である。諏訪には古事記に伝えられた国譲神話とは違う神話が言い伝えられており、朝廷側の神と戦って負けた神が諏訪の神である洩矢(もりや)神で、その子孫が守矢一族なのだそうだ。残念ながら一子口伝されてきた秘法は先代で絶えてしまったそうである。

しおりを買って資料館を出ると子供が虫捕りをしていた。その脇を通り過ぎて上社へと向かう。するとこんな鳥居が見えた。



上まで続く石段の先に小さく見える祠。横の看板によると北斗神社というらしい。どうしてもこの石段を登らないことにはならないような気がして、我々は寄り道をすることに決めた。トントンと石段を登っていく。最初は気楽なものだった。

だが、半分ほど登ったところで息が切れてきた。思った以上に長い。そのうえ、一段が通常の階段よりも高く作られているため腿上げの運動をせざるを得ないのだ。脇を見るとかなりの急勾配で、友人が指で測ったところ、冗談でなく四十五度の傾斜はあるように見えた。後ろを振り向くと坂だか崖だかわからない景色が見える。そら恐ろしくなってきた。

とはいえ今更引き返すこともできない。ゼエゼエ言いながら我々は祠の前まで登りきり、手を合わせてお参りをした。お参りがすんでもすぐには動けなかった。足が落ち着くのを待たないで下りれば、転げ落ちて怪我、もしくは死亡することが目に見えていたからである。こんなところで死にたくはない。

そろそろと石段を下りきって我々は再び上社を目指し始めた。坂道であったが先ほどの石段が相当のものだったので、「あれに比べればマシだな」と自分を誤魔化しながらてくてく歩いた。ちなみにこれは上社からの帰り道でわかったことだが、あの祠は山のほぼ頂上に作られていた。近くで見たときはわからなかったが、一つ道を挟んで眺めてようやく全貌を把握できたのだ。つまり知らないうちに我々は山を一つ登って下りていたのである。

上社本宮が見えてきたところで昼も近くなったので蕎麦屋に入った。信州蕎麦の幟が立てられており、名物であることをアピールしている。旅行前から友人はせっかくだからその土地のものを食べたいと話していて、自分もそれに同意していたのでチェーンなどは避けようと決めていた。蕎麦を食べるぞと意思表明をする友人と暖簾をくぐって空いた席に座る。メニューを眺めて食べるものを決め、注文をとりにきたおばさんに友人は告げた。

「オムライスください」

ずっこけるかと思った。


2009年8月24日 (月) 緑茶カウント:0杯



まだまだ続くよ諏訪話。以前書いた初めての救急車体験記がくそ長かったので、分割して書いてみることにしたのだ。そんなわけで腹ごしらえをすませた後、無事諏訪大社上社本宮に到着。左の写真は渡り廊下のような場所を内部から撮ったものだ。友人は「御柱(おんばしら)」という、神様の依り代のような結界のようなそんな感じの宗教的意味合いを持った巨大な木の柱を一所懸命探して写真を撮っていた。御柱は二十メートル近い高さがあるので全身を写真に収めるのは難しい。自分も何枚か撮影したが、だいぶ後ずさりしなければならなかった。

本宮には小さな川が流れており、そこをオニヤンマが悠々とパトロールしていて自分は大変テンションが上がった。大好きなのになかなか目にする機会がないので、その分会えたときの感動は一入だ。大粒の緑の目玉が日の光を反射してキラキラと光ってとても美しかった。

本宮を出ると土産物屋が並んでおり、せんべいの焼きたてを売っている店があったので一枚ずつ購入した。自分はわさび味。友人は唐辛子味。わさび味はほんのりとした辛さとツンとした香りがちょうど良く美味しかったが、友人の買った唐辛子味は生半可なものではなかったらしく、唇を赤くして大層苦労しながら食べていた。自分が食べ終わった頃にもまだ友人の方は半分残っていて、途中でカルピスの購入というミッションを命じられた。いったいどれほど辛かったのだろうか。ちなみにこの読みは「からかった」でも「つらかった」でもどちらでもいい。

