日記録

2021年8月12日(木) 緑茶カウント:0杯

結論から言うと、抗原検査・PCR検査を受けた結果はどちらも陰性だった。
しかし、その結果がわかるまでの数日間の恐怖は言葉では言い尽くせないほどのものだった。

災害とまで評させるコロナ禍の東京。連日感染者数は増え続け、何でたかだか買い物に行くだけでハラハラせねばならんのだと思いつつ、とはいえできることをするしかないと半ば諦めながら日々を暮らしていたある日、熱が三十七度出た。そして、三十七度から三十七度八分までの熱が五日間続いたのである。

もともと体温が高い方なので、ちょっと緊張するだけで容易に三十七度を超える。また、熱が出たこの日、己はやや落ち込んでいた。コロナが蔓延する前にチケットが販売され、ずっと延期を繰り返しようやく開催が決まったライブに、悩みに悩んで悩みつつ行かない決断をしたためである。ライブの日、己はまだワクチンによる抗体ができる前で、今の状況ではかなりリスクが高い。ライブ会場で感染対策が行われていたとしても、道中で感染する可能性が多いにある。故に、ずっと行きたいと切望していたライブに行くことを諦める決心をしたのだ。

その直後、三十七度八分の熱が出た。

体温計を見てドキッとしつつ、まぁ一時的なものだろうと思って床に就いた。ずっと行きたかったのだ、ショックを受けるのも無理はない。一晩寝れば落ち着くだろう。そう思ってドキドキしながら朝を迎え恐る恐る体温計を脇に挟むと、体温は平熱の三十六度八分。あぁ、良かったやはり精神的なものが原因だった。ほっとしつつ念のため外に出るのは止めておこうと日課の夜の散歩を控えることに決めて一日を過ごしその日の夜。熱がぶり返したのである。

ゾッとした。まさかと思った。
そして、改めてコロナに関する情報を調べ直した。

藁にも縋る思いで情報を読み込む。感染から発症までの期間はおよそ五日間。五日前の自身の行動を振り返るとスーパーに買い出しに行っていた。現状、一年近く誰かと食事を共にすることはなく、帰省はおろか友人に会うこともない生活を続けている。マスクはもちろん不織布だ。ここまで感染が広がる前には一人客が中心で会話をする人がほぼいないラーメン屋に時間をずらして食べに行くことはあったが、それすらも最近は自衛のため自粛している。外出と言えば週に一度か二度買い出しをするときとゴミ出しと夜の散歩のみ。リスキーな行動は少ないはずだが、しかし今の状況ではそれすらもリスクに成りうるかもしれない。だってさぁ、これはあくまで体感によるものだが、コロナが蔓延し始めた当初はスーパーに行くと九割の人が手の消毒をしていた印象だったのに、今じゃ消毒してるの四割くらいだものなぁ。慣れとともに緩んできているのは感じている。マスクをせず歩いている人も増えてきた。

気を付けていたが、どこかで感染したのかもしれない。
布団の中でスマートフォンを握りながら、心臓がバクバクと跳ねる音を聞いた。

怖くて一日に何度も体温を測り、祈るような気持ちで数字を見る。熱以外の症状はないが、いつ悪化するかもしれない、もしかしたら死ぬかもしれないと思うと恐怖で眠れない。事実、朝まで一睡もできない日さえあった。しかもちょうど熱が出たのが連休中。発熱相談センターに電話したものの、今は祝日で込み合っているので熱だけならまだ様子を見た方が良い、外に出ればかえって感染してしまうリスクがあると言われ、それは確かにと思い病院が開く連休明けまでひたすら時間が過ぎるのを待った。怖かった。あぁ、ただ微熱が続く程度なら普段であれば安静に過ごそうと思うだけで済むのに! スーパーに行ったのが悪かったのかもしれない、散歩に行ったのがダメだったのかもしれないと後悔に苛まれて良い歳をしていながら泣きそうになり、また、もうすぐ二回目のワクチン接種を控えていただけに、こんなにずっと自粛を続けていたのにこのタイミングで感染していたらと思えば悔しくてたまらなくなり、気分はとにかく滅入っていく。

ワクチン接種に備えて準備していたおかげで食料と飲み物に困ることがなかったのが唯一の救いだ。そしてやっと連休が明けて病院に連絡し、PCR検査を予約。あぁどうにか陰性であってくれと祈りながら迎えた当日。なんと、熱が下がった。およそ五日間の発熱であった。

