竜馬がゆく現象

2018年6月17日(日) 緑茶カウント:0杯

あれは高校生の頃だっただろうか。家の書棚にあった司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を手に取り、夢中になって読んだ数ヶ月。人間くさい竜馬に愛着を持ち、楽しんで読んだ時代小説。あれを読んだのは何年前か。もう十年も経っているだろう。

しかし己は、未だその最終巻を手に取ることができていない。

これを勝手に「竜馬がゆく現象」と呼んでいて、呼んでいるからには類似の現象が発生しているということで。即ちどういうことかと説明するならば、己は竜馬に愛着を持ちすぎた故に竜馬が殺されてしまうことがたまらなく悲しくて、最終巻を読むことができなかったのだ。

同じような現象はゲームでも起こる。もうすぐラスボスだ、全面クリアだと言うところで物語が終わってしまうことが悲しくて手を離してしまう。故に、熱心に遊んだゲームであるくせにそのラストを知らないものがちょこちょこあり、我ながらどうかと思うが、エンディング直前で手が止まってしまうことがままあるのだ。

思い出すのは幼少の頃のこと。遊びに来ていた友人としこたま遊んで友人を玄関から見送ったあと。大抵己は「あー、つまらなかった」と言ったそうで、当初母はそれにカチンと来たという。充分楽しく遊んだのに何を言うのだ、一緒に遊んだ友人にも失礼だろうと。しかし、時が経つにつれその言葉の意味がわかったと己に話してくれた。

きっとそれは自己防衛の言葉だったのだろう。あんまり楽しかったから、楽しい時間から通常へと切り替わる寂しさに耐え難くて出た言葉だったのだろうと。

なるほどなぁ。一桁の年齢の頃から己はなかなか面倒臭い性格をしていたらしい。そうして思うことと言えば、竜馬の行く末。いや、知っているよ。歴史の教科書で彼が最終的に死ぬことは。暗殺されることは。でも悲しかったんだね、あぁ、知っているとも今になっても。

いつかあの文庫本を開ける時が来るだろうか。
まだまだ、時間がかかりそうである。



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