友人は何とか食べ終えることに成功したが、コンビニエンスで購入したお茶も追加で買ったカルピスも見事に中身が無くなった。たかだかせんべいのくせに何て恐ろしいのだろうか。それから我々は前宮を目指すことになったが、途中に天然記念物の笠松が二キロ先にあるよ、という看板を見つけたので寄り道をすることになった。こいつがまた大変だった。

先に結果から言うと笠松は見られなかった。看板の目指す方角は一本道の坂道で迷う心配は無かったのだが、まず一つ。笠松がどんなものか知らなかった。さらに二つ。この坂道も結構な急勾配だった。駄目押しに三つ。絶対二キロ以上は歩いていたのにそれらしきものは見当たらず、途中で雨も降ってきた。よって残念ながら引き返さざるを得なかったのである。

この笠松までの坂も前述の石段レベルのものだった。石段のように腿上げは強制されなかったが、石段のようにゴールが見えてはいないので、字面から想像する「笠松っぽいもの」を探しながらひたすらひたすら山登りをしなければならなかったのだ。振り向くと何十階建てもあろうかというタワーのてっぺんと目の高さが同じになっていて、見下ろせばカラフルな家々の屋根が坂の向こうに広がっていた。わぁ良い景色。

雨が降り出したことをきっかけに我々は山を下りることに決めた。しかしすぐに雨は激しくなったので、道路沿いの木の下で雨宿りをすることになった。二人とも傘を持っていなかったのである。だが、雨はなかなか止まなかったので半ばやけっぱちになりながら我々は雨の中を歩き出して帽子と鞄と服とタオルを濡らしながら山を下りた。

運良く全身がぐっしょり濡れる前に雨は弱くなり、次第に天気も回復していった。きっと日頃の行いが良いおかげだろう、と虫のいいことを考えつつ再び前宮を目指して歩を進める。とはいえ何か見つければ寄り道をするのはお約束のようなものなので、お約束に従って道の脇に見えた小さな鳥居にも立ち寄った。鳥居の先は草がぼうぼうに茂っていてまるで蛇でも出そうな具合だ。長い草を踏みしめて祠の前に立つ。どんな神様がいらっしゃるのかわからないので、とりあえず手を合わせて「お邪魔しました」と挨拶した。鳥居をくぐりながらそのことを友人に報告すると、友人も同じことを言ったそうである。何だかおかしかった。

前宮は森の中にあった。獣道のような草の上を歩き、四本の御柱や水眼(すいが)川を探し回った。ここの御柱の二の柱が、旅行中に見た御柱全ての中で一番美しく、強く印象に残った。白い柱なのだが他よりも青く見え、夜はぼうと光るのではないかと思わされた。何故あの柱だけがずば抜けて美しかったのだろう。

前宮を出てからは駅に戻り、茅野から上諏訪まで移動して予約していたホテルに泊まった。ホテルまでの道のどこかでイヤーカフスを失くすというアクシデントはあったが、何とか一日目は無事に終了した。まだ温泉と食事と花火というお楽しみが残ってはいるが、もう足を酷使することはない。通された部屋は三階で、窓からは諏訪湖がよく見えた。





2009年8月26日 (水) 緑茶カウント:0杯
諏訪話。ホテルに到着する前に、どこかで酒を買って部屋で飲もうという話になり、その際友人に「部屋はトイレつきだから篭ることになっても大丈夫だ」と朗らかに言われた。己の信用のなさに愕然とした。

そんな心配をしなくてもそこまで飲みすぎることはない! と宣言して、一度部屋に荷物を置いてから近くのコンビニで500mlの缶ビールを二缶、友人はウメッシュと林檎のサワーを一缶ずつ、それとおつまみを購入した。