そして今日、検査結果が陰性であったと病院から連絡があってへなへなと力が抜けて動けなくなり、五日間室内での運動も控えひたすら寝て過ごしたため体力も衰え、体重も減少。たった一回ラジオ体操をするだけで息切れするありさまとなったが、予定通りワクチンを接種できることになった安堵もあって今はとにかく力が抜けている。熱の原因はわからないが、夏風邪かストレスか何かだろう。ただ、通常ならさほど気にならないちっぽけな体調不良も今ばかりは不安で恐ろしくてたまらなかった。

皆さんもどうか、体調に気を付けて。
不安なく健やかに過ごせますように。



日記録0杯, 日常

2021年2月11日(木) 緑茶カウント:0杯

今日でこのサイトを開設して十九年目。つまり十八周年を迎えたとのことで、再来年には二十周年となる。うわぁ、二十歳になるのかこのサイト。成人するのかこのサイト。月日の流れには驚かされるばかりだよ。というか、ずーっとインターネットと共に生きてきたんだな、自分は。思えば小学校高学年からインターネットの世界にどっぷりである。多分これからも死ぬまでどっぷり浸り続けるだろう。だって楽しいから。

最近は運動不足のためか寝ても寝ても寝足りず十二時間くらい平気で寝てしまうため、日課の筋トレとは別に散歩を始めた。個人的にはあちこち曲がりくねるよりもまっすぐな道をズンズン進む方が楽しいため、そういったルートを探していて、ついに今日理想のルートを構築した。明日からそのルートをなぞるのが楽しみである。

あとね。嬉しかったことがあってね。散歩ルートを探すために行ったことのない道を歩いたら、スーパーとデパートの中間のような、六階建てのフロアにそれぞれカテゴリ毎の売り場があって、置かれている品々にちょっぴり高級感のあるお店を見つけてね。うわぁ、こんなお店があったんだなぁ、と吸い込まれるように中に入ったら、泣きそうになってしまったんだ。

もうしばらく、近所のスーパーと商店街しか行っていない生活をしているもので、見慣れないものを見ることが随分と減っていたんだ。つまり、見知ったものとわかりきったものに囲まれる生活を送っていて、それに不満も違和感も抱かず過ごしていた。ところがやっぱり、求めていたんだなぁということがありありとわかったんだ。

生活圏内では見ることのない品々に目を奪われ、心臓がドキドキと跳ねる。色とりどりのランドセル、赤ちゃんのおくるみ、キャンプ用のテントや折り畳み式の椅子、様々なブランドのバレンタインチョコレート、デリカッセンのガラスケースの奥で輝く山盛りのサラダやローストビーフ。見慣れない食器や文房具、調理器具、本、美しい瓶に入ったオーガニックの調味料。ため息が出るくらい心が震えて、「なんだろ、これ?」と驚く喜びを久しく感じていなかったことに気付かされて、目頭が熱くなってしまったんだ。

酒売り場だけでフロアの半分を占めていて、見たことのないラベルのビールやワインに心がときめいて、美味しそうなビールと赤ワイン、ローストビーフとチーズをカゴに入れ、バレンタイン限定のラム酒漬けのドライフルーツやくるみを練り込んだチョコレート味のパン、なんてものも買ったし、美しいチョコレートも買った。そしてふわふわしながら店を出て、両腕に重さを感じながらまたまっすぐな道をざくざくざくざく歩いたんだ。

この生活があとどれくらい続くかわからないけれども。散歩をして、たまにここに寄ることを楽しみにまた一日一日を過ごしていこうと思った。

そんな感じで今後ものったりゆったりやって行こうと思うので、どうぞよろしく。またお暇なときにでも遊びに来てくださいな。



日記録0杯, 日常

2021年2月2日(火) 緑茶カウント:2杯

ここ数年すっかり使わなくなっていたが愛着があって捨てられず、持ち続けて早数年。そう、それは大学の頃に思い切って買った複合機。プリンタとスキャナが一緒になったもので、当時確か五万円した。五万円と言えば今でも大金だが、大学生の自分にとっては信じられないくらいの金額だった。まだその頃は数万円の買い物をした経験もほとんど無くて、まさに清水の舞台から飛び降りる気持ちで購入したのである。

ではどうして今更捨てるつもりになったのかと言うと本棚を増設したいからで、今は壁のうち二面が本棚なのだが、もう一面も本棚にすべく計画中なのだ。せまっくるしくなるって? わかっているさ。でもさぁ、壁という壁を本棚で埋め尽くした家で育った人間だからさ。出窓まで埋め立てて本棚にした家で育った人間だからさ。もう本が溢れ出しているしさ。電子書籍も買ってるけどさ。やっぱ本棚が必要なんだよね。自分には。そしてこの本棚を買うためには複合機を処分せねばならなかったのである。