買出しを終えて部屋に戻るとまだ夕食の時間まで三十分あったので、それまで何をするともなしにぐだぐだとしていた。夕食は七時半から。花火は八時半から。一時間しかないけど大丈夫かな、いや一時間もあれば食べきれるだろ、などとポツポツ話した。夕食の時間になった。

いやー量が多かった。美味しいけれど量が多い。食事会場に移動して、衝立で仕切られたテーブル席に座って食事をしたのだが、来たときにはテーブルが埋まるほどの料理が並べられていて、その分だけで終りだと思って自分は食べていたのだが、空いた下げられた後に追加の皿が出てくる。まだ出てくる。ええーまだ出てくるの!? 苦手な刺身盛り合わせを友人に押し付けて人より一品少ない状態であったのにも関わらず、最後の方に出てきた茶碗一杯のご飯を食べることはできなかった。その前に出た信州蕎麦で十分腹いっぱいになってしまったのだ。

刺身の他にご飯まで追加で食べることになった友人は満腹を超えた状態になったようで、ちょいとばかり悪いことをしたなという気持ちになった。さて、花火である。懸念していたように一時間では間に合わず、三分ほど遅れて部屋に到着したのだが、諏訪湖の上に打ち上げられる花火は三階の窓からとてもよく見えた。でっかい花火が弾けて火の粉が湖上に落ちていく。網戸にした窓から花火大会に合わせて演奏される音楽がかすかに聞こえて来た。良い花火だった。

花火の次のお楽しみは温泉だ。普段ユニットバスでゆっくりできない分思いっきり堪能してやるぞ、と意気込んで一時間ほど楽しんできた。風呂は三種類あって、一つは長湯するのにちょうどいい少しぬるめの風呂、もう一つは江戸っ子が喜ぶような熱い風呂、そして一つは露天風呂だ。しかし、露天と名前はついているものの、高い壁と竹を編んだ囲いで温泉が囲まれている状態になっているため外の景色は見えず、たまに隙間から外気が入ってくる室内風呂といった感じであった。

日中酷使した足を揉んで、たっぷり汗を流して部屋に戻る。夕食を終えて戻ってきた時点で部屋には布団が敷かれていたのであとはいつでも寝ることができる。至れり尽くせりで嬉しいものだ。じゃあお酒でも飲みますか、ってことで冷蔵庫で冷やしておいた酒を取り出し、おつまみを開けて乾杯をした。そういや温泉の効能を見忘れたがあれは何に効く成分が含まれていたのだろうか。無難に腰痛とかそこらへんか?

その日一日のことを話しながら杯を傾けたが、寝不足、満腹、疲労、もともとあまり酒は強くない、というコンボで友人はウメッシュを一缶空けて先に就寝した。うん、今日はたくさん歩いたものなぁ。友人は死んだように眠り、自分はその後一時間ほど経ってから就寝した。朝の五時、友人のセットした目覚まし時計が鳴り響き、しかし友人は目を覚まさず、その後十分ごとに目覚ましが鳴るも友人は起きず、代わりに自分が十分ごとに目を覚まし、結局六時になって自分が起こすまで友人は眠ったきりで、五時に起きるつもりがないのなら五時に目覚ましを設定するのではないと後でつっこみを入れた。

朝風呂につかってから朝食。バイキング形式だったので各々好きなものをとった。自分は洋食で友人は和食。全く協調性のないテーブルはどこか学食のそれのようだ。眠いと言いつつ朝っぱらから豚の角煮を食す友人は元気があってすげぇと思った。


2009年8月27日 (木) 緑茶カウント:3杯
諏訪話ラスト。朝食後チェックアウトの一時間前まで友人は布団に倒れていたが、目をつぶっていただけで眠れはしなかったらしい。昨日友人が買った林檎サワーは冷蔵庫で未開封のままだったが、まさか朝から酒をかっくらうわけにはいかないので「掃除のおばさんにプレゼント」と称してそのまま冷蔵庫に置いてホテルを出た。

目指す先は諏訪大社下社秋宮だ。友人曰く、神楽殿が見所で、上社よりも人気があるそうだ。少し寂れた温泉街を歩いていると昭和チックな男性の歌声が拡声器のようなものから放送されていた。自分も友人もそれがどういうジャンルかはわからなかったが、街の雰囲気にとてもよく合っていると思った。街のいたるところに風鈴が大量に吊るされていたので、きっと風鈴が流行っているんだねとふざけたことを話しつつ秋宮へと進む。空は晴れ渡っていて、午前中とはいえ少々日差しがきつい。



それにしても写真を撮るのが下手だなぁとこうして見るたびつくづく思う。携帯電話のカメラで撮っているのだからできあがったものをちゃんと確認して撮り直すなり何なりすれば良いものを、何故こうも傾いたままなのだ。

秋宮は友人の言うとおり、午前中にも関わらず人がわいわいしていて賑わっていた。鳥居をくぐってすぐのところにある大きな杉は根入りの杉と呼ばれるもので、丑三つ時には枝を下げてあたかも眠っているかのように見えるそうだ。オジギソウみたいだなと思った。



こちらが神楽殿。手前の狛犬は日本一大きなものだそうだ。入ってすぐの場所にどっしりと構えているので、ここを本殿と間違えて参拝していく人が多いのだと諏訪大社の人が話してくれた。本殿は神楽殿の奥にあったが、携帯電話のカメラの方では撮影しなかったのでここに載せる写真はない。旅行中自分は携帯電話のカメラと使い捨てカメラの両方を使って写真を撮っていたのである。



秋宮を出て、次は春宮を目指すことになった。春宮は一部修復工事中であるため全部は見られないが、せっかくなので見に行こうということだ。写真は秋宮から春宮に行く途中の道で撮ったもので、屋根が見えることからわかるとおりずっと高いところを歩いていた。桜並木になっていたので春に歩くとさぞかし美しいことだろう。桜の花を楽しむことはできなかったが、木にはセミやらナメクジやらがいたので自分はテンション高く楽しんでいた。虫嫌いの友人は少し呆れていた。



工事中ということもあって流石に春宮は秋宮より人が少なかった。シートで覆われた幣拝殿の隣に簡易な仮拝殿が作られていたので、一応そこでお参りをした。友人は結びの松や御柱の写真などを熱心に撮っていたが、自分はカミキリムシでも見られやしないかと期待して山の方を登って行った。だっていかにもいそうな雰囲気なんだもんよ。



うろうろと見て回ったがカミキリムシは見つからず、セミだけを飽きるほど見て友人のもとに下りていく。万治の石仏というものがあるという話なので、それを見に行くことになった。春宮を出ると川があり、橋を渡ってすぐのところにあるのだが、結局石仏まで到着するのに三十分以上はかかった。川で遊んでいたからである。

最初は橋の上から川を眺めているだけだったのだが、橋を渡って少し進むと川まで下りられるところがあった。カンカン照りの暑さの中目の前で流れる透明な水は大層涼しげで、手を突っ込んでみると思った以上にひんやりとしている。これは足でも入れたくなるなと冗談で話していると本気で入れたくなってきて、靴と靴下を脱いでしばらくの間休憩していくことになったのだ。友人は足を浸して座っているだけだったが自分は川の真ん中手前まで歩いていった。場所によっては流れが急なので足をとられて転びそうになる。もしここですっ転がってずぶ濡れになったら笑えるよなー、と口にはしたが、幸運にもそれは現実にならずにすんだ。

水切りをしたり、石に引っかかって動かない木の枝に小石を投げて川の流れに戻そうとしたり、さんざん遊んでから足を拭いて当初の目的へと戻る。石仏の手前にお祈りの仕方が書かれた看板があったのでそれに習ってお祈りをしたが、微妙に間違えていたことに終ってから気がついた。