あぁ、やはりちょっと寂しいな。

さらば複合機。ありがとう複合機。君のおかげでたくさんやりたいことができたよ。長い間お疲れ様でした。良い眠りを。



未分類2杯, 筋肉少女帯, 非日常

2020年10月18日(日) 緑茶カウント:2杯

泣くかな、と思ったけど意外と泣かんかった。
ただ、やっと戻ってきたという感慨ばかりあった。

毎年恒例の十二月二十三日のライブを最後に、十ヶ月ぶりの筋少。一時期はね、筋少を観たいという欲求を自覚することが辛くって数ヶ月ほど筋少を聴くことができないでいた。絶対に満たされることのない欲求に渇望し、焦がれることがしんどかったんだ。

そして十ヶ月ぶりに、全身で筋少を浴びた。

消毒と検温とマスクが必須で、声も発することができない。物販もないし、終演後ビールを片手にふわふわ余韻に浸ることもできない。
でもそんなことなんか、全くどうでもいいって思えるほど素晴らしいライブだったんだ。

コールアンドレスポンスの代わりに、「問うならば」のリズムに合わせて手拍子をして、日本印度化計画で橘高さんは客席へと投げる代わりにピックシャワーを頭上にばらまき、それはまるで紙吹雪のように美しくて華やかで、オーディエンスの声援を補うメンバーのコーラスはいつも以上に野太くて、本当に、格好良かった。

この日己は二階席からステージを見下ろしていて、ずっと頭上にあるはずのミラーボールが目の高さよりもやや下にあって、煌めく美しい光線がくるくると会場を色とりどりに染め上げて、あぁ、そういえばこんなにキラキラしたもの、しばらく見てなかったなぁなんて思ったんだ。

電車の乗り換えすら久しぶりで、乗り換えという感覚が己の中から抜け落ちていたために乗り慣れていたはずの路線でうっかり逆方向に乗ったり乗り過ごしそうになったりして、あわあわしながら会場に向かった。そして自らの座席に着いて、今まで一度も袖を通していなかった特攻服シャツを着て、通販で買った物販のタンバリンを持って、口中がカラカラに乾くのを感じながらひたすら開演の時を待ったんだ。

一曲目の「孤島の鬼」が始まった瞬間の、胸がいっぱいになる感覚。ずっと聴きたかった、六人の演奏。筋肉少女帯という六人のメンバーによる化学反応を己はずっと欲していた。この六人により描かれる色彩を、ずっとずっと観たかった。

「枕投げ営業」が始まった瞬間タンバリンを異様に振りまくってしまったのはまさかこの大好きな曲を今日この日に聴けるとは思っていなかったからで。だってあまりにも大好きでたまらなくて、嬉しくて泣きそうになった。「ゾンビリバー」のイントロが流れて血液が沸騰し、気付いたら腕を振り上げていた。この怒涛の、濁流のような音に飲まれたいとずっとずっと思っていた。

本編ラストの「ディオネア・フューチャー」で心がぐらぐらして、この曲を本編最後に持ってきてくれることが嬉しくて。コロナ禍の今は、コロナ禍前と比べれば来世みたいなもんだなぁと思って、でもまた会えて。いつか会えなくなる日が訪れることが怖くて、だけど何とかその日を乗り越えられるように一つ一つのライブを噛みしめようと改めて思わされて。だってこの日この場にいられるのは、ただただ運が良いだけだから。たまたま東京に住んでたっていう、それだけ。もしこのライブが新幹線や飛行機の距離で開催されたなら、きっと自分は行く決心を持てなかっただろう。そして同じように思って申込みをしなかった人が必ずいるはずなのだ。

アンコール一曲目で歌われる「喝采よ!喝采よ!」がいつになく染みて。オーケンの生き方が感じられた気がして、あぁ、やっぱりこの人はステージで生きる人なんだ、と改めて。最後のサンフランシスコでは、この半年、いやそれ以上ぶりに大きく地を蹴って、足首がぐにゃぐにゃになったらどうしようって思ったものの何とか着地できたんだ。

デビュー三十二年目の筋肉少女帯。コロナ禍の中でのコールアンドレスポンスも声援もないライブを、オーケンは誰よりも危惧していただろうと思われる。しかし三十二年目にして初めての異常事態を楽しむ気概で臨み、この状況を利用してより面白い空間を作り上げようとする姿が本当にプロフェッショナルで、頼もしくて、ありがたくて、嬉しかった。

いつかまたもみくちゃになりながら大声を上げられる日が来るまで。手洗い除菌マスク、健康的な食事と睡眠に努めて、大好きな筋少に迷惑をかけないように。そしてまた大好きな筋少を観られるように。日々を生きて行こうと思った。あぁ、この日を迎えられて奇跡のように思う。そして努力次第でこれはまた、スタンダードになってくれるんだ。

よし。頑張るぞ!