土産物を買いに行くために春宮からまた秋宮へ向かう道はあの有名な中山道だった。しかし日差しが暑い。きつい。よりにもよって黒い帽子と黒いシャツという組み合わせで来てしまったために尚更暑く感じるが、むしろそんな真っ黒な格好をした奴を見なければならない友人の方が視覚的に暑苦しかったことだろう。ちょうど昼時だったので、秋宮近くの蕎麦屋で昼食をとることにした。

秋宮を軽く回り直した後、土産物屋で土産を買い、外のベンチでアイスを食べた。さてこれからどうしよう。帰りの電車までまだ時間はあるが、他に行くところも思いつかず、地図を見てもこれといったものが見当たらない。じゃあとりあえず駅に戻るかということで駅の待合室に入り、なんとなーくぐだぐだと二時間ほどそこで過ごして電車に乗った。

帰りの電車の中で、友人の撮った写真をスライドショーで見ながら旅のおさらいをした。最後はぐだぐだだったとはいえかなり密度の濃い一泊二日の旅だったので、たった一日前のことなのに「ああそういえば」という言葉が出てくる。最後の写真を見終わってからは、二人ともくたくたに疲れていたので座席を倒して眠り込んだ。電車が新宿駅に到着し、一泊二日の諏訪旅行は終了した。

そしてそんだけ疲れてくたくただったってのに、そのまま飛び入りでオフ会に参加したってんだから自分は本当馬鹿だよなぁ。しかもお土産は新宿駅で買った東京ばなな。どこが諏訪土産かとつっこまれたのは言うまでもない。どっとはらい。


2009年8月28日 (金) 緑茶カウント:0杯
ない。図鑑や雑誌などの背の高い本を置く場所がない。冗談でなく本気でない。仕方が無いので本棚の隙間に突っ込んでいたが、その隙間すらつきてしまった。しかし捨てられるものなどない。本当にない。

そして隙間がないというのに買いはする。すると増える。さらに置き場所がなくなる。困る。でも増える。いったいどうしたものだろう。参ったなぁ。


2009年8月29日 (土) 緑茶カウント:5杯
今夜も! 生で! さだまさし! 南こうせつもゲストで出演。二人の神田川が聴けて嬉しかったなぁ。次の放送は十月三十一日かー。ちょっと間が空くな。

中学の頃はかぐや姫やさだまさし、中島みゆきをよく聴いていた、というほど聴いていたかといえばそれほど聴いてはいなかったが、数少ない聴いていた音楽の中では聴いていた方だった。あまり音楽に興味がないわりには聴いていた。これらを聴いていたのは家にCDがあったからという単純な理由だったが今でも結構好きだ。

当時はまだ自分の好きな音楽のジャンルがわからない頃だった。だからかぐや姫のCDを流しながらも、自分はこういうのが好きなのかなぁとぽかんと考えていた。ロックが好きだと気付いたのは高校に入って筋少に出会ってからだね。それまでギターがギュインギュイン言ってボーカルがシャウトする音楽なんて聴いたことがなかったからなー。筋少にはまってようやく「ああ、自分はこういう音楽に胸を鷲掴みにされるんだ」と気付くことができて嬉しかった記憶がある。

無論フォークはフォークで好きだ。ただ、自分の音楽の好みがはっきりとわからなかったので、それがわかってすっきりしたという話。あと何だっけ。裏BTTBのCDも持ってた。あれも当時流行ったなぁ。何かのCMで使われてたんだっけ。懐かしいな。


2009年8月30日 (日) 緑茶カウント:3杯
石井聰亙監督による映画「爆裂都市」を見た。TSUTAYAでレンタルしてね。主演は若き日の陣内孝則。舞台は近未来のSF世界で、物語には二つの争いがある。一つは貧民街に原子力発電所を建設しようとする暴力団VS貧民街の下層階級、もう一つはその貧民街にあるライブハウスでライブを行う「バトル・ロッカーズ」VS新たに現れたバンド「マッド・スターリン」。どちらともそれぞれ別々に大暴れしていてどっちにも警察が介入し、結局後半は暴力団も下層階級もバトル・ローカーズもマッド・スターリンも観客も警察も全員がとにかく暴れまくって滅茶苦茶な暴動が起こり、バトル・ロッカーズの演奏を背景に誰も彼もが絶叫しまくるという映画…なのか? 戸井十月と町田康の演じる「キチガイ兄弟」は物語のはじめに貧民街へとやってきて、また物語の終りに去っていく。

感想としては面白かった。当時ライブハウスでザ・スターリンの遠藤ミチロウが、ステージから客に向かって豚の頭や臓物を投げていたそうだが、この映画でも同じように豚の頭や臓物を投げて客を煽っていた。うーん、すごい。すごいけど怖すぎるので自分はこんなライブには行きたくない。他にも客の頭にカレーをかけるとか、ステージでゲロを吐くとか、重機でライブハウスを破壊するとかいろんなバンドがそれはもう滅茶苦茶なことをやっていたそうだが、そんな人々も今ではプロジェクトXのナレーションをしたりしているのだから面白いなぁ。

といった感じに、当時の過激なパンクロックシーンに興味がある人間には、その空気を少々垣間見ることができる点でこの映画は楽しめる。なるほどこんなことをやってたんだねー、と思えるのだ。

またそれとは別に、とにかく人々が無茶苦茶に暴れまくって何がなんだかわからなくなっている様子を見るのも面白い。物語のはじめでは「あああああ!!」としか発声できないキチガイ兄弟を下層階級や暴力団の人間が馬鹿にしているのだが、最終的には全員もう「あああああああああ!!」「ぎゃあああああああああああああ!!」「うわあああああああああああああああ!!!!」としか言ってない。言ってしまえば皆が半狂乱のキチガイ状態になっているのである。そして皆が絶叫しつつ暴れまくってる中、キチガイ兄弟はバイクでさーっと街を出て行くのだ。

それとこれは自分が町田康の声が好きだから思ったのかもしれないが、「ああああああああああああああああ!!!!」と叫ぶ町田康の鬼気迫る声とバトル・ロッカーズの演奏が合わさると一つの音楽のように聞こえた。これ狙ってんのかなぁ。わからないけど好きだなぁ。

と、結構自分はこの映画が気に入ったのではあるけれど、皆が皆叫びまくって顔を真っ黒に汚して暴れまくっているため、台詞が聞き取りづらく、誰が誰だか判別しにくいという難はあった。しかし彼らは既に人ではなく、暴徒という塊になってるいると考えりゃ言葉も人もそんなもんはどうでも良かったのかもしれないな。

加えて、これは自分が普段映画をほとんど観ない故の経験不足もあるだろうが、話の筋を把握するのが少々面倒だった。これとこれはどういう繋がりでこいつらはどういう役割なんだ? と考えているうちに暴動が起こり、勢いに圧倒されているうちに映画は終った。よって観終った直後はなんとなく何が起こったのかはわかったものの、細かな人間関係はDVDのチャプター別に再生できるページの、チャプターごとに書かれたタイトルを見てから理解した。あの変態に殺されたねーちゃんは女でなくって男だったのか…。キチガイ兄弟の親が殺されていたことも本編からは読み取れなかったよ。

つーことで時間があったらもう一回観てみようかなとは思います。


2009年8月31日 (月) 緑茶カウント:2杯
今日、久しぶりに長袖のTシャツを引っ張り出した。もう夏も終るんだなぁ。早いものだ。

ノコギリクワガタの田中キョン君は今のところまだ元気で、同じサイズのノコギリクワガタのフィギュアをけしかけると元気よく頭と胸を真っ二つに泣き別れにしてくれる。もともと三つに分解できるフィギュアなので問題ないが、千切っても千切っても再生してじりじりにじり寄ってくる化け物を相手にするのはさぞかし脅威であるだろう。頑張れキョン君。長生きしろよ。




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